3週間後の三坂町と若宮戸

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上が若宮戸の「越水」地点、下が三坂町の「決壊」地点

http://www.gsi.go.jp/common/000107669.pdf

クリックで拡大 青い線の内側が最大浸水範囲


4, Oct., 2015

28, Oct., 2015 追記

 9月10日の水害発生から3週間あまり経過したところで、10月4日に、2地点すなわち午後12時50分ころ「決壊」した左岸21.0km地点(利根川との合流点からの距離)の三坂(みさか)町と、それより前、午前6時ころ「越水」した左岸25.35km地点の若宮戸(わかみやど)を見てまいりました。ただし、左岸の堤内(川裏)側は、道路も損壊して通行止めとなり立ち入れないようなので、対岸の堤防上から見るにとどめました。

 

三坂町

 水量はほぼ通常時にもどり、水面は高水敷から低水路まで低下し、水も澄んできました。「仮復旧」した200mの区間は、川側の茶色の鋼矢板だけが見えます。対岸には排水門があり、おそらく左岸の決壊の瞬間を撮影していた監視カメラがここに設置されているものと思われます。右岸一帯には刈り入れ前の水田や畑が見えます。

 通りかかったプリウスは車体幅1745mm(ドアミラーを含まず)です。堤防の天端(てんば)はどうみても3mほどしかありません。政令(河川管理施設等構造令)の定める基準の半分しかないということです。写真では分かりにくいのですが、高さも一定ではなく、波打っているように見えました。


 

 

若宮戸

 三坂町は、報道企業の翼賛をえて国土交通省が大々的に宣伝しながら、仮復旧しましたが、若宮戸はまったく言及もなく報道もありません。国土交通省関東地方整備局(さいたま市)で開催された9月28日の第1回の「鬼怒川堤防調査委員会」の時も、数か所の「越水」地点のひとつとして、図上に表示されただけで何らの言及もなかったようです(議事録未公表)。

 まさか放置はしていないだろうと思って来てみたのですが、三坂町のわざとらしい仮復旧とは対照的に、ひっそり土嚢を積んだだけのように見える現場に、ソーラーパネルの残骸が積み上げられていました。

 

 

2015年10月28日の追記

 

 10月4日に下のような「補足」書いたのですが、間違いに気づきました。

 10月4日の帰宅後、9月25日づけの関東地方整備局のウェブサイトに「若宮戸地区の応急対策」として、説明抜きの、もちろん地図もなければ周囲の状況も写っていない小さな写真2枚があるのを見たのです。胡散臭さ十分で魂胆のある写真であることはあきらかでしたが、てっきりその日見たソーラーパネルの残骸を隠すためのわざとらしいフレーミングの写真だと思い込んだのです。

 豈図らんや、9月25日づけの関東地方整備局のウェブサイトの写真は、このソーラーパネルの左岸25.35km地点のものではないのです。じつはこれは24.75km地点の、まったく別の「土嚢の堤防もどき」だったのです。「若宮戸」の2か所で氾濫し、その2か所に「土嚢の堤防もどき」をつくったことは、準備中の別のページで取り扱う10月13日づけの関東地方整備局の広報文書のなかで(おそらく)はじめて公表された事実です。その写真をみておかしいと思って10月27日に現場を見に行き、気づきました。

 

 10月4日には無用な遠慮をして対岸から見ただけなので「土嚢の堤防もどき」の両端部分のぐあいや樹林などの様子がよくわからなかったのですが、たしかに当日見た「土嚢の堤防もどき」は、法面(のりめん)が1枚ですが、ウェブサイトの「土嚢の堤防もどき」は法面(のりめん)が段付きになっていてしかも上の段の傾斜が急です。どう見ても別物なのですが、10日ほど経過していたこともあり遮水シートのかけ直しでもしたかと勝手に思ったのですが迂闊でした。まんまとしてやられました。

 ソーラーパネルの25.35kmの方の「土嚢の堤防もどき」は9月16日に完成したようなのですが、それについての広報があったのか不明です。なぜこの24.75kmの「土嚢の堤防もどき」だけ、ひっそりと説明ぬきに、とりわけ里程も隠して広報したのか、不明です。25.35kmについてもどこかのページにちゃっかり載っているのかも知れませんが、かりにそうだとしても、この9月25日づけページは悪意がみえみえの騙しです。

 なお、若宮戸のふたつの氾濫については、別のページでも詳しく書くほか、二度と騙されないように大量に撮影してきた写真をスライドショーとして掲載します(予定)。

 

 

(2015年10月4日に書いた補足)

「帰ってから関東地方整備局の記者発表資料をみたところ、9月25日に記者発表していました。ただし、何の説明もなく、もちろんソーラーパネルのことなど言及もしていません。写真は、ソーラーパネルの残骸を避けた不自然な構図になっています。よほど知られたくないようです(http://www.ktr.mlit.go.jp/bousai/bousai00000111.html)。」

 



 なお、今回若宮戸を望んだ右岸の常総市国生(こっしょう)は、かつての岡田郡国生村で、長塚節(ながつかたかし、1879-1915)の出身地です。すなわち小説『土』の舞台です。長塚節の生家があり通常は公開されていますが、9月10日以降は公開停止中とのことです(http://www.city.joso.lg.jp/soshiki/kyoiku/shogai/kyo07/gyomu/nagatsuka/1418626122298.html)。