鬼怒川三坂堤防の特異性と崩壊原因

 

6 堤内地盤崩壊の諸相

 

Nov., 1, 2020 ( ver. 1. )

 

(i)用語の誤用:若宮戸の「自然堤防」と三坂の「落堀」

 

 2015年9月11日、すなわち氾濫翌日の午前10時ころの上三坂(かみみさか)の破堤地点です(画面上が東南東)。若宮戸(わかみやど)の2箇所からの氾濫水と三坂からの氾濫水が一体になっています。右上が当時建設中だった圏央道の常総インターチェンジ、それに接続するのが国道294号、それにほぼ並行して水没した八間堀川(はちけんぼりがわ)が見えます。左下の半円形が自然堤防上に立地する新石下(しんいしげ)の農地(畑)と市街地です。この画面の範囲内の氾濫水の水位はすでにかなり下がっています。

 その次が、ほぼ1か月後、10月9日です。

 MacOSやWindowsなどのパソコンにGoogleEarthProのソフトウェアをインストール(Googleのウェブサイトで無料)すると、過去の衛星写真画像を切り替えて表示することができます。(パソコンでもウェブブラウザ〔Safari、Edgeなど〕で閲覧するGoogleEarthとGoogleMaps、あるいはタブレットやスマートフォン上のGoogleEarthやGoogleMapsではできません。)

 

 同じ範囲の治水地形分類図・更新版です(画面中央の縦太線は図の接合面)(地理院地図>土地の成り立ち・土地利用>治水地形分類図>更新版)。透視して重ねて示すことはしませんが、三坂の破堤点(「21」地点付近)からの氾濫水はまず東(画面上方が東南東)に流れた後、巨大な自然堤防地帯(黄)の中の旧河道(青縞)にそって南に転回して、後背湿地 back swamp へと流下したのです。別に大昔の記憶が蘇ったとかいうのではなく、地形図には表現されない微妙な地形つまり高低差があるということです。

 その下の治水地形分類図・初版ではそこは後背湿地に分類しています。

 

 次は、三坂の破堤地点付近を拡大したところです。面積で25分の1の範囲(距離は5分の1)です。上が9月11日、下が10月9日です。Googleに限らず、衛星写真はかなり色補正を加えてあるので、やや極端な色味にはなっていますが、黄土色の氾濫水と、後に残った灰色の土の色味の違いに注目します。9月11日の氾濫水は粘土・シルト・砂にさらに草などさまざまのものが含まれていますが、10月9日の写真で広範囲に堆積している灰色部分は砂です。ということは、9月11日の写真でそれとほぼ同じ範囲・形状で黒く見えるのはまだ濡れている砂だったのです。

 10月9日の砂の堆積具合をみると、破堤点を越えて流れてきた氾濫水だけではなく、破堤地点並びに堤内側に起源があるものも相当多いようです。すなわち、氾濫水によって「落堀」と呼ばれる長大な地盤の抉れから吹き上げられ、その下流側に扇状に堆積したということです。よくあるのは堤体の土砂が氾濫水によって流され、破堤点を起点にしてこのような形状で堆積するものです。この場合には、堤体ではなく、堤内のかなり広い範囲の地盤を抉り取り、そこから大量の砂を吹き上げたのです。

 日本地理学会は、「落堀(おとしぼり、おちぼり)」は排水路という意味であり、氾濫による地盤の抉れは「押堀(おっぽり)」と呼ぶべきだとしていますhttp://www.ajg.or.jp/disaster/files/201610Bousai_Yougo.pdf

 河川工学者や国土交通省など、ほぼ100%が「落堀」と呼称しているのが現状です(本 www.naturalright.org もずっとそうでした)。皆が落堀と言っているんだからこの際どうでもいいだろう、と言うわけにはいきません。それでは若宮戸の河畔砂丘 river bank dune を「自然堤防 natural levee 」とする、とんでもない大間違い(こちらも9割以上の人、それも素人だけでなく専門家やその団体まで揃いも揃ってなのです)と同断です。当然、正しい名称で呼ばなければなりません。「いわゆる」などもってのほかです。つまらぬ意地を張らず、途中からでも直すべきです。


 

(ii)それらはみな本当に押堀なのか?

 

  しかし、本項目ではその「押堀」とされてきた深穴・抉れの成因について、まったくことなった仮説を提起します。それらは皆「押堀」だとは言えないのです。もちろん、全部が全部、押堀ではないというわけではありません。全部が押堀なのではなく、押堀もあるし押堀ではないものもある、さらにいうと重なっているものもある、という仮説です。そうなると、「落堀」という誤称はもちろん、「押堀」という名称で呼ぶわけにはいきません。成因からみて、「押堀」であるものと、「押堀」ではないものとが併存していて、しかも簡単に区別がつくというわけでもないのです。そこで、「押堀」であるものと「押堀」でないものを、適切な術語もないようなので、前々ページでそうしたように、日常語で「深穴」と総称することにしたうえで、それら三坂の破堤地点の現象について、ここから具体的分析にはいります。

 9月13日午前の国土地理院の航空写真(CKT201510-C4-14)です。元の画像が不明瞭なのでかなり露出・コントラストを補正したこともあり色味が良くありません。堤防の区間区分と川裏側法面の崩壊および堤体地盤面の深穴(浸透による堤体崩壊)、篠山(しのやま)水門の監視カメラが捉えた水煙、高水敷段付き部の崩壊による開口(まさかの三坂 11 高水敷段付部の崖面崩壊)などを記入したものと、それらのないものです。

 高水敷が黒くなっているのは、仮堤防建設工事のために、資材置場と作業場所の地盤となる土砂を入れているのです。それ以外は、ほとんど手が入っていません。堤防があった場所の埋め立ても未着手なので、E区間からG区間にかけて不思議な形の地盤面が見えています。これはこの日を最後に見えなくなります。

 河道の水位が日に日に低下するのですが、高水敷で2013−14年の採砂による4mの段付部がまだ「喫水線」になっています。この高水敷段付部の崖面には、連続開口と、開口1、開口3がすでにできていて、開口1と開口3には目印にブルーシートがかけられています。開口2はまだできていません

 堤体基盤から堤内地にかけての水たまりは、まだ全体が同一水面をなしています。

 なお、9月11日に水溜りで分断された堤内の南側、12日に北側を防災科学技術研究所が調査しました。この13日午前には、関東地方整備局に設置された「鬼怒川堤防調査委員会」の委員4人(委員長=安田進東京電機大学教授、委員長代理=清水義彦群馬大学教授ほか)と土木学会の山田正中央大学教授らが上流側のC区間付近を見物し、ろくに調べもしないうちに、何の根拠もなく「越水によって決壊(=破堤)した」と断定し、テレビカメラの前で喋って(喋らされて?)います。

 

 2日後、9月15日午前の国土地理院の航空写真(CKT201511-C4-14)です。同様に露出補正してあります。雲の大きな影が見えます。堤防の区間区分などを記入したものと、それらのない写真です。

 破堤部分の堤防敷の埋立てがおわり、不思議な地盤面が見えなくなりました。高水敷の崖面に開口2ができ始まっているようです。堤内地の水溜りの水位が少し下がってきました。

 GS倉庫の堤防側で水溜りを土嚢で分離したようです。その分離した部分だけ水の色が違っています。このあと見るUAVによる写真などを合わせ見ると、透明かつ明緑色です。透明なのは地下からの湧水があるということです。他では湧水がないというわけではないでしょうが、囲い込まれたごく狭い範囲で、相対的に大量の湧水があるということです。そういえば、以前のページ(3浸透による堤体崩壊)で、住宅1の百日紅前の堤体基礎部分の3m以上抉られたところにできた水溜りも、茶濁の氾濫水ではなく、透明な水でした。この点はのちほどさらに検討します。

 

 タブレット版のGoogleEarthの航空写真画像です。冒頭の衛星写真は仮堤防が完成していますが、これはコンクリートブロックで被覆した土堤が完成し、その河道側で鋼矢板(こうやいた)の仮締め切りの建設中です。完成が9月24日ですから、その数日前でしょう。(なお、グーグルは数年で写真を入れ替えます。この付近は2020年初に更新されたので、もう閲覧できません。)

 堤内地の水面はかなり低下し、もう同一水面ではなくなり、この画面だけでも大きなものだけでも6つくらいに分離しています。少々補正(グーグルによるもの)してあるとはいえ、それぞれの水の色がずいぶん異なっています。とくに、GS倉庫の西側(河道側)と北側(上流側)の色味はだいぶ違っています。

 流された県道357号線の再建工事はまだ始まっていません。民家の地盤や建物の再建も一切始まっていません。堤内地についてはこのあと詳細に見ることにしますが、堤外地では、段付の下面で、最上流部と連続開口の斜め前あたりの高水敷に水がたまっているか、すくなくともぬかるんでいるようです。15日の写真を見ると少し凹地にはなっているようですが、洪水が残っているのではなく地下から浸潤してきているようにも思えます。

 さらに接近・拡大します。

 これまで何度も見たGoogleCrisisResponseの航空写真は、9月11日と12日に撮影されたものですが、まだ堤内に溜まった氾濫水の水位が高くほぼ全体が同一水面をなしていたので、深穴の様子は周縁部のものを除いてよくわかりません。これから見る国土交通省関東地方整備局がUAV(ドローン)で撮影した動画では、かなり水位が低下し、様々の深穴が個別に姿を現しています。

 まず、9月18日に撮影された動画から静止画像を切り出し、360度ぐるっと見渡してみます。仮復旧堤防のうち、コンクリートブロックで被覆した土堤が完成し、ひきつづいて河道側に2列に打ち込んだ鋼矢板(こうやいた)の間に土砂を充填する二重締りの建設に取り掛かったところです。画面右、堤内側にあるのが住宅2、その向こうが住宅1です。

 上の画面中央やや左を境に、上流側(右側)半分を鹿島(かじま)建設、下流側半分を大成(たいせい)建設が分担しました。対岸に見えるのが将門(しょうもん)川の篠山(しのやま)水門で、その監視カメラ(CCTV)画像が、水害当日に破堤から30分以上たってから画像の録画を開始しました。手前に見えているのが残っていた不思議な形の堤体基盤の端っこです。投光器置きになっています。

 下は、下流側を俯瞰したところです。ガソリンスタンド倉庫と仮堤防の間の深穴の縁に土嚢が置かれています。湧水で増水して明緑の水が流出するのを防ぐためです。倉庫と店舗の間に茶の流出物があります。画面左上、県道357号線の東側(左側)、破壊された住宅11の青屋根の右で県道側に傾いているのが住宅12です。これについては、次ページで注目します。

 上の中段右が住宅8、有名な「ヘーベルハウス」です。その向こうの支柱のある電柱の根本に、これも有名な「電柱おじさん」が2時間以上掴まって救助を待ちました。中段左が住宅10で、基礎地盤がかなり抉られましたが、頑丈なベタ基礎により持ちこたえ、傾きをなおし内部を補修して、住宅8同様、現在もこの場所にあります。

 

 上の動画から8日後、9月26日の動画です。24日夜完成した仮堤防の記録のために撮影されたものですが、堤体すぐ脇の深穴群がきわめて鮮明に映っています。撮影の逆順ですが、上流側から下流側まで連続した3カットです。8日前とまったく色味が異なります。天候の違い、あるいはカメラの特性・設定の違いによるのでしょうが、写真を見る際には留意しなければなりません。色味だけ見てうっかり土質を即断するわけにはいかないのです。

 のちほど詳細を検討しますが、深穴の状況は多様です。深そうなもの、同じ条件下で撮影しているのに湛えている水の色味のまったく違うもの、じつに様々です。ほとんどすべての「専門家」の先生方が、これらの歴然たる差異をまるで無視し、どれもこれも氾濫水が落下して作った穴、つまり「押堀」(誤称「落堀」)だと、こともなげに言っているのです。

 とりわけ、2コマ目の深穴の明緑の水のほか、部分的にきわめて深くなっている深穴が多いのに注目ください。これらを含め、全ての深穴の異様な様態は、地中深くに何らかの特異な原因があることを強く推認させます。

 最後のガソリンスタンド手前の深穴は大変深そうですし、なんとも複雑で異様な形状です。そこと左上の明緑深穴の間のガスボンベ貯蔵庫脇が、あとで目をつけられる半欠け土饅頭です。地下5メートルの極めて頑丈なガソリン・軽油・灯油タンク貯蔵庫の上のガソリンスタンド床面はまったく動いていないでしょう。


 

(iii)深穴はなぜ段付きなのか?

 

 これらの深穴の謎に挑んだ専門家がいます。元・土木研究所職員の常田(ときだ)賢一大阪大学教授です(現在は一般財団法人土木研究センター理事長)。『一般財団法人災害科学研究所平成 27 年度災害等緊急調査報告書  −平成 27 年 9 月関東・東北豪雨による常総市の洪水災害調査− 平成 27 年 9 月関東・東北豪雨による鬼怒川の破堤箇所の 現地調査による知見と考察』(http://csi.or.jp/uploads/2015kinugawa_kouzui2final.pdf )から引用します(クリックすると拡大表示します)。


  常田教授は「1次侵食」「2次侵食」というように、深穴が二重構造になっていることに注目しているようです(図5)。しかし、いろいろ判断を誤っています。常田教授が現地調査をおこなったのは、2015年10月3日と11月21日の2回のようで、その時に仮堤防の堤内側法尻からちょっとだけ見えていた例の不思議な形状の地盤面(投光器置場)の上面が「浸水前・地表面」だとしていますが、その上には図6として引用している堤防調査委員会資料のいう「表土 top soil 」が被っていたことを忘れています。そうすると、図5や図9では、その「浸水前・地表面」が横一線に描かれ、「深度分布」としてその横一線からの深さを図示しているのですが、そのような横一線はあやしくなります。「落堀」の深さだという数値の基準がズレているのです。

 図7は正確な平面図でなく、あえて堤防と県道などを平行か垂直の線で描画してしまっています。関東地方整備局の高橋伸輔河川調査官(当時)が、事実を隠蔽するためにお絵かきソフトで描いた下手糞なポンチ絵(右上)のようです。30年前のワープロ専用機の「罫線機能」で描いた地図ではあるまいし、とても「専門家」のやることとも思えません。

 釣糸の先に錘をつけていくつかの深穴の水深を測ったことを得々と語っているのですが、深穴によってはその中に深いところと浅いところがあるのに、それぞれひとつの数値しか書いてありません。これでは正確な測定結果とはいえません。残念なことにガソリンスタンド倉庫下流側の深穴が測定されていません(図7)。10月9日の衛星写真を見ると、完全に埋め戻されていますから、教授が調査した10月3日の時点ではすでに測定のしようもなかったのかもしれません。図8の堤防調査委員会資料に示されたもっとも深い深穴があった地点はすでに仮堤防の下に埋れています。

 常田教授は、「浸水前・地表面」と「1次侵食面」「2次侵食面」の3つのレベルだけしか考えていないのですが、前々ページで見たC区間の堤防の地点だけ見ても、もっと多層的・重層的です。

 すなわち、C区間堤防の川裏側法尻(のりじり)地点では、地上写真で確認できるように、「浸水前・地表面」は住宅1の前庭のコンクリート舗装面ですが、その下1.5mほどが流入した氾濫水によって洗掘された「1次侵食面」、おそらく基礎地盤地下からの噴出によって彫り込まれた「2次侵食面」、さらにそこにできた水溜りの「3次侵食面」、以上合わせて4段階の層面を確認できます。

 さきほどの9月26日のUAV画像では、このC区間堤体地点はすでに全体が仮堤防の下に埋れてしまっていますが、UAV映像で確認できる堤内地の深穴についてこの常田教授の用語をお借りして、重層性の具合を観察してみます。

 

 住宅2の南側(下流側)を観察すると、

住宅1の前提のコンクリート舗装面がもとの地表面

住宅2が達磨落としのように陥落した1次侵食面

その下の2次侵食面(ここまでは、上のC区間堤体部と同じ)

湧出・滲出した水が溜まっている3次侵食面

水溜りのうち一層深くなっている堤防側の4次侵食面

というように、あわせて5段階の層面を呈しています。

 

 住宅2とガソリンスタンド倉庫の間では、もとの地表面はありませんが、倉庫北の明緑色を呈する深穴部分にかけて、

不思議な形状の盤面(投光器置場)の1次侵食面

9月13日までは水面下だった2次侵食面

湧出・滲出した水が溜まっている3次侵食面

水溜りのうち一層深くなっている堤防側の4次侵食面

と4つの層面を呈しています。

 

 ガソリンスタンドの南側では、

ガソリンスタンドのコンクリート舗装面がもとの地表面

その周囲の1次侵食面

水面からかろうじて出ている2次侵食面

湧出・滲出した水が溜まっている3次侵食面

水溜りのうち一層深くなっている2つの4次侵食面

というように、あわせて5段階の層面を呈しています。

 

 ほかの「専門家」が漫然と「落堀〔押堀の誤称〕ができた」とだけ言っていたのに対し、常田教授は、「1次侵食」「2次侵食」という、一応ユニークな観点を導入して独自性を発揮したのですが、もとの地表面を取り違えたうえ、実際には侵食面はもっと多層的・重層的であるのを見逃しています。そしてそれらすべてが、氾濫水の落下・流入によるものだと、すなわちそれらすべてが「押堀」(誤称「落堀」)にほかならないと単純に考えてしまい、多層性・重層性の原因・成因についてまったく考察していないのです。

 

蛇足

 このような複雑怪奇な押堀は他に類例がみあたらないのですが、関東地方整備局の鬼怒川堤防調査委員会の4人の先生方と、土木学会の山田正先生が9月13日に現地を見物した際には、流入して溜まっていた氾濫水の水位が高く、全体がひとつの水面をなしていて茶に濁っていたこともあり、あとでやってきた常田先生が目敏く見つけた侵食面の層構造が見えなかったという、やむを得ない事情があったのです。とはいうものの、この5人の真ん前には、逆にこの日を最後に埋め戻されてしまったC区間法尻部における層構造が見えているのです。現に委員長代理の清水義彦教授と山田教授は、そこを眺めているのです。足元の砂もどう見ても噴出したものですが、気づかない風です。



 

(iv)浸透を否定するために造られた説明

 

 鬼怒川堤防調査委員会の会議に提出する資料・文書等はすべて関東地方整備局河川部の職員が作成したものです。報告書の案文も委員のどなたかが作成して、それを委員全員で検討した、というものではありません。現地調査や写真などの資料にもとづく事実関係の分析、そのうえでの本復旧堤防の構造設計などは、すべて局の職員が組織的に執行するのであり、調査委員会や委員の介入の余地はありません。

 それらの事実調査や復旧方針はそれ自体が公表されることはなく、高橋伸輔河川調査官ら広報担当者によって、広報用資料としての4回の会議の都度の資料、ならびに最終的な「報告書」の案文が作成され、それらが「鬼怒川堤防調査委員会」の名のもとに公表されたのです。

 ここで、局の職員らが実施した地質調査と、それに基づいて編輯された広報文書について検討します。地質調査は、一般的に堤防の破堤原因とされる3点、すなわち、越水・浸透・侵食のうち、浸透が起きたか否かを確定するための調査です。ごく単純に言えば、堤体、堤外側・堤体下・堤内側の地盤に砂質土層が連続して存在していた場合には、増水した河川水が地中に浸透して堤防それ自体や堤内側の地盤を突き崩したと推定できるが、砂質土層がないかまたはあったとしても粘性土層によって遮断されていればその可能性はない、ということです。つまるところ、砂質土層が堤外側から堤体や堤内側まで連続的に存在したか否かを調査するわけです。

 下は、各回の会議資料と報告書に掲載されている地質調査地点図です。1つめが2015年9月28日の第1回の際に配布されたもので、2つめが10月5日の第2回の際のもの、3つめが報告書(2016年3月。3月7日の第4回委員会で案文について検討)の図です。 

 まず第1回の資料における、調査地点の平面図です。

 

 

 次が第2回の図です。追加されたものと、削除されたものがあります。

 追加されたのは、堤内側の一列(黄四角と緑丸)と、上・下流の破堤断面近くのボーリング調査(緑丸)各3箇所、そして7箇所の「露頭確認位置」(紫三角)です。堤内側の一列(黄四角と緑丸)は第1回会議のあとに追加測定したように思われますが、仮堤防はすでに完成しています。コンクリートブロックの被覆があるうえ基盤には砕石が敷かれていて、通例ならスウェーデン式サウンディングは実施できないはずです。いささか疑問です。もっとも第1回会議の時点ですでに完成しているのですから、話はさほど変わりません。7箇所の「露頭確認」は、第1回会議のあと実施したのかどうかはわかりません。

 削除されたのは、堤外側の一列(黄四角と緑丸)の河道側にあった崖面、つまり2013−14年の掘削によってできた約4mの段付きです。掘削前の古い地図に入れ替えたのです。これはマズい、こんなものを描いて広報するわけにはいかない、途中だが削除して報告書には載せない、と判断したということです。

 こういう余計な小細工を弄するから、マズいことをしたと思っていることが露見するのです。マズいことというのは、当初の図面に描いてしまったことではなく、そこに描かれた事実それ自体、つまり、高水敷に4mもの段付きを作ってしまったことです。堤防の直近で高水敷を掘削することは基礎地盤への浸透による堤防の弱体化を招くおそれがあり、最悪の場合には破堤原因となるので、本来は禁忌事項なのです。2015年9月10日に起きたのがまさにこの最悪の事態だった可能性が濃厚なのですが、これについては9ページ(予定)で詳述します。

 なお、この崖面は、第1回の資料で赤すなわち決壊後のものとして描かれていますが、正しくは決壊前として黒で描くべきでした。初回に色を間違って描いたものを次回に隠蔽したのです。測量の「測線」をサカナの「側線」と誤記したのと同じで、嘘ばかりついていると自分でも何が本当で何が嘘かがわからなくなってしまうのです。

 

 

 次が、報告書の図です。同じ調査箇所平面図のはずなのに、またもや抹消された記述があります。「露頭調査」(紫三角)が5つ消されて2つになっています。住宅2の床下の地盤と南側の深穴、住宅9が倒れ込んだ側の大穴、ガソリンスタンド下流側の深穴、なにより最初の破堤点、つまりF区間の直下という最重要地点を、全部削除したのです。まさか実際には実施していなかったなどということはありえませんから、高橋伸輔河川調査官お得意の見え透いた隠蔽策にほかなりません。若宮戸については、ソーラー発電所建設のための河畔砂丘掘削の容認という歴然たる失策が一時的に話題となったのに対して、とんでもないデタラメ平面図と立面図もどきをわざわざ作って記者発表して報道させるという、けっこう派手なパフォーマンスに及んだのですが、ここ三坂については人知れず地味な情報隠蔽策で対応しているのです。三坂についてはせいぜいのところ越水しか問題になっていないのですが、そんなものは線状降水帯による空前の豪雨のせいにしてしまえばいいわけですし、在り来たりの隠蔽策が奏功して三坂の破堤原因として浸透を疑う専門家は1000人に3人もいないという天晴れな状況をもたらしたのです。

 

 いろいろおかしな点があるのは全部さておくとしても、調査地点数が圧倒的にすくないのです。それも簡易なスウェーデン式サウンディング(黄四角)がほとんどで、ボーリング調査地点(緑丸)はわずかな地点のみです。そのボーリングも破堤断面の残存した側ばかり実施していますが、堤体の土質・地層構造は地点によってまったく異なっているのですからほとんど意味がありません。本来なら破堤部分や特異現象を呈している深穴地点を集中的に調べるべきだったのに、堤内側・堤外側のほぼ一直線上を漫然と測定しているのです。河川区域内だけしか測らないとでも決めていたかのような律儀さです。

 「スウェーデン式」ナントカといわれると、さぞやたいしたもののようですが、個人住宅を建設する場合に基礎の四隅と中央部の5箇所に細い棒を貫入させて「地耐圧」を測る程度の極めて簡易なものであり、地下深くの土質構成を正確に知るためのものではありません。大河川の破堤区間の調査という大ごとにはいかにも不似合いな手法です。(http://www.house-support.net/seinou/ss.htmhttps://www.jiban.co.jp/service/kouji/kouji02.htm

 「物理試験」とは、通例は、地中から採取した試料を持ち帰り実験設備のあるところで土質を分析することなのですが、たんに12箇所図示してあるだけで、何をどのようにやったのか、結果はどのようなものだったのか、どこにも何も書いてないのです。地中深くから試料を採取するとなると、要するにボーリング調査をするということですが、それほど手間のかかることはせずに、表面の土を持ち帰って、手触りと見た感じで調べた程度なのかも知れません。

 しかし、本当の問題点はここからなのです。とんでもない虚偽の説明がもっともらしく陳列されます。堤外側・堤内側の調査結果は、つぎのとおりです。

 見えない地下深くの地層が、綺麗に色分けされていて実に素晴らしい断面図になっています。

 

 記号の説明はないのですが、おそらく次のとおりでしょう。Bは堤防( bank )で、Aは沖積土( alluval )つまり最近1万年で堆積した土。粘性土とは主成分が粘土( clay /粒径0.004mm以下)でそれにシルト(粒径0.005から0.075mm)が混じったもの。砂質土とは主成分が砂( sand /粒径0.075から2mm)でそれにシルトが混じったもの。

 

 色分けがたいへん綺麗なのですが、いかんせん、その根拠となるべき肝腎の柱状図・土質区分が、図の解像度が非常に低くて読み取れないのです。これは2016年3月発行の報告書の図ですが、同じ図でも第2回会議の際の資料の方がわずかに解像度が高いので、そこから一部を拡大したのが下です。それでも読めません。

(当ウェブサイトに引用するにあたって解像度が大きく落ちているわけではありませんが、精確には関東地方整備局のウェブサイトからダウンロードすれば確認いただけます。https://www.ktr.mlit.go.jp/river/bousai/index00000036.html

 

 「S−16」が、ちょうど住宅1の前、つまりさきに見たとおり、基礎地盤からの浸透により川裏側(堤内側)法面の崩壊現象が起きた可能性のあるC区間の川裏側法尻です。ご覧のとおり、「柱状図・土質区分」がよく読み取れません。凡例にない記号もあるうえ、ぼやけていて何がなんだかわからないのです。読み取りにくいという程度ではなく、判読不可能です。そのくせ、水色・クリーム色・薄緑に、スッキリと色分けされ、つまり土質としては透水性の低い粘性土が5mの厚さで存在するのだから浸透なんか起きるはずがない、という安心材料になっているのです。

 しかし、「S−16」で「Ac1」とされている部分は、よくて「シルト・粘土」部分がちょっとあるだけで、あとはなにやらモゴモゴしているのですが、実際は砂がだいぶ含まれているようです。虚偽の結論にこじつけるために、不都合な根拠データを読めないようにしたかのごとくです。

 資料はパワポファイルですから、第2回鬼怒川堤防調査委員会(2015年10月5日)当日にもそれをプロジェクタで上映しつつ、同時にA4版用紙にプリントしたものを配布したのでしょう。委員会の先生方は、判読できない柱状図・土質区分には一切頓着せず、綺麗な空色・クリーム色・薄緑色だけ見て納得?したのでしょう。本来なら、「作り直して出しなおせ」というところでしょうが、誰からも文句のひとつも出なかったので、そのままどころかさらに解像度を落としたものを掲載した最終報告書が、今もなおウェブサイトで公開されているのです。

 

 これについては、解像度が高く、柱状図やN値がキチンと判読できるものを拝見したいと、下館(しもだて)河川事務所(茨城県筑西〔ちくせい〕市)の幹部職員に直接依頼し、関東地方整備局(埼玉県さいたま市)に照会していただきましたが、「存在しない」とのことでした(2020年9−10月)。まさか元データはどこかにはあるのでしょうが、関東地方整備局河川部はそんなものを探す気はさらさらないということのようです。これは国民に対する態度というにとどまらず、管轄区間の治水担当職員に対してもそうであるということです。関東地方整備局は、下館河川事務所をして、三坂の破堤地点の地質構成についての根拠データを持たないまま河川管理を執行させています。国民に対する隠蔽、情報の出し惜しみが習い性となったわが国行政機関は、けっきょく自分たち自身が情報隠蔽の自家中毒症状を呈するにいたり、みずからの存在の意味を完全に喪失することになるのです。

 

 報告書の調査箇所平面図をさきほどの9月13日の国土地理院の航空写真と重ね合わせてみます。180度回転させ、堤防の区間区分や、これまで見てきた堤内外の諸現象も描き加えます。

 

 「露頭確認位置」だという紫三角がふたつあります。住宅9の県道側隅近くの深穴と、ガソリンスタンド倉庫近くの土饅頭です。

 この半欠けの土饅頭は、上のグーグルの2014年3月22日の衛星写真で紫丸の中心あたりです。さきほどの常田教授は、これはG区間上流側の堤防の拡幅部の痕跡だと勘違いしているのですが(8ページ)、画面中央右、辺縁を樹木が取り囲んでいるのが拡幅部ですから、誤認です。高水敷での8万㎥の採砂のための取り付け道路(下流側=右側の土嚢で側面補強し鉄板を敷いた坂路)や、(時期によって形状は変化しますが)もとからある(天端を跨ぐ)ヘアピンカーブとも別です。

 グーグルの数年分の衛星写真でこの場所の推移を見ると、草が繁ったり刈られたりしているだけです。

 右上は報告書中の写真、その下の2枚は2015年12月15日にC区間の堤内側から撮影したものです。報告書の写真は仮堤防の法面下から撮影しているので角度が違っていますが、人物は右下の写真でいうと中央あたりでスケールを立てているのです。脇のガソリンスタンドの白い鋼板壁の倉庫は、地盤を抉られて1m以上堤防側に傾斜して落ち込んでいます(陥没のようです)。


 12月15日の写真には、丁張り(ちょうはり)が何本か立っています。赤の横木が、これから土砂を入れて回復する地盤の高さを示しています。概ね水害前の堤内側地盤面のようです。この土饅頭はまわりが流された今でこそ2m以上の小山になっていますが、もともとは地盤面から60cmほどの高さしかありません。清水教授が勘違いしたA区間の茶錆物置のある農家敷地のように、すこし標高が高かったということのようです。

 下は、2012年11月に撮影された GoogleMaps のストリートビュー画像です。上の写真にも映っているプロパンガスボンベ貯蔵庫らしい建物が見えます。床面がトラックの荷台の高さにあわせてあります。堤防側は上の写真のとおり、コンクリートブロックが剥き出しです。その背面、堤防側の、茶の枯草の生えた数十cmの盛り上がりがこの土饅頭です。さすがにストリートビューは衛星写真のようにしばしば更新できませんから、未だに8年前のもので、高水敷で8万㎥の採砂がはじまる前年、その結果破堤して破壊される3年前の長閑な風景です。

 いずれにしても、抹消された5箇所を差し置いてまで、ここを破堤原因としての浸透があったかどうかの地質調査地点にする理由はみあたりません。それにどうせ調べるなら、ある程度まで垂直に彫り込んで土砂を採取し分析すべきなのです。いつものことですが作為が過ぎて作意が露見しています。


 

(iv)浸透を示す事実

 

 しかし、第4回委員会に、突如注目すべき調査結果が提出されたのです。

 「鬼怒川堤防調査委員会」は、水害直後の3週間の間に矢継ぎ早に3回開催され、浸透が助長した可能性も否定できないなどと持って回った留保をつけながらも、未曾有の豪雨による水位上昇が起こした越水が破堤の主因であることを印象付けるという、与えられた唯一の広報目的をほぼ達成し、すでにその役目を果たし終えたも同然だったのです。あとは本復旧堤防への置き換えのためにいったん仮堤防が撤去された時点で(その間は、河道側に鋼矢板による二重締め切りで洪水を防ぐのです)、破堤区間の基礎地盤と上・下流側の残存堤防の断面を見物したうえで、関東地方整備局河川部が作成した最終報告書をすんなり承認するだけだった、はず、でした(右の委員会開催状況の表は、報告書1−3ページ)。

 第4回委員会で配布された資料のサブタイトルは「決壊区間の現地確認状況報告」というもので、2月17日、18日、25日に河川部が実施した現地調査の結果を委員会に報告する体裁になっています。

 追加して調査したのは3件です。うち2件は破堤断面の調査、すなわち2月17日に、川表側法面と天端をほぼ喪失しかろうじて川裏側法面の下半分だけが残って斜め半身状態になったB区間の調査(右の5ページ)、2月25日に下流側のG区間末端つまりH区間との境界部の調査(6ページ)です。

 このうち上流側は、越水したのに破堤しなかった地点ですから、越水唯一原因論にとっては親の仇のようなもので、うまいことB区間が破堤しなかった原因・理由でも判明してくれれば万々歳なのですが、特段の成果はなく、困った清水義彦委員長代理が、となりのA区間と取り違えて珍説を披露する顛末になるのです(1越水破堤論の破綻)。

 問題は次の第3件めです。


 

 仮堤防が撤去されて、水害直後の堤体基礎地盤面が姿を現した時点で、6箇所について開削調査をおこなったのです。決壊区間は195m(うち165mが破堤)にも及ぶのにたった6箇所だけ、しかも写真のとおり、1mも掘らないのですから、一見なんということはない形だけの調査にしか見えません。ここに言及して破堤原因を論じた「専門家」はとうとう現れませんでした。

 地図の部分だけをこれまでの流儀により河道側から見上げるように倒立させたうえで、先程の9月13日の航空写真を背景に、堤防区間などを描きいれてみます。

 まず、P1とP2地点です。さきに見た9月18日のUAV映像で鮮明に映っていた、ガソリンスタンド倉庫と堤防との間の明緑色の水をたたえた深穴地点です。

 現地写真のスケールの各数値は10cm単位で、紅白縞は20cmごとです。

 判読できない柱状図を根拠に「Ac1」だとされている地点、すなわち、穴になっている分だけ薄くなってはいるものの、それでも2〜3mは水の浸透を阻止する粘性土がその下の砂質土層を覆っているはずのS−21地点付近です。



 それが掘ってみたら、P1では20cmですぐ砂の層になっていて、さらに50cm掘ると水が湧き出しているのです。水面下も見えますから、透明な地下水です。P2では湧水はないようですが、すでに地表面が砂混じりのシルト層です。あの地層図とは全然違うのです。さらにその下には層や筒状をなす細砂が現れました。これでは「介在」どころではありません。そもそも粘土( clay )主体の地層ではないのです。これを「 Ac1 」だとするのは完全な虚偽です。P2の砂も水分を含んでいますが、P1にいたっては、含んでいる、などという段階ではありません。これではこれ以上掘り進むことは不可能です。

 この大量の地下水は、べつに9月10日の洪水によって初めて出現したわけではないでしょう。深浅や厚薄、偏在はあるにしても、あたり一帯の地下に透水層・含水層が広がっていると考えるべきでしょう。

 さて、水害直後にここに非常にあざやかな明緑色の水を湛えた深穴があった理由について考えてみます。植物性の色調ではなさそうです。ガソリンスタンド敷地のすぐ脇ですから、ガソリン、軽油、灯油の漏洩がまず思いつきますが、きわめて頑丈な地下タンクが破壊された様子はありません。配管からの漏洩の可能性もありますが、ガソリンにせよ、軽油・灯油にせよ、このような色にはならないでしょう。軽油・灯油でもおおごとですが、ガソリンの漏洩・噴出ともなれば仮堤防工事どころではなくなります。ある程度水位が下がった時点で土嚢を積んで他への流出を抑制する措置をとったうえで、なんらかの薬剤を撒いたようではありますが、状況から見てガソリンの流出ではないようです。

 今のところ推測できるのは、白壁の倉庫からの冷却液の流出です。自動車の水冷エンジン用の不凍液、いわゆるLLC(ロング・ライフ・クーラント)です。ブレーキオイル(といっても油ではなくアルコール)やウインドウ・ウォッシャー液と区別する、あるいは漏洩時の判別用に、赤・青・緑などに着色されています。2リットル容器とか18リットル缶もありますが、200リットルのドラム缶もあるようです。ただ、日々大量の整備をこなす自動車ディーラー付属の整備工場でもない小さなガソリンスタンドで、200リットル缶を置いておくものなのか、よくわかりません。今のところ思いつくのは、軽量鉄骨造、鉄製薄板壁の華奢な倉庫に保管していたドラム缶からの漏洩くらいです。

 それよりも重要なのは、土嚢を積んでまで隣の深穴への流入を抑制しなければならないほど、この地点では大量の湧水があったということです。9月10日から11日朝にかけて流入した茶濁の氾濫水ではなく、透明の地下水が大量に湧き出ているところに、冷却液がこぼれて明緑色を呈したと想定できるのです。

  次に、P4、P5、P6は何故調査対象になったのでしょうか。等高線を見る限り、特段の変わった点があるようには見えませんが、接近して3箇所も調査してその写真を掲載しています。実際には他の地点も調査した上でこの6箇所だけ掲載した可能性もないとはいえませんが、いずれにせよ特異点だったことには変わりありません。先ほどのボーリングとスウェーデン式サウンディングが概ね等間隔に検査点を設定してあるのとは大違いで、最初から狙いをつけたうえで本復旧堤防工事を一時止めてまで、わざわざ穴を掘って調査したのです。よほどの理由があったに違いありません。

 9月13日の航空写真を背景に、堤防区間などを描きいれてみます。

 一目瞭然です。決定的写真とも言えるあの川裏側法面の洗掘状況(右下)が撮影された地点です。崩壊穴は上流側は画面左に外れていて、下流側は少しF区間にかかっていますが、まさにこのE区間の堤体で起きた現象でした(まさかの三坂4越水の進行)。

 どうせのことなら最初の破堤区間だった隣のF区間や、法肩から法面上段の崩壊現象が起きたC区間の方も調べてほしかったところです。C区間についてはあの典型的な越水画像(2越水による法尻洗掘の仮象)にまんまと騙されて、疑念を抱かなかったというところでしょうか。越水一本で押し通したい、しかもここまではうまくやりおおせた関東地方整備局河川部のお偉方と、越水唯一原因説に疑念を抱く一部技術職員グループとの間でのやりとりの末に、今後永久に不可能になる開削調査のチャンスが一回だけ巡ってきた、というところでしょう。

 下の3枚は資料中のP4、P5、P6地点ですが、すべてが「砂質シルト」つまり、砂混じりのシルト、です。これを「 Ac1」つまり粘土( clay )主体の土壌だとしていたのは、いくらなんでもひどい虚偽です。しかも問題なのは、その似而非粘性土層中に、小さな筒状であっても十分浸透による堤体崩壊の原因になるところ、細砂が層をなして存在するのです。洪水の水圧が高まれば堤体崩壊は不可避です。「礫」となると、完全にアウトです。

 これまでの地質構成図は、部分的に訂正されるべきなのではなく、全部がデタラメであり、ただちに破棄されて当然のものです。



 

 あの小綺麗な地層図の虚構性はもはや明白です。

 広報担当の高橋伸輔河川調査官にしてみれば九仞の功を一簣に虧く痛恨の調査結果です。しかし、数々の猫じゃらし作戦で世間を欺いて来た高橋伸輔河川調査官は最後の一仕事をします。この調査結果が報告された第4回委員会には、同時に最終報告書の「案」も配布されたのですが、この調査結果は、破堤原因としての浸透についての項目「3.3 浸透による決壊の可能性の検証」から完全に除外されています。そして、報告書末尾の楽屋話でしかない「5. 委員による決壊区間の現地調査」の中に、この2016年2月18日の調査は委員による現地調査ではないのに、何の説明も敷衍もなしに、そのまま放り出すように置かれているのです。

 この調査結果は、「3.3 浸透による決壊の可能性の検証」の結論には、何の影響をおよぼすこともなく、無関係のものとして捨て置かれたのです。さすがは高橋伸輔河川調査官というところですが、そうはいってもこのページそのものは残っているし、あの薄ぼけたインチキ地層図とちがって、基本データたる写真も揃っています。かくなるうえは、E区間のあの堤体崩壊が越水によるものではなく、浸透によるものである可能性が否定できないでしょうから、いよいよ破堤の機序を述べることにします。

 しかしその前に、もう一点、これまで見逃され続けた(誤解され、無視されてきた)破堤地点での重要現象を摘示しなければなりません。道路の陥没と住宅12の倒れ込みです。