鬼怒川水害・10週間後の若宮戸(24.75km地点)

23, Nov., 2015


 若宮戸の状況については、7週間後の若宮戸のページでひととおり網羅したつもりでいたのですが、編集の際にこのグーグルクライシスレスポンスの写真(北西から鳥瞰 https://storage.googleapis.com/crisis-response-japan/imagery/20150911/full/DSC02810.JPG)を見て、24.75km地点の氾濫被害を見逃していることに気づきました。2015年11月19日にもう一度出かけて撮影してまいりました。 


 

 24.75km地点では、河川水は、鬼怒川水管橋に沿って砂の採掘後の低地に流入し、狭隘部に巨大な落堀(おちぼり、おっぽり)を作りながら堤防終端部の低地に流れ込み、そこから東側の住宅や水田へと噴出しました。9月10日の午前6時のことでした。

 家族を避難させたうえで状況を見守っていた住民の方は、この時点ではすでに写真左下のソーラーパネル地点からの氾濫水がせまってきていたので、紅白鉄塔の方向から脱出したと証言しています。(25.35km地点について、国土交通省関東地方整備局は「午前6時過ぎ」に溢水が始まったと言っていますが、あきらかに虚偽です。25.35km地点の「越水」開始はもっと早かったのです。)

 


 若宮戸の氾濫が三坂町の決壊の影に隠れてしまっているうえ、この24.75km地点は国土交通省の情報隠蔽によりほとんど世間に知られていません。どういうわけか、報道企業も被害についてはまったく報道していないのです。水害から2か月以上経過してもまるで氾濫直後のような惨憺たる状況を目の当たりにし、ここまでひどかったのかと思い知ることになりました。

 特に、黄色の矢印の部分の流れが激しかったようで、そこにあった車庫と納屋は崩壊して、道路をへだてた向かい側の家の庭先まで押し流されました。航空写真を見ただけではわかりにくいのですが、納屋の隣の総二階寄棟の住宅は、砂質の地盤が抉られて大きく傾いていました。氾濫水によって窓ガラスや家具がほとんど失われています。三坂町の決壊現場直下の状況を彷彿とさせる惨状です。

 更地になっているところが多く、一見被害がないように見えるのですが、破壊された家屋や塀などの残骸が撤去されブルドーザーで整地された跡なのです。不気味な空き地が続いています。

 

  

 

 一部重複しますが、つぎに、グーグルが2012年11月に撮影したストリートビューと、今回ほぼ同じ画角で撮影したものを比較してみます。クリックすると拡大し、再生ボタンでスライド映写となり簡単な説明文が表示されます。

 

 

 

 下は、国土地理院の「地理院地図 電子国土web」に掲載されている2015年9月28日撮影の航空写真(上が北)です。白く見えるのは、完成3日後の「土嚢の堤防もどき」(延長117.5m)です。排水作業によって、いったん氾濫水は消えたようです。

 最後に、この堤防もどきと、その南側の狭隘部にできた深さ6mの落堀の状況をみてみます。

 

 

 

 土嚢の堤防もどき直下から落堀一帯は、10月27日に見たときより大幅に増水していました。降水のためではなく、氾濫水が低いところに浸み出してきたのかもしれません。いずれにしても、これを埋めるとなると数万トンの土砂が必要でしょう。土嚢の堤防もどきを、河川区域内につくらず、無理やり河川区域外の民有地にはみ出して急造したのは、この落堀の扱いに苦慮したために違いありません。

 

 このページでは、若宮戸の24.75km地点の写真を示しただけです。25.35km地点(ソーラーパネル)を含めた「若宮戸問題」については、自然堤防とは何か鬼怒川水害の真相のページをご覧ください。