このページは、グーグルの検索で「鬼怒川水害」の何十番目かに出てくるようです。何年もたってからわざわざここをご訪問された方は、2015年の鬼怒川水害について切実な関心をいだかれていらっしゃることと拝察いたします。とりわけ、水害により直接に被害を受けられた方には、心よりお見舞い申し上げます。(私自身はかろうじて被害は受けませんでしたが、多くの友人知人たちが水害被害者となってしまいました。)

 被害そのものに加えて、水害の最中や直後の、報道企業による的外れの報道、インターネット上で垂れ流されたデタラメな情報、現場を見もしない「専門家」らによる放言などにもおおいに傷つけられたことと存じます。かなりの期間が過ぎ、もはや当事者以外の関心は薄れてしまったようです。国土交通省は、必要な情報の多くを秘匿したままですが、もっと問題なのは、省内上層部にあって水害の全貌を正確に把握している人が、どうやら存在しないことです。いくつかの機関が有意義な報告や分析をおこなっていますが、水害全体から見ると断片的であり、水害の全貌と真相にせまる分析はまだ現れていないように思います。

 

 三坂町での破堤については、堤防の高さだけの問題であるかのようなとらえ方が一般的です。若宮戸については、「自然堤防」という語を完全に誤解した論調が大部分です(中学生が習うようなことを、専門家や新聞記者、法曹の多くが知らないのです)。八間堀川の破堤については、ひどい誤解が定着してしまいました。これらの点をすべてただすことなしに、水害の全貌を捉えることは到底不可能だと思います。

 

 このページは、日付のとおり、水害発生の翌々日の記事ですが、その後も、当 naturalright.org は、これらの点についてさまざまの問題提起をいたしました。40ページほどありますので、ご覧いただければ幸いです。(なお、写真や図を数多く掲載しておりますし、文章も(いささか冗漫で)非常に長くなっています。スマートフォンではなく、コンピュータないしタブレット端末でご覧くださるようお願いします。)

 


鬼怒川水害の浸水範囲

12, Sep., 2015

 2015年9月10日発生の茨城県常総市等水害の、浸水範囲に関する国の発表情報です。

 内閣官房情報調査室の発表情報と国土地理院の発表情報を示します。

 

1 内閣官房情報調査室

 

 最初の3つの画像(元データはpdfファイル)は、内閣官房情報調査室が9月11日に記者発表し、あわせて(おそらく同日)ウェブサイトに掲載したものです(http://www.cas.go.jp/jp/houdou/150911saigai.html)。3枚の画像の境界線がわかりづらいので、ブルーグレーの罫線を入れてあります。

 1つめが、地形図上に表示した浸水範囲を示す地図です。左上の常総市若宮戸(わかみやど)が「決壊」となっています。当初は堤防を越えて河川水が堤内(河川の側が堤外です)に流入する「越水」とされていましたが(今でも後掲の国土地理院などは「越水」です)、変更したようです。

(9月15日に「訂正版」が出され、若宮戸の「決壊」の文字が消去されました〔http://www.cas.go.jp/jp/houdou/150915saigai.html〕。おおかた国土交通省が「堤防がないんだから、決壊はありえないだろ。」とでもクレームをつけたのでしょう。「品の字」に積んだ土嚢が「決壊」したことには違いないのですが。)

 この浸水範囲の図示は、このあとの国土地理院とくらべればはるかに南に広く、実態に合致しているのですが、それでもずいぶん手前の常総市役所付近でおわっています。同時に発表した写真では中心市街地(旧水海道市街地)のさらに南側まで浸水しているように見えます。

 2つめと3つめが、人工衛星からの写真です(衛星名等は不明です)。ところが人工衛星画像の1枚目は、トリミングにより、その若宮戸付近ははいっておらず、そのだいぶ南側からみることしかできません。なお、この画像が撮影されたのが9月11日であることはまず間違いありません。10日は時折降雨のある完全な曇天でしたから、このような画像の撮影は不可能です。

 なお、衛星の性能を知られないように解像度を落としてあるうえ、本来「特定秘密保護法」により非公開とされるべき情報であるところ、特別に公開するとのことです(毎日新聞、http://mainichi.jp/select/news/20150912k0000m040143000c.html)。「解像度」の問題については、3枚の画像の次に示します。




 上の内閣情報調査室の画像の公開の経緯に関する説明(http://www.cas.go.jp/jp/houdou/150909shorigazou.html)は、下の1枚目の画像のとおりです。そして2枚目が「(別添)」のpdf文書です。

 

 この運用方針の日付に注目してください。文書上の日付は9月9日となっています。堤防決壊の前日です。このページの公開日がいつだったのかはわかりませんが、おそらく上の衛星画像を公表した9月11日なのでしょう。決壊前日の9月9日に作成した方針に従い、決壊翌日の9月11日に撮影した画像を、その当日の9月11日に発表した、ということです。「(別添)」の「公開の考え方」のpdfファイルのプロパティーをみたところ、本当に10日の水害発生以前に作成した文書のようです。「線状降雨帯」による鬼怒川流域への降水が続く中、この指針が急遽作成されていたのです。





2 国土交通省国土地理院

 

 次は、1枚目が国土地理院が発表した「推定浸水範囲」の地図(第3報)です(11日17時40分にダウンロードしたものです)。三坂町での決壊(12時50分)直後の10日18時00分までの情報による「浸水範囲」が図示されています。この時点では、浸水最大範囲と思われる領域の北側3分の2だけです。南側3分の1、すなわち常総市三妻付近から市役所のある市の中心部さらにその南は、全部が範囲外となっています。

 上の1の内閣情報室データと併せ考えると、10日夕方の時点では、常総市三妻付近から市役所のある市の中心部は浸水していなかったが、その後浸水したということになります。

 常総市役所(旧水海道市役所)で、災害救援の自衛隊の大型車両のエンジン部分まで水没していた画像が、11日にテレビ放送されていました。12日朝には水が引いた画像が放送されています。常総市役所は、自衛隊の救援車両が到達した時点では浸水していなかったが、その後、「軍隊」ですら脱出する間もなく浸水したようです。(常総市役所の浸水がいつだったのかについては、今後調べてみることにします。)

 その下が、12日朝に国土地理院が発表した地図です。 さきに範囲外であった常総市三妻以南が「浸水範囲」になっています(上の内閣情報室の図より広範囲です)。いっぽう、最北部の当初「越水」(ないし「決壊」)した若宮戸付近の「浸水範囲」が大幅に減少しています。データの訂正なのか、いったん「浸水」したものの水が引いたということなのか、わかりにくくなっています。後者のようですが色分けするなどして図示すべきでしょう。

 なお、これらの地図は、国土地理院のウェブサイトのhttp://www.gsi.go.jp/BOUSAI/H27.taihuu18gou.html のページのなかほど、「推定浸水範囲」の項目にあります。

(本websiteのこのページは9月12日に作成し、いったん weblog のページに掲載したものです。国土地理院の資料は、その後、タイトルなどが少し変更され、異なったURLになっていますので、ここでは各ファイルのURLは記してありません。その後のファイルは、直前のURLのページにあります。)

 



 国土地理院の浸水範囲地図の最終版を追補します。http://www.gsi.go.jp/common/000107669.pdf