ICRPの「事故時適用除外」論

 2012年2月25日

半径250kmの深刻な広域汚染


 わが国の放射線・原子力に関する法律体系は、一般公衆の放射線被曝の許容値を年間1mSvとしているが、福島原発事故により、原発の周辺だけでなく東日本の広い範囲でこの許容値を超えてしまった。関東では栃木県・群馬県の山岳部の大半、茨城県の県央・県南から千葉県北西部にかけての地域がこの許容値を超えて汚染されている。原発から20kmの範囲が長期間居住不可能となっただけでなく、おおむね半径250kmの範囲の土地の多くが法定の基準を超えてしまったのである。

 これは、土壌や草地、舗装面や建造物に付着した放射性セシウムから直接発せられるガンマ線による外部被爆の線量だけの話であり、風で舞い上げられる埃の吸入や、放射能汚染された飲食物の摂取による内部被曝がこれに上乗せされる。飲食物による被曝や、放射能汚染された瓦礫の焼却による被曝は土地が汚染された東日本に限らない。法定許容値の超過は日本列島内外の広い範囲に及んでいる。

 汚染の程度がもとの100分の1程度になれば、一応「原状回復」したと言えるかも知れないが、半減期が30年のセシウム137の場合、それは約200年後のことである。半減期2万4100年のプルトニウム239に至っては、人類史の範囲を超えるだろう。「除染」は、放射性物質の集中・移動・「隔離」を意味するだけで、消滅スピードを早めるわけではない。

 操業開始から40年足らずの福島第一原発で、一挙に4基の原子炉の全面的破綻に至ったことで、原子炉事故の確率がかなり高いことが実証された。しかも、事故の引き金となる地震と津波は、国内の多くの地点で数十年周期で起きている。福島第二原発や東海第二原発でも、3月11日の津波がほんのわずか大きければほぼ同様の結果となっていた。ここから結論されるのは、原子力発電の絶対的危険性である。これほど容易に回復不可能な被害を引き起こす原発を操業し続けることは、人命や自然環境に対する直接的危害という点だけでなく、国土の喪失や社会全体におよぶ甚大な経済的不利益の点からも、絶対的に排除すべき選択肢である。

 しかしながら、原子力発電は、不可避的で根源的な危険性をもち、総合的な経済合理性に反することが明らかであるにもかかわらず、核兵器保有に依存する軍事体制との技術的親和性や、装置産業としての投資効果の圧倒的巨大さゆえに推進されてきた。原子力発電は、日本国内に限ってみても国家行政機構の全体によって推進されている。立法機関や司法機関も原発推進の基本方針に沿って活動している。産業としての原子力発電は、たんに電力会社の事業であるのではなく、鉱山・土木・建設・電機の各業界の主要な市場となっている。被曝医療や放射線防護学も、原発推進の前提条件としての放射線被曝のコントロール業務を分担している。国家機構や産業構造の全構成が原子力発電推進体制として成り立っているのであり、これらを「原子力ムラ」などというのどかな呼称で表現することは適切ではない。


測定回避根拠としての「境界論」


 発電所が、地震による外部からの電源供給遮断と津波による非常電源水没による停電で爆発炎上するという逆説的事象によって、「原子力安全神話」は吹き飛んでしまった。「五重の防壁」や「多重安全設計」などの空疎な安全論は雲散霧消した。自分たちで決めた法定許容値の1mSvを遵守することさえ不可能な、膨大な汚染地域と人口を作り出してしまった原発推進勢力は、その1mSvを何とかして廃棄するため、行政組織と放射線医学組織を総動員している。

 原発推進勢力は、事故直後から法規制と放射線医学分野でみえすいた汚染正当化論を展開している。そのひとつが、「年間1mSv」規制は、原子力発電所の敷地境界線上での話であり、その外側の国土全域についてはなんら規制値は存在しないとする「敷地境界論」である。学校敷地についてはもともと規制値は存在せず、文部科学省が任意に基準を決めることができるのだとして、2011年4月19日に被曝許容量を一挙に年間20mSv(昼間3.8μSv/h)へと20倍化した際に、この論法が用いられた。

 しかし、「敷地境界論」の発想は、事故後にはじめて登場したわけではない。茨城県の場合、原子力災害対策特別措置法対象事業所10か所を中心とする19の事業所の周辺にガンマ線および中性子線の測定施設が設置されている。この56か所の測定施設は、東海・那珂・ひたちなか等県東部の10市町村に集中している(『高校生のための原子力ブック』、2010年、茨城県、44, 54ページ)。このため、3月12日以降、4基の原子炉があいついで爆発し広範囲に放射性物質が飛散していたのに、県央・県南・県西の広い範囲では一切測定がおこなわれず、そのいっぽうで「ただちに健康に影響はない」「雨が降っても影響はない」などの偽りの情報が国や茨城県・県教育委員会等によって広報され続けた。

 茨城県南部の取手・守谷地区の高度汚染が指摘されたのは、事故発生から2か月後であり、しかも最初に公表した国会議員の行為を、当該市の市長らが聞き咎めて「抗議」するという異様な事件を通じてだった。

 (これらの測定施設とは別に、つくば市の高エネルギー加速器研究機構においては以前から放射線量測定がおこなわれ、インターネットで公表されていた。しかし、筑波山の陰になるつくば市中心部は、3月21日の北西風と降雨による放射性物質の大量降下を免れたため低い値を示し、茨城県南一帯から千葉県北西部にかけての高度汚染とは著しい対照をなしていた。)

 SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム、http://radioactivity.mext.go.jp/ja/distribution_map_SPEEDI/ リンク切れ)のデータが活用されなかったことが指摘されている。『朝日新聞』の連載記事「プロメテウスの罠」では、首相官邸の地下にいた一般職員のもとに送信されたデータが5階の原子力災害対策本部の閣僚らには届けられず、見逃されたことになっている(2011年10月29日−11月1日)。首相の菅直人や官房長官の枝野幸男、原子力安全委員会の班目春樹らがSPEEDIの存在を知らないはずはない。事故が拡大した場合、「移転することを希望する人々にはそれを認めるべき地域が250km以遠にも発生することになる可能性」を指摘した原子力委員会委員長近藤駿介の「不測事態シナリオの素描」(3月25日)を「見なかったこと」にした経緯などからも、これは明らかな虚偽だろう。

 (さらに、EPZ(原子力防災対策を重点的に充実すべき区域)にあたる半径8ないし10km(当時)を超える範囲については「世界版SPEEDI(WSPEEDI)」の守備範囲であり、広域の屋内退避などの措置をとるうえで公表されるべきであったのだが、このWorldSPEEDIについてはほとんど指摘されていないことは問題である。)

 それらはさておき、あくまで予測システムであるSPEEDIや世界版SPEEDIだけではなく、各地点で、実際の放射線量をリアルタイムで測定し、データを公表したうえで、屋内退避や避難の指示をだすシステムが運用されていなければならない。その場合、近年の市町村合併で市町村の面積が巨大化していることからも市町村単位では足りず、すくなくとも数kmごとのメッシュを設定して測定して公表・活用すべきである。福島事故以後もそのような体制整備の予定はまったくないようだ。

 「敷地境界論」は、具体的にはここまでの含意があると考えるべきだろう。


放射線管理区域より緩い規制値


 放射線規制緩和のための次の詭弁は、年間1mSvは原子炉の平常運転時の規制値であり、事故の際にはこの規制は適用されないとする「適用除外論」である。もちろん、この「適用除外論」はあまりに拙劣でまったく問題にならない理屈である。事故といっても程度はまちまちであり、どの程度の事故ならば法規制が適用除外となり、規制値の1mSvが解除されるのか、「適用除外論」は何も語らない。たとえば、「国際原子力事象評価尺度(INES)」 の基準でいうとどの「レベル」から解除となるのかについて、何らの指摘もない。

 「適用除外論」なるものは、法文上そのような解釈の余地がないだけでない。たとえば、文部科学省が実際にそうしたように一般公衆の被曝許容量の20mSvへの引き上げを宣言したために、園児・児童・生徒の許容量が、放射線管理区域内での成人男子労働者の許容量(3か月ごとに1,3mSv=年間5.2mSv)の4倍近くになった。放射線管理区域の内側より外側の方が、規制値が緩いという解決不可能な内容的矛盾を引き起こしたのだ。事故時の一般公衆の被曝量規制値の解除による大量被曝の合法化は内容的にも不可能である。


ICRPのご都合主義的尺度


 国内法上、成立の余地がないとなると唯一残された手は、「国際的」基準を持ち出すことである。こうして、すべての原発推進勢力が持ち出すのが国際放射線防護委員会(ICRP)の諸文書である。ICRPは、放射線被曝に関する基本的考え方と具体的な被曝許容基準を示すことで、各国内での核開発の推進を容易ならしめ、あわせて多国間協調の前提づくりをおこなってきた。ICRPは、たんなるNPO団体であり、国際連合の構成組織というわけでもなく、国際法上の位置づけも持たない。ICRPの主張が日本の国内法に対していかなる優先権も持たないのは当然である。日本国政府がICRPに権威を認め、その主張の受け売りをするのであれば、反原発NPOのグリーンピースに対しても同様の権威を認め、その主張を無条件に受けれるべきである。

 このICRPが現在提示している被曝基準量は、たとえば「緊急時」の「緊急救助活動」の場合、1,000または500mSvという値である。わが国では従来100mSvに設定されていたが、これを福島原発での事故処理作業の過酷化が不可避となった3月14日、泥縄で250mSvに引き上げたのであるが、この引き上げの際、「国際的に容認された推奨値」だとしてICRPの文書が引き合いに出された(www.mext.go.jp/b_menu/shingi/housha/sonota/1304518.htm リンク切れ)。「国際的に容認された」という持って回った言い方は、つまりは国際法上何の根拠もない、したがって国内法上も拘束力を欠くことを意味する。

 ICRPの「計画被曝状況・緊急時被曝状況・残存被曝状況」という3段階論は、事故時には平常時(=「計画被曝状況」)の規制値の適用が解除されるとする「適用除外論」に他ならない。国内の「適用除外論」はその受け売りだったのだ。