軍事的協力義務が「新しい人権」

 自民党の「日本国憲法改正草案」における人権規定の問題点について検討する(「草案」を含む自民党『日本国憲法改正草案Q&A』は、1ページめを参照)。


「新しい人権」というふれこみ


 『Q and A』は、 「国民の権利義務について、どのような方針で規定したのですか?」と自問したうえで、「現行憲法が制定されてからの時代の変化に的確に対応する」ため、「新しい人権に関する規定を幾つか設けました」と自答する(14頁)。「新しい」条項は下のとおり4つあるが、じつはいずれも人権の規定とはなっていない。

 

自民党改憲草案 第3章 国民の権利及び義務

 第19条の2 何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し、又は利用してはならない

 第21条の2 国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う

 第25条の2 国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない

 第25条の3 国は、国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない。 

 

 人権を規定する条文とは、本来このようなものである。

 

日本国憲法

 第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する

 

 草案の条文が人権保障の規定でないことは、一目瞭然である。

 『Q and A』はいう(15頁)。

 

〔第19条の2を除き〕国を主語とした人権規定としています。これらの人権は、 まだ個人の法律上の権利として主張するには熟していないことから、まず国の側の責務 として規定することとしました。

 

 語るに落ちるとはまさにこれだ。「新しい権利」を規定するのが憲法改正の目的のひとつだと言っておきながら、実際には「新しい権利」はひとつもないという。呆れた話だが、とりあえず中身を検討しよう。


「説明の責務」という誤訳


 草案第21条の2の「説明の責務」はいわゆる「説明責任」のことだろう。これは、「アカウンタビリティー(accoutability)」の誤訳として流通するようになった用語である。たんに「説明」すればよいという程度の手軽で空疎な意味に矮小化されているが、本来「アカウンタビリティー」は包括的な責任(responsibility)を意味する(http:/ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/4491/1/26-01_n.pdf リンク切れ。本ウェブサイトにて後日検討予定)。草案を英訳する際「説明の責務」を“accoutability”とすると意味内容がおおきくずれて国際的な誤解を招くことになる。

 かりに情報公開を促進する条項だと受け取ったとしても、強行採決により成立させた「特定秘密保護法案」は、「説明の責務」を根本的に拒絶するものである。自民党の方針は整合性に欠ける。


「環境保全」協力の義務づけ


 第25条の2では、国が「環境保全」の責務を果たすにあたって、「国民と協力して」という条件がついている。草案第102条は、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と国民に対して、憲法尊重義務を負わせるものとなっていることとあわせて解釈すると、国民は「環境権」という「新しい権利」を憲法上保障されたのではなく、「環境保全」のために国がおこなう措置に協力する義務を負ったことになる。

 前ページでみたとおり、国民が制定する(establish)憲法(constitution)は、個人が出生によってすでにあらかじめ与えられた権利(自然権)としての基本的人権を保障(guarantee)するものであり、国家や憲法が主体(=主語)となって国民に義務を負わせることはその本質に反する。ところが『Q and A』によると、「憲法も法であり、遵守するのは余りに当然のことであって、憲法に規定を置く以上、一歩進めて憲法尊重義務を規定したものです。なお、その内容は、『憲法の規定に敬意を払い、その実現に努力する。』といったこと」(35頁)だという。

 草案は国民に「環境権」を保障するのではなく、国の政策遂行の条件として、国民に「協力」義務を課したうえで、「『憲法擁護義務』、すなわち、『憲法の規定が守られない事態に対して、積極的に対抗する義務』」(同)をもつ公務員が、「協力」を法的に強制することになる。

 

—20XX年、再び起きた原子力発電所の大事故により、大量の放射性物質が放出され環境が著しく汚染されたことをうけて、国が「環境保全」のための計画を立案し、国民に土壌剥離や側溝清掃、雑巾による拭き取りなどの「除染作業」への参加と資金拠出(臨時除染税)、さらに汚染物質の中間保存施設や最終処分場となる土地の提供ないし近隣への設置の承認などの「協力」を求める。

 ところが、一部の国民がそれらの措置を批判し、汚染物質の発生責任者たる電力事業者、および原子力政策推進者たる国や地方自治体の責任による対策実施を主張し、「協力」を拒絶する。これは「憲法の規定に敬意を払い、その実現に努力する」義務に違反するものだとして、「憲法の規定が守られない事態に対して、積極的に対抗する義務」を有する検察と警察が、原発関連特定秘密情報の漏洩を教唆煽動した罪で違反者を逮捕し、処分地となる土地の提供を拒む国民に対して強制収用措置をとる……。


これは杞憂とばかりも言えない。

 

「緊急事態」の際限なき拡大


 第25条の3が規定する「在外国民の保護」は現在もおこなっているはずのものなのに、あえて規定する意味を考えなければならない。

 草案は第9章として「緊急事態」に関する相当量の規定を新設する。そこでの「緊急事態」は、当然国内のものだと思うところであるが、この第25条の3をあわせ考えると、「国外において緊急事態」がおきても、内閣総理大臣は「緊急事態の宣言を発することができる」ことになる。そうして、草案第9条の2によって設置される「国防軍」が草案第99条第3項による「緊急事態の宣言」のもとで海外派兵されることとなり、その措置に関して発せられる物資提供や資金提供(税負担)、さらに土地提供、技術支援など「国その他公の機関の指示に従わなければならない」新たな義務を、国民に課することになりかねない。これもまた「新しい人権」などではなく、新たな軍事戦略と緊急事態政策への国民動員のための条項とみなければならない。


法律に違反しなくても憲法違反


 第19条の2にいう「個人情報」に関しては、個人情報保護法など法律によって具体的に規定すべきものであって、憲法制定権者の国民が国家の構成(constitution)を定める憲法典(constitutional law)に規定すべき次元の事項ではない。

 内容上も、国民から国家に対する指示ではない。義務づけの対象は「何人も」であり、国家機関が国民一人一人に指示命令し、場合によっては摘発、処罰する根拠になりかねない。とりわけ、法律の規定に照らして違法でなくても、「不当」だと見做されれば、憲法違反として「憲法擁護義務」にもとづく公務員による攻撃対象とされかねない。ほとんど冗談のような規定である。(http://satlaws.web.fc2.com


「天賦人権」の否定


 「まだ個人の法律上の権利として主張するには熟していない」と言っているのも怪しいもので、そもそも自民党は、「個人の人権」という考え方を否定する。象徴的なのが草案第13条であり、そこで日本国憲法第13条の「すべて国民は、個人として尊重される」の「個人」を「人」に変更することとしている。「個人」も「人」も同じことで、どうでもよい些末な用語の違いに見えるかも知れないが、「天賦人権論」一掃方針のもと、敢えて「個人」を抹消するのが草案の基本である(詳細は次ページ)。

 さらにいえば、草案第12条は、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と偉そうに国民に説諭しているのであるが、権利として「熟していない」というのであれば、それに「伴う」「国の側の責務」の方もじつは「熟していない」ことになってしまう。草案がしょせんは素人の作文の域をでないことを示しているといえる。