ピラミッドの頂上に君臨する竜ヶ崎一高校長
NHK水戸放送局が竜ヶ崎一高の「民間人校長」である太田垣淳一を取材し、2023年4月19日に放送した番組の書き起こしが、同局のウェブサイトに掲載されている49。NHKは3月19日に土浦一高の「民間人校長」のプラニク・ヨゲンドラについて、1年間にわたって取材した50分間の番組を放送しているが、太田垣については、おそらく予備取材に1日、撮影に2日か3日、ほかに筑波大学教授の取材に1日程度の日程で制作した短時間番組である。しかし、なかなか内容豊富で鋭い。
まず、「民間人校長」に期待する「新入生の保護者」の声と、県教育庁学校教育部高校教育課人事担当課長補佐の当たり障りのないコメントを紹介したあと、「太田垣校長の学校改革 ①アナログからの脱却」として、こう説明する。
これまで口頭で伝えていた日々の業務連絡をモニターに表示、いつでも確認できるようにしたり、教員全員にタブレット端末を配布、教員同士の事務連絡に活用したり、授業に使う教材をそれぞれが工夫して作成できるようにしています。
教員や生徒に対する連絡事項を廊下に設置したモニターで表示するのは、高校教育課課長補佐の井上剛が10年以上前に勤務していた県立取手一高など、あちこちの学校でやっていることだし、タブレット端末は全国的な「GIGAギガスクール」政策の一環として全部の県立高校で全教員に割り当てられたものであり、太田垣とは関係ない。
問題は次の「太田垣校長の学校改革 ②古い体質を打ち破れ」である。
これまでの学校組織は、校長以外は横並びで、それぞれの教員が自分たちで調整し、校長に事案の承認を求める形になりがちだったといいいます。これを民間企業と同じようなピラミッド型の組織に変更。学校運営のかじ取りは管理職などのチーム・トップマネージメントが行い、目指す方向性を明確に示します。
インタビューされた教諭3人(氏名は出ないが、マスクありの顔出し)は、具体的なことまで述べてはいないが、「かなりばっさりと切った」と、遠慮がちに太田垣の独善体質を指摘する。そのあとの太田垣の発言はこうである。
(教員たちの)不安や不満がないわけではないです。時代に合った生徒たちをつくる。最終的にはやっぱり生徒なので、優先度もしっかりとわきまえた上で通すところは通す。
具体的なことは言っていないから、どういうことかはよくわからないのだが、生徒たちを「つくる」とか、「通すところは通す」と脅しを効かし、「不安や不満」があっても平気だと虚勢を張る。
ありきたりの台詞だが、いまどきこんな時代遅れのことを言っているのが、「民間人校長」のようである。「改革後」の「ピラミッド型の組織」など、これこそまさに「古い体質」そのもので、こんな独善的トップが支配する組織ではイノベーションなど起こるはずもなく、結局は停滞から消滅傾向に向かうのである。それに対して、(「これまでの学校組織」がそうであったかどうかは別の話だが)「自分たちで調整」する組織こそ真に活力ある組織だというのが、「民間人校長」たちが依拠しているふりをしながら実は読みもしない、マグレガーやドラッカーなどアメリカ経営学の説くところである。
「たとえば『参加 participations』を、部下をだまして to trick subordinates あらかじめきまっている決定事項 predetermined decision とか、問題の解決 problem solutionsを受け入れるようにさせるインチキ manipulative deviceとして用いるような上役は、部下から誠実さ integrity に欠けるとして信頼されなくなる危険を犯すことになる。」(マグレガー)50
「トップ・マネジメントの一員が、若い人たち、たとえば研究部門、応用部門、製造部門、経理部門などの若手と一堂に会する。トップは会議を開催するに当たり、次のように発言する。『私は一席ぶったり、何かを諸君に伝えたりする tell ために出席しているのではない。聞き役として出席しているのである。諸君の願望 aspirations はどこにあるのか。この会社のどこに機会 opportunities があり、どこに脅威 threats があると見ているのか。わが社が新しい事業に手を出し、新製品を開発し、市場調査の新しい方法を始めることについて、諸君の考え ideas はどうか。さらに会社の方針 policies、方向 direction、あるいは業界や、技術や、市場における地位などについて、どのような疑問 questions をいだいているのか。こういったことを聞くために to listen 出席しているのである。』」(ドラッカー)51
これまで一貫して、硬直した権威主義的で集権的な教育行政を推進してきたのは、文部省などの中央行政組織であり、それに従属する都道府県の首長部局と教育行政部局(教育庁)なのだから、現状の学校のありかたに問題があるというなら、民間企業から出向もしくは脱落ドロップアウトしてきた訳ありの「民間人校長」を送り込むのではなく、まず自分たちが権限を行使しつづけるのを止めて、潔く責任をとって静かに退場するのが筋だろう。
番組の締めは筑波大学教授の浜田博文(学校経営学)52のコメントである。
民間から入ってきた人は、教育界の中では特殊なキャリアの持ち主なので孤立してしまう危険性が非常に高いんですね。
先生方一人一人が十分に納得して学校の将来像を理解するところまで持っていく、これを意識することが必要になると思いますね。
「横並びで、それぞれの教員が自分たちで調整」する組織を壊すことの愚を指摘し、ピラミッドの天辺で「孤立」している太田垣の強権志向をやんわりとたしなめているのである。土浦一高校長のヨゲンドラでもそうだが、一見提灯番組のように見えて、NHKは事実を映し出すことで冷厳にも「民間人校長」の時代錯誤ぶりを明らかにしてしまった。
竜ヶ崎一高校長の任期満了となる太田垣が、2024年度以降どうなるのかはわからない。高校教育課はもったいぶって言わないが、留任か退職のいずれかだろう。改革派校長の留任となるとさすがにマンネリは避けられず、次の3年なり4年はタコが自分の脚を食うように、自分のしたことを改革の対象として「かなりばっさりと切る」ことになるだろう。2023年度の「民間人校長」の募集要項では配置先として竜ヶ崎一高は明記されていないから、太田垣が留任しないとなれば、後は通常の校長となる。退職ということであれば、すでに「民間人校長」の経歴をセールスポイントにして起業の準備を進めているか、もしくは「エン・ジャパン」で転職活動中に違いない。万一にも、他の学校で再雇用ということにでもなったら、こんどはNHKの取材は受けないことにして、ひっそりと「ばっさり」活動をするのだろう。
「民間人校長」の英語重視の空回り
2年目の2021年は最終合格者はいなかった。その次、3年目の2022(令和4)は選抜された4人のうち1人が辞退したので、4月に赴任した「民間人校長」(1年目は副校長)は3人である。そのひとりが、土浦一高のプラニク・ヨゲンドラである。インド出身だが、若いうちに日本に移住し、現在は日本に帰化している。みずほ銀行や楽天で働いたあと、東京都江戸川区議会議員となったが都議会議員選挙(立憲民主党)では落選し、自宅で飲食店を経営していたとのことである。
2023年3月19日に放送された、NHK「日本の教育を変える インド出身校長の波乱の1年」(50分間)を見ることにする。カメラ、カメラ助手、照明、音声、記録、群集整理係、ディレクター、など大勢で取材するのでなく、ごく少人数、場合によっては記者が一人で取材しているようだ。時間をかけて入念に打ち合わせたうえで、日をかえて試し撮りのあとやっと本番撮影する通常の取材と違って、ヨゲンドラが動き出すとそれを慌てて追いかけて撮影を始めるので、たいていのシーンで冒頭が飛んでいる。状況がつかめず少々わかりにくいところもあるが、全体として自然な映像・音声になっている。この後見る水海道一高の福田崇や下妻しもつま一高の生井秀一のように、宣伝目的の業者相手に、好きなように喋って格好つけた記事と違い(ヨゲンドラも「週刊エコノミストOnline」相手のものがあるが)、「民間人校長」の実態をそのまま記録した、なかなかシビアな番組になっている。番組の進行に従っていくつかの場面を見ていく(台詞は字幕がつけられれているので、それを使う。ただし、倒置形を戻すなど語順を修正してある)。
4月はじめの始業式の日、満開の桜をバックにしたインタビュー場面で、「よぎさん〔ヨゲンドラ〕が変えたいものは?」と問われて、こう答えている。
「はっきり言うと今その答えはないんです。改善も改革も小さかろうが大きかろうが、当事者の声を聞きながら現場をみて判断していく。」
知事と教育庁から、改善・改革というなかなか難しい任務を与えられているわけだが、NHKにそこを突かれて、何も考えて来ていないことを白状する。一見、太田垣のような「ばっさり」路線ではなさそうだが、課題が重圧となっているようで前途多難を感じさせる。
生徒に英語で話し掛ける場面が2つ続く。いずれも、放課後ふらっと近づいて話し掛けるのである。まず、教室でタブレットを手に何かの準備(もしかすると「探究学習」か)をしているらしい男子生徒2人との場面である。途中が切れているのでよくわからないが、次のように生徒に言っている。
It cannot be like you are showing in Japanese. But you speak in English.
「日本語を使っているようですが、英語を話せますよね。」という意味で、英会話上級者にいわせるとよくある口語表現だという。しかし生徒は「えっ、いや……」と困ってしまう。
次は、部室のようなところで、女子生徒2人に話し掛ける。
If anybody wants you can just put ice into it and they can use it.
崩れた表現で、「もし誰かが求めるならですが、それに氷を入れると使えますね。」ということのようだが、生徒は「私英語できない」と困った様子である。このあと、ヨゲンドラは職員室でカメラに向かって、悲憤梗概する。
「英語で話しかけてみると、ヘンテコで帰ってきますよね。どんな文章を言えばいいとかどういう文言を言えばいいとか、分かっているのに言えない。学校教育で何を成し遂げたいのか、正直わからないです。」
インド人特有の発音で、聴き慣れた米式英語とはアクセント、イントネーションがまったく違ううえ早口なので、生徒は聞き取れていないようである。とくに、It cannot be like …… は辞書や文法書にも載っていない口語表現で、いきなり中学生や高校生相手に使うのは不適切である。もっと平易な言い方で、特に初学者相手なのだからゆっくり話し掛けるべきだろう。何より良くないのは、相手が返答できないのをそのままにしてしまうことだ。言い換えたり繰り返したりして、会話を成立させるべきだった。
生徒は「分かっているのに言えない」のではなく、それ以前にヨゲンドラの言葉を聞き取れていないのだ。唐突に「学校教育で何を成し遂げたいのか」などと聞いたふうなことを言っているが、状況がわかっていないのはヨゲンドラの方である。教員免許がないのだから、「外国語」科の教諭にはなれないが、この調子ではALT( assistant language teacher 外国語補助教員)としても失格だろう。ましてや、校長ないし副校長として英語の教員を集め、土浦一高の英語の授業について改善・改革を求めるなどは、学校教育法の職務規定上も到底ありえない。それ以前に、ヨゲンドラは高校生に対する指導方法をまったく理解習得していないのである。
授業中に、廊下から教室を覗いて歩き、もうひとりの副校長に制止されると、「全く私に自由がない。何をやっても見られている」とおかしな反応を示す。夜遅くまで居残って生徒の質問に答える教員がいるのを見ていても、管理職員としての職務(「所属職員を監督する」)としての勤務時間管理については全く考えない。
「民間人校長」の限界を露呈する土浦一高校長
ヨゲンドラは、秋になってNHKに再び問われて、こう答える。
⑴「入りこむ入口はまだ見えないです。どこを改善すればどうなるか、客観的に示す方法が……」
⑵「銀行やITの現場だとシステム化できちゃうので、データとして特徴を見ていくのは割とやりやすい。でも、学校はそうじゃない。」
「そうじゃない」とやっと気づいたのは良かったが、どうであるのか、どうすべきか、まったく分かっていない。
そうして年が明けた2023年1月に「週刊エコノミストOnline」に、インタビュー記事が出た53。言いたい放題のうえ支離滅裂、そのくせ番組で見せる情けない姿からは想像もできない尊大さだった。職員室内は騒然としたようだ。
⑶「例え自分の専攻が化学でも、ある程度ITや金融のことも知っておかないといけない。」
⑷「経営、金融とITについては基本的な理解を持たせたい。これが全部できた時に、探究の一貫として学校の行事を生徒たちに運営させるのです。」
⑸「自己分析のパターンと改善に向けての小さな行動の工夫を作ってあげたい。それから人格形成です。例えば、服装からスプーンやフォークのテーブルマナー。そして、プレゼンテーション能力。人前で自分のことを1分で、あるいは3分で話す、それを英語で行い、ディベートする。 」
NHKには⑵のように言っていたのに、⑶⑷では高校生に「経営、金融とIT」を理解させるべきだと強硬である。そのあとの「探究の一貫〔一環?〕」「学校の行事」などは意味不明である(記者もよくわかっていないようだ。「化学」はおそらく「科学」の間違いだろう)。
「エコノミスト」の記事中の経歴欄にある、みずほ銀行の「国際事務部調査役」とは、IT関係というより渉外関係の職務のようである。通例「調査役」はラインから外れた補助的な職である。そのあとの楽天銀行の「企画本部本部長」というのも変な職名だが、そこをわずか2か月で辞めている。それで「民間人校長」応募資格の「管理職の経験」だというのは、経歴詐称だ。懲戒免職の事由になりうる。
番組の中で、ヨゲンドラがパソコンでパワポ文書らしいものを作っている場面があるのだが、ブラインドタッチではなく、キーボードを指2本でたどたどしく打っている。これで「IT関係」の仕事は無理だろう。ヨゲンドラは日本に来るインド人は「世界トップ」の「エリート」なのに、日本では「つまらない仕事ばかりをさせられて」いると「週刊エコノミスト」には言うのであるが、NHKが記録した実際のヨゲンドラ像とはまるで一致しない。
⑸の「人格形成」とか「マナー」というのも、NHKの番組でみせる姿は随分印象が違う。土浦一高の若い教諭と会話する場面があるのだが、職場内で評価が落ちていると言われて(「エコノミスト」の記事の後とあっては当然だろう)、腕組みして憤然とする。「よぎ先生がやりたいことは、みんなが目指す方向とそんなに違わないということを、ポジティブに示してくれないと」と言ってくれているのに、ヨゲンドラは両の掌で顔を覆ってしまう。ほかにも、ちょっと面白くないことがあると、すぐ不貞腐れた態度を見せる場面が何度も映し出される。他人に「マナー」を説く人特有の、思い違いと未熟さである。
〔「エコノミスト」記者〕どんな人材を目指していますか。
「自らを分析し、それに基づいて自分の目標を考えていく人材です。そのために、自己分析のパターンと改善に向けての小さな行動の工夫を作ってあげたい。」
土浦一高の優秀な生徒相手にずいぶん立派なことを言っているが、大井川におだてられて乗り込んで来て1年近くたつのに、⑴「入りこむ入口はまだ見えないです。」と弱音を吐いた人の言葉とは思えない。「自分」探しの旅に出なければならないのは、土浦一高の生徒ではないだろう。
2月に「来年度の方針案」ができあがる。2本指で作っていた文書である。
学校の美化 学校内壁・床の塗装。トイレ改修。諺などの看板の各所設置
ITシステム 生徒の全情報をデータ化し、進路指導、戦略策定に。各業務の電子化
課外授業 約20テーマの課外授業の動画化。教員・生徒がいつでも閲覧できる状態に
普通授業 普通の授業を動画化し、いつでも振り返り学習ができるように
部活動 様々な部活動、多言語環境構築において地域企業、団体、個人との連携
海外研修 探究学習の一貫である海外研修における支援
11か月も経って、出てきたのがこのパワポ1ページである。おそらくヨゲンドラは日本語の文章は書けないのだろう。上の「エコノミスト」での発言も、記者のまとめが下手なのではなく、ヨゲンドラの日本語は、彼の英語同様ぎごちなく拙劣である。母語を失って生きるマルチリンガル(多言語生活者)の陥りがちな隘路である。
「方針案」の中身を見る。「学校の美化」などわざわざここに書くようなことではない。「民間人校長」が口を揃える「ITシステム」の中身は貧弱である。ある程度の「データ化・電子化」はすでにしてある。そして「普通授業」?も「課外授業」も全部動画化しろという。ほかの「民間人校長」も判で押したようにこれを言うのだが、5分くらいのYouTube動画をつくるのでも大変なのに、全部の授業の動画化は(不必要だし)不可能である。これで「労働経済」の修士なのだという。彼らが漠然と想定しているのは、通信制高校がネット配信する教材のようである。今後猖獗を極めるだろう「個別最適化された学び」54路線である(これが大井川の使命である)。部活動の「多言語環境」は諦めていない。またしても「一貫」である。孤独な独裁者ヨゲンドラには校正を頼める「同僚」はいないのである。
知事が直接面接して採用していた「民間人校長」
ヨゲンドラが2年目を迎えて土浦一高の「民間人校長」となった2023(令和5)年6月28日、週刊文春に「『うちにくる?』 東大進学2桁 朝日新聞も取り上げた茨城県エリート校のインド出身民間人校長が既婚女性と不倫トラブル」55という記事が掲載された。5月10日には、つくばサイエンス高校の「民間人校長」遊佐精一も取り上げられている。いずれも男女関係をめぐるトラブルである。「プライベート」だとして、県教育庁は不問に付した。
大井川は、定例記者会見で問われたが、回答を拒否した。
知事:プライベートの話なので、我々にはコメントする立場にはないというふうに考えておりますし、それだけ、それに尽きるというふうに考えています。56
というのも、ヨゲンドラの採用それ自体を問題にすると、形式上ではなく、直接的実質的な知事の責任があきらかになるからである。それというのも、面接試験をを大井川が直におこなったことを、ヨゲンドラが喋っていたのである。2022年11月、「週刊エコノミスト」と同じころの「朝日新聞EduA」の記事である。
一連の改革には大井川和彦知事の強い意向も反映されている。前出のよぎ先生は、公募の最終面接で知事本人に「なぜあえて民間人を雇うんですか?」と聞いた際、知事が「茨城の教育を日本でナンバーワンにしたい」と熱く語った姿を見て、自らも決心がついたと話す。「知事には『改革のゴールは何ですか』という質問もしました。それに対し『県内の優秀な生徒の多くが進学や就職で県外に流出し、戻ってこないという大きな課題を解決したい。教育レベルの向上と就業機会の拡大は改革の両輪であり、アントレプレナー教育も推し進めたい』と。そこに私もとても共感しました」57
「ナンバーワン」とは、何についてなのかわからないが、これで「決心」がついたというのも不思議な話である。大井川と教育委員庄司一子との漫才はまだ話が噛み合っていたほうで、大井川とヨゲンドラの対話はどうにもわからない。テレビCMで、ガクト(GACKT)58が「S高・N高は日本一」と言っていたが、この場合の「日本一」とは生徒数のことのようだ。そもそも学校に順位をつけるのもどうかとは思うが、生徒数で「日本一」とは普通は言わない。ガクトにそう言わせた「ドワンゴ」が、いかに生徒数にこだわっているかがわかる。大井川の「ナンバーワン」ということでいうと、中高一貫教育校の数はすでに「日本一」である。「民間人校長」のスキャンダルまで大阪府に並ぶ「日本一」になった。
「ドワンゴ」の件は最後に触れることにし、ヨゲンドラの件にもどる。朝日新聞EduAは、提灯記事のようでいて、最終面接に知事が出てきていた呆れた事実を暴露してしまったのである。ほかのおしゃべり「民間人校長」も同様で、いかに自分たちが重く見られているかを知らせたいのだろうが、管理職人事の内情はヒ・ミ・ツにするのが嗜みである。「民間人校長」の常識知らずのおかげで、県知事御自らが期限付き職員の採用面接に出ていたことがネタバレした。知事がダメといえばダメだろうし、知事が採用するといえば採用だろう。遊佐にしてもヨゲンドラにしても、大井川が採用を決めたわけである。「コメントする立場にはない」とは、「プライベート」だから不問に付すというよくある言い訳なのだが、もっと重大な意味がある。すなわち、大井川はコメントされる立場、つまり遊佐やヨゲンドラを採用したことについて直接に責任を問われる立場にあるのだ。
教育制度の「ガラガラポン」をめざす株式会社電通社員
2022(令和4)年4月に赴任した「民間人校長」(1年目は副校長)の2人目として水海道みつかいどう一高校長の株式会社電通でんつう社員福田崇たかしについて検討する。
株式会社電通59の社員ともなると、「東洋経済」が取材に来る。
「私は広告の仕事に長年携わってきましたが、ここ数年、自分のクリエーティブに広がりを感じられなくなっていました。もちろん一定以上のものは作れるのですが、もっとブレークスルーしたいと思うようになったのです。教育に関しては、19年から自分で教育プロジェクトを立ち上げたことで教育界にいろんな面識もでき、自分なりに勉強もしてきました。60
ここで「教育界」というのは、一部の私立の「エリート」校の経営層、一部の元文科省職員、そしてそれらと繋がって「教育界」で急速に勢力を拡大した「株式会社ドワンゴ」の関係者、それらと繋がりのある経産省の関係者等である。文部科学省および地方公共団体の教育行政機関や、一般的な公立・私立学校の教職員ではない。
「19年から自分で教育プロジェクトを立ち上げた」というのは、2019年に福田崇自身が「教育ガラガラポンproject」61という団体を主宰していることを指している。「ガラガラポン」とはご破産にする、つまり何もなかったことにするというものだから、現行の学校教育体制を外から「ガラガラポン」することを目指して活動する組織である。誇大妄想に取り憑かれたものと見えるかもしれないが、いたって真剣だし、実際にみずから茨城県立高校に校長として乗り込んで、「ガラガラポン」をはじめたのである。
「ガラガラポン」は、骰子博打サイコロばくちで籠ないし壺にサイコロを入れて振る音(ガラガラ)と、それらを床の上に伏せ置いた時の様子(ぽん)を表現する擬声語オノマトペである。一部の企業、とくに役員や管理職・上司の発言権・決定権が強い、強権的体質をもった企業などで日常的に使われる隠語である。このヤクザ隠語を常用する企業では、当然、それが表現する現実があることになる。すなわち、上司が権限を振り回して威張り散らし、部下に理不尽な要求をつきつけて罵倒し、時に暴力を行使する。とりわけ若い人や女性を執拗に痛めつける旧弊な体質が支配的な職場である。
実態がないのに言葉だけ使われるということはない。たとえば、茨城県の公立学校職場ではさすがに(まれに近いのはあるかもしれないが)ここまで酷いのはないようで、このヤクザ言葉が使われることはない。教職員は、職場外でごく稀に聞くことはあるにしても、日常的に使ったりはしない。ところが、一部の企業では伝統的に威迫的高圧的な労務管理・職場支配が横行し、人事上の「ガラガラポン」や、下級の従業員の成果の「ガラガラポン」が日常茶飯事になっているのだろう。ワンマン経営者が威張り散らす中小零細企業だけでなく、天下の大企業でもそういう企業はあるようで、その絶大なる権力金力影響力政治力暴力ゆえに、そのような実態は関係者には周知のことだとしても、誰も問題視することができず、数限りない害毒が日々撒き散らされる。「ガラガラポン」と命名するということは、常日頃からそういう環境のなかで生活しているということだろう。「ガラガラポン」とは攻撃行動にほかならない。福田崇は、これから攻撃するのだという意図をあからさまに示すために、「ガラガラポン」を標榜しているのである。
閉じた環境で密かにおこなわれる陰湿な「ガラガラポン」はなかなか明るみにはでないのだが、重要顧客に被害を及ぼすとか、あるいは東京地検特捜部が強制捜査に着手するとか、警察検察が見逃しマスコミも知らんふりをしていたが被害者が勇気をもって告発するのを外国の報道機関が報道するとか、あるいは連続して過労自殺者が出たのを遺族が泣き寝入りせず告発するなどの、稀有な機会にやっと真相が知られることとなる。最近(2023年夏)でいうとビッグモーターと損保ジャパン、ジャニーズ事務所であるが、少し前の2021年の東京オリンピック・パラリンピックに関係して紳士服のAOKIと角川(カドカワ・KADOKAWA)、そして株式会社電通である。
株式会社電通の「ガラガラポン」体質については、よく知られた典型的事件がある。1件は、1991(平成3)年に過労死(過労により鬱病を発症し、鬱病の症状としての自殺念慮により自死)したラジオ局ラジオ推進部の新入社員大嶋一郎の事件である。1998(平成10)年に労働災害と認定されたうえ、遺族が安全配慮義務違反によるものとして電通に損害賠償を求めた裁判の結果、2000(平成12)年に最高裁判所が過重労働と鬱病との相当因果関係を認定し、電通が1億6千万円の賠償金を支払った。
2件目は、2015(平成27)年12月25日に、ネット広告部(ダイレクトマーケティング・ビジネス局デジタルアカウント部)の新入社員髙橋まつりが、同様に過労により鬱病を発症して自死したもので、2016年9月に労働災害と認定されただけでなく、12月28日に東京労働基準局が法人としての電通を書類送検し(2017年に有罪)、同日、社長石井直が引責辞任した。当初、電通は髙橋まつりの労働時間記録を隠蔽していたが、遺族と過労死弁護団の川人かわひと博の追及により、会社による不適正な記録62やパワハラ・セクハラの実態が明らかになった。髙橋まつりは、「女子力がない」「髪ボサボサ、目が充血したまま出勤するな」などと罵られたこと、そのようにして鬱病発症にいたる追い詰められた心情をSNSに書き残していた。
「休日返上で作った資料をボロくそに言われた もう体も心もズタズタだ」
「もう4時だ 体が震えるよ……しぬ もう無理そう。つかれた」
「土日も出勤しなければならないことがまた決定し、本気で死んでしまいたい」
髙橋まつりが入社した時期には、ネット広告部が大幅に人員削減され業務が逼迫していた。実際には実施していない広告の料金を広告主に不正請求していたたことが、翌年6月に発覚している。長期間にわたる長時間過重労働と、上司による陰惨で執拗なハラスメント、できるはずのない無理な要求を課す、徹夜してつくった企画書を「ガラガラポン」して罵倒する、株式会社電通ではそれが日常だったのである。
地方教育行政機関への浸透をはかる「ガラガラポン」勢力
株式会社電通社員の福田崇がヤクザ言葉「ガラガラポン」を掲げる物騒な団体のウェブサイトを見ると、「理念」「目的」は曖昧で、「事業目的」も一見すると具体性はない。しかし関連する事情を勘案すると、あらゆる場面に商機を見出してきた広告企業の幹部社員が次に何をねらっているかを伺い知ることができる。
事業目的
旧来型教育モデルへの問題提起・警鐘
政策立案者へのロビイング
未来の学びに関する共創プラットフォームの運営
アフターコロナの教育63
「ガラガラポン」を標榜する団体が、自分たちの活動は「旧来型教育モデル」への「警鐘」だと言っているのだから、穏やかではない。「警鐘」の次は、当然本格的に組織的攻勢をかけることになる。
「ロビイング」というのは、ふつうは政治家へのアクセスをはかるということである。しかし、「政策立案者」ということだと、法案作成がほとんど議院・議員ではなく行政機関によってなされる日本においては、「ロビイング」の主要な対象はまず内閣と中央省庁である。省庁の政務三役(大臣、副大臣、政務官)は、ほとんど与党の国会議員であるから、結局は、立法機関への働きかけと行政機関への働きかけは、特定の範囲に集中する。
地方自治体においては、都道府県知事が都道府県議会に対する議案提出権を持つ。絶大な権力を持つアメリカ合州国大統領でさえ、議会に対する議案提出権を持たない。国会だと、多数党が与党として内閣総理大臣を出すことで、立法機関と行政機関で支配的地位を確立するのだが(議院内閣制)、都道府県知事は就任にあたって議会の信任によらないので、議会に対して常に優勢に立つ。ジンベエザメのように、委員会での全会一致否決ともなれば少々難渋はするが、かと言って議会多数党が独自に予算案を策定することはないのであるから(事実上不可能)、多少の妥協は必要となるものの、議会に対する知事の圧倒的優勢が揺らぐことはない。もとはといえば議会多数派の自民党茨城県連の推薦によって知事になった橋本昌は、途中で自民党推薦を失い、同じく中央省庁の官僚だった対立候補を立てられてもそれを圧倒的票差で撃破し、労使協調的労働組合の連合体(連合茨城64)の支持を取り付けて6期までその職に留まり、議会に対する優勢を維持した。
しかし、山口武平の引退は、時代趨勢の転換を象徴するものだった。通産省=経産省の営利企業優遇、福祉後退の「新自由主義」路線が優勢になると、地方自治局面での「ロビイング」の対象は茨城県では経済産業大臣もつとめた衆議院議員で自民党茨城県連会長の梶山弘志、そして梶山が知事候補に指名した大井川和彦となる。福田がドワンゴ=大井川にどこまで働きかけたかはわからない。というより、あえて飛び込みではたらきかけたりする必要などないのである。というのも、すでに協調して活動する集団の一員だったのである。
「共創プラットフォームの運営」と「アフターコロナの教育」は、舌足らずだが、ICT機器を多用する教育方法への方向づけと解釈して間違いないだろう。当面は「N高校」「S高校」のような広域通信制高校の全国展開と公立高校の教育活動への浸潤であり、そこから連続的かつ一斉に既成の公立学校全部を「ガラガラポン」して、ICT企業とサブカル企業ドワンゴのマーケットに作り替えることである。
すでに先行して地方自治体を掌握し、「S高校」誘致を実現した大井川は、附属中学校を含む県立高校の配置と、県立学校教職員人事体制に変動をおこしている。県立高校についていうと、橋本昌は都市部の県立高校の縮小による私立高校への市場譲渡、ならびに農村に立地する県立高校の大規模削減を実行したが、大井川はその上にたって、従来手付かずだった伝統校(おおむね「〇〇一高」)の一斉組織改変と人事体制改変に着手した。大井川以前であれば、もっとも「偏差値」の高い「進学校」とされる土浦一高を中高一貫校に改変して、教員免許も教育関係の経験もない外国出身者を校長にしたり、それに次ぐ水戸一高に文科省からの天下り官僚を据えるなど、誰も考えなかった。
教育ガラガラポン projectの社団法人化をご支援いただける方から資金、ヒューマンリソース、専門知識(法律、会計など)を幅広く必要としています。65
「資金」はともかく、「専門知識」を幅広く必要とするということは、現状では「専門知識」に欠けるということだろう。まだ「人財」不足なのだ。しかしながら、「専門知識」もないのに攻撃目標をさだめ、「警鐘」の段階から、次の実力行使としての人的浸潤と組織関係形成の準備をしているのである。
株式会社電通の新市場開拓をめざす水海道一高校長
「ドワンゴ」については、根拠もなく言及したのではない。「専門知識」には事欠いても「ヒューマンリソース」はある程度揃っているようだ。「教育ガラガラポンproject」のウェブサイトに記載されているメンバーを見ると、社団法人化を目指しているとかでまだ任意団体なのに、福田は「代表理事」を、他のメンバーは「理事」や「監事」を名乗る。その「理事」のひとりの梶原純は、具体的役職は説明していないが、2017年にN高校の「部長」だったという66 67。ということは、2016年にシスコシステムズから移り、翌2017年9月に知事になる直前まで株式会社ドワンゴにいて、「N高をつくる仕事をしていた」と言っている大井川とも、面識があった可能性が高い。ということは、株式会社電通の社員で「教育ガラガラポンproject」の代表理事である福田崇も、すでに大井川と面識があった可能性もゼロではない。「世間は狭い」のではなく、そのような「狭い」ところで動いていた者らが、最初は沖縄の「N高校」、ついで茨城の「S高校」を拠点として、数万人規模の通信制高校を展開しつつ、地方教育行政機関と学校に入り込んで来たのである。
「東洋経済」による株式会社電通福田のインタビューの続きはこうである。
しかし、実際の教育現場を知らずに、このままこの仕事をしていていいのか。いつか現場を経験する必要があるのではないかと考えるようになったのです」
「この仕事」を続けることに疑問をもち、電通を辞めて、茨城県の中高一貫校に転職してきた、というのではない。「この仕事」を続けるうえで、「実際の教育現場を知」ること、つまり「現場を経験する必要がある」ので、茨城県の「民間人校長」採用に応募したというのである。次は、「教育ガラガラポンproject」のメンバー紹介欄に福田崇が自分で書いた経歴の一部である。
1996年株式会社電通に入社。マーケティング4年、クリエーティブ10年、プロモーション8年、統合2年と広告・コミュニケーション制作に関わるあらゆる手口を「ブランド」の考え方で結びつけて仕事をしている。〔略〕カンヌでの審査員の経験などから、海外の問題意識の持ち方や、その解決のためのアイデア作りなど、日本の型にはまった力の出し方とは異なる発想に興味を持ち、その源泉である教育研究にたどり着く。 昨今の教育のグローバル化、教育者主導から学習者主導への大きな変化に飛び込むために、2019年「教育ガラガラポン」プロジェクトを立ち上げ、初年度はインターナショナルスクールを中心にプロジェクトを進行中。 68
職歴を見ると、就職後はしばらく営業部門にいて、20歳代おわりからの10年間、テレビCM制作をしていたようである。これを電通では「クリエーティブ」というらしい。そのあと販売促進(「プロモーション」)を8年やり、「民間人校長」になる直前は「クリエーティブ・ディレクター」すなわち制作担当者を管理する管理職だったようだ。ヤクザ言葉「ガラガラポン」でもそうだったが、仕事の手法を「手口」と言うなど、いささか柄が悪い。
福田は、2019(令和1)年に「教育ガラガラポンproject」を始め、電通社員であることを看板にして、いくつかのイベントに顔をだしている。2019年9月15日に、株式会社IST(International School Times)が明治大学内の会場で開催した集会に、新設私立学校のCHIST(千代田インターナショナルスクール東京)学園長補佐、ドルトン東京学園の副校長補佐とともに「ファシリテーター」(進行係?)として参加した。
その予告記事中の自己紹介で「電通 教育ガラガラポンプロジェクトを立ち上げた」と書いている69。ということは、「教育ガラガラポンproject」は、電通と無関係の団体ではなく、将来の教育関係の活動開拓を目的として会社公認のサークルとして設立されたものなのだろう。福田以外の「理事」らは電通社員ではないが、いずれも関係のありそうな業界団体などのメンバーである。ちなみに、9月15日の集会の主催団体である株式会社ISTの代表取締役である村田学まなぶは、「教育ガラガラポンproject」の「監事」である70。このような場面で、福田は電通の社員として活動しているとみていいだろう。
福田は2019年ころから、電通の新たなマーケットとなるべき学校教育関係、すなわち国と地方の教育行政機関、さらに公立私立学校について様子を窺っているわけだが、当然ながらその程度では足りない。そこで、「いつか現場を経験する必要がある」として、「民間人校長」募集に応募したのである。福田が書いた「『あたらしい校長あいさつ』 なぜ、電通 クリエーティブ・ディレクターは、『あたらしい校長あいさつ』を執筆したのか? 」という文章がある。
この記事は、先日行われた「未来の先生フォーラム」にて発表した「あたらしい校長あいさつ」という講演をベースにしたものです。きっかけはこの春、僕が大阪府の民間校長公募に応募してみようかな、と思ったことです。僕が校長だったら、こんな風に先生方を鼓舞して、新しい教育、学校をつくりたいなという妄想です。あくまで教育現場経験のない人間の戯言ではありますが、込み入った事情を知らないからこそ発想できる部分もあるはずだと思っています。71
2021年9月1日の日付である。福田は、大阪府72の「民間人校長」制度も調べたようだが、電通を退職しなければならないということで断念したようである73。本当は受験して落ちたのかもしれない。いろいろ批判を浴びた大阪でさえ許さない「出向」を許可する茨城県の異常性は際立っている。
この福田に講演させたのは、ウェブサイト「eduJUMP」を運営している「未来の先生フォーラム」74という団体である。「教育現場経験のない人間」に、教員を相手に教育について講演をさせるとあっては、いささか呆れるしかないが、それでもたった1時間くらいのことだろう。しかし、大井川が取り仕切る茨城県教育庁はこの福田を1673人の中から選んで、水海道一高に4年間の任期で招き入れたのだ。
学校教育法が許容しない活動をおこなう電通社員
学校教育法の規定により、校長は生徒の「教育」をおこなうことはできない。具体的には、授業を担当することはできない。副校長も同様である。そうなると、いまだに黒板とチョークの授業は古い、とか、ICTを取り入れなければならない、と言ったところで、まさか教諭に命令してやらせるわけにもいかない。また、「部活動」として(副)校長みずから新しい「部」をつくることもできない。そこで福田は、放課後に希望する生徒を募って「学校行事」としての活動をおこなうことにした。
「eduJUMP」での連載(ただし、3回ほどで中断し、その後新記事は公開されていない)のうちのひとつ、「〝福〟校長奮闘記②いろいろやりはじめました。!」における紹介である75。
⑴ プロが教える動画編集教室! 文化祭のオープニングムービーの動画編集に プロのCM監督を招いてPremireProを使った編集教室を開催! (5月31日)
⑵ 「電通クリエーティブ・スクール、開校! 第1回「面白いことには、価値がある」 (6月3日)
⑶ ECCさんとVR英会話体験! (6月15日)
⑷ 東大生考案!職業選択ゲーム! 東京大学片平ゼミ生11人がやってきて生徒たちと ワークショップ!テーマは職業選択! (6月29日)
⑴は生徒の文化祭実行委員会から相談を受け、6月の文化祭での上映用の動画の編集について指導したという。自分のパソコンの動画編集ソフトを使わせたというのだが、「プロのCM監督を招いて」編集を教えたというのである。福田はすでに現役のCM制作担当ではなく、管理職の立場にあったから、電通社員もしくは委託先業者の「プロ」を常総市まで呼んだということだ。公費で報酬や交通費を支払うなどありえないだろうし、団体費と称するPTAないし後援会費から支払うことも難しいだろう。電通がその給料分や交通費を負担したか、さもなくばタダ働きをさせたということだろうが、それもかえって電通らしい。
⑵は、副校長が「学校行事」と称する場を設定し、自分が管理職である株式会社電通の部下の社員を数人呼んで、CM制作についての説明をおこなったようだ。福田が、部下を従えて、みずからマイクを握って説明している写真がある。壁の時計は5時48分である76。費用は⑴同様だろう。こうなると「学校行事」ではありえず、電通が公立学校内で自社の宣伝をしているも同然である。
⑶は、外国語教育企業を呼んで、教材の体験をさせたものだが、福田は「このプロジェクトは継続して、生徒主体でオリジナルの英語学習プログラムを開発して、 ECCさんと協業して販売するところまで持っていきたいと思っています 」という。「学校行事」の名を借りた電通とECCによる教材販売のための場になっている。
⑷は、福田が東京大学経済学部での指導教授だった片平秀貴ほたかのゼミの学生11人を呼んで(片平は定年退職しているので、どのような「ゼミ」なのかは不明)、ゲームをしたり質疑応答をさせたというものである。交通費などは福田が個人で負担したか、電通から支出したかいずれかだろう。
「授業・部活以外に主体的に学べる『第三の教育の柱』を作りたいです」ということで、ことごとく卒業校や在籍企業での自分の経験や権限にもとづいて、内容を決め、そこから人員を呼んでの企画である。一般的に、企業や団体から講師を招いて講演会やワークショップを実施することはありうることだが、それは「教科」の授業や「探究学習」の一環であったり、「特別活動」としてのホームルームなどで「進路」に関する学習としておこなわれるのである。いずれも「教育過程」に位置付けられたものであり、当然のことだが教諭や実習教員が担当するのである。福田の場合、校内放送で生徒を集める手伝いを教頭にやらせたほかは、自分一人の発案により計画し、みずから直接に実施したものである。当然、職員会議などで検討してはいないし、費用など実務上の取り扱いも不明瞭である。それを生徒の下校時刻を過ぎたあとまで実施するとなると、厳密にいうと学校の管理下にある教育活動とするのは無理だろう。
校長・副校長以外の教諭がこれと同じことをすることはほぼ不可能である。たとえば、管理職員はもちろん他の教職員にも諮らずに、元いた会社から人を呼んでその会社の宣伝をさせるとか、自分が所属するサークル、さらには知り合いが役員をしている団体から10人以上も呼んで自由に振る舞わせるとか、僧職の兼業許可を得ている教員がその宗派の説教士を呼んで布教活動をさせるとか、懇意にしている営業マンの教材会社の試作品を生徒相手に使わせてみて、改良や商品化の手伝いをする……、など。刑事事件にはなるまいが、地方公務員法違反のかどでの懲戒処分もありうるし、学校事故でもあれば学校安全センターは、教員の私的行為によるものであり学校の支配管理下にあったとはいえないとして生徒への補償を拒否するだろう。そして、個人として民事上の損害賠償責任も回避できない。教員も地方公務員災害補償基金から「公務外」の私的行為だとして補償を拒絶される。
上の⑴から⑷とは別のようだが、「夏休みのキャリアガイダンスには電通から14人のプランナーが参加」したと、電通のウェブサイトに福田が書いた記述がある。校内で撮影した写真も掲載されている77。1社で14人も動員したとあっては、他社を圧倒しただろう。
「クリエーティブ」を名乗る広告制作者
電通社内では、CM制作を担当する従業員を「クリエーティブ」と呼ぶ。福田は、10年間その仕事をし、「出向」直前には「クリエーティブ・ディレクター」という中間管理職だった。
国民が日々目にするテレビや新聞などのCMの多くが、電通によるものである。業界第2位の博報堂の4倍くらいの売り上げがある寡占企業である。その背景には、欧米のような「一業種一社原則」をとらず、ライバル企業同士の広告宣伝をひとつの広告会社が担当するという日本独特の風習がある。アメリカ合州国だと、ゼネラルモータース(GM)の広告と、フォードの広告は、別の広告会社が担当するのだが、日本だと業界一位のトヨタ自動車も、二位のホンダも、いずれも電通が受ける。政党についてまでそうである。こうして、電通一社が巨大化することになり、新聞、雑誌、テレビ、ラジオのスポンサーと電通が、記事・番組の内容に一体的に支配的影響を及ぼす。
報道番組や新聞社会面は、スポンサーの広告を取り次いでいる電通について批判めいたことをいうのは、極度に困難になる。電通に関する分析や批判などは、新聞、雑誌、テレビ、ラジオではほとんどというよりまったく登場しない。業種は違うが芸能事務所の「ジャニーズ」の問題が、新聞テレビで徹底して隠蔽されてきたのと同じである。電通従業員の過労死事件が取り上げられたのは、遺族と過労死専門の弁護士川人博が発表したものをマスコミが報道することによるのであり、報道企業記者の独自取材などは決しておこなわれない。
2021年の東京オリンピックをめぐっては、早い時期からエンブレムの「盗作」問題や、渡辺直美に対する中傷問題などもあったが、いずれも担当者個人の問題に矮小化して報道され、広告および芸能・スポーツ興行を取り仕切る独占企業の電通が、オリンピック開催国における準備と実施の全体において支配的な役割を果たしていることには、ほとんど目が向けられなかった。
準備段階でも準備委員長竹田恒和の汚職はフランスでは問題になっていたのに、警察検察はもちろん日本のマスコミもほとんど無視してきた。大会自体が終わったあとで、やっと公正取引委員会や東京地検特捜部による強制捜査や容疑者逮捕があってはじめて、電通が問題視されるようになる。それでも、「ジャニーズ」問題と違って、広告主や広告会社への気遣いをしなくてよいNHKと他社の温度差はかなり大きい。
こうして電通の仕事は批判を許さない神聖なものに祭り上げられる。莫大な売上・利益をあげる企業と、その広告を担当する電通は、消費者たる国民の目には一体のものと映る。巨大企業の偉大さは、電通の偉大さと一連のものであり、広告に対する異常に高い評価をともなう。福田の場合も、会社内でお互いに呼び合っている「クリエーティブ」を対外的にも必ず用い、とりわけいまや中間管理職となり現役でなくなったあとも、自らをそう呼び続けるのである。
「クリエーティブ」とは、一般的には、制作者 producer と呼ばれる職種のようである。広告を企画し、カメラマン・音声担当・俳優とそのメイク服飾担当者・小道具係・イラストレーター、音楽担当、ビデオ編集者などを指揮してCMを制作する役割は、規模はまったく違うが、映画でいえば監督(ディレクター)兼制作者(プロデューサー)というところだろう。当然、自分ではカメラも編集機器も操作しない。福田はさほど高価ではない画像編集ソフトくらいは持っていてそれを生徒に使わせたりはする。撮影機器も学校PRくらいであればスマートフォンかホームビデオカメラで用が足りるのだが、いざ撮影技法を教えるとなると自分にはさほどの技能がないから、敢えて動員力を誇示するためもあって、カメラマンはわざわざ東京から呼んでくる。学校がある常総市水海道は、東京都心から車(常磐自動車道谷和原やわらインターチェンジ)でも電車(TX守谷もりや駅乗り換え関東鉄道常総線水海道駅)でも1時間ほどである。
creative は形容詞としては「創造力のある、独創的な」であり、名詞としては「創造性のある人」というもので、CM制作者の呼称としてはいささか大袈裟すぎる。会社内で呼ぶ程度にとどめておいたほうがいいようなものだろう。根本的にいうと、名詞 creation は一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム)における「創造」、すなわち神 God による世界 World と人間 Man の「無からの創造」である、「創造」をなしうるのは、神 God だけである。どんなに卓越した人間であっても、創造する create ことなど到底あり得ないのであり、いくら優れたことをなしたとして、それは creative 〝創造的〟であるのが精一杯で、しかも自称したりするようなものではない。日本人であって一神教徒でないからそんなことは関係ない、などというのであれば、こんなところで英単語を使う必要はないし、まして英単語を間違って使うのをやめるべきだろう。
「人間は創造しない。人間は発見するだけであり、その発見から出発する。」(ガウディ)78
大井川の「天才」にしても、福田の「クリエーティブ」にしても、ものごとの評価基準が大幅にずれている。「カンヌ」で審査員をしたというのだから、その業界の狭い仲間内では立派なのだろうが、そうだとすると、「教育ガラガラポンproject」のウェブサイトとか、自身がデザインした電通のウェブサイトのページ79も、手を抜かずにもうすこしきちんと作るべきだろう。
学校PRのビデオ80を見ると、素人だとどうしてもワンカットが長すぎて冗長になったり、カメラの〝寄り〟がたりず間延びしてしまうのだが、コマ割りも歯切れがいいし、ぐっと寄った映像は迫力がある。経緯の説明からして生徒が作成したのかと思っていたが、どうもそうではないようだ。福田は、脚本と「プロモーション」は自分が担当したと言っているが81、それ以外でも生徒がどこまでタッチしたかわからない。通しで入っているBGMに映像が完全に同期しているなど、編集まで電通関係者が手を入れているようにも見える。しかし、少々やりすぎていてアップ映像がめまぐるしく、せわしない。内容は、在り来たりの部活紹介が中心であり、そこに授業と「探究学習」、制服紹介、校舎紹介を追加し、そのついでに「電通クリエーティブ講座」まで紛れ込ませてある。
見た者がそう感じて欲しいということなのだろうが、「海一は面白い」を先回りして字幕と音声で連呼してしまうので、結局は押し付けがましい学校CMになっている。「プロ」のCM製作者の性癖が出てしまったようだ。ビデオ編集を教えたというのは、文化祭用のビデオの方であって、これは全部電通がつくったということかもしれない。生徒に作成させたのは最初のうちだけだったようだ。そして、問題は中身である。表層的技巧に関心を集中し、本質的内容とは乖離した外観にこだわる広告業界の作法が歴然としてしまい、中身抜きの「ブランド」志向が煩わしい。
内実と無関係な表層にこだわるブランド志向
福田は、「校長先生は、その学校のブランドの一部であり、そして決定者でもある」と言う82。「水海道一高」がブランドだと聞くと、唐突な印象を受けるが、福田にしてみれば大学で指導教授だった経営学者の片平秀貴から学び、電通就職後は「クリエーティブ」として広告による「ブランド」作りの仕事をしてきたわけである(「URでアール」は福田の仕事のようだ)83。この「ブランド」志向は今もそのまま続いているようで、それを公立高校において形にしようと努力しているということのようだ。「ブランド」志向は、世間一般では批判的な意味合いで捉えられるのだが、東大経営学や株式会社電通はそこにおいてこそ存在意義があるようだ。片平秀貴は2004年に退官し、現在は「丸の内ブランドフォーラム」という団体の代表となっていて84、福田もそれに参加している。この「丸の内ブランドフォーラム」(MBF)の「哲学」は、次のとおりだそうだ。
永続する笑顔の循環を育む Co-building an Eternally Growing Spiral of Smiles85
株式会社電通内の呼称の「クリエーティブ」を看板にしている福田は、それを学校の看板にしようと提言している。86
文部科学省が認定しているSSH(スーパーサイエンスハイスクール)があるなら、SCH(スーパークリエーティブハイスクール)を自称して、『クリエーティブなら水海道一高』と言われるような学校にしたいです。この肩書きが浸透すれば、先生たちもクリエーティブな授業をしているかを常に意識して取り組むでしょうし。そうすれば、水海道一高は、進化し続ける学校になるでしょう。
本来の語義からずれた呼称が、いずれ水海道一高の「肩書き」となって、教員は職務遂行にあたっての判断基準にしなければならないことになりそうだ。とはいえ、その内実はどこにも具体的に示されていない。それというのも、「ブランド」(焼印)はそれが焼き付けられた当のものとの本質的対応関係は、およそ存在しないのである。たんに所有関係を外形的に表示するものとしての「ブランド」(所有者の徴標)がそのもの(牛)の表面(皮膚)に印づけられるにすぎない。
このような、現実とはまったく噛み合わないことを校内で言って回るのも、3か月でネタ切れになったようで、「エン」や「eduJUMP」のウェブサイトへの発信も途絶えた。2023年度の水海道一高の「月間予定表」を見ると、毎月一回「クリエーティブ」講座を実施しているようだが、タイトルを見る限り、2022年の最初の3か月でやったことの繰り返しである。
かくも「改革」とは大変なのである。1回だけ、3か月だけ、最長でも1年だけなら、なんとか目新しいことをやって純真な人たちを〝あっ〟と驚かせることはできても、その〝あっ〟という間に種が尽きてしまうのである。
オリンピックをめぐる株式会社電通の贈収賄および独占禁止法違反
髙橋まつりの事件に関連して、労働基準法違反で有罪判決が出され、株式会社電通の社長が引責辞任した時期は、2020年開催予定のオリンピック・パラリンピック組織委員会から、マーケティング専任代理店に指名された電通が、さまざまの違法行為・不法行為を本格化させる時期でもあった。87
オリパラ組織委員会のマーケティング局は、局長以下幹部のほとんど、そして職員306人中110人が電通からの出向者だった。不慣れな素人集団であるオリパラ組織委にあって、電通職員はイベント開催の「プロ」として大きな役割を果たしていたが、それを統括したのが圧倒的な実績をもち、「レジェンド」と言われる電通の元役員髙橋治之だった。組織委は、AOKIとの5億円のスポンサー契約、KADOKAWAとの2.8億円のスポンサー契約を結んだが、それを取り仕切った髙橋治之は自分のコンサルタント会社を通じて、それぞれ5100万円、7600万円の賄賂を受けたとして、逮捕された。組織委職員は、オリンピック特別措置法により「みなし公務員」として刑法の適用を受ける88。
さらに、電通など広告大手企業やイベント制作会社6社は、組織委員会が発注した各競技のテスト大会の計画立案業務の入札や、本大会の運営業務など総額437億円の事業を対象に不正な受注調整を行っていたとして、電通の元幹部の逸見晃治らが独占禁止法違反の罪で逮捕された89。このほか、ロゴマークをめぐる「盗作」事件、さらに開会式企画をめぐる渡辺直美に対する差別事件、あるいは不当に高い賃金を請求しての「中抜き」など、電通が関係した違法行為・不法行為は数えきれないほどである。
本稿はそれらについて全体を示すことはできないが、福田崇に関連するところでいうと、独占禁止法事件での電通などの職員の逮捕を受けて、政府や自治体が電通を指名停止としている。内閣府、経済産業省、文部科学省は、2023年2月15日から電通ほか2社について、独占禁止法の「不当な取引制限の禁止」に違反したことで契約の相手方としては不適当だとし、発注する事業について指名停止措置をとった90。東京都も2月から2024年8月までの期間、同様の措置をとったほか、その期間後については入札においてペナルティーを科す検討をおこなうとした91。
当然、茨城県においても同様措置をとるべきであるが、業務委託の入札における指名停止などの措置をとったとの広報や報道はない。「民間人校長」に関して言えば、電通職員の採用、すなわち電通を退職しての転職であっても不適切であるが、電通の従業員の身分を維持したまま茨城県の職員として採用することなど論外である。
いわゆる「出向」と言われるものも、実際には身分の重複はありえない。たとえば総務省の職員が茨城県の総務部長として「出向」するという場合を例にとると、3月31日付けで総務省を退職し、翌4月1日付けで茨城県職員として採用されるのである。もとの職は失い、退職金も支給される。まして何年後かに復帰することが正式に決まっているわけではない。そして、何年後かの3月31日付けで茨城県を退職し、翌4月1日付けで総務省職員として改めて採用されるのである。「出向」している間に、茨城県職員が地方公務員法上の兼職兼業手続きを取って、総務省職員を兼職するなどということはありえない。もちろん逆もない。まして、茨城県職員が、兼職兼業手続きを取らずに総務省職員を兼職するなどということは到底ありえない。
福田の場合、電通の従業員であり同時に茨城県職員であるようだ。電通を休職しているのか否かは知りようがないしその間の待遇もわからない。いっぽう茨城県職員として、兼職兼業手続きは取っていない。というのも、茨城県教育庁がはじめから「出向」という名の兼職を許しているのである。
募集を委託された「エン」の、画面表示である。
~現職を辞めずに働くことも可能です~
場合によっては、現在働いている企業に所属したまま、出向という形での働き方も。実際、一足先に入職した者の中には、もともと勤めていた企業を辞めずに出向で働いている者もいます。ご希望であればご相談ください。92
会社に恩返しするつもりの電通社員
福田は、茨城県職員として働くにあたって、電通を利用しているというわけではない。逆である。内容は少々重複するが、副校長として3か月勤務した時点での「エン」の社員によるインタビューを掲載した「日経転職版」の記事である。93
── 電通に籍を置きながら出向という形で働いているそうですが、なぜ、そうした働き方を選んだのでし ょうか。
「電通で26年間働いてきて、本業は面白く、企業のブランディングに携わるクリエーティブディレクター は天職だと感じています。一方で、クリエーターは常にチャレンジを求める生き物。それが私にとってずっと夢を見てきた『教育』でした。出向であればキャリアが途切れるリスクを抑え、やりたいことに挑戦できることが、応募の決め手になりました」
「実は長いこと、本業のキャリアを大切にするか、教育に携わる夢をかなえるか、てんびんにすら掛けられ ずにきました。そういった時に出合ったのが、教員免許不要で出向で働ける茨城県の『校長公募』です。選考では教育委員会の方々や知事と面接し『私のやりたい教育』について話しました。出向という働き方も前向きにとらえていただき、先進性を感じました」
―― 電通側の反応はどうだったのでしょうか。
「前代未聞だったと思うのですが、快く送り出してもらえました。実は以前から教育プロジェクトを立ち上げ、社内外で積極的に活動しており、それも良かったのだと思います。教育分野に対する情熱は、一定程度社内で理解されている状態でした。会社の柔軟な対応に感謝しており、いずれはここで得た知見を還元し、 恩返しできればと思っています」
転職斡旋業者が、つぎの応募者への宣伝のために、成果の一例として福田を取り上げているPR記事である。インタビューを受ける福田は、自分が「やりたいことに挑戦できる」という個人的願望をかなえることが、茨城県の「民間人校長」に応募した動機だという。福田には、茨城県という地方自治体の目的、すなわち県民の福祉向上のために働くという意識はさらさらないようだ。「やりたいこと」という子どもじみた夢をかなえることは、会社(電通)の利益と相反するものではない。それどころか、「以前から教育プロジェクトを立ち上げ、社内外で積極的に活動」するのを許し、「出向」させてくれた会社に「感謝」し、「恩返し」したいのだという。茨城県庁と茨城県民は手段として利用する対象でしかなく、すべては会社(電通)の利益が目的なのである。
しかも、ヨゲンドラもそうだったが、最終面接の場に大井川がいたこと、そこでの会話の内容まで喋ってしまうのである。何百とある出先機関・出張所の長として、期限付き職員の採用面接に、本社の社長が出ることなどありえないだろう。そんな大井川の常軌を逸した振る舞いを、合格者が全部喋ってしまうとは、まさに語るに落ちる。県民のためでなく会社のために「民間人校長」として活動すると言って憚らない、しかもヤクザ隠語「ガラガラポン」掲げるガラの悪い電通社員を、知事が直接面接して採用してしまったのである。
地方自治体の知事が、抜け目のない会社とその社員にまんまと利用されたと見ることもできるが、別の見方もできる。福田が茨城県や茨城県民を手段として利用し、会社に「恩返し」するのを目的としているように、大井川もまた、茨城県や茨城県民を手段として利用し、何ものかに「恩返し」することを目的としている、と考えることもあながち否定できない。つまり、大井川は「民間人知事」なのである。このことについては、後ほど(7節)考えることにする。
「公私混同」気質を発揮する知事大井川の相似形としての「民間人校長」福田の話が長くなりすぎた。他の「民間人校長」について見てゆく。
就職先を探していた「民間人校長」たち
「民間人校長」の給与額は次のとおりである。94
月給60万8000円以上+賞与年2回
※特に顕著な業績をあげた場合には、年に1度特定任期付職員業績手当(月給相当額)を上記にプラスして支給する場合があります。
年収例 960万円/1年目 1060万円/2~4年目
普通の校長より1割か2割程度高額のようだ。国立大学准教授だった鈴木や、文科省職員だった御厩と下山田でもいくらか年収増になるだろう。そうはいっても、一般職の公務員から見れば高給とはいえ、ICT関連の先進的企業の、英語に堪能な管理職である「民間人」が応募するような給与水準ではない。しかも4年間の非正規雇用である。株式会社電通の中間管理職だった福田崇だと元の給料の半分にもならないだろう。「ブランド」企業花王の生井も、電通の福田同様の高給取りだろう。
どうして大井川と同じかそれ以上の高給取りの一流企業のエリートサラリーマンが、わざわざこの低賃金職場に転職するのだろうか。福田は電通に戻る、というより電通から「出向」してきているのであるから対象外である。そこで、2022年に着任した「民間人校長」の3人目である水戸一高の御厩については後で触れることにし、2023年に下妻しもつま一高(下妻市)に着任(1年目は副校長)した生井秀一なまいしゅういちについて見ることにする95。
生井は花王で、「EC責任者・DX推進の部長職を歴任した」96という。花王は、福田崇の師の片平秀貴いうところの有力な「ブランド」のひとつである97。ECとは「電子商取引 electric commerce」、DXとは「デジタル化 digital transformation 」とのことで、生井自身が転職前に「ネットショップ担当者フォーラム」というウェブサイトのインタビューで詳細に説明しているのが参考になる98。転職先探しを始める前の記事であるが、ECとかDXとかのもっともらしい業界用語を簡単にいえば、生井の仕事はインタビューを受けたウェブサイトの名称のとおり、花王における「ネットショップ担当者」だったということである。
そんな時代の最先端をいく花形職業の人がどうして「民間人校長」になったかというと、転職先を探していてたまたま茨城県の県庁が「民間人校長」を募集しているのを見て、応募したというのである99。たまたま目にしたという経緯はこのあと見ることにするが、2023年4月に下妻一高の副校長に就任した生井は、ほぼひと月に2回くらいのペースで株式会社宣伝会議のウェブサイトに記事を書いている100(鉤括弧内は引用。他は要旨)。
「私は改革をするために赴任したのではない。いま学校に足りないものを加えることによって、これまでできなかったことを実現可能にしていく。……最終的には生徒のためになっていく。……まさにメーカーで学んだ『顧客第一主義』の徹底です」(5月11日)
「ストアアドバイザー(企画提案型営業)の……基本活動とは、1、定番チェック、2、売り場レイアウト表作成 3、エンドプロモーション計画の作成……です。」「下妻一高の図書館をドラッグストアの売り場に例えて売り場提案を企画してみました。」「探究の授業のサポートにつなげようと、私の経験を活かし、『マーケティング関連書籍』のコーナーも新たにつくりました。」(6月9日)
中学校や小学校へのトップセールスをするにあたって、ホームページやSNSなどの媒体を組み合わせたIBC(Integrated Brand Communication)プランを考えた。応援団がYouTubeに動画をアップし、「先導〔先陣?〕を切ってマーケティング活動を行ってくれているのは」ありがたい。(7月5日)
「私は花王時代に、このロングセラーブランド〔「メリット」〕を担当した経験があるのですが、県内きっての伝統校である下妻一高の学校経営にも生かせるのではないかと考えています。……『メリット』担当時代には、ふけかゆみを防ぎたい、地肌悩みを抱えているコアファンを大切にしながら、新規顧客となる子育てする母親をターゲットとして獲得してブランド育成をしてきました。……私が目指す、新たな価値を創造する『起業家精神』を育成する教育を実現するために妻一つまいちブランドをどうアップデートしていくか。……まさにロングセラーブランドの育成の難しさが、伝統校ならではの難しさがあると感じています。」(8月2日)
部活動の顧問の教員のひとりが、図書館に設置した「マーケティング本紹介コーナー」の本を読んで、部活動のPRに生かしてくれ、文化祭でラスクを販売し、完売した。(7月24日)
「マーケティングゆるゼミ」がTBSラジオを訪問し、番組に出演した。民間校長にしかできないキャリア教育支援である。(9月1日)
「学校説明会では、体育館というリアル会場を使い応援団と吹奏楽による演技披露をした他、デジタルでは、SNSを通じた情報発信をしました。……花王のEC業務で経験していた、自社のコンテンツを自ら発信する、D2C〔direct to comsumer〕の店長業務と似たような感覚を覚えます。」(9月19日)
「大学の推薦入試の課題に対しても、Pros・Cons分析〔シンプルな意思決定手法〕やSWOT分析〔多面的な視点で意思決定〕を使って答えを検討してみました。」(10月2日)
生井は吉本興業にも所属しているとのことで101、転職直前までラジオにも定期的に出演していたようだ。そのせいもあるのか、「ばっさり」の太田垣とか「ガラガラポン」の福田のような強面タイプではないようで、「私は改革をするために赴任したのではない」と物腰もやわらかい。
しかし、突然やってきたところで、学校教育には特段のかかわりや思い入れもないのだから、花王時代の経験と、MBAを取得するために通った早稲田で聞き知った経営学用語で粉飾して、いろいろなことを始めようと必死に努力する。ドラッグストアとかコンビニまわりの営業の経験があるから、太田垣や福田のように尊大ではなさそうで、職種差別意識もないらしく、図書館でたまたま同時に赴任した司書といっしょに棚の配置改善に取り組んだりする。展示の工夫だとか特に目新しいものでもないが、昔のコンビニまわりの経験を生かしたようだ。生井はそんなことは知らないだろうが、県教育委員会はここ何十年にわたって学校図書館の人減らし(1人しかいないから無人になる)、事務職員との兼務などで冷遇してきたのだが、伝統校ということでたまたま司書がいたのは幸運だった。
ほかのページを見ると、夏の中学生対象の学校説明会で部活動を目玉にするなど特に新奇ではないのだが、それにいちいち営業用語を付けてみせている。うっかりすると何かのパロディかと思えるが、本人は至って真剣のようである。
福田のように教頭に動員の手伝いをさせて数十人をあつめたうえで、会社や大学からの講師役の電通社員や学生の大動員を掛けるというほどではないが、生井も放課後に4人程度とささやかな私的サークルを始めている。彼女らを日曜日に赤坂のTBSに連れて行くのだが、そのささやかな公私混同ぶりはほとんど教育実習生のようである。
生井も「メリット」シャンプーの経験を「妻一つまいち」の「ブランド」化に活かそうとするなど、福田同様のブランド志向をもっている。花王が電通を使っているのかどうかは知らないが102、生井と福田はけっこう近い世界で生きてきたようだ
49 https://www.nhk.or.jp/mito-blog/300/482150.html
50 Douglas McGregor, The Human Side of Enterprise : 25th Anniversary Printing, 1960 : 1985, McGraw-Hill, p.138. ダグラス・マグレガー『企業の人間的側面』〔高橋達男訳〕1970年、産能大学出版部、160頁
51 Peter F. Drucker, Innovation and Entrepreneurship, 1985, Butterworth-Heineman, Oxford, pp.144-45. P.F.ドラッカー『イノベーションと企業家精神』〔上田惇生訳〕1985年、ダイヤモンド社、269-270頁
52 https://www.education.tsukuba.ac.jp/institute/member/浜田博文/
53 https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20230117/se1/00m/020/035000c 1年程度は掲載されるようである。
54 中西新太郎他『教育DXは何をもたらすか』2023年、大月書店
55 https://bunshun.jp/articles/-/63955
56 https://www.pref.ibaraki.jp/bugai/koho/hodo/press/19press/p230706.html#a7
57 2022年11月1日、https://www.asahi.com/edua/article/14753527
58 沖縄生まれの歌手・俳優。株式会社ドワンゴ顧問川上量夫の知人。
60 東洋経済ONLINE、2022年8月27日、https://toyokeizai.net/feature/ict-edu(リンク切れ)
61 https://www.garapon.org/#top
62 「茨城教育研究所通信」第36号、2023年、https://ibakk.web.fc2.com/36tuusin.pdf
64 http://ws1.jtuc-rengo.or.jp/ibaraki/
66 「2017年 N高の部長(通学コース →新規事業→ 戦略室の責任者を歴任)。その他、学校法人や自治体のアドバイザー、財団の理事なども兼ねる公・私領域を問わず、教育をデザインして組織を作り、広げるのが専門」
https://2022.kgforum.info/koushi/kajiwara-jun/
67 「学校法人角川ドワンゴ学園 N高等学校の部長を歴任。」https://www.garapon.org/#_6
68 https://www.garapon.org/#_6
69 2019年9月7日、https://istimes.net/articles/1231
70 https://www.garapon.org/#_6
71 2019年9月1日、https://edujump.net/article/6834/
72 LITERA、2017年10月14日、https://lite-ra.com/2017/10/post-3512_3.html
73 「AMBI」、2022年8月29日、https://en-ambi.com/featured/870/
74 https://mirai-sensei.org/aboutus/
75 2022年7月7日、https://edujump.net/article/8678/
76 2022年8月23日、https://edujump.net/article/9021/
77 https://www.career.dentsu.jp/recruit/2024/life/article_24.html
78 外尾徳敏による
79 https://www.career.dentsu.jp/recruit/2024/life/article_24.html 福田は校長在任中に電通の仕事もしている。
80 https://www.youtube.com/watch?v=_CDbiFZXxD8
81 https://www.youtube.com/watch?v=YDHX99Pnl8s
82 https://en-ambi.com/featured/870/
83 AMBI(「エン」の募集サイトのひとつ)、2022年8月29日、https://en-ambi.com/featured/870/
84 https://mbforum.jp/片平秀貴 プロフィール feb-2020/
退官したのに今も「ゼミ」を担当しているようで、前述のとおり福田に学生を派遣したりもしている。
85 https://mbforum.jp/about/about3/
86 https://edujump.net/article/9021/
87 NHKクローズアップ現代、2022年10月12日、
https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pGd17KBLBz/
88 令和三年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法(平成27年法律第33号)第二十八条 組織委員会の役員及び職員は、刑法(明治四十年法律第四十五号)その他の罰則の適用については、法令により公務に従事する職員とみなす。(https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=427AC0000000033)
89 NHK NEWSWEB、2022年2月28日、https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230228/k10013993761000.html
90 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230214/k10013980611000.html
91 NHK NEWSWEB、2023年6月14日、https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230614/k10014099541000.html
92 https://employment.en-japan.com/desc_1243711/
93 日経転職版、2022年11月8日、https://career.nikkei.com/nikkei-pickup/002278/
94 https://employment.en-japan.com/desc_1243711/
95 生井については、「エン」の「若手ハイキャリアのスカウト転職」サイトウェブサイトの「AMBIアンビ」に記事がある。2023年7月31日、https://en-ambi.com/featured/1089/
96 生井「そのルートは大きく3つにわけて整理できる。まずは、大量のテレビCMと小売りが一体になり商品を届ける従来型のマスマーケティングのモデル。さらに、2012年頃から台頭してきたECのモデル。ECではマス商品だけでなくEC限定品の取り扱いもある。直近では、メーカーが直接消費者に商品を届けるいわゆるD2Cモデルが盛んになってきている。SNSの利用も進み、生活者はさまざまな接点から価値提供を受ける時代へと変わってきた。メーカーにとってはどのルート・販路も重要で、3つ全てをビジネスに活用する必要がある。」、2021年7月14日、https://netshop.impress.co.jp/node/8852
97 MBA
98 2021年7月14日、https://netshop.impress.co.jp/node/8852
99 https://www.pref.ibaraki.jp/bugai/koho/hodo/press/19press/p230519.html#a13
100 https://www.advertimes.com/20230427/article417385/、以下すべて、ページ末尾の「バックナンバー」に日付入りでリンクがある。
101 https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=9982
102 電通について間違ったことを言ったテレビ朝日の玉川徹は、しばらく情報番組から姿を消した。