アテネ パルテノン神殿



 449B.C.にアケメネス朝ペルシアに「勝利」(といっても敗北・併合を免れたというだけですが)してから、404B.C.にスパルタに敗北するまでがアテネの最盛期で、それを象徴するのが447B.C.に着工し432B.C.に竣工したパルテノン神殿です(399B.C.のソクラテス裁判はアテネの堕落と衰微を象徴します)。パルテノンがそびえるアクロポリスは、石灰岩の露頭の上に石垣で築かれた東西300m、南北120mほどの菱形の土地で、周囲とは50m以上の標高差があります。(イェルサレムの「神殿の丘」も同様の地形です。ただし、「神殿の丘」は面積は4倍くらいで標高差は半分くらいです。)

 パルテノン神殿は写真で見慣れてはいても、いざその場に立つと誰もがその巨大なことに驚かされるようです。列柱は高さ10mほどですが、基壇は2m以上あり、屋根は全部落ちてしまっているものの3m以上の梁が乗っています。

 パルテノンについて語るときにこう言う人はなぜかどこにもいないのですが、円柱の上に四角の梁(はり)を乗せるという「柱梁構造」がエジプト神殿の様式を踏襲していることは、一見してあきらかです。新王国時代には石灰岩が枯渇したために砂岩で作られたエジプトの神殿と比べると、パルテノンの美しい大理石ははるかに見栄えがするのですが、かつては両者ともに彩色と装飾が施されていたことを考えると、砂岩と大理石の差異は割り引いて考えるべきでしょう。

 また、ギリシャ神殿は、ルクソール神殿やカルナック神殿のような複雑な体系的伽藍配置構造は持たないようで、「四合院」が重合する中国寺院と、その体系的伽藍配置を受容せず断片化した日本寺院の関係に似ています(本サイトの四合院を参照ください)。


アゴラ 劇場

 そびえたつアクロポリスの南側には、半円形の劇場がふたつあります。ひとつはポリス=アテネのもので、かなり崩れています。もうひとつは、ギリシャを征服したローマがあらたにつくったものです。

 北西側にはかつての「アゴラ」(ひろば)の遺跡がひろがっています。かつては国家機関や商業施設がひしめいていましたが、ヘパイストス神殿以外はほとんど原型をとどめていません。ソクラテスを裁いた裁判所もここにありました。長大な「ストア」(列柱廊)は再建されたものです。ここにも、ローマは次々と建物や石像を建てたのですがどれも崩壊しており、いまやポリス=アテネのものとの区別さえつきません。