自民党改憲草案の自衛権規定

 前ページで、2012年4月に自民党が発表した「日本国憲法改正草案」について、立憲主義原則からの逸脱状況を確認した。ひきつづいて、戦争放棄の原則からの離反についてみていく。ページ末尾にそれぞれの戦争条項〔第9条〕、ならびに不戦条約第1条、国連憲章第2条、日本国憲法第98条、大99条を提示。日本国憲法とその英訳は、http://www.japaneselawtranslation.go.jp/law/detail/?ft=1&re=01&dn=1&x=0&y=0&co=01&ia=03&ky=日本国憲法&page=11。「草案」を含む『日本国憲法改正草案Q&A』は、https://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/kenpou_qa.pdf ただし、このリンクはその後「増補版」に入れ替えてあるので、文章作成時〔2013年10月〕の版は、前ページ下のボタンからダウンロードされたい。)

 

「戦争放棄」原則の放棄

 

 草案は、「文章の整理」と称して日本国憲法第9条前段(第1項)を書き換える。「基本的な意味は、従来と変わりません」という(『改正草案Q&A』、9頁)。

 「日本国民」(主語)は、「戦争」と「武力による威嚇または武力の行使」(目的語)を、「永久に放棄する」(述語)のである。草案では、これをわざと二つの文に分離したうえで、ちゃっかりと「永久に forever」を消去している。さらに草案は、「永久に放棄する」(述語)の目的語の位置から外した「武力による威嚇」と「武力の行使」に、あらたに「用いない」という述語を当てる。

 「威嚇」「行使」を「用いない」というのはおかしな言葉遣いである。こんなことでは、国語の「良き伝統……を末永く子孫に継承する」(草案・前文)ことは難しくなる。

 第2章のタイトル「戦争の放棄」を「安全保障」に変更することと考えあわせると、草案は、「戦争」を放棄するのではなく、憲法から「戦争の放棄」という原則を「永久に放棄」したいのだろう。その下心があって文言をいじったあげくに、恥ずかしい国語を披露するにおよんだ。

 ついで草案は、日本国憲法第9条の第2項を全部削除する。『改正草案Q&A』は、こう言う。

現行2項(「戦力の不保持」等を定めた規定)を削除した上で、新2項で、改めて『前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない』と規定し、自衛権の行使には、何らの制約もないように規定しました(10頁)。

 ということは、日本国憲法上自衛権の行使には、何らかの制約があることになる。その制約をなくすために憲法第9条第2項を破棄しなければならないというのである。しかし、自民党は従来、日本国憲法第9条の規定は日本国の自衛権を否定するものではない、と主張してきたのではなかったか。脈絡もなくころころと主張を変える自民党という集団は、政治的良心とはおよそ無縁のようだ。


戦争違法化の歴史


 日本国憲法第9条は、前段で戦争ならびに武力による威嚇と武力行使を放棄するという原則を述べ,後段(第2項)で、その具体化のために(「前項の目的を達成するため」)戦力保持と交戦権を否定する。後段を全部削除すれば、前段の原則は、後段が提供する具体的措置による実現可能性を失うことになる。国民主権原則を宣言しておいて、普通選挙制をとらないとか、あるいは国会を設置しないとかいうようなもので、原則は絵に描いた餅になってしまう。

 それだけではない。(前述のとおりおかしな言葉遣いにした上で)9条1項だけ残したとしても、9条2項を削除してしまうことで、日本国憲法の第2章はほとんどその意義を失う。

 近代ヨーロッパにおいては、近代主権国家のおこなう戦争を国際法上すべて合法とみなす「無差別戦争観」が支配的であった。主権国家の交戦権the right of belligerency of the stateは至高のものとされたのである。しかし「啓蒙」の世紀を経て文明化をはたしたはずのヨーロッパ世界は、第一次世界大戦という未曾有の人的・物的損失をみずからもたらす「野蛮」にたどり着いた。ヨーロッパ文明は、国際法上、戦争を違法とする段階へと移行する。

 「国際連盟the League of Nations」の設立につづく不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定、1928年)により、国際紛争を解決するための手段としての戦争は国際法上違法とされ、国際紛争は平和的手段によって解決すべきものとされた。

 第二次大戦における「連合国」the United Nationsは、イタリアの降伏とドイツの崩壊の後、大日本帝国に対する反攻が続くなか、1945年6月26日、「国際連合the United Nations」を設立した。国連憲章第2条第4項は、「武力による威嚇または武力の行使」を「慎まなければならない」とする。国際条約における「慎まなければならないshall refrain」という言い回しは努力目標ではなく、厳然たる禁止である。

 不戦条約と国連憲章は、日本国憲法制定以前に、すでにあらかじめ戦争の放棄と武力による威嚇・武力行使の禁止を定めていた。日本国民は、日本国憲法the Constitution of Japanの第9条第1項において、戦争の放棄と武力による威嚇・武力行使禁止を定めた。しかしそれで終わりではなく、さらに第9条第2項によって、陸軍・海軍・空軍などの戦力war potentialを持たず、交戦権the right of belligerency of the stateを行使しない(=戦争しない)国家として日本国の機構constitutionを創設するという行為を遂行したのである。

 したがって、第9条前段が後段(第2項)を失うことになれば、日本国憲法は不戦条約と国連憲章の水準まで後退することになる。第9条第2項を破棄する草案は、日本国憲法体制を根底から揺るがすものである。


制約なき自衛権の幻想


 前述のとおり、自民党は、「現在、政府は、集団的自衛権について『保持していても行使できない』という 解釈をとっています」としたうえで、草案について次のように言った。

現行2項(「戦力の不保持」等を定めた規定)を削除した上で、新 2 項で、改めて「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と規定し、自衛権の行使には、何らの制約もないように規定しました。(『Q&A』、10頁)

 草案のいう「自衛権」は、「個別的自衛権」「集団的自衛権」を含み、さらにこれと国連による「集団安全保障」に関する議論をわざと混同したうえで、それらすべてに「第9条の2」で設置する「国防軍」を動員するための呪文である。「集団的自衛権」「集団安全保障」については次号で検討することにして、ここでは元々の意味での「自衛権」としての「個別的自衛権」について検討する。

 憲法の文言に「自衛権」を明記することで「自衛権の行使には、何らの制約もないように」なるというのは、まったくの幻想である。「自衛権」は、国際法上、その行使に厳密な要件が課せられている。

 カロライン号事件に関する「ウェブスター書簡」で提起された自衛権行使の3要件が国際慣習法として確立している。1837年12月29日の深夜、アメリカ合州国と英領カナダ植民地の国境となっているナイアガラ川で、カナダの反乱者らを乗せアメリカ合州国領側に停泊していた船舶カロライン号を、武装したイギリス軍が攻撃した。10数名の死者・不明者が出たほか、イギリス軍はカロライン号に放火したうえで漂流させ、ナイアガラの滝から落下させた。

 英領カナダの反乱に関して「中立」の立場であったアメリカ合州国からの抗議をうけたイギリスは、カロライン号攻撃は、自衛self-defenceと自己保存self-preserevationの必要にもとづくものと抗弁した。これに対してアメリカ合州国国務長官ダニエル・ウェブスターが、イギリスに対し自衛のためと認められるには、次の要件をいずれも満たさなければならないと提起した。

 

(1) 目前に差し迫った重大な自衛の必要が存在したこと。

(2) 手段を選ぶ余裕がなく、熟慮の時間もなかったこと。

(3) 自衛の手段はその必要によって限定され,明らかにその限界内にとどまるものでなければならないこと。

 

 イギリスは、ウェブスターの示した基準を認めた上で、自国軍隊による行為はそれらの要件を満たしている旨弁明した。そのうえで、イギリスはアメリカ合州国領土を侵犯したことに遺憾の意を表した。これをアメリカ合州国側が受けいれ、カロライン号事件は解決した。

 第二次大戦後のニュルンベルク国際軍事裁判所は、自衛権の行使であるとしてドイツのノルウェー占領を正当化する主張に対して、この基準を引用したうえでドイツの行為はそれら要件を満たすものではないとして、ドイツの行為を国際法違反と認定した。ウェブスターの基準は現在、国際慣習法として定着している(田畑茂二郎・太寿堂鼎『ケースブック国際法〔新版〕』1987年、有信堂高文社、81頁以下)。

 政府答弁における憲法第9条のもとでの自衛権発動の3要件、すなわち、

 

(1) 急迫不正の侵害

(2) 他に適当な手段のないこと

(3) 必要最小限度の実力行使

 

は、ウェブスター基準と同趣旨である(松竹伸幸『憲法九条の軍事戦略』2013年、平凡社新書、82頁)。

 それだけではない。国連憲章は自衛権行使にいっそう厳密な条件を課しているのであるが、それについては次ページで検討する。


 草案が、19世紀の国際法の水準さえ無視し、憲法の文言に「自衛権」の語を掲載しさえすれば、その行使に「何らの制約もない」ようになるかのごとくに誤認し、世界中に放言していることは、日本国の国際的評価を地に落とす行為というほかない。由々しき事態である。

 しかも、この子どもじみた主張は、一時期を除いて長く政権の座にあった自民党が、その際みずから示した日本国憲法第9条の解釈を放棄したうえで、提起しているのだ。草案作成者らは、日本国憲法第98条、第99条が国会議員らに憲法遵守義務を課し、憲法に反するあらゆる行為を禁じていることを想起すべきである。⌘


日本国憲法 第2章 戦争の放棄


 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する


 Article 9 Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.


 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.


 

自民党草案 第2章 安全保障


 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用 いない


 2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるもの ではない。


 第九条の二 第九条の三 (略。次ページで検討)

 

 

不戦条約(1928年)


 第1条 締約国は、国際紛争解決のため戦争に訴ふることを非とし、かつその相互関係において国家の政策の手段としての戦争を抛棄することをその各自の人民の名において厳粛に宣言す。

 第2条 締約国は、相互間に起こることあるべき一切の紛争または紛議は、その性質または起因の如何をとわず、平和的手段によるのほか、これが処理または解決を求めざることを約す。


 

国連憲章(1945年)


 第2条 第4項 すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない

 

 

日本国憲法


 第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。


 第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。