「ユダヤ人を助けた日本」
「新しい歴史教科書をつくる会」が作成した『新編 新しい歴史教科書』(2009年、自由社)は、杉原千畝と樋口季一郎に関する囲み記事を掲載している。標題の「迫害されたユダヤ人を助けた日本人」は、不合格となった最初の検定(2008〔平成20〕年)の際には、「迫害されたユダヤ人を助けた日本」となっていた。この標題に対して、「本文との関連で理解し難い表現である」との修正意見がついた。「つくる会」は「日本」に「人」を追加し、他の135箇所の修正とあわせて再度検定申請し、当年度内に文科省はこれを合格とした(www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/kentei/_icsFiles/afieldfile/2009/04/23/1261386_4.pdf リンク切れ)。
最初の段階で「迫害されたユダヤ人を助けた日本」とした「つくる会」の意図は明らかだろう。—杉原千畝の6千人と、樋口季一郎の水増しした「1万1千人」、あわせて2万人近い「ユダヤ人を助けた日本」は、ユダヤ人に対する人種差別とは無縁の国家である。それどころかナチス・ドイツによる人種差別に積極的に反対し、それを妨害する行動をとった国家である。人種差別に反対する大日本帝国が南京虐殺のような事件を意図的に起こすはずはない。そして、大日本帝国がはじめた「大東亜戦争」は決して侵略戦争ではなく、欧米諸国の人種差別にもとづく帝国主義的支配を打破するためのアジア解放戦争であった。
この筋書きに沿って、「つくる会」は根拠のない「1万1千人」を記述し、東条英機の関与するユダヤ人救出物語を作り上げた。さらに杉原千畝に関しては当初、「ドイツからの干渉にもひるまず、外交官杉原千畝は、日本入国のビザを手書きで発給し、手が腫れあがるまで徹夜で書き続けて、6000人のユダヤ人の命を救った」と書いた。検定で、「ドイツからの干渉にもひるまず」の部分に「不正確である」との修正意見がつき、結局、「当時、日本の外交はドイツとの友好関係を大切にしていたが」と書き直した。しかし、杉原千畝について肝心の「訓令違反」の件はまったく言及されていない。樋口季一郎同様、杉原千畝は国策にしたがってビザを発給したことになっているのだ。
日独伊三国軍事同盟の過小評価
囲み記事の標題「ユダヤ人を助けた日本」について、「本文との関連で理解し難い表現である」とした文部科学省の検定意見の趣旨はどういうことだろうか。文科省初中局教科書課に照会したところ、執筆者に対しては追加説明をおこなうが、その具体的内容については公表しないとのことであるので、推測するしかない。本文には、日本がユダヤ人を迫害したドイツと軍事同盟を締結したことが書かれているのだが、その日本が国家として「迫害されたユダヤ人を助けた」というのはおおいに矛盾しており、中学生には理解しがたいということなのであろう。大日本帝国外交官杉原千畝が6千人、大日本帝国陸軍少将樋口季一郎が「1万1千人」の「ユダヤ人を助けた」といっても、そのユダヤ人を迫害したのは敵国ではなく、よりにもよって直後に同盟国となるドイツである。迫害どころか600万人を虐殺したドイツと軍事同盟を結んで第二次世界大戦を戦ったとあっては、大日本帝国は結局のところはユダヤ人迫害の共犯者であり、主犯格のドイツに対する協力者の位置にあったことは否定しようもない。
ユダヤ人の死者数は1940年の時点では累計で10万人以下だった。虐殺は、1940(昭和15)年9月27日の三国軍事同盟締結のあと、1941年6月22日の独ソ戦開始以降に集中している。当時、ヨーロッパにおけるユダヤ人は多くがポーランドとソ連など東欧地域に居住していたのであり、ドイツがポーランド東部とソ連領内へ侵攻して以後、毎年50万人から100万人以上が虐殺された。最も激化した1942年には270万人が虐殺された。本格的な虐殺の開始前の1938年3月に「1万1千人」(樋口季一郎)、1940年7月から9月にかけて6千人(杉原千畝)の「ユダヤ人を助けた」としても、その後一挙にペースを早めたナチス・ドイツの虐殺行為に同盟国として間接的に加担した大日本帝国の罪は到底埋め合わせがつくものではない。
そこで、「つくる会」教科書は、日独伊三国軍事同盟については、 小見出しを「日独伊三国軍事同盟の失敗」としたうえで、同盟は「アジアにおける日本の立場を有利にするため」のものにすぎず、「遠いヨーロッパの2国との軍事同盟には実質的な効用はなかった」として、大日本帝国はヨーロッパにおける事象としてのユダヤ人虐殺には一切関係がないかのごとく述べる(202頁)。
こうして見ると、本文の記述をそのまま認めたうえで、「迫害されたユダヤ人を助けた日本」という標題だけを問題視して「本文との関連で理解し難い表現である」との修正意見をつけた文部科学省の検定は、完全にピントがずれていたことになる。「本文との関連」ということであれば、「迫害されたユダヤ人を助けた日本」の方が一貫性があり、その意味で「理解」しやすい。「迫害されたユダヤ人を助けた日本」が失当なのは、「本文との関連で理解し難い」からではなく、本文も囲み記事もともに、歴史的事実に反しているがゆえである。根拠のない「1万1千人」、東条英機の美化、杉原千畝の訓令違反問題に一切触れない記述などを黙認したうえ、本文についてそのまま承認した文科省の検定は妥当性を欠く。
西尾幹二『異なる悲劇 日本とドイツ』
さらに、「つくる会」教科書は戦争犯罪について特異な見解を述べる。
「ナチス・ドイツは、第二次世界大戦中、ユダヤ人の大量虐殺を行った。これは、ナチス・ドイツが国家として計画的に実行した犯罪で〔あり〕、戦争にともなう殺傷ではない。〔……〕二つの世界大戦は各国に大きな被害をもたらしたが、そればかりでなく、ファシズムと共産主義が、戦争とは異なる国家の犯罪として、膨大な数の犠牲者を出したことも忘れられてはならない。」(214頁)
これは、執筆者のひとりである西尾幹二の独自の見解にもとづく記述であるが、「ファシズム」はドイツとイタリア等の政治体制を指し、日本は除外されていることにも注意しなければならない。「つくる会」教科書の記述の特異性は、それこそ枚挙にいとまなしといったところであるが、この叙述は旧態依然たる皇国史観や、旧来の右翼国粋主義的見解にはなかった新たな主張である。
教科書の記述だけではわかりにくいので西尾の著作をみてみよう。
「〔1938年11月の「水晶の夜」事件以降〕ヒトラーはドイツに住むユダヤ人だけでなく、ユダヤ人と深く交際していたドイツ人をも一瞬にして敵にしてしまった。このことはナチスの体制を弱め、戦争遂行の目的に逆行し、全く戦略に反している。ナチ犯罪が戦争行為でなかったことは、ここでも裏書きされる。」
「毎日のように全ヨーロッパから犠牲者を集め、強制収容所へ送りこむ大量輸送は、軍事的物資や兵員を補給する車両をそれだけ奪い、ことに戦争末期には相当な負担を強いたはずである。」(『異なる悲劇 日本とドイツ』、1994年、文藝春秋、15,
17頁)
ナチス・ドイツは戦争遂行上妥当といえない作戦行動をとったのでそれは戦争犯罪ではない、という馬鹿げた議論である。前提とする事実認識も誤っている。とりわけ、西尾はユダヤ人の死者が独ソ戦開始後のポーランドやソ連地域に集中していること、強制収容所や絶滅収容所が大部分ポーランドに立地しているのはそのためであることを理解せず、どうやら1939年9月のポーランド侵攻による第二次世界大戦開始以前の、ドイツ国内でのユダヤ人迫害をもっぱら念頭において論じているようだ。
「ナチスの行為は殺人それ自体が目的で、戦争行為とはいえないから、その犯罪もまた戦争犯罪とはいえないのである。」(26頁)
「テロが支配の手段ではなく、テロそのものを固有の本質とするような運動体としての全体主義は日本には無縁であった。」(23頁)
第二次大戦以前のことだけを念頭に置いているために、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺は戦争犯罪ではないという意外性に満ちた暴論が出てくるのである。
異なる歴史修正主義—日本とドイツ
この西尾幹二の論理は、 1980年代後半の西ドイツ(1990年の統一前のドイツ連邦共和国)における「歴史家論争」と関連がある。「歴史家論争」は、新聞『フランクフルター・アルゲマイネ』における歴史家エルンスト・ノルテの記事が発端となり、ユルゲン・ハーバーマスやハンス・モムゼンらとの論争として展開した。ノルテらの見解は「歴史修正主義」と呼ばれるもので、ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅政策の特異性を否認し、スターリン独裁下のソ連における粛清、ポルポト政権下のカンボジアにおける虐殺、第一次大戦時のオスマン帝国によるアルメニア人虐殺等と同様のできごとにすぎないとし、その相対化をはかる。それは過去の戦争責任に過剰にさいなまれるドイツ人を、その重荷から解放することを意図したものだった。
「歴史修正主義」は、ドイツのユダヤ人絶滅政策はガス室を除いてソ連の収容所群島から学んだものだと主張する。ソ連のスターリニズムとナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅政策には因果関係があるというのだ。また、東部戦線におけるおけるユダヤ人虐殺は、ユダヤ人が加わっている社会主義国家ソ連による「アジア的蛮行」に対してヒトラーが恐怖心をいだいたことが原因であるとして、ソ連にその責任を帰する。さらにまた、1939年9月1日にユダヤ機関がイギリス側にたつことを声明したことで、ナチス・ドイツは恐怖心を抱いただけでなく、ユダヤ人すべてを戦争捕虜として取り扱うことが正当化されたという。したがって、ユダヤ人の強制収容所への収容は戦時国際法に適合する行為だというのだ。
これに対して歴史家のモムゼンや社会学者のハーバーマスは、ノルテらの主張は歴史学研究の裏付けを欠いた主張にすぎず、歴史上類例をみない唯一無二のものであるナチスの蛮行の相対化をはかって免罪しようとするものだと批判した。(ハーバーマス、ノルテ他『過ぎ去ろうとしない過去』、1995年、人文書院)
一見したところ、西尾の立論はナチスによるユダヤ人虐殺を相対化しようとするノルテら「歴史修正主義」派と対立し、ユダヤ人虐殺の唯一無二性を強調するハーバーマスら左派の主張に合致する。ハーバーマスらがナチス・ドイツのユダヤ人迫害は唯一無二のものであり、ソ連の粛正やポル・ポト派の虐殺、アルメニア人虐殺などとは絶対的に隔絶しているのだと力説すればするほど、大日本帝国の戦争犯罪とも同様に絶対的に隔絶していることになる。西尾は、南京事件をまったくの幻だとする立場はとらず死者数などについて疑問を呈する程度にとどめ、一応虐殺はあったと認める立場である。しかし、それはいずれの国家であってもおかす戦争犯罪の一例にすぎず、犯罪国家ナチス・ドイツによる唯一無二のユダヤ人虐殺とは比べものにならないというのである。
しかし、西尾自身は「歴史家論争」には触れていない。ドイツ文学研究者でありドイツの事情に通じているはずの西尾が、1990年代はじめに書いた文章において、ナチスの犯罪の唯一無二性という同一のテーマをめぐって直前の1980年代後半にくりひろげられた「歴史家論争」に一切触れないのは不自然である。このようにして、ドイツにおける「歴史修正主義」批判の議論が、日本の「歴史修正主義」にとって都合よく利用されてしまったのである。(西尾幹二の主張に対する批判としては、歴史家清水正義の著作を参照。「異ならない悲劇 日本とドイツ 西尾幹二氏の所論に寄せて」〔www.geocities.jp/dasheiligewasser/essay1/essay1-6.htm リンク切れ〕。ならびに、『戦争責任とは何か』〔2008年、かもがわ出版〕、65–72,
144–53頁)
「人種差別に反対した日本」の虚偽
このように西尾幹二は、ドイツの「歴史家論争」の論理をつまみ食いする形で、ユダヤ人を迫害したナチス・ドイツと、ユダヤ人を助け人種差別に反対した大日本帝国との、絶対的隔絶という驚くべき主張を作り上げた。人種差別に反対した日本という主張は、「日本会議」会長三好達が茨城県知事橋本昌に対して茨城県の必修道徳のテキスト『ともに歩む』の教材の差し替えを要求した際にも提出された。第一次大戦のパリ講和会議での「人種差別撤廃提案」、ならびに樋口季一郎と杉原千畝によるユダヤ人救済の美談は、右翼国粋主義者が、600万人のユダヤ人を虐殺した同盟国ナチス・ドイツから大日本帝国を絶縁するために利用するじつに重宝な口実になっているのだ。
このうち、パリ講和会議での「人種差別撤廃提案」については、これをもって大日本帝国が人種差別に反対していたと評価するのは失当で、せいぜいアメリカ合衆国による日本人移民の制限に対する反発にとどまる。むしろ大日本帝国自体が、国内、朝鮮、中国、東南アジア、太平洋地域において一貫して人種差別の主体としてふるまったことを考えると、利己的かつ欺瞞的な主張だったと言うほかない。
樋口季一郎と杉原千畝の利用はどうだろうか。樋口による100人程度を「1万1千人」ないし「2万人」に水増ししたこと、東条英機の台詞を捏造したこと等は由々しき問題である。杉原千畝について訓令違反の件をねじ曲げたり隠蔽したりするのも問題である。
ユダヤ人という「人種」
しかし、それらとは別に、樋口季一郎と杉原千畝の行動をもって、「人種差別に反対した日本」の証拠だとする「日本会議」や「つくる会」の主張には、はるかに重大な問題が潜んでいる。すなわち、ユダヤ人を助けた日本は人種差別に反対したのだという言説それ自体に、右翼国粋主義者たちの人種差別的精神が露見しているのだ。 どういうことか?
ユダヤ人がひとつの人種として存在するということに関して、ナチス・ドイツと大日本帝国は認識が一致する。「つくる会」の西尾幹二はナチス・ドイツと大日本帝国との違いを強調するのであるが、《ナチス・ドイツはユダヤ人を差別したのに対して、大日本帝国はユダヤ人を差別せず助けた》と力説すればするほど、ユダヤ人を人種とみなすことにおいて、両者が同じ見解を有することが明白になる。もしユダヤ人が人種でないのであれば、《ユダヤ人を差別することは人種差別であり、ユダヤ人を差別せず「助ける」ことは人種差別に反対することである》という主張は成り立たない。ユダヤ人に関して対照的な行動をとるためにも、ナチス・ドイツと大日本帝国は、《ユダヤ人という人種が存在する。つまりユダヤ人とはすなわちユダヤ人種である》という認識をあらかじめ共有していなければならないのである。
ユダヤ人を人種とみなすという点で共通性があるのは、ナチス・ドイツと大日本帝国だけではない。《「ユダヤ人を助けた」ことは、大日本帝国が人種差別に反対したことの証拠である》とする「日本会議」と「つくる会」は、ユダヤ人がひとつの人種であると考えているに違いない。もしユダヤ人が人種でないのであれば、《ユダヤ人を差別せず「助ける」ことは人種差別に反対することであり、したがって大日本帝国は人種差別に反対する国家であった》という主張は成り立たない。ユダヤ人を人種とみなす「日本会議」と「つくる会」の人種観は、大日本帝国の人種観をそのまま受け継いだものである。したがって、「日本会議」と「つくる会」は、ユダヤ人を人種とみなす点で、ナチス・ドイツと共通している。
以上のとおり、1940年前後の大日本帝国が、ナチス・ドイツと同じく、ユダヤ人を人種とみなしていたことは疑いの余地がない。そしてまた、現時点において「日本会議」と「つくる会」がユダヤ人を人種とみなしていることもまた疑いの余地がない。
人種概念の不成立
ユダヤ人を人種raceとしてとらえることは、すでに人種主義racismである。どういうことか?
ユダヤ人種と他の人種とを比較し、《ユダヤ人種は心身の特質・能力において劣っていると主張すること》は、ユダヤ人に対する人種差別である。そして、《ユダヤ人種が心身の特質・能力において劣っていることを理由として、かれらを差別的に取り扱うこと、さらに生存の権利まで否定すること》は、ユダヤ人に対する人種差別である。これらが人種差別にあたることは疑いの余地がない。問題はここにはない。問題はその前提である。《ユダヤ人という人種が存在すると考え、そう主張すること》自体が、すでに人種主義racismなのである。そして、その前提として《人類の内部にさまざまの人種が存在すると考え、そう主張すること》自体が、人種主義racismなのである。
ユダヤ人という人種が存在しないというのは、《人類の内部には白人種、黒人種、黄色人種などの人種が存在するけれども、ユダヤ人という人種は存在しない》という意味ではない。白人種、黒人種、黄色人種などの人種も存在しないのである。かつて人類の内部にさまざまの人種raceが存在するという見方が支配的だったが、現在、人種の概念は根拠のないものであることが明らかとなっている。つまり、人種raceそのものが存在しないのである。人種が存在しない以上、人種間の比較をおこなうことはできない。比較すらできないのであるから優劣など問題にもならない。したがって、差別的取り扱いを正当化する論法は成り立たない。
人種raceそのものが存在しない。たとえば朝鮮人という人種、中国人といういう人種、日本人という人種は存在しない。同様にユダヤ人という人種は存在しない。《人種raceは存在するが、人種差別racial
discriminationはすべきでない》という主張は妥当性を欠く。人種raceの存在を主張した時点ですでに人種主義racismが始まっている。人種raceの存在を主張した時点ですでに人種差別racial discriminationが始まっている。
高校教科書における人種概念
「民族nation」が言語その他の文化的特徴による分類概念であるのに対して、「人種race」は生物学的な分類概念である、とするのが一般的常識となっている。しかし、現在、人類学などにおいてはこのような「人種」概念の妥当性は否定されている。高校教科書においても、おくればせながら人種に関する記述の訂正が進んでいる。
まず、従来型の人種概念を呈示する典型的記述をみてみよう。
「人種は、皮膚の色や毛髪の色や形といった身体的特徴にもとづく分類で、大きくモンゴロイド・コーカソイド・ネグロイドに分けられる。」(『詳解地理B』〔130二宮・地B008〕、2006年、二宮書店、299頁)
人種raceという分類概念が、一切の留保なしに、真理として呈示されている。人種主義racismの端的な表明である。
次は、人種概念に重要な批判を加えている記述の例である。
「こうした人種の区分は絶対的なものではない。人類の身体的特徴は、連続的な変異を示している。人種の違いによって文化的な違いがつくられるのではない。異なる人種の間に生まれつき文化的な差異があるという考えは、科学的根拠のない偏見である。」(『地理B』〔2東書・地B009〕、2007年、東京書籍、319頁)
変異は連続的であって明確に線引きすることは不可能なのだから「絶対的なものではない」と、旧来の人種分類に対して妥当な疑問を呈している。さらに、人種と文化の違いは無関係であり、人種を文化的差異の生得的な原因だとすることは「科学的根拠のない偏見」だとする。しかし人種という分類そのものが「科学的根拠のない偏見」だといっているわけではない。結局、人種概念を維持することで人種主義racismの範囲内にとどまっている。
これらに対して、人種概念の妥当性を否定した記述は次のとおりである。
「人類が環境に適応していくなかで、言語や習慣は多様になり、皮膚や髪の色といった身体的特徴の違いもあらわれた。そこから人類を民族や人種などの集団にわける考え方が生まれた。人種による分類とは、身長・頭の形・皮膚の色・毛髪といった身体の特徴によって、人類をおおむね白色人種・黄色人種・黒色人種にわけようとする考え方である。このような人種の違いを優劣と結びつける考えは、19世紀以来欧米でさかんになった。しかし今日では、人類を人種によって分類したり、人種間に優劣の差があると考えることには、科学的根拠がないとされている。」(『詳説世界史改訂版』〔81山川・世B016〕、2006年、山川出版社、23頁。)
一面的な身体的特徴による人種分類は、19世紀以降欧米でつくられたものであるとしたうえで、この人種分類には科学的根拠がないとして明確に否定している。人種分類を認めたうえで、その人種間に優劣の差異があると主張することだけを否定しているのではない。人種分類そのものの歴史性を指摘し、その人種概念を全面的に否定しているのだ。(他に257頁にも同旨の記述がある。)
しかしながら、こうした例はまだ少数である。人種の説明をしないという形で、消極的に従来型の人種主義から脱却しているものもある(『新編高等世界史B新訂版』〔46帝国・世B004〕、2002年、帝国書院/『新詳地理B初訂版』〔46帝国・地B007〕、2006年、帝国書院)。しかし、少なからぬ教科書が従来型の人種主義的記述を今も残している。
副読本として使用される地理や世界史の資料集は、さらに旧態依然の様相を呈している。多くの資料集には、白色人種・黄色人種・黒色人種の半身のカラー写真が掲載されている。あえて民族衣装を着用した写真にして、人種と文化的差異に因果的関係があるかのような印象を与えるものすらある。まさに、さきに引用した東京書籍『地理B』の言うところの「科学的根拠のない偏見」を煽り立てる記述となっている。
「合衆国初の黒人大統領」
人種ごとの身体的特徴についてのステレオタイプ的観念は非常に根強い。教科書で学んだ人種概念はすでに過去のものであって妥当性がないのだと言われても、にわかには納得できないというのが正直なところであろう。とりわけ、一般的な常識においては、白色人種(コーカソイド)と黒色人種(ネグロイド)の皮膚の色の差異は歴然としている。皮膚の色だけでなく、鼻の形態や口唇の形態などにも大きな差異がある。白人や黒人が客観的な分類としては成立せず、たんに社会的に受け入れられている根拠のない分類に過ぎないという人類学者や社会学者の言明には、容易には賛同できないというのが一般的だろう。
しかしながら、われわれがいささかの疑問の余地もなく自明のものと思っている白人と黒人の差異も、じつはきわめて曖昧であり、恣意的な分類というほかないのだ。このことについて全面的に述べるスペースはないので、一つの例を挙げる。
第44代大統領バラク・オバマは白人の母と黒人の父をもつのだが、日本ではこの事実が意識されることは少なく、多くの日本人がオバマは「アメリカ合衆国初の黒人大統領」であると認識している。
黒人と非黒人の混血は黒人であるとみなされる。いっぽう白人と非白人の混血は白人とはみなされない。バラク・オバマは黒人であると言われることはあっても、バラク・オバマは白人であると言われることは絶対にない。ここに見られるような白人と黒人との差異に関する認識の非対称性と非論理性からも、人種観念の恣意性と自己矛盾はあきらかであろう。黒人に対するわれわれのまなざしは、論理的整合性や自然科学的妥当性を欠く、社会的に構築された偏見なのである。
さらにまた、母アン・ダナムの祖先にはイングランド人の他、アイルランド人、先住民のチェロキー族がいるとされる。先住アメリカ人は黄色人種とされるから、じつは母アン・ダナムは白人であるという言明もまた恣意的なのである。(en.wikipedia.org/wiki/Barack_Obama#Family_and_personal_life)