鬼怒川三坂堤防の特異性と崩壊原因

 

7 堤内地における陥没

 

Nov, 26, 2020( ver. 1. )

 

 本項目《鬼怒川三坂堤防の特異性と崩壊原因》は、これまでの6ページで、単純な越水破堤論の誤謬とその原因をあきらかにしたうえで、堤体地盤からの浸透による堤体の剥離崩壊現象、ならびに堤内地における盤割れ、噴水現象、そして深穴の形成について具体的に検討してきました。

 鬼怒川水害のうち三坂における現象について、従来のほとんどすべての分析は、2015年9月10日に河川水位が堤防天端高を上回ったことで越水が起き、それが原因となって破堤したというもので、堤内地の崩壊現象についてはそれらすべてが落堀であるとみなすものでした。こうした通説に与しない見解は2例ありますが、いずれも関西圏の人によるきわめて短いもので全面的分析ではありません。地元である関東地方の各機関、すなわち国土交通省関東地方整備局の鬼怒川堤防調査委員会をはじめ、土木学会その他の、土木・河川工学・水理水文学等の「専門家」やその団体による説明たるや、破堤と決壊を混同したうえ、押堀を落堀と呼び違えただけでなく、越水していたにもかかわらず破堤しなかった30m区間(B区間)について的外れの説明をしたうえ、最初に破堤したのは堤高がもっとも低いためにもっとも激しく越水していた区間(E区間)ではなく別の区間(F区間)であったことは無視し、さらに越水によって起きるはずの堤内側法尻の洗掘がおきていないことを看過したうえで、それとは矛盾する単純な図式に当て嵌めるなど、杜撰かつ間違いだらけのものなのです。

 昼間の災害だったこともあり、至近距離からの静止画像以外に対岸および堤内の至近距離からのVTRもあるうえ、数多くの航空写真など類例のないほど多数の映像資料が残されているのに、ほとんどの「専門家」がそれらを漠然と眺めるだけで、当然読み取れる事実にまったく気づかないのです。大学や専門機関に所属して職務としてとりくむことのできる環境にありながら、通り一遍の見物行だけで、素人の感想文のような報告書を公表しています。

 鬼怒川水害の場合、これに若宮戸の2箇所における溢水についての根本的無理解と、八間堀川の破堤に関するとんでもない勘違いが重なり、若宮戸の溢水と三坂の破堤が防ぎ得たものだったことがまったく認識されないうちに、はやくも5年の月日が経過してしまいました。この5年間にも日本中で水害が続発したのですが、鬼怒川水害はそのなかでももっとも本筋が見失われた水害になってしまったのです。

 ほかの水害事例が単純だとは決して言いませんが、三坂の破堤区間の状況はとりわけ複雑な様相を呈していたのです。ところが真の破堤原因ではなく付随的現象にすぎない越水現象の一面的な過大評価と、押堀ではないものを押堀(誤称「落堀」)だとする思い込みに最初から囚われてしまったことで、本当の破堤原因がまったく明らかにされないままなのです。このページでは、まだ指摘していない堤内地における陥没現象を検討することにします。次ページでこれらの浸透・盤割れ・陥没現象について全体的なメカニズムの概要を提示した上で、浸透・盤割れ・陥没の原因が水害前々年から前年にかけての国交省による高水敷掘削であることを示します。

 

 

(i) 県道357号線の崩壊と隣接家屋の傾斜

 

 これまでは、主として破堤区間のうち上流側半分に注目し、下流側半分すなわちG区間とその堤内側については、前ページでガソリンスタンドとその周囲について注目しただけでした。ここで、そのG区間よりさらに下流側の堤内の状況にはじめて着目することにします。

 これは国土地理院が2015年9月13日午前に、三坂(みさか)を撮影した航空写真です(CKT201510-C4-14 トリミング・露出補正してあります)。その次は、破堤点付近を拡大したものです。

 

 これに、堤防の区間区分(決壊した195m =黄矢印のうち、破堤したのはB区間を除く165m、ただし最初に破堤したF区間=橙矢印)、河川区域境界線(おおむね堤防の堤内側法尻=橙実線)、2013-14年に国交省による採砂によって形成された高水敷の段付き(崖上=緑実線、崖下=緑破線)、堤防におきた変状(C区間・E区間の法面崩壊=白、堤体基礎地盤の深穴=薄橙)などを記入したものです。

 仮設堤防建造工事がはじまっていて、上流側(鹿島〔かじま〕建設=左側)と下流側(大成〔たいせい〕建設)が入れた土砂が黒く見えています。プチプチは基盤として置くために仮置きされたテトラポッドです。

 高水敷段付きの高低差は4mです。水害から3日たって、水位はだいぶ下がっていますが、段付きの下面はまだ冠水したままです。そこに水害後にできた開口(崖面の崩壊)が見えます。ただし開口2は9月12日にはまだなかったようで、この頃ができはじめです。(開口4は数年後にできるものです。)

 このページでまず注目するのは、寸断された県道357号線の東側(画面上)にあった住宅11および住宅12と住宅14、ならびにその地点の路面です。

 

 これは、水害から1か月半後の2015年10月27日に撮影した住宅12です。県道側すなわち河道側に大きく傾いています。その左側の青い屋根は隣家の住宅11の敷地にあった物置兼車庫の残骸です。

 県道357号線の仮復旧路の建設途上で、住宅12の前に直接行くことはできない状況でした。

 防災科学技術研究所(茨城県つくば市)は、三坂については、氾濫翌日には寸断された県道357号線の南側(あぐりロードの常総きぬ大橋方向)からアクセスして撮影し、翌12日には今度は寸断された北側(新石下方向)からアクセスして撮影しています(防災科研の写真についてはReference4参照)。以下は11日撮影です。

 県道357号線を南側からみたところです。右から順に、住宅15、14、13、12です。カメラまで傾いていますが、傾いている住宅は、住宅12と住宅14です。

 以下の3枚は、北側(上流方向)に大きく傾いた住宅14です。県道との間の地面、および北隣の住宅13との間の地面のうち住宅14側の地面が画面奥(東)までなくなっています。茶濁の水溜りのせいでこの深穴の深さはまったくわかりません。


 以下の2枚は、県道357号線側(西側=河道側)に大きく傾いた住宅12です。つまり、破堤した堤防側に向けて倒れ込んでいるのです。

 道路側の1階窓下の外壁モルタルが剥離し下地の板が見えていますが、大きく損傷しているというわけではありません。

 住宅12前で県道のアスファルト舗装板がいくつかに割れ、真下に落下しています。水位が高かった時の泥が残っています。氾濫流によって流され住宅12に激突してはいないのです。4浸透による堤内地盤崩壊で見た住宅2の外壁と窓が、堤防との間にあった車庫の床コンクリート板が割れて剥離して突っ込んできて、ひどく損傷していたのとは、全く異なった状況です。

 氾濫流が道路の基礎地盤を抉り、アスファル舗装板の下を潜って住宅12側に抜けた、というのでもなさそうです。

 道路と住宅12にかけての地盤がそっくり無くなったことで、アスファルト舗装板は割れて落ち込み、住宅12は道路側の地盤がなくなって落ち込み大きく傾いた、という状況です。

 

 

(ii) 県道崩壊と家屋傾斜はいつ起きたのか?

 

 このような崩壊・傾斜は、どのようにして起きたのでしょうか。まず、いつ起きたか(逆にいうと、どの時点までには起きていなかったのか)を探ります。

 以下、氾濫当日の写真を見ます。住宅12が写っている地上写真は(篠山水門のCCTV以外は)存在しません。まずヘリコプターとUAV(ドローン)による航空写真を見てみます。

 

 これは水害直後に関東地方整備局がウェブサイトで公表していたもので(_W9R7746)、撮影時刻は15時58分、下流側の破堤断面はG区間上流部の堤体の拡幅部あたり(白丸)です。

 ガソリンスタンドの倉庫と堤防との間はわずかに氾濫流が通り抜けているだけです。住宅11から15にかけて(黄四角)は氾濫流の直撃を受けていません。完全に破壊される住宅11の3つの建物は浸水はしていますが、まだ元のところにあります。

 別件ですが、河道を流れてゆく不思議な物体(緑丸)は一体何でしょうか? 巨大です。

 防災科学技術研究所による航空写真です(20150910-164208-nied)。ファイル名のとおり、16時42分08秒の撮影ですから、上の国交省の写真から、44分経過しています。

 破堤区間を拡大すると、だいぶ画像が荒れます。白丸のとおり、下流側への破堤が進行し、G区間の拡幅部はすでに全部なくなり、ガソリンスタンドの下流側からも激しく流入する段階です。青屋根の住宅11はまだあります。住宅12と14はまだ傾いてはいないようです。

 おなじく防災科学技術研究所の航空写真です(20150910-164231-nied)。ファイル名のとおり、33秒後です。

 

 トリミングした問題の地点です。33秒前より、ヘリコプターが接近して撮影したため(ズームレンズの焦点距離はいずれも70mm)、波浪や建物がはるかに鮮明に映っています。ガソリンスタンド倉庫と下流側破堤断面との間から、激しく流入している様子がよくわかります(白矢印)。

 住宅11がまだ破壊されず、住宅12と14がまだ傾いていない様子もはっきり映っています。住宅11の県道側のブロック塀はまだかなり水面上に出ています。

 ひきつづき防災科研の航空写真です(20150910-165226-nied)。10分後の16時52分26秒です。

 ガソリンスタンド前から下流側の県道357号線は流失せず残りましたが、上流側、ヘリコプター下の2本の電柱から住宅10手前あたりまで(白両矢印)は、アスファルト舗装面だけでなく、路盤(基礎地盤。ただし、面している住宅地・耕地・空き地より高かったわけではありません)まで流失することになります。この時点でどの程度まで洗掘が進んでいるかは直接は見えないものの、電柱がすでに傾いていますから、かなり進行しているようです。

 というのも、堤防と県道、住宅2と住宅8、ガソリンスタンドに囲まれた範囲の住宅と樹木は、全部がすでに流されてしまっていたのですが、道路のアスファルト舗装面に引っかかっている物体が一切ないようですから、この時点で道路地盤もすでに流失してしまっているように思われます。

 電柱は全長の6分の1、つまり2mほどしか埋まっていないので、地盤が洗掘されると完全に倒れてしまいます。しかし、架線は切れていないのでそれで支えられたことで、かろうじて残ったようです(右は防災科研による9月11日の20150911-115509-nied)。

 下は、16時52分の写真の住宅11から15あたりです。解像度が低いので不明瞭ですが、住宅11はまだ流されていません。住宅12と住宅14はまだ傾いていないように見えます。

 ガソリンスタンド前から下流側の県道は流失せず、残ることになります。

 航空写真の最後は、国土地理院がUAV(ドローン)で撮影したものです。この動画は YouTube に国土地理院が公開しています。しかし、どういうわけか現在は解像度を画素数にして100分の1に落としています。以前に公開されていたものは、驚くほど鮮明な画像です(前ページで見た、関東地方整備局が撮影したUAV画像もきわめて鮮明でした。超低空からつまり至近距離から撮影していることと、今時の高性能カメラを搭載していることによるようです)。

 撮影時刻は不明ですが、上の防災科研の16時52分の写真と比べると、破堤区間が下流側に20m近く拡大しているように見えます。日没時刻の17時56分(https://keisan.casio.jp/exec/system/1236677229)の少し前のようです。水位は最高時の12時30分ころより1m以上下がっています(見えているG区間の堤防はまったく越水しませんでしたから、最高水位の時にも法面上部は見えていました。そこから1m以上低下したように見えます)。これ以降、翌9月11日の7時過ぎに氾濫が終わるまで、徐々に水位は低下しますが、破堤幅は下流側にあと20mくらい広がることになります。

 問題の地点の氾濫水の水深を推測します。水害前の2012年11月撮影のグーグルのストリートビュー写真です。画面左が住宅11の建物で、その敷地奥、画面右奥にある青屋根が物置兼車庫です。簡易な作りのため真っ先に壊れたようです。

 画面左、青瓦の住宅11は、翌日までには完全に流失するのですが、この時点では浸水はしたものの破壊は始まっていないようです。

 住宅11の県道側には高さ170cmほどのブロック塀(おおむね20cmの基礎、ブロック7段で140cm、笠木約8cm)があります。さきほどの16時42分の写真では、半分以上水面から出ていたようにみえるのですが、おそらく30分以上経過したこの写真では氾濫水位が上がり、ブロック塀の天端が水面上にすこし見えているだけです。

 氾濫水の水位は150cm前後あるようです。河道の水位は徐々に下がりつつあるのですが、G区間の下流側への破堤が進行して氾濫水の流入が激化したため、この地点での氾濫水の水位は逆に高くなっているのです。

 住宅12と住宅14は、まだ傾いていません。

 次は、対岸にある支流・将門(しょうもん)川の篠山(しのやま)水門のCCTV映像です(公開されていないものを情報開示請求により入手)。18時から19時にかけての動画から4コマを切り出したものです。

 カメラ位置は固定されているので(水門の上流側螺旋階段頭頂部)、対象物の位置をかなり正確に特定できます。対象物および、それと篠山水門CCTVとを結んだ線は次のとおりです。

 上流側(左側)から順に、

◯ 破壊されて110m流された住宅11の青い屋根(紺線)

◯ 住宅11のもとの場所(青線)

◯ 住宅12(黄線)

 目印になるのは、

◯ 県道沿いの電柱4本(緑、白、黄、赤)

住宅11は黄電柱の右、住宅12は赤電柱の左に見えます。住宅11の流された屋根が見えるとすれば緑電柱と白電柱の間ですが、まだ、このCCTV画像では映っていないようです。

 日没直後の18時04分です。さきほどのUAV画像から50分くらいあとです。破堤からすでに5時間以上経過しています。

 このカットはかなり鮮明です。住宅11はまだ流されていません。住宅11の県道側のブロック塀は識別できません。UAV画像とは俯角が異なるので直接比較することはできませんから、氾濫水の水位が上がって見えなくなったのか倒壊したのかは、はっきりしません。

 住宅12は傾いていません。

 このあと、ワイド側にズーミングしたのですが、いずれもピントが合っていません。越水を知った11時30分ころから12時52分まで静止画の録画保存を怠り、動画に至っては13時23分以降のものしか残さなかったこととあわせ、大事な場面でピンボケ写真しか撮らないのが、下館河川事務所の業務遂行の実状なのです。

 日没後の光量低下もあって解像度が極度に悪いものを、さらにトリミングしたのでだいぶ画像が荒れていますが、かろうじて状況を読み取ることができます。

 18時12分です。住宅11の青い屋根が見えます。建物はまだ破壊されていないようです。黄電柱の向こう側、住宅11敷地の樹木もまだあります。住宅12も傾いていません。

 18時59分05秒です。日没から1時間以上経過し、遠景のつくば市・つくばみらい市の洪積台地上の建物に照明がともっています。

 ピンボケのうえ暗くなって画像がきわめて悪いのですが、住宅11の青い屋根が見えなくなったこと、黄電柱の向こう側、住宅11敷地の樹木が流され始めたこと、そして住宅12が傾いていないことも、かろうじてわかります。

 この05秒のカットのすぐ下に、その50秒後つまり18時59分55秒のカットを並べます。右のサムネイルのコバルト丸の住宅11地点で、変化があったようです。これまでの写真を含め住宅12の建物を基準にして位置・形状を見ると、黄電柱のすぐ右はブロック塀ではなく住宅11の建物のうち、県道に面した面の一部だったようですが、それがこの50秒の間に流されたようです。動画で何十コマもあるものを克明に比較できますから、間違いのない事実です。

 しかし住宅12はまだ傾いていないようです。住宅11は分解して流されていったのに、住宅12はその場に残っています。住宅11は氾濫水の直撃を受けるいっぽう、住宅12はもちろん浸水はしているでしょうけれども、激しい流れの直撃は受けていないのです。

 

 このあと、翌朝までの写真はありません。篠山水門のCCTVカメラはB区間での仮復旧工事などのアップばかり漫然と撮影するようになります。暗闇になったこともあり、住宅11や住宅12のあたりはまったく映っていません。

 氾濫がいつまで続いたのかの発表すらありません。常田賢一教授は9月10日22時だと言うのですが、根拠は示していません。実際には、翌11日の早朝、7時08分の写真の画面左下でごくわずかながらも流入は続いています。(「鬼怒川堤防調査委員会」の第2回会合の際の配布文書、27ページ。下流側破堤断面から、正面のブルーシートはB区間決壊断面)。

 11日の10時ころになると氾濫は終わっています。そのころになると各機関のヘリコプターが飛来して多数の写真を残しています。

 グーグル・クライシス・レスポンス(Reference4B参照)は9月11日と12日に撮影した写真を、今も公開しています。そこからの2枚です。

 右は9月11日11時21分のものです(DSC02789)。下にトリミングしました。国交省・国土地理院はじめあらゆる機関が、プロ用の高級機を使っていながら公表にあたって解像度を極端に落としているのに対し、グーグルは6000pixel×4000pixelのまま公表しています。

 画面上方の散在している青屋根が住宅11です。もとあった場所にはブロック塀基礎の残骸だけが残り、敷地は深穴になっています。茶濁の水溜りで底は見えません。

 隣の住宅12の斜め左上に物置兼車庫の屋根(青)が残っています。その住宅12はというと、すぐ隣の住宅11が完全に破壊されて110mも流されたのですが、倒れ込んだだけで、破壊されてはいません。そして道路と住宅12の道路側の地盤は、さきに見たように完全に失われて、アスファルト板と住宅がそこに落ちこんだのです。

 路面の落ち込みはもう1箇所あります。東(画面上方)へ伸びる道路との丁字路近くの県道357号線の路面が、両側とも損傷しています。河道側の側溝が落ち込んでいるのが見えます。

 

 翌9月12日9時01分撮影です(GCR01495)。(押堀とされる)水溜りの水位はほとんど下がっていません。

 住宅12は、大きく傾いてはいますが、北側(手前側)のモルタル壁が剥離している程度で原形をとどめています。隣家の住宅11が、正面から氾濫流が突進して来たことでバラバラに破壊され、110mも流されてしまったのとは、大違いです。住宅12には、激流が正面からあたってはいないことは明らかです。住宅11の物置兼車庫も同様に激流を正面から受けなかったことで、壊れて倒れ込んだものの、流されずにその場に残っています。

 

 

(iii)押堀と陥没穴の差異 

 

 住宅11と住宅12とは隣同士なのに、まったく違った結果になっているのです。氾濫流の直撃をうけた範囲と、氾濫流の直撃をうけてはいないが顕著な深穴が見られる範囲とがあるのです。

 

 ところが、従来のすべての分析が、これまで指摘した諸事実にはまるで無頓着で、何を見ても氾濫流によって家が流されたとか、決壊によってできた落堀(押堀の誤称)だ、とか単純なことしか言わないのです。

 

線状降水帯 > 水位上昇 > 越水 > 決壊(破堤のこと)> 落堀(押堀のこと)の形成と家屋の流失

 

 「専門家」と称する人たちの頭の中には、この程度の単純な図式があらかじめ出来上がっているようで、現地調査はおざなり、写真などはろくに見もしないで、素人同然の報告書を書いてそのまま発表してしまうのです。災害直後の現地調査や取材は、まさに専門家と報道機関の特権なのであって、素人は立ち入ることはできないのです(無理に行けばただの野次馬です)。専門家と報道機関に対しては関東地方整備局がいくらでも資料提供の便宜をはかってくれるようですが、素人は資料の入手以前に、どのような資料があるのかすらわからないのです。基本的な資料の閲覧や開示請求も手間ばかりかかって思うようにいきません(探しもしないで「ない」と言われたり、あるものの複写も許さないなどなど)。特権的立場にいる人たちはその地位に胡座をかいて、2、3時間かせいぜい1泊2日程度の物見遊山のあとで、あらかじめ判っている結論ばかり書いてしまうのです。たまに独自の見解を書くことになると、とても研究者のやることとは思えないような迂闊な謬論を麗々しく表明してしまいます。

 

 氾濫流の直撃をうけた範囲(赤線と橙線の間)、およびその範囲外で顕著な現象が見られる範囲(黄線と赤線の間、橙線と白線の間)の概略を、堤防敷がまだ見えている9月13日の国土地理院の画像と、仮設堤防で堤防敷が隠れてしまったものの堤内地の水溜りの水位が下がった9月20日ころのグーグルの画像の2枚を背景にして示してみます。

 

 このページで注目したのは、住宅12とそれが面する県道357号線の状況です。報道機関や専門家は、こんなものには一切注目しないようで、言及もしないのですが、おそらく地表面を流れてきた氾濫流が県道の路盤と住宅12の敷地を洗掘したくらいに思っているのでしょう。

 しかし、防災科研の職員の中に、この地点に特別の関心を示した人がいたのです。防災科研は、前述のとおり9月11日と12日の2回にわたり三坂に入って調査を実施したのですが、全域で重要な写真を多数残しています。他にも国土交通省や国土地理院はもちろん、報道機関や多数の専門家が写真を撮ったはずですが、全体を撮影したものはともかく(それすら公表時には解像度を落としてしまうのです)、特に注目してアップで撮るのは、たとえば「ヘーベルハウス」(住宅8)などの住宅の残骸とか流された自動車ばかりで、肝心の堤体や堤防敷、堤内地の押堀とされる穴などには目もくれないのです。ところが、防災科研は下手に選り好みせず、満遍なく数多く撮ったうえで、特に注目すべき箇所について集中的に多角度から撮影しています。しかもそれを水害から5年以上経過しても全部公表し続けているのです。一部を直後だけウェブサイトで公表してあとはさっさと削除してしまう国交省や、カネと人員にものを言わせて多数の空撮映像などを撮りまくったあげく、それを公益のために提供しようなどいう考えをまったくもたず、しまい込んで(捨てて?)しまう報道企業は、防災科研やグーグルの爪の垢でも煎じて飲むべきでしょう。カメラも持たずに現場見物するだけの専門家など論外です。

 その防災科研の職員は、ファイル名末尾に「h」とある写真を撮影した人です(防災科研はファイル名として撮影年月日・時分秒〔yyyymmddhhmmss〕をつけるのですが、場合によっては同一時刻が重複することもあるためか、添字で撮影者を入れるのです)。このページではほぼ全部を引用させていただきましたが、住宅12と14、さらに県道の路盤崩壊など、報道機関や専門家諸氏が一顧だにしない地点を複数枚撮影しているのです。防災科研は、このことについて分析し報告書を作成・公表しているわけではありませんから、この職員が強い興味関心をいだいていたに違いないのです。

 それらの写真、そして当日撮影された空撮映像、CCTV画像などから推測する結論は次のとおりです。

 

 県道357号線のアスファルト舗装板が割れて落ち込み、住宅12が道路側に落ち込んだ原因は、地盤の陥没である。

 

 従来のほぼすべての分析において、堤内地の地盤の穴や抉れは全部が押堀(誤称落堀)であるとされてきたわけです。それに対して、当 www.naturalright.org はこれまでに、全部が押堀、すなわち流入した氾濫水により堤内地の表土部分さらにその下層が洗掘される現象であったのではなく、盤割れ、すなわち堤内地基礎地盤に浸透した河川水が地上に噴出し、地盤を部分的に破壊する現象もあったことを示してきましたが、ここでそれらに加えて、陥没、すなわち地中の圧力が低下したことで表土さらにその下層が落ち込む現象もあったことを摘示するものです。

 地表面を流れてきた氾濫水の直撃を受けた場合、通常の木造建築物は基礎地盤ならびに鉄筋コンクリート製の基礎ごと洗掘されてしまい、建物自体は百メートル以上も流されるか、あるいは原形をとどめないほど完全に破壊されてしまうのです。そうならなかったのは、頑丈な地下構造物の上に設置されたガソリンスタンドの事務所と、隣接する倉庫(白壁の大きな倉庫とガスボンベ倉庫)、そして鉄管の基礎杭を埋設した上に建築された住宅8(「ヘーベルハウス」)だけです。

 

 住宅11がまさ氾濫水の直撃を受けた例で、建物はバラバラになって破片が110m先まで流され、コンクリート基礎も地盤ごと洗掘されて跡形もなくなっています。ところが、すぐ隣の住宅12は一階のモルタル壁は剥離したものの、下地はまったく傷んでいません。氾濫水によって床上浸水してはいますが、大きく傾斜した以外には、特段損傷してはいないのです。

 破堤区間から突進してきた氾濫水がぶつかったのが主要な外力だとすると、建物がほとんど壊れていないのはおかしなもので、そのくせ地盤だけが大きく深く抉れるというのは、いかにしても理解できません。しかも住宅12の敷地に接する県道357号線のアスファルト舗装面は、バックリと割れて直下の水溜りの中に落ち込んでいます。

 県道357号線をはさんだ住宅12の向かいの土地は、もともと空き地でしたが、グーグルクライシスレスポンスの航空写真(DSC02783)からわかるように、多少洗掘されてはいますが路盤を抉るほど深く抉られてはいませんから、道路のアスファルト板の下を氾濫水がくぐって住宅12の敷地に抜けたということもありません。そうなると、唯一考えられる原因としては、この地点で地盤が陥没したということです。

 地下の採石場の真上での耕地や住宅の陥没とか、地下鉄工事現場の真上での住宅地の陥没とかは、時々聞きますが、破堤地点の堤内側での陥没など、聞いたことがありません。しかし、聞いたことがないからといってそんなことは決して起きないとは言えません。

 三坂の地下で地下鉄工事などをしているはずもありませんが、陥没の原因やメカニズムについては次ページで考えることにして、今は、さきほどの氾濫水の当たりかたや、地表面における外形的特徴からみて、押堀ではなく陥没による穴とみなす方がより自然であると指摘するにとどめておきます。

 これは、最近起きた、外環道トンネル工事現場の真上、東京都調布市の住宅地での陥没事故の写真です(2020年10月18日、https://www.nhk.or.jp)。陥没穴の大きさとか、剥落したアスファルト板がどこかに流されていってしまうのでなく、その穴の中に落ちているところなど、かなり似通っています。

 

 ふたたび防災科研の写真です(20150911-115544-nied)。「h」さんではない他の人が撮影したようです。やはり、住宅12とその前の県道の陥没(かもしれない穴)は、おおいに気になったようです。

 北側(上流側)から南方を見たところですが、住宅12のカドにある電柱の傾きが、住宅の傾きとまったく同じです。住宅の木造の上屋だけが壊れて倒れ込んだのではなく、住宅が建っている地盤が、それもすぐ脇の電柱が立っている地盤と一体のまま、道路側に陥没したのです。

 住宅のコンクリートの基礎と電柱が埋まっている表土は洗い流されたり崩れたりしたのではなく、形状を維持したままです。そして、その表土の下方にある地下の透水層の圧力が低下し、その上に載っている表土が陥落したのでしょう。

 下は、最初の方で見た、傾いた住宅14の写真です。画面左は住宅13ですが、2軒の間の地盤のうち、住宅14側が陥没したようです。

 住宅14のカドの樹木が、住宅14の建物と同じ角度で倒れ込んでいるのですが、さきほど見た住宅12とそのカドの電柱の場合と同じメカニズムです。

 


 

 このような陥没現象は、住宅12と住宅14の地点でだけ起きたわけではありません。この2箇所は比較的明確にわかるということであって、これほどさまざまの論拠を示すことはできないとはいえ、ほかにも陥没現象が起きたことを強く推認できる地点があるのです。それについては、このページ以前に、すでに多少は触れたものもあります。

 下にその概要を図示しました。紺で示したのが、陥没が起きたことが推定できる地点です。もちろんこの他にもあるに違いありませんが、痕跡が残っているのがこれらの地点です。 

 

 次ページでこれら押堀現象、盤割れ現象、陥没現象の主原因である、2013−14年におこなわれた三坂左岸高水敷の掘削について見ることにします。

 次々ページで、《鬼怒側水害まさかの三坂》11ページ、《三坂における河川管理史》5ページ、《鬼怒川三坂堤防の特異性と崩壊原因》7ページで、延々と検討してきた個別的事実をすべて踏まえた三坂の破堤の全体像、すなわち押堀現象、盤割れ現象、陥没現象、高水敷崖面の崩壊の相互関連を提示します。