1921(大正10)年、29歳の芥川龍之介は、毎日新聞特派員として、上海、江南一帯、北京を4か月にわたって取材旅行し、紀行文の「上海游記」「江南游記」「北京日記抄」や多くの書簡を残しています。やっとめぐってきた中国旅行のチャンスでしたが、景色をみてもアラばかり目につき、しつこい客引きやよろしくない衛生状態に辟易し不平不満だらけです。
そんな芥川が、最後に立ち寄った北京はよほど気に入ったようで、ここなら住んでもいい、とまで言っています。そのまま北京の住民になったとしたら、その6年後に自殺することもなく、結構長生きして、軽妙な文章をさらに山のように残したかもしれません。
近年の北京は、めっきり日本人客が減少したようで、ホテルで見かけた日本人は出張の会社員だけでした。観光地ではついぞ日本人の姿は見かけませんでしたし、往復の全日空機はほとんどが中国人観光客でした。しかし、北京の街は魅力に溢れ、一時滞在している多くの日本人に、まるで芥川のように、ずっとここに住んでいたいと言わせているのです。