鬼怒川三坂堤防の特異性と崩壊原因

 

3 浸透による堤体崩壊

 

Oct., 1, 2020 (ver. 1.)

 

(i) 〔C区間〕越水による法尻洗掘の仮象と、堤体内からの吐出による開口

 

 前ページでは、これまで鬼怒川水害における氾濫地点3箇所のうち最大地点である左岸21k(茨城県守谷市における利根川への合流地点の上流21km、常総市三坂〔みさか〕)での氾濫原因が「越水による破堤」であるというのは、完全な誤解によるものであることを示しました。

 越水によるものであれば、まず法尻(川裏側=堤内地側の法面の底部が堤内地に接する線)から洗掘が始まり、そこから法面を遡上するように堤体の洗掘が進むはずなのに、実際には法尻の洗掘は起きておらず、法肩(法面の頂上部で天端に接する線)から法面の中段までが洗掘され、法肩から越水してきた河川水が滝のようにほぼ垂直に落下していたのです。にもかかわらず、視角的には手前の生垣の陰になって見えないはずの法尻が洗掘され、さらに川裏側法面全体が洗掘されて全部が喪失したところに、天端アスファルトから堤体基盤面まで越水してきた河川水が垂直に落下しているかのごとくに勘違いしてしまったのです。

 「越水により法尻が洗掘され、さらに法面全体の洗掘へと及んだ段階」ではないとすれば、それでは、VTR画像はいかなる状況を映しているのでしょうか。

 

 VTR画像は13:00直前で、F区間に始まった破堤がD区間下流端のL21k地点におよぶ寸前のものです。

 次の写真は、国交省職員がその約30分後の13:27に撮影したもので、C区間の下流端まで破堤し、さらに上流側へと進行している段階です。左の寄棟2階建住宅は「住宅2」です。VTRを撮影した住宅1は画面左外です。

 C区間の越水はすでに終わっているうえ、左下に百日紅と木戸が見えるあたりを見ると、ずいぶん鬼怒川の水位が下がったように見えるのですが、河道の水位は少し下がっただけです。堤防の川表側法面(だったところ)あたりの地盤の洗掘が激しく、極端に掘り下げられたようで、そこで河川水が波立ちながら急激に落ち込んで堤内地に流れ込んでいるためです。堤内にはいった氾濫水は即座に拡散し、水位が上がることはないので、氾濫水の激しい流入は河道の水位が下がる翌朝まで続くことになります。

 VTRに映っていた木戸・百日紅、さらに篠山(しのやま)水門方向を緑破線で示し、法面の崩壊具合や水面も描き込んでみます。黄線で示したのは、ビデオ映像では陰になっていて見えなかった法面の亀裂の背面です。橙は法肩にかろうじて残っている土と草です。水面(赤)は一見すると堤内地と連続して同一水面になっているように思えるのですが、誤認です。30分前のビデオ映像などと合わせて検討すれば、赤で示した水面は法面中段にできていることがわかるのです。

 13:00以前のVTRでは木戸の下の隙間も見えていました。住宅1の敷地より50cmほど高くなっていた敷居まで見えていたのですが、この写真では水面下になっているようです。法尻での浸水深はかなり増大したということですが、それでもまだ法面中段の水面とは水位差があるのです。

 この法面の崩壊具合は、言われているような「越水により法尻から洗掘が始まり、ついに法面全体の洗掘にいたった段階」とは異なる様相を呈しています。川裏側法肩に鋭角に切り込むような間隙ができていること、法面が崩壊してできた洗掘口の下部の縁が鋭く尖って残っていること(=描き込みの黄線の鳥嘴状の突出形)など、越流して来た河川水によって法面表面側から侵食されたにしては、きわめて不可解な状況です。法面を流れ下ってきた氾濫水によって真っ先に侵食されるはずの法尻が残り、法尻線から堤内地にかけてできているはずの穴もないのに、法肩から法面中段にかけて崩壊し、中段に水面ができることは、あり得ない状況です。決してあり得ない、と断言してよいでしょう。残された可能性はただひとつです。下から、つまり堤体下部(=内部)からの力が働いて堤体が破壊されたと見るべきです。

 「法面が崩壊してできた洗掘口の下部の縁が鋭く尖って残っていること(=描き込みの黄線の鳥嘴状の突出形)」の実例を示します。高水敷と砂州(だったところ)で2013-14年に実施された採砂によって段付きができたのですが、その崖面が9月10日以降、数箇所で崩壊しました。

 三坂における高水敷の段付きの形成については、三坂における河川管理史3で、そしてこの段付き崖面の崩壊状況については、鬼怒川水害まさかの三坂11で経時的に見ました。これはそのうちのひとつで、2015年9月12日にはまだなかったが、14日の写真(下の航空写真のあとの、国土地理院によるUAVでの撮影)で確認できる新たな開口、すなわち「開口2」です。(背景の航空写真は国土地理院による9月13日のもの〔CKT201510-C4-14〕で、「連続開口」と「開口1」「開口3」ができています〔ブルーシートは落下防止の目印か〕。「開口2」はこの直後、「開口4」は復旧堤防完成後です。)

 吐出した数百トン(あるいはそれ以上か)の砂は大量の水を含んでいます。これは単なる崖崩れではありません。開口形成の原因については後ほど検討することにし、今は、開口の下部の両端にあのC区間の堤体崩壊地形と同じく、鳥嘴状の突起形ができていることに注目します。これこそが地盤内からの土砂の噴出口の形です。

 

 

 以下は、2015年12月に撮影したものです。1枚目は河道側、高水敷掘削後の崖下面から見たところで、背景は仮設堤防の河道側に設置された、2列に打ち込んだ鋼矢板の間を砕石で充填した「二重締め切り」です。

 崖面の段差は4mほどですが、崩壊した崖面奥には流出した砂がたまっているのでそこでの標高差は3mです。水害直後に噴出した時点では、砂混じりの水というか水混じりの砂の状態でしたが、3か月経過して完全に乾燥し、白い砂になっています。かつての鬼怒川はこのような砂が広大な砂州を形成していたわけですが、河道沿いの見える限りは掘削して売り飛ばされてしまったのです。しかし、当然のことながら高水敷はもちろん堤内地の自然堤防地帯の地下には膨大な量が堆積しているのです。

 

 2枚目は崖上から河道の上流方向を見おろしたところです。河道は見えませんが、左遠方に右岸堤防の法面の緑、右手遠方に県道24号線の石下(いしげ)大橋の青い橋桁が見えます。

 13:27の写真は、天端上から2.5mないし3m程度下の堤内地を見下ろしたものですが、これは3mないし4m下を見下ろしたものです。崖上にアスファルト舗装がないので、C区間堤防のように「川裏側法肩に鋭角に切り込むような間隙」にはなりませんが、法面が崩壊してできた洗掘口の下部の縁が鋭く尖って残り、鳥嘴状の突出形を呈し、13:27の写真で「間隙」とした開口を抱え込むような垂直断面と、まったく同じ垂直断面ができています。

 3枚目は下流側の鳥嘴状の突出形です。

 

 

(ii) 〔C区間〕堤体基礎地盤の崩壊

 

 堤外地の高水敷の段付き部の崖面は、あたかも堤防の法面のような形状だったのですが、そこにできた「開口」は、崖上から崖面を流れ下る水流、これこそ堤防で言えば「越水」にあたりますが、によって洗掘されたものではなく、内部から噴出した水と砂の吐出口だったのです。

 この高水敷段付き部の「開口」の形成原因から、C区間法面の崩壊現象の原因を類推することができます。すなわち、越水を起こすほどに河川水位が上昇することで、河川水が堤体間近の高水敷の粘性土被覆層の下の透水性地層に及ぼす水圧が高まり、その浸透水の圧力が堤体基礎地盤を地下から突き破り、川裏側法肩から川裏側法面の崩壊現象を惹起したのです。

 以下において、この因果関係の媒介項となる事実、すなわち浸透水の圧力が(C区間の)堤体基礎地盤を地下から突き破ったことを示す事実を摘示します。

 

 グーグルが、2015年9月12日の9:01に撮影し、グーグルクライシスレスポンス(別ページ参照)に今も公開している航空写真画像です(DSC01502をトリミング)。グーグル は常総市全域の衛星写真も9月10日10:00ころに撮影したうえ、三坂(と若宮戸〔わかみやど〕)の同じ場所を前日の11日にも航空写真撮影していますが、堤内地の水位が少し下がったことで、前日には見えなかった重要な現象が記録されています。

 このあと見る防災科学研究所(茨城県つくば市)も、同じ9月12日にこの重要地点に調査にはいり地上写真を多数撮影しています。そこから3枚を見ます。

 なお、この日の写真としては、関東地方整備局がVTR画像から切り出した静止画像、近畿地方整備局から飛来したヘリコプター「きんき」から撮影した航空写真、さらに国土地理院(茨城県つくば市)によるUAVの動画もあり、検討材料には事欠きません。

 

 


 グーグルの写真に、決壊した堤防195mの6区間(破堤したのはB区間を除く165mを、天端の川裏側(川裏側法肩)の高さで表示。斜め写真なので地盤面や水面とはズレが生じます)と、防災科研の撮影位置・方向を描き加えました。

 3本の白抜矢印の起点がカメラ位置、先端がそれぞれの画面中心に見える被写体です。

 1枚目の画面中心は住宅2の私道、2枚目中心は住宅1の百日紅(さるすべり)、3枚目中心はB区間下流端、加藤桐材工場脇のケヤキです。


 黄線が、C区間の堤内側法尻線です。ただし破堤前の地盤面ではなく、2mほど削られたあとの地盤面における水平位置です。もう少し精密な位置は、のちほど確認します。

 以下、防災科研が9月12日午後に撮影した3枚です。3枚目の画面左端、決壊して堤内側法面だけの半身になったB区間堤防の破断した堤外側に急遽造成した舞台と、そこから橙クレーンで吊り下ろし作業中のテトラポッドだけが水害後の人為的改変箇所であり、ほかはすべて水害直後の状況です。

 深穴の水溜り脇の砂にいくつか足跡らしきものがありますが、違うでしょう。


 1枚目です。左端から白一点鎖線までの黄実線が川裏側法尻の線(上のグーグル写真中に図示したもの)です。すなわちその向こうがもとの堤内地です。白一点鎖線から右は、グーグルの写真のとおり堤内方向に45°ほど斜めに切れ込んでいます。

 堤内地盤が約1.5mの深さまで氾濫流によって侵食され、県道側から住宅1までの私道はコンクリートの天板だけが宙吊りになったり、あるいは割れて崩れ落ちています。おなじく県道側から住宅2までの市道は、全部流失しました。住宅2が建っていた元の地盤面も氾濫流によって流され、住宅2の上屋がダルマ落としのように落下しました。失われた層厚約1.5m(法尻地点で)の土砂は、おそらく加藤桐材工場や住宅1の宅地と標高をあわせるために客土した砂混じり砂利でしょう。その下の残った粘性土より固着性が低かったために流されたようです。

 住宅2の手前にあった車庫の上屋は駐車してあった乗用車とともに地面から引き剥がされ、住宅1と住宅2の私道を通って、県道の先まで流されたようです。残ったコンクリート床は、そのあと捲り返され、裏返しになって住宅2の腰高窓や外壁に衝突しています。左端の赤い根は数年前に伐採されたケヤキの切り株が、土を洗い流されて根が露出しているものです。3枚目に映っている大ケヤキの兄弟だったようですが、あまりにも巨大になり過ぎて伐採されたのでしょう。切り株のすぐ向こうに、木戸の上に枝を張り出していたあの百日紅があります。、氾濫流の只中にあって洗われたものの、住宅1同様、地盤面がほぼ保存されたために、その場に残ったのです。

 この垂直の崖面から手前が堤防敷だったのですが、法尻の地点でさきほどの1.5mに加えてさらに1.5m、あわせて深さ3mまで洗掘されました。このほぼ垂直の崖面はどうみても「越水により川裏側法面が法尻が洗掘された」現象、つまり越水して法面を斜めに流下する氾濫水によって、法尻から川裏側法面にかけて侵食された、という結果ではありません。上からの侵食ではこのようにスパッと切れたエッジになることはありません。上からではなく、下からの力が働き、持ち上げられるように崩れて流出したとみるべきです。(さきほどの高水敷段付きにできた「開口2」の垂直断面を想起してください。)

 下からの力の出所は画面左下の深穴になっているところでしょう。深穴には水が溜まっていて、そこに住宅1の2階外壁と白いベランダが映り込んでいます。ということは「澄んだ水」です。茶に濁った氾濫水が残っているのではないのです。そうなると基礎地盤から湧出・滲出した水だと考えるほかありません。この深穴地点で基礎地盤から浸透水が噴出したのです。

 堤防は法面になっていて手前(河道側)ほど土の層は厚くなり、天端の高さは、おおむね2.5m程度だったと推定しました(前ページ)。それをあわせると、堤内側法肩地点で、3m+2.5m+深穴の深さ、です。高さというべきか深さというべきか、たいへんな層厚の基礎地盤と堤体土が、天端を越える水位に達した洪水の水圧を受けた浸透水によって崩壊・噴出したのです。

 深穴の画面右に砂があり、ダムのようになって深穴の水を堰き止めています。この砂は、河道から流れ込んできて、ここに堆積したものではないでしょう。この深穴から噴出して堆積したものと推測します。吹き出した先が、氾濫水の茶に濁った水溜りの底であれば見えないのですが、三方を一段高い地盤に囲まれている狭間に堆積し、さらに湧出・滲出してきた水を堰き止めたのです。

 この砂のダムは、別の角度から撮った写真で、たいへんよくわかります。同じ9月12日に関東地方整備局が復旧工事やそのための現地調査の様子を撮影したVTRからスクリーンショットし、何枚かウェブサイトで公開していたものです(直後のみで現在は公開せず)。「カメラ位置」とは、さきほどの防災科研のカメラの位置です。

 砂のダムの堤高は意外に高く、水面から出ているだけでも1mくらいありそうです。

 下は、同じ日の防災科研の写真です(露出不足の失敗カットの露出・コントラストなどを補正)。左奥が下流側の破堤断面で、下流側半分の仮設堤防建設を分担する大成(たいせい)建設の重機が見えています。画面右、狭い高水敷に並んでいるテトラポッドは、このあとこの巨大な水域に投入して仮設堤防の基礎を作るために、上流側半分を分担する鹿島(かじま)建設が搬入したものです。人物の足元のアスファルト片らしきものは、天端から崩落したものでしょう。

 右上の関東地方整備局の写真中に描き込んだ緑矢印地点、深穴の上流側から撮ったものです。(対象物を探す目印になるのが白四角をつけた崖っぷちに引っ掛かっている草です。人物の向こうに見えるのがそれです。)

 左下が、向こうの大きな水溜りと違って透明な水の深穴です。深穴に面した堤体基盤が鋭角の断面を見せているのですが、さらに少し上向きに角度がついています(橙丸)。もとの堤体基礎地盤が下からの力で持ち上げられて盤割れして深穴部分は流失し、残った部分がこのように少し上向きになったのでしょう。その破断面に斜めに砂が堆積しています。色の違いでわかるのですが、粘性土(シルト混じりであまり質は良くなさそうですが)の破断面から崩れ落ちたのではなく、深穴から噴出して破断面に纏わりついたのです。

 砂のダムの向こうの水溜りにも、同じように地下地盤から湧出・滲出しているに違いありませんが、今のところは9月10日から11日朝までに流れ込んだ氾濫水に混じり、砂のダムの手前側のように分離することはないので識別できないだけです。

蛇足

 防災科研や関東地方整備局による現地調査の翌日、9月13日の「鬼怒川堤防調査委員会」による「現地調査」の写真です(関東地方整備局がウェブサイトで公開していたP1070946。なお、調査委員会報告書、5-1ページにトリミングしたものが載っています)。

 まさにこの場所です。左から3番目、深穴を眺めているのが清水義彦委員長代理です。首にはコンパクトデジカメをぶら下げているのですが、写真を撮る様子はないようです。のちのちこの深穴に言及することもありませんでした。

 その右の手ぶらの人物は、調査委員会の委員ではない山田正中央大学教授です。どうしてここにいるのか不思議ですが、「土木学会」のヘルメットと腕章をつけています。清水先生の左にいるのは、調査委員会委員の池田裕一(ひろかず)宇都宮大学教授です(池田教授が書いた呆れた新聞記事については、http://kanumanodamu.lolipop.jp/OtherDams/ikedaHirokazuRondan.html)。その向こうで写真撮影中なのが委員長の安田進東京電機大学教授のようです。

 テレビ局のカメラは先生方の一挙手一投足を撮影・録音しています。破堤の状況ではなく、「専門家による現地調査」を取材しに来ているのです。緊張感皆無の長閑な見物風景と無意味な取材風景です。下は9月14日00:47の「テレ朝news」です。

 

 

 「堤防の断面を測る」はウソです。スケール・図面・三脚・測量機器も持たない大学の先生がたがゾロゾロやってきて、どうやって「測る」というのでしょうか?

 しかし映像はウソはつきません。清水教授が関東地方整備局の職員になにやら差し示しているかのようですが、両者の腕の構えの違いから判るように、前日まで現場調査をしていた技術系職員が、はじめてここに来た素人教授に教授しているのです。

 


 もう一枚、関東地方整備局の写真(DSC05474)です。さきほどの関東地方整備局の写真中に描き込んだ、上流側の赤矢印地点から撮ったものです。草の引っ掛かっている盤面の裏側=上流側の破断面が見えるのですが、黄丸のところがさきほどの橙丸と同じように上を向いています。下からの力が働いたようです。

 その手前は、黄線のとおり、スッパリと鋭利な断面の崖面になっています。手前の水溜りは、さきほどの深穴と同じような深穴のようです。ただし、黄丸の下で向こうの水面と繋がっているせいか透明ではなく、茶濁水です。場所は、もとの堤防のC区間の上流端あたりの川表側法面の下です。

 

 話が広がりすぎましたので、さきほどの深穴、もとの川裏側法面の下、堤体基礎地盤を下から吹き抜いてできた深穴にもどります。

 この深穴の平面形を図示します(空色)。背景画像は、1枚目が2012年3月16日のグーグルの衛星写真、2枚目が2015年9月11日の国土交通省近畿地方整備局のヘリコプター「きんき」による航空写真です(「きんき」からの通常の一眼レフカメラによる俯瞰撮影写真のうち垂直に近い画角のものを選んで台形補正)。

 前ページで見た、この地点の川裏側法面が崩壊してできた間隙の平面形を白で示します。薄橙実線は堤内側の法面下部(法尻)を結んだ線です(基本的には河川区域境界線です。しかし、のちほど詳述しますが、微妙にズレています。大きくズレているG区間の幅広部分については、河川区域境界線を橙破線で示しました)。紅小丸が百日紅、灰小丸が防災科研の最初の3枚を撮ったカメラ位置です。

 法面が崩壊してできた間隙は、C区間下流端では法肩にできた断裂であり、中間点では法面の上部から1.5mあたりまでが崩壊し、そこに河川水が滝のように落ちていました。上流側のB区画に連続する部分は画像の枠外なので描画してありません。

 前ページでみたC区間からB区間にかけての法面崩壊による間隙(白)と、このページで見た堤体基盤下の深穴(空色)は、このようにC区間で上下に重なり合っています。この2つがまったく無関係であるとは到底考えられません。洪水の水圧によって浸透水が基礎地盤から堤体へと吐出して、この2つの崩壊現象をつくりだしたと考えられます。今は結果について疎明するだけにして、2つの現象はどのように関係するのか、それはいかなるメカニズムによるのか、そのメカニズムはいつどのようにして形成されたのかについて述べるのは、のちほどにします。

 

 

(iii) 〔E区間〕越水による川裏側法面の洗掘の仮象

 

 C区間に続いて、E区間の「越水による川裏側法面の洗掘」について検討します。

 12:04に左岸堤防をライトバンで通りかかった「状況把握員」が撮影した画像です。2名乗車していたようで、助手席の窓ガラスをおろして、コンパクトデジタルカメラで撮影したものです。ドアミラーで撮影者とカメラが自撮りになっています(「写真10」として、まさかの三坂4で詳述)。

 この大穴は、C区間のVTR映像とともに、「越水破堤論」を立証する明白な証拠とされているものです。プロセス図のSTEP2 の「川裏法尻洗掘段階」の写真に他ならない、ということになっていますが、それにしてはおかしな形状をしています。そもそも法尻は洗掘されていません法面中段に開いた大穴から焦茶の土砂が法尻へ流出しているのです。

 

 「越水」は起きていますが、画面の開口部の手前に草葉が5枚ほど水面から出ています。越水深はさほど深くないのです。

 このあと下館河川事務所内で、篠山水門から送信されるCCTVのモニター画像を目視していた下館河川事務所職員の話で、12:50ころに最初に破堤したとされるのは、ここではなく、下流側のF区間です。関東地方整備局は破堤幅は20mと言っていますが、腰だめの数値のようで、数枚撮ってあって公開されている静止画像を見る限りでは約14mです。

 この大穴は(すこしF区間にも掛かっていますが、おおむね)E区間の川裏側法面での現象です。つまり、大穴ができた地点(おおむねE区間)と、最初に破堤した区間(F区間の14m)とが、ズレているのです。これでは、越水による法尻洗掘から法面全体の洗掘にいたり、最終的に天端を含む堤体全体が洗掘される、すなわち破堤する、というシナリオは成立しないことになります。 

 

 しかも、画面をよく見ると、大穴の右上のF区間では、さらに多くの法面の草が見えているのです。越水深はごく浅いということです。こうして、法尻は洗掘されていないのに法面中段に大穴があいて堤体土の流出がおきているE区間ではなく、この時点ではごく浅い越水しか起きていないうえ、法尻と法面の洗掘も起きていないF区間が、この40数分後に最初にしかも唯一単独で破堤するという、まことに不可解な現象が起きたのです。

 (他の区間は、F区間の破堤による破断面の洗掘が波及して破堤するのであって、F区間とは別個に破堤したのではありません。)

 

 大穴の位置については、「鬼怒川堤防調査委員会」の杜撰な図示では判断を誤りますから、正確を期さなければなりません。まさかの三坂4における分析の結論だけを示します。背景画像の位置関係・角度を分析すると、撮影位置と大穴の位置は次のようになります(全体図と拡大図)。目印になるのは、樹木3の幹と「謎の物体」(たぶんコンポスト)、それと遠景の住宅と樹木です。

 

 大穴の曲線を描く辺縁に越水した河川水が滝のように流れ込んでいます。どうしてここの越水深がもっとも深いかというと、堤防がここを底にして縦断方向に凹状に沈下しているからです。単純な話です。上の拡大写真で天端のアスファルト舗装に幅広の二等辺三角形の泥だまりが見えますが、これは2013−14年の国交省直轄の高水敷掘削工事の際、ダンプカーが堤防天端を横断するヘアピンカーブ地点から流れてきた土砂が溜まったものです(水分を含んだ砂や砕石の屑が流れてきて溜まり、水分が蒸発して土砂が残るのです)。堤外側法肩に向けて片勾配の雨勾配がついているので、凹状の沈下とあわせてこういう形状になります。雨勾配は新造堤防では1.5%ですが、ここがどの程度だったかはわかりません。しかし、雨勾配の3分の1程度の縦断方向の傾斜があったことがわかります。ざっと0.5%というところでしょうか。腰だめの数値なので過度に拘らないようにしますが、2005年の測量データと似たような数値です(まさかの三坂3参照)。

 

 ついでに。後のページでも注目するのですが、ここの堤防はかなり幅広です。天端のアスファルト舗装幅は3mでしょうが、いろいろな写真を見ても堤内側法面は他区間にくらべてなだらかですし、堤外側にいたっては舗装していない水平面がけっこう広いのです。これはなだらかな法面の上部というより、まごうかたなき天端です。上の拡大写真で画面右(G区間)にアスファルト舗装から完全にはみ出してライトバンが駐車しています。まったく傾いていません。6mくらいありそうな天端、それどころか極度にひろい堤体幅、それなのに全体が異様に沈んでいるのです。幅広なことと、沈んでいること、この両方を合理的に説明できれば、三坂における破堤の機序は完全にあきらかになるでしょう。大福餅ではあるまいし、ダンプの重みで堤防が潰れたなどというのではダメです。「越水破堤論」は、堤高が低かったことが越水の原因であることは否定しないものの(大声で言うのは、線状降水帯のせいで大雨が降って水位があがったので越水した、という子供騙しのスリカエ論法)、沈んでいることそれ自体の説明はできず、否認するか無視するだけです。越水したのに破堤しなかった「B区間の謎」に苦しんで、あそこは堤内側に堤体が幅広だったから、と取って付けたうようなことを言う「専門家」たち(清水義彦委員長代理、田中規夫埼玉大学教授ら)がいますが、そんなことではこの幅広E区間の大穴や、ましてやF区間の破堤は到底説明がつきません。そもそも数多の「専門家」たちは、ここが幅広なことには気付いていないのです。

 

 しかし、どうしてあんなところにすっぱりと垂直に切り立った崖面(下図の焦茶の土)があるのでしょうか? 法尻にまわりこむような鳥嘴状になっていて、法面を流下してきた越水は角度からしてここには及ばないのです。この垂直の崖面はついさっき見たばかりの、高水敷の段付き部にできた「開口2」と酷似しています。「開口2」の寸法がやや大きめですが、形状はほとんど瓜二つです。法面下から先の風景の違いさえ隠蔽してしまえば、9月10日の越水地点の3か月後の写真だと言っても通りそうなほどです。

 

 さきほどのC地点と違って、このE地点の川裏法面にあいた大穴については、ほかに写真資料は存在しません(かなり早い時刻に三坂の堤防上を撮影して放送していたのを見た記憶があります。報道企業が撮影した映像はどこかにあるかもしれませんが、今後とも永久に出てこないでしょう)。そうなると、浸透による破堤という仮説はたいした根拠もないということにならざるをえません。しかし、この論法は、越水破堤論にとっても「諸刃の剣」であり、越水による破堤を立証する写真資料などどこにも存在しないのです。

 こうして見てくると、E区間とF区間を分けて考えることで、もっとも激しく越水していた区間(E)と、最初に、しかも唯一、破堤した区間(F)が一致しないという、越水破堤論にとっては致命的な事実があきらかになったわけです。

 さて、このE区間の法面の崩壊現象(一部F区間にかかっています)についてさぐる手立てはないわけではありません。C区間に関しては、川裏法面自体の崩壊現象とは別に、川裏側法面地下にできた深穴を見つけ出したことで、堤体地盤の地下はどうなっていたかを探り、その原因と考えられる事象に到達できたのですから、このE区間についても、同時にF区間についても、法面自体は跡形もないとはいえ、堤体基礎地盤ないしその地下の状況を知りうる資料は存在する可能性があります。

 これについては、堤体直下だけをあえて峻別するより、高水敷から堤防そして堤内地を連続的に見渡すのが妥当だと考えます。それが、次の「4 浸透による堤内地盤崩壊」の課題です。