「常総市役所の危機管理の在り方」を非難する論調

9, Oct., 2015

 9月10日の水害発生から3週間あまり経過した2015年10月4日の、茨城県の地方紙である「茨城新聞」の記事です。

 

 

 常総市役所の情けない体たらくをあますところなく非難する手厳しい記事なのですが、あれも悪いこれも悪いと全部書こうとするためか、いささか論旨が混乱しているので、とりあえず論点を整理整頓してみます。

 

⑴ 9月10日の三坂町(左岸21.0km地点での決壊に先立つ「避難指示の発令の遅れ」ならびに「安否不明者の発表をめぐる県や県警との行き違い」などが、すでに指摘されている。

⑵ 常総市役所はみずから作成したハザードマップで市役所周辺の浸水を予想していたにもかかわらず、昨年11月に改築したばかりの庁舎の1階に「電源設備」を設置し、さらに1階屋外に「非常用〔電源〕設備」を設置した。そのため浸水により通常電源と非常用電源まで喪失してしまった。

⑶ 浸水により「孤立」することがわかっているはずの市役所に住民を避難させた。そのため、避難してきた住民が「うつむい」たり「顔をこわばらせ」ることになった。

⑷ 「古くからの住民はこの辺が低い土地と知っていて、高台に車を避難させていた」くらいなのに、肝心の市役所が対策を怠り、「復旧や復興に向けた対策・対応の中心となるはずの市庁舎」の機能が損なわれた。

⑸ 結論として、「市の危機管理の在り方が問われる格好となった」。

 

 ⑴はすでに前提的事実として確定しているということのようです。このうち、後者の「安否不明者」の件は、当ウェブサイトでは具体的に検討していませんが、基本的には茨城県庁(とりわけ担当局長と知事の二人の対応上の瑕疵であり、茨城県警察本部と常総市役所の問題ではないように思われます。常総市役所が「安否不明者」の氏名を公表しなかったことが問題だというのはそれとは別の事柄であり、いちがいに失当だと断定することはできないものです。それらの件について全部まぜこぜにして、あたかも確定した前提的事実とみなして非難するのは、新聞としての慎重さにかけるといわざるをえません。

 

 ⑵のうち、通常電源については、市役所の受電設備だけ生きていたとしても、周辺一帯で浸水による停電が起きればけっきょく通電しないのですから、主張としてはあまり意味がありません。非常用電源については、たしかにそのとおりかもしれません。しかしながら、なんとか電気だけ確保できたとしても、電話は不通であり上下水道も使えません。飲料水は備蓄しておけますが、浸水時の下水の問題は事実上解決不可能です。その場合に「茨城新聞」は、電気だけ確保しても上下水道が使えないのは「危機管理」が不十分なためだといって非難することになるでしょう。仮に、上下水道の問題がクリアしたとして、こんどは「孤立」はどうするかが問題になります。際限がありません。「茨城新聞」の論調に従うと結局のところ、根本的解決をはかるためには市役所を移転するしかありません。それについては最後に検討します。

 

 ⑶については、⑵に関連して見たこと以外にも、「茨城新聞」は、「孤立」するような場所に避難者を受け入れたことが問題だと言っているようです。しかし、そのように非難するのは容易ですが、常総市は、鬼怒川と小貝川の間の地域のほぼ全域、鬼怒川の右岸(西岸)もかなり広い地域が浸水する可能性があるのです。「洪水ハザートマップ」にも書いてありますが、常総市の「避難所」はその過半が浸水時に「孤立」することがあらかじめわかっています。そんなところを「避難所」にするとはなんと愚かなことかと言う人は、常総市の地図を一度も見たことがない人なのです。「避難所」は、至近距離でなければならないわけで、まずは徒歩で到達できる場所でなければなりません。自家用車で移動することを前提にした議論は、このあと⑷に関連して検討しますが、成り立つ余地がありません。

 

 ⑷の「●車を高台に」の段落は、その趣旨がよくわかりませんが、古くからの住民でさえ市役所の水没はわかっていたのに肝心の市役所がそのことを忘れていたのは「危機管理」の問題だと言いたいのでしょうか。それにしては話が迂遠です。車の問題にこだわるのであれば、記者は、この人だけでなく、「高台に車を避難させていた」人、そしてとりわけ「高台に車を避難させ」ようとしたができなかった人からも取材するべきでした。そうなれば別の問題があきらかになったはずなのです。当ウェブサイトとしては、直接「取材」することもできないので、公表されている資料によってこの問題を考えてみようと思います。

 一帯に居住する「古くからの住民」は相当数にのぼり、その所有する自家用車は膨大な数でしょうが、無事車を避難させた人は意外なほど少ないのです。国土地理院が公開している浸水翌日の写真を見てみます。



http://saigai.gsi.go.jp/1/H27_0910ame/naname/3/qv/GSI_0944-qv.JPG

国土地理院が飛行機から撮影したもの。日時は右下に薄く見える通り、9月11日12時38分です。写真の検索方法については別ページを参照ください。

 

 画面左中段が「高台にある高校」すなわち茨城県立水海道第一高校で、その南が常総市立水海道小学校です(「水海道〔みつかいどう〕」は若宮戸のある旧石下〔いしげ〕町との合併前の市の名前でした)。どちらのグランドも氾濫水と同じような色に見えますが、浸水したのではなく土の色です。小学校のグランドには20台ほどの自家用車が見えます。

 画面左上はすでに水位の下がった鬼怒川です。緑色の豊水橋(ほうすいきょう〔昔の地名の豊岡と水海道から一字ずつとって音読み〕)の直前で、すこし曲がって鬼怒川に注ぐのが八間堀川です。白い大きな建物が排水機場です。画面左下から右上へ斜めに通るのが水没した関東鉄道常総線ですが、線路をまたぐ道路に、乗用車が20数台見えます。通行中に行き場を失ったのではなく、自家用車を避難したものに違いありません。右上に浸水した常総市役所が見えます。中央上に茨城県立水海道第二高校が見えます。

(なお、この旧水海道市街地一帯は、鬼怒川への排水ポンプの停止により氾濫した八間堀川の水で浸水したという風説が流されています。別項目の「八間堀川問題」で検討しました。)

 

  次は、水海道第一高校と市役所周辺の写真です。

 

http://gsi-cyberjapan.github.io/cmp/?rl=ort&ll=20150911dol2&ovl=experimental_anno&lng=139.96672&lat=36.09894&z=16&lattr=常総地区(2015年9月11日午後撮影%29&rattr=電子国土基本図(オルソ画像)#16/36.0182/139.9972 国土地理院が飛行機から撮影したもの。

 

左が9月11日です。右は水害以前のそれぞれ同じ場所ですが、水海道第一高校は本館改築前でテニスコートと位置が入れ替わっています。常総市役所は同じく改築前でまったく建物の配置が異なります。おそらく5年以上前のものでしょう。

 


 

 「高台にある高校」には、避難してきた自家用車がぎっしり置かれているに違いないと思ったのですが、せいぜい百数十台で、グランドには一台もありません。南隣りの常総市立水海道小学校ではグランドに車を入れた人もいるようですが、それでも校舎周辺とあわせても100台ほどでしょう。近隣にも多少の車は見えますし、関東鉄道常総線の線路をまたぐ道路上には20数台の車が見えますが、どこも停めようと思えばまだまだ駐車可能だったわけです。

 無事「避難」できたのは、常総市中心市街である旧水海道中心地区の数千台あると思われる自家用車のごく一部です。NHKによる場所も日時もよくわからないインタビューによれば、この「高台の高校」をめざしたものの道路が渋滞して到達できなかった人もいるようです。今後調べてみないと実情はよくわからないのですが、「茨城新聞」の書きぶりは、自家用車避難させることに妙にこだわることで、かえって自家用車による避難の難しさという、より重大な論点を見失っているのです。

 先にみたように、NHKなどの多くのテレビ局は、常総市役所が当初鬼怒川西岸への避難を呼びかけたことを非難し、小貝川左岸(東岸)のつくば市役所など他自治体との連携をあらかじめとるべきだったとか、いろいろありがたいご助言をしているようですが、至近距離であってもこのように自家用車による避難は難しいのです。まして数少ない橋(小貝川東岸へは5本、鬼怒川西岸へは6本)と、一本しかないうえ氾濫時には浸水する国道(294号線=上の鳥瞰写真の画面右下のカーブしている4車線道路)以外に脱出ルートがないのですから、二つの川にはさまれた地域からの脱出はきわめて困難です。自家用車による避難は、たとえば人口の少ない漁村などで津波からの緊急避難のような(津波の到達時間が極端に短い)場合に必要とされることもあるでしょうが、常総市からの避難では、実際そうであったように激しい渋滞が起きるだけで、手法としては実行不可能だと思われます。

 

 最後に検討することにした、「復旧や復興に向けた対策・対応の中心となるはずの市庁舎」の機能の維持という点ですが、「茨城新聞」の論理で行くと解決方法は市役所の移転しかありません。まさか市外に置くわけにはいかないでしょうし(そもそも近隣に適当な場所があるとも思えません)、唯一残された手は、茨城県立水海道第一高等学校を他に移転させたうえで、その跡地に常総市役所を移すことです。例の「高台にある高校」です。鬼怒川の河道によって切断されていますが、ここは北西方向から続く洪積台地の南東端にあたり、常総市の鬼怒川以東唯一の「高台」なのです。この「高台」の上にさらにコンクリートの擁壁を垂直に立ち上げ、そこに自家発電、巨大な水槽と汚水用浄化槽、大量の食料を備蓄する建築群を配した上で、ヘリポートを備えた常総市役所の堅固な庁舎を建立するのです。「復旧や復興に向けた対策・対応の中心となるはずの市庁舎」、神殿のごとき常総市庁舎完成です!

 こうなると、2011年9月11日の震災で付近一帯が停電・断水するなか、大量の飲料水・食糧を備蓄し自家発電によって煌々と輝く県内最高層(116m)の県庁舎に陣取ったうえで、避難してきた周辺の住民に向かって「ここは避難所ではありません」と言い放った「茨城県庁」と同じ構図ができあがることになります。当ウェブサイトとしては、茨城県庁が必ずしも「復旧や復興に向けた対策・対応の中心」となったわけではないこと、とりわけ災害対策本部の会議を一貫する長閑で他人事のような姿勢をもあらためて想起します。

 

 

アテネのアクロポリス(「城砦」)上のパルテノン神殿

 

 「茨城新聞」の記事には、そもそも堤防決壊の実態、とりわけそれが不可避の自然災害であったのか否かという、根本的問題への顧慮がいっさい感じられないのです。この記事はそのことがテーマではなく、あくまで市役所の「危機意識」をテーマにしているのだというのかも知れませんが、仮にそうだとしても、事柄の本質を踏まえずに最初から思い込んだ方向でしか取材報道しないというところに、さきに見たNHKの取材手法と同様の問題性があるのです

 この記事を書いた記者は、おそらく三坂町での決壊後の市役所の様子を取材するために、9月10日の夕方、急遽、常総市役所の庁舎にはいったのでしょう。そして、予期せぬ浸水によって庁舎を出られなくなり、そのまま水の引いた12日の朝までそこに足止めされたのでしょう。当初は避難者を取材する記者だったのですが、結局は自分自身が「避難者」になってしまったのです。

 彼女自身は、まさか市役所が浸水するとは思わなかったに違いありません。「『まさか市役所が孤立するなんて。どこに逃げたらいいのか』とうつむいた」り、あるいは「『暗闇の中、水の流れ込む音で眠れなかった。水が迫ってくる恐怖を感じた』と顔をこわばらせた」のは、実は記者自身だったのでしょう。「車を高台に」避難させることに不釣合いにこだわったのは、おそらく自分が乗ってきた自家用車が市役所の駐車場で水没するのを目の当たりにしていたからでしょう。車を失い、ほうほうの体で水戸市に逃げ戻ったあとではじめて「洪水ハザードマップ」を見て、常総市役所庁舎の浸水が予想されていたことに気づいたに違いありません。

 常総市役所の「危機管理の在り方が問われる」、と大見得を切ったのはたいそう見上げたものですが、そういう「茨城新聞」自身が、それでなくても空前の大災害で困難を極める常総市役所に、従業員が勝手に押しかけて二晩もお世話になってしまったことについて、報道企業としての「危機管理の在り方が問われる」ことに、すこしは思いをいたすべきなのです。