「風水」一目瞭然!


十三陵 定陵(万暦帝墓)

 案内表示には門」と「殿」が描いてありますが実際には基壇が残っているのみです。「棱門」をくぐったあとは、基壇だけを上り下りしながら進むことになり、「明楼」を迂回して円形の「宝城」の縁を通って、向こう側に回り込み、新設された階段で地下に降り、皇后用の脇の部屋(「左配殿」)から主殿としての「中殿」、供物が納められていた「后室」へと至ります。

 地下27m、普通のビルでいうと地下6階くらいの深さに作られた「地下宮殿」の巨大な内部空間に比肩するものといったら、中国以外では(構造はまったく異なりますが)ギザのクフ王かカフラー王のピラミッドくらいでしょう。玄室の巨大さは定陵が上回りますし、ピラミッド内部の猛烈な湿度と臭気、急傾斜のハシゴでの昇降を思えば、広い階段でゆったり見物できる定陵の快適さはくらべものになりません……。

 

 司馬遼太郎がここの地下宮殿を見て、暗愚の皇帝の墓に国家予算2年分もの大金を費やしたのは愚かしいことだと言ったのを真似して、同じ感想を抱くのが通例のようです。しかし、そんなことを言ったら、万里の長城紫禁城頤和園天壇、みな同じことで、北京二泊三日の定番コースは全部が無駄遣いの果てのつまらないものになってしまいます。そもそも十三陵のうち、地下宮殿が発掘公開されているのはここだけだからそんなことになるだけの話で、これがもし長陵だったらまさか永楽帝を暗愚の皇帝というわけにもいかず、司馬遼太郎やその追随者たちは何とのたまうのでしょうか。

 

 「地下宮殿」にもましてこの定陵のみどころは、写真の2コマ目、4コマ目、6コマ目のとおりです。定陵の門から地下宮殿を貫く中心軸の延長線上に、「大山谷山(だいゆうさん)」(山谷で一文字)があります。しかも山頂には目印になる建物があり、ひとめでそこを終着点としてこの陵が建造されたことがわかります。

 定陵が「風水」原理にもとづいて建造されたことに誤解の余地はなく、これを見逃すことは、曇ってでもいないかぎりありえないことです。しかし、このアングルで撮影された写真を掲げたうえで、そこに「風水」への顧慮を見出そうとする論考は見当たりません。

 (「風水」については、別のページであらためて検討することにします。)