彫刻

 彫刻は、現代でこそ独立した「芸術」作品として制作されるのが普通です。しかし、古代ギリシャの場合もそうですが近代以前は、ほとんどが建築物の一部として作りつけられるが通常のようです。建物に密着していない場合でも、そこの主神として設置されていたようです。エジプトの神殿では建物と彫刻の区別がつかないというべきですし、アテネ・アクロポリスのエレクテイオン神殿の「乙女の柱」にいたっては彫刻がそのまま柱になっていて、「彫刻」を取り外すと梁が落下してしまいます(現在はレプリカと置き換えてあります)。「絵画」も同じで、建築物の「装飾」(適切な表現ではありませんが)としてそれと一体化していたのであり、移動可能な独立した「芸術作品」だったのではありません。(「壁画」を壁ごと剥がして持ってきてしまうという岡倉天心の「弟子」のランドン・ウォーナーの行為は、狂気の沙汰というほかありません。)

 ギリシャの場合もエジプト同様、まずは、一神教勢力により「偶像」として毀損・抹殺されたうえ、残ったものも19世紀にほとんどの彫刻が持ち去られて、大ブリテン連合王国(大英博物館)・フランス共和国(ルーブル美術館)・ドイツ連邦(ベルリン美術館)・アメリカ合州国(ボストン美術館・メトロポリタン美術館)などの博物館の展示物となってしまいました。ギリシャの彫刻は、エジプトよりはるかに小型で持ち運びが容易だったこともあり、(「乙女の柱」は別として)建築物にはほとんど彫刻が残っていません。

 

 さて、以下、一応時期別に3グループに分けて見ていきます。

 

1 キクラデス文化、クレタ文化、ミケーネ文化

紀元前3000年紀から2000年紀の東地中海・ギリシャ地域の文化で、最後のミケーネ文化は紀元前1200年に滅びました。

2 アルカイック期

「暗黒時代」を経てポリスのギリシャが成立するのが紀元前8世紀ですが、480B.C.ころまでが「アルカイック期」です。

写実的でなく様式的、立体性ではなく正面性、動的でなく静的、というように次の「クラシック期」と対照して特徴づけられます。はっきり言えば、エジプト的ということです。

 3 クラシック期

480B.C.以降が「クラシック期」です。写実的で動的、しなやかな動きを表現し正面性を脱却した、と特徴づけられ、ギリシャ芸術の最終到達点とされます。はっきり言えば、エジプト的なものから脱却したということです。

 

 なお、このページに掲載した彫刻のうち、パルテノンの梁の上の浮彫、破風の彫刻(「エルギンマーブル」)の縮小模型、ペルシアに破壊された神殿のものと思われる破風の彫刻などは、1987年当時はアクロポリス上の東端にあった「旧アクロポリス博物館」で展示されていましたが、現在はアクロポリスのふもとに新設された博物館に移ったようです。それ以外は、アテネ国立考古学博物館の展示品です。

 「ギリシア彫刻のブログ」(http://heraion.exblog.jp/18834251/)と、小澤克彦教授のウェブサイト(http://www.ozawa-katsuhiko.com/1sekai-isan/crete/crete.html)を参照しました。



ポリスのギリシャ以前

 キクラデス文化の人の像、クレタ文化の壺、ミケーネ文化の「アガメムノンの黄金の仮面」など、いずれもアテネ考古学博物館の展示品です。副葬品や調度品といったところでしょう。ひとつだけ考古学博物館の展示品でないのが、ミケーネ遺跡の「獅子の入場門」のライオンです。これだけは建物の一部としての彫刻です。

 エジプトの彫刻とは異質です。ポリスのギリシャの時期の彫刻ともおおいに異なり、大きな断絶があったことはあきらかです。


アルカイック期 どうみてもエジプト的

エジプト・ルクソール神殿

 「紀元前1200年の衝撃」で、ミケーネ王国などの数百の王国が滅亡しました。ミケーネ文化は消滅し、以後は「暗黒時代」が400年間続きます。文字が使用されなくなり文書記録がまったく残っていない、つまり文明が失われたという趣旨です。そして紀元前7世紀に入ると突然、ポリスが出現します。はるかかなたの地にあって、直接の祖先−子孫関係があるわけでもないのに、「ヨーロッパ」が勝手に自分たちの精神的祖先に祭り上げる、「古典 classic」としてのポリスのギリシャです。

 彫刻の領域においては、このポリスの時代を、480B.C.ころで分けて、それ以前を「アルカイック期」、以後を「クラシック期」と言います(大英博物館 http://www.britishmuseum.org/explore/highlights/highlight_objects/gr/t/the_strangford_apollo.aspx

 まず、「古拙期」と訳される「アルカイック期」です。左脚を半歩踏み出した直立像は、一見してあきらかに、エジプト彫刻の影響下にあります。スフィンクスは、題材そのものがエジプトのものです。



クラシック期

 パルテノン神殿は、フェイディアス作の巨大なアテナ女神像をおさめていたほか、破風や、梁の上のフリーズなどには幾多の彫刻がつくりつけられていました。アテナ女神像ははやくに失われ、破風やフリーズの彫刻は、大ブリテン王国のエルギンらによって剥奪されて大英博物館の所蔵品になっています。「アクロポリス博物館」には、持ち去られる以前に地面に落下し瓦礫に埋もれていた一部のフリーズ彫刻や、破風の彫刻の縮小模型などが展示されています。

 建物同様、その一部である彫刻も、当然ながらもとは彩色が施されていました。

 「ポセイドン像」は、「ミロのヴィーナス」同様、キリスト教勢力により投棄され、のちに海中から引き上げられたのです。