若宮戸における河川管理史

 

 1965(昭和40)年の河川法改正により、従来茨城県知事が管理していた鬼怒川の茨城県内部分は、建設大臣が管理することとなり、翌1966(昭和41)年に建設大臣は鬼怒川の河川区域を告示しました。この告示においては、若宮戸(わかみやど)の河畔砂丘( river bank dune )の主要部分は河川区域から除外されたうえ、河川区域外はもちろんのこと、河川区域内をも含め、その全域において土木工事および建築工事の材料としての砂の採取を目的として、1960年代後半から70年代前半に大規模な掘削が実施されました。

 そのため、若宮戸の河畔砂丘の主要部分の形状は大きく変化し、もはや河畔砂丘だったところ、というほかない状況に変化しました。もし、このような掘削による河畔砂丘の破壊がおこなわれることがなく、従来の形状が維持されていたとするならば、2015(平成27)年9月の氾濫は起きなかったと考えられます。

 この項目「若宮戸における河川管理史」においては、河川区域境界線に留意しながら、若宮戸河畔砂丘の形状変化の経緯を概観します。最初に、1960年代以前の河畔砂丘の概要を確認したうえで、次ページで1960年代から70年代の掘削状況を、次々ページ以下で2014(平成26)年のソーラー発電業者による最後の砂丘掘削と、2015(平成27)年9月の氾濫から堤防建造までを、航空写真・衛星写真・地図で一覧します。

 

 

1 4列の畝(Ridge)

2 河畔砂丘南部の掘削と水害