八間堀川問題
4 - 27, Feb., 2016
(1)鬼怒川と八間堀川の関係 八間堀水門と八間堀川排水機場
鬼怒川東岸=小貝川西岸の後背湿地の中心線、すなわち最深部を一直線に南下してきた八間堀川(はちけんぼりがわ)は、「水海道(みつかいどう)ロードパーク」沿いのS字カーブを抜けたあと、最後に右(西)に急カーブして、一直線に鬼怒川への合流点の「八間堀水門」に向かいます。石洗橋の下流でわかれて小貝川へ流れ込むのがもとの八間堀川ですがそちらは幅もせまく流量もごくわずかです。より水位の低い鬼怒川に落とし込むために、市街地を横断して新たに掘削された「新八間堀川」が、実質的には本流です。河川管理上はこの「新八間堀川」の方を八間堀川の下流とし、名称も通しで「八間堀川」としています(以下、「新八間堀川」区間をみていくのですが、「新八間堀川」と「新」のない「八間堀川」を併用します)。
「八間堀水門」は、普段は巨大な鉄製ゲートを吊り上げておいて八間堀川から水位の低い鬼怒川へと自然流下させますが、増水時に鬼怒川の水位があがると八間堀川に逆流するので、それを防ぐためゲートを下げて流路を遮断します。そうすると今度は出口を塞がれた八間堀川の水位がどんどんあがって氾濫するおそれがあるので、八間堀水門のとなりに毎秒30㎥(=毎秒30トン)の排水能力をもつ巨大ポンプを設置し、八間堀樋管(ひかん 排水管)から鬼怒川に排水します。
今回の場合でいうと、上中流部で降り続いた大雨によって水位が上昇した9月10日2時(以下24時間表記)に水門ゲートを下げ(閉鎖)、同時に排水ポンプを作動し始めました。
写真は、「八間堀水門」と「八間堀川排水機場」を東側から見たところです。左が「八間堀水門」で、幅20mの巨大なゲートがあがっています。右が排水ポンプのある「八間堀排水機場」で取入口の13m2連ゲートが見えています。「八間堀排水機樋管」(ひかん 排水口〔堤防を暗渠でくぐるものを樋管といいます〕)はその向こう側です(2015年12月27日)。排水機場名にだけ「川」がつくようです。この八間堀水門と八間堀川排水機場については、8ページで詳述します。
(2)新八間堀川堤防からの越水によるものではない新八間堀川北岸水海道市街地の浸水
国道354号線(バイパス)を越えたあとの八間堀川右岸(西岸)側の氾濫水の挙動について、大づかみに捉えてみました。
あまり深読みをするのではなく、当時の衛星写真と航空写真、および水害後の現場の写真から明確なこと、ならびに次の3件の証言だけから推測したものです。
1 北岸の水海道橋本町とその北の水海道森下町の境にある茨城県立水海道第二高等学校での目撃。10日午後の新八間堀川の樋管(排水口)からの逆流では10cmないし20cm程度の浸水があったのち、17時30分頃に東側から水が来て、床上浸水に至った。(なお、この証言によると、八間堀川右岸を南下した氾濫水の八間堀川北岸水海道市街地への到達は、南岸市街地に比べて相当早かったようです。しかし、氾濫水の到達時刻については調査もきわめて不十分なため、とても検討にはいれるような状態ではありません。言及することはあっても断定するものではなく、氾濫の全体像の把握は後日のこととします。)
2 常総線線路の東側の市営八間堀団地住民の目撃。18時頃から水が出ていたが、21時から22時にかけて北からきて押し寄せてきた。
3 桜橋の下手北岸の住宅の住民や商店主らの目撃。水は北からきて堤防を乗り越えて30cmないし40cmの水深で新八間堀川に流れ込んだ。ドラム缶なども流れてきて、フェンスを河道側に倒した。
上は、冒頭のグーグル・クライシス・レスポンスの衛星写真(推定撮影日時9月11日午前10時)を拡大したところです。
上流から順に、石洗橋、八間堀川本川への分流点の水門、中央の細い橋が単線の常総線の鉄橋、桜橋、明橋(あきらばし)です。右上の広い空間が水没している水田で、大きな建物が市営八間堀住宅、画面左上隅にすこし見えているのが茨城県立水海道第二高等学校です。
さらに拡大したのが下です。関東鉄道常総線の鉄橋と新八間堀川右岸堤防の入り隅に堆積した浮遊物が写っています。氾濫水の進行方向を示すものです。驚くべきことに、鉄橋の上流側と桜橋の下流側で、氾濫水が新八間堀川の右岸堤防天端から河道に流入「越水」している様子が写っています。右上の何もないようにみえる水田部分では天端(てんば 堤防の上の面)まで氾濫水の水面が連続し、浮遊物が引っ掛かり気味になっています。左の桜橋下流の住宅地でもやはり水面が天端まで連続し、白い波濤をたてて河道に流下しています。
八間堀川の右岸(北側、画面上方)堤防から市街地に氾濫しているのではありません。若宮戸と三坂町から流下してきた氾濫水のうち、八間堀川右岸側の水がここで行き止まり、最後に2mほどの高さの八間堀川右岸堤防を堤内(ていない 住宅地のある側)から堤外(ていがい 河道の側)へと流入しているのです。氾濫水が川にもどっているのだから好都合だというわけではありません。最後の八間堀川がたとえ空っぽだったとしても、すでに最大で2mほど浸水してしまった右岸市街地をさかのぼって救うことはできません。
以上の通りですから、八間堀水門の開閉タイミング、そしてとりわけ八間堀排水機の作動タイミングの問題は、北岸市街地に関してはまったく無関係であること、すなわちその浸水の原因であることはいかなる意味においてもありえないことは、明らかです。
10日14時頃に、八間堀川排水機場の排水停止にもかかわらず、市街地から八間堀川への排水路の排水口(樋管)のゲートを下さなかったために、増水した八間堀川から市街地へ排水路からの逆流が起き、あわてて鎖を切ってゲートを下ろすまで、膝下程度の氾濫が起きました。これは夜(南岸では21時以降)になってからの深いところで2m以上に及ぶ浸水とは別の件です。これらを混同したり、それどころか、一面的にこれだけを強調して夜の大浸水を等閑に付すのが「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」が最後に迷い込む隘路です。
以下は水害後の状況をみてゆきます(2015年12月27日、2016年1月14日)。
5ページで見た八間堀川唯一の右急カーブを曲がりきった直後の国道294号線の橋(新相橋)です。
このすぐ下流の石洗橋から順に見て行くことにします。
左岸(南岸)から右岸(北岸)をみたところです。正面奥は筑波山。
河道側に倒れたフェンスが撤去されて、仮の支柱(先端が黄)でロープが貼られています。
上の右岸堤防を堤内側つまり北側から見たところです。
右岸の仮の支柱(先端が黄)とロープ、左岸のフェンスが見えます。
手前が浸水した水田です。右岸堤防の川裏側法面(のりめん)は洗掘されたように見えます。
最初の写真から左にパンしたところです。正面に排水路の樋管があり、奥に市営八間堀住宅が見えています。水田より高い地盤面にあるのですが、2m以上、3日間浸水しました。1階の住民の方は、2階の住民宅に避難したそうです(「垂直避難」)。
右岸のこの付近のフェンスも河道側に倒れたとのことです。
さらに左にパンしたところです。
常総線鉄橋のすぐ上流側の入り隅は、浮遊物が大量に溜まっていた場所で、ここからの河道への「越水」流入は起きておらず、緑色のフェンスも壊れていません。だから浮遊物が溜まったのです。
さらに下流へと進み、常総線の鉄橋とその西の桜橋を過ぎたところです。
右岸堤防の天端上から、北側堤内の、1.5mないし2mほど低い橋本町の住宅地を見たところです。ここに三坂町・若宮戸からの氾濫水が向こう側(北側)から押し寄せ、いったん右岸堤防で押しとどめられたあと、さらに水位が上昇し天端を越えて新八間堀川に瓦礫とともに流入しました。
堤防天端自体は幅3mほどで、そこに面する住宅や店舗は天端の高さまで土盛りをしたので床下浸水ですんだのです。その北側では1階天井近くまで浸水し、写真の家ではやっと改修工事が始まりました。
この場所を水害の直後に、オフロード・バイクで通って撮影した動画が YouTube に投稿されていましたので引用させていただきます(https://www.youtube.com/watch?v=IDl_eGjTDRE)。上の写真と同じ場所です。ここは通常でも自動車で通行するのがやっとの場所ですから、こういう場合にオフロード・バイクは最適です。
撮影日は2015年9月13日もしくは14日だと思われます(常総市役所の浸水が終わっていること、投稿日が9月14日であることから推定)。
上の写真は、見えているブドウ棚の下から撮ったものですが、これは対岸(左岸)からの撮影です。
遮る建物がないので、激しく氾濫水が押し寄せたことがわかります。ブドウ棚の陰になっているのが、上の写真の住宅です。
写真ではわかりにくいのですが、堤防天端と北側の住宅地には、車のルーフの高さ(1.4mから1.6m程度)以上の高低差があります。その天端を越えたのですから、鬼怒川左岸堤防と八間堀川右岸堤防の間を南下してきた氾濫水は2m程度の浸水深に達したことになります。
すこし下流側に進みます。
同じように堤内側から河道へ流入し、フェンスが河道側に倒れたた場所です。仮の鉄骨で橙のネットが張られています。
四角い建物は、橋本排水ポンプ場です。
上の写真で見えている右岸に渡った所です。向こうに見えるのは上流側の桜橋です。
対岸(左岸)のフェンスは破壊されていませんが、右岸のフェンスは北側から河道に流入した氾濫水により河道側に倒れました。
これもさきほどと同じオフロード・バイクでの撮影です。
住宅の陰になっているので、フェンスの損傷はさきほどの地点ほどではありませんが、それでもかなりの力が働いたことがわかります。
右岸堤防天端と同じ高さに土盛りして建築されたこれらの住宅では、かろうじて床下浸水ですみましたが、下水管からの逆流でトイレなどが損傷したそうです。
ほかの資料も示しておきます。
次は、常総市役所が防災科学研究所と提携して2015年10月から12月にかけて公開していた航空写真です。国土地理院の画像は、国土地理院の「地理院地図」( reference4 参照)で今も見られますが、防災科学研究所の画像と民間の航空測量専門会社「朝日航洋」の画像が見られたことと、位置合わせ制度が抜群でまったくずれがないものを瞬時に切り替えたり、並列2画面表示とか2層のずらし表示とかができる画期的なウェブサイトです。残念きわまりないことに「朝日航洋」の画像の公開は終了しました。
1枚めは、国土地理院による9月11日午前撮影のもので、こちらは飛行機からの垂直撮影画像を貼り合わせているので、貼り合わせ線で色調の違いが出るのが欠点です。撮影時刻はグーグル・クライシス・レスポンスの推定午前10時の少し前、午前9時台でしょう。当たり前ですが、常総線鉄橋上流側の右岸堤防と、桜橋下流側の右岸堤防から八間堀川に流下している様子が写っています。常総線と堤防の入り隅部分の浮遊物の形状がちょっと変化しています。
2枚目は、防災科学研究所の、9月11日午後。
3枚目は、国土地理院、9月13日午前。写っている限りでは南岸ではほぼ水が引いていますが、北岸は常総線以西もまだ浸水していますし、以東の水田と市営八間堀団地は一面水没したままです。
4枚目は、同じく、9月15日午前。
さらに、国土交通省がヘリコプターから撮影した写真を見てみます(IMG_1257.JPG 同省のウェブサイトで公開されていましたが、これも、残念ながら現在は公表されていません。撮影時刻は9月11日の午前9時32分です)。
これは一部をトリミングしたものです。例の入り隅の浮遊物の形状がさきほどの国土地理院のものとほぼ同じです。左上が八間堀川南岸にある常総市役所です。右上の八間堀水門の巨大な赤いゲートが上がっているのが見えます。鬼怒川の水位が下がり、新八間堀川の水位よりも低くなったので午前8時に水門を開放し、自然流下が始まったのです。八間堀水門の手前に八間堀川排水機場の白い巨大な建物が見えます。その樋管(ひかん 排水口)は、(トリミング以前に)画面から切れてしまっていますが、排水機場のポンプによりこの樋管から、9月10日午後11時30分から11日午前8時の水門開放まで毎秒30トンを鬼怒川に排水していたのです。当然、開放状態の排水門による自然流下の方が排水量は大きいのですが、鬼怒川の水位の方が高いうちはそれはできないわけです。
このように水海道市街地のうち、新八間堀川右岸の地域は、若宮戸と三坂町で鬼怒川左岸に入り、流下してきた氾濫水によって浸水したのです。新八間堀川が増水氾濫して市街地を水没させたのではありません。それどころか、市街地を覆い尽くした氾濫水は、1.5mないし2mほどの高さの新八間堀川右岸堤防を乗り越え、新八間堀川に流れ込んだのです。
「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」ではこのような現象はまったく説明がつきません。八間堀川左岸の破堤に震え上がって見せている「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」では、水海道市街地の新八間堀川右岸一帯を浸水させたという八間堀川の水が、いったいどこで流れ出し、どこからどこへと流れてきたのかを、まったく説明できないのです。
右岸についてはもう十分でしょう。
(3)新八間堀川左岸堤防からの越水によるものではない新八間堀川南岸水海道市街地の浸水
「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」の焦点といえる新八間堀川南岸の水海道市街地です。
前ページ末尾に示した水海道市街地手前の氾濫流の様子です。水海道市街地南部は10日午後9時ころから浸水が始まったようです。この写真はそれから12時間以上も経過しており、当然今これから市街地にはいろうとする時のものではありません。ピーク時の水勢よりある程度低下していると思われますが、水位は少し下がった程度であり、このあと市街地でも2日間ほど、写真右下にすこし見えている長助町は、より標高が低いためにさらに長く浸水が続くことになります。
右岸と同じように、被害をうけた状況を、写真でみてゆきます。
まず、常総市役所東側の市街地の浸水被害状況を見て、次に石洗橋の手前から順に下流へと辿っていきます(2015年12月27日)。
八間堀川(本川)と常総市役所の中間地点です(移転した労働基準監督署跡地)。
植木の痕跡はわかりにくいのですが、敷地の盛り土の上の高さ1.2mの門柱は完全に水没したようです。
生垣の浸水痕跡は1.6mほどです。その上の緑の部分は水害後の葉でしょう。
この写真ではわかりにくいのですが、背後のガラス窓の痕跡はさらに上にあります。浸水深は2mを超えています。
八間堀川に沿って下っていきます。
石洗橋の上流側左岸堤防の天端です。堤内側から氾濫水が乗り上げたようです。フェンスが河道側に曲げられています。
上の場所からすこし引いて、堤内側(=川裏側)の法面をみたところです。2本の赤白ポールの間に洗掘跡があります。もしフェンスが堤内側に曲がっていれば、八間堀川のこの場所からの越水によるものということでしょうが、フェンスの曲がり方が逆です。
画面左下から川裏側法面を乗り上げてきた氾濫水が、一部は天端に上がってフェンスを河道側に倒しつつ、一部が川裏側法面を横から侵食したと考えるのが妥当でしょう。
石洗橋を過ぎた左岸にある、八間堀川本川への分岐点の水門を上流側からみたところです。実質的には「新八間堀川」が本流で、ここから少しだけ「八間堀川」本川に水を分けるのです。
次が水門の外側、桜並木の続く「八間堀川」本川を左岸堤防天端上から見下ろしたところです。
水門のゲートが上がっていて河川水が吹き出し、右カーブ外側、左岸岸壁上のフェンスを破壊し、下流側に押し込んだようです。その時点では、八間堀川左岸を流下してきた氾濫水は、まだ到達していなかったと考えられます(冠水していれば河川水が噴き出してフェンスを破壊することはないでしょう)。その後で、左岸を氾濫水が流下し、「八間堀川」本川河道をまたぐフェンスの法面側に浮遊物を残していったものと思われます(これはまさか水害後の不法投棄ではないと思います)。
さきほどの YouTube のオフロード・バイクによる撮影です。
石洗橋と常総線鉄橋の間の左岸です。天端に浮遊物が少し残っています。この付近では、新八間堀川南岸を東進してきた氾濫水が、天端にわずかにかかったようです。河道への大規模な流入まではいたっていないようです。
石洗橋と常総線鉄橋の間は、北岸は水田ですが、南岸は住宅地になっています。上の3階建アパートより下流側の住宅です。
わかりにくいのですが、プロパンガス・ボンベの上辺が最大浸水深だったようです。
(翌月にこの家を対岸から撮影するのですが、その時には2階北面に窓が新設されています!)
上の黄壁の住宅を、対岸=北岸の水田の北辺から超望遠撮影(フルサイズ換算450mm)したものです(2016年1月14日)。俯角・仰角のつかない完全な水平撮影です。
さきほどの1階腰高窓がギリギリ見えています。右岸ではこの水田から河道に流入していますが、左岸では天端まで達してはいないようです。
常総線鉄橋を南側からみたところです。直前の急坂で堤防上に駆け上がるようになっています。
桜橋右岸の樋管(市街地から道路側溝などを経て八間堀川へ流下する排水口)を見たところです。堤防(擁壁)のかなり下の方に開口しています。これを閉めるのが遅れて、10日午後、市街地の両岸で深さ20cmないし30cmの氾濫(内水氾濫)が起きたのです。チェーンを切断してハンドルを回してゲートを下げていったんはおさまりました。
その後南岸では午後8時ないし9時ころに八間堀川左岸を流下してきた氾濫水によって、2m近く浸水したのです。
桜橋から左岸堤防の天端をさらに下ります。対岸=右岸堤防天端上の転落防止柵は河道側に倒壊し、橙のネットを仮にかけています。この後再建工事がおこなわれます。
左岸のフェンスは損傷していません。
明(あきら)橋を渡った対岸は古矢家具、その左は「御城(みじょう)公園」です。
左岸と右岸に樋菅があります。
9月10日夜、まさに氾濫水が東から襲ってきた瞬間を撮影したヴィデオ映像をのちほど見ますが、そこで見えているのがこの古矢家具です。
次は、Youtube で公開されている、9月10日午後10時前後の映像です(再生時間12分33秒)。八間堀川南岸(左岸)の水海道市街地に、東から氾濫水が迫ってきた時点の映像です。夜間ですが鮮明な画像で、見ていて気分の悪くなるような画面の揺れもありません。報道企業が画一的な映像ばかり撮っていたのとは大違いで(時事通信とテレ朝はすぐれた画像を撮っていますが)、貴重な映像です。深甚なる感謝を表明いたしたうえで、引用させていただきます(https://www.youtube.com/watch?v=dL7oa0bXC00)。
取材者は、諏訪町交差点から北の明(あきら)橋、西のセブンイレブンを行き来したのち、主に諏訪町交差点付近で撮影しています。
最初の方で、9時20分と言っていて、断続的に撮影しています。最終的には10時を回っているようです。
この時点ではまだ浸水していない諏訪町交差点ですが、このあと150mほど西の橋本町交差点あたりまで浸水します。そこから西は「高台の高校」(県立水海道第一高校)がある洪積台地になっています。
橙が洪積台地(標高17m程度)、黄が自然堤防(13m程度)、薄緑が後背湿地(11m程度)(濃緑はとくに標高の低いところ)です。自然堤防は、ごくわずかのたかまりです。市役所から八間堀川(本川)にかけては、東西を自然堤防に挟まれた後背低地になっています。この2m程度の違いがそのまま浸水深の違いになるのです。
(http://maps.gsi.go.jp/#16/36.024000/139.993780 フローティング・メニューから「表示できる情報>地図・空中写真>治水地形分類図」と順に選択し、最後に「更新版」をクリックします。この画面では、浸水範囲の青線も表示しています。浸水しなかったのが洪積台地だけだったのがよくわかります。)
1分10秒
明(あきら)橋から御城(みじょう)橋方向をみたところで、その向こうが赤いゲートの下りた八間堀水門です。
国土交通省の内水排水ポンプ車などが見えます。
5分10秒
諏訪町交差点と明橋の中間地点(上のmapionの地図で「諏訪町交差点北」と注記した地点)から、北側の明橋方向をみたところで、対岸の古矢家具の大きな看板が見えます。新八間堀川左岸堤防と明橋へ斜路になっていて、撮影地点から堤防への中間まで浸水しています。
「川からといわず下水からも水が流水し、ご覧のように四方八方から水が流れてきている状況になっています」と言ってはいますが、北側の新八間堀川左岸からの越水ではありません。
下の、翌朝すなわち9月11日午前10時ころのグーグル・クライシス・レスポンスの衛星写真で見ると、橋の両端で内水排水ポンプ車が水門開放後の新八間堀川に排水をおこなっています。斜路の浸水痕はよく見えませんが、この地点では左岸の堤防天端と、そして当然明橋は浸水しなかったことはわかります(上流側の桜橋下流側右岸、常総線鉄橋上流側右岸で堤内から河道への流入がおきていたのは、すでに見たとおりですが、この明橋の下流側、御城(みじょう)公園の右岸堤防からも河道に自然流入している波濤が見えます)。
5分25秒
ヴィデオにもどります。明橋・古矢家具方向からカメラが右にパンし、東を向いたのがこの場面です。東側の敷地のフェンスの下から水が道路へ、すなわち東から西へ氾濫水が押し寄せてきています。この時点ではくるぶしが埋まる程度のようです。
6分20秒
諏訪町交差点から国道354号線(旧道)を東へ自衛隊車両が向かおうとするのですが、浸水が深くて進めず、後退して来ます。市街地は西の洪積台地から東の低地へと、緩やかな傾斜になっていて、氾濫水は東から西へと押し寄せて来ています。
道路右(南側)に朝日生命、左(北側)に「お食事山乃井」その先に「明治安田生命」の看板がみえます。
(4)平町の破堤箇所からの氾濫水が新八間堀川南岸水海道市街地全部を浸水させることは不可能
左岸堤防を全部歩いてみても、「水海道市街地水害八間堀川唯一原因論」がいうような、八間堀川の氾濫による水海道市街地の水害を示す事実をみつけることはできないのです。一か所だけ石洗橋のすぐ上流で堤内地を流れてきた氾濫水がそこでだけ河道側に流れ込んだところと、石洗橋と常総線鉄橋との間で堤内地の氾濫水がぎりぎり天端に達したようなところがありますが、八間堀川から市街地への越水や逆に市街地側から河道への流入も起きていないようです。
しかし、ここで融通無碍なる「水海道市街地水害八間堀川唯一原因論」は、市街地を貫流する「新八間堀川の氾濫」だとは言っていない、と言うかもしれません。前々ページで見た大生(おおの)小学校近くの破堤地点(さらには川崎排水機場そばの破堤地点も含めて)から氾濫した八間堀川の水が水海道市街地をおそったのだ、というかもしれません。
そこで、それら破堤地点からの氾濫によって水海道市街地が浸水するということがありうるのかどうかを少し考えてみることにします。
この写真は、グーグル・クライシス・レスポンスによって、飛行機から撮影されたものです。市街地を南西から俯瞰したもので、ちょうど中心が常総線水海道駅です(https://storage.googleapis.com/crisis-response-japan/imagery/20150911/full/DSC02768.JPG)。トリミングはしてありません。黄矢印が大生小学校ちかくの破堤地点です。偶然でしょうが、よくもまあこんなうまい具合に破堤点を入れたものです。
9月11日午前11時15分の撮影ですが、この時間には八間堀水門の開放による新八間堀川から鬼怒川への排水、八間堀川本川から小貝川への排水、長助町における内水排水ポンプ車による小貝川への排水が始まっていて、きわめて緩慢にではありますが、水位低下が始まっています(前々ページを参照ください)。それでもこの写真に写っている八間堀川左岸の範囲だけでも数百万㎥、おそらく1000万㎥くらいの水はあるでしょう。画面では切れていますが東南の十花(じゅっか)町などのかなりの浸水深の水塊ともつながっているので、どこかで区切って議論するわけにもいきませんが、八間堀川唯一原因論の論理的整合性を見るためだと我慢して、かりに1000万㎥だけを仮定的に分離して検討してみることにします。
結論をいうと、これだけの水を、八間堀川が供給することなど到底不可能なのです。
つまり、計画流量毎秒70㎥(毎時25万2000㎥)の黄矢印の地点で、破堤によって八間堀川の河川水が全部流出したとしても、このように耕地と市街地を浸水させる1000万㎥の水を蓄積するのには、39時間40分ほどかかるのです(上図は現在の八間堀川の流量図。茨城県土木部河川課資料)。一般的には大規模な破堤事例において、破堤箇所からの氾濫量は流量の20%程度のようです。そうだとするとその5倍の198時間20分、1週間以上続けないとこうはならないのです(実際の流量はわかりませんから、計画流量で計算します。当時は八間堀川自体が水没しているので、本当はあまり意味のある数値ではなくなっているのですが、ごくごく大雑把な目安にはなるでしょう。何割とかあるいは何倍も違ったとしても、一桁も二桁も違うということはないでしょうから)。
しかも、水海道市街地南部の浸水は10日の午後8時か9時頃にははっきりした形で始まっていたのですが、肝心の八間堀川の破堤時刻ははっきりせず、どんなに早くても10日の夕方、おそければ深夜になってからだったようです。ということは、へたをすると大野小学校近くで破堤してすぐとか、あるいはその前に常総市役所をそこからの氾濫水が襲っていたということになるのです。
「水海道市街地水害八間堀川氾濫唯一原因論」は、二桁もずれた議論を平気でしているのですが、それどころか、場合によっては時間的前後関係が逆になり、原因のまえに結果を生ずるような話を大真面目にしているわけです。空間の観念とか時間の観念がここまで支離滅裂であっては、およそ客観的な認識などのぞむべくもありません。頭の中は幻想で充満していて、それが外部に溢水(いっすい)して、あちこちに氾濫してきているのです。
若宮戸と三坂町での氾濫継続時間は未発表ですが、若宮戸では最長で12時間を越すかもしれません。三坂町では12時間を下回るようです。それだけの時間で現時点での公式発表3400万㎥、土木学会速報会での推定で5000万㎥の水を左岸に氾濫させた鬼怒川の巨大さと、「溢水」(若宮戸の2か所)と破堤(三坂町)の深刻さがわかります。ところが、「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」の提唱者たちはそのような巨大な現象は大きすぎて目にはいらず、ありもしない八間堀川問題(あったとしても2桁も小さいのですが)を発明して大騒ぎをし、空間認識も時間感覚も狂った幻想に囚われたうえで、あらかじめ理由のない敵意をいだいて手当たり次第に国土交通省・茨城県河川課・常総市役所を罵っているのです。
「水海道市街地水害八間堀川氾濫唯一原因論」の提唱者たちは、結局のところ若宮戸と三坂町の「溢水」・破堤の実態や、治水問題をまともに考えることなど到底できない深刻な錯誤のただなかに落ち込んでいるのです。
以上で、最上流部の若宮戸東方、下妻(しもつま)市南端からはじめた検討は、当初予定の2倍のページを費やし、一応鬼怒川との合流地点まで到達しました。流路を順にたどり終わりましたので、最後に「水海道市街地水害八間堀川氾濫唯一原因論」の起源、出現の経緯をみたうえで、幾つかの変異形態について検討することにします。「水海道市街地水害八間堀川氾濫唯一原因論」の提唱者たちが、若宮戸や三坂町の溢水・破堤について、いかに誤った観念をいだいているかについても触れることにします。