ICRP勧告違反の「基準値」設定

2011年5月10日

基準値20倍化に批判続出


 政府は福島県の幼児・児童・生徒に関する放射線被曝線量の基準値を年間1mSv(ミリ・シーベルト)から一挙に20倍化して20mSvとし、4月19日付けで福島県と福島県教育委員会に通達した。基準値を超える13校に関しては校庭での活動を1時間以内に制限するのみで、一時避難・臨時休校・汚染物質除去等の措置は一切おこなう必要がないとした。

 これに対して、25日、郡山市教育委員会が、市内の幼稚園・小学校・中学校計28か所の校庭の表土撤去をおこなうことを発表した。また、26日には福島県教職員組合が基準値引き上げの撤回、校庭の表土の撤去・入れ替え等を求める要請書を県教育委員会に提出した。

 これに関連して、29日、放射線防護学の専門家として内閣官房参与をつとめていた小佐古敏荘が辞任した。小佐古は、辞任の際の記者会見で、放射性物質拡散状況を予報するはずの文部科学省のSPEEDIシステムのデータが秘匿されていることとあわせてこの件を指摘し、政府の原発事故対応の違法性を批判した。従来、政府方針にほとんど無批判であったマスコミも、被曝基準の20倍化については具体的に政府方針を非難するに至った。

 さらに手続き上の問題も明らかになった。すなわち原子力安全委員会は、4月9日に文部科学省からこの件での打診を受け、委員(5人)の一部と下部組織の専門委員会とで方針を固めたうえで、19日午後に政府(原子力災害対策本部=本部長は内閣総理大臣菅直人)からの「正式」照会を受けると、委員会の会議を開催しないまま原子力安全委員会名で政府に対して「助言」をおこなったという。

 「助言」を受けた原子力災害対策本部が、保育園を所管する厚生労働省と幼稚園・小学校・中学校を所管する文科省に通知し、そこから同日中に福島県等への通達がおこなわれた。照会から、福島県への通達まで、4段階の文書のやりとりが同じ日におこなわれるという異常な行政行為であった。

 原子力安全委員のひとりの代谷誠治が、4月13日に、子どもは放射線の感受性が高いので20mSv/年ではなく半分の10mSv/年にすべきだと記者会見したものの、文科大臣の高木義明に凄まれて引き下がったのはこの過程でのことだった。これらの動きと世論動向に対して、官邸と文部科学省は露骨に不快感を表し、表土の入れ替えは不必要で、20mSv/年の規制値を撤回する考えもないとの態度をくずしていない。


ICRP声明以外に根拠なし


 原子力安全委員会からの「回答」は、原子力災害対策本部からあらかじめ示された「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方」と題する文書について、それで「差支えありません」として承認する形をとっているが、経過からみて、「暫定的考え方」は4月9日に打診を受けた原子力安全委員会の事務局が作成したものと思われる。「暫定的考え方」において、基準値を20mSv/年とすることの具体的根拠はつぎのとおりである(www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/04/1305174.htm リンク切れ)。


国際放射線防護委員会(ICRP)のPublication109(緊急時被ばくの状況における公衆の防護のための助言)によれば、事故継続等の緊急時の状況における基準である20~100mSv/年を適用する地域と、事故収束後の基準である1~20mSv/年を適用する地域の併存を認めている。また、ICRPは、2007年勧告を踏まえ、本年3月21日に改めて「今回のような非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベルreference levelとして、1〜20mSv/年の範囲で考えることも可能」とする内容の声明を出している。


 わかりにくい文章だが要するに、今回の基準値引き上げの根拠はICRPの勧告文書であるというに尽きる。「暫定的考え方」が根拠としてあげる3月21日のICRPの「声明」は、次のように言う(www.icrp.org

/docs/Fukushima%20Nuclear%20Power%20Plant%20Accident.pdf)。


「放射線源が制御されている場合でも汚染地域は残るだろう。当局は通例、ひとびとがそれらの地域を見捨てるのではなくそこに住み続けることができるように、すべての必要な手段を講ずるだろう。本委員会は、その場合には、基準値reference levelを年間1mSvに減少させることを長期的目標としたうえで、年間1から20mSvの幅のなかで基準値を選ぶよう、ひきつづき勧告するものである(ICRP、2009b、48-50段落)。」


 日本国政府は、ICRPの3月21日付け文書を引用し、「非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベルとして、1〜20mSv/年の範囲で考えることも可能」だとしているが不正確である。一見して明らかなように、下線をほどこした2点を省略して年間1から20mSvの幅のなかで基準値を選ぶとする部分だけに言及している。国民を欺くための恣意的引用である。今回の基準値変更がICRPによって正当化されるかどうか順に見てゆこう。


「非常事態は収束」したのか?


 「声明」の日付(3月21日)からもわかるとおり、ICRPは事故発生から一週間ほどの時点で、すでに勧告してある原則に則って対処するよう呼びかけているだけであり、4月中旬にいたって、具体的に、避難指示地域等をのぞく福島県の全域を「放射線源が制御されている」状況としての「既存被曝事態」に指定するよう勧告したわけではない。

 日本国政府は、「事故収束後の基準である1〜20mSv/年を適用」したのだと言っているようだが、現状はいかなる地域についても「事故収束後」とは到底言えない。チェルノブイリやスリーマイルでは、爆発ないし爆発寸前の状態を経て事故発生から数日後には、事故発生当初のような大規模放出の再現のおそれが一応なくなった相対的「安定」状態へ移行したが、福島はいまだ安定にいたらず、あらゆる予測に反して極度の不安定状態が延々と続いている。

 事故の展開はまさに「想定外」であり、ICRPの勧告が想定している一般的で抽象的な段階図式への単純な適用は妥当性を欠く。「放射線源が制御されている」とは到底言えない状況のもと、飯舘村地区のように一方で避難指示区域を拡大せざるをえない状況があるなかで、その隣接地域までを「既存被曝事態」の状態にあるとする根拠は薄弱だ。


「関係者の合意と理解」はあったか?


 次に、4月19日付けで1-20mSv/年へ転換した際の経過に関する点である。「暫定的考え方」が根拠として挙げるICRPの「公表文書(Publication)109」は次のとおり言う(http://download.journals.elsevierhealth.com/pdfs/journals/0146-6453/PIIS0146645309000232.pdf、115節、p. 59)。


緊急被曝事態(emergency ex-posure situation)から既存被曝事態(existing exposure situ-ation)への転換はすべてのことがらに責任を負う当局によって決定されるだろう。この決定は、異なる地理的空間が異なった時期に転換することもありうることを考慮したうえでなされるだろう。この転換は別の当局への責任の移譲を必要とすることもあろう。この移譲は協調的で完全に透明な手法によって実行されるべきであり、関係するすべての当事者による合意と理解を必要とする。本委員会は、緊急被曝事態から既存被曝事態への転換の計画立案はすべての緊急即応の一環として、すべての利害関係者(stakeholder)を参加させるべきであると勧告する。


 今回日本国政府が実際におこなった措置は、この勧告からひどくかけ離れている。政府が、既存被曝事態(existing exposure situation)への転換を宣言したうえで、福島県と県教育委員会に通達した経緯は、ICRPのいうような「協調的で完全に透明な手法」とか「関係するすべての当事者による合意と理解」などとはほど遠い状況にある。保護者や教職員の要望意見を無視して威丈高になってごり押ししたために、政府の中枢部分からも異論が噴出し離脱者まで出る始末で、民主主義的政治原則から完全に逸脱した強権的行政運営というほかない。


実際には20mSvも守れない


 第3点。実際に20mSv/年の範囲におさまっているのかどうかが問題になる。日本国政府は許容限度の20mSv/年を8760時間(24時間×365日)で割り、学校での8時間と「屋内」での16時間に機械的にわりふって学校での3.8μSv(マイクロ・シーベルト)という半端な(?)数値を導きだしたうえで、それをあらかじめ与えられている測定結果と突き合わせ、これを超過するのがごく少数の50校で、全体の3%程度にとどまるので問題ないと考え、さらに「再調査」をおこない該当校を13校に圧縮したうえで、通達におよんだものと思われる。土ぼこりの舞う校庭で活動することによる内部被曝のことを一切考慮に入れていないうえ、学校での8時間以外の16時間のすべてを気密性のある屋内で過ごすという想定も非現実的である。なにより放射性物質が含まれる水や食料からの摂取がある。たとえ「暫定規制値」以内であってもゼロではない。それらを全部無視して空間線量3.8μSv/時間以下なら大丈夫とするのは失当である。

 なお、reference levelは「基準値」と訳すべきであろう。「参考レベル」と訳すのは、その重みを軽視している態度があらわれたものと言わざるをえない。


躊躇なく上限に基準値設定


 第4点。ICRPの公表文書109は、つぎのとおり述べる(pp. 59-60.)。


一般的には、緊急被曝状況において用いられる〔被曝〕強度に関する基準値〔20-100mSv/年〕は長期間にわたる基準としては受け入れられないだろう。これらの被曝値は社会的政治的観点からは通例維持できないからだ。そういうわけで、政府ないし規制当局は、ある時点で、既存被曝状況を管理するための新たな基準値を、一般的には本委員会によって推奨される1-20mSv/yearの範囲の下限に定めることになるだろう。


 ICRP勧告は、既存被曝事態のもとにある地域においては1-20mSvの基準値が適用されるというが、ぎりぎりで20mSv以下に収まりさえすれば良いとするものではない。当局が既存被曝事態に該当する地域として設定する場合、可能な限り低い数値を指定しなければならない。「今回のような非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベルとして、1〜20mSv/年の範囲で考えることも可能」と恣意的に要約した上で、何の考慮もなく上限の20mSv/年に飛びつき、それを8760時間で割って、日中の8時間は3.8μSv/hourでよいのだとする日本国政府の方針は、ICRP勧告にも反しており、失当である。


なすべきことを回避し汚染永続化


 第5点。3月21日付けICRP声明は、年間1から20mSvの幅のなかで基準値を選ぶ際には、「すべての必要な手段を講ずる」ことになるとし、「その場合には、基準値を年間1mSvに減少させることを長期的目標」とすべきとしている。今回の政府の通達は、この点にまったく反している。住民避難・児童生徒の一時的避難・当面の休校措置などの回避措置についてはまったく検討されていない。また、校庭等の表土の除去・校舎や通学路等の洗浄など堆積している放射性物質の除去・放射性物質を含まない飲料水と給食の提供など、外部被曝・内部被曝の徹底的抑制措置によって、現在および将来における被曝量を大きく減少させることができるのだが、それらの措置について検討した痕跡もない。

 むしろ、郡山市教育委員会による表土除去に対して、あろうことか敵意をむき出し、はぎ取った表土は「原発以外のところで発生する放射性廃棄物」であるとして搬出を妨害している(5月1日、官房長官枝野幸男)。汚染された土砂は福島第一原発に由来する放射性廃棄物であって、学校で発生したわけではあるまい。持ち出しは危険だから許容しないが、学校で児童・生徒の身近にあることは一向に差し支えないというのである。官邸の非人道的基本姿勢を表すものである。


児童・生徒の健康を損なう違法行為


 以上のとおり、4月19日に福島県の幼児・児童・生徒について年間あたり放射線被曝線量の基準値を突然20倍化し20mSvにした日本国政府の行為は、それが根拠として挙げたICRPの公表文書109に反するし、3月21日付けの「声明」にも合致しない。政府の行為は違法であって、許されない。

 今回の児童・生徒の放射線被曝基準値問題によって、福島原発問題での政府の基本姿勢は白日のもとにさらされた。日本国政府の今回の行為は、この間の飲料水や農産物・水産物に関する「暫定規制値」設定における対応とは完全にかけ離れたものなのであろうか? 飲料水や農産物・水産物に関する「暫定規制値」の設定(3月17日)は適正であったが、今回の児童・生徒に関する「暫定的考え方」(4月19日)だけが適正でなかったのであろうか?


 さて、茨城県の学校はどうなのだろうか? 福島県は事故発生から1か月近く経過した後ではあったが、県内1600か所あまりの保育園(無認可を含む)・幼稚園・小学校・中学校における放射線量の測定を実施した。ひるがえって茨城県と茨城県教育委員会は、この間、ただの一校、ただの一回も放射線量の測定をおこなっていない。測定すらおこなわず、根拠なく「安全」を宣伝し、「安心」するよう求めている。まことに罪深いと言わざるをえない。

 日本国民として、われわれは、中央・地方の行政当局の行為による児童・生徒の放射線被曝の昂進について無関心でいるべきではない。