自然権否定論の自家撞着

 自民党『日本国憲法改正草案Q&A』は、日本国憲法の人権規定を大幅に変更する理由をつぎのように述べる(14頁)。

 

権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。

 

 「西欧」の人権は「西欧」という「共同体」の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたとされる。この「西欧」の人権とは、いわゆる「自然権思想」のことであろう。しかし、

 

(1)これを、現在はもはや使用されない明治期の古い用語で「天賦人権説」と呼ぶのは適切ではない。

(2)「散見される」と言っているところを見ると、日本国憲法における人権規定の全体が「自然権思想」に基づくものであるとの認識を欠いている。

(3)「西欧」の人権に対置される「我が国」の人権は、「我が国」という「共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきた」というのだろうが、その内容、生成の経緯についての説明は一切ない。たとえば、「我が国」の歴史はどこまでさかのぼるのかさえ明確ではない。日本国憲法体制の成立(1947年)なのか、明治維新(1868年)あるいは大日本帝国憲法施行(1890年)なのか、それとも「十七条の憲法」(604年)ないし大化改新の詔(646年)なのか、あるいは神武天皇即位(皇紀元年=西暦紀元前660年)なのか?

 

 日本国憲法における人権規定中の「西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるもの」は「改める必要がある」と言っていることからみて、西欧の人権と「我が国」の人権とは、まったく別個のもののようだ。西欧の人権が「我が国」に取り入れられたうえで徐々に変化した、と考えているのではないようだ。

 すると、1947(昭和22)年5月3日の施行以降、草案公表時の2012(平成24)年までの65年間におよぶ日本国憲法下の歴史と伝統は、「我が国」の歴史と伝統に含まれないことになる。おかしな話である。

 

すべての出発点としての人権

 

 自民党は、理由もなく「西欧の天賦人権説」を敵視し、それを、中身の説明もしていない「我が国の権利」なるものに全部置換するつもりのようだが、この稚拙な戦略は、じつは草案自身にとって自滅的な結果をもたらすことになる。

 草案は、日本国憲法における人権規定が、全体として「自然権思想」に基づくものであるとの認識を欠いているのだが、それはつまり、日本国憲法の構造全体についても認識していないということである。

 日本国憲法における自然権思想に立脚する基本的人権の規定は、日本国憲法における立法・行政・司法機関と深く関連している。すなわち、国民が基本的人権を持つことを前提として初めて、国民代表機関としての国会が根拠づけられる。そして国会の指名によって内閣が根拠づけられる(議院内閣制)。さらにそれらとの関連のもとに裁判所が位置づけられる。

 日本国憲法前文は、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」すると宣言し、また、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使」すると宣言している。日本国の統治機構がすべて、基本的人権をもつ国民に立脚していることは一目瞭然である。

 自民党草案は、日本国憲法前文と第97条を全部削除したうえで、第3章(国民の権利及び義務)を全体的に改変して、自然権(「西欧の天賦人権」)としての基本的人権をことごとく空洞化しようとする。草案は、そのことが及ぼす影響について考えもせずに「西欧の天賦人権説」を排除することで、「我が国」の国家機構全体が拠って立つその根拠を完全に解体し、日本国の統治制度全体を砂上の楼閣にしようとするのだ。

 それだけではない、草案は、日本国憲法第1条における「象徴」としての天皇を、「象徴」でありかつ「元首」でもある存在に格上げするのだが、その際、その「地位は、主権の存する日本国民の創意に基づく」という条文の変更を怠りそのまま残してしまった。

 草案における日本国民は、自然権としての人権をもたないのに主権 sovereign power を持つという、ありえない存在である。国家元首たる天皇の地位は、基本的人権も持たない、名前だけの「主権者」という空疎な存在である「日本国民の総意に基づく」ものにすぎない。自民党は、そうとは自覚しないまま憲法の人権規定を解体することで、天皇の地位まで危うくしているのだ。まことに愚かしいというほかない。

 日本国憲法の基本原理としての自然権思想と社会契約論は、「人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」(日本国憲法前文第1段落)と宣言される。

 しかしながら、それらは当初から「人類普遍の原理」だったわけではない。自然権思想と社会契約論は、当初は「西欧」という地域限定の原理にすぎなかった。

 草案が全文削除することにしている日本国憲法第97条が宣言するとおり、自然権としての基本的人権は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であり、「過去幾多の試錬に堪へ」てきたのであって、今やそれは「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託され」るにいたったのである。

 

ホッブズの理論

 

 自然権思想と社会契約論の「歴史、伝統、文化」について概略をみることにしよう。

 17世紀にトマス・ホッブズとジョン・ロックが提起した時点においては、自然権と社会契約に関する理論は、「西欧」の辺境たるイングランド社会における特異な思想にすぎなかった。ホッブズとロックは、ピューリタンの内乱(1642–1649年)から復古王政期(1660–1688年)にかけての騒然たる時代に『リヴァイアサン』(1651年)と『統治二論』(1690年)を発表したのであるが、自然権と社会契約に関する理論を公にすることはまさにいのちがけの行為であった。

 ホッブズは、人間の「自由」freedom and libertyについてつぎのようにいう。

 すべての人間は自由なものとして出生する。すなわち、人間として生まれたというだけで、出生後に何者かから追加的に与えられることなしに自由を保有しているのである。

 具体的にいうと、個人としての人間は自分自身の自然 nature すなわち自分の生命 life を維持するために、自分自身の力 power を、自分の意思するとおりにもちいる自由 liberty をもっている。

 この自由を法律用語として表現したのが「自然の権利 」right of nature である。

 国家がない状態すなわち自然状態condition of natureにおいては、すべての人間が自由(自然権)を持ち、それを行使する。そして各人は、それが自分の生命を維持するうえで必要であれば、相互の身体に対してさえ権利をもつ。そのため、人間の群衆multitudeはおたがいに戦争の状態にある。自然状態は平和な状態ではなく、各人の各人にたいする戦争war of everyone against everyoneの状態である。

 人間は生命を維持するためにすべてをなしうる権利をもつことによって、かえって、誰もが自分自身の生命を維持するのが極めて困難もしくは不可能な状態に追い込まれる。これが人間の自然権の逆説である。

 戦争状態 condition of war としての自然状態におかれた人間は、暴力的な死に対する恐怖の情念 passion に突き動かされ、自分自身の理性 reason によってこう判断する、すなわち、〈戦争状態から脱して平和 peace を獲得するためには、すべてのひとびとが、お互いに、各自の自然権を放棄するlay downという契約 contract をむすんで国家を設立し、その主権的権力 sovereign power に、平和な生活と保護に関するすべての権限をゆだねるのが合理的である〉と。

 

自然権と主権的権力

 

 国家設立契約により、その国家 commonwealthの被統治者となる群衆は、契約以前の自然状態において持っていた自由(それを法的に表現すれば自然権)を放棄lay downする。

 しかし人間の「自由」とは、モノのように自分自身から引き離して放棄したり、廃棄したり、ましてや他人に譲り渡したりすることができるようなものではない。ホッブズが言う自然権の放棄とは、保持してはいるがあえて使用しない、すなわち、「差し控える」「慎む」refrain という意味である。

 さしせまった危険によって自分の生命が脅かされる場合に、生命を守る行動をとる自由まで放棄するわけではない。自己の生命の危機に際して自然権の行使を差し控えるrefrainことはありえない(抵抗権)。

 いっぽう、群衆によって国家権力の担い手とされる者は、国家設立契約の当事者ではない。すなわち、すべてをなす自由(自然権)を放棄する契約の当事者ではない。国家設立後もそれ以前とかわらず、自分自身の力 power を自分の意思するとおりにもちいる自由 liberty をそのまま保持し、ひきつづき行使することができる。これがすなわち主権的権力sovereign powerの行使である。ここに、自由の行使を差し控えることとなった国家設立契約当事者たる被統治者との決定的違いがある。(なお、この統治者はひとりの場合も、複数人の場合もある)

 主権的権力は、統治者本人(たち)の自然権に起源がある。というよりまさに自然権そのものなのであって、国家設立にあたって、何者かによって追加的に与えられたものではない。もちろんその自然権は出生によって与えられたものであって、何者かが特定の者に対してだけ事後的に与えたものではない。

 (なお、ホッブズは、国家における主権的権力の行使者をsovereignと呼称し、いっぽう国家の被統治者をsubjectと呼称する。sovereignは「元首」、subjectは「主体」と訳したくなるところであるが、sovereignは「主権者」、subjectは「臣民」と訳すのが通例である。)

 

臣民を代表する主権者

 

 以上は、主権的権力の形成をその素材 matter の観点からみたものであるが、主権的権力の形成をその形式 form の観点から見ると、つぎのようになる。

 国家が設立されると、群衆multitudeは主権者sovereignによって代表representされることになる。この場合、本人authorsとしての群衆は、ひとつの人格である代表者 representative としての主権者によって代表される。国家の統治者としての主権者の行為は、法的には本人authorsたる群衆の行為とみなされる。

 このように、本人authorsたる臣民たちは、主権者に権威authorityを与える、 すなわち権威づけるauthorizeのである。

 ホッブズをスチュアート絶対王政の擁護者だとする俗説の誤りは明らかだろう。

 国内外の錯綜するキリスト教諸宗派の政治的・軍事的対抗関係を背景とする、国王派と議会派との内戦civil warとしてのピューリタンの反乱rebellionの時代に、ホッブズは、内戦を終息させ、平和と安全を実現することをめざして新しい理論を構成したのであり、一党派の利害におもねる政治的弁護活動をおこなったのではない。

 絶対王政を擁護するというのであれば、王の支配権の起源は、神がアダムに与えた家父長権にあるとする王権神授説を提唱すればよかったのである。しかし、ホッブズは神の意思を持ち出して国家の支配権を権威づけようとする旧来の政治理論を根底から覆し、すべての人間が保有する自由を自然の権利ととらえ、それを土台にして、神の意思に依拠しない政治社会形成の論理を展開したのである。⌘