高校の「地理」で「自然堤防」はどう学ぶのか

 

Aug., 18, 2019

 

 鬼怒川水害に関しては、発生直後の報道の混乱は結局のところ是正されることもなく、早々に水害そのものが忘れ去られることになった。たまたま6時間以上前からはじまった若宮戸(わかみやど)の溢水による自衛隊の災害出動要請があったことで、報道企業のヘリコプターが飛来していたため、三坂の破堤直後の激流や自衛隊等による救助活動ばかりがリアルタイムで放映されたものの、若宮戸からのものと合流した氾濫水の流下拡散はまったく報道されず、常総市役所の「避難指示」も行き渡ることはなく、夕方以後の鬼怒川東岸の常総市全域の浸水によって多数の住民が住居に取り残されることとなった。

 茨城県内の鬼怒川は、左岸・右岸ともに全般的に整備状況はきわめて不良であり、下妻市、つくばみらい市、守谷市でも数箇所でかなりの溢水(堤防のない区間での氾濫)があったが、とりわけ常総市内では多くの区間で溢水のほか越水(堤防の天端〔てんば。堤頂〕を越える氾濫)や浸透(堤防に河川水が滲み込み、激しくなると堤防の崩壊をまねく)が起きていた。国土交通省下館河川事務所(筑西〔ちくせい〕市)から常総市役所への通報は不十分であったため、常総市役所による「避難勧告」や「避難指示」は後手にまわり、住民への到達も遅れた。若宮戸については、遅くとも前日までにはソーラーパネル地点で氾濫必至であることがわかっていたから、9月10日未明には「避難指示」が出された。しかし指示は近隣地区に限られていたため、鬼怒川左岸の常総市全域への流下拡散が警告されることはなかった。

 インターネット上の個人による情報の混乱ぶりは報道機関の比ではなく、若宮戸と三坂の区別がつかないのは当たり前で、ソーラー発電所建設のための河畔砂丘掘削をおこなった「B社」と河道寄りの小規模施設の「A社」の区別すらつかないまま、罵詈雑言ばかりが飛び交った。

 報道企業は、市域南部が浸水して多数の住民が孤立したことを、挙げて常総市役所の責任に帰して、自分たちこそ氾濫水の拡散流下に無関心だったことを棚にあげ、以後その点を反省することはなかった。「B社」や常総市役所に対する勇ましい責任追及も一時的なもので終わり、数か月後まであとを引いたのは、午後早いうちの新八間堀川から雨水排水管を通じた市街への逆流による被害や、八間堀川から小貝川への排水機場の不作動などの本質から外れた問題だけだった。

 結局のところ、報道機関や個人の関心が国土交通省による河川行政の問題におよぶことはほとんどなかった。

 

 国土交通省による河川行政の問題が不問にふされているということは、鬼怒川水害については、水害発生のメカニズムが一向にあきらかにならないということでもある。

 信じがたいことに、水害の原因となった氾濫箇所の数すら曖昧なままなのである。若宮戸の河畔砂丘ではソーラー発電所建設のための掘削箇所(25.35k付近)からの氾濫に匹敵する、きわめて大規模な氾濫が24.75k(正確には24.63k)でも起きていたが、国交省の発表はごく小さな扱いであり、報道もほとんどおこなわれなかった。25.35kについての国交省の発表は、掘削後の土嚢積みの効果を過大に見せるためのもので、実状を隠蔽する虚偽のものであった。24.75k(正確には24.63k)と25.35kについては、1966(昭和41)年の河川区域設定の誤謬が根本的原因であったのだが、そのことを指摘する見解はほとんどどこからも提起されていない。

 三坂での破堤については、国交省は堤防を越えた氾濫水による堤防の洗掘が破堤の主因だとしながら、増水時の水位見積もり(計画高水位)ギリギリの高さで放置したことについては責任を認めていない。さらに、堤防の幅も不十分であったことを指摘する報道がなされたし、堤防への河川水の浸透が破堤を引き起こしたことが指摘された。これについても国交省は、破堤の副次的要因であることについて、可能性は否定できないとしたものの、それ以上の検討結果は秘匿して責任追及を回避している。

 

 河川行政について排他的独占的権限を行使していながら、国土交通省は内部資料を秘匿して、結局のところ水害原因調査を妨害し、効果が疑問視される堤防建設や嵩上げでお茶を濁して事態を切り抜けようとしているのである。

 常総市の鬼怒川東岸のほぼ全域、約40㎢が浸水被害を受ける原因となったのは、おおきくいえば若宮戸の溢水と三坂の破堤のふたつであるが、そのうち若宮戸についてはさらに2箇所での溢水であった。若宮戸の2箇所については、数百メートルしか離れていないし、同じ若宮戸河畔砂丘の地形改変によってもたらされた溢水であるから、あえて2箇所に区別することもないとも言える。しかし、たとえば「B社」による砂丘掘削地点(25.35k)での氾濫がまったくなかったとしても、24.75k(正確には24.63k)での氾濫は起きていたのであるから、一応独立した事象とみなすことにする。これと三坂での破堤をあわせ、鬼怒川水害の原因箇所は3箇所ある。原因探求は、単純に言っても3倍の労力を要するのであるが、水害からまもなく4年になろうというのに、ほとんど進んでいないというほかない状況にある。

 


「自然堤防」と「河畔砂丘」を混同する「専門家」

 

 鬼怒川水害をめぐる報道企業による広報内容や、大学・土木業界・各種関連団体の「専門家」による広報内容には、若宮戸(わかみやど)河畔砂丘を「自然堤防」と呼称する、ひろく行き渡った共通の誤謬があった。「自然堤防」の発端は、住民が一時「自然の堤防」と言っていたのが、いつのまにか「の」が抜けて「自然堤防」となったということのようで、それは地理学や土木工学の素人としてはありうるものだったといえる。しかしながら、水害直後はもちろん、時間が経った現在にいたるまで、河畔砂丘という当然の名称をもちいる組織・個人はごく限られた範囲にとどまり、報道企業の記者や「専門家」と称する学者・研究者、さらに法曹が、「自然堤防」と呼称し続けた。若宮戸地区における、鬼怒川沿岸随一の特徴的な地形である「河畔砂丘 river bank dune 」について、それをただしく呼称することをせず、鬼怒川沿岸の他の地域に連続的かつ広範囲に存在する地形である「自然堤防 natural levee 」という別の地形の名称で呼び続けたのである。住民が言っていた「自然の堤防」に引っ張られたのかもしれないが、ここまで徹底した誤謬が蔓延した本当の理由はわからない。

 国土交通省関東地方整備局の広報担当者は、批判的意見を混乱におとしいれるために、あえてその誤謬に乗ったふりをして「いわゆる自然堤防」と呼称し続けた。「いわゆる」をつけたからと言って、正しい名称になるはずはないが、3年以上にわたって広報文書で使い続けた。「河川区域」の設定を誤り、「河畔砂丘」の保全をおこたった国土交通省にとって、そこが「河畔砂丘」であるかないかは重大問題である。河川管理の責任を回避するうえではそれが「河畔砂丘」でなかったことにしてしまうのは、たいへん好都合である。河川水の氾濫を防ぐことができる規模・構造をもつ「河畔砂丘」が存在する場所には人工物の堤防を設置する必要はないが、「自然堤防」は人工物の堤防のかわりにはならない。場合によってはなるなどということはない。絶対にならないのである。そもそも「自然堤防」は度重なる氾濫によって土砂が堆積して形成されるのであるから、氾濫をおしとどめることはありえない。

 国土交通省に迎合的な「専門家」や団体だけでなく、国土交通省の治水・利水政策を批判してきたうえで、鬼怒川水害における国土交通省の責任の追及をはじめた研究者・法曹・運動団体も「河畔砂丘」とは言わず、「自然堤防」と呼び続けた。国土交通省の「いわゆる自然堤防」を取り入れたり、用語の誤謬の指摘を受けて中途半端に「砂丘林」を併用したりしながらも、「自然堤防」と呼ぶことをやめてはいない。「専門家」や法曹が呼びかけて、2018年8月に国家賠償請求訴訟が提起されたのに対し、被告の国は一転して若宮戸の河畔砂丘を「砂堆(さたい) sand dune 」だと言い出した( http://kanumanodamu.lolipop.jp/OtherDams/riverBankDune.html )。

 

原告らのいう「自然堤防」、「河畔砂丘」ないし「砂丘林」の定義が不明であるが、これをおくとして(以下、特に断りのない限り同じ。)、左岸24.50キロメートルないし26.00キロメートル付近周辺に砂堆(現在及び過去の海岸、湖岸付近にあって波浪、沿岸流によってできた、砂又は礫からなる浜堤、砂州・砂嘴などの微高地をいう。)が形成され(以下、「本件砂堆」という。)、本件砂堆上に植生が存在することは認める。(被告国の「答弁書」2018年11月28日)

 

 使えるうちは「自然堤防」あるいは「いわゆる自然堤防」を使ってきて、3年経って突然「砂堆」だと言い出したのである。「中州」や「寄州」などの「砂堆」は、「自然堤防」ではないし、もちろん「河畔砂丘」ではない。「河畔砂丘」であることを認識せず、無批判に「自然堤防」としてきた原告代理人は足元をすくわれた形になった。「植生が存在することは認める」と、「砂丘林」という曖昧な弥縫策を揶揄されてしまってもいる。原告・被告ともに肝心の地形名を誤ったまま訴訟が進行し、これに判事も巻き込まれるようなことになると、水害訴訟史上空前絶後の迷裁判になりかねない。もちろん原告勝訴はおぼつかないし、後世に与える悪影響は計り知れない。曖昧さを排して、厳密な立証をおこなう必要がある。

 高校生が学校で習う程度の、初歩的な地理用語であるのに、国土交通省のほか、「専門家」や研究者・法曹が軒並み間違ったことを言い続けているのである。こんなことが続く限り、水害の発生機序は決して解明されることはない。

 社会的に重大な災害について、何年経っても事情が一向に改善しないのは何故だろうか。このページでは、どうして「河畔砂丘」がただしく認識されず、誤って「自然堤防」とされてきたのか、その経緯をさぐる手始めに、「自然堤防」が学校でどのように教えられているのかを具体的に検討する。

 

 高等学校の科目「地理」の教科書の記述例を具体的に検討する。そのまえに科目「地理」の授業の履修について簡単に触れておく。現在54歳以上の人で普通科の高等学校で学んだ人は、教科「社会科」では「地理」「日本史」「世界史」「倫理・社会」「政治・経済」の5つの科目を履修した。しかし、1982(昭和57)年度以降、新設科目「現代社会」だけが必修科目となり、「地理」などは選択科目となった。さらに、1994(平成6)年度以降は、教科「社会」は、教科「地理・歴史」と教科「公民」に二分割され、教科「地理・歴史」の科目「世界史」が必修科目となり、科目「地理」はやはり選択科目のままとされた。したがって、現在53歳以下の人のうち半分程度しか、科目「地理」を履修していないのである。

 

 なお、2022年度以降、教科「地理・歴史」においては、「歴史総合」と「地理総合」が必修科目となるので、高校生は全員、「地理」を学ぶことになる。地形については軽いあつかいになるようなので過大な期待はできないが、全く学ばないよりはまだよいだろうし、とにかく「地図帳」は手元に置くことになる。

 

 これまでの「地理」「日本史」「世界史」にはそれぞれ「A」と「B」の2種類の教科書があるが、前者が総授業時間60時間程度、後者が90から120時間あるいはそれ以上の授業時間のためのものである。以下、「地理A」「地理B」の教科書と地図帳から「自然堤防」に関する記述部分を引用する。それぞれ教科書検定の際の識別記号番号を記す。「2東書」が教科書出版最大手の東京書籍、「46帝国」と「130二宮」が、それぞれ地理教科書大手の帝国書院と二宮書店である。なお、地図帳は、「副読本」ではなく「教科書」であり、したがって文部科学省の「教科書検定」を受けている。

 


高等学校「地理」教科書における「自然堤防」

2東書地A301、pp. 36-37.


2東書地A301、pp. 176-177.



46帝国地B301、pp. 34-35.


46帝国地B301、p. 45.


46帝国地B301、pp. 170-171.



130二宮地図306、p. 106.



教科書の「自然堤防」記述の問題点

 

 「自然堤防」の実際例として、東書「地理A」、帝国「地理B」、二宮地図帳いずれもが、石狩川のおなじ地点を取り上げている(下に、該当部分を抜き出し。左が東書の「地理A」、右が帝国の「地理B」)。これに限らず、教科書の内容は各社のものを見比べるとどれも似たり寄ったりなのだが、ここまで瓜二つなのにはいささか驚かされる。まさか同じ写真ではないが、航空写真の範囲・方角・俯角・季節までほとんど同じである。教科書については、文部科学省による国家検定の恣意性やイデオロギー性がしばしば問題となるが、このような画一性は、おそらく教科書会社どうしの横並び意識の発露であり、端的にいうと相互模倣、さらに教科書の記述の漫然たる前例踏襲の結果だろう。

 それはともかく、わざわざ「三日月湖」地点の「自然堤防」とそこに立地する集落を取り上げるのはどうしてなのだろうか。「三日月湖」は沖積平野における河川の蛇行のわかりやすい結果として提示したというところだろうが、「自然堤防」と人工物の堤防が重なるとそのふたつがそれでなくても同じ「堤防」という名が付いていて混淆されがちなので、「自然堤防」を単独で示せたほうが都合がよいと考えた結果、「三日月湖」地点ならば人工堤防のない「自然堤防」だけなので敢えてここにした、ということなのかもしれない。教科書の拡大の下に、「地理院地図」(https://maps.gsi.go.jp/)の「土地の特質を示した地図>治水地形分類図>更新版」で、この菱沼とその外縁の「自然堤防」(黄)部分と、グーグルマップの衛星写真を示した。

 たしかに、旧河道に沿った「自然堤防」上に集落がきれいに分布しているのがよくわかる。しかし、そのために「自然堤防」が細切れになり、連続的に形成されることが伝わりにくいことになる。帝国の写真中の図では三日月湖地点の「自然堤防」のほかに、現在の河道に沿って連続的に「自然堤防」が形成されている図があるからまだよいが、東書の図では20以上の地形をゴチャゴチャと描いてしまった中の「自然堤防」がバラバラになってしまっている。

 


 

 各社横並びにとりあげるこの地点は、菱沼の「自然堤防」はわかりやすいのだが、肝心の本流のほうの「自然堤防」はいささかわかりにくい。下に、二宮の地図帳の4段目の彩色図の拡大、「地理院地図」の「治水地形分類図>初版」、同じく「治水地形分類図>更新版」、ついでにグーグルマップの衛星写真を示す。二宮の地図帳では堤防を境にして堤外(河道側)の一部を「自然堤防」としているが、「治水地形分類図>初版」では本流部分には「自然堤防」(薄茶)はなく、いくつかの「三日月湖」の周囲にだけある。「治水地形分類図>更新版」でも同様(黄)だが、「初版」とはかなりズレている(なお、左右の黄に茶ドットは自然堤防ではなく扇状地。紛らわしいのでご注意!)

 

 

 帝国の「地理B」には石狩川の地形図がなかったが、45ページに別の場所の地形図と航空写真を載せている。新潟県の保倉(ほくら)川および阿賀野(あがの)川の「三日月湖」とその「自然堤防」、そこに分布する集落の例である。下は、そのうち阿賀野川の「地理院地図」の「治水地形分類図>更新版」とグーグルマップの衛星写真である。

 これも石狩川と同様で、「三日月湖」など旧河道沿いの「自然堤防」は判明だが、現在の人工堤防で画された本流の方にははっきりした「自然堤防」はない。「自然堤防」は人工の堤防で画される以前の、まさに「自然」の状態で形成される地形なのであり、人工の堤防で整序された段階でもはや「自然堤防」が形成されることはないということなのだろう。

 


 なお、ついでなので、東書の「地理A」177ページ記載の岩手県一関市の遊水池について、「地理院地図」の「治水地形分類図>更新版」とグーグルマップ、「治水地形分類図>初版」とハザードマップを並べたものを引用する。

 


鬼怒川の「自然堤防」と「河畔砂丘」

 

 どの教科書も載せる石狩川より、このさい鬼怒川の方が典型的な「自然堤防」の様子がじつにわかりやすく、教材としては好適である。下は、「地理院地図」の「治水地形分類図>更新版」である。

 画面下4分の1あたりの鬼怒川左岸が破堤した三坂である。画面上方、鎌庭捷水路(かまにわしょうすいろ)下流、左岸の堤防がない部分が若宮戸で、伏せた半円マーク部分が「河畔砂丘」である(自然堤防と同じ黄地なので紛らわしい)。三坂、若宮戸ともに、かなり大規模な「自然堤防」(黄)が形成されているのがわかる。なお、これらは現在の河道からの氾濫だけによって形成されたというものではない。画面に幾筋もの斜青白縞で示されているように、鬼怒川・小貝川ともに東西の更新世段丘(洪積台地)にはさまれた低地を、しばしば流路を変えながら縦横無尽に流れていたのであって、氾濫の都度、砂や粘土が堆積してこれらの「自然堤防」が形成されたのである。

 若宮戸の自然堤防や三坂の自然堤防地帯は今回の水害では、直近の河道から直接氾濫したために浸水を免れなかったが、図のとおりかなり大規模な自然堤防であるので、別の場所での氾濫であれば、標高の高い河道近くはほとんど浸水しなかったはずである。新石下(しんいしげ)地区はこれも大規模な自然堤防地帯だったので河道に近い地点は浸水を免れている。2015年9月10日の若宮戸からの溢水後に大勢の買い物客が孤立したショッピングセンターや、避難住民を収容したまま孤立した常総市地域交流センター(「石下城」)は河道から遠い後背低地(薄緑)にあった。

 画面右は小貝川で、右岸に鬼怒川ほどではないが幅広く連続的に自然堤防が形成されている。画面下方、小貝川右岸の旧河道沿いの自然堤防上の曲田(まがった)は、すぐ上流側の小貝川右岸の豊田(とよだ)排水樋管(ひかん)地点の破堤(1986〔昭和61〕年8月の小貝川水害)の際にも、集落は浸水を免れた。今回の鬼怒川水害においても、若宮戸と三坂の両方の氾濫水が流下してきたにも関わらず、集落辺縁で最近新築した1軒を除いて、やはり浸水を免れた。

 

 若宮戸の河道沿いの伏せた半円マークの部分が「河畔砂丘 river bank dune 」である。河川水が運搬してきて形成した左岸の砂州から、渇水期の冬の北西季節風(「日光おろし」)によって吹き飛ばされた砂が左岸に降り積もり、幾筋かの〝畝〟( ridge )から成る砂丘を形成したものである。ただし、1960年代後半以降、砂を建設・建築資材とするために、1列目=東側の最大の〝畝〟はほぼすべて、2列目は一部、3列目もほぼすべて、森林伐採のうえ平らになるまで掘削された。跡地は耕地・牧草地・養鶏場・工場・住宅地とされた。


 ついでに「治水地形分類図・初版」で、「自然堤防」が薄茶、若宮戸の「河畔砂丘」がに色分けされているので、引用した。ただし、河道側が狭くなっていて不正確である。

 なお、「更新版」では、後背低地のうち特に低平な部分は緑で示してあるが、「初版」では一様である。



地理教科書の刷新を期待する

 

 地形はどれも個性的であり一般的なものなどありはしないとはいえ、教科書がとりあげる実例はいささか特殊なものにかたよる傾向がある。河川の蛇行現象を説明する上では、「三日月湖」はうってつけとはいえるかもしれないが、石狩川の「三日月湖」菱沼のように、極めて幅の狭い、孤立してしまった「自然堤防」だけに目を奪われることになる。肝心の本流のほうは「自然堤防」が未発達であることもあって、余計にその印象が強まってしまう。

 スペースの限られたところに一切合財詰め込んである模式図も細かすぎ、チープなうえ不自然である。結局、「自然堤防」は幅の狭い、妙に切り立ったものというイメージを植え付けてしまう。せいぜい数十cmから数mの高さしかないが、面的な広がりを持つ「自然堤防」が、人工物の堤防と似たようなものだと思わされてしまうことになる。それでなくても、もともと「自然堤防」を指す単語だった「堤防 levee 」の語が、のちに人工物の堤防をもっぱら指すようになったという事情もかさなって、用語は同じ、形もにたようなものという、おかしな印象を与えることになってしまったのである。

 このさい、どこの会社も在り来たりの石狩川の菱沼ばかりという横並びをやめて、事例選択を再考すべきだろう。狭いスペースに不自然な模式図を詰め込んで、小さい航空写真と5万分の1や2万5千分の1地形図だけというのも、コンピュータとインターネットが一般化し、GIS( Geographic Information System 地理情報システム https://www.gsi.go.jp/GIS/whatisgis.html)が普及した現代にはもはや完全に時代遅れである。実際の授業では当然それらのものが駆使されるのだろうから(例:https://www.teikokushoin.co.jp/teacher/tangen/high/index_tan_geo.html)、教科書も大幅に刷新すべきだろう。

 

 科目「地理」の教科書の記述について検討してきた。漫然と見ても意味がないから、問題点やその理由も指摘した。教科書の記述だけにたよったのでは、図や写真がチープであることも含めいささか不十分ではあるが、教室で「地理院地図」などを映写しながら的確な解説がなされるならば、「自然堤防」と「後背低地」についてきちんとした理解に到達することはじゅうぶんに可能なのだ。すくなくとも、「自然堤防」と人工物の堤防の違いは理解できるはずだし、高校の科目「地理」では「河畔砂丘」は学習しないにしても、後日「河畔砂丘」が問題になったときに、それを「自然堤防」と混同しない程度の認識は得られるだろう

 

 問題は、先述のとおり、ここ数十年にわたって高等学校では科目「地理」を学ぶ割合が低かったということである。のちのち報道企業の記者になる、あるいは河川工学関連の職につくような人でも、高等学校で科目「地理」を学んでいないことが珍しくないのである。仮に選択科目として学んだとしても、大学受験に際しては、とくに私立大学のように受験科目が2つとか3つしかない場合はもちろん「国立大学」の場合であっても、受験科目になる割合の低い科目「地理」は、さほど入念には勉強しないことになるだろう。大学入試区分のうち「推薦入学」や「AO入試」が普及している現状も、この傾向を助長する。鬼怒川水害をめぐる報道や、各種団体のレポートなどで、「自然堤防」について間違ったことを言うのが決してまれではなく、むしろそれが普通であることには、こういう背景があるのかもしれない。

 

 とはいえ、この事情だけでは、河川工学・水理学・河川行政などの「専門家」を名乗る人たち、大学やその他の研究機関の「研究者」、あるいはまた治水問題に習熟しているはずの法曹などのなかに、若宮戸の「河畔砂丘」を「自然堤防」だと思い込んで議論する人たちが多数いることについては、やはり理解できない。このページで最初にたてた疑問は、結局のところ解消にはいたらなかった。

 


 

 補足(2019.8.31)

 

 2019年8月下旬に佐賀県大町(おおまち)町で六角(ろっかく)川が氾濫し、その際、病院が「孤立」し、さらに工場から油が流出して有明海まで達しました。地理院地図の「治水地形分類図(更新版)」で見ると、蛇行する流路と、旧河道がよくわかります。画面右が有明海に注ぐ河口部です。画面左、左岸21.5k付近の旧河道に飛び出している堤防のあたりが順天堂病院です。下に拡大しました。中心(十字印)地点が旧河道上にある病院です。

 人為的に直線化した河道部分はもちろん、蛇行する旧河道部分にもほとんど自然堤防(黄)が見られません。更新世段丘(洪積台地)側の黄に赤ポチは扇状地、黄に赤横線は人工改変地です。黒破線は、暫定堤防、すなわち計画高水位以下の高さしかない堤防のようです。

 その下は、グーグルマップの衛星画像の3D表示です

 さらに、国土交通省のウェブサイト「重ねるハザードマップ」です(https://disaportal.gsi.go.jp/maps/?ll=33.21521,130.144215&z=14&base=pale&ls=seamless%7Ctameike_raster%2C0.8%7Cflood_list%2C0.8%7Cflood_list_l2%2C0.8%7Cdisaster1&disp=01010&vs=c1j0l0u0)。(大町町役場は、「ため池ハザードマップ」は作成公開していますが、六角川のものはウェブサイトでは公開していません。未作成なのかもしれません。このように、各市町村のハザードマップがない場合にも「重ねるハザードマップ」では表示されている場合があります。逆に「重ねるハザードマップ」では表示がない中小河川について、市町村役場が独自データによってハザードマップを作成公開している場合もあります。)