若宮戸における河川管理史

8 Ridge2型河川区域案の検討⑵

水神である「石裂山大権現」(おざくさん・だいごんげん)の碑

若宮戸河畔砂丘最大のRidge1の尾根上に、1836(天保6)年建立

1968(昭和43)年にRidge1が掘削され、14m下の同じ位置に移設

 

 

 

Jan., 9, 2022

 

 前ページでは、「Ridge2型河川区域境界線案」のとおりに河川区域境界線が設定されていて、「B社」による25.53k付近の200mにわたるRidge2の掘削がなかったとしても、2015(平成27)年9月10日の洪水により24.63kと25.53k付近の氾濫は防げなかったことを見ました。それどころか、「Ridge2型河川区域境界線案」が曖昧ながらも前提しているRidge2の形状は、1967(昭和42)年ないし1968(昭和43)年のRidge2の一部掘削後のものであり、結局のところ「Ridge2型河川区域境界線案」自体が成立するかどうかすら危ぶまれるものなのでした。

 さて、この「Ridge2型河川区域境界線案」の主張に対して、被告「国」の指定代理人(法務省所属の訟務検事や関東地方整備局と下館河川事務所の職員ら)は次のとおり答えています(被告準備書面⑹、6−7ページ、2021年4月6日〔https://www.call4.jp/search.php?type=material&run=true&items_id_PAL[]=match+comp&items_id=I0000053〕)。

 地図も何もないので曖昧ですが、「本件砂丘」とは原告代理人が漠然と指しているRidge2のことのようです。国交省・関東地方整備局は当初、若宮戸河畔砂丘を「いわゆる自然堤防」と言い、訴訟が始まると「砂堆(さたい)」と言いだし、それを引っ込めたばかりです。一方の原告代理人にしても、「いわゆる自然堤防」だとか「砂丘林」などと誤った用語を使うのをやめないので、裁判は落語の「蒟蒻問答」状態です。この調子で、被災者住民や一般国民にとっては、何を言っているのかさっぱり要領をえない支離滅裂なやりとりが続いているのです。

 一番困るのは判事さんたちでしょう。テレビドラマだったら「職権で調査する」と宣言するところでしょうが、「当事者主義」遵守ということか、原告代理人・被告指定代理人双方が事実の探求そっちのけで、最高裁判例をめぐる空疎な空中戦に感けているのを許しているのです。

 訟務検事による大東水害最高裁判決の通俗解釈だと、改修計画さえ立ててあれば水害が起きても法的責任はないので、国家賠償法による賠償はしないということのようです。返済計画さえ立ててあれば借金は返済しなくてよい、夏休みの計画さえ立ててあれば宿題をやらずにいてもいい、という屁理屈です。


 被告の「国」つまり国土交通省・関東地方整備局は、「本件砂丘が堤防としての役割を果たしていた事実はなく」と言っています。河川法上の手続きとしては、「本件砂丘が堤防としての役割を果たしていた事実」はないので、河川法第6条にいう「三号地」に指定することをしなかった、という趣旨なのでしょう。

 原告代理人の主張は曖昧で要領を得ず、対する被告指定代理人の方は木で鼻を括るような、突慳貪な口吻です。問題は、原告代理人の「Ridge2型河川区域境界線案」が、地図上で河川区域境界線を具体的に示していないこと、ならびに時期を明示していないこと、そして、それに対応して、被告指定代理人のこの言明も、「本件砂丘」について地図上で具体的に示していないこと、ならびにその時期・期間については何も述べていないことです。

 それどころか、被告指定代理人は「河川区域の指定は改修計画の前提となるものでなく」と、驚くような主張をしています。大東水害訴訟最高裁判例の独自解釈にもとづいて、裁判の争点を「改修計画の合理性」如何だけに局限したうえで、その「改修計画」には河川区域の指定行為は「無関係」だというのです。河川区域指定如何が訴訟上の争点になれば、それを正当化することは困難、それどころか不可能であることを自認しているので、こういう争点外しのための詭弁を弄しているのでしょう。

 河川区域境界線とは、河川の範囲を画するものです。河川区域の指定について一切議論しないとなると、鬼怒川とは何であり、どこまでが鬼怒川であるかが、まったく定まらないことになってしまうのですから、およそ治水政策についての議論が成り立たないことになります。原告側からする、被告「国」の治水政策の違法不当性の主張を遮断しようというのでしょうが、こういう後ろ向きの対応に終始したのでは河川区域指定の正当性を主張立証することができなくなるだけでなく、およそ河川政策の総体について、その正当性を主張立証することもできないことになります。具体的には、鬼怒川に関する治水政策の正当性について主張立証することができないことになります。

 国民としては、みずからの生命・財産の安全を託している「国」がこんな児戯にも等しい詭弁を弄して、みずからの責任をはぐらかそうとしているのを目の当たりにしては、驚き呆れるほかありません。被災者住民にしてみれば尚更のこと、容認できないに違いありません。訴訟戦術としては、すべての挙証責任は原告にあるのだから被告としては原告の主張立証を挫折させればそれで用は足りる、というところなのでしょうが、こういう退嬰的・消極的な方針だと、かりに一審の水戸地裁で原告の立証不十分ということで勝訴したとしても、それは特段被告の主張が認められたということにはなりません。

 うまくいったとしても、原告の主張立証は成り立たないが、かといって被告は何も積極的主張をしていないので主張立証が成り立つ以前であって、いずれも主張立証に失敗しているのであるが、まさか「引き分け」にはできないから一応被告勝訴にした、というような甚だ情けない判決しかいただけないのです。鬼怒川以降、大規模水害が頻発していて続々と水害訴訟が提起されているなか、鬼怒川水害訴訟は2022年中にもいちはやく一審判決が出ることになるようです。鬼怒川訴訟は、全国的に注目されているし、大東水害訴訟や多摩川水害訴訟以来のひさびさの本格的水害訴訟です。判決の「理由」として原告被告いずれも立証不十分だが被告勝訴、という説得力のない判断がひろく知られることになるわけで、東京高裁がこういう不体裁を許さず、原判決を破棄する可能性は、前例を見るまでもなくおおいにあるのです。事実関係について積極的主張を一切しないという被告指定代理人の消極戦術は、二審に至って致命的錯誤であることを露呈することが確実です。

 消極的戦術で勝ちを狙おうとする国土交通省および法務省(訟務検事)ですが、法廷ではたいした主張立証をしないことにしたところで、まさか江戸時代の治水事業は含まないでしょうが、大日本帝国時代の1896(明治29)年の河川法制定以来の内務省・建設省・国土交通省による直轄事業および直轄管理(1964〔昭和39〕年新河川法以降)体制下の河川政策のすべてについて責任を負わないとか、事実関係について一切触れないというわけにもいかないでしょう。とりわけ「第一次治水計画」における利根川水系の直轄工事以来、鬼怒川がその一部である利根川水系治水の1世紀以上にわたる行政行為全般について、徹底的な批判検討を回避しようとするなどもってのほかです。鬼怒川についての排他的独占的に権限を行使する治水担当行政機関として、誠心誠意主張立証すべきなのです。

 ということで、一審水戸地裁において事実関係が一向に明らかにならないのですが、鬼怒川水害にかんする事実究明のために、次のとおり問いを立てて検討することとします。

 

Ridge2を河川法第6条にいう「三号地」に指定することの前提となる事実の有無

端的に言うと

Ridge2は河川法施行令第1条にいう「地形上堤防が設置されているのと同一の状況を呈している土地」であるか否か

 

時期は、つぎのとおり

① 「B社」によるRidge2の一部掘削後の時点(2014〔平成26〕年以後)

② Ridge2の一部掘削後の時点(1967〔昭和42〕年ないし1968〔昭和43〕年以後)

③ 改正河川法施行の時点(1965〔昭和40〕年)

 上流側(26.00k付近)の鎌庭捷水路堤防に続いて、下流側(24.63kまで)の堤防が築造された時点(1952〔昭和27〕年

 

 ①については、2015(平成27)年9月の、計画高水位に及ばない洪水によって、2箇所で激甚な氾濫が起きたのですから、この時点でのRidge2は「地形上堤防が設置されているのと同一の状況を呈している土地」ではありません。事実関係の概要についてはすでに明らかだと言って良いでしょう。本ページでは、2015年3月の建設技研の築堤設計報告書を検討します。

 ②については、前ページでの検討ですでに一応の結論を得ています。すなわち、「B社」による掘削がなかったとしても、それにかかわりなく24.63kの氾濫は起きたであろうし、25.35k付近でも、規模は多少は小さいにしろ氾濫は確実に起きていたことが予想されるのですから、この時点でのRidge2は「地形上堤防が設置されているのと同一の状況を呈している土地」ではありませんでした。本ページでは、2004年3月のサンコーコンサルタントの築堤設計報告書を見て、詳細に具体的検討を行います。

 ③については、3ページで国土地理院の航空写真で概観してあるので、再確認します。

 ④は改正河川法以前の時点では河川法第6条の「三号地」概念が存在しないのですから、形式上は無意味な問いなのですが、ここでは、その時点でRidge2が「地形上堤防が設置されているのと同一の状況を呈している土地」であったか否か検討するということです。 

 ページ容量の制限もあり、このページでの検討は、①②までとします。③④については、次々ページで検討することとします。

 

 Ridge3型河川区域境界線である大臣告示および、「Ridge2型河川区域境界線案」についての検討を経て、最終的に若宮戸河畔砂丘における真正の「地形上堤防が設置されているのと同一の状況を呈している土地」をあきらかにすることにします。

 

Y.P.=22mへの基準引き下げ

 

 検討を始めるにあたり、前ページで見た関東地方整備局のポンチ絵詐術の狙いとその手口について、さらに考えることにします。

 事実を説明するというなら標高を記した平面図を一枚出せばすむのです。しかし、写真も地図も示さず、わざわざ「横断測量の各側線で最高の地盤高を結んだ線」などという、回りくどいものを提示したことの意味について、改めて考えることにします。この文書を作ったのは、当時の関東地方整備局の高橋伸輔河川調査官でしょうが、自分で「横断測量の各側線で最高の地盤高を結んだ線」などという呪文を思いついたのではないでしょう。局内の工学士もしくは工学修士あるいは工学博士の誰かがこの詐術を発案したに違いありません。悪知恵をつけられた広報担当の素人役人がサカナの話をしているわけでもないのに、「測線」を「側線」とうっかり間違ったうえで広報してしまったのです。

 

 「横断測量の各側線〔測線〕で最高の地盤高を結んだ線」などというものは、河川の氾濫について解明する上では必要ではありません。必要でないどころか、事実を隠蔽し虚偽の観念を植え付けるための詐術であることについては、前ページで説明しましたが、それとあわせて、もうひとつのトリックが仕込まれているのです。

 若宮戸河畔砂丘における氾濫についての事実誤認は枚挙に暇なしです(三坂も同様ですが)。地形名の「河畔砂丘 river bank dune」を「自然堤防 natural levee」と間違えるところからはじまり、氾濫箇所2か所のうち1か所(24.63k)はとうとう無視されたままです。そして洪水位については、計画高水位を超過したという初歩的誤解が、かなり行き渡っているのです。関東地方整備局は、痕跡水位の速報値の「Y.P.+22m」だけ示して、計画高水位には一切言及しなかったのですが、実際には右表のとおりで計画高水位を数十cmも下回っていたのです。計画高水位をはるかに超えるような「想定外の」大洪水だったわけでもないのにあのような大氾濫だったわけですが、おかげで国交省職員でさえ計画高水位以上だったと誤解している人がいる始末です。

 意味不明のポンチ絵だけを示し、氾濫地点の標高は「B社」の掘削以前から25.25kの痕跡水位のY.P.=22mを64cmも下回るY.P.=21.36mしかなかったとしたうえで、土嚢をY.P.=21.3mまで積んだのだと、まるで善行でも施したかのようなことを抜け抜けと言っています。聞かされる方は、だったら元々の21.36mをなんとかすべきだったのではないかと思うのがせいぜいのところです。こうして、誤魔化しだらけの言い訳を聞かされているうちに、知らず識らずのうちに「Y.P.=22m」を基準に考えるのが当たり前になってしまっているのです。

 2015年9月10日の水害時点で、Ridge2は河川法施行令第1条にいう「地形上堤防が設置されているのと同一の状況を呈している土地」であったか否か、その判別基準が「Y.P.=22m」になってしまっているのです。「地形上堤防が設置されているのと同一の状況を呈している土地」について、人工の堤防の天端高の基準を当て嵌めたうえで、ついうっかりと計画築堤高ではなく、痕跡水位の「Y.P.=22m」を判別基準にしてしまうのです。

 すくなくとも計画高水位(25.25kにおいてY.P. = 22.35m)プラス余裕高(1.5m)、あわせて計画築堤高23.85mの砂丘の〝畝〟がなければならないのであり、それがない区間については、計画築堤高23.85mの堤防を建造しなければならないのです(あるいは、別の「地形上堤防が設置されているのと同一の状況を呈している土地」という選択肢を検討すべきです。新河川法施行時点の若宮戸河畔砂丘の場合、その選択肢がありえたのですが、それについては次々ページで検討します)。それが、いつの間にか水害時の痕跡水位Y.P.=22mまで2m近くも値切られてしまったのです。計画築堤高に遠く及ばない砂丘の〝畝〟ridge を「地形上堤防が設置されているのと同一の状況を呈している土地」と看做すのはとんでもない錯誤であり、そんなものを「三号地」に指定する行政行為は違法不当と言うほかありません。Y.P.=22mを基準に考えてしまうのは、関東地方整備局河川部の詐術にまんまとしてやられたわけです。(そのうえ、素人目にもほとんど効果もなさそうな巾着袋型大型土嚢の「品の字」2段積みしか置かなかったことの是非についての議論という、本筋から大きく外れた隘路に誘導されてしまうのです。混濁させられた思考の転落していく奈落はまさに底なしです。何につけ、ひとたび本筋を見失うと、人間の認識はとことんおかしなことになるのです。)

 以上のとおり、あらかじめ計画高水位と計画築堤高について確認したうえで、具体的検討を始めます。

 

2014(平成26)年度の建設技術研究所築堤設計におけるRidge2の評価

 

 まず、①の、「B社」によるRidge2の一部掘削後の時点(2014〔平成26〕年以後)において、Ridge2は河川法施行令第1条にいう「地形上堤防が設置されているのと同一の状況を呈している土地」であるか否か、について検討します。

 2014(平成26)年度に、若宮戸の築堤設計を委託された建設技術研究所が下館河川事務所に提出した設計図書中の記述をみてみます(http://kinugawa-suigai.seesaa.net/category/26365120-1.html のページ中の「4)若宮戸地先」資料 https://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/pdf/waka-7-1.pdf の4-30ページ)。

 この建設技術研究所による築堤設計図面作成は、2014(平成26)年3月から4月にかけての「B社」による総延長200mに及ぶRidge2の掘削(若宮戸の河畔砂 > 11 森林法違反の森林伐採 参照)の後、下館河川事務所から委託され、2015(平成27)年2月ころに完成して下館河川事務所に提出したものです。

 建設技術研究所は、まず既存のRidge2の標高・形状について、距離標ごとの断面図に計画堤防を破線で重ね合わせて、計画堤防形状を満たしているか否かを示しています。土質などは考慮外のようですが、天端高だけでなく計画断面(所定の天端幅と法面勾配)を考慮しています。25/500kから26/000kまで(第1クォーター)は「堤防の計画断面を確保できる」が、24/500から25/500まで(第2クォーターと第3クォーター)は「堤防の計画断面を確保できない」としています。

 

 解像度が低いので、拡大しても標高の数値が読み取れません。計画築堤高や法面勾配の数値も示されていません。そもそも250mおきの横断面図をとびとびに見て、その区間全体が隙間なく計画築堤高と法面勾配を満足しているかどうかの判断ができるわけでもありません。砂丘をそのまま堤体と見做して断面形状が計画断面を満たしているかどうかを判別するというのも単純すぎるでしょう。厳密な分析というより宣伝用文書の体裁です。例によって河川区域境界線も不正確です。

 とりわけ、この設計自体が、「B社」によるRidge2の掘削という異常事態を受けての築堤設計委託によるものであるのに、この図4-25の背景地図は掘削以前のものです。このページだけでなく、肝心の設計図面もすべて掘削以前の地形図上に描かれているのです。「25/250」は掘削区間(25.23kから25.43kまで)の範囲内ですが、図は掘削前の横断面です。たぶん25.20kあたりの断面を「25/250付近」と称して示しているのでしょう。なにせ最新の測量図がないのですから、やむを得ざる誤魔化しです。

 それというのも、下館河川事務所は、「B社」の掘削を問題視する住民に対しては「氾濫の恐れはない」の一点張りだったのに、実は密かに?築堤設計を委託したのですが、大急ぎで設計図面を作成させるために、あらたに測量した地形図の完成を待っていられず、10年以上前の2003年度にかつら設計が作成したものを引っ張り出して来てそれを使わせたのです。

 そのくせ、いざ築堤設計図面を納品させると実際の工事にとりかかることはなくそのまま放置して、間もなく2015年9月の水害を迎えることになるのです。大東水害判例を都合よく解釈して、計画が立てられてていれば実際の工事がおこなわれていないとしても国家賠償法上の賠償責任を免れる、と考えていたのかもしれません。「かもしれません」どころではありません。実際に訴訟がはじまると、恬として恥じることなく、まさにそのとおりの主張を並べ立てているのです。とんでもない話ですが、これが国土交通省/関東地方整備局/下館河川事務所と法務省の基本的行政執行姿勢なのです。 

 計画築堤高・計画断面を充足しないとあっては、「地形上堤防が設置されているのと同一の状況を呈している土地」という要件を充足しないわけです。この分析によれば、24.5kから25.5kまでの各点は計画築堤高と法面勾配を満たしていないのです。砂丘を堤体と見做したうえで250mごとにサンプリングした場合に、計画築堤高と法面勾配が不満足である箇所が1か所でもあるということになれば、河川法第1条の「三号地」としての要件を満たすとはいえないことになります(本項目3ページ参照)。建設技術研究所は、Ridge2の東麓(堤防であれば堤内側法面基底部にあたる)を河川区域境界線としてRidge2を保存したとしても、それは「三号地」としての要件を満たさない、すなわち氾濫を防ぐうえでは不十分であると判断しているのです。

 なお250mサンプリングを3か所だけ示して、25.50kから上流側について「計画断面を満足する」と断定しているのは失当です。実際に本項目4ページで見たとおり、河畔砂丘最北端、26.00kの少し上流で鎌庭捷水路堤防が擦り付いていた砂丘北端が掘削され、「山付き堤」状態だったのが堤防の方が高くなってしまい、計画築堤高・計画断面を大きく割り込んでいるのです。

 そのうえで、建設技術研究所は表のように、「図面番号」1、6、11として「1案」から「3案」までのほか、「低水護岸部」として「図面番号」低1〜低2、低5〜低6、低9〜低10の「1案」から「3案」まで、あわせて6つの築堤案を提出しています(https://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/pdf/waka-7-2.pdf)。

  「〔低水護岸部〕」という3案12枚の設計図は、第1クォーターの低水護岸部分だけの設計図なのではなく、24.5k付近の60度屈曲部までの堤防の設計図を含んでいるうえ、「図面番号」1、6、11の「1案」から「3案」には含まれていない第1クォーター部分の堤防の設計図が含まれ、しかも「図面番号」1、6、11の3案とは異なった法線形となっているのです。25.50kから26.00kについて「計画断面を満足する」かどうかの問題と関連する、「〔低水護岸部〕」の3案の重要な含意については、次ページで見ることにして、ここではとりあえず、「図面番号」1、6、11の「1案」から「3案」だけを引用します。

 

 

 設計図の堤防の法面形状は「B社」による掘削前の地形を前提したものになっています。特に「第3案」で歴然としています。すなわち、法尻と天端の標高差が大きければ、堤体は高くなり平面図上の法面面積が大きくなり、逆に堤体が低ければ法面面積は小さくなります。堤防天端はほぼ同一標高で連続しているので、法面面積の変化から平面図から堤防敷の標高の高低がわかるのです。

 図面を拡大してみると、掘削されてしまってもはや存在しない標高の高い部分で(25/250と25/500の中間あたりの堤内側)、かつての地形に対応して法面が小さくなっています。この設計図は、「B社」による掘削後の地形に堤防をつくるものなのに、掘削前の地形で設計してあるのです。そもそも設計図として成り立っていないのです。

 と言う次第で、この建設技研の設計図面は、①の「B社」による掘削後の状況を知るうえでは、あまり役立たないことになります。一応見たということで、次に進むことにします。

 

2003(平成15)年度のサンコーコンサルタント築堤設計におけるRidge2型の評価

 

 次に、②の、Ridge2の一部掘削後の時点(1967〔昭和42〕年ないし1968〔昭和43〕年以後)で、Ridge2は河川法施行令第1条にいう「地形上堤防が設置されているのと同一の状況を呈している土地」であるか否か、について検討することにします。

 建設技術研究所の築堤案に先立つこと11年、下館河川事務所はすでに若宮戸河畔砂丘における築堤設計案を所持していて、Ridge2では氾濫を防ぐことができない旨が明記されています。2003(平成15)年度の委託業務として、サンコーコンサルタントが作成し下館河川事務所に提出した築堤設計文書です(http://kinugawa-suigai.seesaa.net/category/26365120-1.html の「3)」中の3-10と3-11ページ)。

 11年後の建設技術研究所の図面は、250mごとの横断面図をサンプリングして見せているだけですが、ここでは、計画高水位を下回る区間・箇所を平面図で3つ示しています。建設技術研究所は計画断面、すなわち計画築堤高と所定の法面勾配を満足するか否かを示していましたが、これは計画高水位以下の区間・箇所を指摘しています。このサンコーコンサルタントの図面は、当然「B社」によるRidge2の掘削前であり、直近の測量結果(本項目でずっと参照してきた株式会社かつら設計によるもの)ですから、建設技術研究所の図面のような問題はありません。

 ただし、1点誤りがあります。「養鶏場下流の道路部」すなわち市道東0272号線によるRidge2の切り通し地点は、計画高水位は満たしています。ただし、それより1.5m高い計画築堤高を満たしていないのです。これについては「鹿沼のダム」がデータに基づいて詳細に説明しています(http://kanumanodamu.lolipop.jp/OtherDams/HWLwaka.html)。

 この現状分析をふまえて、サンコーコンサルタントは、「第1案」と「第2案」のふたつの図面を作成しています。2案とも、11年後の建設技術研究所の3案とだいぶ異なる法線形です。

 

「第1案」

 

「第2案」

 

 「第1案」は、鬼怒砂丘慰霊塔と小林牧場鶏舎を堤内地に取り込む築堤案です。ある程度はRidge3に重ねるような線形になっています。これに対して第2案は、鬼怒砂丘慰霊塔と小林牧場鶏舎を堤内地に取り込むことをせず、ほぼRidge2に重ねる線形です。いずれもridge上の樹林は伐採したうえで、盛土によって整形して堤体とするものです。第2案の方が、盛土の量は圧倒的に少なくて済むことになります。

 下流側の既設の堤防にすり付く24.50kから、Ridge2の上流端の25.50kまでの部分を拡大し、そこに距離標示、迅速測図から抽出したridge(緑=Ridge1、黄=Ridge2、青=Ridge3、紫=Ridge4)形状、1966年大臣告示の河川区域境界線(赤)、ふたつの常総市道、(い)から(と)までの特異点などを描き込みます。

 

 

 2015年9月の痕跡水位や計画高水位ではなく、計画築堤高を基準に考えなければならないこと

 サンコーコンサルタントが「第2案」を作成したのは、現に存在するRidge2は三号地とは認定できないという判断が前提になっています。それは「第1案」についても同様ですが、「第1案」がRidge2から遥か河道寄りの線形なのに対して、「第2案」はそのRidge2に沿う線形となっています。多少の成形措置は施すにしてもRidge2それ自体で計画断面を充足する区間と、Ridge2それ自体では計画断面を充足しないために土盛・腹付を施す区間とが、存在することになるのです。そのRidge2それ自体では計画断面を充足しないので土盛・腹付を施す区間が存在することこそが、そのままRidge2型が「三号地」たりうる要件を具備しないことの明白な指標となるわけです。

 このRidge2それ自体では計画断面を充足しないので土盛・腹付を施して、堤防として構築する区間を具体的に摘示する作業をおこなうことにします。(11年後の建設技術研究所による設計は、「B社」によるRidge2のいわゆる「25.35k地点」の差し渡し200mにわたる掘削後の状況を前提にしているはずが、そうでないようでもあり、正確性・厳密性に欠けるので、そのような検討にはあまり役立ちません。)

 このサンコーコンサルタントの「第2案」を詳細に検討する趣旨・目的は以上のとおりです。

 「第2案」を仔細に見るにあたって、再度、計画高水位と計画築堤高を確認しておきます。

 先に見たサンコーコンサルタントの図3-3-1においては、Ridge2において計画高水位を充足していない箇所を指摘していましたが(ただし1箇所は誤り)、ここではそれより1.5m高い計画築堤高を充足するかどうかを見ることにします。

 計画築堤高は「第2案」堤防の上流端の25.50kにあってはY.P.=23.940m、下流端の24.50kにあってはY.P.=23.580mです。「第2案」の堤体の設計値はそのままの数値です。河道の距離1kmあたりの高低差は0.36m、すなわち傾斜は1000分の0.36です。この傾斜を厳密に算入するためのRidge2の標高データは(おそらくどこにも)ありませんので、ここではこの区間の計画築堤高の近似値である標高Y.P.=24mを基準標高として、それを満たしていないRidge2の箇所・区間については計画築堤高を充足しない箇所・区間であると判断することにします。

 計画高水位の近似値のY.P.=22mを基準標高としたとしても(計画高水位と計画築堤高との差は1.5mなのですが測量図の等高線は1m間隔であるので、測量図上で比較する際にはいささか不体裁ですが、計画高水位は近似値のY.P.=22mの等高線、計画築堤高は近似値のY.P.=24mの等高線を参照せざるをえません)、決定的な不充足区間が2箇所あります。下に「第2案」の法線に沿って両端白丸印緑実線を描きましたが、「第2案」の法線に沿って上流側のいわゆる「25.35k地点」で約150m、下流側の24.63k付近で約190mの2区間が該当します。(その下は、Y.P.=24mの等高線を強調したもの)

 

 サンコーコンサルタントはRidge2上に法線形を設定する「第2案」 について、一部区間の計画高水位までの築堤を先におこない、次いで(時期は不明)計画築堤高までの築堤をおこなうという2段階工事案を提示しています(右の「ii) は「第2-2案(完成堤)」の誤り)。

 「第2案」設計図面中に、4区間の「H.W.L堤」という表示があるのがそれです。さきほどは、標高22m等高線以下の2区間について両端白丸印緑実線で示しましたが、この「H.W.L堤」区間を両端緑丸緑破線で示します。市道東0272号線切り通し部分を含めて4箇所です。

 趣旨不明の二段階論でしかも誤記があります。どうにも不可思議なのは天端を舗装もしないし雨勾配もつけない、とわざわざ言っていることです。設計図中の堤防法面形状と地盤面の等高線が不整合である箇所が結構あること、市道東0272号線について図3-3-1で計画高水位を割り込んでいるとした事実誤認と、設計図面で「H.W.L堤」築堤対象としたことの符合など、いくつか疑問点はあるのですが、いまさら確認のしようもありません。

 


 上流端・第六天地点

 以上、概観が長くなりましたが、サンコーコンサルタントの「第2案」の詳細をみてゆくことにします。

 まず、堤防がRidge2北端部で「山付き」になる地点です。

 

 「第2案」堤防の上流端は、25.50k付近のY.P.=24mの等高線地点で砂丘の〝畝〟ridge に擦り付いています。25.50kの計画築堤高は23.940mですが、それがそのまま「第2案」堤防の設計値になっています。

 ここは、迅速測図によるとかつて第六天神社があった場所です。第六天は、若宮戸河畔砂丘の北にある鹿島神社に合祀されたのですが、元の場所には石碑(画面中央の「記念碑」記号)が建てられています。

 Ridge1のうち「ほ」と「へ」の墓地や「ち」の十一面観音堂のある地点だけが掘削を免れたように、Ridge1から分岐したRidge2の最上流端のこの場所も、第六天それ自体は他所へ移されたものの、神域ゆえに掘削を免れたとみてよいでしょう。それゆえに、先程見た建設技術研究所の築堤案と同じく、サンコーコンサルタントの築堤案でもここに堤防が擦り付くこととなったのです。

 迅速測図の第六天の表記を見てみます。「天六第」表記、その下に神社を示す鳥居の記号(赤い絵文字で代用)、その下が祠を示す建物の記号です。祠の北側(画面右方)に鳥居があったということではありません。

 

天六第

 

 さらにこの第六天直下で砂丘の〝畝〟を横断する道路が破線で描かれています。

 この道は第六天の南(画面左方)で弧状になっていますが、築堤案図面の等高線のとおりです。明治初期の地形がそのまま残っているということです。水害後の現在もそのままの道があります。

 ついでに1966(昭和41)年の建設大臣による河川区域告示図も示します。この私道の線形はまったくデタラメです。明治初期の迅速測図ほどの手間も掛けず、現地を見もしないで描いたのでしょう。同じ範囲を描いた図面とはとても思えないポンチ絵です。Ridge1は描かず無視する、そのためにも等高線など地形を推認させるようなものは絶対描かないという異常な執念がこうさせたのでしょう。

 なお、25.50kの河道横断線と距離標石位置は、管理基図や現地などと異なっています。まさか描写の間違いではないでしょうから、告示後に変更されたのでしょう。

 次の写真は、Ridge2を横切るこの道を東側の登り口から見あげたところです。まさに迅速測図のとおりに弧を描いています。かつて第六天神社があったのが正面の高まりの上です(2021年5月)。地元の方に教えられよじ登ると、祠があった場所に設計図面のとおり石碑が建っていました(下の写真=2021年10月)。「八雲神社大六天跡 昭和二十九年四月建之」とあります。第六天には「大六天」の字があてられることもあります。明治初期の廃仏毀釈に際して「両足(おもだる)神社」等に改名する例はあったようですが、「八雲(やくも)神社」についてはわかりません。明治末期の「合祀」強制政策の経緯については、いずれ触れることにします。

 右は合祀先の鹿島(かしま)神社(本項目3ページ参照)の表示板と石柱です。「四 八雲神社(大六天)」「中河原より合祀」「明治44年12月26日に合祀する」とあり、「吽」の狛犬側の石柱に「八雲神社大六天」とあります(2021年9月)。

 1911(明治44)年の強制合祀から43年後の1954(昭和29)年に、もとの大字若宮戸字中河原に石碑が建てられたのです。




 第六天地点から25.35k地点まで

 

 

 ❷と❸を付した24m等高線があり、❸内には25mの地点もあります。Ridge2が温存されている区間なので計画高水位は充足するのですが、計画築堤高・計画断面を充足する堤防を直線的に通すために、上流端付近の河道側と❷と❸の間の内陸側には盛り土で法面を形成するようになっています。


 25.35k地点

 

 

 問題の地点です。計画高水位を割り込む標高21m以下の、河道側から連続する凹地がRidge2を分断しています。Ridge2が東側に湾曲して張り出していた部分は、標高20m以下まで掘削されていて、かろうじて21mを超す細長い地形が上流側と下流側を繋いでいるだけです。河道側から連続する標高21m以下の凹地を嵩上げして24m近い計画築堤高を確保するためには、3m以上の盛り土が必要になります。

 このような区間をそのまま残しておいて、Ridge2を「三号地」に指定する余地はありません。


 25.35k地点から市道東0272号線まで

 

 

 一応は標高22m以上のridgeが続いているのですが、幅が狭く東側(画面下方)は急斜面になっています延長81.9mの計画高水位堤防が必要な区間になっています。


 市道東0272号線の切り通し地点

 

 

 市道東0272号線を挟んで、❺と❻の24m等高線が向かい合っています。もともとはひと連なりの24m以上のridgeだったところを、切り通したのです。先にみたとおり、計画高水位をわずかに上回るものの計画築堤高を大きく割り込んでしまったわけです。「第2案」は、ここを堤防で塞いだうえで、堤防に直角に6%勾配の傾斜路をつくって市道東0272号線を通すことにしています。

 下左は、水害翌月の2015年10月に、Ridge2を切り通して横断する市道東0272号線の最高地点を東側からみたところで、左の赤リボンが最高地点に打たれた標識(黄丸)の所在を示す目印のようです。道路の左右にRidge2の断面が見えています。下右は、そこに写っている「測量基準」標識です(2015年10月26日)。現在は道路に砕石が敷かれた下に埋もれたようです。



 鬼怒砂丘慰霊塔地点

 

 図面の右上の「空地」から慰霊塔の北西隅方向をみたところです(2015年12月18日)。この北西隅が最高標高地点であるのがわかります。

 手前の「空地」「駐車場」はRidge2とRidge3の間の「谷」だったところですが、かなり掘削されて標高は19m以下になっていましたから、水害時には3m以上冠水しました。

 慰霊塔の西側斜面は樹林を伐採してありますが、写真のとおり慰霊塔の東側には迅速測図に描かれていた「松」が残っています。

 内陸側の最大の〝畝〟であるRidge1の最高地点だったのは特異点「は」で、迅速測図ではT.P.(推測)=32.25m(Y.P.=33.09m)でした。Ridge1に次ぐ規模のRidge2の現存する最高地点がこの鬼怒砂丘慰霊塔地点であり、測量図で27mの等高線が確認できます。その頂が北西隅柱になるように慰霊塔が建築されています。頂点を保存したということでしょう。

 「第2案」堤防は慰霊塔の東側ぎりぎりのところを通る線形です。この部分でRidge2自体が湾曲していることもあるでしょうが、既設の建造物を取り壊さない配慮をしたということでしょう。堤外地になるとはいえ、計画高水位を超えるridge上にあるので浸水の心配は無用ですし。

 なお、このRidge2の現存する最高標高地点が河道側に湾曲しているのは慰霊塔建造にあたっての盛り土かとも思ったのですが、一連の航空写真をみてもそのような工事があったようには見えません。なにより迅速測図でもこの湾曲が描かれていますから、自然地形のようです。

 慰霊塔の5層目から東方を見下ろしたところで、松の間から24.63kの氾濫で砂の地盤が抉られて傾いた家屋の解体工事が見えます。耕地の向こうにこの慰霊塔を建立した「いなば燃料」の本社・ガソリンスタンドの大きなタンクが見えます(同日)。

 

 話が脇道にそれますが、この部派仏教風のパゴダが「鬼怒砂丘慰霊塔」と名付けられていたことに気を留めておきます。2015年の水害以来、若宮戸河畔砂丘は「自然堤防」と呼ばれ続けているのですが、それ以前にはこのような正しい名称が使われていたのです。小山戸(こやまど)の河畔砂丘も地元の人は「砂丘」と呼んでいます(別ページ参照)。鬼怒川流域では、誰も河畔砂丘を「自然堤防」とは呼んでいなかったようなのに、どうして水害後に若宮戸河畔砂丘が「自然堤防」になってしまったのか、不思議です。

 


 慰霊塔から市道東0280号線までの区間

 

 

 ここは計画高水位を一応充足しているので、計画築堤高・計画断面を充足するための築堤対象となる区間です。


 24.63k地点から下流端まで

 

 24.13kからこの60度屈曲点までの堤防は、1952(昭和27)年にRidge2を嵩上げして建造されたものです(2ページ)。60度屈曲点から上流側はRidge2が姿を現します。この60度屈曲点では、堤防はRidge2より標高が高いのですから、「山付き堤」ではありません。堤防は60度屈曲したあと、特異点(と)においてRidge1に「山付き」したのです。1952年時点ではRidge1は、ここから鎌庭捷水路堤防が「山付き」する河畔砂丘北端の26.00k付近まで、Ridge2を凌駕する最大のridgeとして連続して洪水時の氾濫を防いでいたのです(下図の背景は、1964年の航空写真〔国土地理院、MKT643X-C9-11〕。ただし特異点(に)で掘削が始まっているようです)。

 

 

 そのRidge1が第1クォーターの河道側斜面下部だけを残してほぼ完全に掘削された状況に対処するために、Ridge2を嵩上げ・腹づけして堤防化するのが「第2案」です。「第2案」の下流端は、市道東0280号線の切り通しを埋め戻したうえで、大量の土砂を用いて堤体を構築して60度屈曲点に擦り付けられます。Ridge2を包み込むように築堤するというのは、24.13kから60度屈曲点までの堤防と同じです。

 市道東0280号線については、市道東0272号線の場合とはことなり、堤防の川表側法面と川裏側法面を斜めに昇降するに坂路を設ける形になります。

 

 設問②の解は次のとおりです。

 サンコーコンサルタントは、Ridge2の東麓(堤防であれば堤内側法面基底部にあたる)を河川区域境界線としてRidge2を保存したとしても、それは「三号地」としての要件を満たさないと判断しているのです。