孔子廟

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 即位前の雍正帝の住居にしてチベット仏教の大寺院である雍和宮のすぐ近くに、孔子廟(孔廟)と国子監が並んでいます。

 孔子廟も国子監も、四合院様式の建築群からなりますが、鐘楼・鼓楼のかわりに「碑亭」が立ち並びます。寺院ではないので、仏像・偉人像の類は(孔子像をのぞいて)ありませんが、そのかわりに、文字を刻んだおびただしい数の石碑、石鼓や石板が掲げられています。

 いずれにも孔子像がありますが、中庭で雨ざらしなのが不思議です。石碑でさえ主要なものは「碑亭」の中にあるのですが。



国子監

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東側の「雍和宮大街」に面する大伽藍がチベット仏教の雍和宮で、そこから「国子監街」を西に向かうと、孔子廟と国子監があります。(「胡同」が幅員9m、「街」はその2倍の18m、「大街」はさらに2倍で36m幅の道路です。いずれもマチではなく、道路という意味です。)

 鮮卑族の征服国家の隋唐がつくった科挙制度は、北京城を建造したモンゴルの征服国家である元、そこに南京から遷った明、満州族の征服国家の清の各帝国も受け継ぎます。ここ国子監は、科挙合格者らの勉学施設で、 孔子廟の西側に隣接していました。国家統治の中枢となる官僚養成機関ですから、東大法学部といったところでしょうか。もっとも試験合格者が、俸給を受けながら官吏として研修する場なので司法修習所?でしょうか。

 経典の文字を刻んだ石碑、科挙合格者の氏名をしるした石碑が数多く立ち並んでいます。

 一部は博物館になっていて、科挙の概要・歴史が詳細に説明されています。宮崎市定の『科挙』(1963年、中公新書)にも紹介されている、狭くて吹きさらしの試験場の実物大模型やカンニング用に小さな文字を書き込んだ下着(実物)なども展示されています。1895年に科挙に合格し、立憲君主政をめざした「変法」派官僚・康有為(こう・ゆうい)の答案もありました。