紫禁城 前朝

 紫禁城は明の第3代皇帝・永楽帝の命令で建造されました。木材は浙江・江西・湖南・湖北・四川から、漢白玉(大理石)は河北から、それぞれ数年がかりで運搬されました。地面には8000万枚の磚(せん 焼成レンガ)が敷き詰められ、室内の床には硬質で滑らかな金磚(たたくと金属音がしたのでこう呼ばれた)が用いられました。現在みやげもの街となっている瑠璃廠(るりしょう)は、黄金色の瑠璃瓦の生産地のひとつでした。

 天安門、瑞門(ずいもん)を過ぎ、左右に殿屋が垂直に突き出す巨大な午門(ごもん)から、紫禁城の本体がはじまります。ぶあつい城壁をくぐり、金水河にかかる5つの橋のかなたの太和門をすぎると、高さ8.1mの三層の漢白玉の基壇の上に、間口11間・60m、奥行5間・33.3m、高さ35mの紫禁城最大の建築で、その中心である太和殿(たいわでん)が聳えます。

 連続する基壇の上に中和殿(ちゅうわでん)、保和殿(ほうわでん)が一直線上に並び、周囲を多くの建物がとりかこんで、巨大な四合院形式をなしています。北の乾清門から基壇へと昇る階段の中央は皇帝専用で(前朝での儀式の際には、皇帝は後宮から南下してくるわけです。北上する観光客とは逆向きです)、長さ16m、重量200tの石材に9匹の見事な龍が彫刻されています。

 乾清門(けんせいもん)に至ると太和門から437mにおよぶ「公的」部分としての前朝がおわり、皇帝と皇后・側室・皇太子らの「私的」な居住部分である後宮がはじまります。

 楼慶西は「もし、西洋の古建築の芸術性が単体の建物に表現される雄大さと壮麗さであるとするなら、中国のそれは棟の集合によってできる広大さと壮観さであるといえるだろう」と言っています(以上、左の地図もふくめ、楼慶西『中国歴史建築案内』2008年、TOTO出版、pp. 51-66.)。

 現在、紫禁城は「故宮博物院」と呼ばれますが、春名徹は「故宮では多くの博物館とは異なって、第一に見るべきものは建物群そのものであって展示品ではない。」と言っています(『北京』2008年、岩波新書、p. 64.)。台北の「故宮博物院」とは、正反対なのです。