八間堀水門の下流から、豊水橋(ほうすいきょう)、鬼怒川水海道水位流量観測所の上流の11k距離ポール直前にかけては、水海道第一高等学校につづく左岸唯一の更新世段丘(いわゆる洪積台地)になっています。水海道市街地の最高地点です。そこは堤防がなく2015年9月10日正午ころに数か所で「溢水」(いっすい 堤防がないところでの氾濫をこう呼ぶ)が起きました。水位流量観測所の上流側30mが11kの距離ポールの地点で、そこに向けて斜面をのぼったところから下流側は堤防(赤線)があります。
9月10日、鬼怒川の水位が上昇したので八間堀水門は閉鎖され、さらに最高水位となった13:00に八間堀川排水機場のポンプは停止し、その夜の22:30まで(新)八間堀川から鬼怒川への排水がとまりました。止むを得ない措置ですが、このことについて、あとになって、「専門家」と称する人が「鬼怒川の水位は堤防高に対して1.4mの余裕があった」と主張しました。250mおきにサンプリングした国交省のデータだけを見ているために、その250mの間隙の現実、つまり堤防のある11k地点のすぐ上流がこのように無堤で、しかも堤防より低かったことが認識できないのです。実際に溢水が起き、土嚢積みで対処していたことなどまったく知らないから、3か月後に行政関係者や被災者を前にして、平気でこのような講演をしてしまうのです。
おそらく関東地方整備局と下館河川事務所の上層部は、現場も見ずに250mおきの抽象的データだけを見て、治水方針(築堤するか否か)を決めているのでしょう。こうして危険地点が放置されて溢水したのですが、この「専門家」もまったく同じ発想なのです(別ページで詳述)。
若宮戸の河畔砂丘 river bank dune は、いわゆる「山付き堤」の「山」に相当する地形だったのですが、1960年代後半以降、その最重要な東側の〝畝〟がほとんど全部掘削されて、危険な無堤地帯となってしまったのですが、同様に関東地方整備局と下館河川事務所の上層部は、現場も見ずに250mおきの抽象的データだけを見て、危険性を認識せずこれを放置し、2015年9月の大氾濫を招来したのです。
以下、左側が水害から5か月後の2016年2月8日撮影、右側が築堤後の2019年10月10日撮影です。(地形もかわっていることもあり、まったく同じ撮影位置・撮影方向・画角ではありません。)
どういうわけか、あらたに築堤した部分は、天端が1.2mほど低いのです。位置は上流側にずれましたが、以前の段差が残されたのです。河道側に薄い擁壁は立っていますが……。
以前は立ち入れなかったので、豊水橋直下は築堤後の写真だけです。
豊水橋の上流側、八間堀水門が見えます。椅子テーブルがおいてあるコンクリート面は、堤防天端なのか、それとも擁壁の上部なのか、わかりにくいのですが、それはともかく、この高さが2015年9月10日の最高水位だったのです。これでは高さが足りないと思うのですが。