「敷地境界」論と「事故時適用除外」論

 2011年12月25日

文部科学省の「敷地境界」論

 

 2011年6月28日に実施した全教・茨城県高等学校教職員組合による交渉の際、「園児・児童・生徒の年間被曝を20mSvまで許容する4月19日付け文科省通達は、一般公衆の許容量を1mSvとした法律に違反するのではないか」とただしたところ、文部科学省科学技術・学術政策局政策課総括係長遠藤正紀係長は「それは原子力施設の敷地境界についての規定である」と述べた。つまり、「1mSv」は境界線上での話であり、境界線の外側にいる一般公衆についての規定は存在しないのだから、園児・児童・生徒について20mSvとする通達が法令に違反することはない、というのである。

 原子炉等規制法・同規則・経済産業大臣告示は、発電用原子炉においては、3か月あたり1.3mSvすなわち年間5.2mSvを超える放射線被曝を受ける区域を「管理区域」としたうえで、その周囲を「周辺監視区域」とするよう定め、さらに「周辺監視区域」の外側は「いかなる場所においても」年間1mSvの被曝を受けることのないようにするよう定めている。これが一般公衆の被曝限度が年間1mSvであるとする国内法上の規定である。敷地境界線上の規制値が1mSvであると規定しているわけではない。遠藤係長の言明は誤りである。

 しかし、この「境界線上」論は彼のオリジナルではない。『わかりやすい原子力規制関係の法令の手引き』は、次のように説明する(2011年、大成出版社、24-25頁)。

 

当該区域〔周辺監視区域〕の外側のいかなる場所においても、すなわち周辺監視区域の境界においても、そこでの線量が線量限度を超えないことが求められます。当該区域の外側のいかなる場所にも公衆が立ち入る可能性があるため、周辺監視区域の境界における線量限度は、すなわち公衆の線量限度を意味することになります。

 

「外側のいかなる場所」と「周辺監視区域の境界」とは同じではない。「すなわち」と言い換えるのは誤りである。「外側のいかなる場所にも公衆が立ち入る」というのもおかしな言い回しである。著者の広瀬研吉は原子力安全委員会事務局長や経済産業省原子力安全・保安院長をつとめあげた元高級官僚であるが、「外側のいかなる場所」を「境界」にすり替えようとして、こんな支離滅裂な解説を書いて出版したのだ。

 『放射線健康科学』(草間朋子・甲斐倫明他著、1995年、杏林書院、145頁)はこう説明する。

 

公衆に対する防護が確実に行われていることを確認するために、環境モニタリングの一環として、管理区域および事業所境界での線量率の測定がおこなわれる。

 

この場合の「事業所境界」は「周辺監視区域」の外側境界のことだろう。著者の草間朋子(大分県立看護大学学長)は、元放射線審議会委員で、現在は原子力安全委員会専門委員と放射線医学総合研究所(「放医研」)の緊急被ばく医療ネットワーク会議の委員をつとめる。甲斐倫明(大分県立看護大学教授)は、現在の放射線審議会委員で、しかも基本部会の部会長をつとめる。両名は原発推進勢力の一角を占める医師メンバーである。

 「外側のいかなる場所においても」1mSvを超えてはならないのだから、もちろん「敷地境界」でも1mSvを超えてはならない。当然、「敷地境界」での測定は行われるべきだろう。だが、「敷地境界」での測定だけおこなっていれば十分で、その外側の一般公衆の居住地域の線量を無視してよいということではない。

 原発推進政策の中枢部分を担う官僚や医師らは、ことさらに「敷地境界」にすりかえ、「敷地境界」だけを強調し、外側の国土全域を無視してよいかのごとく吹聴する。そして彼らの指導を受ける現役官僚が「1mSv」は境界に関する規定にすぎないとうそぶいて、法規定を骨抜きにしているのだ。

 茨城県教育庁保健体育課の職員が「従来は福島県の学校や本県の学校における放射線量についての法的規定はなかったのだから、4月19日付け文科省通達が学校における許容放射線量を年20mSv、1時間あたり3.8μSvとしたことは違法ではない」と言ったのは、文科省の論法の受け売りだった(7月25日、茨城県高等学校教職員組合との交渉の席上、総括課長補佐今川敬秀)。

 

放射線審議会による線量引上げ

 

 放射線審議会は、放射線障害防止の技術的基準に関する法律(昭和33年5月21日法律第162号)に基づき、「放射線障害の防止に関する技術的基準の斉一を図ることを目的として」、文部科学省に設置されている諮問機関である。関係行政機関は放射線障害の防止に関する技術的基準を定めるときは、この放射線審議会に諮問して意見を聞くことになっている(www.mext.go.jp/b_menu/shingi/housha/gaiyou/1283235.htm)。

 記憶に新しいところでは、福島原発事故発生直後の3月14日、厚生労働省・経済産業省から緊急作業に従事する者の被ばく限度を従来の100mSvから250mSvに引き上げることについて諮問を受け、さらに3月16日、冷却水の循環が停止した燃料プールへの注水のために自衛隊員を投入するに際して人事院から同旨の諮問を受けた際、放射線審議会はそれぞれに対し、即日、それらを妥当とする旨助言した(www.mext.go.jp/b_menu/shingi/housha/toushin/1304704.htm、及び、/1304702.htm、/1304708.htm)。

 この件での放射線審議会の審議は、「電子メール」によっておこなわれたとのことであり、「議事録」として各委員からの返信メールが列挙されている。なかでもつぎのメールが目を惹く(2011年3月16日、第114回放射線審議会、www.mext.go.jp/b_menu/shingi/housha/gijiroku/1304490.htm リンク切れ)。

 

【古田委員】 先ほど、ニュースにおいて、自衛隊が50mSvを超えることを理由にヘリコプターによる注水を断念したとの報道があった。国民の生命と財産を守るべき自衛隊が自分たちの被ばくを恐れて100mSvどころか50mSvの(線量限度の)壁で何もしないのは残念である。本件〔250mSvへの引き上げ〕については、賛成である。

 

 軍人とはいえ生身の人間である自衛隊員に対して、平然と大量の放射線被曝を要求した「古田委員」とは、独立行政法人日本原子力研究開発機構の東海研究開発センター核燃料サイクル工学研究所放射線管理部部長の古田定昭である。彼は、放医研の緊急被ばく医療ネットワーク会議委員もつとめている。前述のとおりそこには草間朋子もいる。同じような顔ぶれがあちこちに名を連ねている。(古田定昭は、先日茨城県教育庁が実施した保護者向けの放射能被曝に関する講演会のうち、県北地区と水戸地区の2か所で講師を務めた。)

 

東北・関東にひろがる「管理区域」

 

 福島第一原子力発電所は、従来は原子炉建屋などが「管理区域」に、その外側の敷地全体が「周辺監視区域」に指定されていたようだが、事故後は南北3.4km、東西1.6kmに及ぶ敷地全体が「管理区域」になっている。もはや原発敷地内には「周辺監視区域」を設定する余地はない。

 それどころか、原発敷地の外側に年間5.2mSvをはるかに超える広大な汚染地域が広がっている。すなわち南相馬市、福島市、伊達市、二本松市、郡山市、須賀川市、白河市などは「管理区域」に相当する。茨城県の土浦市、阿見町から、取手市、守谷市にかけて、さらに千葉県の東葛地方、埼玉県三郷市におよぶ一帯も「管理区域」に相当する汚染地域となっている(http://blog-imgs-26-origin.fc2.com/k/i/p/kipuka/09decJG.jpg)。

 これら地域の「管理区域」指定を怠る日本国政府の対応は、原子力規制法体系に全面的に抵触する。日本政府は、これらの地域を「管理区域」に指定して、一般公衆の立ち入りを制限する等の措置を講ずるのではなく、逆に一般公衆の被曝限度を1mSvとする法律の規定のほうを変更して一挙に被曝限度を引上げて現実を糊塗しようとする。

 ここで、電子メールのやりとりだけで事故対応時の放射線被曝限度を一挙に2.5倍に引上げた実績をもつ放射線審議会の出番となる。放射線審議会は、3月16日以降しばらく休眠していたが、8月以降頻繁に会議をもち、一般公衆の被曝限度である年間1mSvの引き上げのための検討をすすめている。

 しかし、1mSv規定は、原子炉等規制法の他、放射線障害防止法、労働安全衛生法、医療法、薬事法など、多分野にまたがる国内法体系に組み込まれているうえ、施行規則・告示など広範な行政上の運用方針によって具体化されている。

 1mSvを5mSv、あるいは10mSv、20mSvへと数値を引き上げようとすると、原子力発電関係の法令にとどまらず、あらゆる放射線関連法令をことごとく改正することになるだろう。各規制官庁、さらにそれら規制官庁を規制する原子力安全委員会の膨大な規則や運用通達も、軒並み作り替えなければなるまい。放射線審議会にそれだけの力量があるとも思えないし、法律上そこまでの権限は与えられていない。

 ことは関連領域の範囲や関連する諸法令・通達の分量の問題にとどまらない。1mSvを5mSv、あるいは10mSv、20mSvに引き上げようとすると、放射線規制法体系の全体が内容的に自家撞着をきたすことになるだろう。規制値の大幅引き上げは、事実上も法律上も不可能なのだ。

 

原子力規制法令の無効化

 

 そこで放射線審議会は、現行の法体系と行政運用をまるごと無化し、現状の違法状態を解消するための理屈をひねり出そうとする(10月6日、第41回基本部会、www.mext.go.jp/b_menu/shingi/housha/002/gijiroku/1312637.htm リンク切れ)。

 

【甲斐部会長】現在、1mSv/年が安全基準というような形で誤解をされている面があるが、本来国際的には、線源がコントロールされた状況しか放射線防護は考えてこなかった。〔中略〕もともと、1mSv/年は、事故や自然〔放射線〕に適用するものではないことは歴史的に見ても明らかである。どうしても数値的なもの、国の基準が1mSv/年であり、それが通常の法令の中にあることから、それが全てに適用されるような誤解をされてしまっている。

 

 一般公衆の放射線被曝限度を年間1mSvとする国内法の規定が今も有効だと思っているのは「誤解」で、年間1mSvとする規定は「事故」の際には適用解除されるというのである。「国際的」とか「歴史的」とか、無意味な口実を持ち出して現行の国内法を無効にしようというのだ。まことに驚くべき主張だが、これは基本部会長甲斐倫明の発言であり、審議会の基本的合意事項のようだ。

 「事故」が起きたとたんに法律上の制限規定が解除されることなどありえない。放射線審議会の手法は、戒厳令を発令して国民の基本的人権を一挙に棚上げするのと同様である。現行法秩序を根底から覆そうとするクーデタ的手法は絶対に許されない。

 「事故」だと言えば何でも許されるというシロウトじみた論法がまかり通るところに、わが国行政機関の知的水準の低さ、誠実性の欠如が如実にあらわれている。