鬼怒川三坂堤防の特異性と崩壊原因

 

9 地表氾濫流と地下浸透流❶

右枠外が仮堤防。左はガソリンスタンド倉庫。丁張りの赤横木が元の地表面の高さ(2015年12月)

 

Jan., 4, 2021( ver. 1. )

Jan., 5, 2021( ver. 2. )

Feb., 14, 2021(III, IV 模式図変更)

 

 〈鬼怒川水害まさかの三坂〉、〈三坂における河川管理史〉、〈鬼怒川三坂堤防の特異性と崩壊原因〉で確認した事実関係を前提として、三坂における破堤の全体的なメカニズムについて推理します。

 まず、図式だけを提示し、つぎにそれぞれのプロセスについて、すでに検討した事実を参照しながら概略を示します。


I 堤内地と堤体崩壊の2要因 = 地表氾濫流と地下浸透流

 

 破堤後、激烈な氾濫流が堤体と堤内地を破壊した。これがひとつめの様態=地表氾濫流による破壊である。

 洪水の甚大な圧力によって水圧の高まった地下の水塊が、堤体と堤内地を破壊した。これがふたつめの様態=地下浸透流による破壊である。地下浸透流は、水位上昇時は河道から堤内地方向へ向かったが、水位低下時には堤内地から河道方向に向かった。

 

 

II 堤内地崩壊の3様態 = 押堀・盤割・陥没

 

 堤内地の崩壊状況には3つの様態がある。地表氾濫流による押堀の形成、地下浸透流による盤割、おなじく地下浸透流による陥没。(「盤割れ」については、送り仮名は略す。)

II-1 地表氾濫流による押堀

 

II-1- i 地表氾濫流による押堀①

 氾濫流が直撃した地点のうち、堤体基礎地盤から堤内地にかけての、連続的に遮水性の土壌が施工されていた範囲で、まず氾濫流によって押堀が形成された。

II-1- ii 地表氾濫流による押堀②

 遮水性土壌が施工されていなかった範囲では、表土直下の砂層が洗掘されて押堀となり、押堀の下流側に砂が堆積した。

II-2 地下浸透流による堤内地崩壊

 

 

II-2-i 地下浸透流による噴水

 氾濫流の主流部を外れた地点で、地下の透水性土壌を突き抜け、高圧の地下水が噴水した。

 

II-2- ii 地下浸透流による盤割

 表土が洗掘された押堀の底面を、地下の透水性土壌の高圧の地下水が破った。いわゆる盤割である。

II-3 地下浸透流による陥没

 

II-3- i 地下浸透流による盤割底面の陥没

 押堀の底面が盤割したのち、盤割した底面が地下浸透流により陥没する。

II-3- ii 地下浸透流による地表面の陥没

 押堀・盤割がなかった地点での陥没。

実例1 住宅12と県道357号線

実例2 丁字路地点。

 

 

III 地下浸透流による堤体崩壊

 

III-1 地下浸透流によるC区間堤防の断裂と堤体基盤の盤割・陥没

 

 III-1-i C区間の横断面

 2013−14年の高水敷掘削による崖面からC区間堤防、堤内地の横断面図。

 

III-1-ii 地下浸透流・堤体浸透流によるC区間堤防の断裂

 地下浸透流と堤体浸透流によってC区間堤防の川裏側法面が断裂した。

III-1-iii 破堤断面の縦断方向への波及によるC区間堤防の破堤

 F区間にはじまった破堤が上流方向に波及してC区間が破堤した。

III-1-iv 地下浸透流によるC区間堤防基礎地盤の盤割

 C区間の基礎地盤に、地下浸透流による盤割が生じた。

III-1-v 地下浸透流によるC区間堤防基礎地盤の陥没

 地下浸透流により、堤体基礎地盤と堤内地の押堀底面が陥没した。

 

III-2 地下浸透流によるE区間・F区間堤防の川裏法面の崩壊

 

 III-2-i E区間・F区間堤防の横断面

 2013−14年の高水敷掘削による崖面からE区間・F区間堤防、堤内地の横断面図。

III-2-ii 地下浸透流・堤体浸透流によるE区間堤防の断裂開口

 地下浸透流と堤体浸透流によって、川裏側法面が断裂した。

III-2-iii 地下浸透流・堤体浸透流によるF区間堤防の破堤

 地下浸透流と堤体浸透流によって破堤し、堤体直下と堤内地に押堀が形成された。

III-2-iv 地下浸透流によるF区間堤内地の盤割

 地下浸透流によって堤内地が盤割した。

III-2-v 地下浸透流によるF区間堤体基礎地盤と堤内地の陥没

 地下浸透流により、堤体基礎地盤と、堤内地の盤割底面が陥没した。

 

 

IV 地下浸透流による高水敷崖面崩壊

 

 水位低下時の河道方向への地下浸透流により、CDEFG区間の堤内地が陥没し、2013−14年に形成された高水敷崖面から大量の砂が吐出した。(図はC区間の例)

 

 


 ここから、順に実際例を示しながら、堤体崩壊と堤内地崩壊について検討します。(このページでは、I から II まで。次ページで III 、次々ページで  IV)

 

 

I 堤内地と堤体崩壊の2要因 = 地表氾濫流と地下浸透流

 

 2015年9月10日の正午ごろをピークとする鬼怒川の洪水は、2つの様態で、堤内地と堤防を侵襲しました。

 洪水は、最初にごくわずか堤防天端から越水したのち、12:52ころとされる(国交省の公式発表)破堤後は激烈な氾濫流として堤体と堤内地を破壊しました。これが堤内地と堤体崩壊の2要因のひとつである地表氾濫流です。

 破堤以前から、洪水の甚大な水圧によって地下の水塊の圧力が高まり、堤体と堤内地を破壊しました。これが堤内地と堤体崩壊の2要因のふたつめの地下浸透流です。地下浸透流は、洪水の水位上昇時は河道から堤内地方向へ向かい、水位低下時には堤内地から河道方向に向かいました。


 

II 堤内地崩壊の3様態 =  押堀・盤割・陥没

 

 

II-1 地表氾濫流による押堀

 

II-1-i 地表氾濫流による押堀 ①

 

 堤防のC区間からG区間の幅広部までは、河道付け替えにより、もとの河道を横断するかたちで左岸堤防が建造された可能性がつよく(5三坂堤防の特異性)、粘性土による地盤が人為的に形成されていたものと思われます(上図の遮水性土壌)。というのは、河道だったところは砂が厚く堆積しているため、その上に堤防を建造したのでは脆弱なので、粘性土の基礎地盤を敷設する必要があったからです。

 とはいえ、押堀上への復旧堤防築堤と同様に、脆弱さが完全になくなるというわけではありません。また、水害後の掘削調査(6堤内地盤崩壊の諸相 (ⅴ)浸透を示す事実 参照)であきらかなように、質の良い粘性土が連続的に敷かれていたのではなく、シルトや砂との混合であったり、砂や礫が層になって介在しています。それでも表土よりは、氾濫流に対する耐性は多少強かったのです。

 表土は、住宅や店舗・倉庫等の敷地を造成するために、他所から運搬された砂や砕石、ロームなどで客土されたものであり、きわめて容易に侵食されました。午前11時ころにはすでに始まっていた越水はまだ表土の表面を流れていたため、この時点では押堀が形成されてはいないでしょう。しかし12時52分(公式発表)ころにまずF区間が破堤し、引き続いて急速に上下流両方向に破堤が波及し、氾濫水が激流となって流入してくるようになるとまず表土が侵食され、押堀の形成が始まります。

 この図は、地上氾濫流による、堤体近くの浸食開始時の状況です。このあとさらにさまざまの浸食が進行します。

 

II-1-ii 地表氾濫流による押堀 ②

 

 上に述べた遮水性土壌による基礎地盤があるのは、川裏側法尻から20mくらいまでであり、それより離れるとそのような基礎地盤は施工されなかったようです。地上氾濫流は、表土を侵食するとその下の砂を巻き上げて押堀を形成したうえ、その砂をその先へと運搬しますが、氾濫水が拡散し速度が低下し水深も減少するので、そこに大量の砂を堆積させました。

 次は、いずれもGoogleEarthProの衛星写真で、上が9月11日、下が10月9日です。Googleに限らず、衛星写真はかなり色補正を加えてあるので、やや極端な色味にはなっていますが、黄土色の氾濫水と、後に残った灰色の土の色味の違いに注目します。9月11日の氾濫水は粘土・シルト・砂にさらに草などさまざまのものが含まれていますが、10月9日の写真で広範囲に堆積している灰色部分は砂です。ということは、9月11日の写真でそれとほぼ同じ範囲・形状で黒く見えるのはまだ濡れている砂だったのです。

 10月9日の砂の堆積具合をみると、破堤した範囲の堤内側に起源があるものが相当多いことがわかります。すなわち、氾濫水が堤内地の地盤を抉って押堀を形成し、そこから吹き上げた砂がその下流側に扇状に堆積したのです。これらの押堀は、氾濫水の流路の方向にきわめて長大で、10月9日の写真に見えるこれほど大量に堆積した砂は、もともとの洪水にも砂はふくまれていたでしょうし一部は堤体の砂でしょうが、大部分は堤内のかなり広い範囲の地盤を抉り取り、そこから吹き上げたものです。この三坂の破堤区間からの氾濫水の流路にだけこの灰色の砂が堆積したことからも、こうした事情は明らかです。

 これらの押堀は、氾濫水の流路の方向にきわめて長大です。押堀の長さと言っても明確な区切りがあるわけではありませんが、氾濫から1か月近く経過してもなお、水面が繋がっている長大なものを3つほど測ってみると、赤矢印と橙矢印で約250m、短めに区切った黄矢印で約100mもあります。

 

 次は、国土地理院の「地理院地図」(http://maps.gsi.go.jp/)の「自分で作る色別標高図」で破堤点を中心に、押堀とそこから抉り取られて堆積した砂層の標高を示したものです。標高データは水害直後の航空レーザー測量によるものです(Y.P.ではなくT.P. 地図上でカーソルを置いた地点の標高が0.1m刻みで表示されますが、色別表示は0.5m刻みで設定できます)。

 破堤地点直下から、やや上流方向に回り込むようにできた深くて長大な押堀(上の赤矢印と橙矢印)ができています。

 

 赤・橙の押堀が抉った砂はそのだいぶ先まで運ばれ、写真の範囲からはみ出してしまっていますが、黄矢印の押堀から抉り取られて堆積した砂は、下に拡大した部分の中央あたりに、いくつか黒い舌状の図形を描いています。

 標高図の中心、「坂」の字の上あたりは、もともとは緑(T.P. = 14.5-15m)でしょうが、黄(15-15.5m)や橙(15.5-16m)まで標高が高くなっています。画面中心上方の、「+」カーソルのあたりも同様に堆積した砂でしょう。なお、画面左や右の県道357号線沿いの橙はもともとの標高ですから、混同しないようにします。

 

 氾濫流の主流部にできた押堀の状況について見ることにします。

 地理院地図の標高図を、その部分を中心に拡大します。赤(16m以上)のところが、最深部では濃青(13.5m未満)まで、えぐられています。きわめて長大で深い押堀が形成されたといえます。ただし後述のとおり、この押堀の中で盤割や陥没が起きているのですから、純粋な押堀ではないのですが。

 氾濫水の主流部にあった住宅・店舗・物置等の建物は、敷地の土壌が深さ数メートルまで流失したために基礎ごと流されてしまい、基礎の上に載っていた建物本体はほぼ完全に解体しました。氾濫水の主流部にあったにもかかわらず、基礎が流されなかったことで解体を免れたのは、地下6m程度の頑丈な鉄筋コンクリート構造の地下タンクの上のガソリンスタンドと鉄管の基礎杭の上に建築されていた住宅8(「ヘーベルハウス」)だけです。住宅8は、流されてきた住宅を2軒受け止めました(うち1軒はその後流失)。

 これら、氾濫水の主流部にあって流出・解体した住宅のあった地点は、近年になってから住宅地になったのではなく、明治初期の迅速図などを見ても、かなり昔から集落だったようです。標高図のあとに、1961年の航空写真(国土地理院、MKT619-C16-8)を示します。なお、標高図の背景になっている国土地理院の地形図では、集落の東側には水田が広がっていたことになっていますが、ここは自然堤防 natural levee であり、畑地です。水田だったのは、八間堀川がその中心を流れる後背湿地 back swamp です。

 なお、住宅2は氾濫水の主流部の上流側(北側)のぎりぎり外側にあり、敷地の土壌はすべて流され、その場で1.5m以上垂直に落ち込み、1階部分の建具・壁・床等はかなり損傷しましたが、その下の粘土・シルトの基礎地盤が流失を免れたことと、氾濫水の直撃を受けた面の反対側(東側)の、住宅9との間の地盤がほぼそのまま残っていて建物をくいとめたため、かろうじて流失は免れました。

 


 

II-2 地下浸透流による噴水・盤割

 

 破堤区間から流入した地上氾濫水による堤内地破壊の次に、それと同時進行した地下浸透水による堤内地破壊について検討します。

 

II-2-i 地下浸透流による噴水

 遮水性土壌の下の透水性土壌、具体的には分厚い砂の層の地下水が、洪水によって圧力が高まり、地上に噴出する現象です。住宅9の敷地からの噴水です。詳細は、まさかの三坂94浸透による堤内地盤崩壊で示しましたが、その概要です。

 このほか、破堤直後に、E区間の堤内側でもそれらしい現象がありましたが、このふたつ以外には、今のところ見いだせません。かりにあったとしても、建物の陰などになれば対岸からのカメラには映らないわけですが、長時間にわたって動画として記録されたことは、異例のことだったのです。

 

 対岸の篠山(しのやま)水門のCCTVカメラによって撮影された動画の13:50の画像です(トリミングしてあります)。

 住宅2の地盤が抉られたようで、右側(南側)が大きく沈み込んでいます。その住宅2と住宅9の間に白い水煙が立ち上り始めるのです。破堤が進行し、激烈な氾濫水が流れているのに、それを掻き分けるようにして噴出しているのですから、かなりの水圧・水量です。


 右の関東地方整備局によるUAV画像に、その噴出地点を示します。

 下のグーグルマップの画像(多角度からの航空写真による合成画像。現在は差し替えられて閲覧不可能)に、噴出口らしい穴が写っています。2m×1mくらいの水面が見えます。


 

II-2-ii 地下浸透流による盤割

 

 噴水は、遮水性土壌に小さな穴を穿って地下水が噴出したものですが、それに対して、地表氾濫流によって表土が洗掘されてできた押堀の底面に露出した透水性土壌を、高圧の地下水が上方に向けて押し破るのが「盤割れ」と呼ばれる現象です。堤防に沿った堤内地にいくつかの盤割による開口ができています。下に、その模式図を示します。

 

 

 グーグルがヘリコプターから撮影した9月11日と12日、関東地方整備局や災害科学研究所が現地調査をおこない写真を残した9月12日、関東地方整備局の「鬼怒川堤防調査委員会」の現地調査(という触れ込みの見物)がおこなわれた9月13日には、一帯がひと繋がりの水面になっていて地表面の様子がわからなかったのですが、仮堤防の記録のために9月18日と26日に関東地方整備局が撮影したUAV画像だと、ちょうどこの盤割の各々がひとつずつの水面になっています。そして、その盤割の各水面に、陥没が起きているのがわかります。つまり、押堀、盤割、陥没の3つが重複して起きているのです。

 実例を挙げる前に、押堀の底面で起きた盤割による穴で起きた陥没についてみておきます。

 


 

II-3 地下浸透流による陥没

 

II-3-i 地下逆浸透流による盤割底面の陥没

 

 押堀の底面で起きた盤割による穴で起きた陥没の模式図を示します。

 噴水と盤割は、9月10日の12時から13時ころをピークとする洪水の水圧を受けて地下水の水圧が高まったことによる地下浸透流によって起きたのですが、9月10日夜以降河道の水位が低下すると、地下水の圧力が低下して堤内地で陥没が起きました。地上氾濫流の主流部で形成された押堀底面の盤割が起きた箇所で、あるいは表土の下に遮水性土壌がほとんどなかった地点ではもとの地表面で直接的に、陥没がおきました。

 

 まず、堤体近くの表土の下に遮水性土壌による地盤が形成されていた地点での押堀・盤割・陥没の重合について、9月26日のUAV画像から実例を摘示します。

 仮堤防のうち、堤内側のコンクリートブロックで被覆した土堤が前日の9月25日に完成していて、破堤した堤防のあった部分はほぼそれによって隠れています。左上が住民がVTR画像を撮影した住宅1、中央左が住宅2、右が住宅9です。

 住宅1の前庭と私道のコンクリート舗装板が、もとの地表面です。ここと住宅1も破堤後の地表氾濫流に洗われましたが、主流部からは外れていたため、このように住宅の地盤は洗掘を免れたので、建物は浸水したうえ外壁や建具が損傷したものの解体を免れました。住宅2は、基礎が乗っている地盤が地表氾濫流によって全部洗掘されたために、ダルマ落としのようにほぼ1.5m落ち込みました。この表土の下に現れたのが、遮水性土壌面です。これを「1次侵食面」、この一次侵食面からさらに1.5m下に現れ、画面右までずっと続いている面を「2次侵食面」としておきます。いずれも画面左方向から流入した地表氾濫流によって洗掘されたものに違いありません。したがって、「1次侵食面」「2次侵食面」ともに、押堀の底面と言って良いでしょう。

 

 「1次侵食面」と「2次侵食面」の段差はどうしてできたのかについては、次のように推定します。

 この2面はいずれも、河道付け替えによって旧河道を横断することになる、新河道の左岸堤防を補強するために施工された遮水性地盤面だったものと思われます。自然堤防 natural levee 地帯ですからそうでなくても砂層が厚く堆積しているところですが、河道だった地点はなおのこと分厚い砂層が堆積していたのであり、集落や耕地とするために客土された表土の下にこのような遮水性の地盤面があるのはいかにも不自然だからです。

 なお、この旧河道部分の補強のための遮水性土壌はいささか品質がよろしくなく、「鬼怒川堤防調査委員会」の報告書の末尾にひっそりと掲載されている地質調査結果のとおり、砂やひどいところでは礫まで含まれています(6堤内地盤崩壊の諸相の末尾参照)。堤体より堤内側の遮水性地盤面は、一体ではなく、何層かを順に重ねていったようです。

 そのうち、「1次侵食面」は、表土のすぐ下の遮水性土壌の表面であり、「2次侵食面」は、その次の層の遮水性土壌の表面です。地表氾濫流の主流部によって侵食された範囲では、この「2次侵食面」が現れているのです。

 

 そして、この「2次侵食面」中に一段低くなっている面があります。9月26日時点では偶々そこが水面になっていますが、それが盤割が起きた箇所です。それを「3次侵食面」とします。これもまた、従来何の疑問もなく、押堀(誤称「落堀」)だとされているのですが、このような形状が地上氾濫流によって形成されるとは考えにくい、それどころか到底ありえないといわざるをえないでしょう。

 そしてさらに、その盤割によってその下の地層が現れている水溜りの底面に、一層深くなっていて、底が見えない地点があります。これなど、「3次侵食面」以上に、押堀だとは考えにくい形状です。盤割によって現れた下層の地盤で起きた陥没だと考えられます。これを「4次侵食面」とします。

 次に、この下流側の映像です。

 氾濫水が引いたあと、F区間からG区間にかけての堤体直下に、差し渡し50mくらいの巨大な粘性土質の地盤面が水面上に現れました。いつの時代のものかはわかりませんが、河道付け替えに際して、堤防の基礎地盤として施工された粘性土質の地盤面の断片でしょう。

 右上は9月11日、右下は10月9日のGoogleEarthProの衛星写真ですが、この基礎地盤の残丘はそのまま仮設堤防の下に埋められました。上のUAV映像の「1次侵食面」は、仮設堤防の川裏側の基礎地盤からすこしだけ見えている部分(赤丸)です。

 仮設堤防は、上下流端の破堤断面を直線で結んで建造されたため、もとの堤防の川裏側法面のちょうど真下だった部分がすこしはみ出て見えているのです。

 この基礎地盤は、もとは堤防の基礎部分に堤防の幅で施工されていたはずで、それが複雑なプロセスをたどってこのような形状で残ったのでしょうから、一概に地表氾濫流によって洗掘されてできた押堀の底面だと言うわけにもいきませんが、一応赤丸をつけた上面を「1次侵食面」としておきます。

 堤内地の表土の下の遮水性土壌の面が現れたのが、地表氾濫流によってできた押堀の底面である「2次侵食面」です。「2次侵食面」はかなり複雑な形状になっています。

 画面手前、ガソリンスタンド脇(上流側)に、冷却液(LLC)らしきもので緑色に着色された、湧水をたたえている水面があります。押堀の底面の一部が地下からの水圧によって盤割れをおこし、この9月26日にちょうどひとつの水面になっているのです。これが盤割による「3次侵食面」、そしてその一部で陥没して一層深くなっているのが「4次侵食面」です。

 次は、さらに下流、ガソリンスタンドの敷地とその下流側です。


 ガソリンスタンドは、地下にガソリン(ハイオクとレギュラー)と軽油を貯蔵するきわめて頑丈なタンクが埋設(一般的には深さ6m程度のようです)されていて、その上に鉄筋コンクリートの舗装面が造成されていますから、河道側の周縁部をのぞいて、地上氾濫流によって流失することなく、残りました。

 プロパンガスボンベの収納庫はほとんど傾斜していませんが、鉄板壁・片流れ屋根の倉庫は、このコンクリート舗装面の外(河道側)にあったようで、傾いて落ち込んでいます。基礎のあった表土が流失したこともあるでしょうが、UAV写真ではわからないものの地盤が陥没して落ち込んのでしょう。

 右上の写真は、2015年12月に現地で撮影したものです。盤割・陥没が起きていた押堀にはすでにだいぶ土砂が投入されています。関東地方整備局がやるとも思われないので、おそらく県道357号線復旧工事のついでに茨城県常総工事事務所が実施しているのでしょう。丁張りの横赤木までさらに土を入れるようですが、それが元の地表面の高さでしょう。ガソリンスタンド倉庫の手前の丁張りをみると、この倉庫がどのくらいダルマ落としのように落ち噛んだかがわかります。その右は、常田教授が堤防拡幅部と勘違いした土饅頭で、赤横木の上だけが地上に盛り上がっていた部分ですその左がプロパンガスボンベ倉庫です。元の地表面の高さで建っています。

 ガソリンスタンドのコンクリート舗装面のうち、地下タンクの上に載っている県道357号線側(東側)は元の高さを保っています。その上流側(南側・画面下方)の「1次侵食面」と「2次侵食面」は、複層の遮水性土壌の表面が現れている押堀の底部です。この時点で水溜りになっている「3次侵食面」が盤割した部分です。

 「4次侵食面」はその盤割の底部で起きた陥没による深穴です。このようなものが地上氾濫流によって掘り込まれることは、ありえず、水位低下時の地下浸透流による陥没と考えるほかありません。

 

 

II-3-ii 地下浸透流による地表面の陥没

 

 下は、2015年9月20日ごろの航空写真に、地上氾濫流の主要部(上流側=画面左側の赤線から、下流側=画面右側の橙線までの間)、その範囲外で陥没など特異現象が起きた範囲(上流側は黄線から赤線までの間。下流側は橙線から白線までの間)を描き加えたものです。堤防の近くの約20から30mの範囲(平行ではないのですが、堤防から県道357号線までの中間ぐらい)の陥没(青囲み)は、上の III-3-i で見ました。ガソリンスタンドの倉庫下でも陥没が起きていたようですが、建物があるので見えません。ただし、建物の傾き方から推測できます。地上氾濫流による傾きだとすると、流れの下流側に傾くはずであり、流れの上流側に傾くのは不自然です。地盤の陥没が起きたと考えるべきでしょう。

 堤防から離れると、遮水性土壌による地盤強化はおこなわれていないため、表土の表面からいきなり陥没(赤紫囲み)が起きます。

 

 地表面での陥没について具体的に見てみます。実例を3つ挙げます。

 まず、7堤内地における陥没で検討した住宅12と県道357号線、ならびに住宅14の北側の例です。

 7堤内地における陥没で住宅12について、残っている限りの写真で、陥没によって倒れ込んだ時刻がいつだったかを検討しましたが、地表氾濫流がもっとも激しかった時刻ではなく、日没以後の流入が鈍化したあとだったようです。地上氾濫流によるのではなく、地下浸透流の挙動に原因がある陥没だと考えるのが合理的です。

 防災科研が9月11日の現地調査の際に撮影した写真です。住宅のコンクリートの基礎と電柱が埋まっている表土は洗い流されたり崩れたりしたのではありません。表土の下方にある地下の透水層の圧力が低下し、その上に載っている表土が建物や電柱ごと陥落したのでしょう。県道のアスファルト舗装の崩れ方も、表面を地表氾濫流が流れたことによるものでは到底ありません。特徴的な陥没です。

 下は、住宅14の写真で、画面左の住宅13との間の地盤のうち、住宅14側が陥没したようです。ここでも、住宅13の敷地地盤や見えている3軒の住宅建物に、(浸水被害はあるでしょうが)地上氾濫流による洗掘・破壊の跡はありません。


 

 2例目です。住宅12から上流側(北側)に50mほどのところ、ガソリンスタンドの手前に県道357号線と東からの道路との丁字路があります。そこでも、地上氾濫流によるものと考えるのは無理のある破壊状況がみられます。

 右の4枚は、いずれも同じ日の防災科研による写真です。

 1枚目では鉄筋コンクリート造の丁字路取り付け部だけが残っていて、その周囲が広い範囲で水溜りになっています。丁字路とその手前で、県道357号線のアスファルト舗装面が住宅12前と同じように割れています。同様の陥没が起きたと考えられます。コンクリート造の部分の先(東)、アスファルト舗装面は地盤が陥没して落ち込んだのです。地上氾濫流によって破壊されたのであれば、捲れて右方向へ煽られるはずです。「専門家」の諸先生たちは、こうした状況を漫然と地上氾濫流におる押堀だと見做してきたのですが、安易です。(画面奥は住宅8、すなわち「ヘーベルハウス」。その右は「電柱おじさん」がつかまっていた支柱つきの電柱。)

 2枚目では、県道のアスファルト舗装面が、地盤の陥没によって剥落した様子がよくわかります。

 3枚目は、その丁字路部分です。暗渠の排水溝と桝を鉄筋コンクリート構造で造ってあります。水溜りの向こう、民家の敷地内に敷かれていたらしい鉄板が見えます。地面にピッタリ敷かれていた鉄板は、地上氾濫流によって煽られたのではなく、地盤が陥没したために、その場で落ち込んだのです。

 4枚目は同じ場所で回れ右し、河道方向(西)を見たところです。丁字路用のカーブミラーがその場でストンと落ち込んでいます。地上氾濫流で損壊したのであれば、折れ曲がって、県道上に倒れ込むはずで、このように落下することはありえないでしょう。(画面右奥は、ガソリンスタンドのプロパンガスボンベ倉庫です。左奥に、下流側の破堤断面が見えます。)

 その下は、水害前に撮影されたグーグルのストリートビュー画像で、丁字路の先(東)から堤防方向(西)を見たところです。カーブミラーがあります(2012年11月)。


 3つめの地表面の陥没事例として、住宅9および住宅1・2の私道の例を見ます。これは、4浸透による堤内地盤崩壊で検討したもので、当初は盤割だと考えたのですが、住宅12と県道357号線について詳細に検討したあとで再考すると、これもまた陥没と考えるのが妥当のようです(4浸透による堤内地盤崩壊の(iv)も書き換えました。)。

 

 防災科研の9月12日の現地調査の際の写真です。左が住宅9、奥が住宅2、右の板壁が加藤桐材工場、奥が住宅1です。堤防はなくなり右岸高水敷の竹林と向こうの樹木が見えています。

 パックリ割れて脱落したのが住宅1の私道(幅員3.6m)で、それと住宅9の間にあった、客土した上に砕石敷の住宅2の私道(同)は、すくなくとも地表面から約1.5m下の水面まで、まったくなくなっています。

 当初は盤割かとも考えたのですが、住宅12とそれが面する県道357号線の陥没状況(2枚目、防災科研が9月11日に撮影)と、きわめて酷似していることに思い至り、考え直しました。河道に対する角度は90度違っていますが、炉盤面の割れ方から住宅建物の傾斜具合まで、まるで同じです。

 また、住宅9の外構が建物と同じ角度で傾いているのも住宅12の電柱や住宅14の樹木の場合と同様です。住宅9の外構は、地上高はさほどないうえ、地表氾濫流を正面から受けることもなかったのです。華奢なアルミフェンスもかなり残っています。陥没以外にはこのような現象は考えにくいでしょう。

 住宅9が、地表氾濫流がもっとも激しく流入していた時点ではほとんど傾いていなかったことも(このページの噴水事例で見た13:50のCCTV画像再掲)、住宅12の場合と同じです。

 なお、まず住宅2の砕石敷私道が地表氾濫流によって洗掘され、次にそこを含めて住宅9と住宅1のコンクリート敷私道が陥没したということも考えられます。そうすると、すくなくとも住宅2の私道部分では、押堀底面で陥没が起きたということになります。しかし、写真の通り、住宅1の私道では押堀ができているわけではないので、いちおうはここでは表土面でいきなり陥没が起きた、と看做すことにします。

 住宅9と住宅12、いずれの場合も、氾濫流の主流部からすこしだけ外れた範囲での現象です。