この「24.75k」については、本来24.63kとすべきところ、国交省が不適切にも「24.75k」としていたのです。本www.naturalright.org もだいぶ長い間この誤謬に従ってしまいました。「24.75kにおける氾濫」等を、「24.63kにおける氾濫」等に訂正します。

 すでに作成した文章・図の記述を全部訂正するのは困難ですので、元の記述のままとしますが、どうかこの点ご承知ください。


若宮戸の河畔砂丘 2 24.75kの押堀

 

 

13, Dec., 2018

 

 国交省が、水害発生当日の2015年9月10日午後2時55分に、おそらくヘリコプターから撮影した航空写真です(W9R7708)。ソーラーパネルの大半が水没しています。この地点での観測データはありませんが、もよりの観測地点のデータから類推すると最高水位からおおむね50cmほど低下しています。しかし、若宮戸でも三坂の破堤点同様、まだまだ激しい流入が続いている段階です。当日の似たような航空写真はほかにもいくつかありますが、これほど水位の高い時の写真は少ないのです。

 ほとんどの静止画像はこれより遅い時刻に、水位が下がった状況を撮影したものです。さらには翌日以降のものです(グーグル・クライシスレスポンスのものなど、それはそれで重要であることにはかわりありませんが)。テレビ放映された動画はいくつかあるようですが、現在見ることはできません。静止画像として切り出しブログ記事などに引用しているものはありますが、解像度が低いうえソーラーパネル部分のアップばかりで、24.75kなど周囲の状況がわかりません。もともと撮影・放映されなかったようです。(矛盾したことをいうようですが、解像度が低くてもアップ画像だと、その部分に関しては利用価値があります。25.35kのソーラーパネルの周縁に積まれた「品の字」土嚢の堤防もどきが水没している様子がよく写っています。)

 

 

 国交省のW9R7708で重要なのは、南側=下流側の24.75kで、河道から河畔砂丘を掘削した低地へと氾濫水が流入している様子が捉えられていることです。キヤノンのプロ用高級機をつかっているのに公表にあたって解像度が72ピクセル/インチまで大幅に落とされているのはまことに残念ですが、それでもある程度の拡大には耐えるので、24.75kの氾濫状況がかなりわかります。

 

 左のサムネイルで、25.35kのソーラーパネル部分には茶の矢印をつけて区別しました。

 24.75kへの流入口を青緑矢印で、河道から流入したあとの氾濫水の流れの方向を黄矢印で、押堀(おっぽり)を通ったあとの流れの方向を橙矢印で記入しました。

 黄矢印の水面から橙矢印の水面への出口は押堀部分だけです。慰霊塔の白を砂丘が切れていると勘違いしないように気をつけます。

 

 

 24.75kの氾濫水の流入経路は、25.35kのように氾濫水の流入幅が200mに限られるのではなく、広範囲にわたっています。河畔砂丘の南端(右、下流方向)が写真から切れているので、そこのところはよくわからないものの、河道側の第一列めの砂丘の、全線からではなさそうですが、緑青矢印のように広狭あわせて数か所から流入しているのがわかります。

 さらに部分を切り取ってなるべく大きくしてみます。画面いっぱいになるよう左の方と、右の方の2コマに分けました。上述のとおりあらかじめ解像度をおとしてあるのでひどい画質ですが、それでも河道からの流入口がはっきりわかります。浮遊物あるいは溶かし込んだ土砂の差異によるのでしょうか、水面に色の違いがあり、流入の方向などをうかがい知ることができます。

 上流側を拡大した画像では、ソーラーパネル地点のすぐ脇には大きな開口があり、そこから入った氾濫水が、慰霊塔直下の掘削されて真っ平らになった公園・駐車場を抜け、その右の砂丘ではない樹林と市道を抜けて、水管橋方向に流入していることがみてとれます。そこから左へUターンして押堀です。下流側を拡大した画像では、河道のすぐ脇の一列目の砂丘の〝畝〟(慰霊塔のある、〝主峰〟といえる〝畝〟と比べると、かなり小規模です。掘削されたのではなく、未発達なのでしょう)がところどころ低くなっている部分から、流入していることがはっきりわかります。

 流入口は、ひとつにつながっているわけではなさそうですが、差し渡し1km近くあります。

 


 

 若宮戸24.75kの映像は、遠景の空撮でもフレームから外れることが多いのです。午後2時55分の国交省のW9R7708は、24.75kが写り込んでいるものとしては最も水位が高かった時点の航空写真のようです。

 参考のために、防災科学技術研究所(NIED  http://www.bosai.go.jp)が撮影し、現在も公開している航空写真を見ます。「20150910-165553.nied」というファイル名のとおり、2015年9月10日午後4時55分53秒の撮影です(http://ecom-plat.jp/nied-cr/index.php?gid=10132 で232枚がzip圧縮形式で一括してダウンロードできます。自然解凍後、ファイル名で選びます。なお、NIEDウェブサイトには他の日の写真もあります)。国交省のW9R7708からちょうど2時間後で、水位が下がり25.35kのソーラーパネルがかなり水面から出ています。それでも、「品の字」土嚢の堤防もどきは9割ほどが水没して流入が続いているほか、24.75k地点への流入が樹木に隠されずにはっきり確認できる箇所があります。国交省のW9R7708より解像度が高い(300ピクセル/インチ)ことで、画面下の下流側では堤防際まで全面的に冠水している様子もよくわかります。

 

 

25.35kの「品の字」土嚢の堤防もどき(どこにあるか知っているから、かろうじてわかるだけです。)

 

もとの画像で、鬼怒川水管橋と画面左端の中間点あたり、左上の河道から右下の砂丘側へ流入している様子がわかります。


 

 航空写真を2枚見ましたが、地上写真となると24.75kでは産経新聞が撮影した動画が唯一でしょう(フジテレビで放映されたものと思われます。現在もYouTubeにあります。https://www.youtube.com/watch?v=hgTyyu2XbcE)。

 ここがどこかは、次のページでご説明します。いまは、24.75kの氾濫の激しさをごらんください(前半の20秒ほど。後半は県道24号線旧道の石下橋から左岸堤防をここまで約2km歩いてくる途中、若宮戸2地点からの氾濫水に襲われる住宅地の様子を堤防上から撮影したものです)。

 この24.75kの大氾濫を、国交省はじめ、国策派・反国策派をとわずほとんどの研究・報告が軽視・無視してきたのです。

 


(1)市道東0280号線をカサンドラ・クロスへ

 

  24.75kの氾濫経路のうち、押堀(おっぽり)から手前(耕地や住宅側)の様子はだいたいわかっていますが、どうしてここに押堀が形成されたのか、あるいは押堀の手前の流路がどうであったか、などについて説明した報告は存在しないようです。このため、たとえば市道東0280号線が砂丘を横断する部分から氾濫が起きたとする、もっともらしい風説も流されました。なにより、一帯の地形についてのひとおとりの説明すらなされていないのです。今ここでは、氾濫のメカニズムについて結論めいたことを述べてしまうのではなく、いささか冗長ですが、24.75k周辺の若宮戸の河畔砂丘の地形を見てまわることにしたいと思います。

 とはいえ、「鬼怒川堤防プロジェクト」により堤防が建設され、若宮戸の様子は激変しました。今行っても水害時の様子はまったくわかりません。残念ながら、水害前の写真はありませんが、一応直後といえる2015年10月から12月にかけて撮ったものを観点別に見てゆきます。(撮影日は個別には表示しませんが、2015年10月26日、10月27日、11月19日、12月15日、12月18日です。)

 まず写真だけを見ます。たくさんあるので、2ページに分けます。そのうえで(3ページ目で)地図と照合し、氾濫の経路・メカニズムをあきらかにします。

 市道東0280号線ルートで、砂丘にはいり、東側の砂丘の残丘、仮堤防や押堀、中央のもっとも標高の高い砂丘が掘削された平らな草地、岸辺にある西側の砂丘を見て歩きます。

 市道東0280号線、高圧送電線、押堀が、全部一点に集中しています。カサンドラ・クロスと呼んでおきます。こんな名称は他では通用しませんが、写真や地図を見るときにこれを想起すれば、この地点を見失ったり誤認することはありません。(前ページ参照)

 

 右に25.35kのソーラーパネルが少し見えていますが、24.75kの全景です。

 グーグルマップの「航空写真」の「地球」オプションによる3D画像です(グーグルアースでもオプションで同様の表示が可能です)。俯角・方向を変えられます(ここではなく、グーグルの画面で)。衛星による実写画像を特殊処理したものです。お絵かきソフトによる描画ではありません。

  動いているものは写りませんから、道路がガラ空きになります。したがって、路上の自動車は駐車車両です

 出発の前にランドマークをご説明します。

 ランドマークとなるのは両岸の紅白鉄塔と、ここでは見えませんがその間の高圧送電線、鬼怒川水管橋、慰霊塔です。大抵の写真にこのどれかが写っているので、撮影地点、撮影方向がわかります。

 このあと東から「市道東0280号線」を通って、若宮戸の河畔砂丘「十一面山」に入り、岸辺近くまで行きます。

 押堀を中心に拡大します。赤が最初にたどる市道東0280号線です。

 それと交差する緑が市道東0283号線です。東0280号線が画面中心の押堀で途切れたので、仮堤防設置工事のために、黄の迂回路が造成されました。

 高水敷際の紫が名のない道路です。

 茶は左岸堤防で、下流の石下橋から上流へたどると、水管橋をくぐったあとで右へ60度向きを変え、市道東0280号線のところで突然途切れます。天端は市道東0282号線になっています。

 

 河川区域の境界線も示しておきます。図の橙破線です。突然終わる堤防から、330度折れる奇妙な線引きです。これから見る市道東0280号線を河川区域境界線がとおります。なお、青の網掛けはタイトルのとおり、2002(平成14)年7月の氾濫実績です。(ウェブサイト「平成27年関東・東北豪雨災害〜鬼怒川水害〜」http://kinugawa-suigai.seesaa.net〕が、国交省に開示請求して開示を受けたものです。感謝して引用させていただきますhttp://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/pdf/waka-7-1.pdf


 東から伸びてくる市道0280号線は、紅白鉄塔直下で河畔砂丘「十一面山」に入ります。上のグーグルの地図の赤の線のいちばん下です。

 「慰霊塔入口⬆︎」の表示が見えます。毎年、盛大に慰霊祭がおこなわれるのですが、その際にはここから何十台もの車列が入っていくのです。

 上りきったところが、河畔砂丘の一番東側の砂丘の残丘です。手前の自然堤防地帯よりかなり標高が高いことがわかります。

   画面ではわかりにくいですが、だらだら上り坂を、河畔砂丘の入り口に向かいます。

 

 頂上手前です。

 「市道東0280号線」であり、私有地でもないのですが、下館河川事務所による「立入禁止」です。とはいえ、この先に押堀があるので、落ちたら危ないと親切で表示しているに違いありません。

 そもそも河畔砂丘「十一面山」の北西側からでも、南東側からでも自由に入って、このすぐ先まで入ってくることができます。

 入ります。

  すると、「立入禁止」の先にまた「立入禁止」標識です。

 ここは十一面山のもっとも東側の砂丘の〝畝〟の残丘部分です。左側は、ここで突然途切れてしまう鬼怒川の左岸堤防(市道東0282号線)です。ここから上流のソーラーパネルの先までがずっと無堤防区間です。

 この堤防と右に見える市道東0280号線とは、約30度の角度をなしています。広角レンズによる映像なので、平行に見えてしまいますが。

 

 市道東0280号線を進む前に、ちょっとだけこの左岸堤防(市道東0282号線)を歩いてみます。

 この先で左に60度折れ、鬼怒川水管橋をくぐり、石下橋方面に続きます。曲がり角のところで右下に降りるのは、仮堤防工事用の斜路です 

 GoogleEarth のオプションで表示される「過去の映像」から、2005年3月27日撮影の映像です。水害の10年前です。時代を感じさせる粗い画素の画像です。

 茨城県による鬼怒川水管橋の工事中ですが、仮設の工事用道路が、この左岸堤防の60度屈曲部を乗り越え砂丘末端部を抜けて元牧草地までつくられています。

 

 振り返って、市道東0280号線との合流点を見たところです。

 天端は未舗装で、幅は多めに見て、3m足らずといったところです。国交省の文書では4mといっていますが。測定棒の赤白の縞はそれぞれ20cm、全長2mです。

 さきに見た激しい氾濫の映像を撮った産経新聞のカメラマンは、石下橋から約2km歩いて来て、この突端の残丘から撮影したのでしょう。

 

 市道東0280号線に戻ります。残丘の頂上から、登ってきた方向を振り返ってみます。傾斜がよくわかります。

 坂下の自然堤防上は標高19m、若宮戸の河畔砂丘の一番東側のこの部分の残丘は22mですから、3mほど高くなっています(T.P.値で。Y.P.値はこれに84cm加えた値です)。砂として売り飛ばされる以前は、ソーラーパネル近くの最高地点は、標高32.25mでした。

 

 その頂上部から、さきほどの堤防の反対側に、水害後のにわかづくり土嚢の堤防もどきが見えます。差し渡し117.50mですが、下半分が盛り土、その上に土嚢で3段の〝ハイブリッド構造〟で、ざっと5mほどの高さがあります。

 25.35kのにわかづくり土嚢の3段積みの2倍の高さがあります(水害前の、2014年作の堤防もどきは、「品の字」2段積みでした)。一応「計画高水位」にあわせたのでしょう。

 対岸の紅白鉄塔と、慰霊塔が見えます。

 砂丘の残丘の頂点で南西へとすこし方向を変えた市道東0280号線を、南西へ下ります。半分くらい下った途中で、今来たところを振り返ります。

 仮設堤防の端部に大量の土嚢がつみあげられています。水害の前年に25.35kでソーラーパネル前面に置いた土嚢の「品の字」積み堤防もどきは、弱点だらけですが、特に両端部は完全にバラバラになって散乱したので、今回はおおいに反省して、効果のほどは別として強化しているのです。

 仮設の土嚢の堤防もどきです。高さ約5mです。全体に遮水シートがかけれれているのですが、とくに基部からの浸透を憂慮している様子が見て取れます。これでどれだけの効果があるかは別として、これも25.35kの「品の字」積み土嚢の堤防もどきがどのように崩壊したかを知っているがゆえの措置でしょう。

 向こうが、十一面山の中央部を貫いていた砂丘と、その上に建つ慰霊塔です。

 

 市道東0280号線を降りてきた正面が、氾濫水が噴出した地点の押堀です。フルサイズ換算24mmの広角レンズで、かろうじて全体がはいります。ざっと差し渡し80mほどです。全体を入れるために広角レンズで遠景を撮ると、平板で小さく見えてしまいます。

 かすかに紅白鉄塔が懸架する送電線が見えます。市道東0280号線と送電線が交差する点(上空から見て)がちょうど押堀の中心です。

 押堀をさけて、迂回路がつくられました。ブルドーザのキャタピラ痕があるのがそれです。

 左奥が氾濫水の流入口で、右奥に水管橋が見えます。押堀の対岸は若宮戸の河畔砂丘「十一面山」の中央の〝畝〟の、かろうじて残っていた一部分の斜め断面です。右側から、どんなに少なく見積もっても数百万㎥、最大見積もりで1400万㎥の氾濫水が耕地や住宅地へと噴出していきました。

 説明が遅れましたが、この部分では市道東0280号線が河川区域の境界線となっています。市道東0280号線の南東側が河川区域です。

 押堀の東岸は段付きになっています。ある程度地均しはしてあるようですが、押堀を埋めてはいないでしょう。仮堤防を作るのが先決ですから、押堀を埋める余裕はありません。

 橙のチューブは市道東0283号線まで続く低圧送電線が、この部分だけ市道東0280号線の道路下に埋設されたものでしょう。影も形もなくなった市道東0280号線のルートをさぐる手がかりです。

  やや望遠にして南西方向を撮影したもので、 対岸(西岸)を見ています。下に部分拡大し、目印となるものを示しました。

 押堀の水面はだいぶ下がっています。水面近くの倒木の向きで、水流の方向がわかります。左側の倒れかかった樹木の向きから、押堀が根元の地面を洗掘していったことがわかります。

 対岸の断面を見ると、市道東0280号線は、やや盛り上がっています。

 市道東0280号線は、ここで十一面山の中央の〝畝〟を横断するのですが、〝畝〟は単純なカマボコ形というわけでないので、市道東0280号線は、一部は切り通しになったり、一部はここのように左右より高くなったりしています。

 いずれにしても、市道東0283号線交差点からこの地点まで、氾濫水が市道東0280号線の路上を通ってきたのではないようです。この部分も水位が高い時に冠水したでしょうが、氾濫水の主要な経路は、南の水管橋手前の草地から押堀南側に入り、中央の砂丘の〝畝〟のわずかに残っていた残丘を、そこを横断する市道東0280号線ごと、根こそぎどころか地下6mまで洗掘し、そして、押堀北側から河川区域外の耕地や住宅地へと抜ける、というものでした。


 ここで押堀の対岸にワープし、押堀の西岸=左岸側の市道東0280号線の切断面手前から、右岸=東岸をみたところです。左奥の樹々の間から見えるのがハイブリッド土嚢の仮堤防です。

 画面中央、対岸の崖のなかほどの橙がさきほどのチューブです。すなわち市道東0280号線でしょう。こちら岸は何もしていませんが、対岸は工事用の通路のために砂を入れて地均ししてあるようです。チューブの水平方向は元のままでしょうが、深さは変えられている可能性があるので、臆断は控えます

 そこから市道東0280号線を南西に進み、押堀を振り返ったところです。

 下に落ちているのが、さきほど対岸から小さくみえていた2枚の「立入禁止」のお札です。別の日に撮影したもので、この日は落ちていました。

 そんなことより、画面右の大樹の根元付近をみると、数十cmほど掘り下げた切り通しになっています。このあとの3枚にも同じ場所が写っています。

  南西に進んだ市道東0283号線との交差点です。そこから押堀のある北東方向を見ています。

 水位が高い時点では冠水したでしょうが、ここが氾濫水の主要な通り道になったのではありません。

 

 上のカットは広角(フルサイズ換算24ミリ)で撮っていますが、同じ場所から中望遠(同127ミリ)で撮ったのがこれです。

 押堀の右岸=東岸、市道東0280号線と迂回路の分岐点であたりを見物している人たちです。(正体はのちほど。)

 画面中央が、 市道東0283号線と市道東0280号線との交差点です。そこから北東方向を見ているところです。

  送電線が市道東0280号線上空を斜め横断する、その真下が押堀です。

 交差点左手前の角で裏面を見せているのが、慰霊塔案内板です。

 さきほどの切り通しの件ですが、すぐ南東側(画面右)はご覧のとおりですので、切り通し部分がそこだけ低くなっていた、というものではありません。

 回れ右します。市道東0283号線と東0280号線の交差点から、 河道方向に向かう市道東0280号線です。一番河道寄りの西側の砂丘をこえ、その先の河岸を通る名のない道路との丁字路となります。

 路面のキャタピラ痕は、水害後に仮堤防建設のためのブルドーザが入ってきた時のものです。

 

 このページの冒頭の国交省の航空写真 W9R7708で見ると、この砂丘を超える市道東0280号線の坂路部分からも流入がおきているように見えます。ただし、この写真の通り、道路のためにそこだけが低くなっている(常総市役所土木部が掘削した)というわけではないようです。樹木がないので、水面がつながっているのがよく見えただけでしょう。

 

 若宮戸河畔砂丘の一番西側、河道沿いの〝畝〟を越えた、市道東0280号線が鬼怒川左岸で終わる地点です。名のない岸辺の道との丁字路交差点になっています。名もない道路の直下の緑は左岸の高水敷、その先は右岸の堤防と住宅です。ご覧の通り、仮設堤防工事のために北西からブルドーザが自走してきたようで、斜めの道路を付加してあります。

 左の樹木の赤テープは氾濫水位のように思われます。小さな棒の赤いピラピラは、注意箇所の目印のようです。

 

 ついでに、さきほどの市道東0280号線交差点にもどり、案内看板に導かれて、市道東0283号線を慰霊塔に向かいます。

  市道東0283号線と市道東0283号線との交差点から市道東0283号線の北西方向を見たところです。。

 さきほど裏が見えていた案内板です。すぐ先に慰霊塔があります。稲葉石油の先代が建立したアジア太平洋戦争の死者を弔うストゥーパです。

 慰霊塔前の「運動場・駐車場」です。目の高さに氾濫時の漂流物が引っかかっています。これでも最高水位というわけではないでしょう。ここは4m近く冠水しています。

 流れて来た流木などの漂流物も残されています。フェンスに引っかかっていたのを、通行のじゃまになるのでブルドーザで空き地側に片付けたのでしょう。

 

  さきほど押堀の東岸にいた団体です。どこかの水害視察団一行でしょう。国土交通省関東地方整備局の作業服を着た職員の案内がつくので、国策派団体でしょう。あるいは、制服以外の人も国交省職員かもしれません。

 押堀を見にきた帰りのようですが、他のものにはあまり興味がなさそうでした。写真を撮るわけでもなく、地図を見るわけでもなく……。慰霊塔も素通りです。そこからは十一面山全域、もちろん鬼怒川の河道、24.75kからの氾濫で破壊された家々、さらには筑波山や日光連山も見えるのですが。


(2)押堀を迂回する工事用仮設道路 

 

 押堀を詳しく見る前に、市道東0280号線が氾濫水で流されて押堀になってしまったあと、仮設の堤防もどきを建設するために造成された、これまた仮設の工事用迂回路を見ます。目の離せない重要地点を通っています。地図の標高の数値だけを見て、抽象的かつ単純に考える前に、地形を具体的に把握しなければなりません。

 赤が市道東0280号線、黄が迂回路です。手前、押堀のほとりの北側から出発します。

 

 画面中央やや左、林に隙間があり、手前に橙チューブがぶら下がっているすこし盛り上がった断面が、市道東0280号線です。本来ならここからそこへまっすぐ進めたはずです。

 

 左にカーブして、正面が河畔砂丘の中央の〝畝〟が首の皮一枚残っていた部分です。クヌギ(?)の一本立ちの右が押堀の入り口、その左の樹木数本をへし折り根こそぎにして通した迂回路が南西の草地に降りるところです。

 左は左岸堤防(市道東0282号線)が左に60度カーブする地点です。土嚢の脇はこれまた急造の工事車両用の坂路です。

 

 これが残っていた首の皮一枚の南東側断面です。断面のいたいたしさは、押堀左岸の首の皮一枚とほぼ同じです。

 押堀の方は氾濫水によるものであるのは確実ですが、こちらは、おそらく今回の工事用道路を通すために、国交省が樹木を伐採し、砂丘を掘削したものでしょう。押堀を埋めている余裕はないし、こうでもしないとアクセス路を確保できないのです。

 樹木をへし折ったのは別として、洗掘は氾濫水によるものだった可能性もないとは言えませんが

 大きく段差があって、その先の草地におります。左が鬼怒川を横断する水管橋、右奥が河道です。

 手前のクヌギ(?)の大木のとなりの哀れな樹木は、氾濫水によってではなく、迂回路確保のためにへし折られたのでしょう。他にもこのような例はあります。氾濫水はこういう破壊のしかたはしません。根こそぎにして持っていってしまいます。

 降りてきたところで、振り返ります。

 ライトバンの右前、ぬかるんでいるところの左、手すりの向こうが押堀の入り口側です。

 右の草原は、かつて十一面山の中央の砂丘があった場所で、砂を採取して完全な平地になっています。一時は牧草地になっていたようですが、現在はただの草地のようです。ここに入ってきた氾濫水が水たまり部分から噴出し、押堀をつくったのです。

 左右の首の皮一枚部分は、冠水はしたでしょうが、氾濫水の主要なルートは巨大な押堀です。

 

 ふたたびライトバンの手前に戻ります。くどいようですが、ここがもっとも重要な地点ですから、よく見ておきます。

 このライトバンではスタックしてしまって出られなくなるような泥濘です。フェンスの右が押堀の入り口側の開口部です。

 氾濫水がやってきた平地と、鬼怒川水管橋を見たところです。奥が河道に一番近い、砂丘の西側の〝畝です。

 迂回路は市道東0283号線との丁字路で終わります。左の樹林のところです。

 その丁字路を、市道東0283号線と市道東0280号線の十字路から、見たところです。

 市道東0280号線と市道東0283号線の交差点です。さきほど(1)で通った地点です。北東方向、奥が押堀です。

 このあたりの風景だけを見ていると、じつに長閑なのですが。

 


(3)鬼怒川水害最大の押堀

 

 さきほど迂回した押堀(おっぽり)を見ます。

 「落堀(おちぼり、おっぽり)」とよぶのが一般的ですが、落堀は低地に人為によって作る排水路のことで、氾濫水が地面をえぐってできる押堀(おっぽり)とは全く別のものですhttp://www.ajg.or.jp/disaster/files/201610Bousai_Yougo.pdf。ほとんどすべての報告書、ネット上の記事、河川工学の書籍、もちろん国交省の文書もですが、ほぼ100%が不正確に「落堀」と呼んでいますし、当 naturalright.org も同様でした。今後は正しく押堀と呼びます。

 

 周囲はずいぶん見て回りました。いよいよ押堀です。写真の中心が、赤の市道東0283号線を切断した押堀です。

 市道東0280号線を斜め横断した氾濫流が残した押堀の全景です。

 市道東0280号線を境にして、南東側が河川区域に指定されていました。

 南半分、つまり氾濫水の入り口側です。水面近くの倒木の向きで、氾濫水の流れた方向がわかります。激流だったこともわかります。

 左奥に迂回路が見えます。

 画面の右から4分の1あたり、対岸のちょっと高くなっているところが市道0280号線の切断面です。電線を地中埋設した橙のチューブが2本ぶら下がっています。

 迂回路の途中で、押堀の入り口側を見下ろしたところです。

 迂回路のすぐ脇で、押堀の入り口側を覗き込んだところです。別の日なので測量会社のライトバンはいません。

 上の写真の押堀の入り口側を、途切れた市道東0280号線の南側の切り口から見たところです。

 草地で水深4m近くになった氾濫水は、ここから幅30mの激流となって流出したのです。

 その押堀の入り口部分から、押堀の長手方向をみたところです。南から北をまっすぐ見ています。奥が仮設堤防です。両岸の大樹を目印にしてください。

 根元部分の土砂が洗掘され、左岸の樹木は右に、右岸の樹木は左に傾いています。氾濫流が砂地を洗掘するすさまじさがわかります。

 今度は出口側です。

 市道東0282号線が通る堤防上から、押堀の北半分、出口側を見たところです。その先に仮堤防が建造されました。

 近づいてみます。

 右岸の橙のホースは市道東0280号線の地下を通っていた低圧電力送電線です。

  拡大します。表面近くの50cmほどは、稲田の土です。砂地では稲は育ちませんから。なにより水を湛えることができません。その下が砂です。

 農家の長年の努力の成果としての稲田は一瞬にして破壊され、あげく仮堤防用地となってしまいました。(国交省は、借地料を支払ったのですが、仮堤防が建っている地面の分だけだったそうです。)

 出口側は、このように容易に侵食される砂からなる下層がまず洗われ、そのあと上層の粘土質の土が固まりのまま、ボロッと剥落するようです。

 中央の砂丘の〝畝〟の断面は、蒲鉾のように単純な形ではなく、盛り上がりが分岐したりくっついたりして結構複雑です。この部分は中央の砂丘の〝畝〟もっとも東側(河道の反対側)の盛り上がりです。

 長さ2mの紅白の測定棒があるのと、高さ60cmほどの杭にロープを張ってあるので、大きさがわかります。

 稲田の面より水面は2mほど下ですが、砂丘はそこから6mほどでしょうか。


(4)紅白鉄塔が懸架する高圧送電線

 

 はじめの方でみた、防災科学技術研究所の写真の11秒後、午後4時時56分4秒に撮影されたものです。つまり、ファイル名は「20150910-165604-nied」です。

 左岸と右岸の紅白鉄塔に注目してください。2つの鉄塔間の距離は697mもあり、どちらも高さ60m以上なので、航空機が引っかからないよう、航空法第51条の2の定める昼間障害標識として紅白に彩色されています。

 紅白鉄塔は、この付近ではここだけですから、若宮戸に行くのはナビいらずです。

 同じ角度で、地上からみあげたところです。押堀のほとりです。

 鉄塔は写っていませんが、高圧送電線が押堀の中心あたり(の上空)を通ります。

 

 市道東0280号線の押堀の西岸=左岸の断面から鉄塔を見上げたところです。

 つまり、上の写真の押堀の向こう岸から振り返って仰ぎ見たところです。

 ひととおり、カサンドラ・クロスで交差する、市道東0280号線、押堀、高圧送電線、さらに地下の電線を見てきました。

 このあとは、市道東0283号線と川岸の名もない道路を歩き、あるいは慰霊塔の上から見下ろして、この地点に集中する氾濫水の流れを探ります。そのあとは住宅・耕地への噴出のなまなましい痕跡をたどります。

 

(若宮戸の河畔砂丘3 = 準備中)