下流優先論8  2019年水害の隠蔽                    (May 22, 2021)

 

Ⅲ 痕跡水位観測業務の問題点

 新星コンサルタント従業員による痕跡水位測量

 

 

 「鬼怒川痕跡調査一覧表」および「平面図」、「縦断図」が結論を表示するものであるのに対し、結論を導出する前提となるのが、地点写真および「縦断測量観測手簿及び計算簿」である。

 膨大な欠測が生じた結論部分の妥当性について判断するうえで、その前提となる痕跡観測・測量業務について検討しておかなけばならない。新星コンサルタントによる観測業務遂行における問題点を具体的に指摘する。この項目Ⅲでは、「縦断測量観測手簿及び計算簿」に記録されている測量行為と、「地点写真」の成立状況について検討する。

 

 

1 「縦断測量観測手簿及び計算簿」の問題点

 

 まず「縦断測量観測手簿及び計算簿」(以下、たんに「手簿」ということもある)を見る。

 観測時刻の記録がない。年月日だけでなく時刻を記録するのは測量において当然のこととされているが、新星コンサルタントの社名の入った記入用紙の書式自体に、時刻記入欄がない。このため、全部の手簿に時刻が記録されないことになる。

 それどころか、日付・測器・標尺、さらに観測者・点検者欄が空欄のものすらある(SUVRP003.pdfのp.1214からp.1219、p.1223からp.1226)。次はその1枚(SUVRP003.pdfのp.1217)であるが、欄外に「平面図に書いてあったものの手簿」という書き込みがある。手簿をあとから清書することさえ禁忌事項であるが、これは、清書どころか、あとになって新たに作成したものであると受け取るほかない。

 ほとんどすべての手簿で、表題部の筆跡と、測定中に現場で記入する本体部分の筆跡が別人のものになっている。先に記入したにせよ、後から記入したにせよ、観測者とは別の者が事前または事後に記入するのは、きわめて不適切である。

 さらに具体的に指摘する。

 手簿の記載によれば、痕跡水位の観測においてはすべてトプコンのDL-502およびアルミスタッフを用いたとある(ただし、上述のとおり一部に未記入のものがある)。しかし、実際には一部でDL-502ではない別の測器と、アルミスタッフのかわりにプリズムを用いている場合がある。

 

 その実例を示す。2019年10月17日、L4.75kでの測量現場を撮影した写真である(2019年10月17日14:47)。この時期、連日鬼怒川下流域を見て回っていて、新星コンサルタントの痕跡水位観測隊をみかけて撮影したものである。

 

 写真の左の観測員が記入している「縦断測量観測手簿及び計算簿」(SUVRP003.pdfのp.1202 2⑵で引用)には、「測器 DL-502」「標尺 アルミスッタフ」とあらかじめ記入されていた。実際には、後ピンになっているが「千葉測器」のシールのとおり、レンタルしたトプコンのトータルステーションである。旧モデルのようで、現行機種と形状に若干の違いがあり型番は不詳であるが、SUVRP001.pdfのp.6に記載があるGT-505のようである。実際に使用していたのは、あきらかにDL-500シリーズのデジタルレベルDL-502ではない。

 右側の観測員が、L4.75kの距離標石の頭頂部の金属鋲にあてているのは、アルミスタッフではなくプリズムである。この日、この2名の観測隊員は、これ以外に長さ2メートルの測量ポールを2本持っていたが(写真の左の観測員の向こう側)、アルミスタッフは持っていなかった。

 もちろん、トプコンのDL-502おびアルミスタッフ以外の測器・器具を用いてはならない、というのではない。必要に応じて別の機器やプリズムを使用することは一向に差し支えないのではあるが、そうであれば、「縦断測量観測手簿及び計算簿」には実際に使用した機器・器具名を記入すべきである。観測結果の数値との筆跡の違いや上述の事情などを勘案すると、観測者とは別の者が事前に記入して、事実に相違する内容の文書を作成するのが常態なのである。

 このようなことは、ありがちな誤記とか勘違いなのではなく、新星コンサルタントの、日頃からのいささかルーズな観測業務遂行状況や事務処理の悪習が、そのまま現れたというほかない。現場で実際に測量をおこなう従業員が手を抜いているというのではなく、会社の幹部職員や経営者がそのような業務遂行体制をつくったのである。同社の観測業務遂行体制には問題が多い。

 


 

 さらに、新星コンサルタントによる痕跡水位測量の根本的問題点を指摘しておく。

 Ⅱ-1-⑴と⑵で検討した3箇所の痕跡の誤認(L11.25k、および左岸豊水橋)ないし数値の記入ミス(R3.75k)は、「縦断測量観測手簿及び計算簿」の記入手順が誤っていたために、是正されることなく、当該地点の唯一の測量データとして残されたのである。すなわち、「縦断測量観測手簿及び計算簿」の記入手順さえ適正であれば、ただちに前視点の誤認ないし記入ミスに気づいて、その場で測量のやりなおし、ないし数値の訂正をおこなうことができたのである。

 さきほど次のとおり指摘した。すなわち、「ほとんどすべての手簿で、表題部の筆跡と、測定中に現場で記入する本体部分の筆跡が別人のものになっている。先に記入したにせよ、後から記入したにせよ、観測者とは別の者が事前または事後に記入するのは、きわめて不適切である」、と。

 筆跡の違いは、表題部と本体部分との間だけではない。本体部分に複数人の筆跡が混在しているのである。さきほどのSUVRP003.pdfのp.1217のように、あとから作った場合には、(標題部は未記入だが)本体部分は一人の筆跡で一貫するが、これは論外として、「測点」名と数値の筆跡が異なるのは、どちらが先にせよ、「観測者」以外の者が記入しているのだから失当である。

 注目すべきは、「縦断測量観測手簿及び計算簿」のうち、左列の「後視」・「前視」(内訳として「杭上」・「杭下」)までと、右列の「器械高」・「杭上」・「杭下」の筆跡が異なることである。

 「縦断測量観測手簿及び計算簿」の各欄の数値の示す対象と、相互関係は次のとおりである。(「縦断測量観測手簿及び計算簿」の例として、さきほど誤測の例としてあげたL11.25kと、最後に重要箇所の例として示すL11.00kを含む、SUVRP003.pdfのp.1205の手簿をこのあと示す。

(なお、SUVRP003.pdfのp.1202の「縦断測量観測手簿及び計算簿」は、トータルステーションとプリズムを用いた測量なので記入方法が異なる。)

 

手簿の右列の「杭上」は、距離標石の頭の鋲の標高である。これが後視点(Backsight)の標高値であり、痕跡水位測量の基準値となる、既知の数値である。(あ)

 手簿の左列の「後視」は、後視点と器械(デジタルレベル)との標高差である。(い)

 手簿の右列の「器械高」は、右列の「杭上」と左列の「後視」との和である。(う=あ+い)

 手簿の左列の「前視」の内訳「杭下」は、前視点(Foresight)である痕跡水位地点の標高すなわち右列の「杭下」(お)と、右列の「器械高」(う)との標高差である。(え=う−お)

 手簿の右列の「器械高」から、左列の「前視」の内訳「杭下」を減じたもの(う−え=あ+い−え=お)が、求める数値としての、前視点(Foresight)の標高値である。(お)


 

 「観測者」が、現地で測量をおこなって記入するのは、左列の「後視」・「前視」(内訳「杭上」・「杭下」)だけで、右列の「器械高」・「杭上」・「杭下」は、手簿を受け取った者があとで記入したのである。逆の順番はありえない。

 また、この右列の「器械高」・「杭上」・「杭下」を記入するものは「点検者」ではないだろう。「点検者」は全部記入された「縦断測量観測手簿及び計算簿」にチェックマークを入れながら検算しつつ点検し、「杭下」の数値つまり痕跡水位の標高をエクセルの一覧表に転記するのだろう。

 以上のような次第で、68枚の手簿は皆一様ではないが、多くの手簿には、出発前に標題部に記入する者、現場で測量して左列の「後視」・「前視」(内訳として「杭上」・「杭下」)を記入する者、その「観測者」から受け取った手簿に右列の「器械高」・「杭上」・「杭下」を記入する者の少なくとも3つの異なる筆跡が混在している。

 標題部を別の者が記入してること、あるいは標題部が未記入のものがあること、実際に使用していない「測器」「標尺」が記入してあること、これですでに不適切だが、本体部分を、標題部に明記されている「観測者」ではない別の者が別の時点で記入しているのでは、測量としては完全に失格である。こういう杜撰なことをしていれば、必然的に測量の失敗を引き起こすことになる。

 筆跡の違いから判明する、もっとも重大な問題点は、実際に測量をおこなう「観測者」は、後視点の数値データを持たずに測量を実施しているということであり、それが測量の誤りに直結しているのである。新星コンサルタントの「観測員」は、測器・標尺などのほか、資料としては地図だけ持たされて会社を出発し、測量地点に三脚を立ててデジタルレベルを設置する。そして、後視点である距離標石との標高差〔左列の「後視」(い)〕と、前視点(Foresight)である痕跡水位との標高差〔左列の「前視」の「杭下」(え)〕だけを測ってその2つの数値を「縦断測量観測手簿及び計算簿」に記入し、地図を見ながら次の測定地点へ移動するのである。既知の数値である距離標石などの後視点(Backsight)の標高値〔右列の「杭上」(あ)〕は、既知とはいっても「観測員」には知らされていないから、現地で測量している時点では、目的である前視点(Foresight)の標高値〔右列の「杭下」(お)〕はまったくわからないのである。もしその場で前視点(Foresight)の標高値が判明すれば、それが異常な値だった場合、数値の記入ミス、加算・減算のミス、そしてとりわけ痕跡地点の見誤りに気づく可能性が高い。そうすれば、その場で数値の再点検や再計算をおこなって誤りを正したり、痕跡水位を再探索して測量をやり直すことができるのである。ところが、新星コンサルタントは、会社の方針として、測量の基準点である後視点(Backsight)の数値をあえて隠したまま従業員に現場での測量をさせているのである。

 朝早くから夕方まで、はじめて行く場所を含めて1日に数十箇所を測量するのは激務である。10月12日から13日にかけては夜を徹して高水流量観測にも従事しているだろうから、引き続いての痕跡調査は過重負担となっていただろう。しかも、一様な形状の堤防が連続する区間であればまだしも、状況は多種多様である。とりわけ、このL11.25kや豊水橋のように、痕跡が絶壁の中段であっては見つけるのは困難で、足場なしに測量するのは事実上不可能である。さらに、3.00kから7.00kの両岸の更新世段丘では、急峻な崖に樹木・下草が茂っているからたどり着くだけでも困難であり、見通しもきかないので測量はおおいに手間取ることになる。後視点の標高値をあらかじめ把握していれば、測量の失敗に気づけるが、何も知らされずに現場に放り出されているので、誤測に気づくのは不可能である。

 以上の点は、「縦断測量観測手簿及び計算簿」の筆跡の違いだけで勝手に臆断しているのではない。前述のL4.75kでの測量を見ていた際、その場で痕跡水位標高はY.P.で何mであるか尋ねたところ、標石頭頂の鋲から痕跡地点までの標高差は「1.5m」であるが、その標石頭頂の値は持っていないので今ここではわからない、とのことであったので、おおいに驚いたものである。なお、その「1.5m」は、「縦断測量観測手簿及び計算簿」の(SUVRP003のp.1202、後出)の「+1.531m」を概数で述べたものであり、それをメモしておいたので、最近になってSUVRP003.pdfを入手して一連の経緯をすべて理解できたのである。

 

 

 

2 地点写真の「判断精度」の問題点

(1)地点写真の粗雑さと改竄

 

 つぎに、痕跡水位測量の際に撮影したとされる写真が、SUVRP002.pdfのp.521からp.565に左岸3.00kから左岸55.50kの、p.566からp.656に右岸3.00kから右岸55.50kの写真が示されている。これを「地点写真」と呼び、以下で検討する。

 一例を引用する(SUVRP002.pdfのp.524)。

 写真の解像度が極度に低いが、ここに引用するにあたって解像度が落ちたのではない。掲げているプレートに観測地点の距離数ないし地点名が書いてあるようだが、ほとんど読み取れない。同じ報告書中の流量観測業務の現場写真では、掲げたボードの文字は十分に読み取れるのであり、痕跡水位観測だけこういう不体裁になっている。

 写真に日付・時刻が一切表示されていない。地点の失認や取り違えをふせぐために、基本的には写真の画像内に写し込むか書き込むかすべきである。

 3コマ目の写真(左に拡大)は改竄してある。被写体人物の姿勢や植物の葉を仔細にみるとわかるとおり3コマ目と4コマ目は同一の写真であるが、そのうち3コマ目には、被写体の観測員が掲げている紙挟みの画像に、解像度が低くて判明ではないが「小絹排水機場」という文字を、あとから貼り付けてある。実際の紙挟みに留められた紙に書いてあるのを撮影したのではなく、SUVRP002.pdfのp.524に写真を割り付ける際に、画面に貼り付けたのである(元の画像ファイルにディスプレイ上で、もしくはプリントしたものに印字したテープを糊づけし、それを解像度をおとしてコピーまたはスキャンした画像ファイルをSUVRP002.pdfにペーストしたようだ)。

 そもそもこの小絹(こきぬ)排水機場はまさにL5.50k地点にあるから、この2箇所については一度観測すればよいのであり、敢えて別個に観測する必要はない。当然、写真を別個に撮影する必要はなく、1枚の写真にその旨注記すればよいのである。

 あえて別個に写真を撮影するというのであれば、紙挟みに「左岸5.50k」と「小絹排水機場」の2枚の紙を用意しておくべきだった。しかし、当日現場に持参した紙挟みには「左岸5.50k」の1枚だけしかなく、「小絹排水機場」の紙がなかった。そのため現場では写真は「左岸5.50k」の紙だけ掲げたうえで1コマしか撮影しなかったのだろう。後日、編集担当者が報告書に1ページあたり4箇所ずつ配列する段階で写真が欠落していると誤認し、あろうことか同じ写真を割り付けて、3コマ目に白地の小さな長方形を貼り込み、そこに「小絹排水機場」と描き加えたのである。平面図を見ればこの2箇所は同一地点であることが理解できるはずで、あえて写真を改竄してまで貼り付けるには及ばないのであって、「上と同じ」とでも書けばよいのに、写真の撮り忘れと思い込み、その「ミス」を隠蔽するために改竄したのであろう。測量会社としての信用を自ら傷つける行為である。

 なお、同じく新星コンサルタントが下館河川事務所から委託されて実施した「平成27年度 H27鬼怒川下流部流量観測業務」における同様の「地点写真」を見ると周囲の景観も映り込んでいて、痕跡水位を指し示している状況がはるかにわかりやすい写真となっているし、年月日が写真のコマに写し込まれていた。4年前にくらべても新星コンサルタントの業務の質の低下は顕著である。ただし、その「H27」にあっても、「H31」同様に、掲げた地点名を示す紙挟みの文字や年月日表示は解像度が低くて判読できない。下館河川事務所が点検を怠り、新星コンサルタントに対して是正措置をとらせることなく、漫然と委託を続けてきたために、改善どころか質の低下が進行しているのである。

 

(2)地点写真の成立に関する疑念

 

 以上のことだけであれば、日付・時刻の写し込みの怠り、粗雑で読図困難な画像の掲載、そしてたった一コマのズルという程度の、建設業界ではよくある事実だと言えるかもしれない。しかし、SUVRP002.pdfに収録されている地点写真にはそのような形式的な瑕疵とは比較にならない、より根本的な疑義がある。新星コンサルタントの観測業務全体の信頼をおおきく損ねるような問題である。以下に指摘するのは、推測・邪推や見聞、まして憶測などによるものではなく、私が直接見聞し記録した事実に基づくものである。

 SUVRP001.pdfほか3ファイルを一覧した時点で、とりわけSUVRP002.pdfの地点写真について疑問をいだいたので、下館河川事務所に問い合わせをおこない、下館河川事務所から新星コンサルタントに確認するよう求めた(2021年3月10日、同17日、同30日に永井一郎調査課長と電話。3月23日には常総市新石下〔しんいしげ〕の鎌庭〔かまにわ〕出張所で永井課長らと面談)。その結果は、SUVRP003.pdfの地点写真はすべて、痕跡水位の測量の際に、すなわち測量の当日現地における測量の状況を撮影したものであり、新星コンサルタントの観測隊員が撮影者および被写体となっているというものであった。これは再度、再々度に渡って念押ししたもので、その都度同じ説明を受けた。しかし、これは虚偽である。

 SUVRP002.pdfの地点写真には、実際に目撃し、ある時は直接会話もした新星コンサルタントの観測隊員ではない、それとは異なる人物による異なる状況が写っているものがある。それらの写真は、別の日に、実際に測量を実施したのとは別の者が被写体となり、撮影された可能性がある。同じ日の異なった時刻に新星コンサルタントの別の者が、紅白の棒を2本交差させて痕跡位置を示す姿勢をとり、それをさらに別の者が撮影したという言うかもしれないが、そうだとすると、痕跡水位を示すポーズをとっているというだけであり、下館河川事務所と新星コンサルタントが言うような、実際の痕跡水位の測量時測量の状況を撮影した写真とは言えない。

 

 実際例を具体的に示す。上に引用したのは、SUVRP002.pdfのp.523の4箇所の地点写真のうち、L4.75kと大山下(おおやました)排水樋管での測量の際の地点写真とされるものである。測量している現場を目撃し、撮影した新星コンサルタントの観測隊員は、このSUVRP002.pdfの地点写真中の人物とは、一見して明らかに別人物である。端的にいうと、先に示した10月17日14:47の写真で、トータルステーションGT-505らしきものを覗いたあとで数値を「縦断測量観測手簿及び計算簿」(文面までは見えないが、赤の罫線が写っている)に書き込んでいるのは、20歳台と思われる若い男性である。そして距離標石にプリズムを立てているのは、マスクとヘルメットで顔はよくわからないが、同様に20歳台と思われる若い女性である。しかしSUVRP002.pdfの地点写真に写っているのは、そのいずれでもないのは明らかで、それより年長の男性のようである。

 低解像度の写真ではそこまではよみとれないのだから邪推にすぎない、と抗弁するかもしれない。10月17日に測量をおこなった観測員ではないことを証する、具体的な事実をいくつか挙げる。

 

 ① 当日目撃した観測隊員2名は、カメラを首や肩に下げてはいなかった。数箇所の測量の状況を見ていたが、2名はその間、測器とプリズムによる測量だけをおこなっていたのであり、一切写真撮影はしていない。一人が測量ポールを交差させるポーズをとり、もう一人がそれを撮影するということはなかった。カメラ機能を持つ携帯電話機(スマートフォン)くらいは所持していたかもしれないが、それで撮影することもなかった。

 ② この2名は、写真に写っているとおり、「縦断測量観測手簿及び計算簿」を挟んだ紙挟みや地図は持っていたが、地点写真中に写っている地点名を記した紙を挟んだ紙挟みらしきものは携行していなかった。

 ③  かりに撮影をおこなうとして、被写体となるのは10月17日14:47の写真中の右側の隊員であろう。測器を操作する方が隊長で、プリズムを立てるのが助手であろうから、写真を撮影においては隊長が撮影者、助手が被写体となるであろう。そうすると地点写真の被写体は助手ということになる。10月17日14:47の写真中の助手は、マスクをしていて外すことはなかったが、地点写真の被写体の人物はマスクをしていない。

 ④  地点写真に写っている人物とこの助手とでは、被っているヘルメットの形が異なる。別人である。

 ⑤ もうひとりの男性の測定員が被写体だった可能性もあるが、地点写真の人物とはあきらかに異なる。L4.75kと大山下排水樋管の地点写真では紙挟みに隠れているのでよくわからないものの、後出のL5.25kと大山新田排水樋管の地点写真をみると右太腿のポケットには、上の私撮影の写真では写っている木杭とスプレー缶が入っていない。これら一連の区間写真には同一人物が写っているのであるが、それは手簿に記録された測量をおこなった20歳台と思われる若い男性とは別の、やや年長の男性である。

 ⑥  L4.75kの地点写真は、後視(backsight, BS)地点である距離標石頭頂より約1.5m高い、前視(foresight, FS)地点である更新世段丘(洪積台地)の斜面にある痕跡水位地点で撮影されたもののようである。

 

 下の図は、さきに引用した「平面図4」のうち大山下排水樋管からL4.75k周辺を拡大したもので、赤丸がこの痕跡水位(=前視)地点である。髭付き白抜赤丸は距離標石(=後視)である。なお画面上方が北方位ではない。

 

 

 上の写真は、洪水前の2019年7月に現地を撮影したもので、河道に向かう道〔かつては、平将門も通ったかもしれない重要な街道だったようで、瀧下橋架橋以前は渡し船の河岸があった〕から振り返って南南東方向の標石や崖面をみたところである。緑丸がL4.75k標石(平面図の髭付き白抜赤丸。さきほどの10月17日の測量時の写真で、右側の隊員がプリズムをあてているもの)である。その脇に立てた測量ポールの20cmごとの縞々を目印にして、標石頭頂から約1.5m上に描いた黄横線が2019年10月13日の最高水位=痕跡水位の線である。赤丸が痕跡水位測量における前視地点である。右の白丸は河川区域境界標石であるから、洪水は河川区域をこえたことがわかる。

 

 なお、管理基平面図の河川区域境界線の線引きが誤っている。河川区域を定めた1966(昭和41)年の建設大臣告示の図と食い違っているのである。対外的に河川区域について誤解を与えるどころか、下館河川事務所と鎌庭出張所自身が河川区域を誤認したまま河川行政を執行しているということであって、極めて重大な問題である。なにより2015年にも、そして2019年にも洪水は河川区域を越えたのに、管理基平面図上では越えていないことになっている(大臣告示の図と管理基平面図の、各々L4.75k付近を拡大して示す)。

 

 

建設大臣告示(1966年)による河川区域境界

(凡例には示されていないが、朱線が河川区域境界)

 

鬼怒川管理基平面図における「河川区域界の位置」

 

 本題に戻る。さきほどの地点写真は、「平面図」中の赤丸、および2019年7月の写真中に赤丸で示した地点でポーズを取っているのを、上流方向から撮影したもののようである。目印になるものがないのでわかりにくいが、右方向の崖面の下に距離標石、さらにその先が河道のはずである。この地点写真は、被写体となる観測隊員と、これを撮影した観測隊員が、2人とも崖の途中まで、2メートル近く(距離標石頭頂から約1.5m)登ったうえで撮影したものである。ところが、10月17日のL4.75kの測量の着手前から終了後まで通して見ていたのであるが、痕跡水位の地点に行くために崖面を登ったのは、女性の観測員ひとりだけで、2人がともに崖に登って、斜面で写真を撮影してはいない。というのは、測器(トータルステーション)は、崖下に設置されているのだから、これを覗く観測者までが崖を登ってしまうと、測量ができなくなるからである。

 ⑦ 下に手簿を引用してあるが(SUVRP003.pdfのp.1202)、このL4.75kを測量した観測隊は、同じ日に大山新田排水樋管と、L5.25kの2箇所の測量もおこなっている。手簿のL5.25kの欄外に「大山新田と同じ」と記入してある(L5.50kと小絹排水樋管についても同様)。先に引用した地点写真(下に再掲)を見ると、L5.25kと大山新田排水樋管の2地点の写真がある。これについては、L5.50kと小絹排水樋管のように、地点写真を2枚撮影しなかったために改竄して2枚にするということはしていない。

(この「縦断測量観測手簿及び計算簿」には、測定者=記入者とは別の筆跡で「測器」はデジタルレベル〔DL-502〕、「標尺」はアルミスタッフと書いてあるが、実際に測量に用いたのは、さきに示した写真〔別添・picL4.75k測量写真.jpeg〕のとおり、トータルステーション(TS)とプリズムである。それを欄外に正しく「TS」と記してある。ということは、標題部の「測器 DL-502 No.511980」「標尺 アルミスタッフ」というウソがあらかじめ記入してあるものを出発前に渡されたので欄外に書くしかなかった、ということである。)

 

 

 それはともかく、ここで注目するのは、その背景に写っている車両である。地点写真の画面左上、大山新田排水樋管部分の堤防天端に駐車してある車両の屋根には、かなり長い円筒状のケースと、UAVのようなものが載っている。

 下の写真は、L4.75kの測量が終わったあと、L4.50k地点の測量のために樹木と下草の繁茂する崖面に入っていた測量隊を見送り、香取大神宮という小さな神社のわきの道(上記「平面図」参照)を登って守谷市大山新田の住宅が点在する地点に出た時に、民家の庭先に駐車してあった車両(トヨタ・プロボックス)である(10月17日14:58)。

 

 

 新星コンサルタントのマークなどは見当たらないが、このあと、L4.50kの痕跡地点測量から戻ってきた観測員2名がこの車両に乗り込み、次のL4.25kの測量のために移動しているから、新星コンサルタントの車両である。

 大山新田排水樋管とL5.25kの地点写真の背景に見える車両には屋根に大きな荷物が積載されているが、10月17日に観測隊が乗ってきた写真の車両の屋根には荷物はない。それどころかルーフキャリアもないから、荷物を降ろした瞬間を撮ったというのでもない。明らかに別の車両である。

 以上のとおりであるから、L4.75kとL5.25k、大山新田排水樋管における地点写真は、手簿に記録されている10月17日午後の測量の際に、この測量を実施した観測隊によって撮影されたものではないことは明白であり、疑いの余地はない。つまり、地点写真は、この10月17日午後の測量とは別の機会に、この測量をおこなった新星コンサルタント従業員とは別の従業員が測量ポールを交差させて痕跡水位を示すポーズをとっているところを撮影したものであることは明らかである。

 セルフタイマー機能を使って自撮りするなどということは、撮影場所や器具を構える手間などを考慮すると著しく困難もしくは不可能であるし、なにより無意味であるから、ありえないだろう。また、測量の当日だが別の時刻に、別の従業員が出向いたいうことは、可能性としては絶対ないとまでは言えないが、洪水後で業務が集中する極めて多忙な状況下で、人員のうえでも機器の調達のうえでも手一杯なのに、わざわざそういう無駄で無意味なことをする理由はない。それに肝心なことは、それでは痕跡水位の測量の当日、その実施時に撮影した、とはいえないのである。

 下館河川事務所は、新星コンサルタントが説明するところによれば、地点写真痕跡水位の測量の当日測量の実施時に測量の際に痕跡水位箇所を指し示している測量隊員が被写体となっている状況を別の測量隊員が撮影したものであると説明している。しかし、地点写真の中に、痕跡水位の測量の当日の測量の実施時に、測量の際に、痕跡水位箇所を指し示している測量隊員が被写体となっている状況を、別の測量隊員が撮影したのではない写真が存在する。他の数地点についても同様のことを指摘する用意はあるが、新星コンサルタントの言うことが偽りであることの証明としては、これで十分だろう。

 

(3)根拠のない「想定」断定

 

 地点写真の成立に関する問題にこだわりすぎると受け取られるかもしれない。痕跡水位の測量と、痕跡水位の写真撮影とは、別個におこなったとしてもさしつかえないのだから、こんな瑣末なこと、どちらでも構わないことを延々検討するのは無意味だ、というわけである。しかし、無意味なことを延々続けなければならないのは、下館河川事務が問い合わせたのに対して新星コンサルタントが、事実はそうではないのに、痕跡水位観測隊が観測の同日同時刻に写真撮影もしたのだと、虚偽を言い続けている(と下館河川事務所が説明している)ことの故なのである。同時に実施しようと別個に実施しようとかまわないとはいえ、同時に実施するのが首尾一貫した手法であるのに、それをあえて別々に実施したことも理解し難いが、そのことについて疑問を呈されると、測量と同日同時刻に同一隊によって写真撮影もおこなったのだと、それが虚偽であるにも関わらず頑なに言い張ることは、なお一層理解し難い。敢えて虚偽を述べるからにはそれなりの「理由」があるからだろう。

 洪水直後に下流区間全部を一挙に測量しなければならない状況にあって、敢えて人員・機材・車両を、測量と写真撮影の2隊のために用意するのは、特段の理由ないし必要性があれば別だが、効率の悪い方法である。しかも、低効率はそれにとどまらない。「縦断測量観測手簿及び計算簿」を一覧すると、多くの場合、250mごとの距離標石地点だけを順に測量し、それに挟まれた排水樋管地点(かなり数多い)は飛ばしたうえで、別の日にその飛ばされた樋管地点を拾うように測量するという、きわめて効率の悪いことをしている。地点写真の撮影でも同様に、距離標石地点の撮影と、樋管地点の撮影を分けていることが多い(写真撮影の日付は明記されていないが、被写体人物とその構えかたの差異、天候の違いなどで同一の撮影隊か否かが判別できる)。新星コンサルタントの人員・機材の割り振りには理解し難い無駄が多い。1回ですむことを4回(①距離標石地点の測量、②樋管等地点の測量、③距離標石地点の写真撮影、④樋管等地点の写真撮影)にわけて実行したのだから、さぞや完璧な成果をもたらしたかと思うと、結局のところ膨大な地点での欠測という大失態を演じた。本来の目的である痕跡水位測量の不達成にもかかわらず、新星コンサルタントは正直に別の日に別の従業員が撮影したとは言わず容易に露見する虚偽を申し立て、下館河川事務所はそれについて追窮を怠るのである。

 さきに項目Ⅱでみたとおり、膨大な欠測の理由は、つまるところ地点写真に付された、「判断精度」の「想定」というランクづけだけである。すなわち、「縦断測量観測手簿及び計算簿」の作成者である観測隊は、いくつか痕跡を誤認しあきらかに誤った数値を残した地点はあるが、それらを除けば、いずれの地点でも痕跡(前視)をみつけてそれと距離標石等(後視)の基準標高との差分を測量し、手簿の該当欄に記入して帰社し、それを計算者に渡している。すべての地点で痕跡位置を前視点として記録することができたということは、痕跡が「明確」であった、すくなくとも「やや明確」であったのである。先に指摘した、3.00kから7.00kまでの数十箇所のなかには、痕跡の誤認は3箇所あったが、見当がつかず、「想定」せざるをえなかったことも、「想定」すらつかず、皆目わからなかったこともない。(なお、痕跡の誤認は「想定」ではない。「想定」とせず、「明確」だと判断したから誤ったのであるから。)

 地点写真それ自体が、「想定」であることを明示しているかというと、それもない。そもそも報告書に掲載された写真は、解像度が低く、地点名すら読み取れないのであるが、それはいわゆる「ピンボケ」ではない。現代の自動焦点のカメラでは、よほど操作を誤らない限り「ピンボケ」の映像は撮影できない。「ぶれ」でもない。ましてカメラの基本性能として解像度が低いのでもない。もともと解像度が低かったとすると、それを該当の箇所に割り付けることすら不可能だろうから、もとの画像自体は、すくなくとも地点名が読み取れる程度のものであるはずで、そうだとすると、報告書に掲載するにあたって、敢えて画像そのものではなく、サムネイル画像をコピー・アンド・ペーストするなど、極端に解像度が落ちることを承知のうえで割り付けをおこなったのであるから、作為的とまではいわないが極めて不適切な行為である。

 

 今後SUVRP003.pdfに掲載されている元の写真ファイルを検討することにする。

 じつは、SUVRP001.pdf、SUVRP002.pdf、SUVRP003.pdfという3つのpdfの存在をあきらかにする前に、下館河川事務所は、関東地方整備局河川部水災害予報センターを通じて、報告書の元データは1490ファイル存在すると開示請求人に回答した(2021年1月27日)。1490ファイルの開示を受けるには、1ファイルにつき210円であるから、312,900円を要することになる。そのような多額の支払いは不可能であるので、それらのデータを取り込んだ報告書のようなものがあるはずだと問うたところ、3つのpdfより成る報告書があるとのことだったので、それの開示を630円で受けた。それがSUVRP001.pdf、SUVRP002.pdf、SUVRP003.pdfである。

 

 それに先立ち、不本意ながら解像度最悪で構図も劣悪で周囲の状況もよくわからないうえ、肝心の痕跡すなわち泥・ゴミ・浮遊物の撮り方も下手な地点写真のサムネイルを全部検討したのであるが、「判断精度」が「明確」とされたものと「想定」とされたものには、決定的な違いは見いだせない。有意な差も指摘できない。なんらかの傾向性も見出せなかった。いや、できる、という人がいれば、以下、4枚の地点写真について判定していただきたい。

 

 

 正解は次のとおり。

 4枚のうち、左列の2枚である(SUVRP002.pdfのp.535とp.526)。下の方が、茶色の「浮遊物」がまとまってキッチリとならんでいて、こちらの方がより明確のように見えるのだが、判定は逆で、上のL13.75kは「明確」なのに、下のL6.50kは「想定」とされ、この左岸6.50kは、一覧表・平面図・縦断図すべてで空白となり、痕跡水位データは残されないことにされた。

 

 

 次に、右列の2枚である(SUVRP002.pdfのp.537とp.531)。プラスチックの容器がまとまって残されている。ほぼ同じ状況だが、どちらかというと下のL11.00kの方が「ゴミ」の写りがいい。それでも、上の「明確」に対し、下は「想定」とされ、一覧表・平面図・縦断図すべてで空白となり、痕跡水位データは残らない。

 

 

 こうして地点写真を点検してみると、そもそも「泥・ゴミ・浮遊物」とはそれぞれ何を指しているのか、よくわからない。「泥」を分けるのはよいとしても、「ゴミ」と「浮遊物」とは並列的な分類概念ではない。枯れた植物の茎は「浮遊物」で、プラスチック容器は「ゴミ」のようだが、「ゴミ」は「浮遊」するから漂着するわけで、意味のない分類である。改竄したものを含む全544枚の地点写真中に、「その他」の例がひとつもないのもおかしな話である。

 このような曖昧な「判断材料」で、判断の「精度」を云々し、あげくに「想定」のレッテルを貼って、測量データを抹殺するというのでは、そもそもそのような「判断」それ自体の「精度」が低い(=「想定」?)ことを自ら示しているだけである。

 結局最後に残る問題は、「明確」「やや明確」「想定」のランクづけを誰がすべきなのか、という点である。現場に立った者か、それとも会社のディスプレイで写りのよろしくない写真を見ている者か、そのいずれであるのか。答えは明らかである。「明確」「やや明確」「想定」の判別判断をおこなうべきなのは、現場で痕跡水位を観測した者でなければならない。その痕跡水位を指し示している被写体人物と撮影者でなければならない。現場の判断を否認し、それに優先する判断を下せる者はどこにも存在しない。

 現場の観測者の判断と、事務所内で写真を見ている者の判断の、いずれを採用すべきかは明らかである。もし撮影の時点で、「想定」だというのであれば、測量ポールを直交させて痕跡水位点を指し示す動作をおこなうことはありえない。すべての写真は、「明確」な、あるいは「ほぼ明確」な痕跡水位を指し示している状況を撮影したものである。地点写真に付記された「想定」判定は、現場を見ていない者が、根拠なくおこなったというほかない。地点写真からはその根拠は読み取れないし、撮影者から別途報告があったわけでもない。SUVRP003.pdfの地点写真に併記された「想定」との判定には正当な理由はなく、明言することのできない何らかの意図のもとに恣意的におこなわれたというほかない。それを一覧表・平面図・縦断図における、空欄・不記入の口実としたのは、失当である。

 

(4)地点写真の「想定」判別の不当性・小屋場排水樋管

 

 地点写真に付記された「想定」判定の恣意性について、さらに具体的に指摘する。

 前項(3)で例示した4枚の写真は、いずれも草のはえた土堤の法面の中途であり、この写真だけでは位置関係がよくわからない。そのこと自体、じつは撮影の仕方としてはきわめて不適切である。カメラをもう少し引き、広角レンズで被写体の周囲の状況がわかるように撮影しておけば、あとからでも現地で痕跡水位の位置(標高)を特定できる写真を残せるのである。

 ところが、のっぺりした土堤の法面だとどこも同じようにしか見えないが、周囲の物体や状況が写り込んでいて、あとからでも痕跡水位の位置(標高)として指し示していた地点(標高)を、はっきりと読み取れる写真もある。護岸のコンクリートブロックには、今も白スプレーの跡が残っているものもあるのだが、塗料跡が残っていなくても、ブロックの組み方から、どこを指し示していたかがわかる場合もある。

 「想定」の烙印を押された地点写真のなかに、正しく最高水位地点(標高)を指し示していた地点写真がある。左岸4.10k付近(守谷〔もりや〕市松前台七丁目地先)の小屋場(こやば)排水樋管の地点写真である。(SUVRP002-p.522)

 

 

 次は、小屋場排水樋管地点における、最高水位から約30分後の写真である(2019年10月13日11:09)。両岸が更新世段丘を開削した絶壁になっていて、高水敷はない。広角レンズ(24mm)なので遠近感が誇張されているが、河道の幅は50mしかない。

 

 

 地点写真と当日の写真では撮影方向が違うので、対応する部分を示す。コンクリートブロックが左右一杯に組んであるのが黄線の下で、橙線の上流側の樋管部分(水位標のついているゲート部への通路の下)は天端まで積んである。地点写真で測量ポールを直行させて痕跡水位を示しているのは、下の洪水時の写真の白丸地点である。

 


 ゲート部についている水位標尺を拡大する。

 朝から見ていた人の話では、6:00が4.4m、9:00に4.6mとのことだった。10:00から11:00にかけてがゆるやかなピークで、コンクリートがまだ濡れている4.9mが最高水位である。撮影した11:09には、水位標は4.85mを示している。この地点の零点高は、Y.P.=9.60mであるから、ピーク時の水位はY.P.=14.50mということになる。

 この小屋場排水樋管地点の痕跡水位測量は、さきにみたL4.75kを測量した測量隊が同じ日に引き続いて実施した。「縦断測量観測手簿及び計算簿」の記録では、14.41mとなっている(SUVRP003-p.1202)。地点写真の観測者の判断と、トータルステーションによる測量者の判断はほぼ一致している。

 

(5)地点写真の「想定」判別の不当性・L11.00k

 

 地点写真に付記された「想定」判定の恣意性について、もうひとつ具体的に指摘する。この11.00kの痕跡水位データの欠如(「不採用」)は由々しき問題である。それというのも、ここは、鬼怒川水海道水位観測所のある地点であるから、洪水時にはかならずその水位が注目され、歴史的に比較対照される地点なのである。それだけではない。L11.00kは、2015年9月10日の水害時には、若宮戸や三坂の大氾濫の陰にかくれて地元の人以外はさして注目もせず、記憶すらしていないが、水海道市街地の最高標高地点である無堤の更新世段丘区間で溢水があった地点のすぐ近くである。2019年洪水は激特事業による築堤工事が終了した直後の事象だったのである。本当に痕跡水位が不明であり、測量することはまったく不可能であったのなら別だが、この注目すべき地点の痕跡水位データが残されないことは、いかにしても看過できないこと。

 次は、2015年9月11日、すなわち若宮戸の溢水、三坂の破堤の翌朝、10:00ころのグーグルの衛星写真である(別添・水海道元町2015溢水)。描き込んである緑矢印は、この更新世段丘の無堤区間での溢水箇所である。水防活動による土嚢積みにより、かろうじて矢印の先あたりまでの浸水にとどまった。

 

 

 次は、激特事業による築堤区間を示したものである。築堤後の平面図はまだないようなので、築堤前の「鬼怒川平面図」に、上下流の既設の堤防を橙線で、激特による新造堤防を朱線で示した。豊水橋の上流は掘割型の擁壁構造、豊水橋の下流は、上流側半分が擁壁にパラペット、下流側が土堤(ただし川裏側は一部垂直コンクリート)と、たいへん複雑である。平面形も複雑である。

 

 

 

 地点写真を拡大して再掲する(SUVRP002.pdfのp.531)。客観的状況を記録するという本来の目的をはたすうえでは、もう少し後ろにさがり広角レンズで周囲の状況を入れるべきだった。どの地点であるかを疑いの余地なく示したうえで、客観的状況を誤解や見逃しの余地なく記録する写真をのこすことは、治水事業にあってはことのほか重要なのである。新星コンサルタントが、もしも測量業務で社会に貢献したいと考えるのであれば、ぜひとも経営者の責任において改善していただきたいものである。

 しかし、それでもこの写真は痕跡水位をはっきりと記録しているのであり、これを「想定」などと根拠もなく切り捨てた新星コンサルタントと下館河川事務所の判断は理由のない恣意的なものであり、特別な意図のもとにおこなわれた隠蔽行為というほかない。

 この写真は、痕跡水位を、はっきりと、正確に、記録していることを、抽象的に言うだけでは甲斐なきことなので、以下で、具体的に示す。洪水前後に撮影した写真で、地点写真の画面外にはみだしてしまった客観的状況を補うことにする。まず、この写真がどこで撮影されたか、撮影者の立ち位置、被写体人物の位置はどこなのかを確認する。もちろん、それはL11.00k標石から河道に垂直に降った川表法面に決まっているのだが、実際にそうであったかどうかを背景画像で確認する。

 

 

 下は、10月15日10:33に撮影したものである。少し上流の天端から撮影したので画角は異なるが、右岸の樹木、左岸の水中から出ている樹木などは、地点写真と同じである。地点写真がL11.00kで撮影されたことは間違いない。

 ここからが本題である。この地点写真が正しく痕跡水位を指し示していることを立証する。

 

 11.00k痕跡1注記'] 次に、痕跡の状況を、すこし上流側から連続的に確認する。大画面なら一目瞭然だが、小画面だといささかわかりにくいかもしれない。新造堤防のパラペットの下部から、同じく新造堤防の土堤地点、さらにその先、11.00k標石や鬼怒川水海道水位観測所とその水位標尺のある既設の土堤へと、痕跡が連なっている。

 垂直に立っている新しいPC板のパラペットでは、さすがに痕跡の泥の線は近くに寄らないと見えないのであるが、それは「明確」ではないということではない。(2019年10月15日11:09)

 

 下流に移動する。手前の草刈りしてあるのが新造堤防の土堤部分、その先、水位標尺(水位観測所のものとは別)の先の、天端近くだけ草茫々のところが2012年までに嵩上げされていた既設の堤防である。手前が水海道元町(もとまち)地先、先が水海道本町(ほんちょう)地先である。(2019年10月15日10.34、別添・pic11.00k痕跡2)どうして行政上の区画ぴったりに、下流側から水海道本町地点だけ築堤したのか、いささか不思議であるが、手前に見える水位標尺は下流側からここまで築堤された際に設置されたものだろう。なお、洪水直前に完成した手前側(上流側)の新造堤防は、接続する既設堤防より10cm低い。

 そこからポールが立っているL11.00kまで32m、さらにL11.00kポールから向こうに見える水位標尺までは70mである。既設堤防と新造堤防の接続点から、水位観測所まであわせて102mである。

 向こうの水位標尺は、鬼怒川水海道水位観測所のカメラでリアルタイムで水位を撮影・録画できるようになっている。水位観測所地点の水位標尺は全部で6本あり、カメラから全部が見えるようにレンズの中心軸線からすこしずらして立ててある。この写真では、一番上(天端側)は草に隠れて見えず、河道側の3本は、画面の右外に外れている。2本目と3本目が写っているが、大量の植物の枯れ茎などが纏わり付いている。3本目は洪水により下流側に傾斜している。

 

 

 角度を変えてみる(2019年10月15日10:33)。この2枚を見比べると、手前=上流側の新造堤防の川表側法面の草刈り状況、奥=下流側の既成堤防の川表法面の草刈り状況、そして痕跡の「泥・ゴミ・浮遊物」のつきかたが正確にわかる。下流側と上流側では法面に段差があることもわかる。

 

 

 そのうえで、下流側の既成堤防の川表法面の草刈り状況に注目する。天端近くの法面、ざっと見て差し渡し約4m、標高差にして約2mは草茫々だが、その下、法尻までは一応草刈りがしてある。草刈り作業の途中だったとも思えず、どうしてこういうことをしたのか、唯一考えられるのは、計画高水位の17.260mまでは草刈りしたが、そこから上の天端(L11.00k地点の現況堤防高は19.407m)までの標高差約2mあまりは草刈りをしていない、ということである。

 次ページの写真は、水位観測所を対岸からみたところである(2019年10月21日16:15)。水位標尺が6本ある。天端のすぐ下にある小さな1本目は、2本目と重なって見分けがつきにくい。4本目までは川表側法面に立っている。

 3本目は10月10日にはまっすぐ立っていたから、13日の洪水で傾いたようである(手前左、右岸の杭のようなものも傾いている)。根本には植物の枯れ茎などが絡み付いている。2本目は、さきほどまでの上流側から撮影した写真では、この3本目と同じように枯れ茎が絡んでいるようにみえたのだが、角度を変えてみると、はるか手前(上流側)から大量の枯れ草のようなものが見える。さしわたし10m以上ありそうで、そうなるとこの2本目の水位標尺に引っ掛かったにしては少々不思議である。ただ、痕跡水位より上にはないので、洪水が原因なのであろう。

 

 

 次に、左岸堤防の天端から見下ろした鬼怒川水海道水位観測所の水位標尺の写真を示す。

 1枚目が、洪水前の2019年10月10日15:04で、一番手前が1本目で、横から撮影した先程までの写真では、この右側の草に隠れて見えなかったものである。3本目と4本目、5本目は、長い2本目の陰になっている。手前の棒がくくりつけられた標石は、L11.00kの距離標石ではない。「水」の文字が見える。「水海道」の「水」だろうか。

 2枚目が、洪水後の2019年10月16日15:26である。括り付けられた杭の赤リボンの左に対岸の白壁の2階建の家屋が見えるが、ここがR11.00kである。上から3本目の水位標尺が下流側に傾いている。

 

 洪水前の10月13日の写真の、水位観測所の水位標尺の目盛りが読めるように拡大する。1本目の赤目盛りと一番長い2本目の赤目盛りが9m台、2本目の橙目盛りが8m台、その下の黄目盛りが7m台、その下の青目盛りと3本目の青目盛りが6m台、3本目の茶目盛りが5m台である。

 最高点は、1本目が9.82m、どういうわけか2本目の方が高く10m、3本目が7mである。

 水位観測所の記録では、10月13日10:00の水位は7.51mだった。零点高が9.914mだから、Y.P.=17.424mである。これが水位観測所観測値の最高水位である。

 そして、計画高水位は17.424mである。2019年10月13日の洪水は、鬼怒川水海道水位観測所の測定値によれば、計画高水位を0.18m上回ったということになる。

 2本目の黄目盛部分である。3本目は完全に水没していたことになる。

 以上を踏まえて、地点写真の撮影位置、すなわちL11.00kにおける痕跡水位の位置を示したうえで、地点写真の画像の位置を特定する。

 

 以上を踏まえて、地点写真の撮影位置、すなわちL11.00kにおける痕跡水位の位置を示したうえで、地点写真の画像の位置を特定する。

 

 赤二点鎖線は、観測所カメラから水位標尺を結び、河道におろした垂線で、黄二点鎖線はL11.00k標石とポールから同様に河道におろした垂線である。観測所の水位標尺に表示してある目盛りはさきほどのとおりで、2本目の頂点は10m、3本目の頂点は7mである(傾いているので少し下回る)。10月13日10:00の水位は、3本目の頂点を0.51m上回っていた。

 以上みてきたとおり、地点写真(下に再掲)は、L11.00k標石から下ろした垂線と最高水位時に流れついた「泥・ゴミ・浮遊物」の連なりの交点を測定ポールで指し示して撮影されたものである。地点写真の「泥・ゴミ・浮遊物」より左側、法面の天端側が草茫々であるのに対し、「泥・ゴミ・浮遊物」より右側、法面の法尻側(河道側)が草刈されているのは、その線が計画高水位だったことによるものだった、ということがわかる。この地点での洪水の最高水位は、ほぼ計画高水位だった(3cm上回った)という状況を、この地点写真は示しているのであり、まさに痕跡水位をこれ以上ないほど「明確」に指し示しているのであった。

 これを「想定」にすぎないとして却下し、その地点写真につけた「想定」判定だけを口実にし、10月15日の測量データ(SUVRP003.pdfのp.1205)の「17.29m」を破棄した新星コンサルタントと下館河川事務所の判断には、いかなる根拠もない。あらかじめ誤った念慮をいだいたおこなった、データ隠蔽行為にほかならない。