原子力安全幻想

 核兵器技術の民間転用としての原子力発電は、日米軍事体制のもとにある日本国家の根幹にかかわるものであり、立法・行政・司法の全機関によって守護されるだけでなく、報道企業・研究従事者団による弁護体制によっても支えられるのですが、その本態は重大事故・災害発生後にその全貌をあらわすのです。それらの機関は、災害を引き起こしたことによって意気消沈するのではなく、かえって意気揚々とみずからの存在意義をかけた諸活動に邁進するのです。

 しかし、原子力災害は人類の生存を根底からくつがえすものであり、それは原子力の推進者・擁護者自身といえども例外ではありません。原発推進・擁護勢力は、自己をふくむ全人類社会を根源的に解体させようとする存在であり、その自己矛盾、際限のない自己欺瞞は、かれらの繰り出す数々の言説の愚かさとしてあらわれているのです。

 放射性物質は直線的に飛来すると思っていたり、県境をこえると汚染の度合いが低下すると思っていたり、端的には、福島だけが被災地だと思っていたりする、児戯にもひとしい蒙昧のさなかにいて、偉そうなことをいう人もたくさんいますが、本ウェブサイトでは、行政機関・専門機関・専門家の繰り出す、特徴的な言説について検討します。

 すなわち、事故後には、平常時の放射線規制値は適用されないとか、放射線規制値は原発敷地境界線上の値であり、国土一般については規制値がないとか、原爆被爆研究により100ミリシーベルトまでは影響がないことがわかっているとかの、業界人たち固有の謬論をみてゆきます。

 情報公開制度によって入手した、事故直後の文科省(科学技術庁の後継機関)と原子力安全委員会のやりとりは、おそらく他では言及されたことはない情報だと思います(7ページめ)。