鬼怒川水害の真相 三坂町 2

3, Dec., 2015 


 前ページの最後に見たとおり、9月13日に国交省お雇いの「専門家」の先生たちが素通りした決壊地点近くで、その翌々日、東京大学の芳村圭(よしむら けい)准教授がパイピングによる噴砂の痕跡をみつけ、9月19日早朝、鬼怒川水害調査報告書の「第2報」としてインターネット上に公表したのです(reference3)。

 



 

 堤防の天端(てんば 断面が台形である堤防の上辺 鬼怒川の場合政令で幅6mと定められているが、しぶしぶ認めたのが「公称4m」、もちろんそれはサバ読みで実態は3m程度)を水が越えたのは事実ですから、「越水による決壊」で日本中が納得し、豪雨による水位上昇だけが原因の「自然災害」ということでケリがついた、筈でした。こうして国土交通省関東地方整備局には非難の矛先が向くこともなく、もっぱら叩かれるのは「避難指示の遅れ」をしでかした「水海道」(みつかいどう 常総市役所)だけとなり、「筑西」(ちくせい 下館〔しもだて〕河川事務所)はもちろん「さいたま」(関東地方整備局)も、ホッと安堵の胸をなでおろす、筈だったのです。これで「水戸」(茨城県庁)も「霞が関」(国土交通省)も「永田町」(首相官邸、自由民主党、国会)も「南元町」(公明党〔太田昭宏〕)も安泰、の筈でした。

 しかし、直前に本物の紙芝居で教えた通りにお雇い「専門家」に喋らせたものを新聞テレビが広報してくれた「越水による決壊」シナリオは、わずか1週間ももたず、ただの反古紙になってしまいました。

 

「鬼怒川堤防調査委員会」資料

http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000633118.pdf



 

 「浸透による決壊」の可能性が出てきたのです。端的にいえば「浸透による決壊」が共働原因(「複合的な要因」)であったことを隠そうとしていることが露見したということです。


 「越水による破堤」だけが唯一の原因である場合には、こうなります。

 

線状降雨帯による50年に一度の豪雨

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計画高水位をこえる水位の上昇

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越水

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川裏側堤防法面の洗掘

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破堤

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水害

 

 途中を抜いて、始め(原因)と終わり(結果)だけ見ると、

 

線状降雨帯による50年に一度の豪雨

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水害


 ところが、「越水による破堤」ではなかったとか、あるいは他に破堤の原因があったとなれば、「自然災害」だと強弁するのが難しくなります。50年に一度の大雨でなくても、堤防が決壊する可能性があるのです。別段堤防の天端まで水位が上昇しなくても、浸透(あるいは侵食、洗掘)によって堤防が決壊する可能性があるとなれば、現在及び将来の責任が生ずるのです。そしてなにより、現に起きてしまった水害の原因が「浸透による決壊」であったとなれば、「水位」を下げると豪語してもっぱらダム建造に夢中になり、堤防自体の脆弱性を放置してきた国土交通省の河川管理責任が問われる恐れが出てきたのです。単独の原因である必要はありません。共働原因(「複合的な要因」)であったとしても、責任は免れないことになります。

 その日のうちに、関東地方整備局は現場に飛んで行ったに違いありません。グーグルマップと写真まであるうえ、なんとまあ芳村准教授の長靴の跡までついていますから、すぐにこれだとわかったことでしょう。

 すでに9月19日の土曜日から23日の「勤労感謝の日」までのシルバーウィークに入っていましたが、28日に召集してある「鬼怒川堤防調査委員会」の開催まで間がありません。この際、下流側も点検して作成したのが、「委員会」用の資料の中の次のページです(「第1回鬼怒川堤防調査委員会資料」 http://www.ktr.mlit.go.jp/river/bousai/river_bousai00000106.html p. 21.)こちらも「パワーポイント」で作った資料なのでうっかりすると取り違えてしまいそうですが、右上隅にロゴが入っています。本文右上が、くだんの「噴砂跡」の写真です。水害から9日、芳村准教授がみつけた日には湿っていた砂が、4日を経過し白く乾いています。

 


 


 

 双方の資料の、噴砂跡の写真を拡大して比較してみます。左が芳村准教授の9月15日の写真、右が国土交通省関東地方整備局のおそらく9月19日の写真です。同一物件と断定してよいでしょう。

 芳村准教授の「下足痕(げそこん)」を埋め戻してしまいたい衝動をぐっとこらえ、紅白の目印の棒だけ立てて写真を撮影したのですが、ついでに白旗も掲げたい気分だったに違いありません。

 


 

 ここは左岸21.5kmの距離標の真下で、上流側から決壊地点(左岸21.0km)にアクセスする堤防の天端への直近の斜路(下左の写真〔2015年12月1日〕の右上隅、車が降りて来る)の近くなのですが、凡人はここを上がると南の下流方向へと脇目もふらず直行してしまうのです。反対側の、犬の散歩でも通らないような堤防下の行き止まりの道で決定的な証拠がみつかったのです。今は土嚢で「月の輪」(下左写真)がつくってあるので、遠くからでもそれとわかりますが(下右の写真〔2015年10月27日〕の中央やや右寄りのポツンと小さく白いもの)、それでもそうと判っていて近づけばそれがあるというだけで、まさか案内表示(「東大芳村准教授の足跡」)があるわけもありませんから一目瞭然ではありません。9月10日午後には円を描いた浸透水の色の違いでわかった(筈)でしょうが、9月15日には水も引いて識別困難だったのです。そもそも凡人はそんなものを探そうともしないのです。日頃からご高説を披瀝されている専門家の先生方はもちろん、日頃から世間を睥睨している報道企業の社員も、誰一人として思いもつかなかないことでした

 


 

 芳村准教授は独立行政法人東京大学の職員ですが、所詮は部外者の「民間人」に過ぎません。しかし、日頃から自分たちを非難している札付きの脱ダム派研究者や団体だったら災難だったと諦めもつきますが、毎年国土交通省にも卒業生を送り込んでくる東京大学の沖大幹(おき たいかん)教授の研究室の一員です(http://hydro.iis.u-tokyo.ac.jp/indexJ.html http://hydro.iis.u-tokyo.ac.jp/~taikan/taikanJ.html http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=518〔沖教授は、ダムどころか原子力発電をも容認しているようです〕)。馬の耳に念仏、暖簾に腕押し、糠に釘の国土交通省にとっては、寝耳に水にして晴天の霹靂、そして頂門の一針となったのです。

 そんなものがあることは知っていた、と負け惜しみを言ってみたかったようで(もっともそうなると、あるのを知っていて隠していたことになり、いささか不都合です。逆に知らなかったとすれば見逃していたことになるわけで、いずれにせよ汚名返上は不可能です。へたをすると汚名返上でなくて名誉返上、名誉挽回でなくて汚名挽回、になってしまいます)、現場調査の一方で、さいたま市の関東地方整備局と筑西市の下館河川事務所は撮り溜めた秘蔵写真を全部ひっくり返して、それらしいものを血眼で探索したのでしょう。9月10日の氾濫直後の15時13分の現場写真が出てきました。おそらく堤防上から一帯を撮影した数百枚?の中に紛れ込んでいたものでしょう。さきほどの「調査委員会」資料21ページの写真です。

 下左に拡大しましたが、あとから見ればたしかに、川表側から浸透した河川水が、砂がフィルターになって濾過され「澄んだ水」となり、決壊地点から溢れてきた濁った河川水の中に、大きく円を描いています(500mほど下流からの氾濫水が流入し停滞した時点でも、パイピング現象がしばらく続いていたことがわかります。いずれにせよ、ここのパイピングは堤防決壊にはいたらなかったということです)。もちろん写真を撮った時点では、これがパイピング現象だとは誰も気づかなかったのです。広い範囲の冠水の様子を記録するために漫然と撮った数百枚?のうちの1枚にすぎません。国土交通省は、芳村准教授に教えてもらうまで、まったく気づかなかったのです。その場で気づいていれば別の角度からも、そして当然アップでも写していたはずです。なによりその時点で「月の輪」を作るなり、せめて目印に赤リボンをつけた棒くらいは立てたはずです当 naturalright.org が、同じ位置、同じ画角で撮影したのが右の写真です〔2015年12月1日〕)

 それにしても、9月15日ともなれば、浸透と決壊から5日を経過し、水も引いて「澄んだ水」と「濁った水」のコントラストもなくなっています(航空写真を見ると、9月11日午前にはすでに水は完全にひいています。自然堤防地形で標高が高いのです。http://map03.ecom-plat.jp/map/map/?cid=20&gid=524&mid=2251 のメニューで選択表示できます)。乾いて白くなった砂であれば目立ちますが、9月15日には写真からわかるように湿って黒っぽい状態ですから見分けるのは容易ではありません。芳村准教授の着想、行動力、慧眼、まさに畏るべしです。

 


 

 かくなるうえは、新聞テレビ企業にあっては、こんな大事なものもみつけられなかった関東地方整備局の「節穴」ぶりをぜひとも徹底的に叩いてほしいところです。ついでに9月10日の午前中に常総市役所がこれをみつけていれば早々と避難指示を出すことができた筈だと、「避難指示の遅れ」問題でのバッシングを続けて欲しいものです。ところが、なにせ自分たちもすぐ脇を通り、決壊前の越水のころからずっと行き来して(通報を怠って)撮影に専念していたのに、結局は決壊地点にだけ目を奪われていたのです。それどころか視聴率を稼げる「ヘーベルハウス」や「電柱おじさん」のスペクタクル映像をものにしたことで大満足だったのです。そのうえ、2日前の13日の「専門家」の現地調査に随行し、まさにこの地点を素通りして対岸での安田先生による子供騙しの「越水による決壊」談話を取材して何ら疑うこともしないで忠実に広報してしまったのですから、いまさら口が曲がってもそんな偉そうなことは言えません。

 テレビに出た安田進先生も本当ははらわたが煮え繰り返るおもいでしょうが、大御所の「専門家」として持ち上げられて、送迎車両で殿様行脚したあげく教えられた通りの台詞を喋ってしまった、そんなご自分の不見識を恥じるほかないでしょう。

 

閑話

 

 写真というのは、このように撮影者の意図を超えて、いろいろなものを写してしまうものなのです。国交省はこの調子で、膨大な証拠を持っているのです。そのうえで、隠したり解像度を落としたりトリミングしたりと、さんざん出し惜しみをして国民を欺いているつもりなのですが、じつはこのように自分で自分の眼も塞いでしまっているのです。写真だけではありません。このあと勿体無くもその一端を垣間見せていただけることになりますが、衛星写真、航空写真、動画、測量データ、ボーリングなどの測定データ、さらにはさまざまの証言などを無尽蔵に保有しているのです。

 しかし、相手を騙そうとして都合の悪いもの隠し立てしたうえ、ごく一部のものだけさまざまの選別加工を施した上で「公表」するにあたって、よからぬ意図のもとにおこなうそのつどの観点からの作業には、なおさら、不可避の遺漏、偏向、過誤が生ずるのです。余計なことをしないで一切合切公表しておけばそのうち誰かが気づいてくれるでしょうが、世間を欺いて意図した方向へ無理矢理誘導しようとした挙句、停滞、迷走、頓挫して結局のところ自分で自分の眼を塞ぎ、勘を鈍らせ、思考を鈍磨させ、ついには士気まで沈滞させて、相手以上に自らを欺くことになるのです。真実を探すのもたいへんですが、隠すのもけっこう大変なのです。(福島第一原子力発電所事故、東京オリンピックの国立競技場問題、同じくエンブレム問題、基礎杭データ偽装問題、あるいはフォルクスワーゲンの不正ソフトウェア、などなど、当のご本人たちは何が本当で何が作為だったのかが判らなくなって呻吟している違いありません。正直に本当のことを言えと言われても、どこまでが本当のことでどこからがウソだったのかが判らなくなってしまっているのです。)

 

 問題はこの先です。このことは、「追及する」側も気をつけなければならないことです。騙そうとしている人たちを批判するには、当の相手が他人を騙そうとして自らをも騙していることを把握したうえで、だれからも隠されている事実にせまらなければならないのです。さかんに相手を非難してみせたところで、実態にせまる努力を怠っていると、成り行き上、かんじんのところで相手が繰り出すみせかけの「事実」を無批判に受け入れてしまったり、相手が放った妄言 fake の「論理」を批判しきれず受け入れてしまったりするのです。満座の注目をあびて格好よくやっつけたようにみせてはいるものの、前提となる事実認識や論理を「共有」したうえで、「結論」部分でだけ相手を貶めて悦にいるという救い難い泥沼の淵に沈むことになります。

 このたびの件でいえば、「若宮戸」(25.35km地点)に「自然堤防」があったことを前提とする議論はすべてがこの実例です。中学生でも知っている(筈の)用語を間違って使って議論しているのですから、何も明らかにならず何も解決しません。河畔砂丘 Sand dune と自然堤防 Natural levee の弁別もつかず、そのうち砂丘と堤防と土嚢 sandbag の区別もつかなくなって、議論は底なしの泥沼状態です。現状は、国土交通省の暖簾・馬の耳・糠に完璧にシンクロしてしまって手がつけられない惨状を呈しています。「品の字」積みの土嚢は2段では1.6mで、最高水位に70cmほど足りなかったので、これにもう1段足して3段にしておけばよかった(のかもしれない)などと言いだす人も出てくる始末です。

 

 「若宮戸」(25.35km)ほど一目瞭然、明晰 clear にして判明 distinctive な事例はないと思うのですが、そこですらこの状態であっては、それよりは少々複雑な「若宮戸」(24.75km)や、況んや「三坂町」については、絶望的な状況です。たいていの場合、「若宮戸」の話をするときですら、24.75km地点のことなど綺麗に忘れられています。「三坂町」については、ほとんどの場合、「越水による決壊」という作り話を何の検討もせずに受け入れてしまい、高さが足りないことが一番の問題だと安易に思い込んでしまうのです。「水位」というひとつの尺度だけに過度に拘泥してモノを考える単純思考が落ち堀に嵌りこんでしまっているのです。もちろん「水位」は重大なファクターです。しかし、批判しているつもりでいて、豪雨による「水位」上昇、計画高「水位」、「水位」上昇による越「水」、などの抽象レベルに収斂する国土交通省関東地方整備局の貧弱な思考パターンに、不知不識引き摺られてしまっているのです。

 「避難指示」問題にしても、後知恵で非難する論調は論外ですが、どこの水位観測所の「水位」か(「川島」か、「鎌庭〔かまにわ〕」か、「鬼怒川水海道」か)という重要な論点を外したまま、ほとんどの人たちが「川島」の緩やかな曲線を出されているのを気にも止めずに、呑気にあれこれ論じているのです。いっぽう、国土交通省関東地方整備局は、〝史上最高水位〟を強調するためにとなれば、一転して「鬼怒川水海道」の「8.06m」をもってきて黙らせようとするのです。すると、「鬼怒川水海道」のツンと尖ったグラフに引っ掛かってしまい、思いつきの「利根川からのバックウォーター論」をしたり顔で解説する「専門家」やニュース解説がゾロゾロと出てくるのです。

(損害保険会社や行政機関は、浸水被害を、床下か床上か、床上でも何cmかと、「水位」でもっぱら測定しようとするのですが、これも同様の発想なのです。床上だったとしても、何cm以上でなければ「床上浸水」と認めない、「大規模半壊」と認定しないなどど、訳のわからないことを言い出して、被災者を泣かせているのです。)

 

 水位がどうでもよいと言っているのではありません。「若宮戸」や「三坂町」について考える上では、「川島(45.65km)」ではなく、「鎌庭(27.34km)」を参照すべきであることは、別ページで示したとおりです。これなど、素人の思いつきにすぎませんが、「利根川からのバックウォーター」については、利根川の芽吹橋(めふきばし 茨城県坂東市)、高野(こうや 茨城県守谷市)の2地点と、鬼怒川の鎌庭、鬼怒川水海道の2地点、あわせて4地点の水位変化のタイムラグから、その可能性を否定した芳村圭の分析は見事です。(これは、「第2報」で追加された重要論点ですが、今ここでは扱いません。このまさに「水」際立った鮮やかな分析については、報告書でご覧ください。

 洪水問題を考える際に「水位」にばかり拘泥する人たちは、結局のところ、具体的に数値で示されることに幻惑されて思考停止に陥り、それを究極の事実と誤認したうえで一面的・抽象的・表面的に水位を論じているのですが、じつは、その「水位」の意味内容でさえただしく把握できていないのです。

 

閑話休題 

 

 芳村圭准教授に先を越された国土交通省関東地方整備局は、決壊地点周辺を血眼になって探し回ったようで、資料のとおり、下流側20.25km付近で何箇所かパイピングの痕跡を見つけ出しています。ここも当 naturalright.org として、2015年12月1日に撮影してきたところ、今すぐにでも何とかしなくてよいのかと心配になるようなただならぬ状況になっていて吃驚仰天したのですが、国土交通省関東地方整備局下館河川事務所にしてみれば、そんなところは何百箇所もあり、それこそ「全域にわたり同レベル」であってどこから手をつけていいのかわからないということなのでしょう。この地点についてはのちほど、詳しくみることにします。

 芳村准教授がみつけた上流側21.5km地点や、国土交通省が探し出したこの下流側20.25km付近の数か所かだけでなく、より決壊地点に近いところではどうだったのかも、重大です。国土交通省は、決壊当日から現場に入って仮堤防建造工事に着手し、工事のための貯蔵所や作業場として堤内側に何箇所も土嚢積みや盛り土を施しているのですが、その際には、やむをえないこととはいえ、パイピングの痕跡の有無などは確認する余裕もなかったでしょう。写真は撮ってあるでしょうが、仮にそれらしいものが写っていたとして、それはもう永久に日の目を見ることはないでしょう。

 

 そしてもっとも重大なのは、当然ながら、「決壊地点」ではどうだったのか、です。しかし、当然ながら、決壊地点では堤防は150mにわたって完全に失われ、堤体内パイピングの有無を示すものは、物体としてはまったく残っていないのです。なお、決壊幅は200mとされているのではないかと思われるかもしれませんが、完全に失われたのは150mほどで、上流側の50mほどは川表(かわおもて 河川水の側=堤外〔ていがい〕)側が半分以上抉られ、川裏(かわうら 陸地側=堤内〔ていない〕)側の半身が残っているのです(この項目の冒頭、前ページで見た、「専門家」の先生方が伏し目がちに引き上げる場面に写っていた「赤い腰壁の建物」とケヤキの大木の地点です)。これを単純に決壊幅は200mだったと言っているのですが、ここにじつは本鬼怒川水害事件最奥のトリックが仕込まれているのです。これもこの先、詳しく見ることにし、とりあえずは国土交通省関東地方整備局が9月28日の「鬼怒川堤防検討委員会」に向けて作成した資料の範囲で検討を進めることにいたします。

 

 かくして、9月28日に、さいたま市の関東地方整備局のオフィスで、「第1回鬼怒川堤防調査委員会」が開催されました。まんまと担がれた安田進先生は抗議の辞任でもしたのかと思いきや、担がれっぱなしで委員長に就任しています。

  その場で、「パイピングの可能性が排除できないと考えられる」という一文が入った、国土交通省関東地方整備局渾身の力作電気紙芝居が上演されました(「第1回鬼怒川堤防調査委員会資料」p. 27.)。



 「越水破堤」一本でいきたい、パイピングなんか「排除」したい、という邪な願望を隠しもしない無神経ぶりです。報道企業各社は国土交通省の胸中をお察しして、この日の「委員会」の結果について、決壊の原因は「越水による破堤」であったと、例によってピンボケ報道を行いました。しかし、それは曇った眼に映った虚像にすぎません。このワン・センテンスこそ、若手研究者のロジックによってそのチープなレトリックを一瞬のうちに根底からくつがえされてしまった国土交通省関東地方整備局が力なく掲げた白旗であり、事実上の敗北宣言だったのです。

 そうであれば広報用の演し物であるこの会合は、勿体ぶった小綺麗なビルの中ではなく、常総市の泥をかぶった公民館をお借りして開催するのが相応しかったように思います。広さは十分ですし、自分たちに委ねられていた責任の重大さを噛み締め、それを果たさなかったがためにどれほどの重大な結果をもたらしてしまったのかについて、そのほんの一端を認識するためにもよかったのではないでしょうか。 

   

常総市平町(へいまち)の常総市大生(おおの)公民館  2015年11月22日

水田の稲穂が氾濫水によって真南(右方向)に倒れています。

常総市南東部は、もっとも浸水深が高かったところです。

壁紙の変色や剥離のとおり、3m以上浸水したようです。


 

 以上を前置きとし、三坂町堤防決壊事件の本体部分にとりかかります。鬼怒川水害事件の天王山ですので、次の「3」で終わりではありません。芳村准教授のように軽快な足取りとはまいりませんが、素人の匍匐前進です。