鬼怒川水害まさかの三坂 3

 

越水開始直後

 

 

Sept., 12,  2019

 

 1ページで写真の一覧を確認し、2ページで決壊・破堤した区間を、BからGまでの6区間に区分しました。これから写真を個別に見ることにします。このページでは、29枚のうち、最初の6枚です。

 

 

 住民撮影のVTRを除いて、ほとんどが縦断方向の、つまり左岸堤防を上流から下流方向に向けて撮影した写真です。その場合、上空からの写真あるいは横断方向の写真とちがって、ごく近くはともかく、中遠景ではいろいろな現象がおきているのがどの区画なのかがきわめてわかりにくくなります。

 そこで堤防が微妙にうねっているのをあらかじめ踏まえておくと、どの区画の事象なのかがすこしわかりやすくなります。上の区画図にシアン色で記入した目印となるうねりぐあいを、縦断方向で示すとこうなります。

 

 シアン色の三角がそれぞれ堤外側、堤内側への微妙な出っ張りです。

 

 そのうちE区間のアスファルト天端のクッキリした灰色の三角形(実物どおりです。こちらで加筆したものではありません)は、次のようにしてできたと推測します。すなわち、E区間の天端のアスファルトはF区間とD区間の双方より低く、なおかつ堤外側に傾斜しているようです。この横断方向の傾斜は天端舗装ではよくあるものですが、縦断方向の傾斜、しかも上流側と下流側の両方に対して傾斜し窪んでいるのは異例のことです。

 ここに、G区間の採砂のためのダンプ道路に砂まじりの砕石が敷かれていて、そこをとおるダンプカーのタイヤに踏まれて粉砕された砕石や砂が雨水で流されてきて、堤外側の草地の天端に遮られて溜まったものと考えられます。(なお、このあとの加筆した写真のとおり、天端のアスファルト部分には舗装面の保護用の、坂路の一部にはタイヤの埋没防止のために鉄板が敷かれています。)ダンプカーのタイヤが堤外の高水敷や寄州から持ち込んだ砂がヘアピンカーブから流れてくることもあるでしょう。粘土、黒土、関東ローム層の赤土などではありません。

 なお、このダンプ道路のヘアピンカーブ部分については、ダンプの重みで堤防が沈下してそれが破堤原因になったのではないかとの指摘がなされ、それに対する国交省の回答文書が出されています。そこには「砂利」を敷いたとの記述があります(2016年3月28日、https://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/image/12-09-dosha-kussaku-kasetuhanro.pdf 下に引用)。「砂利」は日常用語では玉砂利のようなものを指すことが多いのですが、粒のそろった玉砂利を鉄板の上などにばら撒いたのでは、コロコロ転がって具合が悪いでしょう。土木用語としては砂まじりの小石のことを指すのですが、ここではそのような意味のようです。

 次の写真は、水害後の仮堤防建設の際の衛星写真です(グーグルマップ)。上流側半分が鹿島(かじま)建設、下流側半分が大成(たいせい)建設による工事の真っ最中です。使っている土砂の種類まで違うのですが、大成建設側のこの灰色は砂まじりの砕石のようです。その下が、仮堤防完成後の写真(2015年12月1日)で、砂まじり砕石が写っています。同じような色味なので、水害前の採砂用の坂路に敷かれていたのは砂まじり砕石でしょう。

 この三角形は、2014年秋から2015年春のヤフーの衛星写真にも写っています。そのころには砂の採掘もすでに終了し、敷き並べられた鉄板も撤去されていますが、アスファルトにこびりついた砕石屑や砂はかなりあとまで残るのです。


 グーグルアースの2014年3月22日の衛星写真画像で、ダンプ道路の坂路とヘアピンカーブ部分の敷鉄板が識別できる限り、図示してみました。「敷鉄板」は、5×20フィート、すなわち幅1.525m、長さ6.096mで、重さ1.8tです。

http://www.gecoss.co.jp/products_service/products/kozai/shikitetsuita/

 



 写真が撮影された時刻に関連して、下館河川事務所・鎌庭出張所による状況把握と、常総市役所への連絡状況、常総市役所による避難指示等の一覧表を掲げておきます。

 青枠が若宮戸河畔砂丘における氾濫に関するもので、赤枠が三坂の越水・破堤による氾濫に関するものです。(国交省が、9月10日から11日朝までずっと「三坂」を「新石下」と間違って通報・広報していたことについては、別ページを参照)

写真の分析


1(不明1a)

 住民が携帯電話機で撮影した動画から切り出したものです。(横画面のうえ、左上に指がかかっているので、iPhoneなどのスマートフォンでしょう(「ガラケー」だと、ほとんどの場合縦画面になりますし、左手人指指が映り込むこともありません)。

 F区間の下流側3分の1あたり、堤内側のダンプ道路で上がってきたすぐの地点から下流方向を撮ったものと思われます。(以前のものとは異なり、ダンプ道路は一旦天端にあがってから上流側に向かい、堤内側の盛り土部分にはみ出し、ヘアピンカーブで天端を横断し、堤外側〔河道側〕に降ります。)

 遠くに堤防が河道側にちょっと出っ張っているのが見えます。グーグルアースでその場所を表示してみました。



2(不明1b

 上の1からパンして上流側を写したところです。中ほどにF区間上流端から20〜30mほどのところにあるダンプカー用の坂路が天端を横断する部分が見えます。堤外側の坂路の冠水状況をみると、天端まで1m近くあるように見えます。このあたりは、上流側のC区間からE区間にかけてより、すこし天端の標高が高いのです。

 1は子供づれ、2は喫煙姿で、さほどの緊迫感はありません。このあとここが破堤して大氾濫を引き起こすとは、誰も思っていないのです。若宮戸の氾濫のニュースもまだ伝わっていないようです。(本石下〔もといしげ〕の道路が冠水している様子はチラッとは映ったのですが、テレビニュースは氾濫と言わず、たいしたことのなさそうな言い方でした。)

 このあたりは三坂ですが、三坂上・三坂下に避難指示が出たのが10時30分です(伝わった時刻という意味ではありませんが)。まさかその段階で子供づれで川の様子を見に来ることはありえないでしょうから、この写真はその前と考えられます。



3(11:10)

 最初に三坂での越水を発見した国土交通省の大型ポンプ車(内水排水ポンプ車)からの写真4枚のうちの1枚です。これと次のいずれも11:11の3枚はA区間からC区間までの100mほどを走行する間に連続して撮影されたものです(撮影位置の話です。写っているのはその先です)。おそらく低速走行しながら助手席から撮影したのでしょう。大型車特有のワイパーやアンダーミラーが写り込んでいます。

 ダンプ道路はすでに撤去されていて、そこから降りることはできませんから、1km先の常総きぬ大橋のたもとからアグリロードに上がり、県道357号線へ左折して鎌庭(かまにわ)出張所(常総市新石下〔しんいしげ〕)に急行したものと思われます。走行距離はここから3kmあまり)。これを受けて、下館河川事務所は11時42分、常総市役所に「21k付近で越水、避難してください」と通報しました。


 この先でさらに数枚撮影のうえ飛んで帰って事務所に駆け込むのに10分、所長らがデジタルカメラの画像を見たうえで下館河川事務所(茨城県筑西〔ちくせい〕市)に電話もしくは無線連絡するのに10分、下館河川事務所で担当者から課長次長に報告したうえで常総市役所に連絡するのに10分、というところだろうと思われます。

 

 決壊・破堤した区間のかなり手前の状況ですが、非常に重要なので詳しくみることにします。

 この写真だけではわかりませんが、このあとの3枚と照らし合わせると、この先のB区間と左側にすこし膨らんでいるE区間で越水しています。しかしこの写真3の付近は天端まですこし余裕があります。目と鼻の先でこれほど堤防の高さが違っているのは異常なことです。あの越水している地点とこことの距離、そして堤防の高さの差はどのくらいでしょうか。

 まず、ここで水位が堤防の天端に対してどのくらいまで迫っていたかですが、今となっては測りようがありません。この時も国交省職員はこの先で越水しているのが見えていて、先を急がなければならない状況ですから、それどころではなかったでしょう。右の堤外の高水敷は森林化していますが水位が上昇して樹々が冠水し、天端のすぐ下まで水が迫っています。大型車両がいるのが「堤外の樹木」と記した一本だけ孤立している樹木(おそらくクヌギ)の手前15〜20mくらいでしょう(このあとの小型車両とは視点の高さが違うので見え方が異なります)。川表側法面の形状はかなり波打っていていささか判断に迷うのですが、天端のアスファルト舗装の幅は3mとはっきりわかっているので、それを目安として目測でざっと70±10cmといったところでしょうか。

 川表法面の喫水線が直線でなく、おおきく波打っています。きわめて歪な形状だったということです。

 この堤外の一本立ちの樹木は水害後も残っていました(写真は2015年12月15日)。このあたりも仮設堤防工事のために堤内側・堤外側に土嚢で縁取りのうえ土盛りがされています。

 これでだいたいの位置がわかります。ということは、水害直後の航空写真・衛星写真からこの場所を特定するのは容易です。

 


 

 前々ページで見たグーグル・クライシス・レスポンスの9月12日の写真です。

https://storage.googleapis.com/crisis-response-japan/imagery/20150912/full/DSC01506.JPG

 グーグル・クライシス・レスポンスの航空写真は、普及品の一眼レフカメラに安価なズームレンズをつけて撮っているのですが、国土交通省などがプロ用の高級機材を使っていながら公表に際して解像度をわざと落としているとは違って、高解像度の写真(6000ピクセル×4000ピクセル)をそのままインターネット上に公開しています。しかも、国交省が、写真をきれいに削除してしまったのに、水害から4年後もそのまま保存し、公開しています。

 なお、解像度を落とす前の画像でもすでに差があるようです。距離は無限遠固定でしょうからいいとして問題は手ブレなのですが、よほど腕がいいとみえて失敗カットなどなく、画面のごく一部を大きく拡大しても状況を克明に把握できます。

 このDSC015606の左上を拡大すると、そこにさきほどの「堤外の樹木」(白丸)が写っています。天端のすぐ脇に一本立ちしているのですぐわかります。これに、国交省の測量データから3点を抜き出し、その位置と番号、基準点からの距離(m)、天端の標高(「現況堤防高」)を黄文字で記入してみます。

 これは、国交省の委託による「中三坂地先測量および築堤設計業務報告書」(2006〔平成18〕年3月、共和技術株式会社)の測量データによるものです(「鹿沼のダム」〔http://kanumanodamu.lolipop.jp/OtherDams/misakaTeibou.html〕からの引用です。例の「鬼怒川堤防調査委員会」や、さらに鬼怒川水害訴訟〔2018年8月7日提訴、https://www.call4.jp/search.php?type=material&run=true&items_id_PAL[]=match+comp&items_id=I0000053 〕で被告の国(国交省)が用いているデータとのことです。なお、「鹿沼のダム」はこれについて詳細な分析を加えていて、このデータが水害の10年前の2005年測量のものであり、その間に従来継続する地盤沈下によって変化している可能性を指摘しています。不同沈下を含めた可能性については別に考察することとし、いまここでは概略の数値を知るために引用させていただきます。)

 排水ポンプ車がこの写真3を撮影した地点は、偶然にもNO115地点付近だったようです。NO115地点と、その先の激しく越水しているE区間のNO112との距離は120mですが、この2点間で、「現況堤防高」は、72cmも違うのです。

 鬼怒川の勾配は1000分の1どころか2000分の1もありません。「計画高水位」のデータ(https://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/pdf/kinu-1-3.pdf  ウェブサイト「平成27年関東・東北豪雨災害〜鬼怒川水害〜」提供のデータです)でみると、26kの若宮戸河畔砂丘北部からこの三坂の21kまでの5km区間の標高差はわずか1.79mです。じつに2793分の1です。

 さきほど目測で、NO115地点では天端まで70±10cmくらいに見えるとしましたが、この先で写真6のようにNO112を含むE区間で越水しているのが10cm程度あるいはそれ以下くらいでしょう。素人の目測も、これら測量データと矛盾せず、だいたい一致するようです。

 水面の勾配がわずか2791分の1なのに、堤防天端の勾配は167分の1もあったのです。その先のG区間のダンプ道路のヘアピンカーブに行くと堤防天端は高くなるのですから、この21k表示のポールの18mほど下流地点が72cmも垂れ下がっていたということです。

 これはいまのところ40m刻みの、しかも10年も前の測量データですが、いずれ写真や他のデータと照合して確かめることにします。

 


4(11:11a)

 大型ポンプ車が前進し、B区間に踏みこんだところです。同じタイムスタンプの写真が3枚あるので、この4ではB区間についてみます。

 映っているのはB区間下流側3分の2くらいでしょう。B区間下流端近くにあるケヤキの根元あたりに越水しています。

 この写真の最大の注目点は、天端まで溢れ出た茶色に濁った河川水が、天端のアスファルト舗装面に斜めの線を描いていることです。その線の手前は雨水に濡れているのですが、濁っていないのでケヤキの影と空の雲が写り込んでいます。

 くっきりと斜めの境界線ができる理由はあきらかです。天端が横断的には河道側に傾斜していることと、縦断的には下流側に急傾斜していること、このふたつです。

 天端のアスファルト舗装は一般的に河道側に傾斜して施工されます。雨水の排水のためです。ここもそうです。

 もうひとつは、さきほど写真3でみたとおり、測量点NO115からNO112に向かって、(2005年実施の測量データでは)120m区間で72cm降下する、すなわち平均して167分の1の傾斜があることです。

 この横断方向の傾斜と縦断方向の傾斜が重合して、このとおり氾濫水が低いところへ浸水して斜めの境界を呈しているのです。河道の水位がさらに上がればこの境界はさらに上流側に移動するでしょう。



5(11:11b)

 写真4から車両は10〜15mほど進んだところです。さきほどの氾濫水と雨水の斜め境界線の下流側の端がすこし見えています。車両のアンダーミラーに斜め境界線を挟んでケヤキの影と茶色の氾濫水、さらに河道側=川表側法面上部の草、さらに増水した河川水と高水敷の樹木がちょっとだけ、映っています。当然、車体の前部も映っています。

 B区間につづくC区間の様子をみます。

 B区間とC区間の境界は、この時点では分ける意味はあまりありません。最終的に堤体下部まで完全に流失した区間をC区間とするだけの話です。そのC区間は、上流側で越水していますが、下流側からD区間にかけては、越水していないように見えます。天端の標高の高い上流側で越水していて氾濫水がC区間下流側とD区間の天端へ流れてくるので、天端は冠水するのですが、越水はしていないようです。(C区間はこのあと全体で越水しますが、D区間は最後まで越水しないように思われます。越水しないまま、破堤断面が上流側に漸進してきたのです。)



6(11:11c)

  最初に越水を発見した大型ポンプ車からの最後の1枚です。写真5はB区間上流端から撮ったものでしたが、車両は20mほど進んで、C区間との境界近くにいます。

 B区間から連続的に、C区間の上流側3分の1くらいでも越水しています。

 その先、D区間は天端のアスファルト舗装面は冠水していますが、川表側の草の天端はそれより標高が高く、草だけでなく地面も冠水していないように思われます。この時点で、アスファルト天端より幅広く水面から草が出ています。川裏側法面への越流も起きていません。アスファルト舗装の川表側の草の天端が河川水を妨げているのです。アスファルトが幅3mですから、草天端も同じくらい、合わせた天端幅は6m近くありそうです。


 ここで、写真4、5、6ではD区間の河道側に緑の草地が水面から顔を出していることについて、みておきます。この草の天端は、いったんE区間で途絶え、その先でまた現れるのですが、どういうことなのでしょうか。

 「鬼怒川堤防調査委員会」資料の中に、水害前のこの地点のほぼ同じ角度の写真があります(2013年10月17日撮影)。ヘアピンカーブから左(堤内側)へとダンプカーが降りていくのが映っています。

 D区間のアスファルト天端の河道側には、草地のかなり幅広の天端があり、しかもアスファルト面より数十cm高いのです。草丈の分だけ、さらに高く見えてはいますが、それを除いたとしてもけっこうな高さがあります。この段差は50cm程度はあるのではないでしょうか。

(天端の舗装幅が3m、距離ポールの高さも3mです。〔右下は若宮戸河畔砂丘の対岸の堤外側法肩に立っている26kの距離ポールを下流側から見たところです。紅白測定棒は全高2m、紅白の縞ひとつが20cmです。2015年10月撮影〕)

 堤高が低くて危険なので、その分高くしたということもありうるのですが、上流側(C区間)と下流側(E区間)はこうはなっていないのですから、ここだけ高くても無意味です。どうしてこうなっているのか、わかりません。

 理由は不明ですが、とにかくこうなっているために、D区間では越水が起きていないのです。

 このほか、E区間に泥溜まりがあるのがわかります。上述の常総市議会の水害検証特別委員会に国土交通省関東地方整備局が提出した資料(2016年3月28日、https://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/image/12-08-misaka-dosha-kussaku.pdf)によると、高水敷の「土砂」(ここでは砂のことです)の採掘をしたのは、2013年7月5日から翌2014年5月30日までの約11か月で、写真はそのうち最初の3か月少々まで進んだ時点です。

 21kの距離ポールの少し先に、ある程度の土砂溜りができています。終了間近の2014年3月22日のグーグルの写真や、終了後の2014年秋から2015年春と思われるヤフーの写真では、三角形のクッキリした土砂溜りになっています。アスファルトやコンクリートにこびり付いた土砂は簡単には取れるものではありませんから、おそらく破堤の瞬間まで残っていたでしょう。

 このあと見るとおり、F区間から破堤が始まったのですが、そうしてできた堤防の破断面が横から洗掘されることで、上流側(まずE区間、ついでD区間、最後にC区間)と下流側(G区間)両方に破堤が波及していったのです。図は下流側への波及のパターンです。


 もどって、写真6の画面左上を拡大します。

 D区間の天端は、茶濁氾濫水はなく、とくに傾斜により高くなっている堤内側は雨水で濡れているだけで、向こうの樹木の暗い影が映っています。越水はしていません。

 E区間はこれまでのB区間やC区間より深く越水しています。堤内側の法面下に氾濫水が貯留しています。当然すでにそこから住宅地側に流入しているでしょう。


 

 さらに拡大します。F区間とG区間の境界あたりにいる臙脂短パンの人物は、越水しているE区間をこちらに渡ることはせず、おそらく元来たG区間のヘアピンカーブの方にもどるところです。大型車両が接近してくるのを避けるためかもしれませんが、E区間の越水は徒歩では危険だと思ったのでしょう。服装や行動からみて、あきらかに国交省職員とか委託先企業の従業員ではなく、地元の人です。


 まだ29枚中6枚しか見ていませんが、1ページあたりの容量の限界ですので、ページ・ブレークとします。