鬼怒川水害まさかの三坂 11

 

高水敷掘削箇所の崩壊 2

 

Feb., 23, 2020

 

 前ページの最後に見た、グーグル・クライシス・レスポンスによる9月12日9:01の航空写真です(DSC1502)。

 左岸21k付近の第2の段付き部の崩壊現象が写っています。決壊した堤防のB区間からF区間に相当する部分で、このあと下流側に延伸するようですが、いまのところ幅は約45mです。


9月14日、15日の段付き崖面の状況と新たな開口

 

 このあと水位はさらに低下して、段付き崖面の崩壊状況が見えるようになります。

 国土地理院が、9月14日に対岸からUAV(ドローン)を飛ばして撮影した動画を見ます。関東地方整備局は水害直後に公開していた動画や静止画の大半を引っ込めてしまいましたが、国土地理院のこの動画は現在もYouTubeで見ることができます(https://www.youtube.com/watch?v=LZMXvE8QSVU)。

 その前に、仮堤防建設工事について触れておきます。仮堤防工事は、氾濫が進行中の9月10日夜にはすでに開始され、2週間後の9月24日夜までに、コンクリートブロックで被覆した土堤と、その河道側の鋼矢板(こうやいた)による締切の建造が完了しました。堤内側法面がかろうじて残ったB区間から、G区間までの約200mを上流側と下流側に2分割し、上流側を鹿島(かじま)建設、下流側を大成(たいせい)建設が施工しました。上下流の接続部まで含めると綱矢板の締切は総延長300m近くになります。

 このあと、仮堤防を撤去して本堤防の建設工事がおこなわれるのですが、それも同様に、上流側半分を鹿島、下流側半分を大成が分担しました。

 緑線は第2の段付きで、そこに9月12日朝にはすでに姿を現していた連続開口と、その後に形成される開口1から4を記入しました。

 

 以下、国土地理院の9月14日のUAV画像です。

 2日前、9月12日のグーグル・クライシス・レスポンスの写真からの変化はつぎのとおりです。

(1)段付き崖面の崩壊が下流側(画面右方向)に拡大しています。

(2)崩壊した崖面の中央あたりに、別の開口部(開口3)が出現しています。鹿島がブルーシートを掛けたようです。連続開口部から流出した砂を押し流したうえで、開口3から流出した砂が広がっています。連続開口が先、開口3が後です。

(3)鹿島がこのあとの作業空間を確保するために土砂を運び入れていて、その一部が連続開口部に被っています。(このあと、仮堤防工事中に、連続開口と開口3はほぼ埋め尽くされます。)

(4)9月12日にはなかった開口2が出現しています。開口3にブルーシートが置かれていますが、崩落防止効果はありませんから転落防止のための目印のようです。

 

 上流側に振ったうえでアップした映像です。画面左=上流側に第2の段付き部の斜面に生えた草(泥が付着)が見え、そこに鹿島による客土(濃茶)が被りつつあります。画面右には連続開口から流出した砂があり、同様に客土(さらに濃茶)が被りつつあります。断面形状から判るように、連続開口のなかほどに、あとから開口3からの砂が流出したのです。

 

 下流側、大成建設の区間では、さきほどのような崖面崩壊による連続開口はありません。崖面の草と、そこに被った客土が見えます。そしてさきほどの開口3とおなじくらいの規模の開口2があり、そこから大量の砂が流出しています。砂は流出した時点で大量の水を含んでいたのです。流出した後で水を被ったのではなく、水の中に流出して濡れたのでもないでしょう。

 その下流側に小さな開口1があり、排水用と思われるホースが見えます。開口2のように砂が吹き出したのではなく、水が出たのかもしれません。

 

 次は、翌9月15日に、関東地方整備局が撮影したUAV画像です(「鹿沼のダム」が入手して公開しているものを利用させていただきます)。鹿島は、すでに大量の鋼矢板や大型土嚢を搬入し、第2の段付きの上の高水敷に並べています。

 開口3の状態をアップで見てみます。


仮堤防完成後の開口部の状況

 

 パーソナルコンピュータ(Windows, MacOS, Linux)上のグーグルマップで衛星画像(satellite /航空写真)にしたうえで、右下の「globe view /地球表示」アイコンをクリックすると、水害直後の立体画像が表示されます。ストリートビューと同じように、多角度から撮影したデータから3D画像を構成するようです。iOSやAndroidのグーグルアースではデフォルトでこの画像が表示されます。(その後、2020年のなかばに、2019年ころの画像に切り替えられました。)

 仮堤防工事は9月24日に完了するので、その直前です。鹿島と大成では搬入した土砂の土質や、土堤を被覆するコンクリートブロックの規格も違うようです。工法も異なるようで、とにかく何から何まで違うのです。工区ごとに別々の企業体が受注する大規模土木工事では当たり前のことなのでしょうが、何も知らない素人としてはじつに興味深いものがあります。

 大成建設区間の開口1と開口2はそのままですが、鹿島建設区間の連続開口と開口3は埋め戻されています。第2段付きの崖下には重機のキャタピラ痕が残っています。下流側の大成建設は堤内側と堤外側の両方に作業スペースを持てたのですが、上流側の鹿島建設は堤内側が一切使えず、堤外側だけしか使えなかったために、段付き部分に大量に客土して拡張する必要があったのでしょう。ですから、連続開口と開口3を埋めたのは、パイピングの証拠を隠蔽するためではないでしょう。もし関東地方整備局がそう指示したのであれば、当然開口2もそうしたはずですから。

 

 ここからは、2015年12月1日と15日に現地で撮影した写真です。

 仮堤防の下流端あたりの第2段付きの崖上から、上流方向をみたところです。手前の窪みが開口1、向こうの大穴が開口2です。

 開口1を、上からみたところです。画面右奥が対岸の篠山水門です。370m離れています。

 大成建設は埋め戻さなかったようです。2mの紅白棒はひと目盛り20cmです。

 開口2です。左側が河道で、対岸の篠山水門が半分写っています。遠くに小さく見えるのが、1.25km先にある茨城県道24号線の石下(いしげ)大橋です。

 大成建設はこれも埋め戻さなかったようです。9月12日には水を含んでいた砂が乾いて、白く見えています。

 

 開口2を覗き込んでいます。

 下層の砂が流出した後、表層の粘土・シルトまじりの土塊が割れて落ちたのです。

 第2の段付きの下段に降りて、開口1(右)と開口2(正面)を見たところです。奥は、鋼矢板の締切です。

 

 上の写真の開口2の真正面です。

 下半分は砂層で、そこに上から粘土・シルトや表土・草が落ちて来ています。

 上半分をよく見ると、一様ではないのですが粘土・シルト層のなかに砂層が挟まれています。自然現象ではなく、採砂の際の人為によるものと推測します。(次ページで見る予定です。)

 開口2から噴出し、上流側に流出して堆積した砂です。水害から3か月経過して、完全に乾燥しています。このまま売り物になりそうな混じり物のない砂です。

 数十cm堆積しています。数百トンはあるでしょう(あるいは千トン以上?)。

 ピンクのピラピラのついた木杭の下は、左岸21k地点に新たに打たれた標石です。右に見えるのが鋼矢板の締切と、ここまで降りてくる上流端の坂路です。

 下左写真は、鋼矢板とB区間の落葉したケヤキを背景にしたところです。下右はこの場所ではありませんが、鋼矢板に取り付けられたスケールです。

 21k標石直下の斜面の白い砂は、9月16日以降、鹿島が開口3を埋め戻した部分です。草がほとんど生えていません。


 さきほどの写真の紅白棒の上方の白縞の向こうに、斜面の草が見えていた地点です。この付近だけ湿っていて、しかも崖下から斜面にかけてキャタピラ痕のようなものが見えます。

 開口3を埋め戻した砂が平滑で乾燥しているのとは対照的です。

 これだけではなんとも言えませんが、これが最後に形成された開口4で、それを何とかしようとしたのでしょう。次ページで詳しく見ることにします。


 

 ついでですので、同じ日に撮った仮堤防の写真です。

 ここは立ち入り禁止になっていて地元民は入ることができなかったのですが、二日とも外国からの視察団が関東地方整備局の案内付き(青紫上着)で見物に訪れていました。

 それはどうでもよいのですが、ご覧いただきたいのは土堤を被覆しているコンクリートブロックの畝り具合です。1枚目が鹿島が施工した上流側(画面左が堤内)から、2、3枚目が大成が施工した下流側(画面右が堤内で、遠景は筑波山)から撮影したものです。

 堤体ではなく、基盤となっている地盤の問題に違いありませんが、これについては最後に検討することにします。


 

 関東地方整備局が設置した「鬼怒川堤防調査委員会」の委員長が、2015年9月13日に現地を見物したあと、地下の様子を見通す透視術を発揮して、こんなことを言っていました(別ページ参照)。