手前の下流側の25.23kから向こうの上流側の25.43kまで、Ridge2の掘削破断区間200mに、水害後設置された仮堤防
「堤内」側法面下にほとんど無傷だった「B社」のソーラーパネルが置かれている(2015年10月26日)
Jan., 9, 2022
1960年代後半から1970年代前半に、Ridge1が、第1クォーターの河道側斜面と墓地のある2地点を残してほぼ全部が掘削されたあと、大きな変化のない時期がつづきました。2013(平成25)年にRidge2の河道側に小規模の太陽光発電所(「A社」)が、つづいて2014(平成26)年にRidge2を約200mに渡って伐採掘削して大規模太陽光発電所(「B社」)が、作られました。翌年が鬼怒川水害の年です。
河道を見ると、堆積作用が働かなくなっただけでなく浸食作用が優勢になったため、水位が低下して砂州が浮き上がって草地になりところどころ樹木も生えています。
河畔砂丘内部では、第2クォーターのRidge1とRidge2の「谷」にあった家具工場が撤退したほか、耕作地も放棄されて草地になっています。河畔砂丘最北端近くで、26.00k付近で伐採・整地されて団体施設がつくられました(4ページで見た「伐採・平坦地」)。
25.35k付近でRidge2に食い込むようにしてその河道側が白い砂地になりました。樹根や表土を除去して整地したのです。河川区域内まではみ出して整地しています。河川法違反行為ですが、下館河川事務所は見逃しています。日常の巡回ルートから外していた(ということになっています)ので気づきもしないのかもしれません。ここに小規模の太陽光発電所(「A社」)が作られます。
Ridge2の河道側に小規模太陽光発電所(「A社」)が、完成しました。これがヒントになったのでしょうか、かつて家具工場があった、Ridge1とRidge2、その間の「谷」にまたがる広大な土地(数筆にわかれていますが、一人の地主の所有地だったようです)を県外の業者(「B社」)が購入し、大規模太陽光発電所を建設することになり、無届けで森林伐採、無届けで土地掘削・整地をしている真っ最中です(若宮戸の河畔砂丘のページ参照)。
Ridge1は最大の〝畝〟であり、Ridge2はそれにつぐ規模の〝畝〟でした。Ridge1とRidge2の間の「谷」はそれほど深かったわけではなく河畔砂丘の東側の標高18mから19m程度の自然堤防よりは高かったのです。これらが一体的に1960年代後半以降、かなり深くまで掘削・整地されました。第一の目的は、砂州の砂の枯渇と掘削禁止後の砂の入手です。結果としてできた低平地は、一部が耕地(陸田)となったほか、住宅地(下の拡大写真の画面下部)や家具工場になりました。
その家具工場が撤退し、地主が土地を売りに出したのを不動産業者を仲介して「B社」が購入し、当時は売電価格がかなり高かったので、銀行融資を受けて太陽光発電所にしたのです。森林伐採も土地の掘削も無届けで強行し、あとから脱漏と誤記だらけの書類を常総市役所に提出したのですが、常総市役所は原状回復命令も出さず、刑事告訴もせずに(森林法違反)、黙認したのです。
Ridge2の内陸側(東側、画面下方)に湾曲していた部分はあらかた掘削され、かろうじて河道側(西側)の斜面下部だけが残されて、測量図のとおり崖になっていたのです。樹木が伐採されて現れたその斜面下部を掘り崩し、東側の土地と同一標高に均している最中です。
水害7か月前です。
「B社」の発電所も完成しました。河畔砂丘 river bank dune の〝畝〟ridge が200mに渡って全部なくなり、河畔砂丘(だったところ)の東側の自然堤防 natural levee と同じ高さになり、対岸の堤防が完全に見通せるようになりました。下館河川事務所は、河川区域外なので規制することはできないのだが、洪水になっても氾濫することはないと、掘削を黙過しました。
Ridge2の掘削延長は約200mですが、両端にできる崖面は土止めもしていません(この6ページと7ページの冒頭の写真参照)。このひどい絶壁は氾濫流によるものではありません。最初からこれだけの幅があると(三坂の破堤幅165mよりひろいのです)、側方への洗掘拡大はほとんど起きないようです。
氾濫翌日、午前10時ころの衛星写真です。第1クォーターから第2クォーターにかけては前年のRidge2掘削地点からの氾濫です。第3クォーターの冠水は24.63kからの氾濫によるものです。
第3クォーターから第4クォーターにかけて、Ridge2(黄線)の河道側で何箇所も方形に冠水しているのは、採砂のための掘削痕です。砂をとるのに、河川区域の内も外も区別はなかったのです。「B社」によるRidge2の掘削をとめることができなかったのは、そこが河川区域ではなかったからだと関東地方整備局は言っているのですが、虚偽です。
第2クォーター(25.23kから25.42kの「B社」掘削地点)の仮堤防が9月17日に完成したあとで第3クォーター(24.63k地点)の仮堤防設置に着手したとのことですから、状況から見ておそらく17日の撮影です(「地理院地図」の年代別写真中の「全国最新写真」。それがそのままiOSの地図ソフト「スーパー地形」で閲覧できます)。
9月10日や11日の航空写真は、ほとんどがソーラーパネルのある第2クォーターにばかり注目し、そこだけ撮影していて、第3クォーターは画面に入っていないことが多かったのです。全域が写っていたとしても、そこに方形の水溜りが何箇所もできていることはあまり気に留めないのが通例でした。その水溜りの水が引いてはじめて、24.63k地点からも氾濫していたことがわかったのです。それどころか、そこには深さ6mの巨大な押堀(おっぽり、いわゆる落堀〔おちぼり〕)ができていました。激烈な氾濫だったのです。
24.63kの氾濫地点でも、陸田の対角線上に仮堤防が設置されました。
水害から約1か月経過し、河畔砂丘東側の自然堤防に流出した砂が乾いてよく見えるようになりました。国交省や、国策協力派河川工学者らは、24.63kの氾濫を徹底的に過小評価・無視していますが、24.63kからの砂の流出は、上流側の25.23k〜25.42kからの流出に匹敵するものだったのです。
2015年10月以降も、数多くの衛星写真・航空写真がありますが、5年間の激特事業による堤防完成後のものだけを見ます。
水害後、いち早く「復興」したのは、Ridge2を掘削して氾濫の大規模化をもたらした「B社」の太陽光発電所でした。「A社」は撤退し、用地は堤防敷になりましたが、「B社」は損害保険の支払いを受けて同規模で再建をはたしたのです。そのため、堤防は大きく河道側を迂回することになり、第2クォーターで必要高水敷幅を確保できないことになりました。本来なら避けるべき河道至近の線形となり、鎌庭捷水路を流下した河川水が堤防基部を直撃することになりました。大規模な低水敷護岸が建造されましたが、50年、100年後が心配です。