鬼怒川三坂堤防の特異性と崩壊原因

 

8 水害直前の高水敷掘削

画面中央が21k。堤内に見える左側の破風は住民が2階ベランダからVTR撮影した「住宅1」。

その右の陸屋根が再建された「住宅2」。緑の草は復旧堤防の川表法面。その手前の枯草部分が、8万㎥の採砂によってできた

高水敷の4mの段差。段差の基部が大型土嚢で保護されているが、水害後だいぶたった後も、左に見えるパイプの設置された

開口のように崩壊が続いている。(2020年3月)

 

Dec., 19, 2020( ver. 1. )

Dec., 23, 2020( ver. 2. )

Dec., 25, 2020( ver. 3. )  

 

(i) 高水敷掘削の危険性の指摘

 

 次は、常総市議会が設置した「水害検証特別委員会」が、2016(平成28)年2月29日に開催した第6回委員会において、下館河川事務所長らに説明を求めた際に(議事録は、https://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/pdf/12-SK-gijiroku.pdf)、国交省側が用意してきた資料です(https://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/image/12-09-dosha-kussaku-kasetuhanro.pdf)。

 三坂における破堤原因は越水であるとされていたわけですが、この地点の堤防高が低かったのは、2013−14年におこなわれた掘削工事の際に、土砂を満載したダンプカーが堤防を横断したことで堤防が地盤沈下したためではないか、という疑いに対して、下館河川事務所は越水が起きた位置はダンプカーが通った道ではない、と回答しました。

 

 さて、このような重要論点となると、国策派の「専門家」が待ってましたとばかりに登場して珍説を披露するのです。常総市の東隣、茨城県つくば市にある土木研究所の元研究員の常田(ときだ)賢一大阪大学教授(国土交通省の土木研から大学に天下った「ヤメ研」教授のひとり。現在は一般財団法人土木研究センター理事長)は、あの幅広部分は、圏央道建設用の採砂のためのダンプ道路を通すのに土盛りしたものだというのです(『平成27 年 9 月関東・東北豪雨による鬼怒川の破堤箇所の 現地調査による知見と考察』 http://csi.or.jp/uploads/2015kinugawa_kouzui2final.pdf)。

 ひと様のことをいう資格はございませんが、よくわからないひどい日本語です。とはいえ、タイトルや写真31の説明のとおり、圏央道工事用の「土砂採取」のために拡幅したと言っているようです。

 ダンプ道路は時期によってコース取りは多少変わるものの、いずれもこの幅広部分は(近くをかすめているだけで)通っていません。そもそもダンプカーに堤防を昇降させるために作ったのではありません

 1961〔昭和36〕年の国土地理院による航空写真(三坂における河川管理史1参照)のとおり、日本で最初の高速道路である名神高速道路(一部区間開通は1963〔昭和38〕年7月16日)もなかった時期にこの幅広部分はあったのです。名神高速道路は建設中だったでしょうが、計画すらなかった圏央道工事のためのものではありえないのです。幅広は、1947−48年に占領軍が撮影した航空写真でも確認できます。

 また、写真32に「拡幅部の残盛土」とありますが、これは堤防の拡幅部分ではありません。拡幅部分(G区間)とはまったく位置がずれているわけで、その程度のことはこのグーグル の衛星写真を眺めただけでもわかるのです(6堤内地盤崩壊の諸相)。


 

 じつはここには、そういういわば些末な(!)こととは違う、とんでもなく重大なことが書いてあるのです。「“洪水前から、近くの圏央道の工事のために、河道から土砂採取、運搬をしていた”、“今回の破堤と関係があるのか“といった声、質問があった」というのです。水害直後から噂されていて、常総市議会による検証でも問題にされたのは、このうち「運搬」の方で、これについては、関東地方整備局・下館河川事務所は、問題となっている堤防をヘアピンカーブで横断するダンプ道路と、青太矢印で「越水」と記入してある地点とはズレているから、ダンプの重みで堤防が沈降して越水による破堤を招いたのではないかという指摘は当たらない、という肩透かし作戦に出たのでした。

 当 naturalright.orgの見解は、総重量20tのダンプカーの通行では、鉄板を敷かなければアスファルト舗装が波打つくらいであり、堤体全体が数10cmも沈下することはないだろうというものです(三坂における河川管理史2参照)。しかし、「運搬」ではなく「土砂採取」の方はどうでしょう。常田理事長は、さすがに鼻がきくようで、これがいかに大問題であるかがよくわかっているのです。「運搬」には目もくれず、「土砂採取」のほうに敏感に反応していろいろ書いています。内容は何の根拠もない支離滅裂なもので結論は大間違いですが、そうでもしないとこの「土砂採取」の蛮行は到底言い繕えないということを身をもって示したのです。

 

 

(ii) 高水敷掘削工事図面

 

  先ほどの常総市議会あての文書は、「平成25年中妻低水護岸工事」資料(https://kinugawa-suigai2.up.seesaa.net/pdf/kinu-6-5a.pdf これまで同様、「kinugawa-suigai 」サイトが公開している資料を、感謝しつつ参照させていただきます。)の図を改作したもののようです。タイトルを見ると、三坂とは無関係のように思いますが、下流側14.5k付近の常総市中妻(なかつま)における低水護岸工事に用いる土砂をこの三坂の高水敷と砂州(だったところ)から採取する工事のことです。常総市議会に提出した資料では、ここから企業名(新井土木、吉田組、日東エンジニアリン〔「グ」脱字〕)を削除したうえで、問題となっている堤防をヘアピンカーブで横断するダンプ道路の図を右に付け加えたのでした。

 

〈河川敷掘削工事図面1〉


 

 ほかに、三坂ではつぎのとおりの追加工事と「H24羽生町築堤工事」のための土砂採取工事がおこなわれています(https://kinugawa-suigai2.up.seesaa.net/pdf/kinu-6-4.pdfhttps://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/pdf/kinu-6-1.pdf)。

 

〈河川敷掘削工事図面2〉

 

〈河川敷掘削工事図面3〉

 

 以上の3葉のうち、図面1と図面2を重ね合わせたうえで、これまでのように堤外側から堤内側を見上げるように(東が上。上流が左)回転させます。これに、堤防の区間区分を描き入れます。

 赤が吉田組と日東エンジニアリン(「グ」脱字)の区画で、第1の段差の下段、砂州だったところです。緑が新井土木の区画で、高水敷と低水敷(砂州)の境界である第1の段差の上段の、高水敷です。そこを下段の高さまで掘削、いや、そこも日東エンジニアリングが掘削するわけですから、さらに低くまで掘削して堤防側に段差4mほどの第2の段差を形成することになります。

 

 

 

 2015年9月13日の航空写真(国土地理院、CKT201510-C4-14)に目印になるものを描き加えたものと、それに図面1を重ねたものです。9月10日から3日間経過し、だいぶ水位は下がっているのですが、掘削された段付きの下段はまだ冠水したままです。

 

 上の工事図面2と3の、それぞれ下の方に「標準横断図」が記載されています(図面1にはありません)。それを抜書きして平面図・航空写真中に当てはめてみます。右が図面3の、左が図面2の横断図です。

 

 試験掘削中の写真です(http://kinugawa-suigai.seesaa.net/category/26369282-1.html 中の「7)」)。

 左奥に対岸の篠山水門が見えます。黒板に「日東エンジニアリング」とありますから、第1の段差下の砂州だったところの下流寄りの地点です。シルトのほか草の根などが混じった砂のようです。この一山で数十㎥、百トン以上はあるでしょう。黒板に書いてある「曝気(ばっき)」とは、空気にさらして水分を飛ばすことです。左下の穴は水溜りになっています。

 

 同じく、中妻の築堤に使用する土砂を掘り出して、土質を調べているところです。左に積み上げられたものの色味からして砂です。これだと堤体には不向きですから、粘土などと混合して使用したのでしょう。黒板のとおり「新井土木」の区画ですから、堤防近くの高水敷です。ここでは最大で4mくらい掘削することになります。新井土木の区画は、面積は狭いのですが採掘する砂の量はこちらの方が断然多いでしょう。バックホウが掘削中の穴を見ると、湿っています。このあと見る掘削中の衛星写真とあわせて、この場所の特徴がよくわかります。

 

 

(iii) 堤防防護ラインとその侵害

 

 河道の掘削によって河道断面積を増大させることは、洪水の流下能力を向上させることになるからよいことだ、さらには積極的におこなうべきだ、とは一概には言えません。必要な高水敷を確保しないと堤防基盤が弱体化し、洪水時に堤防が洗掘されたり、浸透により堤防基盤や堤体が崩壊する危険性が高まるのです。

 高水敷の保全のために、下館河川事務所は鬼怒川について「堤防防護ライン」を設定し、「直轄河川利根川水系鬼怒川管理基平面図」(縮尺3000分の1、2010〔平成22〕年)に明記しています。

 「堤防防護ライン」は、「管理基平面図」上に実線で引かれ、従来その範囲内での掘削はおこなわないこととされてきたようです。「必要な高水敷高が確保できない区間」については「堤防防護ライン」は破線で引かれ、必要に応じて洗掘防止のための護岸の設置、浸透防止のための川表法尻への鋼矢板打設などの対象となっているようです。L 21kにおける「計画高水敷高」は、Y.P. = 17.440mです。(同図は複写・撮影できないので現在開示請求手続き中です。)

 なお、「堤防防護ライン」については、北海道整備局による釧路川の例があります(https://www.hkd.mlit.go.jp/ks/tisui/qgmend0000003ha4-att/qgmend0000003hfy.pdf)。「堤防防護ラインとは、洪水による侵食や洗掘に対する堤防の安全性確保のために必要な高水敷幅を確保するものであり、原則として堤防区間全川に設定される。」としています(https://www.hkd.mlit.go.jp/ob/tisui/kds/ctll1r0000008dsh-att/fns6al000000i3pt.pdf関東地方整備局京浜河川事務所では、多摩川について「河岸維持管理法線(防護ライン)」(https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000046424.pdf)を設定しています。呼称は区々のようです。

 次は、長野県の例です(https://www.pref.nagano.lg.jp/gijukan/infra/kensetsu/gijutsu/documents/8-3kasen.pdf)。

 

 三坂付近の「堤防防護ライン」は、「鬼怒川平面図」(https://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/pdf/kinugawa-heimenzu1.pdf)にも記されていないのですが(それどころか、河川区域境界線すら記されていないのです)、さきほどの工事図面2(右上に再掲)には工事区域外まで含めてこの「堤防防護ライン」が描かれています。それと明記されてはいないのですが、次のとおり赤でなぞった線です。図面1では、土砂の掘削範囲の外郭線のうち堤防側の実線がそれです。

 

 

 高水敷掘削が、実際にどのようにおこなわれたのかを確認します。とくに、堤防防護ラインとの関係に注目します。

 まず、掘削工事真っ最中の、2014年3月22日撮影のグーグルの衛星写真です(MacOSないしWindows上のGoogleEarthPro)。それに堤防防護ライン並びに例によって破堤区間区分を描き加えたものです。

 H区間のすぐ堤外側あたりにバックホウが見えます。作業区域外に駐機しているとか、移動中とかではなく、堤防防護ラインを越えた地点で作業しているのです。砂の色が濃く見える地点は、表層の砂が剥ぎ取られ、地下水で湿っている砂層が現れてきたのです。

 図面のとおりの範囲内で掘削しているのではなく、掘削するはずではない範囲を掘削しているのです。当然、堤防防護ラインを侵犯しています。

 そもそも、現地に掘削する範囲の表示がないのかもしれません。

 へピンカーブから下流側では緑に見える法面の下部(法尻)あたり、B区間からG区間のヘアピンカーブまででは堤防天端と堤防防護ラインの中間あたりに、橙の線が見えますが、これは上の図面1に記載されているように、作業区域を囲むオレンジネットです(位置は異なります)。本来なら、これは掘削する外縁線、つまりそれが堤防防護ラインなのですが、その線上に設置されるべきでしょう。河道近くの区域へのダンプ道路のための鉄板敷を囲まなけれならなかったということであれば、それとはべつに掘削範囲を明示すべきなのに、それを怠り、結局堤防防護ラインを冒して高水敷を掘削したわけです。

 最終的にできた段差を示します。緑実線が崖の肩、緑破線が崖の脚部です(堤防であれば、法肩と法尻です)。下流端以外でも、侵犯している区間、ギリギリの区間があります。施工会社の現場監理もさることながら、下館河川事務所の現場監督体制は杜撰だったようです。

 

 2015年9月11日、すなわち水害の翌日(ただし、氾濫は11日朝まで続きました)の衛星写真です。その次は、それに、堤防防護ラインと、掘削によってできた崖面の法肩と法尻を描き加えたものです。洪水時の水際の線形から見ても、作業中の写真のとおり、現実に堤防防護ラインを侵犯して掘削がおこなわれたことはあきらかです。

 

 

(iv)堤防防護ライン設定の問題点

 

 堤防防護ラインを侵犯して高水敷を掘削したことは、すでにそれだけで問題があります。しかし、侵犯していない区間は問題ないかどうかは、別問題です。堤防防護ライン間際まで掘削したことの妥当性が問われなければなりません。

 三坂地点での「堤防防護ライン」の設定における外形的事実から検討します。「堤防防護ライン」はどのようにして引かれたか、端的には、基準線はどこだったのか、そしてそれは適切だったのか、ということです。

  暫定的に堤防防護ラインから50mが基準線だったと想定して、地図・衛星写真上に描いてみます。他の例を見ると、30m、40m、50mなどのようなので、一応の設定です。

 まず、2013−14年の掘削工事の図面2です。赤の「堤防防護ライン」は、図面の黒実線をなぞったものです。そこから、堤防側に50m隔たった点を結んだのが、青字の「基準線」、すなわちここを基準にして、「堤防防護ライン」を引いたであろう線です。

 

 

 ここで「基準線」とした線は「管理基平面図」の「計画の堤防法線位置」とほぼ一致します。今のところ撮影・複写や電子データの入手ができないので、筆写して「計画の堤防法線位置」を作図したのが次の図です。

 「管理基平面図」には、この「堤防防護ライン」については、一切説明がないのですが、上でみたとおり、「計画の堤防法線」から50mのところに引いたことはたしかです。そうなると問題になるのは、「計画の堤防法線」とは何なのか、そしてそこから50mというのはどういう趣旨なのか、ということです。

 「堤防法線」とは厳密な用語ではないのですが(業界の隠語なのでしょう)、ようするに川表側法面の最上部ということのようです。つまりは天端の川表側の縁ということです。「計画の」とは、これまた意味不明ですが、現況堤防の、ではなく計画堤防の、ということのようです。しかし、鬼怒川のすべての区間について、「計画」があるわけではないだろうに、全区間について「計画の堤防法線」が描かれているのです。しかも、ありえないことに、ほとんどの区間で現況堤防の法肩に「計画の堤防法線」が描かれているのです。これでは鬼怒川のほとんどの現況堤防が、すでに完成堤防であるかのようです。支離滅裂としか言いようがありません。鎌庭出張所の職員、下館河川事務所の幹部職員、さらには関東地方整備局の管掌課の担当職員に尋ねても、よくわからない、否、まったくわからない、というのです。

 「堤防防護ライン」の趣旨は、洪水による侵食(洗掘や浸透)から堤防を防御するために、必要な高水敷を設けるというものです(無堤部については別に検討します)。必要な高水敷(「高水敷幅」といっても「高水敷高」といっても、要するにおなじことです)を確保できない場合は、護岸の設置による洗掘防止策や、鋼矢板の打設による浸透防止策などを講ずることになります。

 G区間上流端のヘアピンカーブのあたりから、下流側のH区間にかけては、堤防防護ライン(赤)から50mの基準線(青)は、川表側法肩を通っています。高水敷の堤防側の辺縁は、堤防の川表側法尻(法面の最下部)です。「堤防防護ライン」は、つまるところ高水敷の最低限の幅を定めるものなのですから、その基準線(起点)は堤防の川表側法尻の線でなければならないのです。しかし、この基準線が川表側法尻ではなく、天端の川表側の縁、すなわち川表側法面の頂点(法肩)であるのですから、おかしなものです。

 B区間からG区間のヘアピンカーブまでの区間は、川表側に「腹付」されていて、堤防の幅はかなり大きくなっています。おそらくそれを踏まえて、この区間では「計画の堤防法線」が、法肩ではなくそこから川表側に約4mのところに引かれています。

 

 なお、河川図の堤防の図示は不正確です。工事図面の堤防の図示は、河川図とも異なり、河川図よりかなり詳細なのですが、これまた不正確です。工事図の場合、等高線も同じくらいの太さの実線で描かれていて、それが堤防の斜面の図示と重なっていて、余計にわかりにくくなっています。この件は、このすぐあとで検討します。

 

 検討を続ける前に、ほかの地図・航空写真との重ね合わせもしてみます。

 「水系一貫主義」へ転換した河川法改正(1965年)により、鬼怒川の管理者は茨城県知事から建設大臣に移りました。河川区域を告示した1966(昭和41)年の建設大臣告示です。

 

 高水敷掘削工事中の、2014年3月22日のグーグルの衛星写真です。

 

 水害発生翌日、2015年9月11日午前10時頃の、グーグルの衛星写真です。

 

 仮堤防(コンクリートブロック貼りの土堤と、その河道側の鋼矢板による締め切り)が完成したあとの、2015年10月9日のグーグルの衛星写真です。

 

 グーグルの最新の衛星写真です。2020年4月4日です。仮堤防を撤去し、基礎地盤も入れ替えたうえで建造された復旧堤防です。上流側および下流側を含め、激特事業による堤防嵩上げ・拡幅は、堤内地の土地買収をおこなわずに(それでは激特の5年という年限ではほとんど完成しないということです)、もとの川裏側(堤内側)法尻の線(おおむね河川区域境界線)を維持して実施されました。当然堤防自体は堤外側におおきく張り出すことになりました。堤防防護ラインの基準線はとうとう堤防の川裏側法面にはみだしてしまいました。

 H区間上流端付近の、堤防防護ラインを侵犯して掘削された地点(黄文字)もそのままです。

 掘削によってできた高水敷の崖面は、あちこちで崩壊しましたが、せいぜい土砂で穴埋めした程度で、護岸なども建造されず放置されています。開口4は本堤防完成後にできたものです。残った高水敷の地下水位はかなり浅く、地盤の状況はかなり悪いままだということです。

 

 さきほど触れた、B区間からG区間のヘアピンカーブまでの、堤防の特異な形状、ならびにその図示の件です。

 まず、「鬼怒川平面図」の、次に、工事図面(元図は管理基平面図のようです)の、それぞれ該当部分の拡大図です。

 

 

 平面図より工事図の方が、詳細に描かれています。工事図では法面の図法も微妙に異なります。通例は地形図における「崖」の表示には、等高線は重ねては描かないのですが(とくに堤防だと細かすぎて描きようがありません)、工事図では法面記号に被って等高線が引かれているのです。法面記号、等高線だけでなく、道路、土地の区画、建物の輪郭が、全部同じ太さで引かれているのです。

 川表側の法面が少々複雑な形状になっています。平面図だと、途中で斜度が変化していて、上部は緩やかで下部は急斜面、というように読み取れます。工事図だと、法面の中段に段付部、いわゆる「小段」があるように読み取れます。当今、堤防法面に小段をつけるのは雨水の浸透を招くので禁忌事項です。二つの図は、粗密の違いがあるというのではなく、あきらかな食い違いを見せているのです。しかも、一方が正しく、他方が間違っているのではなく、両図とも不正確なのです。それも、複雑なものが単純化されているというような意味で正確性に欠ける、というようなものではありません。端的に、間違っているのです。実際の堤防の形状とは全く異なった図示がされているのです。実際の断面形状は次のとおりです。

 まず、写真です。まさかの三坂3越水開始直後でみたとおり、高水敷掘削中(2013年10月17日)の写真です。向こうのヘアピンカーブをおそらく砂を満載したダンプカーが堤内地へと降りて行くところです。21kの距離ポールが立っているのが川表側法面ですが、草丈を除いても30cmほど盛り上がっています(草が倒れているのは巡回車両を駐車した際にできた轍でしょう。ダンプカーの草地への乗り入れはありえません)。

 

 次は、「堤防横断図」の図です。左が今みている左岸の横断面です(http://kinugawa-suigai.seesaa.net/category/26369282-1.html 次の堤防高等のデータも)。

 

 なんともあっさりした図で、最初にみた時は何かの冗談かと思ったのですが、測量にもとづくものであり、実態を反映しているようです。

 縦横比は10:1です。赤丸を結ぶコバルト破線は堤防敷幅、中間の青小丸は堤防高測定点の真下です。緑子丸の水平距離が天端幅、低い方がアスファルト舗装面で、河道側の高くなっているのが上の写真の草の天端です。21k距離標石とポールのある地点から上流にかけて、せいぜい十数メートルがこのように盛り上がっていただけなのですが、なんとアスファルト舗装面ではなくこの草の天端で天端高を測定しています。これすなわち「堤防高」だというのです。こんなものを見て、これまで延々と、この地点の堤防の地盤沈下の経年変化、堤防高と計画高水位との高低差、2015年9月10日の堤防高と洪水位との高低差、さらに天端幅についての政令の定める基準と実態との懸隔、などなどの議論をしてきた、否、未だにしているのです。

 これを縦横比1:1になるように横に引き伸ばした上で、標高や幅の数値を記入すると下のようになります。燕脂字は国交省の文書(前記)に明記された数値です。

 川表側法面が「現況堤防敷幅」の赤小丸(横に延びてしまっていますが)の下(河道側)あたりで段付きになっているように描かれていますが、これはさきほどの工事図の「小段」ではありません。工事図では、「小段」は、もっと天端近く、「現況堤防敷幅」の範囲内にあるように描かれています。

 

 

 次は、関東地方整備局内に設置された〝当事者機関〟である「鬼怒川堤防調査委員会」(いかなる意味でも「第三者機関」ではありません)の資料(https://www.ktr.mlit.go.jp/river/bousai/index00000036.html)中の、21k地点の横断面図が掲載されているページです(https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000632889.pdf)。

 

 

 ゴチャゴチャしていてよく分かりにくいのですが(これを眺める委員の先生方は、それでなくても早とちりしたり、地点を間違ったりする人たちなのですから、これではダメです!)、今見るのは「現況横断面(左岸21.0k)」です。

 さきほど見たとおり、ここでも、川表側(河道側)の腹付け部分、この区間十数メートルだけ盛り上がっている草の天端が「堤防高」になっています。デタラメはそれだけではありません。その嘘の「天端高」から堤外側の堤体高が「約4m」、堤内側の堤体高が「約2m」と書いてありますが、物差しを当ててみると、2:1ではありません。「約」だからいいだろうと言うわけにはまいりません。元データはあるのでしょうから基準点を含めて正確に記すべきなのに、すぐバレるデタラメを平気で書き散らすのです。関東地方整備局河川部の高橋伸輔河川調査官のやることは常にこの調子です(かような水害の後始末の実績が評価され、あちこちの会合に呼ばれて「講演」したあげく、内閣府の防災担当職についたりしたのです。これが国の防災行政の内実です)。こんな資料は無視したいところですが、他にないのですからそうも言っていられません。元の地形データはコンサルタント会社の測量データにもとづいているのでしょうから、その線を抽出し、さきほどの堤防横断図のように、縦横比を10:1にしたうえで取り込み、河道から堤内地までの横断面図を作成してみます。

 

 堤体断面形は鬼怒川堤防調査委員会の「堤防横断図」によります(黒小四角を付した範囲)。

 他方、堤内地や高水敷等の標高などは、各図間で矛盾するものが多く、標記に1mも食い違いがあったりしておおいに苦慮させられます。高水敷・低水敷の横断形状も確定しません。「河川平面図」や工事図面だと高水敷に Y.P. = 18.0m の等高線が這っているのですが、鬼怒川堤防調査委員会の「堤防横断図」をもとにしてこのように作図すると、高水敷の標高は Y.P. = 17.0m程度になります。

 他の資料を当たると、2005(平成17)年の測量結果表(http://kanumanodamu.lolipop.jp/OtherDams/misakaTeibou02.html)では、このL 21k地点の「計画高水敷高」は、Y.P. = 17.440m 、2002(平成14)年の測量結果表(https://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/pdf/waka-8-3.pdf)では、「計画高水敷高」は、Y.P. = 17.740m です。後者には「現況高水敷高」が明記されていて、なんと Y.P. = 17.258m です。鬼怒川堤防調査委員会の「堤防横断図」によって作図した場合の高水敷の標高 Y.P. = 17.0m に近いのです。「河川区域図」等の等高線とは食い違いますが、このデータによることにします。「現況高水敷高」は、「計画高水敷高」の Y.P. = 17.440m ないし Y.P. = 17.740m をずいぶん下回っていたのです

 

 現況高水敷高が不足していたことも問題ですが、最大の注目点は、高水敷幅の大幅縮小です。「砂州」(ダムの設置と過剰な採砂により急激に消退したほか、河道の侵食が進行して平常時の水位も大幅に低下したこともあり、もはや「砂州だったところ」というほかない状況です)の幅は、この付近では河道が堤防に対してかなり斜行しているので、この上下流では大きく変化します。「高水敷」幅は、おおむね一定です。下線を付したものは、堤防横断図および測量結果の表の数値です。ミリメートル単位まである、過剰な精度?です。他の線形や数値は根拠データが十分ではなくごく大雑把なもの(「約」は省略します)なので、いささか不釣り合いですが……。

 まず、高水敷と砂州の掘削前、次が2013−14年の掘削後です。ここにこのデタラメの堤体高を超える洪水流が押し寄せることになります。掘削面の段差は、このページ冒頭の写真の通り、崖下に置いてある大型土嚢1つの幅が1mですから(そうなるように置いてあるということです)、それを基準にすれば崖高も明確に判ります。もちろん簡単に測定できます。

 

 

 掘削後の、堤体付近の拡大図です。

 堤防とは川裏側(堤内側)法尻から川表側(堤外側)法尻までであり、定義上、その川表側法尻以遠が高水敷なのです。しかし、このL 21k地点では、川表側法面の中段までがデタラメにも「現況堤防敷幅」とされているのです。この「川表法尻誤認線」は本来の川表法尻より約14mズレています。定義どおりであれば「現況高水敷幅」は約30mです。

 しかも、掘り込まれた下面とは4mもの段差があり、そこには護岸工も施されず、掘ったままの状態です。鯖読みの堤高4mと足すと、じつに8mです。

 

(話がそれるので書かないほうがいいようなことですが、ご覧のとおり川裏側もなんだかおかしいのです。こちらは土地所有上の境界線、すなわち所謂「官民境界」との関連でいろいろ問題があるようです。川裏側堤防法尻の線と、「官民境界」が微妙に不一致なのです。そのせいで、というか、その原因のようですが。川裏側法尻だと言っている線が現地の堤防の形態と微妙にズレているのです。「B区間」の加藤桐材工場地点、さらに「A区間」の「茶錆物置」のある農家の地点など、これが本当に法尻かと思うようなところに、「官民境界」の標石が点々と蛇行気味に打ってあるのです。清水教授が勘違いするのも宜なるかなというところです。鬼怒川ではこんなところは他にもたくさんあり、別段珍しいことではありません。法務局の公図と一致しているかも怪しいものです。しかし、今は触れないでおきます……)

 

 

 

 L 21k地点における水害時の高水敷幅は、約30mしかなかったということになります。外形的寸法だけで判断するのは危険なことですから、もとよりこの数値にだけ拘泥するわけではなく、河道側崖面の高さ、掘削前後の形状の詳細、さらにとりわけ土質構成が決定要因であるとはいえ、75mあった高水敷を一挙に30mに削減してしまったことは、きわめて危険な行為であったというほかありません。そしてそれは、たんに危険性を高める、水害の可能性を高める、という可能性や蓋然性のレベルではありません。水害は現実のものとなったのです。

 それについて見る前に、そもそもこのような高水敷掘削が許されていたのかどうか、見ることにします。

 

 

(v)現在の鬼怒川における砂利採取禁止方針

 

 国土交通省関東地方整備局が、その管轄する河川に関してさだめている「砂利等の採取に関する規制計画および特定採取計画」は次のとおりです(https://www.ktr.mlit.go.jp/river/shihon/river_shihon00000417.html)。表紙および「1. 規制の方針」と鬼怒川に関する部分です。




 

 現在、鬼怒川での砂利採取は全面禁止です。砂利には砂も含まれます。また、河道における掘削だけ禁止で、高水敷や低水敷・低水路に含まれる砂州では可能というのでもありません。

 この文書の対象年度は、2020(令和2)年度からの5年度ですから、実際に掘削をおこなった2013−14年にはどうだったのかが問題です。三坂をのぞき、2014年以降、条件が急激に悪化したということはありませんし、むしろ激特事業により、かなりの区間で堤防や護岸の整備等がおこなわれているわけで、むしろ災害の可能性は低下しているのです。2013−14年当時も当然全面禁止だったと考える他ありません。

 これについて、関東地方整備局河川部河川管理課に照会したところ、鬼怒川における砂利採取の全面禁止は、30年以前からのものである、ただし、文書の保存期間を超過しているので、当時の文書は存在しないからたとえ開示請求を受けても開示することは不可能である、ということです。全面禁止されていたはずの砂利採取が、下館河川事務所によって2013−14年に実施されたのはいかなることかと問うたところ、これは民間業者による採取を禁じたものであるから、国土交通省/下館河川事務所による掘削は、禁止の対象外であるとのことでした。下館河川事務所にも同様に照会したところ、民間業者による営利目的の掘削を禁止したものであるが、当該掘削は下館河川事務所が築堤目的のためにおこなった掘削である、とのことでした。(以上、いずれも2020年12月照会・回答)

 上の文書の1ページに「用途規制は行わないこととする」とありますから、営利目的?だろうが、他区間の築堤目的の砂利採取だろうが異なるものではありませんし、ましてそんなものは、「河床低下が生じ、河川管理史節等に支障を及ぼす恐れがあるとき」という「禁止区域設定の考え方」からみて異なる取り扱いをする理由にはなりません。

 もちろん、高水敷や砂州に樹林が形成されて洪水の流下に支障があるような場合に伐採や掘削をおこなうなどのような場合は別です。それこそ、採取した砂利を他所で使用することが目的ではなく、河道そのものの整備が目的なのであって、砂利の「用途」の話ではありません。そんなことまで禁止する計画ではないでしょう。しかし、この上三坂21k付近での砂利採取は、その区間の高水敷や砂州の整備が目的だったのではなく、羽生や中妻での築堤という「用途」が別に現にあったのですから、禁止の対象外だとする理由にはなりません。

 この2014年というと、若宮戸(わかみやど)の河畔砂丘における「B社」による掘削がおこなわれていたのと同じ時期です。若宮戸と三坂における二大氾濫がいずれも、同時期におこなわれた河畔砂丘の掘削と高水敷の掘削に起因していたのです。

 もちろん国交省はいずれの責任も自認していませんが、掘削の事実そのものまで否定しているわけではありませんから、因果関係の立証と法的責任の確定はさほど難しいことではありません。(なお、若宮戸ではこのほか、24.75k〔正確には24.63k〕における氾濫があります。)

 

 ところで、鬼怒川でもじつは、下記のとおり 0.0k から 3.0k までの砂利採取が許可されているのです。鬼怒川の0.0kとは利根川との合流地点で、3kとは茨城県守谷(もりや)市の滝下(たきした)橋直下です。ここから上流は下館河川事務所の管理する区間で、砂利採取が許可される下流側は同じ関東地方整備局の利根川上流河川事務所(埼玉県久喜〔くき〕市北栗橋〔くりはし〕)の管轄です。

 


 横断面図を見ると、堤防の川表側法尻から50mまでの高水敷が「保安区域」として設定されていて、そこは掘削が禁止されます(「低水路河岸のり肩」から30mも同様)。

 このように、砂利採取の規制に関しては、高水敷のうち川表側法尻を起点とする「保安区域」が設定され、この例では50mの範囲とされているのです。いっぽう、さきほどまで見てきた鬼怒川の3kより上流については、「堤防防護ライン」が設定され、堤防天端の川表側法肩(「計画の堤防法線」)を起点とする50mの範囲とされていたわけです。

 起点の差異やその当否、幅の数値の大小やその適否、などはさておき、この「保安区域」と「堤防防護ライン」は、別次元の規制ということであり、同一視したり同列にならべたりするのはまずいのですが、とはいえ、つまるところこの両者、「保安区域」と「堤防防護ライン」とは、堤防の防御のための高水敷の維持という、同一の目的を有するわけです。

 鬼怒川の3kより上流は、砂利採取は全面禁止なのですから、その外なら採取が可能である「保安区域」が設定される余地はないわけです。したがって、鬼怒川の大部分の区間に関しては、「保安区域」について留意することはありえないわけです。したがって、たとえば三坂については、国土交通省/関東地方整備局/下館河川事務所は、「堤防防護ライン」内の高水敷の維持管理について常に、留意しなければならないわけです。

 「堤防防護ライン」が高水敷の維持管理のためのものなのに、堤防の川表法尻ではなく堤防法肩を起点とすることの錯誤などはまた別問題です。

 こうしてこのページの冒頭で注目した、掘削工事図面において、掘削限界がこの「堤防防護ライン」に設定されていたことの意味が了解できるわけです。

 そして、まずはその「堤防防護ライン」を侵犯して掘削をおこなったことの是非が問題になりますが、しかし、より重大なのはその先です、その「堤防防護ライン」までの掘削がはたして妥当であったのかどうかについて、形式的にではなく実質的に、つまり2015年9月10日の水害の機序を全面的にあきらかにする作業のなかで、いま初めて、問われなければならないのです。

 

 

(vi)高水敷崖面の崩壊

 

 国土交通省による三坂における高水敷掘削は、たんに一部区間で堤防防護ラインを侵犯したことにとどまりません。のこる9割方は一見「堤防防護ライン」を遵守したように見えるのですが、実際には、川表側(堤外側)法尻からの距離は50mを大きく割り込み、概ね30m程度しか確保されていません。しかも、掘削断面には護岸工もほどこされず、かなり斜度のきつい崖のまま放置されたのです。そして工事が終わった翌年の2015年9月10日、この高水敷が破壊された区間で大規模な破堤と堤内地の崩壊現象がおきたのです。実害のない形式的な規則違反にとどまらない、実質的な悪影響があったのです。

 以下は、鬼怒川水害まさかの三坂9 高水敷崖面の崩壊(1)10 高水敷崖面の崩壊(2)、および三坂における河川管理史3三坂における河川管理史4で具体的に検討したものの抜粋です。詳細はそれぞれのページをご覧ください。

 まず、9月13日の国土地理院の航空写真に堤防防護ラインを描き入れたもの、次はさらに掘削によってできた崖面(法肩=緑実線、法尻=緑破線)、崖面崩壊地点を示したものです。

 

 グーグル・クライシス・レスポンスによる9月12日9:01の航空写真です(DSC1502)。俯瞰像です。

 左岸21k付近の段付き部の崩壊現象が写っています。決壊した堤防のB区間からF区間に相当する部分で、このあと下流側に延伸するようですが、いまのところ幅は約45mです。

 

 以下、国土地理院の9月14日のUAV画像です。

 2日前、9月12日のグーグル・クライシス・レスポンスのヘリによる航空写真以降の変化はつぎのとおりです。

(1)段付き崖面の崩壊が下流側(画面右方向)に拡大しています。

(2)崩壊した崖面の中央あたりに、別の開口部(開口3)が出現しています。鹿島がブルーシートを掛けたようです。連続開口部から流出した砂を押し流したうえで、開口3から流出した砂が広がっています。連続開口が先、開口3が後です。

(3)鹿島がこのあとの作業空間を確保するために土砂を運び入れていて、その一部が連続開口部に被っています。(このあと、仮堤防工事中に、連続開口と開口3はほぼ埋め尽くされます。)

(4)9月12日にはなかった開口2が出現しています。(ブルーシートが置かれていますが、崩落防止効果はありませんから転落防止のための目印のようです。開口3も同様でしょう。)

 

 連続開口と開口3の拡大です。砂の状況からわかるように、連続開口が先にできていたところに、あとから開口3から砂が吐出したのです。すなわち、連続開口から吐出した砂を押しのけるように、開口3からの砂が吐出したのです。同時とか、逆順ではありません。この順番は、9月12日のグーグルクライシスレスポンスの写真で、連続開口がすでにできているが、開口3はまだないことからもあきらかです。

 底面がどのあたりなのかは見えないのですが、映っている範囲で、数百㎥は吐出したでしょう。(水を含んだ砂は、1㎥で約1.8t です。)

 青楕円は、高水敷内部の地下水で飽和した砂の層が、水位上昇時には洪水の圧力を受けていたのが、水位が低下して圧力が下がったために、河道へと吐出して堆積したものでしょう。赤楕円は、下層の砂が吐出・流出したために、表面のシルト地盤が落下したのでしょう。崖崩れというより、陥没というべき状況です。

 一見すると、洪水によって崖下が抉られたために上のシルト盤が落下したかのようですが、そうだとすると抉られた砂は流れに浚われてしまうはずで、青楕円のように堆積することはないでしょう。そもそも、洪水の水位は高水敷の上、4m程あったのですから、崖面の下部だけが洗掘される状況ではなかったのです。

 

 下流側、大成建設の区間では、さきほどの開口3とおなじくらいの規模の開口2があり、そこから大量の砂が流出しています。流出した後で水を被ったのではなく、水の中に流出して濡れたのでもないでしょう。砂は流出した時点で大量の水を含み飽和していたのです。

 その下流側に小さな開口1があり、排水用と思われるホースが見えます。開口2のように砂が吹き出したのではなく、水が出たのかもしれません。

 その下は、開口部分を拡大したものです。ダンプカーの荷台に載っている土砂は、これで約10トンです。いくら緊急時であっても公共工事で過積載はありえません。体積は6㎥くらいです(荷台は5m×2.5mなので、高さ1mまで積むと過積載になります)。そうしてみると、開口2から吐出している砂は、数百㎥あるいはその上の桁に達することがわかります。崖面が崩れ落ちたのではこれだけの分量にはなりません。あきらかにこの高水敷の地下の砂が開口部から吐出したものです。さきほどの開口3とほぼ同じです。

 

 仮堤防のうち、内側の土盛がほぼおわり、コンクリートブロック積みが始まったところです。開口2から吐出した砂が段差の下面で左右に大きく拡がっているのが見えます。

 

 掘削によってできた高水敷崖面の崩壊現象は、崩落・吐出・流出した砂の量だけでも千㎥以上に及ぶものですから、そこだけ見たとしても、大規模な事象です。常田教授が強弁するような、取るに足りない瑣末な現象ではありません。しかし、問題はその先です。高水敷崖面の崩壊現象は、堤防や堤内地とは無関係の、局所的現象なのではありません。崖面崩壊は、破堤および堤内地の破壊現象とふかく結びついた現象です。

 次ページ以降で、この高水敷崖面崩壊、破堤および堤内地の崩壊現象を、一連の事象として記述します。