「常総市役所による避難指示の遅れ」を非難する論調 1

 

19, Sep., 2015

 「想定外」の大雨による水位上昇が引き起こした「越水による破堤」であり天災というほかないとして、国土交通省の責任は不問に付したうえで甚大な浸水被害については自然災害としてとらえ、もっぱら避難のおくれによる死亡や孤立について常総市役所の避難指示の怠りを追及するというのが、災害発生から1週間後の報道傾向です。若宮戸の「越水」(のち「溢水」に訂正)については、インターネット上の個人や報道企業がソーラーパネル問題を中途半端に取り扱ったり、ひどい場合には三坂町の「決壊」と混同する議論もまれではない状態で、だんまりを決め込む国土交通省はほとんど言及されずに放置されています。

 三坂町で「越水」にとどまらず、堤防が「決壊」したことが(若宮戸については三坂町ほどではないものの「決壊」にいたっているように思われるが、不明)、被害を甚大なものにしたのですが、「越水即決壊」という刷り込み戦術が功を奏して、大雨=>越水=>決壊=>浸水という短絡的因果認識が定着しそうになっています。人災を天災にすり替えるのは、福島第一原子力発電所事故と同様なのですが、そのうえで今回の件での重要な論点は、(コトバの区別くらいはつくのでしょうが)「越水」と「決壊」のそれぞれがもたらす被害の圧倒的な差異の認識がさまたげられていることにあるのです。この点については追い追い検討することにして(永久に先送りするわけではありません)、今日は周辺的事情(といっても重大な問題ですが)である避難指示の問題について検討を始めたいと思います(「始める」のであって、全部いっぺんに論ずることはできません。この問題に限らず複雑な事実関係や論理的につきつめなければならない事柄を「ツイッター」で論ずるのは無理でしょう。ほんとうは「ブログ」だって不向きなのですが、やむを得ません)

 

 単純にいえば浸水災害が起きる前の問題と、浸水災害が起きた後の問題とを区別しなければなりません。浸水被害が起きる前の問題とは浸水災害の原因の問題です。つまり過去にとられた(またはとられなかった)災害回避策の問題で、今後とるべき再発防止策を考えるうえでの不可欠の最重要課題です。これと浸水災害の回避に失敗した後の、住民の避難の問題は別の事柄なのですから混同してはなりません。すりかえたり、いっぽうだけを論じたりするのはもってのほかです。決壊=浸水の前に出すべきものだから避難指示の問題は災害が起きる前の問題だということにはなりません。国や地方自治体が、堤防決壊などによる浸水被害を回避するために長い年月をかけておこなってきたこと(おこなわなかったこと)と、浸水被害がさしせまり不可避となった時点で発せられる避難指示とは別個の事柄ですから、それぞれについて事実をあきらかにし、その当否を判断しなければなりません。片方だけを問題にして他方を無視したり、あるいは区別もしないで混同して論じてはなりません。(混同してはならないというのであり、決して関係がないと主張しているのではありません。別個の事項だから、その両者に「関係」relation が生ずるのです。)

 なお、当然ながら、今の時点で常総市役所に責任があるとかないとか、予断をもって臨んでいるわけではありません。常総市役所の責任問題だけをあげつらって(あとはせいぜいソーラーパネル設置企業?)、事柄そのものからひとびとの注意をそらそうとしているイデオローグたちの妄言をあきらかにすることが当面の目標です。

 

 国土地理院の推計によると、2015年9月10日発生の鬼怒川水害による浸水面積は、発生からおおむね1週間後を経過した時点で、だいたい40㎢(=4000ha)とされています(下右の地図とその説明を参照ください。クリックで拡大します。 http://www.gsi.go.jp/common/000107669.pdf )巨大な水塊が、標高差のためにゆっくりと北から南へ移動しました。南部が冠水するころには北部の水が引きはじめたのであり、40㎢が同時に浸水していたわけではありません)。この40㎢には、ごく一部に北側の下妻(しもつま)市、南側のつくばみらい市の市域が含まれるようですが、ほとんどは茨城県常総市の領域です(これ以外の水害を受けた地域については後日検討することとし、当面は発表されている「常総地区の」浸水地域についてだけみていくこととします。)

 常総市の面積は123.64㎢(http://www.city.joso.lg.jp/gyosei/shokai/profile/1421126938306.html)ですから、市域の3割以上が浸水したことになります(市域と境界線については、さらに下のGoogleMapをみてください。縮尺はことなります。)

大都市圏の「市」とことなり、茨城県の「市」は、もともとその傾向があったところ、「平成の大合併」により一層肥大化し、この常総市のように人口(約6万2000人)の割には面積が大きいという傾向があります(ただし、山岳部を含む「市」ほどではありません。岐阜県高山市は「市」としては日本一の面積で、じつに 2,177㎢に及びます。東京都や大阪府より広いのです!)。なお、「常総 じょうそう」というと、高校野球で有名な常総学院高等学校を思い出しますが、同校は、2006(平成18)年の水海道(みつかいどう)市と結城郡石下(いしげ)町の合併による「常総市」成立以前からあり、しかも常総市の東隣のつくば市(国の研究機関が集中的に立地しています。国土地理院もここにあります)のさらに東の茨城県土浦市にある私立学校であり、語源?上はともかく常総市とは直接の関連はありません。

 

 


 

 

 過去の水害の統計をみると、もちろんもっと広大な面積が水没した例もあるのですが、ここ最近は住宅地や中心市街地を含む領域がこれだけの規模で浸水したものはないように思います。1982年の長崎水害同様、長く記憶される水害となるかもしれません。浸水時間の長さも異例です。上の国土地理院の地図からもわかることですが、5日間を経過しても冠水しているところが広範囲にあるのです。自然排水にまかせているわけではなく、消防ポンプ車のほか国土交通省のポンプ車などが排水作業をしているのですが、膨大な水量のために排水はなかなか進まないようです。河川敷や湿地帯などであれば別ですが市街地がこれほど長時間にわたって浸水した例はあまりないように思います。

 常総市役所の庁舎は、合併前の水海道(みつかいどう)市域すなわち市の南部(上のグーグルの地図を参照ください)にあるのですが、三坂町での「決壊」(午後12時50分)のあった10日の夜になって浸水しはじめ、12日まで1階部分がかなり深く水没しました。当然停電し、電話も不通となったこともあって、水が引いた12日まで行政機能はおおきく滞ったようです。11日昼には、市の車両が市内を走行してスピーカーで臨時の連絡先として携帯電話番号を告知していました。

 翌13日、水がひいた常総市役所に、放送・新聞など報道企業各社の記者とカメラマンがあつまり「避難指示の遅れ」問題での追及をおこなったようです。市長や安全・安心課長らの発言がテレビでも放映されました。そのうち、13日午後、インターネットにアップされた朝日新聞の記事はつぎのとおりです。(9月17日に閲覧しセーブしたもので、左側の広告はカットしました。)

 

 

 

 

 記事から判断すると、「決壊した上三坂地区では、決壊前に避難指示を出していなかった」ことはそれまでは明らかではなかった(記者は知らなかった)のであり、この時点で市長があきらかにしたようです。「どこが決壊するかは予測できなかった」という市長のことばに、じつは本質的な問題がひそんでいるのです。また、後段の南隣の地区に避難指示を出したのは「この地区の住民」からの情報にもとづくものだったという注目すべき事実とあわせ、そこからさらに事実関係を追求すべきであるのに、むしろ責任追及のうえでの「陳謝」の方向に進み、しかもそこで終わってしまっています(現場の記者は、取材はして記事は書いたのかもしれませんが、新聞社としてはここでとどまっています。この避難指示発令の経緯は重大な事項であり、当 website としてはゆくゆくはこの問題を解明したいと考えています)。

 しかし、この記事には重大なメリットがあります。「どこかが決壊するかもしれないとは思ったが、どこが決壊するかは予測できなかった」という常総市長の言葉を引き出し、それを記事にしたことは、重要なことです。

 「まさか決壊するとは思わなかった」などと言ったのであれば、到底許しがたいといって非難されて当然ですが、これはそういう趣旨の発言ではありません。無責任な言い訳とみなして、いきなり責任追及するのではなく(必要なら今後すればよいのです)、ここではまず、事実に関する言明としてこの命題を分析してみます。

 常総市長(常総市役所)は、ハザードマップに描かれていた内容(後述)は当然知っていたし(ほぼ確実)、そして(これは後日みることにしますが)常総市内を流れる鬼怒川の堤防の大部分が嵩上げや拡幅などの補修が必要とされるものであり、国土交通省による工事が今後相当の長期間にわたって実施されることになっていたことも、当然知っていたはずです(確実性高い)。したがって、前段の「どこかが決壊するかもしれないとは思った」という判断は妥当であるというほかないのです。

 後段の「どこが決壊するかは予測できなかった」についても、それを事実に関する言明としてみる限り、常総市長(常総市役所)にとってはまさに事実そのとおりだったのであり(ほぼ確実。前述の南隣の地区に避難指示を出したのは「この地区の住民」からの情報にもとづくものだったという事実を想起してください)、記者に問われてそのとおりの事実を述べたのです。責任逃れのために虚偽をいっているわけではないでしょう。

 

 問題点は明らかになったと思います。「避難指示の遅れ」問題について検討すべきは次の事項です。

 

1 「どこが決壊するかは予測できない」けれども「どこかが決壊するかもしれないとは思った」段階で、市町村当局はどうすべきであるのか(=あったのか)、これを明確にすること。

2 「どこが決壊するかは予測できない」状態であったことは妥当であったのかどうか、これを明確にすること。常総市長(常総市役所)に予測する義務があったのか否か、あったとすればなぜその義務を果たさなかったか(果たすことができなかったか)、これを明確にすること。

3 「どこが決壊するかは予測できない」状態であった常総市長(常総市役所)に対して、常総市長(常総市役所)以外に、「どこが決壊するか」を「予測」して、その「予測」を通知する義務をもつ機関は存在するのか否か、存在するとすればなぜその義務を果たさなかったか(果たすことができなかったか)、これを明確にすること。

 

 これは避難指示を出す上での判断根拠に関することに限定したうえでのものです。これについては、近々、別に検討することにします。

 

 

 「避難指示の遅れ」に関する報道には、さらに避難指示の伝え方や指示内容などに関する非難も多くあります。報道企業各社は、時期が遅れたうえに、拡声器の音が聞き取りにくくて何を言っているかわらなかかったとか、避難先・避難方向についての指示が不適切だったなど、全部が常総市役所の責任だとしているのですが、この点については、次のページで検討することにします。