鬼怒川水害の真相 三坂町 4

16, Dec., 2015

共働原因(複合的原因)としての「越水」と「浸透」

 

 9月28日、10月5日に続く第3回の「鬼怒川堤防調査委員会」の会合が、10月19日、さいたま市の国土交通省関東地方整備局のオフィスで開催されました。前回からわずか2週間、異例のハイペースです。

 第2回の「資料」は、「専門家」の先生方からついた厳しい注文をうけて第1回の「資料」に対して重要な変更が施され大幅に改定増補されたものでしたが、第3回の「資料」は、前回確定した「堤防決壊のプロセス」のまとめをおこなったうえ、決壊部分の本改修について「事務局」たる関東地方整備局河川部の方針が提案されただけで、ページ数もたいへん少なくなっています。前回の内容を概ね踏襲したということです(すべての資料は、reference2 に列挙してあります)。

 次は、この第3回資料の3ページ「(2)堤防決壊のプロセス」です。

 

 

 

 

 黄色背景見出しで「決壊原因の特定」と「堤防決壊のプロセス」の2つの項目があります。

 「決壊原因の特定」と大見得を切っておいて、「考えられる」とか「可能性は否定できない」などと歯切れがよろしくありません。全体が推測内容なのですから、いちいちセンテンスごとにこうした回りくどい言い方をする必要はないのです。とりわけ、「決壊原因の特定」の3点目が重要な部分ですので、このような曖昧表現を改めて、意味内容それ自体を取り出してみます。

 

 

 まず、ひとつめの項目「決壊原因の特定」について。

 ⑴ 「パイピング」については、「決壊の主要因ではないものの、決壊を助長する可能性は否定できない」としています。①「可能性は否定できない」とまわりくどく言っていますが、「可能性があった」というのと意味内容は同じです。②「助長する」と現在時制もしくは不定形となっていますが、「助長した」と過去形とすべきところです。したがって、端的に言えば、「決壊を助長した可能性がある」というのが意味内容です。そのうえで、③「助長した」というのは、このような命題においては不適切な用語であり、端的には「主たる要因」に対して「従たる要因」あるいは「副次的要因」という意味内容です。以上①②③の不正確な表現や曖昧を表現をただすと調査委員会資料の結論は越水が主たる原因であり、浸透(パイピング)が従たる原因であった、となります。

 ⑵ 主たる原因という場合、従たる原因がなくても、主たる原因単独で現象を引き起こす原因となりえた場合と、主従双方が必要であった場合があるでしょうが、従たる原因がなくても主たる原因単独で結果を引き起こしたという場合は、唯一の原因なのであってあえて「主たる」原因という必要はないのです。ここでは、後者である(主たる原因と従たる原因の双方が必要であった)とみておきます。というのも、このあと詳細に検討しますが、三坂町の堤防は越水だけで決壊を引き起こしたと断定することができないのです。越水だけで決壊したのではなく他の原因(浸透)と複合して決壊を引き起こした可能性が濃厚なのです。

 以上⑴⑵のとおり、越水と浸透(パイピング)とは、複合的原因(共働原因)であった、ということです。

 

 

薄い粘土層では浸透をふせげないことの指摘

 

 つぎに、ふたつめの項目「堤防決壊のプロセス」について。

 ⑴ 「STEP 0」なるおかしな記述があり、しかも全体を括弧でくくっています。芳村准教授の噴砂跡発見により、「越水」一本でいく目論見は崩れてしまったのですから諦めればよいものを、未練がましく越水を強調しておいて浸透はなるべく軽く扱いたくてこういうことをするのでしょう。「STEP 1」から「STEP 5」とすべきところです。そして、さきに指摘したとおり、「考えられる」や「可能性は否定できない」はやめるべきです。

 ⑵ もうひとつよくないのは、「STEP 0」で、「粘性土の層厚が変化しており」というおかしな表現をしていることです。土木建築業界の隠語(ジャーゴン)なのでしょうか。約200mにわたる「決壊区間」の上流側と下流側には、残った堤防が断面を見せているのですが、いかんせん決壊した部分は全部が流失してしまっているので、粘性土と砂質土などがどのように層を成していたかが、わからないのです。そこでこうだろうという想定を図示しているのですが、上流側断面と下流側断面の様相は異なっているうえ、200mもある決壊部分が全部一様であるはずもなく、場所によって異なっているはずです。それを「変化」していると、わざとわかりにくく言っているのです。

 ようするに、水が浸透しにくい粘土の層が、場所によってはかなり薄いところがあり、そこでは水位があがった河川水が堤防に浸透するということです。

 

 ここまでは、当初の「越水破堤論」を脱却したという点で前進したと言えるのですが、ここからさきが、よろしくありません。 

 

 

過度の単純化による抽象化

 

 「STEP 0」から「STEP 4」を見ていきます。

 条件(とりわけ堤防や地盤の土質構成)を仮定したうえでモデルを設定して何が起きたかを推測しているのですから、ある程度の単純化はやむをえないのですが、それにしても過度の単純化がおこなわれているのです。すなわち、この決壊した堤防の延長は約200mもあるのですが、それを押し並べてひとつのパターンに入れてしまおうとしているところに、この推測の根本的な誤りがあるのです。

 そもそも、「決壊幅200m」といっても、どこからどこまでをいうのか、注意が必要です。そして、この「200m」は、一様ではなく、かなり複雑な構造になっています。

 

 緩やかといえば緩やかではありますが、この地点の堤防は、かなり湾曲しています。現在「鬼怒川」および「小貝川」とよばれる二筋の河道にとじこめられている水の流れは、かつては、鬼怒川右岸(西岸)側の洪積台地(常総市西部他)と、小貝川左岸(東岸)側の洪積台地(つくば市他)に挟まれた、わめて平坦な沖積平野を、幾筋もの川筋を形成し、洪水のたびごとに変化しつつ、分流しては合流し、大きくあるいは小さく蛇行して流れ、ついには銚子の河口へといたったのですが(利根川はかつては江戸川を下流として東京湾=江戸湾にそそいでいましたから、鬼怒川・小貝川は、利根川とは、したがって渡良瀬川や思川などともまったく無関係でした)、江戸時代以降現代まで続く人為的河道改変が積み重ねられて、(利根川を鬼怒川・小貝川の下流へと流し込んだうえで)現在の鬼怒川と小貝川の川筋がつくられてきたのです。今となっては記録も乏しく全貌がよくわからなくなっているのですが、その過程であらたに堤防がつくられ、あるいは廃止され、嵩上げされ、拡幅され、水門・樋門がつくられ、現在にいたっているのです。(次は、国土地理院の治水地形分類図「石下」です〔http://saigai.gsi.go.jp/1/H27_0910ame/pdf/005.pdf〕。元ファイルをダウンロードして、右の凡例に示されている旧河道〔東岸の黄色の自然堤防 Natural levee の中に青で示されています。全部ではなく推定できるものだけですが〕をご覧ください。なおふたつの赤バツは、若宮戸と三坂町です。芳村准教授の報告や、国土交通省関東地方整備局の資料でもこの図が引用されていました。)

 

 

 

 写真は、決壊の翌日9月11日の9時22分に、国土交通省がヘリコプター「きんき」から撮影した画像です。

 この三坂町近辺は全体としては、直線的に堤防が続いているように見えますが、拡大すると中小の出入りのある複雑な形をしています。とりわけ決壊地点は、なぜか川裏側へと凹形(河道からみれば凸形)になっています。しかも、そこに、おそらく砂の採掘のためのかなり大きな斜路が川裏から川表へとU字に取り付いています。また、後ほど示す越水時の写真などからもわかるように、一部で天端のすぐ脇に段がついています。さらに、上の写真でもよくわかりますが、左岸の決壊部分の上流側堤外にはかなり大規模な樹林が形成されていて、この凹状になっている地点の直前で突然終わっています。対岸は篠山水門などがあって複雑な形状を呈しています。これらはすべて洪水時の水流を妨げ、乱流を作り出す要因になっています。

 また、誰も何も言わないのですが、この地点の高水敷(?)は2段になっているという、じつに不思議な構造なのです(上の写真で、まだ水位が高いのに決壊地点を含むかなりの部分で、堤外にかなり幅広の土地が水から出ているのが見えています。最後に検討します〔別ベージ参照〕)

 

第2回調査委員会資料、8ページ

 

 

決壊した堤防200mの5区間

 

 それらの要素を、国土交通省関東地方整備局の鬼怒川堤防調査委員会資料は、全部、無視しているのです。これはいったんはすべて考慮したうえで、理論化するための最低限の一般化・抽象化を施したというようなものではなく、最初からまったく視野にはいっていないのです。

 これからおいおい見ていきますが、越水開始後ですら、国土交通省職員もしくは委託先の企業の従業員がそこに常駐していたのではなく、時々自動車(内水排水ポンプ車やパトロール用の「ライトバン」)で通りかかったり、あるいは異変に気づいて堤防上にあがって来て状況を観察したに過ぎず、しかもその情報がどうやら1か月以上も塩漬けになるなど、他の決壊事例とくらべると歴然たる差異があるのです(若宮戸は違います。氾濫するのがわかっていましたから、大勢で拱手傍観していたのです)。そうは言っても、相当数の写真が残っています。一部しか公開されていないとはいえ、越水開始時点以降はある程度の静止画や動画があり、決壊後については、当日のものは若干の、翌日以降のものは国土交通省によるもの、国土地理院によるもののほか、民間企業(あまり役に立たないテレビ新聞のもの以外に、いくつかの空撮専門会社のもの。グーグルクライシスレスポンスの鮮明な画像はフリー)によるものなど多数の動画・静止画が撮影されているのです。それらを素人が見ただけでも、「200m」の中に一見してあきらかな状況の差異があるのです。

 それを仮説として5つの区間すなわち5つの類型に区分したうえで時間的経過に従ってみていくのは、次ページ以降とします。ここで論点先取的にはなりますが、とりあえず「200m」を5つの区間に分けただけのものを示します。決壊した堤防を、その上流側をA、下流側をGとしたうえで、上流から順に、B、C、D、E、Fの5つに区分したものです(ほんとうは向きを逆にしたいのですが、国土交通省関東地方整備局の資料の図面が全部この向きであるので、アルファベットがセム語のように右から左に並ぶという不体裁なものになっていますが、混乱を避けるためこうしました。背景にはグーグルアースの衛星写真画像を利用しました。撮影日は2014年3月22日で、B区間の左下に見える欅〔ケヤキ〕は、新芽が出る前で落葉していますこのうち、Eの部分が12時50分に最初に決壊したとされる部分です(なお、当初から疑わしかったのですが、3か月を経過したころになって、実際の決壊時刻はもっと早かったのだという目撃証言が、とうとう新聞にも出るようになりました)。そして、13時30分過ぎにはCからFの中途までの約80mに拡大し、一夜明けてみたら鬼怒川の水位も下がり氾濫も終わっていて(若宮戸同様、何時まで氾濫が続いたのか、国土交通省関東地方整備局は一切発表していないのです。このような基本的なことを隠すのですから、きわめて悪質です)、決壊幅は200mに及んでいたとされています。

 

 

 資料の「STEP 0」から「STEP 4」までの5段階のうち、「STEP 0」を除く4段階にはそれぞれ写真があるのですが(下に再掲しました)、同じ箇所の経時的変化を表しているように見せていて、じつはすべて別の区間の写真なのです。すなわち、「STEP 1」はB区間を上流側から「STEP 2」は最初に決壊したE区間の川裏側法面を上流側から斜めに、「STEP 3」はC区間を直下の住宅の2階窓から、そして「STEP 4」は翌日、下流側のGの端から上流側の決壊部分を見たものです。

  

 

 このように別の地点から別方向を、まったくことなった画角で撮影したものなのです。不出来な比喩で恐縮ですが、人間の成長を幼稚園児、小学生、中学生、高校生の4つの時期の写真で示そうというときに、同じ一人の写真ではなく、まったく別人の写真を並べるようなものです(最後は集合写真)。他の場合のように国土交通省関東地方整備局のハードディスクの中にたくさん溜め込んで隠してあるものを小出しにしている、というのとは異なるようです。実際この程度しか手持ちがないようなのです。似たようなカットはもうすこしあるでしょうが、さまざまの角度から長時間にわたって撮影を続けたということはなく、必死になって掻き集めてもこの程度なのだろうと思われます。「STEP 3」にいたっては、住民が撮影したビデオ映像から切り出したもので、しかも第2回委員会のときに初めて、つまり水害発生から1か月にもなろうというころになって、やっと出てきたものなのです

 (報道企業が〔災害発生が迫っている際に義務付けられている通報を怠って〕撮影した映像はかなりあるはずですが、どういうわけかほとんで出てきていません。水害直後に「ミヤネ屋」が放送していたような記憶があるのですが。福島第一原子力発電所の爆発の映像と同じで、あと100年くらい経たないと出てこないのかも知れません。もっともそのころにはコンピュータ?のフォーマットが違ってしまって「このファイル形式は読み取れません」とエラー表示?しか出ないでしょう)。

 いずれにしても、このような(「STEP 0」を含めて)5段階の示し方はいかにも杜撰で、こんなものを会議の場で見せられた「専門家」の先生方が何も言わなかったのか、不思議に思います。

 とりわけ致命的なのは、「STEP 1」の写真に使われているB区間は、一応「決壊」幅200m(実際には190m程度)の中に算入されているのですが、川表側(堤外=河道側)の半身が削られたものの、川裏側(堤内=陸側)の半身は残ったのです。しかも、さきの写真から30分ほど経過した時点では、下のように激烈な越水に見舞われていたにもかかわらず、写真の赤い腰壁の工場の建物とケヤキの大樹もそのまま残っているのです。11時46分頃の写真では、洗掘が起きているようにも見えるのですが、水害後の写真(その下、2015年10月27日)のとおり、堤内側法面(のりめん)下の洗掘など起きていなかったのです。川表側で洗掘が起き半身が削られたとはいえ、その前から越水していた裏側では起きるはずの洗掘は起こらず、草の生えている川裏側の半身が残ったのです。

 

 調査委員会の場で示された資料でも、それをそのまま流用した報道企業の記事や番組でも、マンガのような絵で、越水すれば必ず破堤するかのごとき単純な説明がされていました(福島第一原子力発電所事故の時の、ミッキーマウスを逆さにしたような、原子炉の「ポンチ絵」〔広瀬隆〕を思い出します)。真っ先に越水した部分(B区間)で、川表側の法面は洗掘により流失し天端の舗装面は崩落したものの、川裏側の洗掘がまったく起こらず法面がそのまま残ったのに、このB区間の越水の写真を越水による川裏側法面洗掘に至る前段階(「STEP 1」)として示しているのは、完全な誤りです。

 

 

 関東地方整備局は「越水破堤論」を放棄し、越水と浸透の共働原因論に転換したものの、事実を把握する努力を怠って過度に単純化したモデルを立ててしまったために、決壊の全貌を的確に把握するには至っていないのです。そこで、次の項目では先ほど示した5区分のうえにたって、決壊現象を全体的に説明する仮説を提出したいと思います。

 

 

 

 

 

蛇足 superfluous

 

 報道などを見ると、字句上のニュアンスに引き摺られ、表面的印象だけで理解したつもりになり、命題の持つ意味内容を正当に把握しようとするものがほとんどないのが現状です。その日に聞いたことをその日のうちに記事にして公表してしまうという、空恐ろしいことを平気でやっていれば当然そうなるのです。もちろん、どこかにはきちんと分析している人もいらっしゃることでしょうが、発表されていないでしょうし、また発表されたとしても、それこそ大きくとりあげられることはありませんからほとんど世間の目や耳に触れることはないのです。そうして、関東地方整備局の広報担当者がつくったものをそのまま要約しただけの新聞記事とテレビ番組が、当日から翌朝にかけて世の中に氾濫することになるのです。

 インスタントが身上の報道企業は論外としても、ほかの研究者・専門家・運動体はどうなのでしょうか。鋭意準備中の機関・個人に期待するしかありませんが、すでにこの件で見解を発表している自称研究者や専門家であって、表面の字句に惑わされずに読み取りをおこなう人が、立場(結論)の如何にかかわらず、現れてこないのはどういうことなのでしょうか。

 東京大学の芳村圭准教授はそもそも先鞭をつけた人ですから別格として、いまのところ茨城大学の調査研究(reference4)が、唯一、表面的な字句に惑わされず、「越水破堤論」の破綻=越水と浸透の共同原因論への転換を見て取った上で、それとどまらず具体的に県内河川の堤防の現地調査をおこなって公表しています。地元の、すなわち茨城県内の大学としての責務を果たしつつあるのはさすがです。

 国土交通省資料の正当な読解と現地調査は、鬼怒川水害問題にあっては、とくに不可欠です。報道企業の記事だけを手掛かりにして議論している例についてはいまさら言及する必要は感じませんが、一点だけ指摘しておくと、報道企業の発表物は一応視野にはいれておいたほうがよいとはいえ、あくまで最初のキッカケとしてであって、そこからみずから事実そのものの検討をおこなわなければならないのです。たとえば国土交通省の発表についての報道企業の記事だけ読んで理解したつもりになり、自分なりに確認することもせず、受け売りの情報を前提としてそれにあれやこれやの意見を盛り付けて公表に及ぶのは軽率な行為です。

 これが20年以上前であれば、行政機関がウェブサイト上に文書資料を掲載するということがなく、それら資料を入手するのは容易ではなかったのですが、いまは国家機関や大学であれば、記者発表と同時に文書資料をウェブサイトで公表するのが通例です(残念なことに県や市町村は20年以上遅れています。記者発表だけしてウェブサイトでの公表を怠る「大学」もあるのですが)。国土交通省関東地方整備局のウェブサイトは、いささか雑然としているうえ、これまで見てきた通りの余計な取捨選択(ときに歪曲)が施されてはいるものの、一応記者発表文書はそのまま掲載しています(決壊箇所の「三坂町」を当初「新石下」と間違ったことも隠していません)。これでは以前のような一部特権集団?による情報独占はありえず、誰でもが相当量の情報をただちにしかも追加的費用なしに入手しうるのです。

 「特権集団」とは、この場合、行政機関のことを言っているのではなく、報道企業や、さまざまの運動体における中心部分のことです。記者クラブという最悪のなれあい組織に依存して何十年も過ごし(取材対象と取材者がしばしば酒宴をもつことまでするのです)、取材力を枯渇させつつある報道企業の現状については、他のページの「閑話」でさんざん述べたのでくりかえしません。かつては運動体の中心部分が関係行政機関との交渉窓口を持ち、各課題における一般的な個人がなかなか入手し難い文書資料をいちはやく当局から入手し、それらを取捨選択して一般構成員に流すことで、組織内さらに社会的な「先見の明」を自動的に保障されてきた(?)のですが、いまや、その程度のものはだれでもがインターネットで即座に検索して入手できるのです。そうなると、むしろあれやこれやの課題全部に鼻を突っ込んだあげく、時間もエネルギーも分散的に浪費して注意散漫になっているそれら特権階層より、課題そのものに直面し現実の真っ只中にいる一般の素人の方が圧倒的なアドバンテージを持つことになるのです。

 報道企業が店頭販売している情報は、考慮するにしてもせいぜい「爼上」に載せて捌くくらいにしておくべきで、いきなり「皿の上」に盛り付けてそのままたいして噛みもせず飲み込んでしまうなどもってのほかだと思うのですが……。

 これは、論証しようとしている結論の如何にかかわりません。端的にいうと、主義・主張の如何にかかわりません。(このへんにしておきます。)