「常総市役所による避難指示の遅れ」を非難する論調 2

21, Sep., 2015

「常総市役所による避難指示の遅れ」を非難する論調 1」のつづき)

 

 報道企業各社は、9月13日、氾濫水に呑み込まれ泥だらけとなった常総市庁舎の冠水しなかった2階で、市域の3割におよぶ40㎢が浸水した常総市の市長と担当課長に対する取材(独自取材ではなく、記者クラブ主催の記者会見)をおこなったのですが、主なテーマは「常総市役所による避難指示の遅れ」の件でした。

 

 常総市役所がどのように「避難指示」を発令したのかをみてみます。下は、常総市役所のウェブサイトのページです(http://www.city.joso.lg.jp/kinkyu/1436502981392.html 内容は以後更新されます)。

 日付がどこにもないのですが、あきらかに9月10日、すなわち堤防の「越水」「破堤」が起きた当日です。「更新日」が「9月14日」になっているのは、(9月10日夜の浸水による停電、電話回線不通、インターネット接続遮断、さらに地下室の非常用電源も冠水し不作動という状況下で)停電復旧後にウェブサイトのページを作成したか、もしくは追記・訂正をおこなったということでしょう。なお閲覧してセーブしたのは9月16日です。時間的にあとのものが上の行になります(コンピュータ画面ではよくある配列です)。

 細かな地名(大字・小字、旧水海道市時代の町名)が出てくるので、その下に国土地理院が9月11日の空撮で作成した写真を示します(http://gsi-cyberjapan.github.io/cmp/?rl=ort&ll=20150911dol2&ovl=experimental_anno&lng=139.96672&lat=36.09894&z=16&lattr=常総地区(2015年9月11日午後撮影%29&rattr=電子国土基本図(オルソ画像)#15/36.1051/139.9925)。避難指示が出た順に、こんどは上から下に並べてあります。当ウェブサイトで黄色の円で囲んで文字を拡大してあります。各写真の、縮尺は異なります。全体の位置関係はさらに後に示します。

 10日午前2時20分に避難指示が出たのが、鬼怒川左岸(東岸)の関東鉄道常総線玉村駅のある「玉地区」(写真では「若宮戸」)とその南の「本石下」、さらに南の「新石下」です。「新石下」が旧石下(いしげ)町の中心市街地だったところで、右下の「地域交流センター」が、浸水後に住民が避難した天守閣のような巨大な建物です。

 避難指示の5時間20分後の午前7時40分、玉村駅の真西の若宮戸で「越水」が始まりました。例の「ソーラーパネル」の地点です。

 いったんはほぼ全域が浸水しましたが、この11日午後の写真では水位が下がっていて、まるで浸水しなかったように見えます。

(なお、国交省は、「越水」の第1報の時点では地名を「新石下」としていましたが、その日のうちに「若宮戸」に修正しています。)

 

 

 7時40分に左岸(東岸)の若宮戸で「越水」が起きてから1時間20分後の午前9時00分、右岸(西岸)の向石下と篠山に避難指示が出ました。

 大字(おおあざ)の範囲は図示されていませんが、篠山の南端は、このあと「決壊」する上三坂のちょうど対岸です。常総市域は今回は無事だった鬼怒川右岸も危険な状態だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前9時55分、「国道354号線以南の水海道元町」「亀岡町」「栄町」「高野町」「天満町」「川又町」「渕頭町」「諏訪町」「山田町」に避難指示が出ました国道354号線は、「豊水橋(ほうすいきょう)」から東につづく冠水した道路です。高野町、川又町は写真の地域の南側に隣接します。

 「市民会館」の「市」の字の上に見えるのが常総市役所庁舎です。災害救援に駆けつけた自衛隊車両もろとも冠水しました。

 水海道駅は関東鉄道常総線の駅で、JR常磐線取手(とりで)駅から守谷(もりや)駅を経てここまでは、非電化ながら複線区間です。右下は小貝川です。

 

 

 

 


 

 

 10時30分、「中三坂 上」と「中三坂 下」に避難指示が出ました。あとから考えると、「決壊」の2時間20分前です。写真では「上」「下」まではわかりませんが、おそらく「中三坂」がさらに上流側=北側から「上(かみ)」「下(しも)」に細分されるものと思われます。

 前ページで見た9月13日の「朝日」の記事によれば、実際に「決壊」した地点である「上三坂」に事前に避難指示を出さなかったことを市長が陳謝したのです。

 午後12時50分、三坂町上三坂で「決壊」します。さきほどの「篠山」南端の対岸です。写真では決壊による濁流のあとが見えます。

 

 

 

 

 

 

 10時55分、右岸(西岸)の大輪町と羽生町に避難指示が出ました。それぞれの小字(こあざ)が含まれますから、写真に写っている右岸(西岸)のほぼ全範囲です。

 

 

 

 


 以上の、5回にわたって避難指示が発令された地区の位置関係は、右のとおりです。

 国土地理院の写真に当ウェブサイトで、上の避難指示が出た地域と、丸い吹き出しで「越水」「決壊」が起きた2地点記入したものです。上方が北です。

 

 結果的に「越水」「決壊」したのは鬼怒川左岸の2か所でしたが、避難指示が出された地域は両岸にまたがっています。報道から受ける印象では、常総市役所は漫然と事態を座視して避難指示を出し損なったかのごとくですが、実際には鬼怒川両岸のかなり広い地域に避難指示を出しています。しかし、隣接する「中三坂上・下」には避難指示を出したのに、激しく「決壊」し、自衛隊などのヘリコプターによる救出の様子がライブ中継された「上三坂」は放置していたとして、糾弾をうけたのです。


 

 こんなに詳しく見る意味があるのかと思われるかもしれませんが、こうすることで、問題点が一部見えてきます。

 

 このように避難指示を出す地域を細分化するのは妥当であったのかという、疑問が生じます。すなわち鬼怒川の左岸(東岸)が決壊すれば鬼怒川と小貝川のあいだの市域はほぼ全域が浸水することが確実だったのです。また右岸(西岸)が決壊すれば鬼怒川以西の市域の半分くらいが浸水するし、小貝川右岸が決壊すれば、同様に鬼怒川と小貝川のあいだの市域はほぼ全域が浸水することが確実でした。それは、国土交通省の予想のとおりです。また、下の常総市の「常総市洪水ハザードマップ」の記載内容のとおりです。常総市役所は当然、この事実を認識していたのであり、なぜこうした細分化した避難指示を発令したのかを解明する必要があります。しかし、現時点では、これ以上の具体的情報がありませんので、常総市役所の判断の経緯についてあきらかにすることはできません。当然、その適否について断定的なことをいうことはできません。この点で報道企業各社の報道姿勢にはいささか疑問を感じます。

 常総市役所がどのような情報にもとづいて対象地域を選択・決定したのかをあきらかにするには、当事者に聞くことが不可欠ですが、そのようなことは現在は不可能です。いまは、被災者でも住民でもない者が市役所を訪問して詳細な説明を求めるような時期とは思えません。事態が落ち着いた頃に「取材」してみようと考えているのですが、相当の時間をみなければならないと思います。

 ただし、ひとつだけ考えられることがあるので、一応メモしておきます。まだ断言はしません。

 

《常総市は、氾濫がこれほど急激に起こるとは考えていなかったのではないか。実際に起きた「上三坂」の「決壊」のように、突然かつ大規模に堤防の完全破壊がおこって幅100m以上にわたって堤防が基底部まで全部消失し、水深数メートルの河川水がそのままの厚みをもったまま、家屋や道路までも崩壊させるような激流となって長時間にわたって流入し、膨大な量の河川水が数10㎢の土地にひろがるという認識はなかったのではないか。すなわち、氾濫が起こるとしても、堤防そのものが基盤から喪失するのではなく、維持された状態の堤防頂上部から水位上昇による越水がはじまり河川水の堤内への流入が一定時間続くというものであり、だんだんには他地域に拡散していくにしても、当面避難が必要な地域は一定の範囲に限られると考えた。だから避難指示は、左岸を一括して、あるいは右岸を一括して、あるいは両岸を一括して出すのでなく、いくつかの大字名ないし小字名、あるいは町名で限定される地域にだしたのではないか。》

 


  避難指示は中三坂に出したのに実際に決壊が起きた上三坂に出していないのはけしからんというのであれば、もし常総市役所が、上三坂に避難指示をだしていればよかったのでしょうか? もし上三坂に出ていれば、市役所による避難指示にはその点では問題がなかったということになるのでしょうか?

 報道企業は、上三坂に避難指示がでていないことは、13日になって市長から聞いて初めて知ったようで、それまでは、中三坂(の「上」と「下」)に出ていた避難指示について、細かな地名には無頓着なまま、「決壊」のわずか2時間30分前だったのはけしからん、と言っていたのです。(「三坂町」に「三坂」「三坂」「三坂」「山戸内」「白畑」「五家」「駅前」があるというややこしさがあるので、地元の人や市役所の職員、あるいは郵便局員や宅配業者でもないかぎり、こうなっていることを認識していた人はいないでしょう。今でもほとんどの論評は混乱したままです。)

(下に、「上三坂」と「中三坂」の区域を「人口統計ラボ」http://toukei-labo.com)によって示します。世帯数と人口も同ウェブサイトによるもので、前回2010年国勢調査のデータです。地図・データはホームページのフッタから県名をクリックし、表示されたページで市町村名・町名を選びます。矢印は決壊地点です。

 

三坂町全域

三坂町上三坂


59世帯204人

三坂町中三坂

(三坂町中三坂上、三坂町中三坂下)

112世帯405人



 次は、「決壊」の翌日、9月11日のNHKのテレビ放送の内容を、NHKが「NEWS WEB」としてウェウブサイトで公表しているものです。画面にわざわざ「茨城」と県名を入れているところから見て、茨城ローカルではなく、関東圏ないし全国向けに夕方か夜の「ニュース」として放送されたものだと思われます(ウェブサイトにアップされたのが、タイトルの下にあるとおり、11日19時08分です。一番上に「9月16日」とあるのは、閲覧してセーブした日付です。)

 

  冒頭の1段落は、放送時の読み上げとは異なっているので、1行あけた次からを1段落めとみなして、実際の読み上げ内容の書き起こし(というより読み上げ原稿)を見ていきます。3段落目にこうあります。

 

決壊が起きた5キロほど下流の三坂町地区に市が避難指示を出したのは、決壊のおよそ2時間半前の午後10時半で、若宮戸地区などに比べて8時間以上遅れました。

 

 「避難指示の遅れ」報道は、13日に大挙してなされたのでうっかり13日が最初なのだろうと思っていたのですが、このように発生翌日の11日にはもう始まっていたのです。前述のとおり、三坂町全域ではなく、三坂中と三坂下に出されたのであって、決壊地点の三坂には出ていないことを知らず、「2時間半前」と間違ったことを言っています。したがって「若宮戸地区などに比べて8時間以上遅れました」というのは、無意味な説明になっています。

 次の「三坂町で堤防が決壊し、その情報が国土交通省の事務所から入った」という部分の「国土交通省の事務所」とは国土交通省関東地方整備局下館河川事務所のことだと思われますが、「住民からの通報」によって中三坂に避難指示を出したという件とともに、当日の情報伝達に関する事実関係を確定する上で重要な情報です(この件は後日検討します)。

 

 アナウンサーの読み上げの3段落の末尾、「川の西側にある避難所に早急に避難するよう防災行政無線を通じて呼びかけました。」のあとに、書き起こしにはありませんが、住民と思われるふたり(いずれも30歳代くらいの女性)にインタビューした映像が入っています。そのうちふたり目の女性は、次のように言っています(上の写真。となりにいるのは息子さんでしょうか)

 

「高台にある高校の方に避難しようかって思って、ちょっと自家用車で行ってみたんですが、渋滞していてもう通れない状態。どこに避難したらいいのかとか、どの道通れるのかとか、そういうことをもうちょっと伝えてもらえば」

 

このあと、アナウンサーが「その結果、鬼怒川を渡る橋が渋滞するなど混乱が生じ」と続けています。

 氏名などはなくてもよいのですが、いつ、どこでおこなったインタビューなのか不明です。それはともかく、この住民が、避難指示をどこで知ったのかがわかりません。インタビューを受けているくらいだから、なんとか逃げのびたことはわかるのですが、「高台にある高校」へは渋滞で行けずに、そのあとどこをどう通って、どこにいつ逃げたのかも、まったくわかりません。これはどうでもよいことではありません。何があったのかすこしもあきらかにしようとせず、市の避難指示が不適切だったということを主張するためだけに、ニュースの材料を集めているのです。なぜこうなっているかというと、NHKの編集担当者も片田敏孝教授も、どうすればよかったのかは、自明のことだと思っているからです。しかし、決して自明のことではありません。ほかにも難問はたくさんありますが、避難経路・避難先の設定ひとつとっても簡単ではありません。

 

 このニュースでは。西に避難せよといったことが誤りで、東に避難せよと最初から言えばよかったのに、他市だったため手はずが遅れたのがよくなかった、事前に相談した上で他市町村への避難を立案しておけばよかったのだ、と言いたいようです。たしかに他市町村との連携が重要だというご忠告は一般論としてはその通りです。しかしNHKの記者あるいは編集部や片田敏孝教授は、具体的プランを簡単につくれると思っているのでしょうか? そもそもNHKと片田教授は、常総市の地図をよく見た上で言っているのでしょうか? 決壊した川の方に向かって西へ逃げろというのが間違いだというのは、それはそのとおりかもしれませんが、どうすればよいというのでしょうか? 北からは氾濫水がほぼ鬼怒川・小貝川の間一杯にひろがって迫って来ます。南北約18kmの範囲において、鬼怒川西岸へ渡る橋は6本、鬼怒川東岸へ渡る橋としては、堰の上とか沈下橋などを除けば、5本しかありません。このうち国道354号線バイパスの橋は片側2車線あわせて4車線ですが、他はすべて片側1車線の狭い橋です。もちろん鉄道も渡し船もありません。なお、南はどうかというと常総市は南へ行けば行くほど鬼怒川と小貝川に挟まれた土地の幅は狭まり、南隣のつくばみらい市の旧谷和原村地区に入ると、すぐに幹線道路の国道294号線はバイパスと旧道が一本になり、ふたつの河川の間隔は1km以下になります。

 

 今回の水害に関しては避難指示の件だけでも検討すべき問題はたくさんあります。この件も後日検討することとし、NHKのニュースに戻ります。住民の具体的体験を聞き取ることなく、単に「不満」のように聞こえるコトバだけを聞き取ってよしとしたために、インタビュー内容がナレーションとくいちがっているのです。

 このニュースでは、「高台にある高校」は、どこにあることになっているのでしょうか? ナレーションの文脈にしたがえば鬼怒川の西岸の「高台」になければなりません。常総市内で「高台にある高校」は茨城県立水海道第一高等学校(常総市水海道亀岡町2543)だけです。常総市内には他に茨城県立水海道第二高等学校(常総市水海道橋本町3549−4)と茨城県立石下紫峰(いしげしほう)高等学校(常総市新石下1192−3)がありますが、いずれも「高台」ではなく、今回の水害では冠水し、いまだに休校となっています。常総学院高等学校は名称はともかく、所在地は東隣のつくば市のさらに東隣の土浦市ですから、ここで住民がめざす避難先ではありえません。近隣の市町村で「高台にある高校」というと、茨城県立取手(とりで)第一高等学校(茨城県取手市台宿2丁目4−1)や茨城県立竜ケ崎(りゅうがさき)第一高等学校(茨城県龍ケ崎市平畑248)です。起点をどことするかにもよりますが、仮に常総市北部の新石下の関東鉄道常総線石下駅とすると、車で取手一高までは29.6kmあり44分間かかります。竜ケ崎一高までは39.0kmで51分です(GoogleMapのナビ機能による距離と所要時間。ともに渋滞なしという条件下、何事もない平日の昼とか深夜の場合です。平日の通勤時間帯であればざっと5割増しというところでしょうか)。

 インタビューを受けた住民が目指した「高台にある高校」は水海道(みつかいどう)第一高校以外にはありえないのですが、NHKが思い込んでいるのとは異なり、「渋滞」した「鬼怒川を渡る橋」の先、鬼怒川の西岸の「高台」にあるのではありません。

  

 

 冒頭近くで見た常総市が避難指示を出した常総市の中心市街地の9月11日の写真です。「新八間堀川」の南側を東西に通るのが国道354号であり(現在、北側1.5kmほどのところに並行してバイパスがあり、両方が「国道354号線」なのですが、これは旧道の方です)、南側に常総市役所(写真では「市民会館」)があります。鬼怒川を渡るのが「豊水橋」(ほうすいきょう。昔の地名の東岸の水海道と西岸の豊岡(とよおか)から1字ずつとったもの)です。

 常総市水海道亀岡町(合併前の旧水海道市の中心市街は、「水海道」の名を残しました)の、矢印の学校が、インタビューを受けた住民が言っている「高台にある高校」にほかならない茨城県立水海道第一高等学校ですが、このように鬼怒川東岸にあります。標高19m以上であって、たとえば冠水した常総市役所より6ないし7mほど高く、今回浸水を免れました(ここは沖積平野の自然堤防ではなく、洪積台地の末端のようです)。「亀岡」の文字の背景画像は洪水の泥水のように見えますが、冠水していない同校のグランドの土です。もう一度住民の言葉を引用します。

 

「高台にある高校の方に避難しようかって思って、ちょっと自家用車で行ってみたんですが、渋滞していてもう通れない状態。どこに避難したらいいのかとか、どの道通れるのかとか、そういうことをもうちょっと伝えてもらえば」

 

どこにいたのか、どのあたりで「渋滞していてもう通れない状態」になったのかわかりませんが、印象としては、「高台」のはるか手前で「渋滞」のために進めなくなったのでしょう。当然、「高台にある高校」すなわち水海道第一高校には到達していないし、その意志もなかったし実際不可能であったため豊水橋を渡って鬼怒川西岸に到達もしていないでしょう。

 このインタビューのビデオの直後に、アナウンサーが「その結果、鬼怒川を渡る橋が渋滞するなど混乱し」と言っているのですが、これほど事実に反する言明はないでしょう。インタビューする際に具体的地名や時刻を曖昧にしたのもさることながら、ナレーションのなかで、「鬼怒川を渡る橋」などと曖昧なことを言っていることも問題です。何十もある橋ならいちいち挙げることはできませんが、最大でも6つしかないうえ、車が集中したとすれば南側の3つ(三妻橋〔茨城県道123号土浦坂東線〕、水海道大橋〔国道354号線バイパス、通常は有料〕、豊水橋〔国道354号線旧道〕)でしょう。橋梁名をあげないまでも、「鬼怒川を渡る3つの橋」(あるいは「5つの橋」)と言うべきでしょう。決定的なのは、(短いニュースのなかでは省略するにしても)すくなくともそう言えるだけの取材をしておくべきなのに、していないことです。現場の記者はしたかのもしれませんが、編集担当は地図も見ずに、「高台にある高校」が鬼怒川の西ではないことには考えも及ばないまま、「その結果、鬼怒川を渡る橋が渋滞するなど混乱し」などと、思い込みで、地図も見ずに軽率に書いたのです。

 もちろん「鬼怒川を渡る橋が渋滞」したには違いないでしょう。上流側は有料橋である水海道大橋をはさんで約5km先の三妻橋、下流側はこれも約5km先の玉台橋(茨城県道3号つくば野田線〔野田は千葉県野田市〕)しかないのですから、豊水橋は通常時でもとくに通勤時間帯は激しく渋滞するのです。これを常総市が鬼怒川西岸へ避難しろといったから渋滞したのだというというのはおかしな話です。こう推測する、それどころかこう断言するのであれば、もし小貝川東岸へ避難しろといったら、車の通行可能な橋は5つしかないのだから、今度は東側の小貝川を「渡る橋が渋滞」するにちがいない、ということに思い至るべきだったのです(鬼怒川にかかる橋梁については、http://www.tsukubapress.com/river/kinuriver.html)。

 そもそも、インタビューを受けた女性は、鬼怒川東岸にある「高台にある高校」をめざしたのであり、市役所の指示を受けて鬼怒川西岸をめざして橋を渡ろうとしたのではありません。この女性は、鬼怒川西岸をめざせという指示はうけてないからこそ「どこに避難したらいいのかとか、どの道通れるのかとか、そういうことをもうちょっと伝えてもらえば」と言っているのです。

 端的にいえば、常総市が西に逃げろと言ったから、「その結果、鬼怒川を渡る橋が渋滞するなど混乱が生じ」たというナレーションは、完全な虚言です。

 

 事実関係を具体的に把握しないまま(というより具体的に把握しようとする意志がそもそも欠如しているのですが)、「決壊」の2時間半前に突然避難指示を出したという事実誤認のうえに、小貝川東岸へ誘導すれば「渋滞」が起きないだろうという根拠のない甘い憶測のもとに、鬼怒川西岸へ誘導したために「渋滞」が起きたという荒唐無稽な因果判断をくだして、「決壊」後の混乱の責任を常総市役所に負わせているものです。

 

 追記:後日、住民の方にうかがったところ、10日午後は、小貝川東岸への橋梁(旧道の国道354号線、大和橋)は激しく渋滞し、車がほとんど動かない状態だったそうです。

 

 なお、常総市役所による避難指示がいかなる情報にもとづいておこなわれたのか(またはおこなわれなかったのか)については、別ページで検討しましたので、ぜひそちらもご覧ください。