1 “まだ”夢がある

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   ⬆️ リンカーン記念堂        ⬆️ ホワイトハウス                  連邦議会議事堂 ⬆️

 マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの”I Have A Dream”は、1963年8月28日、アメリカ合州国の首都ワシントンでの集会(「ワシントン大行進」)の際の約16分間の演説である。20万人が参加したこの集会は、合州国における黒人差別撤廃運動である「公民権運動」(1954−1963年)の頂点とされる。キングは翌年ノーベル平和賞を受賞している。

 高校の英語の教科書などに収録されるのは、演説のうしろの方の3分の1である。このような抄録のしかたは、よくみられるもので、タイトルにもなっている「私には夢がある。I have a dream.」というフレーズが、「自由の鐘を響かせよう。Let freedom ring...」とともに何遍も繰り返され、印象的ではある。しかし、「夢dream」の対極をなす「現状situation」について語っている前の方3分の2を全部省略するのははたして適切なのか?

 前の方3分の2で語られた合州国における黒人差別の「現状」は、「夢」をいだくことすら許さない過酷なものである。キングは、『ともに歩む』が抄録するその最初の部分で、「私たちが今日、そして明日も、困難に直面しているとしても、私にはまだ夢がある。I still have a dream.」と述べる。「まだ夢がある」と語ることの意味は、「夢」など持ち得ないような「現状」、あるいは「夢」を持ち続けることなど不可能であり絶望するしかないような「現状」を踏まえなければ、けっして理解できない。

 具体的に検討しよう。キングは、演説の冒頭で、「史上最大の自由freedomを求める示威運動としてわが国の歴史にのこるであろうこの場に、みなさんとともに参加することを喜びとするものである」(§1)と、ひとこと述べ、すぐに本題にはいる。

 

今を去ること百年の昔five score years ago、今日われわれがかれの影像のもとに立っている、偉大なアメリカ人が、〔奴隷〕解放宣言Emancipation Proclamationに署名した。(§2)

 

 背後からは、ドーリア式列柱のギリシア神殿様式建築「リンカーン記念堂」の中のリンカーン(「偉大なアメリカ人」)の巨大な大理石像がキングと聴衆を見下ろしている。20万人の聴衆の背後2マイルには連邦議会議事堂が見える。斜め左方はホワイトハウスである。

 なおfive score years ago( score = 20)という古風な言い方は、“of the people, by the poeple, for the people”で有名なリンカーンの「ゲティスバーグ演説」の冒頭の一句に因んだものである。

 

87年前four score and seven years ago、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。

 

演説は奴隷解放宣言と同じ1863年で、その87年前とは独立宣言の1776年である(aboutusa.japan.usembassy.gov/pdfs/www-majordocs-gettysburg.pdf)。キングは続ける。

 

しかし〔奴隷解放宣言から〕百年の後one hundred years later、黒人はまだ自由ではない。the Negro still is not free. 百年の後、黒人の生活はまだstill 隔離segregationの手枷と差別discriminationの足枷によって痛ましく縛られている。百年の後、黒人は広大な物質的繁栄の大洋の真っ只中の、貧困の孤島で生きている。百年の後、黒人はまだstill アメリカ社会の片隅でみじめに暮らし、自分の土地his own landにいながら流刑人exileである自分を見出す。(§3)

 

 「私にはまだ夢がある」(§13)以下、すなわち演説の後の方3分の1は事前に用意した原稿にはなく、キングが突然原稿から目を離して“即興”で語ったとされる。しかしながら、原稿にはない「まだ夢がある」というフレーズは、黒人の「現状」について、「まだ」自由でない、「まだ」縛られている、「まだ」みじめに暮らしている、と演説の始めの方で3回繰り返した時には、すでにあらかじめ準備されていたに違いない。

 奴隷解放宣言(1863年)から百年もたった1963年においても、黒人の「現状」は「まだ」改善されない−この絶望するほかない「現状」にあって、キングは、夢dreamを「まだ」持つべきなのだと、あえて宣言したのである。「現状」について語る前3分の2を全部省略してしまえば、この「まだ still夢がある」という重大な決意は軽く聞き流されてしまう(斎藤眞『アメリカとは何か』1995年、平凡社、87頁。藤永茂『アメリカン・ドリームという悪夢』2010年、三交社、49頁以下、121頁以下)。

 絶望的な「現状」などお構いなしに、「私には夢がある」と「自由の鐘を響かせよう」の繰り返し部分だけを読まされる高校生たちは、キングを凡庸でおめでたい夢想家、未熟でナイーヴな楽観主義者と誤認するだろう。「道徳」教材として収録するにあたっては、演説の全文を収録すべきであった。⌘