横浜中華街 2

 上の衛星写真で、左上に少し見えている大岡川、横浜スタジアム三塁側をかすめて走る首都高速神奈川1号横羽線(もとの「派大岡川」の河道)、ならびに右から画面下へ斜めに走る首都高速神奈川3号狩場線(「堀川」の上を走る高架橋)、それと海岸線に囲まれた台形の区域が、横浜中華街を含む「関内 かんない」です。この「関内」をいろいろな地図で見ていきます。

 

1 GoogleMap

 

 一番手軽なところではGoogle Mapです。

 都道府県は別として、案外、市町村や区などの行政区画・境界線はわかりにくいのですが、GoogleMapだと、明瞭に図示されます。例えば「横浜市中区」とタイプすると、区の境界線が赤くハイライトされるので便利です。

 

2 GoogleEarth

 

 GoogleMapと基本的には同じ情報ですが、方位を変えて表示したり、地図上で距離を測定したりできるほか。カーソル位置の標高が表示されるので便利です。(地図データに標高データが埋め込まれていて、擬似的な立体表示(「3D」)をおこなうついでということでしょう。)(上の地図はGoogleEarthです。)

 

3 国土地理院地形図 

 

 国土地理院のウェブサイト(地理院地図「電子国土web」)で、連続的にいろいろな縮尺で見ることができます。地形図ですから、等高線が表示されます。

 

  http://maps.gsi.go.jp/#12/35.442631/139.632111

 

4 三千分の一地形図

 

 横浜市が市域一帯の、「三千分の一」地形図を公開しています。

 「昭和初期」の版と、「昭和30年代」の版のふたつあります。

 

http://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/3000map.html

 

 下に一部を引用しました。最初が昭和7年版、次が昭和39年版です。

 

(閑話)

 旧横浜新田の、厳密な南北軸ではなくすこし西に傾いた軸を踏襲した現代の横浜中華街の街路の傾きと、横浜球場のホームベースとセンターを結ぶ軸の角度が同じなのが目を惹きます。そういえば、元の大都、すなわち現代北京も、中心軸は厳密に南北ではなく、横浜ほどではありませんがだいぶ西側に傾いています。なぜでしょうか?

 また、普通、野球場はホームベースが北側なのに、横浜は逆です(http://ja.wikipedia.org/wiki/野球場#/media/File:日米の野球場の方位.png)。なぜでしょうか? 場外ホームランのことを考えたのでしょうか?


5 江戸時代の地図

 

 前ページで、この「関内」地区を含めて、「野毛」と「山手」に挟まれた地域一帯はもとは入り江であり、江戸時代に埋め立てられたものであることを見ました。

 横浜開港資料館が1859(安政6)年の開港以来のさまざまな地図を(館内およびウェブサイトで)公開しています(デジタルデータをダウンロードするのに一枚ごとに1000円の使用料を徴収するとのことで、この場で著作権法上の「引用」をおこなう、というわけにもまいりません)。

 問題は、それ以前=江戸末期以前の地形を知る手立てがあるだろうか、ということです。

 

 当然、本命は伊能忠敬ですが、伊能図がいかにすぐれているかを示すためにも、まずアメリカ合州国議会図書館(The Library of Congress)が所蔵する別の地図を見てみます。(どういうわけか、説明がリンク切れになっていますので、どういう資料なのかわかりません。後日、あらためて調べることにします。)

 

http://memory.loc.gov/cgi-bin/map_item.pl?data=/service/gmd/gmd7/g7962/g7962t/ct001482.jp2&style=gmd&itemLink=D?gmd:2:./temp/~ammem_kDQr::&title=Shinkoku%20fukui%20butoku%20anmin,%20Okatame%20taihei%20kagami%20%3a%20Izu,%20Sagami,%20Musashi,%20Awa,%20Kazusa,%20Shimo%26%23x0304;sa.

 

 画面上は房総半島、左が江戸湾、中央付近が三浦半島、その左隣が問題の横浜などで、中央右が伊豆半島のようです。客観的な方位や地形とは程遠いものがあります。地図というより絵地図です。

 左から三分の一ほど、横浜らしきあたりを拡大してみます。

 すぐ近くの「吉田」(現在の吉田橋の「吉田」でしょう)や、「野毛」などが、この図でははるかかなたにあるいっぽう、かなり離れている磯子区南部の「杉田」とか金沢区北部の「富岡」が、この図では「横ハマ」のすぐ近くにあります。右=南東側のはずの「本牧」が図では左=北西側にあるなど、位置関係はかなりでたらめです。あまりあてになりませんが、図の「本牧」と「横ハマ」のあいだが問題の入り江ないし埋立地なのかもしれません。


6 伊能忠敬

 

 伊能忠敬は、1801(享和元)年から1808(文化5)年にかけてこの付近を測量しています。(http://www.u-sol.co.jp/hodogaya/hodo23.php

 まず、渡辺一郎監修『伊能図大全 第2巻 伊能大図 関東・甲信越』2013年、河出書房新社、p. 102 を引用します。これに GoogleEarth を並べてみました。最初のものは、北は子安付近から南は横須賀の米軍基地・自衛隊基地あたりにかけて、次が「関内」付近を拡大したものです。赤は海岸線ではなく、測量のために踏破した経路です。道路を歩いた場合にはそのまま道路を表し、海岸線の波打ち際を歩いた場合には赤い線がそのまま海岸線です。上辺中央から左下へ斜めに横切っているのが、現在も地図上で確認できる旧東海道です(「橘」の文字の左上が弧状になっているのは写し間違いとのことです。http://www.u-sol.co.jp/hodogaya/inoHodo02.php)。

(地図をクリックすると専用ウィンドウが現れ、カーソルが拡大ルーペになり、クリックで拡大表示されます。)

 現在の中華街のあたりはまだ海のようです。この後、埋め立てられて「横浜新田」となり、開港後は外国人居留地となって、現在の中華街の主要部分となります。まだ海だった現在の中華街のあたりの北東側に、三角形の砂州が見えます。これが、「横浜」の地名の起源となった、横にのびる浜のようです。現在のマリンタワー、ホテル・ニューグランド、神奈川県民ホールあたり、終端は現在の大桟橋の付け根あたりでしょうか。

 現在、山手側の元町商店街と中華街などの「関内」を隔て、その上を首都高速神奈川3号狩場線の高架が走る堀川は、埋め立てのしばらく後、開港後に掘削されたものです。伊能図で青く表示されているのは「中村川」で、砂州の手前で海にそそいでいますが、堀川掘削によって、まっすぐ海につながったようです。(ただし、GoogleEarthと比べると、伊能図では、この中村川・堀川は南側に膨らむようにながれています。伊能図の歪みなのでしょうか、それともこの「中村川」の川筋は当時は現在とは違っていて、元町商店街側に寄っていたのでしょうか。)

 

(閑話)

 1984年か85年の5月、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館に行った際、たまたま佐原市(現在は千葉県香取市佐原)の伊能忠敬旧宅に立ち寄りました。(当時は、「伊能忠敬記念館」はまだありませんでした。)すると、旧宅の奥の土蔵の2階で地図が展示されていました。常設展示ではなく、年に一度(二度?)の虫干しとのことでした。2メートルくらいでしょうか、それが何十枚も吊るされているのです。各地点から高い山にむけて直線が引かれ、三角測量をおこなったことがはっきりわかりました(いわゆる「伊能大図」にはこの線がないのですが。高校の歴史教科書か資料集の「大島」の地図の小さな写真しか見たことがなかったのですが、何十枚かに分かれている、巨大かつ精細な地図群には圧倒されました。ほかには見学者もおらず、友人と二人でそれこそ時間のたつのも忘れてしまい、管理人から、「そんなに長い時間見る人はいない」と呆れられました。

 現在、伊能図の実物を見る機会は事実上ありません。10年ほど前に佐原の「伊能忠敬記念館」に行ったのですが、小さな地図や写真版ばかりで、落胆しました。30年前には年に一度か二度のご開帳とはいえ、本物をじっくり見られたのが、いまやその機会はなくなったのです。

 あとはインターネットか書籍です。上に引用した『伊能図大全』は、全7冊分売不可で12万9600円と、相当の価格ですし、しかもA4版の細切れで、30年前にみた「虫干し」の迫力は到底望むべくもありません。インターネットでは、国立国会図書館と国土地理院が一部公開しているようですが、サムネイルという程度で、拡大にたえません。全部の詳細な公開ではありません。


6つづき アメリカ合州国議会図書館の伊能図

 

(閑話休題)

 上の6の「閑話」で、インターネットについて少々触れましたが、アメリカ合州国議会図書館が、所蔵する207枚の大図の版を、全部公開しています。しかも、拡大するとボケるサムネイルではなく、一枚数MBのかなり高精細な jpeg 2000 形式の画像ファイルです。

 

 伊能大図全207葉のインデックスの1ページ目は、次のとおりです。

 

http://memory.loc.gov/cgi-bin/ampage?collId=gmd&action=browse&fileName=gmd7m/g7960m/g7960m/gct00032/ct_browse.db&displayType=3&maxCols=3&recNum=0&itemLink=r?ammem/gmd:@field(NUMBER+@band(g7960m+gct00032))&title2=[Japan,%20Hokkaido%20to%20Kyushu]&linkText=Back+to+bibliographic+information

 

 以下、3行目の "'NEXT GROUP" でインデックスの2ページ目に行きます。17ページで全207枚の「大図」のサムネイルが表示されます。

 

 そして、目的とする場所のサムネイルをクリックすると、それぞれのページに飛びます。

 

 各ページの左下の "Download JPEG 2000 image" をクリックすると、jpeg 2000 形式のファイルが、コンピュータにダウンロードされ、表示されます。

 

 ここで目的とする横浜を含むファイルは、インデックスの7ページ目、93番ファイルです。

 

http://memory.loc.gov/cgi-bin/map_item.pl?data=/service/gmd//gmd7m/g7960m/g7960m/gct00032/inoh0093.jp2&style=gmd&itemLink=r?ammem/gmd:@field(NUMBER+@band(g7960m+gct00032))&title=[Japan,%20Hokkaido%20to%20Kyushu]+-+93%20Musashi%20Kanagawa%20Sagami%20Umairigawa%20Jogashima