若宮戸における河川管理史

13 Ridge2の慰霊塔地点の盛土

July 18, 2022

Ridge2の慰霊塔地点の地形

 Ridge2とRidge3の間の「谷」から、Ridge2上に建立された「鬼怒砂丘慰霊塔」の北西隅方向をみたところです(2015年12月18日)。(別件ですが、若宮戸の河畔砂丘は、少なくともこの慰霊塔の名称にあっては正しく「砂丘」と呼ばれていたのです。「自然堤防」などという的外れの呼称ではなく……。)

 この「谷」は、かなり掘削されて標高はY.P.=19m以下になっていましたから、水害時には3m以上冠水しました。

 慰霊塔の東側(画面左奥)には松が見えます。

 内陸側の最大の〝畝〟であるRidge1の最高地点だったのは特異点「は」地点であり、迅速測図ではT.P.(推測)=32.25m(Y.P.=33.09m)でした。Ridge1に次ぐ規模のRidge2の現存する最高地点は、この鬼怒砂丘慰霊塔の北西隅(画面では一番手前)の盛り上がっている地点であり、このあと見る測量図で27mの等高線が確認できます。

 このRidge2の現存する最高標高地点について、当初本項目8ページでは自然地形とみなしていたのですが、あらためてその当否を検討します。あらかじめ結論を示しておくと、すでにそのようなタイトルをつけてしまいましたが、河道側に湾曲しているように見えるこの最高標高地点は慰霊塔建造にあたっての人為的な盛土と解釈するのが妥当です。

 まず、現地のもっとも詳細な測量図を示します。

 2002(平成14)年度に株式会社かつら設計が測量して下館河川事務所に納入したもののうち、Ridge2が上流側でRidge1と分岐してから、水管橋付近で堤防に接合する(しばしば「山付き」と誤解されている)地点までの部分です。続いて、そこに距離標示、河川区域境界線(1966年建設大臣告示)、Ridge2の標高24mの等高線7か所などを示したものです。

 

 次は、図の中央部、市道東0272号線がRidge2を横切っている地点から慰霊塔付近を拡大したものです。⑤と⑥の24m以上の地形は、市道東0272号線によって切り通されて2つに分かれたもので、もとは一連のものです。2015(平成27)年の水害時には、かろうじてここからの氾濫はおきなかったようです。

 

 

 ⑦は、ここで注目している慰霊塔の北西隅の地点です。そこには27mの等高線まで記されています。これは、25.50k地点以南のほとんどすべてが掘削されてしまったRidge1の、わずかに残った地点のうちの最高標高地点である「ほ」の墓地地点とほぼ同じ標高です。Ridge2には、25m以上の地点は何か所かあるものの、さらに2mも高い27m以上の地点はここだけです。

 この慰霊塔の北西隅の「へ」地点については、これまでは自然地形と見做してきました。この「鬼怒砂丘慰霊塔」は、この付近の土地を所有する、いなば石油の経営者である稲葉家の先代当主が、みずからも従軍したアジア・太平洋戦争時に東南アジア地域で戦病死した近隣地域出身の大日本帝国兵士の慰霊のために建立したものですが、その北西隅の基壇部分にわざわざ盛土するとも思えない、という理由によるものでした。というのも、若宮戸河畔砂丘の全域は掘削の対象とはなることはあっても、「山付き堤」となっている上下流側の堤防を除けば、盛土した地点は絶無であり、慰霊塔の基壇部分だけ盛土するとは些かも考えなかったのです。しかし、慰霊塔を載せたRidge2と、西側のRidge3との間は、駐車場等にするために広範囲にわたって低平化しているわけで、改めて考えてみるに、その削った砂を慰霊塔へのアクセス階段を通すために使ったということの方が、よほどありうることです。今となっては、先代当主に直接尋ねることもできませんし、現当主らは当時の事情を知るはずもありません。設計施工の際の図面を見せてもらえばよいのですが、人間の方の都合についてあれこれ埒もない憶測をめぐらすのはこのくらいにして、それ以外の明確な事実から推測することにします。

 

Ridge2の慰霊塔地点の地形の特異性

 

 基壇部分は、そこだけ群を抜いて高いうえ、そこだけ妙に河道側(西側)に出っ張っています。他の地点にはそのような唐突な地形の変化は見られません。

 次の写真は、水害から6年後に、「り」地点から、「い」の大六天跡地と「B社」による掘削区間方向を見たところです(2021年12月、大六天跡地は画面右方、掘削区間は左の看板等の彼方)。1960年代後半にRidge1が一挙に掘削され、尾根筋にあった石裂山(おざくさん)大権現碑などを、真っ平になった14m下にまとめて下ろして雑駁にコンクリート漬けにしたのが、この「り」地点です(前ページ参照)。遠景はRidge2の25.50k地点に落ちる夕日ですが、季節柄落葉樹が葉を落としたこともあり、Ridge2の尾根筋が浮かび上がってRidge2本体の形状がよくわかります。夕日の右方の大六天跡地はいささか標高がたかいのですが、それでも4mも5mも突出しているわけでもありません。

 

 

 

 これに対して、そこだけ西側に飛び出した慰霊塔基壇の北西隅地点は、水平方向だけでなく垂直方向にも不自然に突出しているというほかないのです。以下の4枚は、2019年10月に撮影した写真です。この突出部は樹木はなく、測量図にも描かれている階段が北側から慰霊塔へと昇って行きます。

 

 

 この2019年10月には、すでに激特事業による堤防が完成していて、以下はその堤防天端から慰霊塔方向を撮影したものです。

 

 

 それ以外の樹種も若干ありますが、手前の「谷」だった地点やRidge2地点では松が支配的です。迅速測図(本項目1ページ参照)で「松」と記されていたことが想起されますし、海岸砂丘と同様、河畔砂丘では松の自然林が形成されるのが通例です。他の地点では薪炭用にクヌギが植林されたりもするのですが、このあたり一帯の所有者である稲葉一族は灯油・軽油・ガソリンやプロパンガス販売を生業としているのですから、ことさら松を伐採してクヌギ林に置換する理由もなかったというところでしょう。この盛土部は無樹木となっているのは伐採の結果ではなく、そこが慰霊塔への昇降のために階段を乗せる土台として人為的に盛ったものと考える方が自然です。

 次に、この人為的盛土や慰霊塔の背後(東側)のRidge2の本体部分と慰霊塔・盛土の関係を見てみます(2022年6月)。

 

 

 上は慰霊塔背後(北東側)のRidge2の〝尾根筋〟です。下は、中央部の置き石(自然の状態ではなく、あきらかに置かれたもの)の向こう側から、手前側の慰霊塔を見上げたところです。

 

 

 上は、盛土斜面の石段を昇り切った基壇北西隅からRidge2の〝尾根筋〟を見下ろしたところです。下は、同じ場所から、盛土の斜面を登る石段を見下ろしたところです。左奥が激特事業によって新造されたばかりの左岸堤防、さらにその向こうが右岸堤防です。

 

 

 現地に立ってみると、自然が創り上げたRidge2の形状と、作為による盛土のあきらかな違いが一目瞭然です。下手な写真で、現地の印象を伝えきれないのが残念なところです。