macintosh を入れ替えました

 さほど負担のかかる作業をするわけでもないと思っていたのですが、画像を多用するウェブサイトの編集は、それなりに機器に重い負担となるようです。自分でサードパーティーのSSDを増設したMacBookAir 11 inch は、起動は早いし、たいていの作業はとくに問題なくこなしていたのですが、ウェブサイトの編集では夏に冷却ファンが回りっぱなしになります。とてもうるさくて耐えきれなくなったため、あまり使っていなかった iMac 24 inch で作業をするようになりました。iBook 12 inch、PowerBook 12 inch、そしてMacBookAir 11inchと、10年以上も一番小さいノートパソコンばかり使ってきたので、24 inch では広すぎてカーソルを動かすのに余計な動作が必要となりいささか不自由しましたが、一応使えるので半年ほど使ってみました。しかし、MacBookAir より1年しか古くないのですが、HDDのせいなのか起動はもちろんさまざまの作業にとにかく時間がかかってどうしようもないのです。

 Adobe の InDesign なども特段問題なく使えていたのですが、とにかく画像を多用するウェブサイト編集はよほど負担となるようです。同時に Photo を開いて写真を選びながら、さらにグーグル・マップやグーグル・アースさらに国土地理院の地理院地図なども開き、大きめのpdfファイルを開いたりするとどうしようもない状態になります。フリーズまでするようになりました。

 そこで iMac と MacBookAir を並べて「2画面」で使いだしたのですが、どういうわけか MacBookAir の SSDが故障したり(修理費用3万円あまり!)、不思議なことに2台ともユーザー辞書が使えなくなるなど、ほぼ壊滅状態となりました。

 どうせなら半年前に諦めておけばよかったのですが、我慢のあげくに結局降参し、入れ替えることにしました。HDD だと起動に1分以上かかるようです(Windows 8.1 はかなり起動時間が短縮されたのに対して、OS-X の起動の遅いのは昔のままです)。ということは他の動作も同様でしょう。かといってiMac の SSD は無闇に値が張るうえ、容量が1TBどまりです。FusionDrive だとよくおこなう動作は SSD にやらせるようで、起動は15秒ほどですし(ただしパスワード設定するのでタイプする分遅くなりますが)、しかも最大3TBまであります。あとはCPUをi7、メモリを16GBにして(MacBookAir と違ってあとで増設がききます)、少々費用が嵩みますが発注した次第です。

 いまさら21 inch でもないので、27 inch です。ただし、24 inch と画面のタテは同じなので、カーソル操作もさほど影響はなさそうですし、横に長くなるだけですから、横2画面表示も実用になりそうです。ディスプレイは「5K」と、完全にオーバースペックなのですが、これならあと5、6年は使えるでしょう。しめて35万円。このところコンピュータは10万円台ですんでいたのですが、30万円を越えたのは1991年に SE-30 (9インチ白黒画面、初期のmacintoshの標準形)を40万円近く出して買った時以来です。メインメモリが5MB、ハードディスクがたしか40MBでした。あのころは、ギガなど考えられなかったのですが、25年たってメインメモリは3000倍、ストレージは10万倍近くに増大したわけです。

 やっていることは、画像を扱う以外たいした変化はないのです。当時使っていた NisusWriter の日本語版である SoloWriter などは、脚注や目次、索引などの生成もできて、かえって今より多機能でした(今も京都のマーキュリー・ソフトウェア社が、NisusWriterを扱っているのを最近知って、ふたたび供給を受けています。データファイルはテキストファイルとしてオープンできるので、アプリケーションソフトがなくなっても大丈夫!など、本質的に優れているのです。しばらく使っていたEGWordなどは、供給ストップにより、データファイルを一切開けなくなってしまいました。とんでもない話です!)。複雑な多段組などをしなければ、かえってDTPソフトより多機能だったかもしれません。1980年代にすでにワードプロセッサは完成していたのです。今は InDesign となった当時の PageMaker というAdobe の DTPソフトも今とほとんど変わっていません。

 ところが、画像を扱うとなると突然状況が変わります。画像はそれほど負担がおもいのですが、現在おもに扱っている鬼怒川問題でも、結局決め手となるのは衛星写真や航空写真それと地上での写真なのです。供給側の事情の激変もさることながら、個人ユーザーが使うコンピュータの処理能力の向上がなければ、このような事柄も到底個人が近づける領域ではなかったのです。