台風19号通過後の増水により、5kから6kの守谷市大山新田からつくばみらい市絹の台において、
4年前の水害時よりさらに50cmから1m以上も水位が上昇し、ふたたび水害が起きた。(2019年10月13日、14:42)
Oct., 27, 2019
2018年8月に提起された鬼怒川(きぬがわ)水害の国家賠償請求訴訟において、被告の「国」は、2019(平成31)年2月28日づけで提出した準備書面で次のとおり主張しています。若宮戸(わかみやど、常総市最北部)地区、すなわち鬼怒川右岸の24.63kから26kまでの区間で河畔砂丘(かはんさきゅう)の掘削を容認したうえ堤防を設置することも怠り、大水害をもたらしたことについての釈明です(「準備書面(1)」。「鬼怒川大水害訴訟」資料の一部が、「call4」というウェブサイトで公開されるようになりました〔https://www.call4.jp/info.php?type=items&id=I0000053 の「訴訟資料」タブ〕。そこからの引用です。以下、引用は該当ページのスクリーンショットでおこない、地の文は区別がつくよう青字にします)。
44-45ページ
52-53ページ
記述が混乱して意味の通らないところもありますが、鬼怒川水害発生の直後から国土交通省がことあるごとに吹聴してきた主張です。一見当たり前の原則を述べているように見えるのか、迂闊にも多くの人がさも当然のこととして受容してしまっている理屈です。学説とか理論とかいう次元のものではないようで、きちんと記述した文書は見当たりません。「下流優先論」あるいは「上下流バランス論」とでも名付けることにします。水害が発生しさらに訴訟が提起されるに及んで、つまり、自分たちのやってきたこと、やらずにきたことが、大間違いだったことがあきらかになるに至って国交省はこういう屁理屈を繰り出して責任逃れを図ろうというのですから、黙って見過ごすわけには行きません。この項目における中心的な課題のひとつとして、少々検討を加えることにします。
「下流優先論」「上下流バランス論」の一番よろしくない点は、その「上流」・「下流」の定義がまったくデタラメなことです。何をもって「上流」と「下流」に区分し、とりわけ具体的にどこを「下流」とするのか、全然はっきりせず、話がころころ変わるのです。ある時は河川の「上流・中流・下流」という自然地理上の類型の話のようでもあり、またある時は2点間の相対的な位置関係という程度の意味で「上流」・「下流」と言っているようでもあり、じつに曖昧で融通無碍です。ついには、鬼怒川は利根川の一支流であることから、茨城県守谷市の利根川への合流点以下の利根川本流区間こそが「下流」なのであって、鬼怒川には「下流」区間は存在しないという展開になる場合もあります。この調子ですから、これまでおよそまともな議論がなされてきたことはただの一度もないのです。
「上下流のバランス」にしても、およそあらゆるものごとに関して、どんな場合であっても、「バランス」は取れていないより取れている方が良いに決まっているわけです。栄養のバランス、収入と支出のバランス、左右?のバランス、などなど。それでは治水における「バランス」とは具体的にはどういうことなのか、まったく要領をえないのです。さも確立した普遍的な根本原理や原則であるかのごとく、証明どころかろくな説明もなしに持ち出されるのです。「下流優先論」や「上下流バランス論」は、中世ヨーロッパの占星術や錬金術、あるいは古代中国の風水理論ほどの歴史的蓄積や壮大な体系性をそなえているわけでもなく、ほんのお手軽な星占い、通俗的な手相見、家相見、俗流「インテリア風水」程度のものであって、どこをどう見ても治水行政を教導すべき普遍的・根本的な原理原則などではないのです。
国交省の文書を瞥見します。
鬼怒川水害の3年半前の文書です。一応、鬼怒川についての国策治水・利水の根本方針を述べた文書ということのようです。(http://www.ktr.mlit.go.jp/shimodate/gaiyo10/h23ijikanri%20kinu.pdf)
「河川の概要」として、鬼怒川を「上流部・中流部・下流部」に区分したうえで、6ページで、「下流部」は「両側には自然堤防を発達させている」、「中流部に比べて川幅が狭くなり」、「下流部河川敷は、かつては砂河原が特徴的な景観であったが云々」と風物詩風に語っています。
ここで「下流部」とされる区間は自然の流路ではなく、東西を更新世段丘(こうしんせいだんきゅう。いわゆる洪積台地〔こうせきだいち〕)に挟まれた土地の東縁に小貝(こかい)川、西縁に鬼怒川を配置した人工的な地形です。
その結果、小貝川については右岸(西岸)に、鬼怒川については左岸(東岸)に、かなり大規模な自然堤防 natural levee が発達することになります(右は「地理院地図」〔https://maps.gsi.go.jp/〕>土地の特徴を示した地図>治水地形分類図・更新版。茶が更新世段丘、黄が自然堤防、薄緑が後背低地〔緑は特に低いところ〕)。ですから「両側には自然堤防を発達させている」というのは不正確です。
ちなみに、画面上方、鎌庭捷水路の直下左岸が若宮戸の河畔砂丘 river bank dune です(だったところというべきですが。自然堤防と混同しないよう注意!)。
「下流」の「川幅が狭くなる」のはそういう経緯によるものであり、決して自然現象ではないのですが、そういう事実はご存じないのか全部スルーしています。
「かつては砂河原が特徴的な景観であった」が今は違ってしまったのも、当然ながら自然現象なのではなく、旧建設省時代から河道・砂州・高水敷での採砂を野放図に許可した人為の結果です。ちなみに、若宮戸と三坂、つまり鬼怒川水害の2大氾濫地点は、いずれも巨大な河畔砂丘(だったところ)であり、そこでの徹底した採砂が氾濫の遠因となったのです。
(なお、「江戸時代に台地を人工的に開削した」最下流部については、「若宮戸の河畔砂丘 15」でくわしく検討しましたので、参照ください。)
つづく7ページでは、上流の4大ダムの宣伝をしているのですが、ダムの根本的目的がじつは利水であるのに、まるで治水のために建造したかのような口吻です。4つも作っておいて、鬼怒川水害を引き起こしたのはなぜなのか、その言い訳をぜひ聞きたいものです。
採砂とあわせて、ダムが溜め込むために砂の流下が激減し、「かつては砂河原が特徴的な景観であった」が今は違ってしまった事情も完全に無視です。
なお、あとで検討することになる「11km左岸」つまり水海道(みつかいどう)市街地のすぐ近くの堤防の写真があります。
つぎは、上の2012(平成24)年3月の文書の前提となる、その2か月前の「事業評価」に関する文書です(http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000051861.pdf)。関東地方整備局が、管内の道路(国道)と河川(一級河川)の管理計画を「事業監視委員会」に報告して承認を受けるというもので、この年度でいうと全10回の会議に文字通り山のような資料を積み上げ、実質のない無意味な形だけの手続きで鬼怒川改修の方針が確定するのです。鬼怒川については、もちろん担当する下館(しもだて)河川事務所(茨城県筑西〔ちくせい〕市)が文書をつくるわけです。
下館河川事務所はもうひとつの分担河川である小貝川で大失態(1986〔昭和61〕年の破堤による水害)を演じていますから、まさか残る鬼怒川でもしくじるわけにはいきません。堤防の新設・改修の優先順位の決定にはそれ相応の理由づけが必要なのです。
2ページ右に、「平成14年7月常総市豊岡町地先」の水害の写真があります。「地先」というのは誤りで、今は「地先」となったがかつては「豊岡町」であった住宅地の水害です。5ページ左上には「本町築堤」の写真があります。さきほどの「11km左岸」の地点です。豊岡町と水海道本町という「下流部」の「人口・資産が集中している」地点について、このようにキチンとやっております、今後も「人口・資産が集中している」地点からやっていきます、という趣旨です。
川島以下が「下流」だと言っておきながら、その「下流」も一様ではなく、「人口・資産が集中」といういささか誇大な理由をつけて、その「下流」のなかでもさらに「下流」中心にやってきました、今後もそうします、という方向性を示しているのです。
8ページの図はあまりに粗略で、しかも背景地図が歪んでいます。傾向はともかく、具体的に地点と計画を読み取るのは不可能です。こんな電気紙芝居の上演会ごときのもので「再評価」などと厳正ぶっているのかと呆れるばかりですが、赤の「当面7年の整備」対象となる築堤(改修を含む)区間が、「下流」のさらに下流側の半分だけ限定であることはよくわかります。「下流」のそのまた下流側半分の一番上の端っこは左岸20.0kの付近で、かろうじて三坂(みさか)あたりも含まれているようですが、上三坂の破堤箇所がどうなっているかは読みとれません。いずれにしても、3年8か月後の水害までには着工に至らず、間に合いませんでした。
2015年9月に浸水することになるうえ、2019年10月の台風19号でふたたび浸水することにもなる左岸45.75k付近の筑西市下川島の無堤区間と、2か所で大氾濫をおこす左岸24.63kから26kの若宮戸は今後すくなくとも30年間は放ったらかしにするという方針でした。
鬼怒川の堤防と樋管等に関する厳粛なる「再評価」の結果を、一枚の紙で示したのが次です(http://www.mlit.go.jp/river/basic_info/seisaku_hyouka/gaiyou/hyouka/h2401_2/pdf/sankou04_kasen02.pdf赤下線は引用者)。
この2012(平成24)年1月の「再評価」を経て、3月に「鬼怒川河川維持管理計画」が、鬼怒川の美しい景観を詩情豊かに歌いあげていたのですが、あんなものは誰も読みません。鬼怒川については、このA4版1枚に書かれた「人口・資産が集中している鬼怒川下流部の約3〜20kを先行〔する〕」という短い文言だけが、決定事項としてあとあとまで威力を発揮するのです。(なぜ3kで切るかというと、そこまでが下館河川事務所のテリトリーだからです。3kから先は利根川上流河川事務所の縄張りです。)
「約20k〜45kにおいても……実施する」とは書いてありますが、「約3〜20kを先行」するとある以上、「約3〜20k」の全部とは言わないまでも大部分が終わらなければ順番はまわってこないわけです。30年待ったところでどうなるかわかりません。結局のところ、「人口・資産が集中している鬼怒川下流部の約3〜20kを先行〔する〕」というセンテンスが国土交通省関東地方整備局の鬼怒川の治水方針として絶対的基準になったのです。三坂はかろうじてひっかかっているかもしれないのですが、若宮戸や下川島は事実上ほぼ永久的に対象外です。
これが「下流優先論」と「上下流バランス論」の具体的内実です。
しかし、どうも腑に落ちないのは、結果的に「下流優先」になっているとはいえ、「下流優先」の原則に従って「約3k〜20kを先行」すると言っているわけではないのです。「約3k〜20kを先行」する理由は、「人口・資産が集中している」ことなのです。
しかし、下の下が切れたときに損害を蒙る水海道市街地が、下の上が切れた時に浸水する本石下(もといしげ)や新石下などより、「人口・資産が集中している」というほどのものかはあやしいものです。それどころか、下の下が切れても氾濫水が石下まで遡上することは、現実的にはほぼありえないでしょうが、下の上から氾濫すれば、石下はもちろん水海道まで浸水するわけですから、「人口・資産が集中している」かどうかは別として、ほんとうは下の下を優先するのはあまり意味がないのです。他の地域ではまんまとうまくいくこともあるでしょうが、常総市左岸一帯での「下流優先」論をもちだすのは、天に唾するようなもので、無意味で愚かな所業です。
理由も説得力もないうえ、そうしたところで結果は伴わないというのですから、支離滅裂な話です。
ついポロッと出た「人口・資産が集中している」というコトバで思い浮かぶのは、当然利根川とそこから分流する江戸川です。利根川水系の一部としての鬼怒川との関連で見るとどうなるのでしょうか。
そちらの方の計画における鬼怒川についての記述です(http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000078521.pdf 10ページ)。
鬼怒川水害が起きても、国会与党はそのまま審議を続け、2015年9月19日、「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」と「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」を衆議院で採決しました。2019年10月、台風15号の強風被害につづき台風19号が百数十か所の破堤・氾濫を引き起こしたのに、ラグビー・ワールドカップと天皇代襲儀式はほとんど影響なく実施されました。しかし、利根川右岸が埼玉県南部あたりで、あるいは江戸川右岸がどこかで破堤でもしようものなら、国会審議、運動競技会、皇室祭祀どころではなくなります。翌月に延期どころか、東京という都市の機能はほぼ永久に回復不可能となり、遷都は必至です。
上の文言は、たいしたことはない地方の河川についての気楽な論調とはいささか異なる危機感が背後にあるのです。
「利根川本川は鬼怒川の影響を受けて増水し、一部で計画高水位を上回った。」
「鬼怒川をなんとかしろ!」という怒声が聞こえてくるようです。ここに、本音としての「人口・資産集中論」を内包する「下流優先論」のほんとうの意味が露呈しているのです。
利根川本川(とその分派としての江戸川)こそ「人口・資産が集中」する真の「下流」であり、それを死守することが国土交通省関東地方整備局に課せられた至上命令なのです。この最上にして事実上唯一の使命のもとでは、鬼怒川には優先されるべき「下流」など、ただの1kmも存在しない、ということになります。
鬼怒川は江戸川分派以後の利根川に合流するのだから、江戸川分派以前の利根川および江戸川には関係ないように思えるのですが、そんなことはありません。鬼怒川からの大量の合流によってそれより上流の利根川や、さらには分派する江戸川の流下を阻害し、その水位上昇を引き起こす可能性があるのです。上の引用文にあるとおり、鬼怒川からの流入量増加により実際に「江戸川流頭部」への影響があったのです。引用文中の「利根川の各所で護岸・水制の流失」がどこで起きたのかは曖昧ですが、鬼怒川との合流点より上流だった可能性があります。このあと(「ダムと堤防 5」)2019年10月の台風19号の際、利根川の水位が上昇することで鬼怒川の流下が阻害され、最下流部の4.5kから5.5k付近で無堤部での河川区域をこえる氾濫や樋管の取り付け部の堤防での越水が起きたことをみます。合流による水量増加は、下流へはもちろん、それぞれの河川の上流方向へも影響をおよぼすのは当然のことです。引用文中の昭和34年の洪水時には、鬼怒川側でも「水海道〔11kから11.5k付近〕より下流でも計画高水位を上回った」のです。
なお、利根川本川が最優先だということがよくわかるのが、利根川沿岸の巨大な遊水池群の設定理由です(第9回会議議事録 http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000059651.pdf 16ページ)。
「例えば利根川では、〔……〕利根川の中流に渡良瀬〔わたらせ〕遊水地とか〔……〕菅生〔すがお〕、稲戸井〔いなとい〕、田中調節池という下流3池といわれている調節池があります。先ほど荒川でも調節池を示させて いただきましたが、渡良瀬遊水地の場合、どういうふうに計画されているかというと、渡良瀬川から流入してくるような洪水のときの流量が本川の洪水のピーク流量を上げない、 遊水地で全部カットできるというように計画をしています。同様に下流の3池といわれる稲戸井、田中、菅生の調節池につきましても、その上流部分で鬼怒川が合流してきていますが、鬼怒川からの合流があった場合にも、下流の取手地 点で流量が増加しない、すなわち3池でカットできるという計画を立てています。
記述は右往左往するのですが、「下流優先論」と「上下流バランス論」には隠された(たいして隠れてもいませんが)本当の意味があるうえ、表面上の意味は曖昧かつ融通無碍で、どうとでもなるような安普請ぶりです。サイエンスと呼べるようなものではなく、何を言っているのかよくわからない通俗的台詞の寄せ集めに過ぎず、国交省自身もたいして信じていない風です。そのくせ、河川区域の内外で地主や採砂業者らが河畔砂丘を掘削するにまかせたうえ、河川区域の再設定や堤防の建設など必要な措置をまったくとらずに、よりにもよって住民からあらかじめ指摘されたとおりの大氾濫を引き起こしてしまい、さらに国家賠償を請求され今後おそらく10年近くは法廷で責任を追窮されることになって、信じてもいない「下流優先論」と「上下流バランス論」を持ち出したのです。
危惧するのは、この「下流優先論」と「上下流バランス論」なる呪文があいもかわらず効き目をもちそうなことです。この「下流優先論」と「上下流バランス論」を正面から批判検討する論調はほとんどないようです。手相見やインテリア風水、あるいは血液型占い、さらにはUFO実在論などについてまともに議論するだけ無駄な話で、そんなものは放っておいてもいいのですが、同様に根拠もない馬鹿げた迷信であっても「下流優先論」と「上下流バランス論」が及ぼす社会的悪影響は絶大であり、しかも裁判所に提出されてヘタをすると採用されかねない状況にあるとなれば、そうも言っていられません。具体的に検討し、「下流優先論」と「上下流バランス論」そのものを徹底的に批判する必要があります。そうすることで、若宮戸の問題についても理非があきらかになるのです。
もういちど一部を引用します。一般的命題と、その適用としての個別的命題です。
仮に、整備の急がれる箇所〔若宮戸のこと〕の改修〔堤防建設のこと〕を実施する場合であっても、当該箇所の整備を実施することによる流量の増加により、下流〔水海道本町と豊岡のこと〕の安全性が現状よりそこなわることが予想される場合には、当該箇所の工事の実施に先立って下流の安全性を確保する工事を行う必要があり、一連区間としての安全性を確保することが不可欠である。(44−45ページ)
当該地先〔若宮戸のこと〕においては、既往最高(昭和57年から本件洪水まで)の水位程度の洪水では氾濫が発生しなかったものであるが、平成14年7月洪水の際に、下流の常総市豊岡地先では、堤防の未整備箇所において外水による浸水被害が生じ、また、常総市水海道本町地先では堤防天端近くまで水位が上昇し危険な状態が生じていた。(52−53ページ)
あとのほうの個別的命題は冒頭からしてすでに虚偽です。
「地先」とは住居表示の対象外である名もなき河川区域の土地を、その手前側の住居表示のある土地のその「先」であるとして指し示す語なのです。洪水が河川区域の範囲つまり「地先」の中でおさまらずに、河川区域の外の住宅地や耕地などに溢れ出てくるのが「氾濫」です。「当該地先において」氾濫が発生することは、定義上ありえないのです。ですから、厳密に言えば、たとえば河川区域内に築造されていた三坂「地先」の堤防が決壊・破堤して氾濫がおきたと言うべきであり、三坂の堤防が決壊・破堤して氾濫がおきたと言ったのでは不正確だということになります。しかし、国土交通省も含めて、通常はいちいち「地先」をつけずに広報や報道や議論をしているのであって、そのことで重大な事実誤認を生ずるというのであれば別ですが、特段の問題はないのです。ところが、ここで唐突に「地先」を付けだしたわけで、厳密を旨とする法廷に提出される文書としては、それはそれでたいへん結構なことではありますが、せっかくそこまでするのであれば、「地先において」氾濫が発生しなかった、などという定義上ありえない虚偽の事実を主張してはならないのです。「当該地先」だけでなく、常総市豊岡「地先」についても同じです。
ついでにいうと、「洪水」とは日常語では河川区域の外の住宅や耕地などに河川水があふれだした状況を指すのですが、この世界では、たんに通常より河川の水量が増大して水位が上昇することを言うようです。それが堤防などの河川区域の範囲内におさまらずに越水や破堤によって流れ出して(無堤地帯だったら河川区域から溢れ出て)水害を生じさせるに至ることもあるし、堤防などの河川区域の範囲内におさまって水害を生じさせるに至らないこともある、ということです。いずれの場合であっても水量の増大・水位の上昇それじたいを「洪水」と呼ぶ、ということです(国土交通省による解説は、http://www.river.go.jp/kawabou/qa/QA/youg3.html#WORD-45)。
しかし、今ここで問題なのは、専門知識などないうえ現場の見当もまったくついていないのを隠そうとして、専門用語風の業界内隠語(符牒)を使ってみせて格好つけたつもりが、とんだ誤用だったという低次元の話ではないのです(とはいえ、用語の取り違え程度でも、それはそれで深刻な問題を引き摺ってとんだことになることだってありますから軽視はできません。たとえば「自然堤防」!)。ここで問題なのは、若宮戸で「既往最高(昭和57年から本件洪水まで)の水位程度の洪水では氾濫が発生しなかった」という虚偽の事実を申し立てていることです。しかも、その虚偽は、自分で提出した証拠によってすぐに露呈するような、明白なものなのです。
被告はこう主張すると同時に、乙第55号証と乙第56号証として、2014(平成26)年に株式会社建設技術研究所が作成し下館河川事務所が受け取った文書を提出しています(裁判において、原告が提出するのが甲号証で、被告のが乙号証。call4 には原告被告双方の書証のタイトル一覧の「証拠説明書」は掲載されていますが、証拠そのものはありません。全部は無理にしても主要なものだけでも見たいところですが、そうもいかないようなので、ここでもhttp://kinugawa-suigai.seesaa.netのお世話になり、そこから引用させていただきます〔https://kinugawa-suigai.up.seesaa.net/pdf/waka-7-1.pdf〕)。その4-5ページです。
「昭和57年」(1982年)よりずっと後の、ごく最近といってもいい平成13年(2001年)と平成14年(2002年)に立て続けで氾濫していることが明晰かつ判明に記されています。「河川区域想定線」とは、おかしな言い方ですし、いささかズレているのですが(国交省は、まともな河川区域図を秘密扱いにしているようで、渡していないのかも知れません)、2002年の地図は茶破線の河川区域境界線を大幅にこえる氾濫が起きていることをはっきり示しています。農地・牧草地や中央写真の稲葉燃料店所有地のグランドだけでなく(右写真は、河畔砂丘の現存最大の〝畝〟の上に稲葉燃料店の先代が建造した巨大なパゴダ。ただし頂上が切れています)、その北側(地図では右)の小林牧場の鶏舎も浸水しています。下流部(地図左)の2015年に巨大な押堀ができた氾濫地点である市道東0280号線地点、つまり24.75k(正確には24.63k)付近を見てもわかるとおり、あと少し水位が上がれば、地図中の住宅群だけでなく、広い範囲に流出し2015年同様の大水害を引き起こすような深刻な事態です。
若宮戸では氾濫が起きなかったという虚偽の事実を前提にして、同じ時に下流では浸水被害が生じ(「豊岡町地先」)、あるいは危険な状態が生じていた(「水海道本町地先」)のであるから、「下流優先」原則により上流側の若宮戸に手をつける前に下流部の改修を優先させなければならなかったのだ、だから若宮戸に堤防をつくらなかったのは当然だ、全然間違っていない、それを瑕疵だなどと言われるのは心外だ、というのが被告国のロジックなのです。
ページ冒頭に掲げた準備書面引用のとおり、被告は「原告らの主張は前提事実を誤認するものであり、およそ理由がない」と、法曹がよく使う言い回しを使って、どうだ参ったか、と大見得を切っていたのですが、なんのことはない自分の方でその「前提事実を誤認する」という「理由がない」不様をやらかしているわけです。水害発生時においてすでにさいたま市のオフィス(関東地方整備局)で、まったく現場のことがわからないエリート?官僚が間違いと大嘘だらけの出鱈目な図を描いてパワポで広報していたのですから、この程度のことは今に始まったことではないのです。水害当時は関係ない部署にいて当時のことが全然わかっていない、その後任者から報告を上げさせて、鬼怒川をひととおり歩ったこともないような訟務検事が水戸の事務所(水戸地方法務局)で玉石混交(ただし石が多め)の資料をもとに書面をつくるわけですから、当然こういうみっともないことになるのです。
ついては、「その余のことは検討するまでもなく」と、判事さんがよくやる省エネ手法で一件落着させてしまいたくなりますが、ここはそういう手抜きをせず、帰結文の「下流の常総市豊岡地先では、堤防の未整備箇所において外水による浸水被害が生じ、また、常総市水海道本町地先では堤防天端近くまで水位が上昇し危険な状態が生じていた」という顛末について検討することにします。
若宮戸については、このwww.naturalright.org における鬼怒川水害論でいまのところ最長の項目である「若宮戸の河畔砂丘」で論じていますので、そちらをご覧いただきたいと思います。この項目では、若宮戸から15kmほど南下し、「人口・資産が集中している」という「下流」の「豊岡町」と「水海道本町」について検討することにします。