2 公正としての正義

キングは、ワシントン行進の趣旨について言う。

 

いうなれば、われわれは、小切手を現金化するcash a checkために、わが国の首都our nation’s capitalにやってきたのだ。

 

 小切手とは、憲法と独立宣言を指している。

 

わが共和国republicの建設者たちが、憲法と独立宣言Constitution and the Declaration of Independenceの壮麗なことばを書いた時、かれらはあらゆるアメリカ人がその受取人となる約束手形promissory noteに署名していたのだ。

 

 しかしアメリカはその約束手形を履行していない。

 

この神聖な義務を履行する代わりに、アメリカは黒人たちNegro peopleに不渡り小切手bad checkを与えているのだ。(以上§4)

 

 憲法と独立宣言はいまのところ“不渡り”となっているが、しかし、諦めることはしない。

 

われわれは正義の銀行bank of justiceが破綻したと信じることはしない。……われわれは、この小切手、すわなち請求すればわれわれに、自由という財産riches of freedomと、正義という資産security of justiceを与える小切手を現金化するためにやってきたのだ。(§5)

 

 キングは、“I Have A Dream”の全編にわたってさまざまの比喩を駆使している。すべてが比喩によって構成されているといってよいほどである(寺島隆吉『キングで学ぶ英語のリズム』1997年、あすなろ社、169頁以下)。憲法と独立宣言が「約束」だというのはあくまで比喩なのであるが(この点については別ページを参照)、その比喩はとどまるところをしらない。「約束手形」は「不渡り」になっているが、「正義の銀行」が破綻するはずはないのだから、あくまで手形を「現金化」して「自由という財産と正義という資産」を手に入れるのだと、果敢に畳み掛ける。

 ここで、正義の銀行bank of justice、公正という資産security of justiceというように、ジャスティスjusticeという単語が頻出することに注目しよう。ジャスティスは、具体的には、人種間の平等を指している。通例「正義」と訳されるjusticeは、「公正fairness」という意味あいで用いられている(注=ページ下)。次の§6で、「今こそ……する時だnow is the time to…」のリフレインに載せて、キングは集中的にジャスティスに言及する。

 

今こそ、民主主義の約束promise of democrasyを実現する時だ。今こそ、暗くて不毛の隔離segregationの谷間から、陽の当たる人種的公正racial justiceの小道へ昇ってゆく時だ。今こそ、我が国our nationを、人種的不公正racial injusticeの砂地獄から同胞愛brotherhoodの堅固な岩へと向上させる時だ。今こそ、すべての神の子たちに正義〔公正〕justiceを実現する時だ。

 

独立宣言とアメリカ憲法

 

 人種的不平等としての不正義が支配的であるアメリカ社会における人種差別撤廃運動について、主として憲法をめぐる展開の側面から見よう。

 アメリカ独立宣言Declaration of Independence(1776年。aboutusa.japan.usembassy.gov/pdfs/wwwf-majordocs-independence.pdf)は自然権思想にもとづいて、すでに所属する国家(グレートブリテン王国)からの離脱とあらたな国家(アメリカ連合諸邦)の形成を「宣言」する。その意味では、「人権をまもるために国家権力をしばるものとしての憲法」と同じ論理構造、すなわち、いわゆる「立憲主義constitutionalism」の概念構造を持つものであるといえる。独立宣言declarationは、それ自体すでに、憲法constitutionの論理構造を持っていた。

 独立宣言については、本国であるグレートブリテン王国の哲学者ジェレミー・ベンサムの厳しい批判がある。独立宣言が「生命、自由、そして幸福の追求の権利」は「誰にもゆずることのできない」権利であることが「別に証明を必要としないほど明らかな真理」であるとしながら、「権利の確保には、政府の設置のみで満足してしまう」ことを批判する。(デイヴィッド・アーミテイジ、平田雅博訳『独立宣言の世界史』2012年、ミネルヴァ書房、の資料編に所収)

 

政府と呼ばれるものが、かつて権利のいくつかを犠牲にしてしか機能しなかったし、し得なかったことは彼らは認めないし、認めるそぶりもない。-結果として、政府が機能する多くの事例のように、権利のいくつかは、誰にも譲ることのできないと偽っているが、実際には譲りわたされている。

 

 独立宣言から11年後の1787年、フィラデルフィアの憲法制定会議Federal Conventionにおいて起草され、各州の憲法会議conventionsによる討議を経て13州中9州が承認して翌1788年6月、アメリカ合州国憲法が成立した。しかし、意外なことに憲法全6条(合州国憲法は各条articleの下に節sectionがある)には、権利章典(日本国憲法では第3章)は存在しない。アメリカ合州国憲法は、フランスの最初の憲法である「1791年憲法」(1789年の「人権宣言」が組み込まれている)に先立つこと4年、その意味で世界最初の近代立憲主義憲法であるにもかかわらず、〈手段〉としての国家機構に関する規定のみで、肝心の〈目的〉としての人権についての規定を欠く、というわかりにくい構造になっている。憲法学の概説書は、どういうわけかそのことはあまり気にしないのであるが、背景には自然権思想から功利主義思想への重点移動という事情がある。すなわち、合州国憲法前文Preambleは、つぎのとおりの「目的」を掲げる。

 

より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の静穏を保障し、共同の防衛にそなえ、一般の福祉general Welfareを増進し、われらとわれらの子孫のうえに自由の恵沢を確保する……

 

「一般の福祉general Welfare」は、自然権思想を批判する功利主義の思想に基づく概念である。それどころか、1788年の制定当初の第1条第2節第3項にはのちに修正第14条第2節(1868年)で削除される奴隷制容認の規定(下院議員数と直接税配分の算定根拠となる人口統計において、自由人以外〔=奴隷〕の人口を5分の3に換算する)さえ含まれていた(池田貞夫「功利主義の正義論」〔音無通宏『功利主義と社会改革の諸思想』2007年、中央大学出版部、所収〕)。

 とはいえ、さすがに人権条項を持たないことには批判が集中し、はやくも1791年に修正第1条から第10条の権利章典Bill of Rightsを追加するというかたちで、改正されることになった(アメリカ合州国憲法の改正は、条文そのものはたとえ失効したとしてもそのまま残したうえで、本文のあとに連番を振って修正条項を追加していく形をとる)。

 

 ギリシア神話において、ウーラノスとガイアの娘であるテミスは、天秤を捧げ持ち衡平equityをはかる正義の女神である。テミスはローマ神話ではユースティティアに相当し、英単語justiceの語源となる。「正義」(ディカイオシュネー)を主題とするプラトンの『国家』は、国家における支配者と守護者、生産者の3階級が知恵、勇気、節制の徳(アレテー=卓越性)を体現するとき、国家において正義という徳が実現する、という。英語のjusticeは、こうしたギリシア以来の意味合いを受け継ぎ、公正fairness、衡平equityを指すといってよいだろう。

 いっぽう日本語で「正義」というと、月光仮面(「月光仮面のおじさんは正義の味方よ、よい人よ」)をはじめとして、「悪」に対抗し、たいていの場合、有形力を行使しながら敢然と戦いを挑む「正義の味方」的特性を表すのが一般的である。そこでは端的に道徳的悪の人格的体現者である「悪人」を打倒すべく行動することが「正義」である。日本社会では「正義」は道徳的悪の対立物であり、ヨーロッパ的な「公正」「衡平」という意味合いの「正義」とはだいぶ異なる。

 なお、「正義」はドイツ語ではRechtであるが、このレヒトは「正義」のほか、「法」をも意味する。しかも客観的法objektives Rechtが「法律」であり、主観的法subjektives Rechtが「権利」であるというように、英語ともずいぶん大きなずれがある。

 プラトン、ホッブズ、ヘーゲルを並べて、しかも日本語訳で読むときには、「正義」概念ひとつとっても注意が必要である。憲法や独立宣言を解釈する際も同様である。