ゴールドラッシュ 2

 

 

 選鉱鍋と洗鉱樋から水圧採鉱へ

 

 前ページで掲げた金採鉱額の変遷グラフを再度掲げます。

 それまでほとんど手付かずで河原などにゴロゴロしていた金塊 nugetto が、選鉱鍋 panning や洗鉱樋 sluicing によってあらかた取り尽くされてしまい、1860年代前半には地表面の砂金鉱床の衰微 decline of surface placers によって産出量が激減します。これをもって通例「ゴールドラッシュ」は終焉したとし、以後のおそるべき自然破壊による金採鉱の歴史は等閑に付されるのです。これが、わたしたちが聞かされてきた「ゴールドラッシュ」の牧歌でした。

 風雨による自然的な侵食作用にかわる山体破壊が始まります。ウォーター・キャノンという巨大な水鉄砲で山を掘りくずす水圧採鉱 hydraulic mining です。1884年に非合法化されますが、20世紀まで継続し、シエラネヴァダ山脈やシャスタ山脈はあちこちで惨状を呈しています。(以上、前ページ)

 

 

浚渫と岩盤採鉱の時代へ

 

 グラフを見ると、1890年代以降は浚渫(しゅんせつ)dredges と岩盤採鉱 lode mining により産出量が増大します。

 岩盤採鉱についてはこのあと見ることとし、浚渫船の写真を掲げます。2006年には現物を見ることはなかったので、購入してきた書籍から写真を引用します。

 

 説明文に「ユーバ郡で1966年まで操業していた」とあります。撮影はその10年ほど前です。

 

 水圧採鉱 hydraulic mining による山腹破壊により大量の土砂が河川に流入・堆積したわけですが、そのうち採取された金と、採取されずに流出してそこから下流一帯の河床などに堆積した金の量の比率はまったくわかりませんが、おそらく後者は相当量にのぼったことでしょう。現在でも渇水年になると、かつての「ゴールドラッシュ」時代よろしく、水位の大幅にさがった河川にはいり選鉱鍋で金を選り分ける人が大勢繰り出すようで、選鉱鍋がおおいに売れるとのことです。それはともかく浚渫は、この河床に堆積した金をクレーンですくい上げ、金の粒を選り分けようというものです。浚渫による金採掘は、ある意味では水圧採鉱のもたらした副産物といえます。

 

 浚渫(しゅんせつ)dredges と岩盤採鉱 lode mining による2番目のピークは、第二次大戦時の戦時生産局(WPB : War Production Board )の金鉱山閉鎖と浚渫停止命令によって終焉します。1942年1月に設置された戦時生産局は、戦時生産体制への転換のための民需生産の制限禁止の一環として、金鉱山閉鎖命令( L-208 )を発し、金鉱山坑夫2000人と金浚渫作業員750人を銅鉱山に振り向けたのです。

http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/133504/1/eca1106_410.pdfhttps://books.google.co.jp/books?id=74Ub8k-9KNkC&pg=PA115&lpg=PA115&dq=WPB+gold+mining&source=bl&ots=lNEtVNLyZI&sig=bLRomQv0tQ_johu8iBE8qg3cEJo&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwizuduFv-bSAhUJtpQKHRQsC-4Q6AEIOzAF#v=onepage&q=WPB%20gold%20mining&f=false

 

 第二次大戦後は、再び岩盤採鉱がおこなわれるようになりますが、グラフに「コストの上昇 increased cost 」とあるとおり、ほどなくして衰微に向かいます。このあと見るとおり、地中深くへの採掘がすすみ坑道延長がどんどん伸びてゆき、もはやコストが利益にみあわなくなったのです。

 

 

 エンパイア・マイン 「帝国鉱山会社」

 

  結末を見てしまいましたが、1956年に操業をおえた金鉱企業エンパイア・マイン(「帝国鉱山」)の鉱山跡のカリフォルニア州立の歴史公園 historic park を訪れることにします。前ページでみたネヴァダシティー近くの、グラスヴァレー郊外です(10791 E Empire St, Grass Valley, CA 95945、https://www.parks.ca.gov/?page_id=499)。

 

 グーグル・マップの衛星画像です。カリフォルニア州の州都サクラメントの北約60kmに、ゴールドラッシュ時代の州都メアリーズビルがあります。

 メアリーズビルで、オーロビル・ダムなどを経て真北から流下するフェザー・リバー Fether River に、東からユーバ・リバー Yuba River が合流します。

 このユーバ・リバーを遡上するとグラスヴァレーに到達します。

 グーグル・アースの合成画像で見たヒストリック・パークの地上部分です。

 中央の赤い屋根が事務所の建物群で、かつてのオフィスや金庫がそのまま残っていて、写真や坑道模型(後述)などが展示される博物館が併設されています。

 左上のトタン屋根は、機械類の製造・メンテナンスをおこなった作業場です。

 そのほか、トロッコやモーターなど各時代の機器が屋外に置かれているだけですが、地下には大規模な坑道が網の目のように展開しています。

 メイン・シャフトの地上部分です。中央の2列が地下へ続く軌道、左右の2列は軌道上のトロッコに乗降するためのステップです。

 同じ場所で撮影された、トロッコでメイン・シャフトを降りていく直前の鉱夫たちです。(歴史公園内展示室の写真)

 朝一番に複線を使って一挙に地下に送り込まれたのでしょう。

 ヨーロッパ系白人ばかりのようです。助手らしい子どもの姿も見えます。

 メイン・シャフトは、10メートルほど降りることができます。そこから数十メートル先まで見えますが、その先の廃坑はおそらく注水されているのでしょう。

 10連ピストンの砕石機です。

 掘り出した鉱石を砕いて、金の結晶部分を選別し、溶融して延べ棒にします。

 事務所棟内のヴォールト vault 。まさに「金庫」です。

 坑道図面室の巨大な製図盤。スクロールするようです。

 展示室にある巨大な坑道模型。もちろん展示用にあらたに作られたものではなく、操業時に掘削状況を把握するために作成されたものです。

 当時は重要機密扱いで、ごく一部の職員以外の目には触れなかったようです。

 事務室はほぼそのまま残されています。

スライドショー (1)坑道と坑道模型

 

スライドショー (2)砕石から溶鉱・保管まで

 

スライドショー (3)機械製造部門

 

スライドショー (4)オフィスとマネジャー