自然堤防とは何か 若宮戸ソーラーパネル事件 1



22, Oct., 2015


「若宮戸」について写真1枚でどこまでわかるか


 今回の鬼怒川水害における主要な氾濫地点は、常総市三坂町上三坂(みさかまちかみみさか)地先(じさき、ちさき)の左岸21.0km地点ですが、それにつぐ大規模な氾濫を起こしたのが常総市若宮戸(わかみやど)地先の左岸25.35km地点です。(河川における地点の表示は、河口ないし合流地点を起点として下流からの距離で表示します。鬼怒川の場合は茨城県守谷(もりや)市地先の利根川との合流点が起点です。河川自体に幅があって大なり小なり蛇行している訳ですから、距離といっても厳密なものではありません。また、越水・決壊は一定の幅をもっておきるうえ、国交省が広報の際しばしば細かい数値を変更するので、文書によって若干の変動があります。)

 三坂町での決壊(堤防基底部からの崩壊による激烈な河川水の流入)は9月10日午後12時50分ころですが、若宮戸での「越水」は、それよりだいぶ前の午前6時頃に始まったようです(本 website では「河川情報」の発表時刻である7時40分としてきましたが、今後は氾濫の始まった時刻を午前6時00分に統一します)。


 次の写真は、国土交通省関東地方整備局が航空機(おそらく国交省のヘリコプター、「きんき」)から、14時55分に撮影した、若宮戸の越水地点ですhttp://www.ktr.mlit.go.jp/bousai/bousai00000091.html)。

 「越水」といっても、堤防の場合のように頂上部分(天端 てんば)を越えて、川裏堤内、つまり河道の反対側)の法面(のりめん)を斜めに流れ下りるようなものではありません。この場所には堤防がないので、定義上、堤防を河川水が越える「越水」でも、堤防が基底部から破壊されて河川水が怒涛のように流れ出す「決壊」でもありません。当初、国土交通省は「越水(えっすい)」と言っていましたが、1か月たつころから、「溢水(いっすい)」に呼称を変更しました。「溢水」というとまるで水がチョロチョロ流れ出すような印象を受けるのですが、定義上はそういうことになるのかもしれません。

 撮影時刻の14時55分というと、4kmほど下流の三坂町で11時ころから始まった「越水」をへて12時50分ころ起きた「決壊」から2時間程度経過していますが、写真右側の氾濫水は、三坂町から北上してきたものではなくこの若宮戸から流出したものです。「越水」とか、ましてや「溢水」のレベルではなく、定義上はそう呼ばないというだけのことで、一般的な堤防「決壊」の場合のような、大規模な氾濫がおきていることがわかります。ピーク時点の流入の激しさの程度はよくわかりませんが(下館河川事務所が克明に動画・静止画を撮影しているはずですが絶対に公表しません)、ピーク時を3時間程度経過して、50cm程度水位が下がっている写真の時点でも、河川水がまだ大量に氾濫し続けている様子がわかります。

 

左岸25.35km地点の若宮戸から1,99km上流の、左岸27.34km地点(下妻〔しもつま」〕市鎌庭〔かまにわ〕、大形〔おおがた=地名〕橋下流50m)にある、下館(しもだて)河川事務所所管の「鎌庭水位観測所」(観測所記号 303031283307130)の1時間ごとの水位の記録から抜粋すると次のとおりです。

若宮戸で越水の始まった頃である6時00分に、4.41m

三坂町で越水の始まった頃である11時00分に、5.75m

三坂町で決壊した約10分後である12時00分に、5.76m(最高値)

     その約1時間後である13時00分に、5.69m

若宮戸での写真撮影時刻頃である15時00分に、5.27m

 

左岸25.35km地点の若宮戸から14.4km下流の、左岸10.95km地点(常総市水海道〔みつかいどう〕本町、豊水橋〔ほうすいきょう〕下流200m)にある、下館河川事務所所管の「鬼怒川水海道水位観測所」(観測所記号 303031283307160)の1時間ごとの水位の記録から抜粋すると次のとおりです。

若宮戸で越水の始まった頃である6時00分に、4.97m

三坂町で越水の始まった頃である11時00分に、7.67m

三坂町で決壊した約10分後である12時00分に、7.91m

     その約1時間後である13時00分に、8.06m(最高値)

若宮戸での写真撮影時刻頃である15時00分に、7.72m

 

 次は、この中央部を拡大したものです。使用しているカメラはキヤノンのEOS1Ds markIII というプロ用の高級機なのですが、おそらく公開に際して低解像度(1024×683pixel)にして画質を落としてあるため、粒子が荒れてしまいます。どうでもよい写真は高解像度のまま公開しているのですから、作為的なものと思われます。


 

 

 次は、GoogleCrisisResponse に掲載されている写真で、氾濫の翌日9月11日の午前11時25分に撮影されたものです(https://storage.googleapis.com/crisis-response-japan/imagery/20150911/full/DSC02815.JPG)。すでに「越水」は終わっています。撮影時刻頃の11時00分の水位は、鎌庭観測所で1.39m、鬼怒川水海道観測所で3.78mであり、前日の最高値より、それぞれ4.37m、4.28m低下しています(いずれもY.P.+値)。

 画面中央の(相対的に)小さな黒いソーラーパネルが、報道等で「A社」と呼ばれる企業のものです。右側の広大な方が同じく「B社」のもので、出力1800kWだそうです。1000kW(キロワット)すなわち1メガワット(百万ワット)以上なので、俗に「メガソーラー」というようです。

(なお原子力発電の場合は原子炉一機の発電量がだいたい「百万キロワット」のものが一般的なのですが、3桁ほど違いますので念のため。熱効率が悪いので、その2倍ほどを冷却熱として無駄・有害にも海に捨てています。以上、正しくは W/h 〔ワット時=1時間あたりワット数〕ですが通常 /h は省略されます。)

 

 

  国交省関東地方整備局はプロ用の機器を使っているのにわざと画質を落としていましたが、こちらのカメラは国交省の高級機の十分の一くらいの値段の普及機(SONY SLT-α65V)に、廉価な交換レンズ(Tamron AF18-200DSM)をつけたものですが、解像度を高く(6000×4000pixel)設定してあるうえきわめて鮮明な画像なので、部分的に切り出し、拡大して細部を見てみます(拡大倍率は異なります)。

 

 まず、河道にそって通る小道(堤防は存在しないので堤防の上の面すなわち「天端 てんば」ではありません)のすぐ内側(河川の反対側)の「A社」のソーラーパネルの残骸です。「B社」の「メガソーラー」よりは圧倒的に小規模ですが、高さ12m程度と思われる電柱と比べても、そこそこの規模であることがわかります。

 草の倒れている向きや地面の抉れ方から、氾濫流が上流側に巻き込むように流れたことがよくわかります。上流側への巻き込みは、水防活動上指摘されている経験的事実で、水防活動の際に巡視用のテントを設置する場合は、川上側ではなく川下側に作るべきだとされています(社団法人関東建設弘済会さいたまセンター企画部『水防工法と水防活動体験』、2008年、p. 2.)。

 川沿いの小道のすぐ右側に「落堀(おちぼり、おっぽり)」のような穴がいくつも見えます。対岸の「高水敷」(通常の水路である「低水路」の両側の一段高い面)にも同じような穴が見えます。「落堀」と呼ぶかどうかは別として、高いところから流れ落ちた場合でなくても、氾濫水が河床(この場合は高水敷)から一段高いところへ流れ込んだ際にもこのような穴ができるようです。(国交省は無視しているようですが、ほかの場所でも小規模ながら同様の現象が起きている場所があります。後日報告します。)

 

 

 

 次に、画面右上です。左下はおそらく昨年の工事の際に削られた砂丘の断面です。送電用の電柱は高さ12mくらいでしょう。中央付近は段差があるように見えますが、現地で確認したところ段差ではなく、残っていた砂丘の砂が氾濫流によって押し流された跡です。氾濫流の激しさはかなりのものだったようです。

 

 

 

 次は、国交省が昨年、住民と常総市役所から催促され、いやいやながら業者(「B社」)にお願いして、「B社の私有地」をお借りし、置かせていただいた土嚢(どのう)です。土を20kgくらい入れる普通の白い小さな土嚢ではなく、黒い大きな土嚢です。それぞれが一袋なのか、中に小さな袋が入っているのかなど、説明がないので一切不明です。

 後ほど見る国交省の説明文もそうですが、この写真からもいったい何のために土嚢をおいたのかがさっぱりわかりません。川側から見たときにきちんと段がついて高くなり、河川水を押しとどめるようになっていたのかどうかも不明です。なんの甲斐もなく土嚢の上を氾濫水が流れて行ったように見えます。

 おそらく高さ1.8mのフェンスが氾濫水が流れた方向に全部倒れています。とくに、画面奥の崖になった部分のフェンスの倒れ方に注目ください。海岸の海食崖のように下から侵食されたのではなく、砂丘面上を流れた氾濫水によって上から削り取られていっていったように思われます。

 以上、本来は国土交通省関東地方整備局が手持ちのデータを公表すべきところ全部を隠避しているので、グーグルが公開した写真から推測してみました。

 


「国としてどうこうできるものではない」

 

 9月10日の水害発生当日から、インターネット内では、「ソーラーパネル」業者が「自然堤防」を掘削したために氾濫が起きたことが指摘され、いくつかのテレビ局もこの話題を取り扱ったようです。その時のテレビ映像などの限られた「情報」だけを使い回すインターネット内の噂話は、転載に転載を重ねてネズミ算式に増幅拡散し、ある政権が原子力発電に反対して太陽光発電を推進したことが今回の水害の原因だと叫ぶ狂躁に終始しました。

 検索エンジンが拾い上げるこのようなゴミ情報の発信者の多くは、若宮戸と三坂町でおきたふたつの氾濫の区別もできず、1か所だと思っているくらいですから、真相究明には程遠く、したがって河川管理者の責任問題につながる心配もゼロで、国土交通省関東地方整備局にしてみれば放っておいても何の痛痒も感じないのです。しかし、はやくも9月12日に、「ソーラーパネル」業者が少々不都合な言い訳を公表したほか(後述)、新聞社が太田昭宏国土交通大臣(当時)や菅義偉官房長官を取材したり、9月14日には日テレの「ミヤネ屋」が「ソーラーパネル」問題を取り上げるなど、いささか面倒な状況になりました。

 下に、新聞報道をいくつか例示します。

 





 

 たちいった検討は、この項目の最後におこないたいと思いますが、国土交通省の言い訳は最悪です。「設置場所が河川区域外の私有地のため、『所有者による掘削を河川管理者が制限することはできない』と説明」したという太田昭宏国交相(当時)の発言(右上の「時事通信」の記事)は、「個人の土地がたまたま高い位置にあった。河川管理施設ではなく、国としてどうこうできるものではない」という国交省の担当者の話(左上の「毎日」の記事)と同じ趣旨です。太田大臣(当時)は、決壊当日に資金集めのためのパーティーをやっていたくらいの人ですから自分で考えたのではなく、事務方の指示通りに喋っただけでしょう。

 取材を受けた国交省の担当者とは関東地方整備局河川部の河川調査官高橋伸輔(のぶすけ)に違いありません。このあと、「三坂町」については〝50年に一度の想定外の豪雨による越水で決壊であると、ろくに調べもしないうちから結論を決めておいて、お雇い「専門家」らに喋らせていたところ、堤防の規格が政令違反で高さも幅も極端に不足していたことを見抜かれてしどろもどろになったりもするのです(別項目を参照)。「若宮戸」については前年からの問題箇所でもあり、当然十分に準備しておいたはずが、「たまたま」とか「どうこう」など、官僚らしくもない稚拙な言葉遣いしかできず、そのくせ「事実関係については、今はおこたえできない」などと偉そうな態度です。太田大臣(当時)のセリフが一応日本語になっているのに、喋らせているはずの裏方の方が直接取材されて資質・能力・経験・誠意の程度を一発で見抜かれて記事にされてしまったのです。

 

 こうして国土交通省関東地方整備局としては、「若宮戸」については黙殺しきれない状況にたちいたり、9月19日になって「鬼怒川左岸25.35k付近(常総市若宮戸地先)に係る報道について」と題して、記者発表をおこないました(http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000632481.pdf 「発表記者クラブ」とあるうち、「竹芝記者クラブ」とは、埼玉県さいたま市にある国土交通省関東地方整備局内のもの、茨城県政記者クラブ以下は、各県庁や市役所内のものです。「問い合わせ先」は、河川調査官高橋伸輔です)。

 

 ずいぶん腰の引けた、言い訳にもならない言い訳です。

 ここでページブレークをいれます。