2 知事と「総合教育会議」

 

 

 

 教育長と教育委員会の立場逆転と「総合教育会議」

 2015(平成27)年に、地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(昭和31年法律第162号、略称「地教行法ちきょうぎょうほう」)が改正され、それまで都道府県・市区町村の教育委員会による任免・監督下にあった「教育長」が、新たに都道府県知事・市区町村長による任免(任期3年)・監督下におかれたうえで教育委員会を運営することになり、知事ないし市区町村長が主宰し、教育長と教育委員が参加する「総合教育会議」を開催し、そこで教育に関する大綱を決めることになった。

 日本国憲法と教育基本法(1947年)のもとで、委員が住民によって直接選挙される教育委員会制度が成立したが、数年でこの教育委員公選制が廃止され、自治体首長が地方議会に諮ったうえで委員を指名することになった。しかも文部省(のち文部科学省)による統制がしだいに強化されることで地方教育行政の独立性が失われるなか、地方自治体の一般行政(首長部局)からの教育行政(教育委員会)の独立はどんどん低下したのだが、教育長と教育委員会の立場は逆転したうえで、その教育長に対する首長の直接的支配体制が形成されたのである。これで自治体首長に対する教育庁の従属は一層強まった。

 ただし、「庁」が付くぐらいだから、ほかの首長部局のような知事による完全直轄というわけではない。相対的な組織的独立と政策上の独立性という建前が、完全に消滅したわけではなく、すくなくとも、監査委員、選挙管理委員会、地方労働委員会同様の自立の建前は維持されているのである。

 というのも、この地教行法改正により、首長が「総合教育会議」に「教育大綱」を提示し、それに基づいて地方教育行政が執行されることとなったからである。首長がつくってそれを受け入れさせるという意味では、決定的な支配強化ではあるが、それもあくまで「大綱」の範囲である。首長が教育行政の具体的案件のすべてについて、いつでも口出しできるというわけではない。首長が監査委員や選挙管理委員に直接指示するなど、いかにしてもありえないだろうし、監査委員事務局の職員や選挙管理委員会事務局の職員に指示命令することも、あってはならないのである。24 それと同じことで、学校における教職員人事についていうと、首長が個別具体的な人事案件まで介入することは、地教行法の規定上、到底許容されない。

 

 地教行法改正と全国知事会長老橋本昌

 このような地教行法改正は、「教育再生実行会議」の「第二次提言」(2013年4月15日)を受け、文科省の内部組織である中央教育審議会の「教育制度分科会」での検討を経て、最終的には「与党合意」(2014年3月13日)によって中教審の両論併記に決着がつけられ、「総合教育会議」を付け加えておこなわれたのであるが、この「教育制度分科会」には、当時茨城県知事だった橋本昌も委員として参加していた。畑違いの審議会だから名前だけの委員かと思うとそんなことはない。この分科会で、全国知事会を代表する橋本昌は頻繁に発言している。教育委員会と教育長の組織上の関係をめぐって、中教審としては珍しく委員間で意見が対立した場面で発言を求めた。

 

我々、教育長とは年中連携をとっているわけでございまして、日頃きちんと我々の意見というものは教育の方でも考えてもらっております。ただ、最終的な責任といったときに、例えば教員給与、極めて重要な部分ですけれども、これは給与交渉というのは実は首長が最終的にはやってまいります。訴訟もそうであります。それから、先ほど熊坂教育長さんからお話がありましたけれども、今過疎化がどんどん進んでいます。そういうときに統合ということを教育長レベルでやれるのかどうかといったことなどを、私は大変疑問に思っているところであります。私どもの県では、実は、全ての県立高校の1年生に道徳の授業を導入しています。これも教育委員会に何度も我々が提案して、その中で5、6年、文部科学省の指定校にもなった中で導入していったところでありますけれども、そういったことを黙っていて教育委員会から発想が出てくるかというと、まずこれは出てまいりません25

 

 たしかに橋本昌は結構な〝業績〟を残している。県の財政支出削減のために、市町村立小学校・中学校の廃止・統合、そして県立高等学校の廃止・統合を推し進めた。高校についていうと、ピーク時に111校あったものを任期終盤には96校まで削減した。県教育行政上の措置だから、形式上は茨城県教育委員会・教育庁の行為ではあるが、そこがみずから好き好んで推進したというより、知事橋本昌から、なにがなんでもやれと迫られ続けて実行したのである。学校数削減は財務省に促された総務省が、文部科学省の一応の抵抗を押し退けて推進する全国的な行政方針であり、橋本昌は中央行政組織による地方行政組織統制の一環として行動したと言えるだろう。廃止統合は県立学校に限らず、市町村立小学校・中学校においては一層大規模かつ徹底的に実行されたから、その意味では、大井川による中高一貫教育校設置より、後世に与えた悪影響という点では、橋本による小学校・中学校・高校の大幅削減の方が、はるかに大きかったというべきかもしれない。

 もうひとつの〝実績〟が全国初の道徳の授業の必修化である。1950年代の学校教育の戦前回帰傾向の一環としての小学校・中学校における道徳の導入に対応して、高校では社会科のなかに科目「倫理・社会」(のちの科目「倫理」)を新設したのであるから、いまさら高校で「道徳」という特別の授業を導入するのはおかしな話なのだが、橋本はそんなことは知る由もなく、2007(平成19)年から全国初の施策として「必修道徳」をゴリ押ししたのであり、それをこうして自慢しているのである。学校の統廃合による文教予算削減は国策であるが、「必修道徳」は選挙で選ばれる「政治家」としての橋本昌が、特定の政治勢力の支持を取り付けて選挙を有利に進め、延々知事の座に座り続けるために、その特定勢力の好む措置を県立学校において実行させたのである。すなわち、右翼国粋主義団体の「日本にっぽん会議」の学校教育介入、具体的には県立高校における右翼国粋主義的思想の注入に道をつけるためのものである。

 県立高校の第1学年の生徒に毎週1時間、年間で約30時間の「道徳」の授業を実施するのだが、そこで用いるテキストは茨城県教育庁高校教育課に作成させた。それが、前述の『ともに歩む』である。『夜のピクニック』が入っているくらいだから、全編が右翼国粋主義題材というわけではないが、当たり障りのないほのぼの教材に混じって、カルト団体の信者の非科学的文章、あるいは親切を装った障害者差別思想をしのばせた文章、「愛国心」教材として「超国宝級」仏像仏具や数万点の美術品をボストン美術館に流出させた岡倉天心についての虚偽にみちた作り話などを散りばめてある。

 話を中教審部会に戻し、中心的議題についての橋本の発言である。

 

 選挙でも選ばれていない、合議制の機関でもない教育長が、相当な権限を持ってしまうということについて、果たしてこの中で行われてきた議論の中でも、いいのだろうかということが一つであります。
 それから、一般的に市町村ですと教職員のOBの方が教育長になっていることが極めて多いのですけれども、その方々、例えば国語とか体育とかを教えてきた専門家が、今申し上げたような独任制で強大な権限を持つ執行機関もどきのものにいきなりなってしまったときに、果たしてリードしていけるのかどうか。中立性、継続性、安定性、これは多分やっていけると思います。先ほど貝ノ瀨委員からありましたように、何もやらなくても中立性、継続性、安定性は多分保てるでしょうから。しかし、今、教育で一番大事になっているのは、私も教育は最重要の施策の一つでありますけれども、その中で時代の変化、時代の流れへの対応性、これが今の教育委員会ではなかなかできない。これを周り全体、地方政治でも国の政治でも、全体を見ながら時代の流れへの対応性というものをやっていかなければいけない26

 

 中教審部会には各地の教育委員や教育長もいて、彼らと橋本ら自治体首長との意見対立が続いていた。教育委員会と教育長の立場を逆転させたうえで、その教育長を首長の直接的任免下におくべきだ、というのが全国知事会代表の橋本の発言の趣旨である。結局は「与党合意」を経て、橋本の望むとおりになる。すでに十分に形骸化しているのに、現行の教育委員会制度では「時代の変化」に対応できないというのである。国語や体育の教員上がりの教育長ではだめだし、教育委員会も徹底的に首長に従属させるべきだというのである。このあと大井川が実行することになることを、まったく同じというわけではないにしても、橋本も考えていてその実現のために積極的に発言しているのである。

 教育長は選挙で選ばれた首長に従属するのが当然だと宣言するわけだが、この中教審分科会が連続的に開催されている時期に橋本は6回目の知事選挙で勝利している。選挙で当選すれば完全委任されたも同然と考えているから、こういうことが言えるのである。しかし、これはまさに天に唾するものとなり、橋本はこの4年後に大井川にまさかの敗北を喫する。

 しかし、その前に事件が起きる。

 

 「総合教育会議」における障害者差別発言

 2015(平成27)年4月に改正地教行法が施行されたのを受け、橋本は最初の1年間に3回も「茨城県総合教育会議」を召集した。よほど張り切っていたのである。3回目は、鬼怒川水害の約2か月後の11月18日である。議事がすべて終了し、橋本が自由な発言を求めたところ、東京銀座の日動画廊の副社長の長谷川千恵子が発言した。4月に教育委員になったばかりだが、「総合教育会議」は3回目だから、だいぶ慣れてきたところでもある。「和田委員」とは、医師で谷田部診療所院長の和田由香で、11月1日に教育委員になったばかりだから、はじめての「総合教育会議」である。

 

橋本知事   特に何かありましたらどうぞ。必ずしも総合教育会議や大綱に関係しないことでも結構ですし,知事部局で教育についてこんなこと考えてはどうかということでも。 

長谷川委員 この間,見学させて頂いた特別支援学校。すごい人数がいらっしゃることに驚いて,いわゆる3か月の妊娠の初期に,もっとわかるようにできないんでしょうかねと思いましたね,一番。産まれる前,4か月から以降になると堕ろせないですから。早い時期に問題がありそうだっていうのが,お医者様と(相談できれば),あまりにも多いので。それに従事してる方たちもほんとに良くやってらっしゃるんですよね。ものすごい人数の方が従事してらっしゃるし。県としてもあれは大変な予算だろうと思いました。 

橋本知事   医療も発達してきてるんで,そういう方たちがどんどん増えてきてるんですけれども,ただそこで,じゃあ堕ろすのが,堕胎がいいのかどうかっていう,そういう倫理的な問題まで入ってきてしまう。 

長谷川委員 意識改革しないと。3か月以内のほんとに初期じゃないと無理だと思うんですね。遺伝子のあれとかそういうのでわかれば一番いいなと思いました。産まれてきてからではほんとに大変ですね。 

橋本知事   和田さんどう? 

和田委員   手術は21週6日まで受けられるんですけれども。茨城の女の人,妊娠に気が付くのが遅いので,もっと高校生さんたちは,月経記録ノート付けるところから始めて,すぐ病院に行って,すぐ専門家と相談するようにするのが一番よろしいかと思います。ご本人が産むって決めたらみんなでバックアップしますけれども。妊娠がわかったあと,どうしようっていう(高校生の)ケースに関しては,先生がおっしゃること(早期妊娠判定)もとてもいいご意見だと思いまし た。 

長谷川委員 一生がありますから,小中高の学校に行っている間は預けられるけど,それからは親や兄弟が見てってことになるし,今だいたいぱっと数えると,3千何百人かは茨城県内で養護学校に行ってらっしゃるわけだから。ご自宅にいる方までいれたらすごいですね。 

橋本知事  10 年ちょっと前から5割増くらい。

長谷川委員 あれだけはちょっとすごく考えさせられましたので,ちょっと大綱とは関係ないことですけれど,茨城県はそういうこと減らしていける方向になっ たらいいなと。 

橋本知事   どうやればっていうこと,倫理面も含めて。保健福祉部と教育委員会,教育委員会ばっかりじゃないんで,大人のほうが多いわけですから。(障害福祉については,)そちらも含めてやらなくちゃいけないことだと思います。 

 

 和田由香の受け答えは、話が噛み合わず、論旨がズレているように思われる。「(早期妊娠判定)」は、事務方による補足であり、かならずしも長谷川の意見の中心点について「とてもいいご意見」だと言っているわけではないかもしれない。高校生の妊娠について早期の受診を薦めているだけのようにも受け取れるが、長谷川のいうことを批判するというわけでもない。

 橋本の発言は、長谷川のいうことに積極的に全部賛同するというほどではないが、「倫理的な問題まで入ってきてしまう」として、場合によっては容認しかねない反応である。例によっての誠意のこもらない物言いでその場をやりすごして済むと思っていたようだ。新聞の全国面で大問題になったものの、任命者である知事の橋本は長谷川を解任することはせず、また茨城県教育委員会がこの件でなんらかの対応をとることもなかった。長谷川千恵子は、この後、11月24日に教育委員を辞職する旨、橋本に申し出た。27

 県庁知事部局と教育庁に君臨し、高校生に居丈高に「道徳」を押しつけ、教育委員会や「国語や体育」を教えていた教育長を軽蔑していた橋本は、まさに足元をすくわれることになった。

 

 自治省=総務省知事橋本昌の登場から退場まで

 大井川の立候補から、当選までの経緯について確認する前に、比較のために橋本昌の立候補から当選までの経緯について見ておく。

 知事はどのようにしてその地位につくのか? 選挙によって選ばれるに決まっている、と思うのがふつうだろう。たしかに表面的形式的にはそうなのだが、そもそも普通の県民は選挙に立候補すること自体が極めて困難で、事実上は不可能である。一般職の公務員は選挙に立候補できないし、多くの企業の従業員も就業規則などで同様に定められている。立候補に際しては一定の票数を獲得しなければ全額没収されることになる供託金(都道府県知事選挙の場合は300万円)を用意しなければならない。一般庶民は、極度に制限的な公職選挙法によって選挙運動すらほぼ完全に制限禁止されている。投票に行くのが関の山で、立候補など到底不可能である。茨城県知事になった経緯について、橋本昌自身が語っている。

 

〔記者〕自治省に勤めて、山梨県の総務部長などの役職を経て、最初に「知事選」という話があったときは、どう感じられましたか。

〔橋本昌〕当時の自民党の山口武平会長と関宗長副会長が東京までお越しになって、知事選への出馬の要請を受けた時には、人生の決断を迫られるものになりましたね。ただ、こうまでおっしゃっていただけるなら、やらなければならないだろうと心に決めていたところはありました。

 

 「machico」という耳慣れない雑誌に掲載された、2010(平成22)年のインタビュー記事である28。語られるのは、その17年前の1993(平成5)年の出来事である。当時の竹内藤男知事が茨城県庁舎改築をめぐる「ゼネコン汚職」事件で逮捕され、茨城県知事を辞任したのをうけておこなわれることになった県知事選挙にあたり、自由民主党茨城県支部連合会の会長で茨城県議会議員の山口武平ぶへいが、自治省公営企業第一課長だった橋本昌に会うためわざわざ東京まで脚を運び、県知事選挙に自由民主党推薦で立候補するよう懇請したというのである。

 全国的にみても自由民主党の都道府県支部連合会長は国会議員がなるのが通例だが、茨城県では並居る国会議員を差し置いて、県議会議員の山口武平が長いこと県連会長を務めていた。衆議院における小選挙区制導入以前は、各選挙区で複数の自民党の立候補者が競いあうことになるから、県内でもっとも卓越した政治上の力量を持つ者がその調整役にならなければならない。それを国会議員でもなく有力家系の出でもなく、特段有力者の傘下にあったわけでもない一県議会議員が、長年にわたって完全に取り仕切ったのである(小選挙区制のもとでは一転して、自民党総裁や幹事長など中央の執行部の権限が強まることになる)。

 国会議員たちをも睥睨へいげいする茨城県随一の大物政治家が、40歳そこそこの自治省職員など水戸に呼び付けて当然なのに、わざわざ出向いたというである。「決断」したのは保守王国茨城における自民党の総帥山口武平であって、指名された橋本昌の「決断」などは問題にもならない些事である。かくも畏れ多い経緯をタウン誌相手にぺらぺら喋ってしまう橋本昌は、結局のところ事の重大性が全然わかっていなかったようだ。というのも、前年2009(平成21)年の知事選挙で、自民党茨城県連は茨城県出身の元国土交通省職員小幡政人を推薦したが、橋本はこれをダブルスコアで破り、県連会長の山口武平を辞任に追い込んだのだった。橋本にしてみれば、もはや山口武平は敬するにはおよばないと思ったのかも知れない。

 この2009年8月には、衆議院議員選挙の結果、民主党政権(内閣総理大臣鳩山由紀夫)が成立している。山口武平は、この自民党政権の崩壊という出来事は、自分にとって第二次世界大戦敗戦以来の衝撃だったという。国の敗戦と選挙での自民党の敗北を同列に考えるというのはおかしな話ではあるが、大農業県茨城に君臨した山口武平の時代はこのようにして終わったのである。だが、自分を知事にしてくれた山口武平の退場は、じつは同時に自治省出身知事の時代の終末をも予示していたのである。8年後の2017(平成29)年、7期目への立候補を「決断」した橋本昌は、自民党推薦で立候補した経済産業省出身の大井川に敗北を喫する。

 「官選知事」から、日本国憲法下での「民選」知事への転換以降、途中の岩上二郎いわかみにろうは違うが、その前の友末洋治ともすえようじとその後の竹内藤男はいずれも県内出身の内務省ないしその後継官庁の職員だった者である。橋本昌の前任の竹内藤男は、旧制水戸高等学校(のちの茨城大学教養課程)から東京帝国大学法学部を経て、1941(昭和16)年(後期)に内務省に採用され(ちなみに中曽根康弘は1941年前期)、戦後の内務省解体後は、後継組織のひとつの建設省職員となり、退職して参議院議員を経て、1975(昭和50)年に茨城県知事となった(当時も今も、参議院議員より知事の方が格上である)。そして5期目の途中で逮捕され辞職した。(茨城県知事選挙が、「統一地方選」の日程から外れているのはそのためである。)

 橋本昌は茨城県那珂郡東海村出身で、茨城県立水戸第一高等学校から東京大学法学部を卒業し、1969(昭和44)年に内務省の後継組織の自治省の職員となり、上述のとおり、1993(平成5)年に山口武平直々の御指名を拝受することになる。

 このように、自治省職員が、出身県の知事の引退により、後継知事として担ぎ出されるというのが戦後に広く見られた傾向である。この1993(平成5)年前後は、多くの知事が内務省とその後継組織(自治省・厚生省・労働省・建設省・警察庁29)の出身者だった。とりわけ当該県出身者の自治省職員というのが、自民党による知事選挙候補者選定の第一の選択肢だったのである。今でも、自治省・総務省出身の知事は11人いて(知られた名はひとつもないので氏名は全部省略する)、かつてほどではないがそれでも最大勢力なのである。

 

 橋本昌の例のとおり、自治省職員が知事になるのは出身県においてであるが、ひとり例外者がいる。宮崎県知事の河野俊嗣こうのしゅんじである。茨城県職員や学校の教職員に関係があるので、概略を記す。

 国家公務員のいわゆる上級職試験合格者は、その後の昇任人事における永続的優遇が予め決まっている。テレビドラマでお馴染みの「キャリア組」である。自治省の「キャリア」でいうと、20歳代後半に都道府県の課長、30歳代後半に都道府県の総務部長に「出向」し、その後本省にもどって課長、さらに都道府県の副知事として「出向」したあと戻り、一部は部長・局長となり、それ以外は関係機関や民間大企業に天下る。最後まで勝ち残った者が事務次官になる(ただし1期おきで、その者が2年任期をつとめる)。橋本昌が本省に戻って公営企業第一課長として山口武平を迎える前に、出身地ではない山梨県の総務部長を務めたように、神奈川県出身の河野俊嗣は宮崎県総務部長として「出向」した。

 2007(平成19)年、東国原英夫(そのまんま東)が宮崎県知事に当選した際、対立候補を副知事に指名しようとして支持者に反対され、たまたま手近にいた総務部長の河野を副知事に抜擢した。総務部長を務めたあと本省で課長になり、数年後に都道府県に副知事として出向するというのが自治省「キャリア」人事の定型パターンだから、2段跳びの抜擢である。

 2011(平成23)年、東国原が一期で知事を辞めたので(都知事選に立候補して石原慎太郎に敗れる)、河野は知事選に立候補して後任の知事になった。2回連続の僥倖である。2022(令和4)年12月、東国原が県知事復帰をめざすが15年前に副知事にしてもらい、11年前に知事になるチャンスをもらった恩義も忘れた河野俊嗣が自民党の推薦を受けて迎え討ち、東国原を下して4度目の当選を果たした。

 二段跳びで副知事や知事候補として担がれたとはいえ、自治省職員としての河野がすぐれた業績をあげていたというわけではない。河野は職務遂行において監督下の特殊法人に対して違法な行政処分を下すよう指導した前歴を持つ。1991(平成3)年に茨城県立古河こが第三高等学校教諭大林広正ひろまさの学校行事での激しい運動中の急性心停止による死亡事故があったが、当初、地方公務員災害補償基金茨城県支部の副支部長の川俣勝慶(当時茨城県福祉部長、のちの県教育委員会教育長、さらに県副知事)は「公務上の災害」として遺族補償を実施する判断を固めていた。これを、自治省行政局公務員部給与課が地公災基金本部を通じて、川俣の上席の同支部副支部長の茨城県総務部長岡本保(自治省からの「出向」)に指示して撤回させ、1992(平成4)年12月、同基金県支部長(県知事竹内藤男)に公務外認定処分を下させたのであるが、この時、自治省給与課の公務災害担当係長だったのが、まだ20歳代だった河野俊嗣(1988年入省)である。この公務外認定処分は、2年後に同支部審査会(会長は弁護士中井川曻一しょういち)の裁決により違法処分として取り消されるのだが、違法処分を指示した河野俊嗣は何の懲戒処分も受けることなく、「キャリア組」の特権コースから外されることもなく(いちいち処分したのでは「キャリア」の多くは脱落することになる)、12年後に宮崎県総務部長として赴任した。

 河野は知事4選後の2022年12月末、県民への「外出自粛」要請を発しているなか、喉の痛みがあったのに数日間あちこち外出を続けたあとの翌1月2日、新型コロナ感染が判明した。それだけでも問題なのに、秘書広報課職員が報道機関に対し、外出せず自宅にいたことに報道するよう依頼したことが問題化した30

 知事本人も一連の行為を認識し許諾していたうえ、それを隠していたことが露見すると、職員3人を首謀者として「口頭で厳重注意」した。しかも、河野自身は自分のFacebookで年末年始の外出についての記述を何度も書き直す隠蔽工作をしていた31

 

 経済産業省の時代到来か?

 それでは、大井川はどのような経緯で立候補し、当選したのか。

 2017(平成29)年には、県議会には山口武平のような大物議員はもはや存在しない。自民党茨城県支部連合会の会長は、国会議員の梶山弘志である。梶山清六せいろくの息子の梶山弘志は、かつて石破派にいたが安倍晋三や菅義偉などの自民党主流派の側へと転身し、その取り巻きの経済産業省職員らと懇意になったようだ。その縁であたりをつけたようで、株式会社ドワンゴの役員で茨城県出身の元経済産業省職員の大井川和彦に、自民党推薦で茨城県知事選挙に立候補するよう要請した。

 知事の話が舞い込んできた大井川にしてみれば、2009(平成21)年の知事選挙で、自民党茨城県連の推薦を受けた元国土交通省職員小幡政人が橋本昌に大敗していることも当然知らないわけではない。橋本とまったく同年齢だった小幡とは違って自分は少々若い。落選すれば自治省への出戻りは不可能だった1993年の橋本とも違い(その意味では橋本にとっては「決断」だった、ということか……)、自分は落選したとしてもドワンゴ役員を続けるなりすればいい。リスクは全然ない。

 迎え撃つ橋本昌は、40歳とかなりの低年齢で知事になっているから、6期24年を経てもやっと64歳であり高齢というほどではない。とはいえ、この時点での全国最長となる7期目をめざすとなると、いささか分が悪い。原発企業日立製作所の労働組合を主要メンバーとする労使協調路線の「連合」系労働組合の支持を受けてきたことなど、ケロッと忘れたふりをして、唐突に東海原発再稼働に「反対」などと言い出した。2011(平成23)年の福島原発事故の際に、県内の青少年について被曝の程度を知るための健康診断を望む声が寄せられたのを断固退けたことも、全然覚えていない。橋本昌の言動はいつもこの調子で、およそ人の心に響かない。長谷川千恵子の事件の際の対応同様、誠意のかけらも感じさせない。

 そんな橋本昌でも、総務省路線を墨守する県内の市町村長らの支持を取り付けていて、その意味では「保守分裂」の様相も呈しているのだが、自分の方には「連合」がついているだけ有利と見て、こんども楽勝だと軽信したようだ。24年前に茨城自民党の総帥山口武平に担いでいただいた大恩も忘れて、県議会自民党が大井川を〝操り人形〟にしようとしているなどと言い出す始末である。

 結局、実績ゼロだが自民党茨城県連が推薦する新人大井川和彦が、全国知事会の重鎮で、当時最長在職を誇った橋本昌を破って当選した。自治省=総務省出身知事から、通商産業省=経済産業省出身知事への転換であり、ある意味では路線の転換とも思わせるものはあるが、そうは言っても、自治省=総務省と通産省=経産省は、敵対勢力というわけではなく、しょせんは国家行政機関内の分担組織であるに過ぎない。橋本と大井川は、一見するとずいぶん対照的で、大きな断絶を感じさせる。しかし、たとえば本稿の中心的論点である、茨城県教育行政に対する働きかけ方をみると、両者の間に断絶はなく継続性が顕著である。大井川がさんざん利用することになる、教育長と教育委員会に対する知事の優勢を決定づける地教行法体制は、直前に橋本がその実現に尽力したものである。

 長谷川千恵子の差別発言による県教育委員会の権威失墜という、まことに好都合な事件まで起きてくれたから、大井川が承継した時点で、県教育委員会と県教育庁に対する県知事の優位体制は極限まで高まっていた。

 

 

 

 

24 ただし、県庁はともかく、これが市町村となると、首長部局の総務課のなかに監査委員事務局や選挙管理委員会事務局がおかれるのが一般的である。しかも総務課の職員が監査委員事務局の職員や選挙管理委員会事務局の職員を兼任する。たとえば、監査委員に対して選挙管理委員会に関連する公金支出の違法を申し立てて住民監査請求書を提出すると、その瞬間に、その内容が選挙管理委員会職員と総務課長以下の総務課職員に伝わることになる(実際にあった事例)。

25 2013年10月29日、第35回会議議事録、https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo1/giji_list/index.htm

26 2013年12月10日、第39回会議議事録、https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo1/giji_list/index.htm

27 橋本は長谷川の辞職申し出を受け、11月21日に臨時の記者会見を開いた際に、〔11月18日に〕「この事実を知って、産むかどうかを判断する機会を得られるのは悪いことではないという考え方」については、『問題ない』と言っているはずです。長谷川委員の発言全体が問題ないとは言っておりません。」と述べた。https://www.pref.ibaraki.jp/bugai/koho/hodo/press/p151121.html

28 いまだに茨城県庁のウェブサイトに掲載されている。

https://www.pref.ibaraki.jp/bugai/koho/hodo/chiji/interview/interview14.html

29 2001年の省庁改組後は、総務省・厚生労働省・国土交通省・警察庁となる。

30 共同、2023年1月5日、https://news.yahoo.co.jp/articles/5a8f4d7b3c75a946e1d0e3599955435b9d8db621

31 J-cast、2023年1月6日https://www.j-cast.com/2023/01/06453767.html?p=all