鬼怒川水害の真相 三坂町 1

 25, Nov., 2015

 

 「真相」などとご大層なタイトルで誠に恐縮ですが、あらかじめこの項目の結論を申し上げておきます。

 

 国土交通省関東地方整備局が、鬼怒川左岸21.0km(三坂町地先)における氾濫の原因だと主張している「越水による破堤」説は、その理由・証拠に遺漏・矛盾があって失当であり、あらかじめ決めておいた結論を述べたものに過ぎません。「越水」と共働した破堤原因が存在する、と推定するのが妥当です。

 

 若宮戸(わかみやど)のように一見して明らかな原因による氾濫とことなり、三坂町(みさかまち)の堤防決壊の場合、堤防それ自体が基盤もろとも流失してしまっているため、堤防決壊の「真相」を明らかにすることはきわめて困難です。しかし、すくなくとも国土交通省関東地方整備局の主張の誤りは、国土交通省が公表しているデータによって示すことができるのです。

  このページでは、国土交通省関東地方整備局による「越水による破堤」スローガンの生成と、その最初の挫折について見て行きます。

 

 

緊迫感に欠ける「専門家による現地調査」

 

 決壊から3日後の三坂町(当初、「新石下〔しんいしげ〕」と誤報)の仮復旧工事現場に国土交通省関東地方整備局が送り込んだのが、この後3回の会議を経て、決壊原因を特定することになる「鬼怒川堤防検討委員会」の「専門家」たちでした。若宮戸の越水状況の写真はたった1枚しか出さないのに、こちらは高解像度のまま何枚も写真を公開しています。なんともつまらない写真ですが、それでもいろいろわかることがあります。

 

 三坂町の堤防決壊について検討することになる「専門家」の先生方が、「現場」(左岸21.0km地点)での午前11時から1時間ほどの「調査」を終え、(〔災害の状況も、復旧工事の状況も〕戦場のような現場でウロウロされると危険なうえ、邪魔なので)対岸に移動した上で国土交通省関東地方整備局の職員に紙芝居を見せてもらっている場面です(午後12時45分)。

 遠くから眺めるだけなのでさほど危険な場所に近づくわけでもないのに、「専門家」の先生方がヘルメットを被っているのは、保育園児たちを園内から連れ出して野外活動する時に、同じ帽子を被らせて目印にするのと同じ理由です。

 

 

 「専門家」の先生方は、国土交通省の職員らにその「専門」知識を伝授しているのではなく、逆に、職員に紙芝居でいろいろ教えてもらっているのです。これは、復旧堤防の構造についての説明の場面ですが、現状分析も工事の方針も関東地方整備局の技術職の職員らが夜遅くまでかけて作成したものでしょう。


 

 次は、午前中の「現場」の見学を終えて、もときた左岸上流側の堤防上へ引き上げる場面です。奥に堤防の川裏側の法面(のりめん)に生えているケヤキと、越水が始まった時の写真に写っていた赤い腰壁の建物が見えます。

 「専門家」の先生方は、ここから降りて、ぐるりとあたりを見回すだけの「調査」をすませ、(昼食休憩をはさんで)国交省の車で対岸に連れて行ってもうらうところです。

 

            「鬼怒川堤防調査委員会」の第2回会合の際の資料

                 (http://www.ktr.mlit.go.jp/river/bousai/river_bousai00000108.html

 

 右上部分を拡大したのが下です。先生方は現場にはあまり興味がないのか、それとも疲れてしまったのか、一様に視線を落として自分の足元だけ見て引き上げるところです。じつは、この場所は、堤防決壊の原因をさぐるうえでは極めて重要な地点なのですが、先生方は、全然気にもとめていません。ここをよく見ていれば、「越水による破堤」などという安易な結論は到底出てくるはずはないのですが、残念なことに、どなたもまったく気にもしていないようなのです。

 ヘルメットなしで目立っているのは、中央にいる新聞記者と右奥のテレビ局のカメラマンです。

 

 


 

あらかじめ決まっている結論「越水破堤」

 

 ANNのビデオカメラによる映像は次のとおりです(2015年9月14日  00:04、news.tv-asahi.co.jp リンク切れ)。左は、「現場」を眺める山田正先生ら「専門家」たち、右は、乗せてもらってきた関東地方整備局の車を背にして、今しがた教えてもらったばかりの推定を記者たちに説明する安田進先生です。

 


 

 幼稚園児のように引率され、手も長靴もまったく汚さずに1時間ほど眺めていただけで、見えるはずのない地中のことまでわかってしまうのですからたいしたものです。長靴が一番汚れているのは「専門家」たちを撮影するのに足場の悪いところへも行かなければならなかったANNのカメラマンのようです。切迫感のない視察風景です。

 同じ国土交通省がやることでも、もしこれが運輸安全委員会(http://www.mlit.go.jp/jtsb/index.html)であれば、事故を起こした航空会社のロゴ入りのヘルメットをかぶって、事故を起こした航空会社の社員から事故状況を紙芝居で説明してもらい、その日のうちに事故を起こした航空会社の社員に教えてもらった通りの墜落原因を喋っているところをテレビ会社が撮って、その夜のうちに全国放映する、などということはありえないでしょう。ところが、国土交通大臣が管理者である一級河川鬼怒川の堤防決壊事故の場合には、以前から省内の「審議会」や「有識者会議」などで委員をつとめている身内の「専門家」が重ねて指名され、国交省の職員の引率で国交省の車で送迎してもらったうえ、現場で国交省の専門職の職員から結論を教えてもらって(上のトリミングした写真の一番右の「専門家」が、もらったばかりの資料入り封筒を持っています)、検討も協議もしないうちに結論を喋っているのです。

 安田先生が「……のかなと」などと歯切れが悪くて生気がないのは、自分の「専門」が地震による建造物の被害調査なのに、洪水による堤防の破壊について今聞いたばかりのことを喋らなくてはならないのが、いささか気恥ずかしかったからかもしれません。(下は、安田先生が所属する東京電機大学地盤工学研究室のウェブサイトのHome ページ〔http://yasuda.g.dendai.ac.jp/results_h25.htmlと、Reserch のページの一部です。)

 




 事故原因調査であれば、当然報道機関などの部外者は立ち入り禁止でしょうが、こうして記者やカメラマンといっしょに現場を見物しているのですから、この「専門家」による「現地調査」は新聞テレビ用の広報行事であって、それ以外のものではないことはあきらかです。

 

 ちなみに、前日9月12日の午前7時前からおこなわれた関東地方整備局職員らによる本当の調査の状況は次のとおりです(http://www.ktr.mlit.go.jp/bousai/bousai00000101.html)。(長さ2mの測定ポールの赤・白はそれぞれ20cmです。右上の写真に写っている職員はヘルメットまで入れて身長180cmくらいということがわかります。)

 このあと、国土交通省関東地方整備局河川部の技術職の職員が、翌朝「専門家」の先生たちにレクチャーする紙芝居と、封筒入り資料を作成したのでしょう。


 

 jpegファイルのタイムスタンプを見ても、現場には1時間もいなかったようです。カメラを持ってきているのは、ふたりだけです。メモを取る、国交省職員にいろいろ質問する、職員にあれこれ教えるなどの様子もありません。現場を一度も見ないで結論出したのか、とあとで突っ込まれると面倒なので一応見たことにした、という雰囲気がよく伝わってくる写真です。

 こうして、無事視察が終了し、「越水による破堤」という見る前から決まっていた広報用のスローガンに、「専門家」のお墨付きが得られたのです。

 

線状降雨帯による50年に一度の豪雨

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計画高水位をこえる水位の上昇

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越水

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川裏側堤防法面の洗掘

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破堤

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水害

 

 途中を省略すれば、こうなります。

 

線状降雨帯による50年に一度の豪雨

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水害

 

 

 自然災害としての水害です。河川管理者としての責任などという夾雑物の入り込む隙はありません。好都合なことに、「避難指示の遅れ」の件で、常総市役所の責任追及の声が高まっていて、まるで常総市役所さえしっかりしていれば水害そのものが起きなかったかのごとき勢い(?)です。国土交通省の責任追及の声は、まったくあがっていません。のこるは若宮戸のソーラーパネル問題ですが、「自然堤防」論で誤魔化して適当にあしらえば済むことです。とりあえず、三坂町の復旧工事さえ終わってしまえば一段落です。

 ところが、この直後に身内だと思っていたところからとんでもない事実が出てきて少々困ったことになるのです。

 

 

「しっかりした地盤」という虚偽

 

 新聞とテレビが、豪雨によって水位が上昇したために越水して破堤したという、「専門家」の見解をそのまま流した直後の9月14日夜、東京大学の芳村圭(よしむら・けい)准教授らの報告書がインターネットで公表されたのですが、そこには、安田先生の「いまみた限りではしっかりした地盤がある」という安易な断定が覆る事実が指摘されていました(reference3 ページにこの報告書の第1報から第3報までのリンクを示してあります)。

 三坂町での氾濫については決壊直後の午後1時30分ころから、上三坂(かみみさか)での自衛隊ヘリコプターによる救助の様子をNHKなどがライブ中継しています(「ヘーベルハウス」と「電柱おじさん」)。自衛隊のヘリコプターがなぜこれほど早く現場に到達したかというと、午前7時ころ、若宮戸からの濁流を氾濫地点から約1.8km離れた常総市小保川(おぼかわ)の自宅で見た常総市議会の風野芳之(かぜの・よしゆき)議員(議長)が、自衛隊の災害派遣を要請するよう常総市役所の都市建設部長に電話し、そこから茨城県庁を経由して自衛隊に救援要請が出ていたからです(http://bylines.news.yahoo.co.jp/masanoatsuko/20151021-00050692/)。午前6時にはすでに激しい氾濫が始まっていた若宮戸や、浸水した新石下地区(合併前の石下町の中心市街地、「アピタ」や「豊田〔とよだ〕城」〔常総市地域交流センター〕があります)の取材のために、報道企業のヘリコプター群もすでに飛来していました。若宮戸から三坂町までは4kmもありませんから、期せずして三坂町の決壊からほとんど間をおかずに自衛隊と報道企業のヘリコプターが揃うことになったのです。

 おそらくこのライブ映像を見て現地行きを決定したのでしょう。芳村報告書の写真を見ると、長靴の用意も間に合わなかったようです。Tシャツにスニーカー姿で現場に向かった芳村圭准教授ら7人は2班にわかれ、各所が水没して通行不可能となるなか三坂町の決壊現場堤防の上流側にも行っています。まだ濁流の下ですから堤防の地盤の状況を見ることなどは当然できなかったのですが、暗くなるまで観察、住民からの聞き取りと写真撮影をおこなって帰京し、14日夜までに一連の情報を報告書にまとめ、東京大学生産技術研究所のウェブサイトに公開したのです。次は、全45ページの「第1報」の、表紙(p. 1.)、2班による現地調査のそれぞれ冒頭ページ(pp. 17, 22.)です。

 そして、国土交通省関東地方整備局にとって見過ごせない事実が指摘された36ページです。

 






 堤防それ自体、あるいは堤防の基盤となっている地層が、「沖積(ちゅうせき)粘性土」すなわち粒子の細かい粘土であれば水が浸透しにくいのですが、「沖積砂質土」すなわち粒子が大きく、隙間が空いている砂の場合は水が浸透すると流動化し、さらには流出して堤防の崩壊をひきおこすのです。この左岸(東岸)21km地点を含む20数kmは堤防の盛り土のすぐ下の基盤に分厚い砂の層があり、河川水の浸透しやすい状態にあるのですが、とくに洪水時にはふだん河川水に接していない高水敷(河川敷)さらに堤防自体に猛烈な水圧がかかることで、この砂の層に河川水が浸透し、流動させて堤防を決壊させる可能性があるのです。次は、安田先生がお書きになった大学生用の土木工学教科書『土質力学』(1997年、オーム社出版局)に載っている表です。最初が粘土や砂の粒の大きさ、次が土の種類による透水性の差異です(pp. 4, 31.)。

 

 

 「沖積砂質土」すなわち砂の分厚い層の上に乗っている左岸堤防は、安定的とは到底言えないのです。ちょっと見て回っただけなのに、透視術を使って堤防内部どころかその地盤まで一瞬のうちに見抜いて、「いま見た限りではしっかりした地盤がある」と断言した安田先生のお見立てのでたらめぶりが、あっけなく露呈してしまったのです。

 芳村報告書の「堤防地質断面図」は、URLが記されている通り、河川環境総合研究所の論文からの引用です。河川問題に関する有名な研究機関による鬼怒川に関する研究レポートですから、周知の事実といってよいでしょう。国土交通省の職員や、まして「専門家」である安田先生らが知らないはずはないと思うのですが、前後関係から判断すると安田先生の場合はほんとうに知らなかったのかも知れません。「専門家」の学者先生は、底知れぬ勉強不足ぶりを世間にさらす結果になりました。(国土交通省関東地方整備局の官僚団は、知っていて知らんふりをしていただけのようです。この件については次ページで。)

 

 しかし、安田先生ら「専門家」たちの手抜かりは、素人でも簡単に目にできるようなありふれた論文すら参照しなかったというだけではなかったのです。芳村圭准教授らは9月14日夜にこの「第1報」を完成させウェブサイトで公開すると、翌15日にふたたび常総市に行き、決定的な事実を見つけ出すことになるのです(報告書第2報、2015年9月19日公表、pp. 59-60.)。

 写真のとおり、今度はヘルメットと長靴を持参しています。そしてその長靴がものをいうのです。

 




  50年に一度の豪雨による自然災害ということにするためには、氾濫の原因は「越水による破堤」でなければならないのです。「浸透による破堤」や「洗掘による破堤」であっては、絶対だめです。「専門家」のお墨付きも得られ、報道企業も忠実に広報してくれたのでホッとしたのも束の間、国土交通省関東地方整備局にとっては、河川環境総合研究所の論文だけでも少々困ったことになっていたのですが、決壊地点近くで堤防の法面(のりめん)下から水圧で砂が噴き出していたことがおおっぴらになってしまっては、「越水による破堤」シナリオはわずか5日でご破算です。

 安田先生としては、関東地方整備局の職員に連れられてカルガモ行進したあと、「今見た限りではしっかりした地盤がある」とおそるべき眼力で睨みをきかせ、「だんだん越流して崩していったのかな」と決め科白で締めたつもりでいたのですが、今にして思えばあの時、関東地方整備局の四輪駆動車に乗せられて通り過ぎた堤防の下を、その二日後に若造がうろついてとんでもないものを見つけてくれたのです。南無三!