下流優先論7  2019年水害の隠蔽                    (May 22, 2021)

 

Ⅱ 欠測の理由に関する下館河川事務所の説明

 支川鬼怒川が本川利根川に合流する地点にある菅生(すがお)遊水池

2015年9月に続き、再び満水になった。

 

 

 新星コンサルタントが実施した、2019年10月13日の台風19号の痕跡水位測定業務における膨大な数の欠測の発生、とりわけ洪水が河川区域から氾濫し、住宅・事業所・耕地・道路等に水害をもたらした地点での広範囲に及ぶ欠測について、下館河川事務所はまったく問題視せず、これを容認・放置している。

 これについて、下館河川事務所に照会をおこない、再三にわたってその問題点を指摘し、ただちに是正措置を講ずるよう求めた。すなわち、2021年3月10日、同17日、同30日に永井一郎調査課長に電話で照会したほか、3月23日には常総市新石下〔しんいしげ〕の鎌庭〔かまにわ〕出張所で永井課長らと面談し、痕跡水位の不測箇所について再検討してデータを訂正するよう求めた。しかしながら、下館河川事務所は、欠測が生じたことそれ自体を問題視しない姿勢を崩さず、今後その是正措置をとることもないとしている。

 本項目Ⅱでは、欠測が生じたことについての下館河川事務所による釈明の内容を列挙したうえで、簡単な整理をおこない、次項目Ⅲで具体的かつ詳細に検討する事項を確認する。

 

 

1 「不採用」の理由についての虚偽の説明

 

 「一覧表」における「両岸不採用」「左岸不採用」「右岸不採用」、および「河川図」と「縦断図」における痕跡水位の不掲載の理由について問うたのに対する説明は次のとおりである。

 

【論拠1】 洪水の痕跡があいまいな地点の測量結果を「不採用」とした。

 痕跡位置は、泥・ゴミ・浮遊物で決定する。泥は時間の経過で薄れ、降雨で動く。ゴミは泥より重く下に落ちたり、風で移動する。洪水のうねりで高くなることもある。洪水以降、測量までの間に、降雨があり、痕跡があいまいになった。

 

【論拠2】 前後地点や対岸の測量結果と比較して不自然な測量結果を「不採用」とした。

 

【論拠3】 新星コンサルタントの報告書中の地点写真ページにおいて「判断精度」が「想定」とされた地点の測量結果を「不採用」とした。

 

 この3つの「不採用」の理由について、簡単に一瞥したうえで残る論点を明らかにし、それらについては次項目Ⅲで検討することとする。

 【論拠1】にいう、泥・ゴミ・浮遊物の移動や消滅は、一般論としても極論であるうえ、今回の件について具体的にみてもまったく妥当しない。測量隊が現地に行ってみたら、痕跡が綺麗に洗い流されてしまって、まったく残っておらず、前視(Foresight)点を特定できなかったので、測量することができなかったとでも言っているかのようだが、そのような事例はまったく存在せず、以下、次項目Ⅲで検討するように、「縦断測量観測手簿及び計算簿」を見る限り、すべての地点で痕跡水位の標高の測量は成立しているのであって、それらを「不採用」とする理由はまったく見当たらないのである。

 

 論点がズレるのでここではひとことふれるだけにするが、そこまで「泥・ゴミ・浮遊物」が信用できないと言っていながら、泥・ゴミ・浮遊物だけに拘泥するのは失当である。一点だけ指摘すると、L11.00kについて「不採用」としておいて、この地点にある鬼怒川水海道水位水量観測所のデータを無視しているのは理解し難い。水位水量観測所のデータは「痕跡水位」ではないなどとは、いかにしてもいえない。

 水位水量観測所が、L11.00kの距離標石から70m下流にあることを口実にするのかもしれないが、杓子定規というほかなく、洪水の記録を隠蔽するための有害無益な議論である。

 さらに、「泥・ゴミ・浮遊物」の付着状況の観察を、250mごとの距離標石地点と水門・樋管・橋梁などの施設のある地点に限定し、数mか数十m異なった位置で、容易かつ確実に観察できるものを参照させないことで、測量を極度に困難もしくは不可能にしている例もみられるのである。

 

 下館河川事務所は、痕跡を消すような降雨があったと言っているので、日本気象協会の tenki.jp による過去の天候データを参照する。水害の前日の10月12日から、懸案の3.00kから12.00k区間の測量のほとんどが実施された10月15日と10月17日までの、直近の観測地点の降雨量として、鬼怒川下流域の下妻(しもつま)のアメダス情報を示す。

 

 

 痕跡に影響を与えるような降雨はなかった。下館河川事務所は、少々調べれば簡単に露見するような虚偽を言うことで、「不採用」とした経緯への疑念を増幅させる結果になった。

 【論拠2】は、一見もっともな説明である。痕跡を取り違えたなどの理由で、おかしな数値が出てしまい、あとで隣接地点と比較するとそこだけ飛び抜けて大きな数値や小さな数値だったり、あるいは対岸とあまりにもかけな晴れた数値だったりして、やむをえず「不採用」とせざるをえないこともあるかもしれない。そう思わせる。

 たしかにこのような測量結果はあった。以下3.00kから12.00kまでの区間に限定したうえで、隣接地点の数値と極端にかけ離れていた事例、端的に測量に失敗した事例を3つ(うち2つは同じと考えて良いので、実質的には2つの事例である)挙げる。

 これは、痕跡水位測量が全部誤りであったとするためのものではない。逆である。3.00kから12.00kまでの区間についていうと、前後区間とかけ離れていて、しかもその経緯を客観的にあきらかにできる事例が3つあり、しかもそれだけである。残余の痕跡水位データについては、前後地点や対岸の数値とかけ離れているからこれを「不採用」とすることはできない、ということである。

 なお、L10.50kのデータは、前後区間と比較すると、かなり差のある測量値が出ていて、折れ線グラフにするとかなり目立つ(17.63m、グラフはⅤの末尾。SUVRP003.pdfのp.1205)。地点写真では「ほぼ明確」となっている(SUVRP002.pdfのp.530)。しかし、500m上流に堰があるし、この下流では河道の横断形も大きく変動するから、多少の変動があっても不思議ではない(それをいうと、鬼怒川全域がそうなのではあるが)。なによりこの前後区間では右岸の数値もかなり変動幅が大きい。これについては、10月13日以前から注目して調査していたわけでもなく、具体的に測量の誤謬の経緯・原因があきらかな3地点とは異なるからここではとりあげない。

 

 

(1)痕跡水位を誤認した事例・R3.75k

 

 R3.75kでは、隣接地点や対岸との比較どころか、後背地の標高より1m以上も大きな痕跡水位が記録された。ところが、その地点では氾濫し水害を生じたということは一切ない。それどころか、洪水が到達したのは、後視点(Backsight)すなわち測量の基準点となる距離標石のある更新世段丘面上から、江戸時代に更新世段丘を掘削してつくりだした河道近くまで、標高差約6mほど降ったところである。地元の住民は、その最高水位標高は把握していて、1年半後のいまも明確に示すことができる。痕跡水位標高の測量隊にとって、洪水の数日後すでに痕跡が不明だったとか、見間違えたなどのことは到底ありえない。

 唯一考えられるのは前視(Foresight)点すなわち痕跡水位の測量値の「8.14」を「1.13」と、つまり「8 はち」を「1 いち」と誤記したことくらいでである。たしかに7mのずれを補正すると前後区間や対岸との大きな食い違いもなくなるのである(写真は守谷市西板戸井の工場敷地内、2021年3月29日。更新世段丘の崖際に設置されたR3.75k距離標石の頭に赤リボン。)。

 

(2)痕跡水位を誤認した事例・L11.25kと豊水橋

 2つ目である。L11.25kと、そのすぐそばの豊水橋(ほうすいきょう。右岸の豊岡〔とよおか〕と左岸の水海道〔みつかいどう〕から一文字ずつ。本来「とよみつばし」だとする説もあるが、地元では誰もが「ほうすいきょう」と呼ぶ)地点である。

 

 「縦断測量観測手簿及び計算簿」(SUVRP003.pdfのpp.1201,1205,1261)の測量結果で前後区間(L11.00k=17.29m、L11.50k=17.48m)や対岸(R11.25k=17.47m、R豊水橋=17.46m)と比べると、痕跡水位が1.5mから2m近くかけ離れた低い値になっている(L11.25k=15.91m、L豊水橋=15.50m)。L11.25kは、前回水害後の激特事業で新造された掘割型の堤防であり、豊水橋直下の橋脚部分と同様のコンクリートブロックの護岸で、傾斜角約65度の絶壁になっている。洪水の最高水位の痕跡はあるにはあるが、絶壁の基壇部から約7m以上も上になっていて、そこに標尺(アルミスタッフ)の下端を当て、絶壁の上の後視点近くの測器(デジタルレベル)の視界に届くようにするのは、足場でも組まない限り不可能な状況だった(2019年10月15日10:57、別添・pic.11.25k測量写真.jpeg)。そのため、痕跡を見誤り、かけ離れた測量結果になったようである。

 地点写真(SUVRP002-p.532)でも同様に痕跡を見誤り、はるか下を示している。

 

 

 ところが、前後地点には見間違えようもない「泥・ゴミ・浮遊物」があった。すなわち、新造堤防の上流端と巨大な八間堀(はちけんぼり)水門との間の短い既設堤防(土堤)の、堤外側法面をすこし下ったところにある紅白の車止めの天端側に、「泥・ゴミ・浮遊物」が大量に残っていて、痕跡水位は容易に確認できたはずだった(2019年10月16日15:58)。

 

 

 参考のために洪水時の写真を示す。2019年10月13日の12:18に対岸から撮影された写真である(知人から提供を受け、ウェブサイトへの掲載を許可いただいた)。新造堤防の上流端がさきほどの写真の紅白の車止めの地点である。鬼怒川水海道水位観測所のデータによると、9:00から11:00にかけてが水位のピークだった。写真の12:18はそこから0.3m程度低下した時点である。地点写真撮影者と痕跡水位測量者が最高水位を見誤ったことはあきらかである。

 

 

 測量隊や地点写真を残した印つけ隊が誤認した高さと、実際の最高水位を示すと次のとおりである(赤矢印が誤認した高さ。黄丸が車止め地点の「泥・ゴミ・浮遊物」。黄破線が最高水位)。

 

 

 さらに豊水橋の直下、新造堤防の上流端ではパラペット(腰壁)の基部の段付きに「ゴミ・浮遊物」が堆積し、パラペットの天端から約1.26m下に「泥」の痕跡がある2020年10月16日14:58。測量ポールの下端の少し下、パラペットのステンシル文字が隠れたのが最高水位時の水面。パラペットは高さが1.55mあり、その天端がすなわち堤防高で約18.8mである。このすぐそばに堤外におりる階段があり、そこで測ると痕跡水位はペラペット上端から約1.26m下にある。真新しいコンクリートの、しかも垂直面なので「ゴミ・浮遊物」は付着しないが、一直線に「泥」の痕跡が残っている。したがって痕跡水位は約17.5mとなる。しかし、結果的に誤った数値の「15.50m」が「縦断測量観測手簿及び計算簿」に書き留められることになった。

 

 

 これなど、測量をおこなった観測員に責を帰するのはいささか気の毒な状況である。何の問題もない堤防区間であれば、今時の自動的に首振りしてプリズムに焦点を合わせて数値を記録するトータルステーションを使えば簡単に1人でも測量ができるのであるが、絶壁の途中や無堤区間の更新世段丘の崖面などは、すくなくとも3人以上の人員で測定すべきだろう。足場を掛ける必要も生ずる。この地点では護岸の下に車両が進入できるので、高所作業車があれば正確な測量ができた。困難な場所に、しかも初めての地点に若手の従業員を送り込んで十分な支援をしなかった新星コンサルタントには会社としての責任がある。

 さらに(このあと検討することの結論を先取りしてしまうのだが)、地点写真撮影はこの測量より前におこなわれていたようで、多くの場合、頭を白く塗装した木杭を打ち込むか、コンクリートの場合などは白スプレー缶で目印をつけ、ついでに測定ポールで指し示すポーズを撮影して歩いているようである(本件の地点写真ではまったく写っていないので、今回実施したかどうかはわからないが、樹木などに赤リボンを目印として結んでおくこともある)。

 このL11.25や豊水橋の場合、間近に見えるコンクリートの絶壁の下の方の目地の泥にだけ気を取られたようで、実際にははるか上の方にある痕跡を見つけ損ない、目地の泥を指し示しす写真を残している。また、写真を見る限り白スプレーの目印も見当たらない。

 この10月15日の測量隊がこの先発隊の撮影した写真を持っていたのかどうかは不明なので、先発隊の判断にひきづられたのか、それとも独自に間違ったのかはわからない。いずれにしても、250mごとの標石と、樋管・橋梁などの直下でだけ痕跡を特定しなければならず、ちょっとでもズレることを許さないという杓子定規(と過重労働、支援体制欠如)によって、素人でもわかるような痕跡水位の特定ミスをおかしたのである。新星コンサルタントと発注者の下館河川事務所は、深刻に反省すべきである。

 次は豊水橋の地点写真である(SUVRP002.pdfのp.531)。豊水橋の真下ではなく、下流側の新造堤防のコンクリートブロックなのだが、ここでもL11.25kと全く同じミスを犯している。測量機器をもちいておこなう痕跡水位測量でもそうだが、この先遣隊による印つけは、250mごとの標石地点と樋管・橋梁を分けておこなっているようである。そうすると、この豊水橋の印つけ先遣隊は、さきほどのL11.25kとは別人かもしれず、よりによって独立してまったく同じ誤謬をおかしたことになる。

 

 

 次に、この地点写真と同じ箇所を撮影した写真を示す(2019年10月15日11:04)。画像に描き入れた黄実線が痕跡位置で、赤矢印が上の地点写真で印つけ隊が測定ポールで指し示している箇所である。

 カメラ位置が異なるが洪水前の写真も示す(2019年10月10日15:36)。

 

 

 地点写真のコンクリートブロックや特にその目地を見ると、10月15日より少々泥が落ちているから、撮影したのは10月15日より後のように見える。

 なお上述のとおり、樋管・橋梁の痕跡水位の測量は、なぜか250mごとの測量とは別に、そしてたいてい後日に実施されている。豊水橋左岸の測量は10月18日におこなわれているが、同じように痕跡を見誤っている(SUVRP003.pdfのp.1201)。

 

 3.00kから7.00kまでの測量結果を記録した「縦断測量観測手簿及び計算簿」に示された測量結果のうち、「前後地点や対岸の測量結果と比較して不自然な測量結果」であった「不採用」としてしかるべきなのは、このR3.75k、L豊水橋、L11.25kの3箇所だけである。最後の項目Ⅴで、3.00kから7.00kまでの全部の測量結果の一覧を示し、具体的に立証することにするが、いまここで瞥見すると、上記3箇所以外には、隣接する上下流地点および対岸の地点と比較して突出した値、不自然な値はみられない

 そもそも、この区間のすべての観測値を「不採用」としたとあっては、比較の対象となるものが一切存在しないのであるから、「前後地点や対岸の測量結果と比較して不自然な測量結果を『不採用』とした」などとは到底いえないのである。下館河川事務所の言っていることは、みずからの論拠を掘り崩すものでしかなく、支離滅裂でおよそ成り立つ見込みのない暴論である。

 そうなると、「不採用」の理由となりそうなのは、【論拠3】の「新星コンサルタントの報告書中の地点写真ページにおいて『判断精度』が『想定』とされた地点の測量結果を『不採用』とした」というものしか残らない。ところが、報告書中の地点写真を見る限り、未撮影の地点はないし、すべてにおいて観測員が痕跡水位点をはっきりと測量ポールで指示している。痕跡水位地点を指し示すことができず、茫然と立っていたりするものはただの一枚もない。地点写真画像上は、どのようなものが「判断精度」が「明確」ないし「ほぼ明確」であるので測量値が「採用」になったのか、いっぽうどのようなものが「判断精度」が「想定」であるので測量値が「不採用」になったのか、その区別の理由まったく読み取れない。

 そうすると、地点写真の「想定」の根拠がまったくわからないのに、それだけを理由として、一覧表・平面図・縦断図において「不採用」の地点をつくりだしたということになる。「縦断測量観測手簿及び計算簿」と、地点写真に付記された「想定」という「判断精度」記述とが矛盾しているのであり、新星コンサルタントは、「縦断測量観測手簿及び計算簿」の測量値の妥当性を、地点写真の「判断精度」記述によって否定しうると考えているのである。しかし、地点写真の脇に書かれた「判断精度」判定に根拠がなければ、「縦断測量観測手簿及び計算簿」に記録された測量結果を否定する理由はないということになる。

 次項目Ⅲにおいては、「縦断測量観測手簿及び計算簿」に記録された痕跡水位の測量値と地点写真のそれぞれについて、具体的に検討することにする。

 その前に、「報告書」成立に関する経緯について指摘しておかなければならないことがある。

 

 

2 「不採用」とした時期に関する疑念

 

 「不採用」のすべては、測量結果の数値があるにもかかわらず、地点写真における「想定」という「評価」によってもたらされたものであるが、その「評価」については一切根拠が示されていない。これでは「不採用」については、結局のところいかなる正当事由もみあたらず、説明すらできない、そのような状況下で恣意的につくられたものであることを疑わざるをえない。

 それというのも、次のような事実があるからである。

 

【経緯1】 新星コンサルタントから報告書の提出を受ける前に、下館河川事務所は新星コンサルタントとの「協議」をおこなっている。

 

【経緯2】 「報告書」のデジタルファイル、すなわちSUVRP001.pdf、SUVRP002.pdf、SUVRP003.pdfの「作成日」が報告書受領日よりだいぶ後で、行政文書開示の直前であった。

 

 報告書における痕跡水位の膨大な「不採用」は、新星コンサルタントの責任において、新星コンサルタントが独自に判断したものではないらしい。受注者である報告書の作成者が、その報告書の提出前に、提出先の発注者と「協議」をおこなう、それもたとえば報告書の体裁とか配列、あるいは納入日などについての、形式的・外形的な面について打ち合わせると言うのではなく、痕跡水位の測定結果について、特定地点・特定区間の「採用」「不採用」にかかわる内容的・具体的な「協議」をおこなったというのである。おどろくべきことというほかない。

 痕跡水位が、現地での観察・調査・測量によって決まるのではなく、行政機関と営利企業との「協議」によって決まる、とりわけ痕跡水位の数値が明らかになったり、明らかにならなかったりするにさきだって行政機関と営利企業との「協議」がおこなわれるのである。行政機関と営利企業の「協議」に基づいて、痕跡水位の数値が公表されず、未来永劫明らかにならない、という異常事態である。それを当の行政機関が、隠すでもなく、悪びれもせず公言する。そして、営利企業、国民・住民からの疑問点の照会に対して一切の説明を拒絶しているのである。

 事前に「協議」がおこなわれるという事実は、それだけで国民・住民の目から見れば異常事態であるが、行政文書の開示にあたって、原本の写しが開示されるのではなく、内容を改変したものが開示される、というのが本件「報告書」の開示において起きた事実である。

 すなわち、開示請求者に送付されたSUVRP001.pdf、SUVRP002.pdf、SUVRP003.pdfの作成日は、新星コンサルタントから下館河川事務所への納入日の直前、すなわち「平成31年度」末であるはずである。ところが、3つのpdfの「作成日 Creation date」は、2021年1月28日ないし29日である。いずれも開示請求者が開示請求をおこなった2020年11月以降、関東地方整備局情報開示室がpdfを記録したDVDを発送した2021年2月以前である。開示された「報告書」は原本ではなく、内容が改変された可能性のある別物である。

 しかも、本件の場合、改竄された文書それ自体に、改竄の痕跡が残されているので、その「可能性」は現実のものである。

 この点については、Ⅳで具体的に改竄された内容を摘示したうえで検討する。