ハザードマップをめぐる誤解

常総市十花町に水害後に設置された鬼怒川氾濫の想定浸水深表示。

電柱上方5m位置に赤テープ。その上の青テープが小貝川の場合。

 

6, Apr., 2016

 

(1)「活かされなかったハザードマップ」という言説

 

 鬼怒川水害に際しては、住宅や避難所での住民の孤立が多発しました。不意に浸水したため住宅から出られなくなって2階に逃れたり、ひどい場合には1階建住宅で一晩中水に浸かったままとなり、翌朝(11日朝)救出された例もあったようです。1343人が自衛隊・警察・消防・海上保安庁のヘリコプターによって救助されたほか、2919人が自衛隊・警察・消防のボートで救助されました(https://www.pref.ibaraki.jp/1saigai/201509/documents/09291600.pdf)。常総市の鬼怒川東岸の人口の1割近くです。

 ヘリコプターによる救出では、「電柱おじさん」ばかりが注目されましたが、溢水・破堤開始からかなりの時間が経過したのちの浸水によって孤立した住民の救出事例が4桁に達したというところに、今回の水害被害の特徴があったのです。

 

 

 逃げ遅れが多発した原因として、常総市役所による「避難指示の遅れ」が指摘されているのですが、その指摘内容は多岐にわたります。すなわち、まず、破堤地点である三坂(みさか)町上三坂に対する「避難指示の遅れ」があったこと、次に、三坂での破堤後に増水している鬼怒川の橋を渡って西岸への避難を指示したことが非難の的になりました。それらについては別項目で検討しましたので、繰り返しません。そのほか、常総市が事前に配布公開していた「洪水ハザードマップ」において、避難先として指定されていた地点の多くが浸水することがわかっていた場所であったことが非難の的となりました。

 すなわち、

(1)常総市の「洪水ハザードマップ」では鬼怒川左岸(東岸)はほぼ全域が浸水することが予想されていて、しかも実際にその通りになった

という判断を前提にして、

(2)浸水することがわかっていた地点に、多くの避難所を設定していたこと、

(2b)とりわけ、浸水することがわかっていた水海道市街地にある市役所庁舎に、避難してきた住民を受け入れたこと、

(3)そもそも、浸水することがわかっているところで、市役所庁舎の建て替えをおこなったこと、

(3b)浸水することがわかっていた市役所新庁舎の地下室に、非常用発電設備を設置していたこと、

について常総市役所の対応を非難するというものです。

 

 さらに、とりわけ常総市南部において、多くの住民が住宅で孤立したことについて、重大要因として指摘されているのが「洪水ハザードマップがほとんど参照されなかったこと」です。

 すなわち、

(1)常総市の「洪水ハザードマップ」では鬼怒川左岸(東岸)はほぼ全域が浸水することが予想されていて、しかも実際にその通りになった

という判断を前提にして、

(4)多くの住民が「洪水ハザードマップ」を見たことがなかった、あるいは、見たとしても内容を把握していなかったために避難しなかったこと、

(5)あるいは、「洪水ハザードマップ」の通りにはならないだろうとの推測のもとに、自宅にとどまり結果的に孤立したこと、

について、住民の認識不足を指摘する、というものです。   

  

 これらはいずれも水害発生直後からのものですが、その後これらの言説、すなわち判断(1)と、それにもとづく(2)から(5)までの非難ないし批判について、その当否の検討がおこなわれた様子はありません。このような判断と非難・批判の論調は妥当なものとされ定着しているようです。

 とくに、(あ)「避難指示の遅れ」を非難する論調は、きわめて激烈であったうえ、そこに(い)「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」という重大な事実誤認にもとづく的外れの風説 rumor が重なって、鬼怒川水害問題では、(う)若宮戸(わかみやど)での溢水についての解明と今後とるべき対策、ならびに(え)三坂(みさか)町での破堤についての解明と今後とるべき対策についての議論がきわめて不十分なまま、すなわち氾濫の予見可能性や結果回避可能性、ひいては再発防止策についての必要な検討がほとんどおこなわれないまま(おこなわれたとしても広く知られるにはいたっていません)、氾濫それ自体は前提事実とされてしまい、もはや考察の対象とされることはなく、この既成事実としての氾濫への事後的対応という観点からだけ、地元自治体の責任追及や住民の認識を問題視する論調だけが喧伝され、定着してしまっているのです(上記(2)(2a)(3)(3b)は2015年9月10日以前の行為なのですが、氾濫を前提とするという意味で「事後的」です)。

 

 (あ)「避難指示の遅れ」問題については、基本的には破堤地点である三坂町上三坂での破堤を予知しなかったとして常総市役所を非難するきわめて表面的な論調が有力なのですが、最終的に破堤したのが上三坂地先の左岸21km地点付近の一箇所であったこと(若宮戸の2か所での溢水は除いて)、しかもそのことがはっきりした時(9月11日)になって、それを予知しなかったとして常総市役所を非難しているにすぎません。それでは他者の無知を批判する人たちが自分自身では予知しえていたかというと、そういうわけではないのです。たとえば報道企業についてみると、呼ばれたわけでもないのに自分の食料や飲料水すら用意しないまま経験不足の従業員記者を市役所庁舎に行かせて、住民ともども庁舎で孤立させたほか、放送機材を積んだ車を(さらに、おそらく記者の自家用車も)水没させてしまったのです。茨城放送の場合は会社として反省しているのですが、茨城新聞は八つ当たりとしか思えない見苦しい記事で紙面を飾ってしまいました(別項目参照)。

 また、だいぶあとになって、常総市の災害対策本部は破堤地点への避難指示発令を決定していたが、指示連絡上の手違いにより住民への広報がおこなわれなかったことがわかったのです。おそらくすでに溢水していた若宮戸に注意が集中したこともあって、常総市役所は鬼怒川左右両岸のあわせて40kmにおよぶ堤防の全部に対処できる状態ではなくなっていたのです。このことに関連して報道企業数社は、災害対策本部が「議事録」すら残していなかったと言って非難しています。なるほどそうかも知れません。しかしそこまでいうのであれば、国土交通省関東地方整備局下館(しもだて)河川事務所の対応については、関東地方整備局によるきわめて制限された記者発表文書以外には何も公表されていないことについてまったく関心を払っていないことは、どういうことなのでしょうか。市役所の「議事録」などをいささか大袈裟に問題にするのであれば、その前に下館河川事務所が9月9日の時点で若宮戸の対岸に投光器を用意していた事実、すなわち下館河川事務所が9月9日の日没後から10日未明にかけて、前年に土嚢を「品の字」積みにした場所、すなわち25.35kmのソーラーパネルの地点での出水を予想していた事実などをまったく問題にもしていないことなどは、報道機関としての力量不足を物語るものと言わざるをえません。

 この「避難指示の遅れ」を非難する論調はさらに高じて、上三坂で水防活動(土嚢積み)をしていればそもそも破堤しなかったのだから、今回の鬼怒川水害の原因を作ったのは常総市役所であるという極論にまで行き着いてしまっている状況です。しかし、三坂町上三坂地先の左岸21km地点が破堤したことを事後的に知っているからそんなことが言えるのです。こうした常軌を逸した独善的主張は、9月10日にはあちこちで水防活動がおこなわれていたこと、とりわけ八間堀水門直下の左岸11km地点では水海道市街地唯一の洪積台地部分であるにもかかわらず、大規模浸水の一歩手前の状態であったこと(別項目参照)などを踏まえない主張にすぎないのです。三坂町上三坂については、国土交通省自身が当該地点で越水が大規模に進行しているという河川巡視員からの報告を紛失していたうえ(数週間後に「発見」して「鬼怒川堤防調査委員会」に提出)、越水進行中はもちろん破堤後に及んでもその地点を「新石下地先」と誤認して常総市役所へ知らせたり、報道機関に発表していたのです。混乱状態のなか、地図をみればわかるはずの地名の誤りにすら、何時間もの間、報道機関も含めて誰も気づかなかったのです。三坂町を新石下(しんいしげ)と誤認した件については、別項目を参照ください。

 (い)若宮戸と三坂町での氾濫については問うことをやめたうえで、常総市南部の水害被害の原因をすべて八間堀川の「氾濫」に帰する倒錯した思考回路がうみだした「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」については、別項目で詳述しましたので参照ください。

 (う)若宮戸問題については、「ソーラーパネル」の25.35km地点に関する用語「自然堤防」の誤用、ならびに隠蔽された24.75km地点の河川区域境界問題について、それぞれの項目を参照ください。

 (え)三坂町上三坂における破堤は、今回の全氾濫量の3分の2ないしそれ以上(現在のところ統計なし)の流入の原因となったのですが、国土交通省の「鬼怒川堤防調査委員会」による検討は十分なものとは言えません。同委員会は、若宮戸での溢水(いっすい)については言及すらしていません。なにせ堤防がない場所なのですから、定義上!「堤防調査」の対象ではないということなのですが、それでは三坂町の「堤防」についてはきちんと検討したかというと、じつに心もとない対応に終始したのです。「事務方」からあらかじめ与えられていた結論である「越水による破堤」論は、東京大学の芳野圭(よしむら・けい)准教授の長靴のひと踏みであえなく立ち消えとなり、一応、「越水と浸透の複合原因」説に落ち着いたのですが、そうなれば俄然重要となる堤防の土質については、曖昧で矛盾する土質の定義のもとに説得性に欠ける事実経過を散漫に羅列するのみで、本質的問題に踏み込もうとする姿勢はまったく見せずにお茶を濁しています。それどころか、この到底十分なものとは言えない検討結果についてさえ、それを正しく理解しているのはごくごく一部に限られ、報道企業が広めた皮相で迂闊な表面的(無)理解、すなわち「越水による破堤」という単純な思い込みが一般的なものとなっています。この点については、別項目の「堤防決壊メカニズム」で検討しています。

 

 

(2)「ハザードマップ」と実際の浸水域

 

 上述の(2)から(5)までの命題の妥当性については別に検討することにして、このページでは、それらの前提となる事実判断としての命題(1)の妥当性について検討することにします。

 常総市の「洪水ハザードマップ」は、つぎのとおりです。鬼怒川が氾濫した場合のもの(http://www.city.joso.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/6/00705.pdf)と、小貝川・利根川が氾濫した場合のもの(http://www.city.joso.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/6/00706.pdf)の2つあります。地図以外の説明は、2枚にわたっていて、片方だけでは不十分ですので、クリックで拡大してもまだ不十分ですから、詳細はのちほど直接常総市役所のウェブサイトからダウンロードし、拡大表示してご覧ください。(なお、のちほど注目することになりますので、「浸水深」の彩色の凡例だけは拡大して摘記しておきます)。

 

 

 これらはあらかじめ各世帯に配布されていて、さらに市役所のウェブサイトで閲覧とpdfファイルのダウンロードができるようになっています。上述のとおり、今回の水害における浸水範囲は1枚目の鬼怒川に関するハザードマップのとおりになった、というのが一般的な認識になっているわけです。

 2015年9月10日以降の実際の浸水範囲については、通例は国土地理院のものが参照され、新聞などはそれをもとに作図して紙面に掲載しているのですが、ここでは、9月11日午前10時ころに撮影されたグーグル・クライシス・レスポンスの衛星写真を見てみます。北部では標高の低い南部へ流下してすでに水が引き始めていますが、約40㎢にわたる氾濫地域のほぼ全域が映し出されています(氾濫域全域での氾濫水の挙動については、別のタイトルのもとで地域別に検討しましたので、参照下さい)。

 

 鬼怒川のハザードマップとグーグル・クライシス・レスポンスの衛星写真を左右に並べてみます。ハザードマップは、鬼怒川の右岸と左岸の両方について図示していますが、左岸(東岸)だけを見ると、それはまさに実際の氾濫領域をそのまま予想していたように見えるのです。

 しかし、「ように見える」だけであって、実際の氾濫領域がドンピシャリそのまま予想されていたわけではないのです。にもかかわらず、たんに「ように見える」だけであるのに、報道企業や一部の「専門家」たちは実際の氾濫領域がドンピシャリそのまま予想されていたと思い込み、即座に判断停止状態に陥って、常総市役所非難の大合唱を始めたのです。

 

 


 

 

 

(3)「ハザードマップ」が表現するものは何か?

 

 実際の氾濫領域は 「ハザードマップ」のとおりだった、つまり「ハザードマップ」は実際の氾濫を完璧に予測していた、というのはまったくの誤解、たんなる勘違いです。水害直後から、このまことしやかな言説を広めてきた人たちは、そもそも「ハザードマップ」の趣旨を根本的に誤解しているのです。

 このような誤った判断例は枚挙にいとまがありません。というより、「避難指示の遅れ」を問題にし、住民の逃げ遅れを憂慮(実際には非難)する見解のほとんどすべてがこの判断を前提にしているのです。例をふたつだけあげておきます。

 

 「わが茨城県」の住民による「ブログ」の2015年9月14日の記事の抄録です(http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-2752.html)。「あらかじめ結論を定めてしまい、攻撃対象を政治的にしたい〔原文ママ〕という思惑があります。私はこれには賛成できません。」「私はできるだけ、客観情報の積み重ねをして行きたいと思います。」という、見習うべきモットーの持ち主であるこのブログ作成者は、国土地理院の浸水範囲図をもとに新聞社が作図した図と、「ハザードマップ」を並べてみせたうえで、「ほぼ重なります」と言っています。

 そして、今回の水害がハザードマップの通りになったとするこの判断を前提にして、常総市役所庁舎の建設地や、住民避難受け入れなどを「笑うべきこと」として嘲弄し非難しています。

 


 

 

(中略)

(以下略)


 

 ハザードマップが実際の浸水範囲と一致していると思っているのは、素人だけではないようです。次は、山口大学農学部の山本晴彦教授らによる報告です(http://www.jsnds.org/ssk/ssk_34_3_171.pdf)。

 文意がとりにくいのですが(前提している事実判断に錯誤があるからなのです)、この「ハザードマップ」(上記の鬼怒川のもの)は国土交通省が20.25km地点での破堤を想定して浸水範囲を予測したものである、と言っているように読み取れます。

 


 

 現実の浸水範囲を完璧に予言したとされる常総市の「洪水ハザードマップ(鬼怒川)」は、どのような条件のもとに浸水範囲を予測して作図されたものなのかを見て行くことにします。

 「洪水ハザードマップ」は各市町村役場が作成し配布・公表するのですが、その浸水深予測データは市町村役場が独自にシミュレートして算出するわけではありません。浸水深データは、水防法第14条にもとづき、国土交通大臣(担当は国土交通省の各地方整備局)が算出して作図し、それを各市町村役場に提供しているのです。

 

水防法(昭和二十四年六月四日法律第百九十三号)

(洪水浸水想定区域)

第十四条  国土交通大臣は、第十条第二項又は第十三条第一項の規定により指定した河川について、都道府県知事は、第十一条第一項又は第十三条第二項の規定により指定した河川について、洪水時の円滑かつ迅速な避難を確保し、又は浸水を防止することにより、水災による被害の軽減を図るため、国土交通省令で定めるところにより、想定最大規模降雨(想定し得る最大規模の降雨であつて国土交通大臣が定める基準に該当するものをいう。次条第一項において同じ。)により当該河川が氾濫した場合に浸水が想定される区域を洪水浸水想定区域として指定するものとする。

2  前項の規定による指定は、指定の区域、浸水した場合に想定される水深その他の国土交通省令で定める事項を明らかにしてするものとする。

3  国土交通大臣又は都道府県知事は、第一項の規定による指定をしたときは、国土交通省令で定めるところにより、前項の国土交通省令で定める事項を公表するとともに、関係市町村の長に通知しなければならない

4  前二項の規定は、第一項の規定による指定の変更について準用する。

 

 さらに国土交通省は、「洪水ハザードマップ」について、その内容の細部に及ぶ体裁・規格を定めて、各自治体に示しています(http://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/saigai/tisiki/hazardmap/index.html)。色使いから図中のイラストまで、微に入り細を穿つ規格が示されているため、全国の市町村の「洪水ハザードマップ」は、ほぼ同じような仕上がりになっています。

 

 なお、シミュレーションによる浸水深データは、国土交通省関東地方整備局下館河川事務所のウェブサイトにも掲載されています(http://www.ktr.mlit.go.jp/shimodate/shimodate00003.html)。ただし、そこでは根拠法令は水防法第10条とされています。

(国の機関が行う洪水予報等)

第十条  2  国土交通大臣は、二以上の都府県の区域にわたる河川その他の流域面積が大きい河川で洪水により国民経済上重大な損害を生ずるおそれがあるものとして指定した河川について、気象庁長官と共同して、洪水のおそれがあると認められるときは水位又は流量を、はん濫した後においては水位若しくは流量又ははん濫により浸水する区域及びその水深を示して当該河川の状況を関係都道府県知事に通知するとともに、必要に応じ報道機関の協力を求めて、これを一般に周知させなければならない。

 

 ここからが本題です。

 それでは、水防法第14条にいう想定最大規模降雨により当該河川が氾濫した場合に浸水が想定される区域」とそこが浸水した場合に想定される水深」はどのようにシミュレートされるのでしょうか。

 まず、「よくあるご質問」への回答をみてみます(国土交通省 地点別浸水シミュレーション検索システム(浸水ナビ)、http://suiboumap.gsi.go.jp の「よくあるご質問」 http://suiboumap.gsi.go.jp/faq.html#2)。

 

 

 一般向けの「よくあるご質問」への回答なのにいきなり「専門用語」が出てきます。河川行政や河川工学の業界内でだけ通用するこのような「専門用語」に気を取られると本来の趣旨からどんどん外れてしまいますから、ほんとうはあまりそのような隠語(ジャーゴン)にはこだわりたくないのですが、「よくあるご質問」への回答でさえこの調子です。この業界の「計画」という語には独特の意味が付与されているようで、「回答6」の「計画高水位」のように、一般的な語義から大きく離れた用い方をしていて素人を惑わしたうえ、何をいっているのかわからないのです。

 河川工学の専門性を否定しているわけではありません。「専門性」を装って素人を煙に巻く態度が問題なのです。その世界の人たちはここでだけ、わかったようなわからないような意味不明の説明をしているのではありません。それどころか、たとえば鬼怒川の8つの水位観測所の地点についてさえ、「計画高水位」とはどのくらいなのかが、具体的には示されてはいないところがあるのです(表中の下の方の空欄。この表については別ページ参照)。当然、堤防の全域について、具体的に明示されているわけではないのです(そんなことをすると、自分で定めた基準をまったく満たしていないチープな堤防などをそのまま何十年も放置していることが明らかになるので、絶対に実行しないのです)。困ったものです。

 大雨で堤防が限界まで増水した時、くらいに理解して次に進むことにします。

 

 

 想定雨量と想定水位を最大限に見積もったうえで、次に、その場合に起きる氾濫についてどのように仮定するというのでしょうか。「回答5」のとおり、「想定最大規模の降雨」によって「計画高水位」に達するまで水位が上昇した時に(つまり、想定雨量と想定水位を最大限に見積もったうえで、その時に)、

 

「① 複数の決壊箇所を想定し、

「② それぞれの最大浸水域」を計算(シミュレート)し、

それらすべての「③ 浸水域を重〔ね〕合せ」る、

 

というのです。

 「洪水ハザードマップ」を見ても、市町村に提供するデータを作成するうえで、国土交通省が「複数の決壊箇所」として、何処と何処と何処と何処と……何処に、決壊地点を仮定したのか、明示されているわけではありません。想定箇所の総数すら示されていません。おそらくこれだろうと思われるのが、次のような浸水想定図です。

 下館河川事務所のウェブサイトの「下館河川事務所ホーム >  防災・災害情報 > 鬼怒川・小貝川氾濫シミュレーション(PDF)」、すなわち http://www.ktr.mlit.go.jp/shimodate/simulation_pdf/ を開くと、左下のように鬼怒川と小貝川の両方について、それぞれの利根川との合流点をゼロとし、そこから上流に遡上する20km刻みのメニューがあり、それぞれをクリックすると、たとえば鬼怒川の「0〜20k」であれば、右下のように、左岸と右岸に数kmおきに、ボタンがついた地図が表示されます。左岸が橙、右岸が緑です。

 

 


 

 この「鬼怒川」の「0〜20k」のメニューで、たとえば左岸の一番上流の橙ボタン(図の一番上)を押すと、下の「L20.25k」すなわち左岸20.25km地点で破堤した場合のシミュレーション結果が表示されます。2015年9月10日12時50分ころに「破堤」したとされる三坂町上三坂地先は、21km地点をはさむ165mほどですから、そこに一番近い破堤想定地点ということです(その次の想定地点は22.25kmです)。

 


 

 メニューをひとつ戻って「鬼怒川」の「20〜40k」を選び、左岸の下流から3つめの橙ボタンを押すと、左下の「L24.5k」、すなわち2015年9月10日6時30分ころの若宮戸の下流側つまり24.75kmの溢水地点に一番近い想定破堤地点のシミュレーション結果が表示されます。

 同じく、下流から4つめが、右下の「L25.25k」、すなわち若宮戸の上流側の例のソーラーパネルのために砂丘を掘削し、2015年9月10日6時前に大規模な溢水を起こした25.35km地点に一番近い想定破堤地点のシミュレーション結果が表示されます。

 

 なお、若宮戸一帯は堤防のない地点です。国土交通省関東地方整備局下館河川事務所は、砂丘があるからといって鬼怒川左岸の若宮戸の十一面山砂丘一帯においては築堤を怠って漫然とすごしていたのです(建設省時代から引き続きです)。下流側24.75km地点についてはその砂丘がだいぶ前に掘削されたことにずっと気づかず(気づかないふりをしたのかもしれませんが)放置し、上流側の25.35km地点では2014年の砂丘掘削を座視しておいて、常総市役所や住民からの指摘を受けたあとしぶしぶ土嚢の「品の字」積みをしたのでした。そういう次第で、若宮戸地区は結局のところ堤防がない無堤地帯なのですが、そこで「破堤」のシミュレーションをしたというのはおかしなものです(「決壊」というのも「破堤」という意味で使っている語でしょうから、同じことです)。したがって、このあと見る氾濫量推定の計算式は適用できないことになるのですが、実際にどう計算したのかは不明です。後述の「マニュアル」では、「無堤区間における氾濫開始水位 は、原則として背後地盤高とする。」(p. 8. pdf 上では p. 12.)というのですが、もしそのとおりにしたとすると「後背地地盤高」としてはいったいどこを基準としたのか、不明です。すくなくとも25.35km地点での若宮戸砂丘の掘削以前の試算であるにもかかわらず、シミュレーション結果の氾濫領域の大きさから判断するとかなりの量の氾濫量を見込んでいることからして、現地の具体的条件はまったく無視して他と同じ初期条件のもとで、つまり堤防があるものとして計算しているようにも思えます。この点はのちほど検討します。

 


 

 

 破堤想定地点の設定については以上のとおりのようです。これ以上は今のところは知る術はありませんから、ここまでにしておきます。

 ここまででも、例の「ハザードマップの通りになった」という言説の誤りはあきらかですが、残っている氾濫水量のシミュレーションについて見ておくことにします。

 

 

 

(4)最大浸水域はどう計算するのか?

 

 以上の通り、「① 複数の決壊箇所を想定」したうえで、それでは次にどのように「② それぞれの最大浸水域」を計算(シミュレート)」するのでしょうか

 

 計算方法については、平成27年7月、国土交通省水管理・国土保全局河川環境課水防企画室国土技術政策総合研究所河川研究部水害研究室「洪水浸水想定区域図作成マニュアル(第 4 版)」で具体的に定めています( http://www.mlit.go.jp/river/shishin_guideline/pdf/manual_kouzuishinsui_1507.pdf)。

 たとえば破堤幅、破堤敷高、破堤の時間的進行については、次のとおりです(p. 19. pdf 上では p. 23.)。

 

 

 「破堤幅は実績値によることを基本とする」というのですが、当該河川の当該箇所での破堤による「実績値」という意味なのだとしたら、そのような「実績」がそうそうあるものではないでしょうから、大部分はこの計算式を使って算定することになるでしょう。

 一例として、21.0km地点すなわち今回の三坂町での実際の破堤状況と、この計算条件ならびに試算結果を比較してみます。

 三坂町での破堤の実態もじつはほとんどあきらかになっていないのですが(本当にわかっていないことも多いうえ、わかっているのに秘匿していることも疑われます)、当初の破堤幅は20m、最終破堤幅約155m(通例200mと言われていますが、Google earth で測定すると直線距離で、法面〔のりめん〕や天端〔てんば〕が破壊される「洗掘」でとどまり堤体が根こそぎ流失する「破堤」にいたっていない35mを含めて190mです。破堤幅は155mです。別項目を参照ください)でした。最終破堤幅に達したのがいつかも発表されていませんが(大勢で見ていたし撮影もしていたはずですから、わからないはずはないのですが)、おそらく破堤時刻とされる12時53分からすくなくとも7、8時間は経過していたでしょう。

 鬼怒川の堤防は、めまぐるしくおこなわれた流路の人為的変更を反映して、おそろしく曲がりくねっていて単純に川幅は何mかを確定できる状態ではないのですが、21km地点で概ね400mとして、上の式 3.16 でざっと計算すると最終破堤幅は123mほどになります。実際の破堤幅の8割ほどですから、まあ妥当なところです。破堤後瞬時に最終破堤幅の2分の1が喪失するというのが試算条件ですが、実際には20mでした。破堤開始から1時間では最終破堤幅に達するというのが試算条件でしたが、これも大きく食い違っています。

 「破堤後瞬時に最終破堤幅の2分の1が破堤」するとか、「その後1時間で最終破堤幅まで拡大する」とか、相当の単純化をほどこしていますが、シミュレーション条件としては被害を小さめに見積もっているわけではなく、むしろ大きめに見ているわけです。最終破堤幅が内輪の数字だったことと相殺して、概ね妥当なところでしょう。

 

 これはほんの一例で、この「洪水浸水想定区域図作成マニュアル(第 4 版)」には、堤内地を250m四方の区域に区切った上で建物や道路の盛り土などの障害物なども考慮して、時間を追って氾濫水の挙動を計算する手続きを具体的に定めています。そうして作成されたのが、上で鬼怒川の例について3枚ほど引用した「氾濫発生情報図」(の原図)のようです。

 このあとの「ハザードマップ」を作成する段階で除外される情報が、この段階では地図上に表現されていることに留意しなければなりません。このシミュレーションでは氾濫水の流下を計算し、浸水域の時間的変化として明記しているのです。この点はのちほど触れます。

 

 以上で、「① 複数の決壊箇所」を仮定し、② それぞれの最大浸水域」を計算(シミュレート)」する段階が終わりました。いよいよ第3段階です。すなわち、それらすべての「③ 浸水域を重〔ね〕合せ」るのです

 重ね合せるといっても、ある地点Aの浸水深について、例えばある地点Bが破堤した場合の浸水深0.5〜1mと、別のある地点Cが破堤した場合の浸水深1〜2mを足して、1.5〜3mにするという意味ではありません。250mごとに区切った地点毎に、各破堤点ごとの浸水深のうち、最大のものを取り込む、この場合でいうとある地点Cが破堤した場合の浸水深1〜2mを、ある地点Aの浸水深とするということです(ここでは2か所の破堤で説明しましたが、実際には十数か所の破堤を試算して「重合せ」るわけです)。

 と書いておきながらこんなことをいうと、いささか具合が悪いのですが、常総市の「ハザードマップ」と、下館河川事務所ウェブサイトのシミュレーション図を比べると、必ずしもこの通りになっていないのです。具体的には、たとえば今回最も浸水深の深かった三坂新田から沖新田にかけては、十数枚ある「シミュレーション」図では最大でも「1〜2m」なのですが、「ハザードマップ」では「2〜5m」になっているのです。他にも同様の地点があり、現在、下館河川事務所に照会中です。作図の原則は上記のとおりで間違いありませんので、事情が判明しましたら追記します。

 

 

 

(5)何も教えない「ハザードマップ」

 

 「洪水ハザードマップ」の作成方法は以上のとおりですが、この最後の「③ 浸水域を重〔ね〕合せ」ることによって、「シミュレーション」図で表現されていた情報が一挙に抜け落ちる事になります。十数枚の図を1枚にまとめようというのですから、当然といえば当然なのですが、たんに情報の量が減るというレベルではなく、質的に大変貌をとげるのです。

 ひとつは、さきほども指摘したことですが、破堤後の氾濫水の運動がまったく捨象されます。つまりは各地点の浸水深の時間的変化が記述されないことになるのです。破堤点が1か所や2か所であれば別ですが、十数か所・数十か所ともなれば1枚の図にそれらの情報を全部記す事は不可能ですから、当然こうなります。「シミュレーション」では、何時間後にどこまで氾濫水が到達するかが明記され、一見して理解できるようになっていたのですが、「ハザードマップ」では時間的変化はまったくわからないことになります。注意して仔細に読図すればわかるというのではなく、注意深く穴のあくほど眺めたとしても絶対にわからないのです。

 もうひとつは、ハザードマップでは十数か所の破堤を想定したうえで、各地点の最大浸水深だけを記すのみですから、ある破堤地点から流入した氾濫水がどこまで到達するかは、まったく示されないのです。逆にいえば、住民の立場でいえば自分の住宅や事業所、農地の各地点は、どこ(複数)が破堤した場合に浸水被害を受ける事になり、どこ(複数)が破堤した場合に被害をまぬかれることになるのかが、まったくわからないのです。どれだけ眺めようが、書いてないのですから絶対にわからないのです。

 以上ふたつが重なると、常総市の鬼怒川東岸(小貝川西岸でもありますが)のように、ごくごく一部の洪積台地を除く全域がわずかな比高があるだけの自然堤防ときわめて低平な後背湿地からなる地域にあっては、たとえ破堤点から遠くても氾濫の規模によっては一定の時間が経過したのちに氾濫水が到達することになるにもかかわらず、そのことがハザードマップ上にまったく表現されないことになるのです。

 今回の水害でいえば、若宮戸の2か所の溢水が午前6時前後、三坂町の破堤が午後1時直前(越水開始は午前11時以前)でした。常総市南部の水海道市街地の住民の多くが、8km以上も離れた三坂町からの氾濫水が到達する事はないだろうと考えたようです。若宮戸にいたってはさらに4km以上離れているのです。三坂町の状況はテレビがライブ放送していましたから、激烈な氾濫であることは十分わかっていたとしても、別ページで引用した住民の言葉を再度引用すると、

 

水海道の市街からは、車で15分も20分もかかる場所なのです。なので、離れた上流の堤防が決壊したと聞いて、あの日、巷では、『この辺りは助かった』という声が囁かれていました」

 

という次第で、おおくの住民が水海道市街地まで氾濫水が到達することはないだろうと考えたのです。

 上の言葉には、さらに、上流での破堤による水位低下が、下流の水海道市街地近辺での氾濫の危険性を減少させたという意味も含まれています。

 それをハザードマップを見ていないが故の誤った判断にすぎないとして、報道企業や「専門家」らは、小馬鹿にしていたのですが、以上のような事実を踏まえるならば、判断を誤ったのは住民ではなく報道企業や「専門家」らの方であることは明らかでしょう。ハザードマップではわからないことなのに、実際の事象が起きた後になってはじめてわかったことを、あらかじめ知っていたと思い込む空疎な幻想にとりつかれてしまったのです。

 水海道市街地中心部への氾濫水の到達は(八間堀川や農業用水路・排水路に入って短時間のうちに到達した分は除いて)、9月10日午後9時以降だったようです。氾濫水の先端部分の進行速度は平均すると時速1km程度のようですから、ごく大雑把にいえば8km離れたところには8時間後には到達する計算になります。実際そのとおりになったのですが、そんなことはハザードマップには一切書かれていないのです。

  なお、水海道市街地の住民の一部に、水海道市街地の水害がもっぱら八間堀川によるものだとする風説「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」が流布していていささか複雑な状況になっているのですが、これについては別項目を参照ください。

 

 

 

(6)氾濫水量の多少による浸水域の広狭もわからない

 

 以上のとおり、 「ハザードマップ」をいくら見たところで、ある箇所の破堤によってそこから流入した氾濫水がどこまで到達するかは決してわかりません。まして、破堤から何時間後に氾濫水が到達するかなど、絶対にわからないのです。わからないのは、それだけではありません。「シミュレーション」図を十数枚併合 merge して1枚の「ハザードマップ」にすることで重要な情報が消失するだけではなく、もとの「シミュレーション」自体に、浸水被害の想定上の限界があるのです。

 1986(昭和61)年の小貝(こかい)川水害の際には、三坂町よりさらに遠い常総市本豊田(もととよだ、当時は水海道市との合併前の結城〔ゆうき〕郡石下〔いしげ〕町本豊田)の小貝川右岸の破堤地点からの氾濫水は、水海道市街地の手前の相野谷(あいのや)町の北縁で止まったのです。そのことは40歳代以上の人たちははっきりと記憶していることです。今回の場合も同様にいずれかの地点で氾濫水は前進をやめるだろうと考えたのはきわめて自然なことだったのです。それを過去の経験からの誤った推理だといって嗤うことはできません。

 今回の水害における氾濫水の総量については、いまだに確定値が発表されていません。国土交通省の示した暫定値は3400万㎥です。土木学会速報会での東京理科大学グループの見積もりは5000万㎥で、1986年小貝川水害の25倍程度です。1986年に相野谷町と相平(あいひら)橋の線で氾濫水の南下が止まったのは、ひとえに氾濫水の量が少なかったからであり、他の理由はありません。小貝川は鬼怒川ほどの水量はありませんから、25倍とはいいませんが、1986年の氾濫量がもし遥かに大量だったとしたら、相野谷町を過ぎて新八間堀川北岸の水海道市街地まで、そして相平橋と県道土浦野田線バイパス(現在の国道354号を越えて新八間堀川南岸の(改築前の)常総市役所付近まで到達していたはずです。逆にいうと、今回の水害の氾濫水の総量がはるかに少なかったとすれば、たとえば相野谷町北縁と相平橋、国道354号を結ぶ線で止まっていたかも知れないのです(もっと北かもしれませんし、南かも知れませんが)。

 

 下は、1986(昭和61)年の小貝川の破堤による浸水域図です(http://www1.gsi.go.jp/geowww/disa/disa_1986kokaigawa.jpg)。黒枠線内のドットの打ってある部分が浸水区域です。地名等については、別ページを参照ください。なお、常総市の「洪水ハザードマップ」の小貝川・利根川編にもこの小貝川氾濫の浸水域が描かれています。ただし、国道354号(県道土浦・野田線バイパス)以南も浸水しているとされているのは、農業用水路・排水路からの小規模氾濫のようで、この国土地理院の地図では除外されています。

 

 右上方の小貝川右岸の小さな赤矢印が破堤地点です。当時の石下町本豊田の豊田排水機場の排水樋管(ひかん)部分で洗掘が起き、破堤にいたったものです。取水口・排水門・樋管などの工作物は特に堤防との接続部分(「とりあい」)が弱点となり、決壊事由のなかでも目立つものです。

 黄が自然堤防 natural levee、緑が後背湿地 back swamp、橙が洪積台地 diluvial upland です。氾濫量が少なかったために(といっても大水害でした。30年たった今でも、一定年齢以上の県南西部の住民ははっきりと記憶しています。今回の水害と比べると少なかったということです)、破堤点直下の本豊田と曲田(まがった、今回も浸水を免れました)、福二(ふくじ)町や川崎町などの、自然堤防地帯の周縁部は浸水しましたが、全体的にみると浸水したのは低平な後背湿地に限られます。

 

 

 

 国土交通省の「シミュレーション」においては、想定氾濫量がどの程度なのかは一切明記されていません。上記の作成マニュアルでもこの点は明らかではありません。ずいぶんおかしな話ですが、もちろんそれがはっきりしない事には試算などできないわけですから、前提条件としての氾濫量は設定されているに決まっています。シミュレーション結果の浸水域の面積や浸水深から見ても、相当多めに設定しているに違いありません。

 相当多めに設定したに違いないのですが、それでも今回の水害における氾濫水量には遠く及ばないのです。

 

 氾濫水量について検討する前に、破堤地点数について確認しておかなければなりません。今回の水害の氾濫地点は3か所です。左岸21.0kmの三坂町の破堤地点、左岸25.35kmの若宮戸の溢水地点(ソーラーパネル地点)、そして左岸24.75kmの同じく若宮戸の溢水地点です。若宮戸の2か所は堤防のない地点ですから、じつはどのような条件で「シミュレーション」がおこなわれたのかすらわからないのですが、上述したように、現実を無視して堤防があることにして例の公式を適用し、変数の川幅だけ変えて算定したのでしょう。実際に起きた2か所での氾濫の激しさは、丘の上部を水が越えたなどというレベルではなく、堤防の基底部からの消失、すなわち破堤による大規模流入に匹敵するものだったのですから、結果的にはそれで良かったのです。

 「ハザードマップ」は、複数の破堤箇所ごとの最大浸水深を地点毎に「重合せ」ただけであって、同時に3か所で破堤して氾濫したらどうなるかは、完全に守備範囲外です。「シミュレーション」から「ハザードマップ」を作る時の「重合せ」と、複数箇所の同時破堤(溢水)による氾濫水の合流は、まったく意味が違うのです。その時にどうなるかは、「ハザードマップ」にはもちろん書いてありませんし、元になった「シミュレーション」結果の図面を何枚か並べたとしても到底わかりません。それを知ろうとすると、たとえば3か所での破堤(溢水)を初期条件として入力して、計算をやり直すことになるでしょうが、条件が複雑すぎてうまく計算できないかもしれません。

 

 下に、さきほどの「シミュレーション」のうち、若宮戸付近の破堤(溢水)の場合の1枚と三坂町の破堤の場合、あわせて2枚を再掲します(南北の位置あわせのために、上下にずらしてあります。クリックすると拡大します)。

 

 


 現在のテーマとは別の事柄ですが、左上の25.25kmの「シミュレーション」図の、三坂町付近を拡大してみました。三坂町は(この図ではそこまでは書いてありませんが)新石下とひとつながりの自然堤防 natural levee 地帯であって多少標高が高いのです。そのため、このように他地区で破堤しても浸水しにくい場所だということがわかります。

 (曲田についての記述削除。2019.4)


 

 

 このページの主題に戻ります。左下は若宮戸の25.5km地点が「破堤」(溢水)した場合のそこから約12km離れた水海道市街地への氾濫水の到達予想時間と浸水深です。右下は三坂町の20.25km地点が破堤した場合のそこから約8km離れた水海道市街地への氾濫水の到達予想時間と浸水深です。

 氾濫水量は最大限に見積もってあるはずですが、どちらの場合も水海道市街地はほとんど浸水しないという計算結果になっています。とくに、今回問題になった常総市役所に注目すると、若宮戸の溢水ではまったく浸水せず、三坂町の破堤ではかろうじて50cm未満の範囲(黄)の外縁となっています。

 


 

 今回の水害での実際の浸水範囲は、下のとおりです(国土地理院の地理院地図。reference4 参照)。赤矢印が常総市役所です。

 「ハザードマップ」では、たしかに常総市役所は「1〜2m」浸水することになっていましたが、元データのはずの「シミュレーション」では、左岸11km地点(この地点については、別ページで詳述しました)が破堤した場合に「0.5〜1m」浸水する(黄緑)というのが最大で、他は「0.5m未満」(黄)または、全く浸水しない(非着色)とされていたのです。

 ここにも、三坂新田や沖新田同様「ハザードマップ」と元データのはずの「シミュレーション」との食い違いがあり、話が混乱するばかりでたいへんに困った状況です。やむをえませんので国土交通省からの回答待ちとします。以下、「ハザードマップ」と、根拠のはずの「シミュレーション」との食い違いの件は保留とします。(結局、回答なし)

 

 十分なデータはいまだに公表されていません。そのためここで提示できる地図はありませんが、今回の水害での水海道市街地の浸水は一部では2mを越えています。そして広い範囲が「1〜2m」の浸水地域となり、その周囲を順に「0.5〜1m」、「0.5m未満」の地域が囲んでいるようです。そこでここでは、水海道市街地が概ね「1〜2m」浸水したとみなすことにします。

 今回の水害における実際の浸水域・浸水深は、「シミュレーション」結果との間で大きな食い違いを生じています。 

 

 


 もちろん、このような食い違いは水海道市街地だけではありません。水海道市街地の東方、常総市南東部の広大な水田地帯すなわち新井木(あらいぎ)町・長助町・兵(ひょう)町・箕輪(みのわ)町・大崎町などは、三坂町の20.25km地点が破堤した場合の「シミュレーション」では「2〜5m」浸水するとされていて、まるで予想が的中したかのように見えます。しかし、よく見ると「2〜5m」浸水するとされているのは、広大な水田地帯となっている低平な後背湿地だけであり、その東南側辺縁の小貝川堤防沿いの自然堤防地帯に立地する農業集落の浸水深は「1〜2m」とされています。実際にはこれら自然堤防地域でも、水田の標高に対して1mほど土盛りしてある住宅敷地上で、成人の身長ほどの門柱が完全に水没し、1m近くの基礎・土台上の豪壮な農家住宅で1m以上も床上浸水しているのです(現地の状況のページを参照)。実際の浸水深は「2〜5m」だったのです(左図の「自然堤防」図示は概略です。さきほどの小貝川水害氾濫図を参照ください)

 また、さきに触れたように、平町(へいまち)や十花町同様、今回最も浸水深の深かった三坂新田から沖新田にかけては、十数枚ある「シミュレーション」図では最大でも「1〜2m」なのですが、実際には盛り土上の住宅の天井付近まで浸水しているのです。「1〜2m」どころではなく、「2〜5m」の上限近くに達しています。他にも同様の地点があります。

 


 

(7)予想を遥かにこえる大規模氾濫の同時多発

 

 今回の水害における実際の浸水域・浸水深と、「シミュレーション」結果との間には大きな食い違いが生じているのですが、その理由は、今回の水害が、シミュレーションにあたって設定した初期条件をはるかにこえる大規模氾濫の同時多発であったことにあるのです。

 ひとつひとつでさえおそらく想定を超えていた可能性もあるうえ、それが3つ同時に起きたのです。

 三坂町(左岸21km地点)の氾濫の激烈さは言うまでもないでしょう。

 いまだに氾濫水量は確定していないだけでなく、とりわけ若宮戸の2か所については、その規模の大きさについてもあまり注目されていないのですが、航空写真や地上での写真、動画などを見ても、こちらもきわめて大規模だったことは否定できません。災害発生直後、早とちりの人たちが若宮戸のソーラーパネル地点と三坂町の破堤地点を混同して騒いでいましたが、じつは国土交通省でさえ同様だったのです。

 右は、2015年9月10日20時の記者発表文書中の1ページです。上の「常総市本石下(もといしげ)上空」での「全景写真」は若宮戸すなわち左岸25.35km地点ですが、その「拡大写真」だとされる「常総市古間木〔ふるまぎ、三坂町の対岸〕上空」からの写真は三坂町です。若宮戸の25.35km地点の幅200mにわたる溢水(当初は「越水」と呼称)状況と三坂町の最終的には190mに達したものの当初はもっと狭かった三坂町の破堤状況を取り違えたのです(現在、国土交通省関東地方整備局のウェブサイトにあるのは、のちに間違った写真を差し替えたものです。http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000631431.pdf

 若宮戸の24.75km地点での溢水は、忘れ去られたというより、当初からまったく知られることがなかったのですが、水害後にじつに深さ6mに達する押堀(落堀は誤用)が残されたこと、ソーラーパネル地点に急造した3段積み土嚢による仮堤防の2倍の高さに及ぶ、下部が土で上部に土嚢を3段積みしたハイブリッド構造の仮堤防を設置しなければならなかったことからもわかるように、じつは相当の規模だったのです(別ページ参照)。


 若宮戸からの氾濫「シミュレーション」でも、三坂町からの氾濫「シミュレーション」でも、常総市役所を含む水海道市街地全域の浸水はまったく予想されていなかったのです。実際に起きた水害における浸水地域とのおおきな食い違いが生じた理由は、破堤(溢水)発生地点との距離や地形上のものではありません。まったく予想されていなかった地点での大深度浸水は、ひとえに、氾濫水の総量の違いによってもたらされたものであり、この他には理由はありません

 

 このページのテーマである「ハザードマップ」が事前に今回の水害の浸水区域を予想していたとする見解の当否に関する検討は、以上のとおりです。最初に示した命題(1)は、迂闊な思い込みによる単純な錯誤です。

 当 naturalright.org もしょっちゅう間違っているのであまり偉そうなことは言えないのですが、ここは敢えて、この程度の勘違いをして気づかない「報道機関」や「専門家」たちは、鬼怒川水害について偉そうに論評したり、ましてや、間違っているのは自分の方なのに、“そんなこともわからないのか” とばかりに、被災者住民や常総市役所を小馬鹿にする資格はありません、と言わせていただきます。

 

 

 

(8)「シミュレーション」後日譚

 

 常総市議会の「水害検証特別委員会」についての、2016年3月1日の「茨城新聞」の記事です。

 

 

 鬼怒川水害については、茨城新聞のほか東京新聞と毎日新聞の支局が比較的熱心に取材しているようですが、このところ独自取材はネタ切れになったようで、ときどきこのような集会取材や行事取材による二次的情報だけが記事になる状況になっています。

 この記事なども、国土交通省関東地方整備局下館河川事務所と常総市役所の主張が食い違い、双方が責任逃れのためにあれこれ言い訳をして「水かけ論」になっているというお寒い印象を与えるだけのものになっています。しかし、すくなくともこれまでの発表と突き合わせてみるべきだったのです。

 下は、2015年9月17日の国土交通省関東地方整備局による記者発表文書です(http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/river_00000182.html)。9月9日夜から11日朝にかけて、下館河川事務所から常総市役所にどのように情報提供をおこなったかについて一覧する資料です。

 

 記者発表資料は、9月9日から11日までの 「水防警報」、「はん濫警戒情報」、「はん濫危険情報」、「はん濫危険情報」のほか、「ホットライン」と称する電話連絡のすべてを網羅していたはずなのですが、そこには10日午後0時50分の「メール」(当然、電子メールのことでしょう)は入っていません。「メール」は別だというのかもしれませんが、それは少々不自然な話です。それに、伊藤所長が「三坂町の越水後に」送信したと言っているのに、実際に送信したのは 「決壊した10日午後0時50分の後となる同1時13分」だというのも、おかしな話です。国土交通省の職員が現認し写真撮影したのが11時10分、下館河川事務所が連絡を受けて越水を知ったのは11時20分から30分ころだとおもわれます(別ページ参照)。上のグラフ下の表の11時42分の「ホットライン」はその結果です。それなのに、「氾濫シミュレーション」を送信したのが、それから1時間半後の午後1時過ぎだというのはおかしな話です。少なくとも新聞社としては、会合後にそのあたりのことを伊藤所長か隣の銭谷副所長らしき人に確かめるべきでしょう。もちろん聞かれた本人たちは(具体的なことは何も知らないようですから)その場では答えられないでしょうが、帰庁後(相手が新聞であれば)その日のうちには電話連絡があり、回答を得られたはずです。

 しかしそれをいうなら、こういうことは傍聴している新聞記者の仕事ではなく、そもそも「検証特別委員会」の委員らが即座にその場で聞くべきことだったのです。何もわからず?ただ聞いていただけなのかもしれません。この「通報」問題は、水害発生直後から騒がれていて、国土交通省が上のように異例の文書まで公表していた問題なのですから、突然出てきた瑣末な問題というわけではありません。これで市会議員らは重要な事実関係について何も知らないということが露呈してしまいました。具体的なことを把握していない国土交通省のお偉方が証言し、これまた不勉強な議員先生たちが具体性のない話を聞きながし、(責任追及には興味があるが)事実関係を追求する気のない報道企業の従業員記者が記事を書く、こんなことで本当に「常総市の初動対応を検証」できるのかどうか、まことに心許ない状態です。

 

 しかし、ほんとうに重大な問題はその先、というより手前にあるのです。市会議員や新聞記者は、送ったのに受け取っていないと言っている、そんな瑣末なことに気を取られるのではなく(たいして気をとられてもいないようですが)、その「氾濫シミュレーション」が、どういうものだったのかを、確かめてみるべきなのです。

 下は、9月10日の関東地方整備局河川部と下館河川事務所の連名による記者発表文書です。伊藤所長が常総市役所に電子メールの添付ファイルで送ったと言っているのは、たぶんこの右下の地図でしょう。

 

 


 

 これはまさに、このページで何回も引用したシミュレーション結果の地図 「氾濫発生情報図 鬼怒川 左岸 20.25K」です。そこに手書きで「決壊」の文字と赤いバツ印、そして下部におなじく赤サインペンで「※左岸20.25Kが欠壊した場合のシミュレーション」と書き込んだものです。表紙のとおり、破堤箇所である「三坂町」をすぐ近くの「新石下(しんいしげ)」飛び地と勘違いしているのに、翌日まで誰も気づかないという、当日の大混乱がよくわかる文書です。

 検証委員会当日その場で、伊藤所長が現物を示して陳述したのかどうかわかりません。常総市役所は受け取っていないというのですから、市議会側から提示するはずはありません。伊藤所長は現物のコピーを配るなり、スライド上映するなりすればよかったのです。そうすれば、モノがある分だけ「送った」と言っている自分の言い分に説得力が付け加わったはずです。

 

 そして、その地図では、常総市役所は、浸水したとしても最大限に見積もって50cm未満、しかもそれは破堤から24時間後つまり9月11日の正午過ぎだと示されているわけです。この9月10日午後1時過ぎの時点では、国土交通省関東地方整備局下館河川事務所においても、それから8時間足らずで災害対策本部の置かれた常総市役所が1m以上も浸水し、機能を停止するであろうことを予期していなかったことを示すことになったに違いありません。